「彼れに十種有り、此れには何ぞ唯四のみある。」(『論』第四)(彼(根本煩悩)には十種ある。此れ(第七末那識)にはどうしてただ四つの煩悩のみがあるのか?)「我見有るが故に余の見生ぜず、一心の中には二の慧有ること無きが故に。」(『論』第四)(我見があるために、他の見は生じないのである。一心の中、即ち一つの識の中に二つの慧が生起することはないからである。)「如何ぞ此の識に要ず我見しも有る。」(『論』第四)(どうしてこの識にはかならず我見が存在するのか。)「二取と邪見とは但分別生なり、唯見所断なり。此れと倶なる煩悩は唯是れ倶生なり、修所断なるが故に。」(『論』第四)(二取(見取見・戒禁取見)と邪見とはただ分別生、分別起の煩悩であり、ただ見所断の煩悩である。しかし第七末那識と倶である煩悩はただ倶生起のものである。何故なら...11月度テキスト
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