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2014/11/26

  • 都知事選 (7/7) 当選確率1/56人

    アンタ、何しに出てきたの?…と言いたくなる人が、なんと54〜55人も湧いて出てきた今回の都知事選。初めて耳にする名前が50人以上。そんな状況での選挙なんて初めて。ポスターを貼るスペースが足りななんて、笑い話し以外の何物でもありゃしない。敢えて言わせてもらうなら、本人達も当選するなんて思っていない筈。SNSが行き渡っている現在、売名行為以外の何物でもないでしょう。あわよくばスポンサー獲得で一攫千金を夢見ている世間知らずの愚か者としか言い様がありません。中にはプロレスラーが使用する様なマスクを被っている者もいて、あれ…そう言えば昔もいた様な気がする。数百万円の供託金を払ってまでして自分の政治理念を生かしたい…って人も中にはいるでしょう。それならそれで良いでしよう。でもその人、どこ迄勝算が有るのかなあ?やたらと...都知事選(7/7)当選確率1/56人

  • ポール(82)の誕生日

    私の生活を形成した、ある意味でルーツともなったのは、ダイナ•ショアとポール•マッカートニーの存在。そして今日はポールの82才の誕生日。毎年何処に居ても1日中頭の中にはポールの曲が流れています。家に居る時はレコード、テープ、CDを聴くのが決まりきった習慣。今年もツアーをすると云うのには、頭が下がる思い。ダイナ•ショアが人生のドアを開け、ブルース⇒アメリカンポップス⇒ビートルズ、そこで確定。この12年間は大きかったなぁ…。少々誇張しているのを認めれば、まるでflightする為の滑走路の様な日々と言えるでしよう。いつ迄飛んでいられるのか?そろそろ着陸する頃か?その滑走路は何処か?……なんて考え始めても答えは未だ霞の中みたい。ポール、82才の誕生日おめでとうございますポール(82)の誕生日

  • 沖縄、やっと梅雨入り

    遅れていた今年の沖縄の梅雨入り。どれ程遅刻をしても、やはり来るものは来るんですね~。それにしても10日遅れとは珍しい。こんな時は短い期間でも雨の量は多くて、その後に長〜い夏が待ち構えている…って云うのが相場だよね~。美肌が小麦色になるだけなら、まだいいけど、熱中症は困るし、なんてったって野菜の高騰は嫌だよね〜。そうそう、今から夏の対策をしておかなければ、いけないね。《あとの祭り》だなんて、嫌だもの。日本の夏は、浴衣に青蚊帳、団扇と蚊取り線香、そして行水。ああ、昭和の夏は鈴虫の音色の中に…私には未だまだ聞こえます。沖縄、やっと梅雨入り

  • 免許証更新

    爽やかな午後の陽射しを浴びながら下谷警察署迄、免許の更新に行って来ました。早いものでまたそんな日が来たんですヨ。前回は工事中で一駅手前の廃校になった高校の跡地だったので、ここへは10年振り。新しくなった運転免許更新用の建物は、『これでも警察署か!?』と思う様な立派なビルに様変わり。言い換えれば《税金の変様》。あ〜あ、面倒くさかった。手続き自体は大方電子処理化していて、まあ、時間の短縮可がされていたので、何となく救いの様にも思えました。そうなんですよね。都会で暮らしている限りにおいては、車より電車を利用した方が〈楽〉だし〈便利〉だし〈時間の見通し〉が出来るし〈安上がり〉なのだけれど、郊外に出る事を考えると、やっぱり必要になってしまう。そう、一番の利点は《身分証明書》としての利用価値なんですよね。だから呆けが...免許証更新

  • 温珈琲⇒冷珈琲

    秋と春、毎回、珈琲豆の切り替えのタイミングに頭を悩ませているのですけれど、今年は上手くいきました。暖かくなって温珈琲はちょっとなあ…なんて時に温珈琲の豆が残っていたり、逆に冷珈琲の豆が残っていたりで、買い替えの機会に悩みます。まあ、冷珈琲豆はゼラチン利用で珈琲ゼリーと云う選択肢が有るので、それなりの楽しみは有りますけれど。春先は気温の変動を上手く読まなければなりません。それが今年は上手く読み切れた……のです。ですので今年は、今は冷珈琲を楽しんでいます。勿論、ホイップクリーム使用の珈琲ゼリーも同様にネ。市販のアイスクリームを利用して家の中でも喫茶店の気分を味わっています。去年同様、今年も私の生存基準を満たす暖かな夏日〜真夏日が多い見込み(私の予報)なので、これからの4ヶ月半が楽しみです。オーバーツーリズムで...温珈琲⇒冷珈琲

  • 4.30(月) goo ブログ 3.500日目

    別にどうと言う事はないのだけれど、きりの良い数字になったのに気がついた。で、調べてみると最初の投稿は2014年9月29日。10年前の事でした。私の性格からしてこんなに長く続くとは思ってもいませんでした。〈何かを書きたい〉という事も無かったので、最近ではネタ不足。で、書くよりは読み逃げをしている有り様。その頃のブロ友さん達も開店休業だったり、入れ替わりがあったりで、様相も変っています。まあ10年も経ったのですから、そんなものだと思います。♫思えば遠くへ来たもんだ…♫……なんて歌の通り、♫この先どこ迄行くのだろう♫……です。数字にこだわりは無いけれど、次の区切りの4.000日目は迎えてもいいかな!?…と思う気持ちも有ります。凡そ1年4ヶ月。まあ、それはあるでしょう。ブログの楽しみ方って変遷して行くものなんです...4.30(月)gooブログ3.500日目

  • 上野恩賜公園の桜 (4/7•日)

    知人に誘われ、嫌々花見に行く事になってしもつた。待ち合わせ場所は上野駅公園口。普段なら徒歩15〜20分ぐらいで着くのだけれど、なんと、広小路辺りから異様に増えてゆ人の流れ。まあ、想像はしていたものの、既に嫌気が始まっていました。「少し遅れるよ…」と、連絡はしたもののなかなか歩は進まない。京成線の駅付近からは帰りたくなってしまった。直ぐ目の前の上野駅広小路口に着くと、今度は目指す公園口迄150メール程の登り坂。これが最悪。なかなか進めない。…で、やっと登り切ると、今度は駅前にいると云う人探し。数分探し回りTel📳して居場所を確認→合流出来た。ところが、未だ一人来ていない。またまた📳📞で確認。数分後気がつくと、なんと私達の後ろの方でウロチョロしているのを発見。なんとまあ初めから気疲れの幕開けとなった。公園口近...上野恩賜公園の桜(4/7•日)

  • 成人の日

    今年もまた成人に成りました…果たして何度目なのか、忘れてしまいましたけれど。でも、毎年成人の階段を着実に上る…と云う自覚でいたい…という気持ちは忘れないでいたい。と、今になって思うけれど、ここ迄歳を重ねて来る間は、忘れっぱなし。そんな日々•年月が今の私を築き上げてしまった。後悔はしていませんけれど。でも、とは言え、自分の事を棚に上げ言わせて貰えるならば、今の若い人達、これから成人になる人達には、〈大人に成る事〉の意味を知って自覚して欲しいと思います。それを踏まえて『おめでとうございます』と言います。私は成人式の日の事は殆ど覚えていません。当時は今と違い【成人の日は2月10日】と決まっていました(いつから変則になったのでしようね)。形式的な事が好きではなかった私を含めて友達はみんな式には出ないと云う者ばかり...成人の日

  • 2024 お年賀 深夜便

    この女性を御存じの方は恐らくもう居ないのでは…?老い楽の冗談ですよそんな気分で日々を過ごせば楽しい一年が過ごせると思いますやたらと気張らずに気楽に過ごしましょう=今年も•冗談式部=2024お年賀深夜便

  • Good bye 2023 大晦日

    そう、争いの無い時代がやって来る。そうは思わないか。小説にもあった筈『武器よさらば』と。彼の祖国は〈それ〉を忘れている。思い出させてやろうじやないか。幸せの時代へ!Imagine…戦争も宗教も差別も無い世界へ。夢想家と呼ばれるかもしれない、でも私は一人じやない…素朴な暮らしの中に平和が在る2024年、その様な生き方に目覚めて欲しい。Goodbye2023大晦日

  • 年末だ〜

    年越しだ〜お年玉収入明細表は準備出来ている。今じゃこれで生活している。さあ、年明けと共に忙しくなるぞ〜!!除夜の鐘自分の歳を重ねたが百八つじや事足りぬ=幼老式部=思い出してみると、最後にお年玉を貰ったのは小学三年生だったと思う。それも親からではなく祖父からだった。まあ、それが当時の下町では普通の事でした。何しろ高度成長期の前でしたからね。知らない間に立場が逆転。今の子供達は(みんながとは言わないけれど)本当に恵まれていると思う。あれ?お年玉って、日本だけ?羽付き・凧上げ・こま回し…今じゃ町の中では見られない光景を、懐かしく思のは歳のせい?近所のお米屋さんにお餅を頼んだ後は、正月用のおせち料理なんかを家で作っていたのに、今じゃデパート・スーパー・コンビニ、はたまた通販で済ませている。これも『時代』何でしょう...年末だ〜

  • お土産

    知り合いから広島へ旅行してのお土産を頂いた。事前にその様な話しを聞いていなかったので、嬉しさが倍増しました。考えてみればいい時期に出掛けたと思います。と云うのも、もう少し後、年末年始になれば人流も増し、ゆっくりと旅行気分を味わう事が出来ないのは目に見えているからです。おまけに最近では日本人以が多いので日本の年末年も風情が薄れていそうですし。何処をどう廻ったのかは詳しくは聞きませんでしたけれど、お土産を買える程の余裕は有ったのでしょう。でも私としてはお土産の方に気が向きっぱなし。もみじ饅頭は有名ですけれど、まさか牡蠣のカレーなるものがレトルトで売られていたとは知りませんでした。今度私が旅行に出掛けられるのはいつになる事やら。ああ〜、何処かへ行きたいなァ〜。お土産

  • 今週の映像の世紀、バタフライ・エフェクト

    NHK「バタフライ・エフェクト」今週はいつもと異って12月30日(土)の9:00〜10:30で『ビートルズとロックの革命』、6月に放映したものの拡大版。年末年始の私は毎年「寅さんシリーズ」か「ビートルズ」を観て過ごすのですけれど、今年はそこにこの番組を入れる予定です。まあ、拡大版とはいえ、既に観ていると云う点では変りが無いのですけれど、他の軽薄なバラエティーの類いよりは良いですからね。当然、大晦日の紅白はパス。年々知っている歌手が姿を消して行くのに付いて行けなくなっています。それは其れなりの寂しさ似たものが有りますね。ニュースでほんのチラリと見た限りでは、来年の大河ドラマもまたパス決定。配役陣がほんの一部を除いて下手な若手で占められているのは、どうした事なのでしょうネ。NHKはこの数年キャスティングが酷く...今週の映像の世紀、バタフライ・エフェクト

  • 西暦年・下一桁 3年

    1203.9.源実朝(12才)征夷大将軍に。1543.松平竹千代(徳川家康)誕生。8.25.日本に鉄砲伝来。1793.8.10.ルーブル美術館開館。元々は城塞だった。1823.12.21.ジャン=アンリ・ガジミール・ファーブル(仏)誕生。1853.ペリー浦賀に来航(黒船騒動)。1873.・日本に野球伝来。・官製はがき登場。・当時の印旛県と木更津県が統合され千葉県となる。また同日栃木県と宇都宮県が統合され栃木県となる。1883.2.16.東京気象台が日本初の天気図作成。公表されたのは東京・新宿と横浜。ドジャース球団設立。11.28.麹町に鹿鳴館(日本初の様式社交クラブ)開館。1903.ライト兄弟初飛行(⇒飛行機ダンス流行)。1923.ル・マン第1回開催。1923.1.25.忠犬ハチ公誕生。9.1.11:58...西暦年・下一桁3年

  • 今年もケーキが値上り🎂

    どうしたものかなぁ〜。また今年もケーキが値上りですよ。これじゃ『ケーキを食べる日』も興醒めになってしまいます。クリスマスなんて他に何の意味も無い日ですからね。まあ、クリスマス・ソング(popsですよ)を楽しむ事は出来ますけれども。でも、お酒を飲む理由にはしたくないし、…そうだ、あんみつ・たい焼き・お汁粉・羊かんetc…を食べればいいんだね。寒い冬だもの、日本人なら甘味にお茶。そろそろ正月の準備、には…チョット早いかな?今年もケーキが値上り🎂

  • 切手が値上がる

    ニュースに拠ると来年の秋頃、切手が値上がるとか。土曜日の配達が無くなり、30年振りの切手値上げ。かなりの赤字だそうで、もしも郵政民営化してなかったら、国はどうなっていたのでしょう?税負担が増えるのかな?今はメールの時代。それに関わらず年々筆不精になっていますけれど、若い頃は随分と切手(郵便)にはお世話になっていました。中学生になって間もなく文通を始めたからです。何の気まぐれからか週刊誌(漫画本)の読者のページに『北海道の同じ学年の人、文通しましょう』みたいな事を載せたところから始まり、二十歳の夏過ぎ頃迄(凡そ7年と数ヶ月)やっていました。週に一度は書いていたのかな!?そして高校時代の冬休みには郵便局のアルバイトもしたし、郵便にはお世話になっていました。文通…まさに時代ですね~。当時はそんな方法しか有りませ...切手が値上がる

  • こんな筈ではなかった…のに

    川に鮭がいないよ〜森にドングリが無いよ〜お腹が空いたよ〜そろそろ冬眠したいのにお腹が減って、眠れない。雪が降り積もる前に何とかしたくて村や町へ出掛けると悪者扱いされる。世の中何処も沸騰してたから食べ物が手に入らなくなっちゃった。こんな気候にしたのは誰のせい!?仲間喧嘩してる場合じゃないでしよ。…と、熊さん達が言ってました。こんな筈ではなかった…のに

  • 12月8日という日

    1年が365日しかないのだから、何らかの出来事が同じ日に重複するのは当たり前なのですけれど、昨日の(この日)12/8は印象的です。歴史的には「真珠湾攻撃」と云う愚行の日であり、また1980年はJohnLennonが殺害された日。当然真珠湾の時は生まれてはいまさんでしたけれど、1980年のこの日は和歌山県の加太に居てそのニュースに啞然としたのをはっきりと覚えています。2〜3日はTVでもその事が取り沙汰されていました。私の周りでもその話しでもちきりでした。Johnの遺作となったDoubleFantasyを手にしたのはその後の事。暫くは友達のものを聴いていました。この事件が世界中にどの様な影響をもたらしたのか…は、大凡は見当が付いてはいたものの、判らなかった事も多々有りましたが、その一部をNHKの『アナザー・ヒ...12月8日という日

  • 危険な街になっていく

    昨日も強盗未遂(失敗)が起きた我が町。今年に入って4回目。それも駅を中心に直線距離で凡そ100m以内。まあ、それもその筈で強盗に狙われる店がそこに集中しているからで、ジュエリー•ストリートだなどと称してその手の店を乱立させてしまったから…と云う事が招いた結末。昨日の事件をTVでよくよく観ていたら、犯行場所が直ぐに判り犯人達が逃げた方向は、途中迄我が家の方向だった。その頃私はTVで「ちびまる子ちゃん」〜「サザエさん」を観ていて、何度かサイレンの音は聴いていた。その夜のニュース番組で事のあらましを知った次第。元々サイレンをよく聴く町だけれど、今年は特に耳にした様にも思える。特に例年になくパトカーや巡査達の姿が目に付いていた。本当に住みにくくなってしまったものです。昔からの住人や建物が無くなり、何処からやって来...危険な街になっていく

  • やつぱり 予想通りの大谷クン

    もう、今や何も言う事は無い程、知れ渡っているニュースですよね。MLBの記者30人全員が選んだのですから(史上初)。日本の誇りですよね。心から祝福を。それで、戯び心を生かして季節外れの(夏場に作るべきだった)新作。プリン+コーヒーゼリー+ミルク+アイスクリーム〈これは市販品〉。身震いしながら食べました。やつぱり予想通りの大谷クン

  • ブログ 3.333日目

    別に数字に拘っているわけではないのですけれど、開いてみたら上の方に開設から3,333日目と出ていた。これって一体何年目になるのだろう?まあ、計算すれば答えは出て来るけれど、そこ迄する必要も無いかなとも思い放ったらかしにしておくけれど、2,011年5月以降だとは思います。で、〈3333〉の並びだから何か記念に書いてみようか…と云うネタもなし。その事は忘れてしまい以前録画しておいたDVDを観ていました。と言ってもこれはそれ以前にTVからVTRに録画しておいた物をダビングしたものです。北の国からです。この中でも「遺言(後編)」は泣けますねえ(この写真はTVからジャケット用に自分で撮ったもの)。凡そ20〜40年前に掛けての長期に渡っていて故人となった人もいます。が、この後編の出演者たちは皆さん迫真の演技を見せてく...ブログ3.333日目

  • 冷蔵庫 買い替え

    今月2日の日、何故か急に冷蔵庫が機能停止。その事に気が付いたのは夕方頃、庫内の電気は点いているので通電はしている筈なのに冷えていない。変だなと思い冷凍室を開けると〈大事な〉アイスクリームが溶けている。直ぐに思ったのは〈ガス欠〉だろうなぁ…そしてもうそろそろ《寿命》か…。なにしろ今年で25年目で、母が他界する2年前に買ったものだから27目という事になる。四半世紀も活躍してくれたのだから、仕方ないと言えば仕方ない。…と、我に返って冷蔵庫内の物を取り出して『さあ、どうしたものか』と考えても答えは一つしか無い。しかしその日は忙しく電気屋に行く暇はなかったので翌3日、家から10分程で行けるヨドバシカメラへ行って物色開始。店員が寄って来た時にはほぼ決まっていた。「コレ在庫は有りますか?」と尋くと、直ぐに確認してくれて...冷蔵庫買い替え

  • 愚かな篭城(立て籠もり)

    隣の県で13時00頃から3件の事件が勃発、同一犯と見なされている。挙句の果ては3件目の郵便局に立て篭もり、御用…となった。時に20時10分頃。このニュース、皆さんご存知ですよね。この手の事件で私がいつも不思議に思うのは、どうして立て籠もってしまうのか…!?、という事。長〜い歴史を振り返ってみても、篭城して成功した例を私は知りません。戦国の世でも必ず堕ちています。最も愚かな立て籠もりはオーム事件の上九一色村でしよう。いくら人質を捕っていても、チリの大使館事件然り、最後は墜ちてしまう。それはそうでしよう、撃って出ない限り行き場が無いのですから。そんな結末が判り切っている事を、どうしてするのか?腑に落ちませんね。逃げ通す事を考えず、犯人は何を考えているのか?言葉が悪いのを承知で言えば【馬鹿丸出し】ですよね。こう...愚かな篭城(立て籠もり)

  • ハロウィンって、な〜に?

    またこの馬鹿騒ぎの日がやって来た。そもそもハロウィンって何なの?渋谷区長が頭を抱えて困惑している。解るなぁ、その気持ち。みんなストレスが溜まっているのか欲求不満なのか、同調現象の恐怖の賜物なのか、自制心を失くした現象。みんな、何を求めているのだろうか?近付く事さえ怖くなる。ハロウィンって、な〜に?

  • 「違憲」に異議あり

    生物学を無視した違憲判決。そもそも動物である限り染色体なるものが存在し、ヒトの場合、1つの細胞に46本有り、44本は常染色体、22本は男女の性別を決定付ける性染色体の計46本。その2本の性染色体は男女では決定的に違っている。性染色体はX染色体とY染色体の2種類有り、女性の場合はX染色体が2本、男性の場合はX染色体とY染色体が1本づつで構成されている。この様に男女では絶対的な違いが有る。人間の全ての正常な細胞には23対(計46本)の染色体が入っている。これは凡そ20億年前からも、それ以前の〈サル〉の時代からも変らず、他の動物にも共通した自然の摂理となっている。これは中学校、或いは高校で習っている筈の事。頭の悪い私でさえこれだけは覚えていました。もっとも〈常染色体〉はうる覚えですが。この絶対条件で考えるならば...「違憲」に異議あり

  • ラッキー!!

    これは昨日の事です。多分一ヶ月程前に届いていたコロナ•ワクチン接種券。2類から5類に変った事も有り、最近はあまり話題にも上っていないので、ワクチン接種をする人も減っていると勝手に思い、いつでも予約できると思い込み放っておいたのでした。で、そろそろ接種しようかなと言う気持ちにかられコロナワクチンコールセンターなるところへ電話をしたところ【12月下旬頃迄予約は一杯です】と云う返事。【かかりつけ医に当たってみては…】と言われてしまった。思いの外、ワクチン接種を希望している人の多さに気付かされてしまったと云う有り様。それではかかりつけ医を…と思ったけれど、それがなかなか思いつかない。それはそうです。普段医者になんかかかっていないのだから。《どうしよう》と思いながら引き出しの中をあさっていたら、有ったのです、診察券...ラッキー!!

  • 子供と大人

    もしも台詞を入れ替えたら……「ああ〜、風呂上がりには冷えたビールが美味しいだろうね〜」「肴みはイカの塩辛か冷や奴」「そっ、そんなものよりアイスクリームとか、こってりとしたおはぎとか饅頭なんてのは、どうだい」……所詮、大人、子供の成れの果て……異いって、何なのだろうか?ハッキリ答えてくれる大人がいなくなってしまった様な気がする、そんな今日この頃!?子供と大人

  • スマートフォンでは難しい

    04:25なんの気無しに空を見上げたら、こんな時間になって目の前に月が。そう言えば世間ではその話題で持ち切りだったのを思い出し、暫く見入っていた。雲の反射のせいも有るのかな!?肉眼でもいつもの月にしか見えなかった。それをスマートフォンで撮ったら尚酷かった。まあ、こんなものかと思えばそれまで。1日前の朝方は大して変らなかった。下町からではこの程度。それでも見られるだけで良しとしましよう。大事なのは空を見上げる心のゆとりを持ち続けたいって事ですから(負け惜しみみたい)。スマートフォンでは難しい

  • 現実を素直に受け入れる

    現実を素直に受け入れる

  • (‘77) 8月8日 (日) #2 お別れの時

    何処へ行き、何をするわけでもない。『忙中閑有り』をのんびりと過ごす様な時の流れ、気温は上がり風は動かない。日溜まりの中、静かなうちに汗まみれ。街の中、何処からか聞こえてくるのはイーグルス「ホテル・カリフォルニア」。夏の日の一日、私は名古屋の洋子と東京の下町で時を過ごした。午後の喫茶店。「これからどうするの?」「そうね、四時頃の新幹線に乗るわ」「いや、そうじゃなくて、その先の事。また何処かへ行くのかって事」「そりゃ、行きたい所は有るわよ」「北海道でしょう?」「なによ、判ってるんじゃない」「洋子の事だから多分そんな事じゃないかな…って思っただけ。当たっちゃったね。で、いつ頃行くの?」「分かんないなぁ。秋頃がいいんだけど、ジュンだってまた旅に出るんでしょ?」「うん、でもねえ、いろいろと忙しいし、気持ちばかりが先...(‘77)8月8日(日)#2お別れの時

  • (‘77) 8月8日 (日) #1 変り行く町を歩きながら

    案ずるより産むが易し…とは言うものの、まさにその通りではあったのだけれど、エレベーターを降りてから外に出る迄の僅か10mがビクビクものであった。しかしそこには不思議にも、楽しさにも似たスリルがあった。呆れてしまったのは洋子である。エレベーターからフロントへ、そして様子を伺い、下に垂らした腕の手首を腰の辺りで振って『今よ』と合図を送りながらも、素知らぬ顔をしているのだから…。「ねっ、大丈夫だったでしょ」「うん、本当にネ。それにしても良くやるよねぇ、アナタも」「そうは言うけどさァ、昨日は楽しんだんだから、その分少しぐらいドキドキしたっていいんじゃない?」「バカな事言わないで。アナタの心臓には毛が映えてるんじゃないの?」「何よォ、失礼ねェ」「いつもこんな事してるの?」「冗談でしょ、初めてよ」「本当かなァ、まっ、...(‘77)8月8日(日)#1変り行く町を歩きながら

  • (’77) 8月7日 (土) 鈴木洋子 上京

    ’77年の日記らしい日記といえば、この辺りが最期と言える。‘76年(去年)の5月7日〜6月2日、八重山紀行を共にした名古屋の洋子が一泊二日で私の街にやって来て、束の間、思い出を温めていったところ迄となる。この頃の私は凡そ一月前の七月九日に沖縄から戻って以来かなり多忙な日々を送っていた。たまたま家に居たところへ突然洋子からの電話。『会いに行くけど、いつなら居るの?』という話しの末にこの日(8月7日)が決まったと云うわけだ。‘77.8月7日(土)洋子•上京不快指数の高い日々が続いている。既に沖縄での過ごした後だけに、この蒸し暑さには閉口してしまう。これが内地の夏だったのか!?そんな中でラジオに耳を傾けると、一瞬なりとも私の心を和ませてくれる曲がかかる。イーグルス「ホテル•カルフォルニア」。現在流行りつつある様...(’77)8月7日(土)鈴木洋子上京

  • 今年もやっぱり暑中見舞いを…

    なんか、台風🌀6号が沖縄辺りに居座って、長々と挨拶をしていますね。昔風に言うなら『尻の長い客だねぇ』とでも云った所なのかな。それというのも、この暑さのせい。WTOの偉いオジサンが言ってましたね。『温暖化の時代は終った。もはや沸騰化の時代だ』って。そこで私の暑中見舞いはこうなりました。沸騰横丁より暑中お見舞い申し上げます溶け出した脳みそで作った味噌汁は暑さ対策に効果満点!!《暑い》って言葉それ自体もはや意味を持たなくなっているから、これを常…としていく世紀になったと思うしかないと、思い始めているところです。全英ゴルフもウインブルドン・テニスも、世界水泳も終り、女子サッカーWCが日を開けて開催中。間もなく高校野球(甲子園)が始まり、その終り頃、やっと世界陸上競技選手権で夏が終る…筈だけど…。サマー•マッキント...今年もやっぱり暑中見舞いを…

  • 今年は花火が見られる

    恐らくは今年も無理かな…と思っていたけれど、2類⇒5類の影響か開催する事に。明日の夜は隅田川沿いに酔っ払いが溢れ返る事になるのでしよう。イヤだなぁ。距離的には苦も無く行けるのですが、帰りの混雑を抜ける事を考えると、徐々にその気が薄れていきます。そう言えば実際に現場で見たのは何回ぐらいかなぁ?コロナ前迄は侵入禁止の屋上で見ていたけれど、年々高いビルが建ち初め、絶好のポイントとは言えなくなってしまいました。花火の光りと音に若干の誤差が有ったけれど、《生》を見ている実感は有りました。それに風向きに依っては花火の火薬の臭いが臨場感を煽りました。ハッキリクッキリ観るならTVに優るものは無いけれど、余計な話しとコマーシャルで興醒めするし、悩ましいところです。花見にしろ花火にしろ、どうしてアルコール飲料と結び付けてしま...今年は花火が見られる

  • 「海を見つめて」‘77.5.22. (on G)

    西表島から石垣島に戻った日の民宿美崎荘で、明美に貰ったレポート用紙に書いたもの。海を見つめて初めての船の旅揺れる波間体を踊らせ南へ下る歓び満ちたキミは心を隠せない船酔いも何のそのしぶきを浴びて濡れた黒髪明るい笑顔焼けゆく肌を誰が昨日見ただろう :北でも南でも村でも部落でも心奪われる所は在るものさそれでも今日のキミは信じられない程別の人紅く燃えた様なハイビスカスが良く似合う人海見つめ何思う街の息吹き何処かに消えてくまだまだ続く早い夏の日故郷遠く夢の国: 故郷遠く夢の国故郷遠く夢の国「海を見つめて」‘77.5.22.(onG)

  • 「潮風の悪戯」‘77.5.19. (on F)

    西表島へ渡る船の時間待ちをしていた喫茶アルバトロスで、ウトウトしていた明美を見ていた時のもの。潮風の悪戯南の国の潮風が降り注ぐ光りを浴びる黒髪の中爽やかな詩(うた)をささやき吹き抜けて行く悪戯好きな潮風さ海からは逸れてく私の見つめるものは次第にキミの笑顔へと移って行よああ、離島を通うこの船が運ぶものは人と荷物だけなのだろうか心模様に染み渡る潮風は悪戯が好き何度も足を運び来て数しれぬ思い出胸に秘めてきたのに今度ばかりは特別な何かが異うさああ、二人を乗せてこの船の行き着くところは未だ見ない世界の果てのよう心模様に染み渡る潮風は悪戯が好き潮風は悪戯が好き潮風は悪戯が好き「潮風の悪戯」‘77.5.19.(onF)

  • 「花の館」’77.5.18. (on G)

    泉屋の庭を見て明美の口から漏れた言葉「花の館ね」の一言から生まれたもの。現在の泉屋の庭とはその趣きが違っている。花の館見知らぬ故郷(くに)から今宵集い来たる旅人よ心の疲れを癒してお行き飾りの要らない時の流れに任せ花の館で心が語る意のままに叶わぬ望みと言わず今日も自由を求めては旅路のホコリをかぶる人達一夜の宴を共に楽しみ過ごそう花の館で心を洗い憩もう歴史の重みに耐えかねながらこの島で生涯を生き抜く人達言葉以上の言葉でボク等の胸に叫んでいるさ星砂そしてミンサー石垣と白い道耳を澄まそうささやき声に花の館に来たからは明日の光りが闇の中に消えている時も心にゆとりを持とうじゃないか自由になる時多くの自分を見るさ花の館で見つめ直すものもある「花の館」’77.5.18.(onG)

  • (‘77) 7月9日 (土) 帰路

    5月7日以来、物事は起こりうる時に起こるものである…と納得してしまう事も有った。九時三十分。五分遅れのバスに乗って平野を後にしてバスターミナルの在る美崎町へと向った。美崎町、私はバスから降りると写真屋に走り、頼んでおいた写真を受け取ると、店の前からTAXIで空港へと向った。何をそんなに急いでいたのだろうか…?十一時十五分。日射病に冒され復調せぬまま今帰路に着く私。最初から最後迄予定外の(果たして何が予定であったのだろう)事ばかりで終始してしまったけれど、それなりの収穫も大きかった。僅か64日間で、なかなか体験出来ない貴重な体験を十二分に味わった。良くも悪くも、それらはこれからの私にとって、いつの日か貴重な意味を以って価値体系化され、影響を及ぼしてくる事だろう。空港売店。泡盛(どなん45度)三本と魔除けのヘ...(‘77)7月9日(土)帰路

  • (‘77) 7月3日 (日) 竹富島を後にして

    午前十時三十分。ショーコ、小浜さんと共に石垣へ向け出航。私の泉屋での仕事も終ったと云うところで、私もここを離れる事にした。石垣グランド・ホテルで冷珈琲を飲み、三人で今度の八重山の愉快談をしたりして名残りの時を過ごした。石垣空港。多くの旅仲間をここから見送った。そして今日も、また。いくら慣れた頃と言っても、やはり人を送り出すのは…別れ、見送るのは辛い。小さなローカル便の飛行場。その空港で、搭乗口に入る時。ショーコは私の許へ小走りに来て一言云った。「ジュン、東京へ戻ったら連絡してね、お願い、きっとよ…」私はその言葉を胸に屋上の見送りデッキから手を振り、乗り込むショーコ、飛び立つショーコを見送った。私の今度の八重山紀行。これ迄に何度か『ここで終ったかな…』と思いつつも未だ先が有った。旅としての完全な終りは、やは...(‘77)7月3日(日)竹富島を後にして

  • (‘77) 7月2日(土)#2 コンドイ浜の夕陽

    夕食を私とショーコは早めに食べて、コンドイ浜へ急いだ。言うまでもない。夕陽を見る為だ。前に西桟橋からの夕陽は見た。それで今日はコンドイ浜に腰を下ろして…と云う事になったのだ。爽やかだった。夕陽が落ちるのを見ながら、取り留めもない話をしていた。今にも陽がその姿をすっかり隠そうとしている頃、すぐそこ迄来ている夜の世界を知らせる様に、涼風が吹き始めていた。「…そっか〜、二人共明日帰っちゃうんだ」「ねェ、ジュンはいつ帰るの?」「そうね〜、いくら粘っても、あと一週間がいいとこかなぁ。仕事が待っているし、元々ブランクを利用しての八重山渡島だったしね。帰れば帰ったで、其の為の準備期間も要るから…何処から何処迄が仕事なのか、判らなくなる事もたまにはあって、だから、オフになったら静かに家でおとなしくしてなんか居られなくなっ...(‘77)7月2日(土)#2コンドイ浜の夕陽

  • (‘77) 7月2日 (土) #1 大潮

    午前中、ボケ~っとしながら煙草を吸っていたところへ高知のオバヤンがやって来て、これから帰宅の途に付くと云う事を聞かされた。私はここの主ではないのに、わざわざ声掛けしてくれた。この竹富を楽しめたのかな…、満足そうな顔をしていた。見送りに桟橋迄行こうかと思ったけれど、外に出た途端、何を思ったのか握手をして、泉屋を離れていくマイクロバスの後から手を振って見送った。ところで、今日は大潮であった。ここ竹富の大潮は驚異だ。距離(実測値)などは勿論解らないし、また私には推測出来ない程の広大な干潟が、目の前に広がるばかりなのだ。外(海上)から見ると竹富島は黒島と似ている。高い山は無いし、目立った起伏も無い。音楽の二分休符の様に見える。他の言葉で言えば、お盆を逆さに置いた様なもの。海面下は珊瑚が彩る遠浅が続き、リーフの外は...(‘77)7月2日(土)#1大潮

  • (‘77) 7月1日 (金) お酒、飲みに行かない?

    午前九時。28日(火)に他の島を観に出掛けていたショーコ達が帰って来るというので桟橋へ迎えに行く。仕事の方は大方出来上がっていて、後は電気の配線などといった専門家の仕事ばかりで、お役御免になった私は再び『旅人』になっていたのである。凡そ二週間程度の事だったけれど、色んな事に関われて、それなりの経験を楽しめた。また今日もオヤジさんが船を出すと言うので、帰って来たばかりのショーコを連れ立って一緒に潜りに行った。みんなが物珍しい珊瑚に夢中になっている間に、私は海底の貝を探していた。そしてお目当てのクモ貝を採る事が出来た。これは今日一番の狙いであった。狙い通りに採った私もであるが、それを受け取ったショーコの歓び様は、逆に、見ている私をも嬉しがらせた。オヤジさんはオヤジさんでショーコの方を見ながら、オヤジさん独特の...(‘77)7月1日(金)お酒、飲みに行かない?

  • (‘77) 6月27日 (月) #2 清美は特異体質(?)

    そして洋上。船の上からオヤジさんと共に彼女達を監視したり、海に入ったりを繰り返した。ショーコ達二人はまずまずであったけれど、どうにもいただけないのが大阪三人娘。その中でも取り分け言葉にならないのが清美であった。本人は潜る気が十分有るのであろうが、どうした理由か少しも潜らないのである。よく世間では躰が浮かずに緊張した躰で潜ったまま、または呼吸するタイミングのバランスが崩れ溺れる者はいるけれど、先ずその点で清美は絶対に大丈夫であろう。オヤジさんの船が西の桟橋に戻ってから、その付近とコンドイ浜とで無理矢理特訓を始めた。先ず深さが胸ぐらいの処で、水面にうつ伏せになった身体の背中を腕で押し下げ、適当なカウントをとって手を離す。普通なら少しの間でも私の膝の辺りにいるものであるが、清美の場合、まるでピンポン玉の様に直ぐ...(‘77)6月27日(月)#2清美は特異体質(?)

  • (‘77) 6月27日 (月) #1 お客さんを迎えに…

    朝食後、今日は久し振りの部屋増築工事の仕事《スラブ打ちをした後、コンクリートが乾く迄仕事が出来なかった為》の日だ…と元気一杯、用意をしていたところにオヤジさんの一言。「ジュン、アンタ桟橋へ行って、お客さんが二人着くから連れて来てくれんか…」言われた時、すぐに返事の出来なかった私であった。と言うのも名前を知らされただけで一面識も無い人物を迎えに行く事に、何故か抵抗を感じたからである。その抵抗が起きたと言うのは、下船してくる客数が最近では一便毎に増えていて、一体どうやって探し出せば良いものか考えてしまった事に有った。しかしまあ、他ならぬオヤジさんの頼みとあっては断るわけにはいかないので承諾した。それにそう云う事も一応仕事なのであった。私が桟橋へ着いたのは、丁度ほぼ全員が下船した頃であった。『良かった、間に合っ...(‘77)6月27日(月)#1お客さんを迎えに…

  • (’77)6月15日(水) 汗と夕涼み

    朝一番の東廻りのバスで終点、バスターミナルの在る美崎町へ向った。降りてから波止場迄二分弱。私は直ぐに竹富丸の乗船券を買い、朝の潮風を楽しみながら一服の煙草を味わった。間のいい事に然程待つ事もなく、船は竹富へ向け出発した。竹富島、何度訪れても私を童心に帰らせる。桟橋に降り立つやいなや、いつでも私は歓喜の声を張り上げそうになってしまうのである。意気揚々と歩き始めた。いつもの歩き慣れた道を。泉屋に着くといつもの事ながら、私を待っていたのはオバチャンの微笑みと冷たい珈琲であった。煙草を吸って冷珈琲で喉を潤しているとオヤジさんがやって来て私を呼び寄せた用向きを話してくれた。それはこの泉屋の増築工事だった。と言っても私が工事をする訳では無い。そりゃそうだ。実際に工事をするのはオヤジさんの親戚筋に当たる人で、私は単なる...(’77)6月15日(水)汗と夕涼み

  • (‘77)6月14日(火) オヤジさんからの呼び出し

    6/10Y.H.春海荘6/11Y.H.真栄田岬6/12Y.H.春海荘6/13「玉龍」船中真栄田岬Y.H.は海洋博会場の近くで近くにはムーンビーチなるものが在るけれど、何とそこは有料の海水浴場と云う金儲けに走った所であった。当然そんな所には行くわけがない。この本島に戻って来たのは内地に(とりわけ)日田・大分に渡ろうかな…と云う思いもあった。しかし、何かが私を引き留めた。それが何か解らずじまいのまま、私はまたまた「玉龍」に乗り込み引き帰してしまった。何が私を呼び寄せているのかなど判らない。優柔不断という言葉では最早説明不可能。6月14日(火)午前六時二十分、「玉龍」平良港着。午後一時十五分、石垣港着。そのまま真っ直ぐバスターミナルへ行き、いくらか待った後東廻りの平野線に乗った。美崎町から平野迄のこの東廻りの道...(‘77)6月14日(火)オヤジさんからの呼び出し

  • (‘77) 6月9日(木) 「ハイビスカスの歌」タンゴ

    5/31美崎荘(石垣島)6/1〜6/2きよみ荘(西表島)6/3大和田荘(石垣島)6/4〜6/8平野荘(石垣島)ここ迄過ごして来てやっと、そろそろ帰ろうかな…などと思い始めた。あと30間程自由に出来る期間は残ってはいるものの、精神的には十分に満足感に溢れていた。でも、まだ勿体ない…という気持ちも当然残っていた。午前十時三十分、「玉龍」石垣港出航。私が乗船しているこの「玉龍」には、昨日アルバトロスで知り合った染谷という北海道の女の娘が同船していた。二人が話しをしていたのはここ沖縄の事ではなく、彼女の故郷、北海道に付いてであった。妙な気がした。日本の一方の端に居ながら、更に逆の一端の話しをしていると云う事が、何か不自然さを感じながら、目に見えない縺れた空間を認識させた。午後三時三十分。「玉龍」平良港(宮古島)接...(‘77)6月9日(木)「ハイビスカスの歌」タンゴ

  • (‘77) 5月25日 (水) 安息の日 ギンネムの種

    昨日は午前中、オヤジさんの船で潜りに出た。監視役がその名目であった為、私自身楽しんで潜るという事は無かった。午後は再度船の上から釣りと云う真に長閑な一日を過ごした。そして今日も昼頃から船で潜りに出た。一昨日迄の事が、実は初めから何も起こってはいなかったかの様に竹富の風は凪ぎ、太陽は生命の光りを注ぎ、蒼空は何処迄も広がり、凡そ時の流れを感じさせない静寂を映し出していた。一体、私はどうしてしまったというのであろうか?恰も二年前の、初めて見る竹富の海に魅せられてしまった時の、あの何とも言えない気分が甦ってきた様な気持ちになっていた。全ての事が無かったかの様に八重山の自然の中に吸収され、そして自ら溶け込んで行く。午後三時頃、私は一人でギンネムの種を採りに出掛けた。名前も知らない小さな虫に纏わり付かれながらも、しか...(‘77)5月25日(水)安息の日ギンネムの種

  • (‘77) 5月23日 (月) #2 明美が去って、泉屋

    明美を見送った後、もはや誰も居なくなった桟橋を背に、私もその場を離れ泉屋へ戻った。道すがら、「やっぱり一緒に帰るべきだったかなぁ…」と、ぽつりひとり言。そしてまた、「まあ、いいサ、まだ時間はたっぷりと残ってる。帰り道は一つサ。ちょっとばかり遠回りをするだけサ…」と、ぽつり。さて泉屋に戻ると、北海道から来ていた女の娘二人に島を案内せよ、と言うオヤジさんの言葉が私を待ち構えていた。「ジュン、アンタ何処で油売っとったネ。さっきからずっと待っとったのに。この二人はさっきついたばかりて何も判らんから、案内してきなさい」こんな時になんで…一人で居たかったのに…と思ったけれど、オヤジさんの頼みとあっては断れず、大阪の坊やを上手い事言いくるめて連れ出し、四人で島歩きを始めた。坊やを連れ出したのは私の個人的な問題で、少しで...(‘77)5月23日(月)#2明美が去って、泉屋

  • (‘77) 5月23日(月) #1 「これ…ネ!」

    とうとう明美にとって八重山最後の朝はその眩しき太陽のもとに巡り来てしまった。今夜の船で明美は那覇に、そして九州・日田へ…。この明美の旅の終りが、明美に、そして私にもたらすものは何であろうか?午前九時三十分の竹富丸で泉屋へ荷物を取りに戻った。泉屋は静かなもので、客の数が少ないのだと云う事が時間からしてもすぐに判った。オバチャンに言って、明美は荷物を取りまとめた。用意が終ると竹富島最後の島内散策に出掛ける事にした。コンドイ浜から渚を南下して東側へ廻り中筋部落の方を通って歩いていた。「今日は間違わないでしようね?今日間違えて時間に遅れたら、大変な事になるんだから…」「フフフ、また間違えたりして」「イヤよ、…そんなの」「安心して。今日は平気、大丈夫だから」「…なら、いいけど…」何とも頼り無さそうな瞳で私を見つめて...(‘77)5月23日(月)#1「これ…ネ!」

  • (‘77)5月22日(日) #2 ハイビスカスの歌

    船上は和やかな雰囲気に包まれていて来た時とは異い、乗船客の数も僅かながら多かった。リーフを抜け出るのに多少手間取っていた様であった。潮の干満の影響だろうか?東へ回り込む船の右手に西表。名残りは何処から来るものか?気が付くと船上、中央通路の右側のベンチで合唱をしている人達がいた。中年過ぎの太り気味のオジサマが中心に唄を歌っている。まるでみんなに教えているかの様に。或る者は歌詞カードを見ながら…。その優しいメロディーに明美と二人、聴き惚れていた。本当にいい声で歌の上手いオジサマであった。みんなの声の中にあって、一際響き抜けるのだ。私も明美も顔を見合わせ小声で参加してみたが、どうにも堪らず近くにいたオニイサンに一言、「この歌は何ていう歌なの、教えてくれますか?」と言ってしまった程であった。その曲の名は『ハイビス...(‘77)5月22日(日)#2ハイビスカスの歌

  • (‘77) 5月22日(日) #1 船浦港から出航

    西表三泊四日の旅行も今日の船待ち時間迄。明美のみならず、この私にも生まれて初めての事が多々訪れた。二人が何を見詰めていたのかなどと云う疑問は、それこそ愚問にも似たものだ。朝食後、二人は互いにカメラを持って、民宿から一番近いのに未だ足を踏み入れていない宇那利崎の浜に降りてみた。この西表での最後の想い出となる日、これ迄の一週間のうちで最も明るい笑顔を見せていた。瞬く間に時は過ぎてしまった様だ。民宿に戻ると、『第3住吉丸』の出航時間が気になりだした。やっと船の確かな時間が判った時にはまだ幾分なりとも時間が有ったのにも拘わらず、慌てて荷造りをした。それ程の量ではないのに。昨夜の雨のおかげで、せつかく干しておいた星砂が殆ど洗い流されて、新聞紙の上には僅かに残っている程度であった。ガッカリして溜め息をしている二人を見...(‘77)5月22日(日)#1船浦港から出航

  • (‘77) 5月21日 (土) #2「潮風の悪戯」

    民宿に戻ると隣りの部屋の新婚さんは既に立ち去った後だった。私達が昼食をとっている間にオバチャンはお出掛け。竹富町婦人会の集まり(バレーボール大会)らしい。何たる事か!私達二人を置いて誰も居なくなってしまった。こんな事は沖縄の離島だからこその事。他所では絶対に起こり得ない筈だとおもう。最も大切な、原初的な人間関係が、この時代にここには存在している。日常の事として。なんて素晴らしいのだろう!食べ終った食器を台所持って行き洗った後、〈だらしない〉と云う言葉が物の見事に当てはまる程の台所を掃除し始めた。恐らくバレーボール大会に行く時間が迫っていて、それどころではなかったのだとは思う。その間に明美は部屋掃除。そして庭を片付け、明美が取り込んで来た洗濯物を畳むのを手伝った。誰も居ない民宿で気の付いた事をする…別にこれ...(‘77)5月21日(土)#2「潮風の悪戯」

  • (‘77) 5月21日 (土) 月ヶ浜・お腹が痛いの

    朝食後のひととき、先ずはムーンビーチ(月ヶ浜)に行ってみる事にした。一度バスの通る道に出て坂を下り、小さな石の橋を渡ってすぐに右の林の中へ続く道を歩いていると、天然記念物の山鳩(?)を見た。この西表という島はさすが山が多く、「ジャングル」という言葉に代表される様な、言わば「男の島」と呼ばれるだけに、海岸線から逆に林を抜けると、それは山に来たという感じのする島である。もう見なれてきたこの熱帯雨林の林の向こうでは、二人が訪れるのを待ち構えていたかの様に、その素晴らしい光景を二人の目に映してくれた。林から海を見て右側には近くに岩場が有るが、左側を見ると誰一人居ない渚が、この湾になっているその反対側迄ずっと続いている。生暖かい海水を膝まで浸かりながら歩いた。そして渚を歩いていると、ふっと何かが光った様に見えた波打...(‘77)5月21日(土)月ヶ浜・お腹が痛いの

  • (‘77) 5月20日 (金) #3 星砂の浜

    案内された部屋は玄関正面の廊下の右側で二部屋あるうちの奥の方だった。台所のテーブルで一服しながらオバチャンの話しを聞いて、星の砂が拾えると云う星砂の浜へ早速行ってみることにした。左右にパイン畑が広がるのを見ながら、長閑な光景の中に爽やかな汗を拭いつつ歩いた。初めはそんな気持ちでいられた。ところが途中、左に曲がるべく道を見失い、『うなりの塔』の方迄ずっと歩いてしまった。「どうも様子がおかしいね」「行き過ぎたのかしら」「左側に道なんて無かったものね」それで、うなりの塔に登って辺りを見廻してみた。が、何しろ右も左も解らない土地の事、塔の上から一体何を見ようとしたのだろうか?結局は同じ道を引き返し、トボトボと歩いていた。戻り始めてから間も無く、何と泉屋で一緒だった二人の女の娘達と出会った。そこで星砂の浜への道を尋...(‘77)5月20日(金)#3星砂の浜

  • (‘77) 5月20日 (金) #2 ジャングルの雨 ?!

    バスが停車したのは浦内川に架かる浦内橋の袂。その橋の袂を左に、この先何が有るのかと思わせる様な道を僅かに下って行くと、間に合せに造った様な茅葺きの小屋が一軒建っていた。台風でも来たならば真っ先に吹っ飛びそうなお粗末なもので(でも、一見お粗末そうに見える事が、この自然に同化していると云う…大切な事なのだ)、そこが船の待合所であった。中にはオジイさんとオバアさんが数人居て料金係りの様な事をしていた。その小屋の近くに自然水が湧き出ている水飲み場が一箇所有って、地元の人の話によると、その水を飲めば健康な子になるとか、長生きするとか…その様な事を言っていた。早速物好きにも試しに飲んでみた。ノドが渇いていたせいもあってか美味しく感じられた。まだまだ時間は有った。生まれて始めて見る、その異様なムードを感じさせる植物群の...(‘77)5月20日(金)#2ジャングルの雨?!

  • (‘77) 5月20日 (金) #1 いよいよ舟浦へ

    未だ起きやらぬ思い瞼を擦りながら身体をもたげ、寝起きの一服をと煙草に手が無意識に伸びた時、私の頭の中には未だ耳にした事の無い様な爽やかなメロディーが流れていた。直感と云うのは一つの暗示であると思っている。暗示はやがて詞になり詞は旋律を求める。つまり或る直感は歌を作らせ、それが現実の中では歴史を物語る伝説となってゆくのだ。幾分なりとも空模様が気になる様な朝、今日は西表二日目。吊る時と同じで畳み方の判らぬ青蚊帳の始末を、明美に頼りながらの作業。昨夜と同じ味気無い食堂で朝食をとった。午前九時三十分頃であっただろうか、私達は移動開始の為民宿「さわ風」を出てバス停に向った。出掛けの際にオバチャンが二人に、缶入りの冷たい飲み物を白いビニール袋に入れて持たせてくれた。民宿から歩いてほんの僅かな所にバス停は在った。ひと気...(‘77)5月20日(金)#1いよいよ舟浦へ

  • (‘77) 5月19日 (木) #3 西表西部

    船乗りの一人が何やら話し掛けてくる。出身地・波照間の言葉を混じえて喋っているけれど、聞いている二人には別にこれと言って苦にもならず、色々な海に関した物珍しい話しに心を奪われていた。西表での民宿などについて良さそうな処はないかと尋いたところ、「さわ風」という彼の懇意にしている一軒の民宿を紹介してくれた。約二時間の航海の後、何か…が待ち受け、始まると予感して止まない西表は第一日目の大原に到着。時に午後五時三十分であった。道幅は離島にしてはやや広めで、舗装された桟橋からの坂道をほんの僅か登り、右に曲がって約七~八分程でブロック造りの民宿「さわ風」が目に入ってきた。竹富や去年の波照間・与那国に代表される様に、南の島と云う意識が強く働いている為か、ブロック造りの二階建てなどと云う民宿が何となく気に掛かり、それらしい...(‘77)5月19日(木)#3西表西部

  • (‘77)5月19日 (木) #2 波止場の船は日向ぼっこ

    幸せそうな夢の世界からお伽噺しの様な現の世界に目覚めたばかりの明美の顔は、無邪気な幼子のそれに似てとても可愛らしい。「お早う。お目覚め?フフフ…気持ち良さそうに寝ていたね」「ウンン…今何時頃?」「三時ちょっと過ぎ。十五分頃になったら、そろそろでようか」「そうね。もうここにだいぶ居るしね」「見て見て。海の色がさっきと全然違っている」「わぁ…本当ネ、ステキ。どの船に乗るんだったかしら」「アレ、あそこに泊まって日向ぼっこしている、中くらいの船」明美と共に眠りの世界から目を覚まし、今まさに出航せんとばかりにその『時』を待っている「大原丸」の姿がそこにあった。「ご馳走様。長々と居座っちゃってスミマセンね」などと言いながらアルバトロスを後に、瀬戸商店の前迄歩いて来た。シーズン前の早い夏の日の為なのか、他にはこれといっ...(‘77)5月19日(木)#2波止場の船は日向ぼっこ

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