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あっ島!淡路とは http://ahadishimatoha.sblo.jp/

淡路島地方史・国生みの理由島名の由来から五色塚古墳・邪馬台国へと、幕末砲台史もみかんです。

師匠から淡路島史をやれと言われたのがきっかけ。歴史も教師も嫌いだったのに、県立博物館にお勤めの方と専門の会話が弾むことになろうとは。無名の気楽さで書いてます。

なまりほ之都奈
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2014/11/19

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  • 淡路島 名前の由来2

    阿波ではないか(補足)1−1 淡路島の由来は阿波への道であるという通説に対し、乙巳の変(いっしのへん 643年)以前は、各国の頂点にその国の有力氏族の首長が権力を握る国造時代であり、奈良朝廷が直接政権内の有力者を派遣する国司制度は、その後のことである。阿波国造は千葉県南部であったから徳島県北部の「アワ」が本州から淡路島を経由する道であるならば「阿波」でなく国造時代の「粟」が正しい…

  • 淡路島 名前の由来1

    阿波ではないか1 淡路島の名前の由来については、諸説あります。その中で有力なのは、「淡(あわ)路」は徳島県の江戸時代旧国名である二文字の「阿波」への道説か、粟(あわ)が良く育つ土地だから「粟道(あわぢ)」説、日本書紀の解釈本による「吾恥(あはぢ)」国説に分かれます。 今回は淡路島島民にとっては不本意ながら、通説と言われている「阿波」通り道説について考えます。

  • 平田オリザ講演会

    じつは、平田オリザ氏の講演会が、この7月16日(土)に東浦サンシャインホールで、13時より開催(入場無料)されることになっております。 詳細はこちら講演会✕東浦図書館✕サンシャインホール ※ページからポスターに移行できます。 平田オリ…

  • リエゾン(東浦図書館)

    図書館とマンガ(い) これまで私のブログは、淡路島古代歴史のことを中心に書いてきました。しかし歴史ばかり考えていると、肩が凝る。たまりまへん。息抜きも必要です。気分転換に図書館のマンガも、愛読しております。 この頃はマンガに書かれた歴史ドラマから、歴史に興味を持つようにもなった人も多いようです。例えば津名図書館にあるキングダムを私が手に取っていると泰国の歴史話が盛り上がり、ついには私の愛…

  • ウーハンウィルスって(う)

    前回は、ワクチン注射1回目(8月8日)を済ませたお話でした。で今回は、2回目(9月25日)を済ませたお話。 間隔は7週間に1日足らず。外国ニュースにイギリスでのファイザー製注射間隔の記事があり、8週間程度の間隔が適度ではないかとのこと。間隔が希望より短くなったのは、接種会場開催日の都合です。 《引用》 Newweek日本版インターネットニュース7月23日 「ファイザー製コロナワクチン、長…

  • 淡路島特別展`21(下)

    前回(8月17日)ブログのタイトルを変え、少し加筆修正しました。展示内容の木製人形(ひとがた)についてが(上)で、講演内容の貴船神社遺跡が(下)です。 兵庫県立考古博物館夏期企画展 淡路島発掘日本遺産「国生みの島・淡路」認定5周年記念 弥生時代から奈良時代?ぐらいにかけての石敷き施設を含む、淡路島北部西海岸「貴船神社遺跡」の製塩遺跡。石敷き施設にご興味がおありの方は、和歌山県立紀…

  • 淡路島特別展`21(上)

    前回(8月17日)ブログのタイトルを変え、少し加筆修正しました。展示内容の木製人形(ひとがた)についてが(上)で、講演内容の貴船神社遺跡が(下)です。 淡路島発掘 日本遺産「国生みの島・淡路」認定5周年記念 8月7日兵庫県立考古博物館夏期企画展に、行ってきました。72名限定の無料講演会の抽選に、運良く当選したからです。 私にとっては久しぶりの講演会です。今回の特別展の入場料は、通常…

  • 改訂2年ぶりの再開(淡路島特別展その2補足)

    淡路島発掘 日本遺産「国生みの島・淡路」認定5周年記念 先先週の土曜日(8月7日)、兵庫県立考古博物館夏期企画展に、行ってきました。72名限定の無料講演会の抽選に、運良く当選したからです。残念ながら、8月1日に開かれた記念シンポジウムは、落選しましたした。いわば、勝率5割。 私にとっては、久しぶりの講演会。ただ今回の特別展の入場料は、通常の20…

  • ウーハンウィルスって(い)

    ウーハンウィルスのワクチン注射、もうお済みですか?わたしは、1回目をこの日曜日(8月8日)に、済ませました。遅ればせながら、こんかいは、その体験記を! ワクチン注射は、人体に、ほんらいは不要な物を、筋肉に直接、無理矢理突っ込むわけですから、なにも体調に変化を、おこさない人が多数とはいえ、運の悪い人もいるわけです。 わたしも、そのひとり。 まあ、その夜の行動に、いくら酒好きで、植物に対する接…

  • 改訂2年ぶりの再開(その2)

    地雷(公認と疑惑) なぜ私が「夫婦大楠(めおとおおくす)」問題ににこだわるのか。 それはこの問題が、島内三市の教育委員会が、淡路島島民の信頼を無くすことと、発掘遺物遺跡の捏造疑惑を招くからです。 『信頼』についてのお話。このブログを読んでいただいている皆様、こんな本もあるのです。 タイトルが長い。 淡路島日本遺産公認教科書 淡路島日本遺産の歩き方 『古事記』の冒頭を飾る「国…

  • ウーハンウィルスって(あ)

    第5次のコロナ感染が、始まりましたね。もうワクチン接種はお済みですか?このブログを読まれておられる方々、くれぐれもご用心を!淡路市は7月末の時点で、65歳以上のワクチン2回接種済みの割合は、約3分の2。私と連れ合いは、8月8日が1回目の接種予定日。ワクチン接種するかしないかは、個人の好みです。身内にも、まだまだ接種をためらう者もいます。2回接種すませた場合…

  • 改訂2年ぶりの再開(その1)

    伊弉諾神宮 何人かにこのブログを見ていただいたところ、「むつかしい」との感想が、返ってきました。 今までと違って、論理はちゃんとつないだつもり。いや、しかしわかりにくい。まだまだ自分の頭の中を、そのまま書いている。以前は書いたら、一度説明したことは、省く。同じテーマでも、違う見方や新しい発見のみを、書いていく。あ、そうや、説明不足に…

  • 2年ぶりの再開

    いつの間にか、2年が経ちました。誰もこのブログの続きなんか待ち望んでは居ない、他人事のような、自分に関係ない、独りよがりのつぶやき。ひとが恋しい、人がすき。なのにほっといてほしい、独りでいたい・・・。スランプと言うべきか、単なるささやかな「鬱(うつ)」というべきか、自分で自分を持て余していました。うまいぐあい?に「ウーハン(武漢・コロナ・COVID-19→何で中…

  • 都奈と御原2<br /> 伊弉諾神宮の誤解(上)

    1.はじめに 記・紀の淡路島国生み研究を、ずっと続けてブログに書いています。『奈良時代の人々は、淡路島が、奈良のミヤコの西の端である、と考えていた』ところまでは、なんとかたどり着きました。 ところで淡路島が日本遺産に指定されるまで、ずっと書かなかったことがあります。『(現在の淡路市多賀にある)伊弉諾神宮(神社)ができたのは、平安時代に入ってからであろう』ということです。ただし伊弉諾(イ…

  • 魏志倭人伝1 ~卑弥呼 なんて

    1.はじめに 卑弥呼の墓は、どこ? 奈良の初期の前方後円墳である箸墓(はしはか)古墳では? いやいや日本最大の銅鏡が出土した九州北部平原(ひらばる)墳丘墓(糸島市)ではないか? そもそも邪馬台国の所在地は大和政権のあった近畿だから、…。いやいや朝鮮半島に接するのは北部九州だから…。中部地方から九州まで、諸説ふんぷん。卑弥呼や邪馬台国をテーマにすると、いつもどこ…

  • 都奈と御原1<br /> 研究メモ1 奈良の都の西の端(はし)

    1.はじめに これまでの「穂之狭別(ほのさわけ)」のブログは、淡路島に始まる国生み神話(空想?)に実在する部分があること、を書いてきました。今回からは後半部分、当時の政治として「穂之狭別」にどんな意味があるのか、に入ります。国生みに関する本を私が出すとすれば、前回までが上巻、今回から下巻になるわけです。とはいうものの、過去のブログの内容はその後の研究で、修正を迫られるものもあります。 2.前提 …

  • 淡道之穂之狭別島(あはぢのほのさわけのしま)改訂15 御井(おい)の清水と枯野(からの)の船

    ※ 今回のブログは、最初にお詫びすることから始まります。今回の部分は、14年11月頃?の原稿つまりその当時の私の「穂之狭別(ほのさわけ)」に対する説に基づいたものです。その辺の事情については、「続く」の最後に載せました。 前回「改訂14 記・紀を書いた人々」は国生みで淡路島が最初に産まれるのは、ヤマト政権…

  • 幽宮(かくりのみや)(その1)~所在地(の条件)5{改訂} eoブログ転載7(初出12/02/23 )

    実はいまひとつ、大事な点がある。 問題は、「幽宮(かくりのみや)」の、「幽(ゆう)」という表現。最初のほうでも書いたが、日本(書)紀は「漢文」の世界。なぜ特別にこの「幽(ゆう)」という文字を用いたか。古事記のように、単に「座(ざ)」としても良かったのに、わざわざこの字を用いている。この漢字の意味を無視するわけにはいかない。 「幽(ゆう)」という字には、「山あいの・黒く」という意味が込められてい…

  • 幽宮(かくりのみや)(その1)~所在地(の条件)4{改訂} eoブログ転載6(初出12/02/23 )

    では、どこだ。二つ候補を挙げてみる。 一つは過去のブログ(淡路の陵 あわじのみささぎ2008/8)で紹介した淳仁天皇陵(地図上のDの隣のマーク)。もともと明治政府によって初めて認証された、今も宮内庁が税金を使って大事に管理しているお墓は、どうであろう? 南海道の街道沿いの近くにあるではないか。りっぱな「御陵 (ごりょう 墓)」なのだから、現在は神社でないにしても、「幽宮」の上に古墳を作ったとし…

  • 幽宮(かくりのみや)(その1)~所在地(の条件)3{改訂} eoブログ転載5(初出12/02/23 )

    「國衙(こくが 國は国の旧字)」説を支持する理由は、むろん地名を尊重したいこともある。それよりも先住民である「海女(あま)族」が生活していた地域が、この南部(阿万 あま)に広がるからである。このあたりの海女(あま)族が、朝廷に協力した記録も残っている。この氏族の押さえとしても、このあたりが最適だと考える。さらに淡路国分寺からの距離が離れすぎる点も、独自の神を信仰していたであろう海女族のことを考慮…

  • 幽宮(かくりのみや)(その1)~所在地(の条件)2{改訂} eoブログ転載4(初出12/02/23 )

    ところが以前から島内の地方史研究家が悩み、また島外の方からも指摘される点がある。 過去にブログで書いた伊勢街道沿いにある「桜井茶臼山(ちゃうすやま)古墳」(2009/11)(※eoブログのため消滅)のように、「有力者の墓は、街道の近くにある」という考え方だ。 これは死んでからも現生を見守る、街道の安全を確保する手段としての墓、という古代の死生観によると考えられている。 ましてや伝説上の国生み(…

  • 幽宮(かくりのみや)(その1)~所在地(の条件)1{改訂} eoブログ転載3(初出12/02/23 )

    幽宮(かくりのみや)とは、日本(書)紀の上代に記述されている国生みの主役、伊弉諾(いざなぎ 男神)神の、伝説上の終(つい)の棲家(すみか)である。ただしこの「かく{り}のみや」という呼び方も、広辞苑では「かく{れ}のみや」というように現代風なので、少しさびしい気がする。 伊弉諾(いざなぎ)神宮でも{かくりのみや}と表記しているので、ここでは『かくりのみや』として話を進めたい。 なぜブログのテー…

  • 幽宮(かくりのみや)(その1)~所在地~1 eoブログ転載2(初出11/02/28 )

    ※今回の内容は、eoブログの閉鎖に伴う、過去の私のブログです※ 幽宮(かくりのみや)とは、日本(書)紀の上代に記述されている国生みの主役、いざなぎ神(男神)の、伝説上の終(つい)の棲家(すみか)である。ただしこの「かく{り}のみや」という呼び方も、広辞苑では「かく{れ}のみや」というように現代風にかえられているので、少しさびしい気がする。次回の改訂版では、本来の言い方と思われる呼び方に、辞典も戻…

  • 大門の哀(かな)しみ eoブログ転載1(初出08/09/12)

    成相寺(なりあいじ)の大門を出ると、大きな壁にぶつかる。 ため池の大門の屋根より高い土手が、行(ゆ)く手をふさぐ。 かっては街道筋、八木の鳥居から十八丁(淡路国名所図絵巻二)、なだらかな坂を登りきったところに、大門があった。眼下には春の桜や秋の紅葉が見事な桃源郷、成相寺の境内(けいだい)を見下ろすことが出来た。 明治になって、大門前の参道表は溜め池にな…

  • 小話8 今年の桜 志筑静の里(しずのさと)公園

    ご無沙汰しております。今年最初のブログは、私の仕事先近くの桜のお話。

  • 小話6 新聞記事(2016/10/27)

    1.はじめに 地元の神戸新聞が、朝刊一面に「淡路と出雲 兄弟銅鐸続々」と取り上げたのをかわきりに、大手新聞各紙も銅鐸の記事を取り上げたことを、覚えてらっしゃる方もおられるかと、思います。 もう一度新聞記事を読みたいとお考えでしたら、毎日新聞がおすすめです。島根県(荒神谷・加茂岩倉)と兵庫県の淡路島(松帆)だけでなく、島根県出土銅鐸との同笵(どうはん関係が地図と…

  • 小話7 紐(ちゅう)と内面突帯(ないめんとったい)の前書き

    しまの一歴史愛好家が、新聞報道(20015/5)から1年半かけて、書いてみようとして、七転八倒。前回の銅鐸の続きは、9月頃の予定が、なかなかまとまりません。 「紐と内面突帯」という題で書き出した最初の部分を、「小話」のシリーズ(前書き)に入れることにしました。本編は現在原稿用紙換算で、22枚程度、まだ未完成です。遅れている理由は、「あっ島!日本とは」という日…

  • 淡道之穂之狭別島(あはぢのほのさわけのしま)小話5 中国産唐三彩

    今回は、淡路国分寺(国指定遺跡1951年)のお話です。国生み神話が書かれている日本書紀が編纂されたのは720年で、淡路国分寺の創建は、8世紀第3四半期頃のことですから、およそ40年前後?ずれております。 「南海道に属する5国の中で淡路国分寺の造営はもっとも遅れていたようで・・・(淡路国分寺 1993 三原町教育委員会)」とあります。でも、淡路島は、「御食国(みけつくに)」でしたよね。島内では、御…

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