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スペイン語のトリビア コスタリカ、メキシコ、ペルーのエピソード パプア・ニューギニア、シンガポー

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2014/11/13

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  • コスタリカ 2018年(78)Atenas から Alajuela へ

    Atenasの知人宅をあとにして、Alajuela(アラフエラ)に戻る。知人宅の敷地を出て、右に曲がり、そのまままっすぐ進む。もちろん、ナビソフトのWazeを使う。旧道をひたすらまっすぐ行く。途中、急勾配の下り坂があった。上から見ると45度もありそうな感じがするが、実際は、それほどでもないはずである。それでも重い車だったら、とても坂を登れそうにないほどの勾配である。こんな急勾配の坂道は初めてである。無事、通過してさらに進む。左側に新道が見えてきた。ナビの指示もわかりにくい。左折せずにそのまま直進すると、行き止まりになったので、引き返して、新道に入る。ナビの指示どおりに進むと、autopista(3号線)に入った。入ってから5分もしないうちにautopistaから出ることになった。すると、そこには料金所(peaj...コスタリカ2018年(78)AtenasからAlajuelaへ

  • コスタリカ 2018年(77)Atenas の知人宅にて昼食

    (承前)屋敷に通された。中は日本の装飾品が多数ある。ちょうど昼ごろだったので、早速昼食にする。屋内より、庭のほうが気持ちがいい。ベランダになっているところにテーブルがあり、4人で囲む。ご主人はワインが好きで、高価そうなワインのビンが何本も並んでいる。そのうちの1本を開けることにした。が、ご主人はうまく栓を開けられない。ここにも認知症の症状が出ている。女房殿が代わって開ける。ワインをいただきながら、奥さんお手製のコスタリカ料理をいただく。鶏料理にサラダ、それに米のご飯である。気温はやや高くなっていたが、日陰なので、暑くはない。食後にはコーヒーをいただく。本来なら、楽しい歓談になるところなのだが、ご主人は同じ話を何度もする。日本語よりスペイン語での話のほうが多い。認知症になっても、言語の領域は機能が衰えてはいないよ...コスタリカ2018年(77)Atenasの知人宅にて昼食

  • コスタリカ 2018年(76)Atenas 郊外の知人宅へ

    Atenasの町の中心にある教会で待ち合わせた知人夫婦の車の後についていく。市街地の西に向かっている。すぐに郊外に出た。一本道をまっすぐ進むと緑が多い。ウィキペディア“CantóndeAtenas”によると、Atenas郡の住民の半数以上は郊外に住んでいて、生活レベルや教育レベルも高いそうである。郊外に出て5分ぐらいしたところを左に入っていく。交差点ではない。hacienda(農園)の入り口のようだが、農園ではない。敷地に入ると、ゲートがある。当然施錠されている。ここから家まで何十メートルあるだろうか。家の前に来ると、もう一つゲートがある。これでやっと屋敷に入れる。屋敷は平屋である。夫婦二人だけなので、かなり広く感じる。当然、庭もある。表の道路の車の音は全然聞こえない。このあたりの土地は知人の奥さんの一族が住ん...コスタリカ2018年(76)Atenas郊外の知人宅へ

  • コスタリカ 2018年(75)アテネ、ギリシャ、スパルタ等

    Atenas(アテネ)の町へ来たのは初めてである。特に観光名所というわけではない。コスタリカの他の町と同様、街の中心に教会(iglesia)と公園(parque)がある。町の様子の写真はリンクを参照されたい。Atenasの町についてはウィキペディア「Atenas(CostaRica)」を参照されたい。ただし、スペイン語だが。また、ウィキペディア「CantóndeAtenas」(アテナス郡)によると、Atenasは1960年発行の“NationalGeographic”に「世界一気候のいい土地」と紹介されているが、Atenasに限らず、Alajuela州全体がそう言えるのではないだろうか。ところで、autopista(1号線)の向こう側にはGrecia(ギリシャ)という町があり、知人が住んでいる。ギリシャ系の移民...コスタリカ2018年(75)アテネ、ギリシャ、スパルタ等

  • コスタリカ 2018年(74)Coyol 地区経由で Atenas へ

    9月4日(火)6時ごろ目が覚めた。だらだらして、結局、起床は7時40分。気温22度。薄曇り。前日に続いて、昨晩も夜、寒く、ブランケットを出した。8時15分に朝食。パン、アボカド、サラダ、チーズにコーヒーである。小雨が降ってきたが、後、晴れて、暑くなった。この日がコスタリカ滞在最終日である。Atenasの知人宅を改めて訪問する予定である。知人の奥さんに連絡したあと、10時半に出発する。Atenasまではそう遠くない。1時間もあれば到着しそうである。その前に、Alajuela(アラフエラ)の西のはずれにあるCoyol地区に住む、女房殿の友人宅に立ち寄る。Coyol地区は怪奇現象が日常茶飯事とまではいえなくても、頻発する地域である。具体例は「怪異譚(1)」、「怪異譚(2)」、「怪異譚(3)」、「怪異譚(4)」を参照さ...コスタリカ2018年(74)Coyol地区経由でAtenasへ

  • コスタリカ 2018年(73)Paraíso から San José 経由、Alajuela へ

    そろそろ昼食の時間である。2015年訪問時にはカルタゴ市内の中華レストランへ行ったが、今回はカルタゴの近くにあるパライソ(Paraíso、英paradise)市に住む、女房殿の従姉妹の自宅に招待されている。彼女たちはつい先日、グアピレスの義母を訪れたばかりである。カルタゴからは来るまでものの10分ぐらいである。目印になるスーパーの前に車を停めて、電話をかけると、すぐ歩いてやってきた。パライソの市街地には入ったことがあるが、彼女の家は郊外の閑静な住宅地にあった。治安もまだよさそうで、格子の塀はなかった。ガレージもあったが、車はない。ということで、ガレージに車を入れて、家の中に入った。早速、昼食をご馳走になった。メニューは忘れたが、肉料理だったことは確かである。牛タンのトマト煮だったような気がする。昼食の前かあとか...コスタリカ2018年(73)ParaísoからSanJosé経由、Alajuelaへ

  • コスタリカ 2018年(72)Ruinas de Cartago(カルタゴ遺跡)へ

    毎度お馴染みのBásilica(大聖堂)だが、今回も中に入る。女房殿は前回(2015年)大聖堂の一番後ろの席から跪いて聖壇まで進んでいって、お祈りしたが、今回はお祈りのみ。大聖堂の脇に聖水が出る泉があり、前回は聖水を購入したが、今回は購入せず。ただし、聖水のところには行ったが。前回は大聖堂近くで肉屋を営んでいた従兄弟を訪ねていこうとしたが、すでに肉屋はなく、会えなかったが、今回はうまく連絡がついたので、大聖堂まで来てくれることになった。筆者も20年近く前、一度会っている。大聖堂までやってきた従兄弟は顔はあまり変わっていないので、すぐわかったが、ずいぶん太ってしまっていた。また肉屋をやっているようである。少々立ち話をしたあと、今度はかねてより行きたかった“RuinasdeCartago”(カルタゴの遺跡)に向かう...コスタリカ2018年(72)RuinasdeCartago(カルタゴ遺跡)へ

  • コスタリカ 2018年(71)Alajuela から Cartago へ

    9月3日(月)7時に目が覚めた。7時40分起床。夜は結構寒かった。8時の気温は22度。薄曇り。適当に朝食を摂って、レンタカーが来るのを待つ。9時半に来ることになっていたが、来たのは9時40分である。これぐらいなら合格である。この日はかつてのコスタリカの首都カルタゴ(Cartago)へ行く予定になっている。BasílicadeNuestraSeñoradelosÁngeles(大聖堂)で女房殿が何か願い事をするのが主目的である。この大聖堂については「コスタリカの州-カルタゴ」、「コスタリカ再訪(81)大聖堂(BasílicadeNuestraSeñoradeLosAngeles)にて」でも触れているので、参照願いたい。さて、10時に義妹宅を出る。レンタカーは当然、調子がいい。ナビソフトWazeの指示に従って進む。...コスタリカ2018年(71)AlajuelaからCartagoへ

  • コスタリカ 2018年(69)レンタカーの会社へ

    スターバックスのコーヒー園からアラフエラの義妹宅に帰ったときには午後5時になっていた。義妹の旦那が貸してくれた車が故障したので、レンタカーを借りなければならない。空港の近くにレンタカーの会社がいくつもある。義妹の旦那に連れて行ってもらう。連れて行ってもらった会社はの名前はMapacheという。「アライグマ」という意味である。先客はだれもいなかったが、手続きに1時間かかった。この日、車を借りても、義妹宅に帰るだけなので、もったいない。翌日車を届けてもらうことにする。9時半ごろ来る予定である。料金は102ドル(約11,500円)である。3日借りるといっても、正味48時間弱である。料金はリーズナブルであろうか。手続きをしている間もよく鼻水が出る。そのたびにトイレを貸してもらう。普段はいちいち気にしないのだが、注意書き...コスタリカ2018年(69)レンタカーの会社へ

  • コスタリカ 2018年(68)スターバックスのコーヒー農園にて

    2時半ごろ、CorsoLecheríaをあとにして、アラフエラ(Alajuela)方面に戻る。帰り道にコーヒーを飲めるところがありそうである。CorsoLecheríaから車で10~15分ぐらいの距離だろうか。右手に工場っぽい建物が見えてきた。これはCorsoLecheríaへ行く途中で確かに見た。この建物のそばにコーヒーを飲めるところがある。【入り口近くの花】ここはHaciendaAlsaciaといって、あのスターバックス・コーヒーの農園である。ここのVisitor'sCenterでコーヒーが飲めるのである。詳細はリンクを参照されたい。さて、この日は日曜日ということもあって、人が多かった。景色はいいし、コーヒーはおいしいし、なかなかの人気のようだ。空いた席を探すのにちょっと時間がかかった。景色のいい窓際の席は...コスタリカ2018年(68)スターバックスのコーヒー農園にて

  • コスタリカ 2018年(67)Corso Lechería にて昼食とチーズ購入

    CorsoLecheríaにはアラフエラ(Alajuela)市の義妹宅から約30分で着いた。このあたりは標高が高く、やや寒いので、義妹の旦那にジャンパーを借りてきた。まずはレストランに入る。sopa(英soup)とcremoso(「クリームを含んだ」の意。cremaの派生語)を頼む。【cremoso】レストランのメニューについてはCorsoLecheríaのRestauranteのリンクを参照されたい。昼食についての詳細な記述は残っていないので、はっきりしたことは言えないが、おいしかったような気がする。支払いはこちら持ち。締めて約15,000コロン(約3000円)。昼食後、乳製品売り場(といっても、レストランに隣接)に行く。女房殿のお目当てのチーズがあったので、大量に(といっても、スーツケースに入る程度)買い込...コスタリカ2018年(67)CorsoLecheríaにて昼食とチーズ購入

  • コスタリカ 2018年(66)Corso Lechería へ

    話が前後するが、AutoMercado内の喫茶店から帰ってくる前に、AutoMercadoでフルーツも買った。レジで支払を済ませて出ようとしたら、出口の左側に薬局(farmacia)があった。数日前にグアピレス(Guápiles)で甥っ子に風邪をうつされて、鼻水がよく出るので、Lupitaにここで薬を買っていったほうがいいと言われた。アドバイスに従い、購入する。病状を説明すると、薬を教えてくれた。どれぐらい必要かというので、10錠買うことにした。錠剤は日本では1瓶単位で売るが、この薬局ではばら売りしていた。確かに1瓶または1パックの量が多い。小売用ではなく、卸売のサイズのようである。そうすると、ばら売りも理に適っている。さて、12時半ごろ義妹夫婦と筆者夫婦の4人でポアス火山(VolcánPoás)へ向かう。午前...コスタリカ2018年(66)CorsoLecheríaへ

  • コスタリカ 2018年(65)Cafetería を探す

    中年になったLupitaは幸い、多くのコスタリカ中年女性と違って、若いころの体形を保っている。喜ばしい限りである。Lupitaは現在、サンホセ市の南の郊外に住んでいる。グアダルーペ地区は北の郊外になる。自動車がなかったころは、あまり遠出をすることもなかったのだろう。サンホセ市から約20キロのところにあるアラフエラ(Alajuela)にはほとんど来たことがないと言う。とにかく立ち話もなんであるから、座って話せる場所を探しにいく。【赤い四角で囲んだところは午後、義妹夫婦と訪れたところ】アラフエラの町の北のはずれの義妹宅からさらにポアス火山(VolcánPoás)へと続く道を北上することにした。街中の喫茶店(最近は「カフェ」というらしい。caféはスペイン語では「コーヒー」そのものを指す。「喫茶店」はcafeterí...コスタリカ2018年(65)Cafeteríaを探す

  • コスタリカ 2018年(64)Lupe の思い出

    ガソリンスタンド(bombadegasolina。bombaは「爆弾」という意味もあるが、ここでは「ポンプ」の意。最近ではgasolineraともいう)に行くと、かつての少女が車の中で待っていた。手を振ると、すぐ気がついてくれた。この少女は本名は別にあるが、1980年当時、サンホセ郊外のGuadalupe(グアダルーペ)地区の下宿のばあさん(彼女のmadrina「(洗礼に立ち会う)代母」)が“Lupe”または“Lupita”と呼んでいた。“Lupe”と呼ぶときは、他人の家の玄関先で「こんにちは」とか「ごめんください」と言うような場合に使う言葉の“Upe”の節で呼んでいたものである。“Upe”の節は中国語で言うと、まず第二声(上昇調)、次に第三声(まず低く、それから上昇)が続く。“Upe”については「コスタリカ再...コスタリカ2018年(64)Lupeの思い出

  • コスタリカ 2018年(63)義妹宅でかつての少女を待つ

    9月2日(日)7時ごろ目覚めたが、起床は8時。薄曇り。気温24度。9時に黒パンとビフテキ小2切れ、サラダ、アボカドとコーヒーで朝食。食後、乾燥させたオレガノ(orégano)の葉をむしり、ジップロックに詰め込む。この日は1980年ごろ住んでいた下宿によく遊びに来ていた女の子(今では立派な中年女性)と会う約束がある。10時に義妹宅まで来てくれることになっている。2015年にも会っているので、3年ぶりになる。そのときも自家用車を運転してきたので、今回もサンホセ郊外からはるばるアラフエラ(Alajuela)まで20キロぐらいの道のりをやってきてくれる。オレガノの葉むしりが終わったので、しばし休憩。さて、前日ビールを飲みに行ったが、会話のほとんどは覚えていないが、一つだけ覚えていることがある。それは義妹の旦那がDNA鑑...コスタリカ2018年(63)義妹宅でかつての少女を待つ

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