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  • 鍋割山(奥多摩)

    10月23日奥多摩鍋割山へ行ってきた。8:50鳩ノ巣駅(車中で話込み古里駅の一つ先に降りた)イヌタデ(アカマンマ):タデ科甲州街道を歩いて古里駅へ戻る古里附(こりつき)のイヌグス:幹周6.5m、樹高23mあったとか?万世橋から鳩ノ巣渓谷、紅葉はこれからもうすぐ登山口9:30長福寺御岳山(裏参道)登山口これから咲く花も杉花粉の「ソース」落ちてました空は晴れていますテンナンショウの実(マーブルチョコレートを連想させます)アキノタムラソウ飯盛杉:何もない参道に彩を添えますが・・・・・。杉の植林帯を左へコアジサイ10:55大塚山ⅳ:920m御嶽神社へ向かいます一部紅葉しています奥の院峰:1077mセリ御嶽神社、御岳山はスルー奥の院登拝口、左に「天狗の腰掛け杉」杉の大木にガードされた登拝道左)日の出山:902m右)...鍋割山(奥多摩)

  • 黒姫山

    10月17日⛅、予報は12:00頃から☔と告げている。バイキングの朝食後、バスで戸隠神社へ。もさす想定外の展開、「戸隠神社・奥社」の先、高妻山登山口を右に、左に陽に映える戸隠山も車窓から見えた。8:30大橋登山口スタート雨は降っていません9:00古池(黒姫山は雲の中)ツタウルシ:かぶれるよ!!!10:20新道分岐(西登山口から合流)ここから「しらたま平」まで登りが続きました、雨も11:10しなの(信濃)木シナノキ:科の木、科、級の木、榀の木はアオイ科シナノキ属の落葉高木。日本固有種、別名ヘラノキとのよばれる。古名である信濃は、古くは「科野」と記したが、「科布」が多くとれた国という意味があるといい、シナノキを多く産出したからだともいわれている。岩混じりの急登、小雨、笹原を行くと・・・・シラタマが多い場所に1...黒姫山

  • 飯縄山

    10月16日~17日とⒸツアーで飯縄山・黒姫山を一泊二日で登ってきた。16日は飯縄山へ、空は紅葉もジャストミートでした。戸隠神社・中社が登山口戸隠神社:戸隠山顕光寺と云われた奥社、宝光社(宝光院)、中社(中院)からなる。明治の廃仏毀釈で神社になったが、両部神道と言われる。天台・真言宗の山伏は戸隠山の岩窟を修行道とし、三十三窟という行の跡が残る。【日本山名辞典:戸隠神社より】紅葉来てました。ゴマナ:中社を離れ登山口へ11:10西登山道(サブルート)錦秋の登山道(老々男女名の参加)樹間から戸隠山が11:50「萱ノ宮」の鳥居種(梅干し)🍄標高が上がると戸隠山:1904m(二百名山)高妻山:2353m(百名山)飯縄山も視野に(ニセピークだった)オヤマリンドウドウダンツツジ昔人の足跡が13:20飯縄神社の洞13:2...飯縄山

  • 至仏山ⅲ

    10月9日秋の尾瀬・至仏山をピストンしてきた。新宿~鳩待峠へのバスツアー利用(フリープラン:現地で約時間自由行動、日帰り温泉入浴付き)私を除き全員が尾瀬ヶ原ハイキングへ行ったようです。10:50鳩待峠発(何故か救急車とパトカーが、常駐?)予報は、15:00以降マークが出てましたが・・・・?ダケカンバを柱に【植物たちのアート】です🍄蛙手→カエデ→楓の紅葉蛇紋岩の鉢にリンドウが12:00オヤマ沢通過オヤマ沢田代の湿原(下山時の写真)12:10笠ヶ岳(関東百)分岐展望地、尾瀬ヶ原はガスに隠れてました岩峰群が、もうすぐ小至仏山ドウダンツツジも彩付いてます12:30・12:45(蛇紋岩を越えて)小至仏山:2162m墓石みたいな標石です、冷たい西風を避け岩陰で急ぎ昼を食べた。ガスが抜け至仏山が姿を見せてくれましたもさ...至仏山ⅲ

  • 一切経山

    10月1日クラツーツアーで一切経山(日本三百名山)へ行ってきた。福島駅から浄土平への路線バス(福島交通)が出ないので、ここまで伸びた。新幹線で福島駅へ、貸切バス(福島交通)で浄土平へ10:00着活火山です、噴煙が上がってます。10:30ビジターセンター裏の登山口をスタート、ですアキノキリンソウヤマハハコダケカンバの紅葉も始まってます。女子15人、「黒一点」のメンバー構成でしたシラタマの実、多かった吾妻小富士、ススキが噴煙に見えるように・・・・ジムカデ(地百足):ツツジ科リンドウガンコウラン:ツツジ科黒い実は落ちた後か?ツツジ類の草紅葉11:10もうすぐ「酸ケ平避難小屋」中央)鎌池鞍部からの眺望左)一切経山東吾妻山:1975m(西吾妻山も含めて日本百)ピークを一つ越えて12:15一切経山:1949m空海がこ...一切経山

  • 城山ⅱ(湯河原)

    9月26日(前日湯河原温泉泊)城山:563mを歩いてきた。【頼朝と湯河原】平治の乱に破れ、伊豆の蛭ケ小島(現:伊豆の国市韮山)に流されていた頼朝は1180年8月17日、北条時政や土地の豪族、土肥実平らの協力を得て、伊豆山で平家打倒の兵を挙げた。伊豆国目代・山木兼隆を破って初戦を飾るが、石橋山合戦では十倍の兵力を有する大庭景親に大敗を喫する。頼朝は主従わずか七名で山中に逃れ、ここを領地とする土肥実平・遠平父子の案内で洞窟(しとどの窟)や大木の洞に隠れて追ってをかわした(七騎落)この時、頼朝が辿ったとされる道を歩いてきた。大滝ホテルの夕食です。【神奈川割】利用で1泊2日で1万円也、これに2000円のクーポンが付いてます。9:10不動滝(前日撮影)出発奥湯河原温泉郷に向けて舗装道路を上って行きます。五段の滝カラ...城山ⅱ(湯河原)

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