今日は、不登校であった自分の経験が少しでも参考になればと思い書こうと思う。オッサンが何かアナクロ(時代錯誤)な事を言ってらーくらいのスタンスで読んで頂けたらと思う。私は高校を留年して一年生を二回やった。いろいろあったが結局出席日数が足りずに二人目の担任に自主退学するように言われ、高校を二年目の秋に退学した。学校に行けなくなる理由は人それぞれだろう。一度行けなくなると、毎日意識もせずに開けていた教室の引き戸が、鉄の扉のように感じたものだった。私の場合は柔道の授業での事故が原因の片頭痛が不登校の発端であったが、病が治りかけの時の二年目の一年生の学校生活は、典型的な不登校の学生だったと思う。私は二年目のクラスでいじめを受けたわけではなかった。新しいクラスになじめなかった一番の理由は、たった一年違うだけで回りのクラスメ...学校に行きづらい君へ
いじめの記憶。 知らないで犯した罪は、知って犯す罪より重くて恐ろしい
夏休みも終わりが近づいて最近はこの時期の子供たちの自殺を予防する為のTV番組やニュースを多く目にする。いじめについて、今思う事をつらつら書こうと思う。私が小学生の頃昭和40年代、いじめがなかったかといえば、そんなものは日常茶飯事であった。まだまだ子供が多く、地方の田舎の小学校だったが全体で1200名以上いたし、私の学年は45名学級で6クラスあった。当然、先生の目も細かいところに行き届かないし、先生、親、大人の体罰当たり前であった。当然子供のいじめも、幼稚なものから、奸智をくししたものまで何でもありだった。また障害者に対する理解も今とは違い、田舎では差別の対象になりやすかった。いじめという言葉が一般化したのはいつ頃の事なのだろう。少なくとも私が小学生の頃はそのような言葉はなかった。だが、行為としてのいじめは厳然と...いじめの記憶。知らないで犯した罪は、知って犯す罪より重くて恐ろしい
7月18日の京都アニメーション放火事件にて犠牲になられた職員の方々に謹んで哀悼の意を表しご家族の方々に心よりお悔やみ申し上げます。また多くの怪我をされた職員の方々の一日も早い御回復をお祈り申し上げます。ブログ主哀悼
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