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  • 6月30日 御言葉をあなたへ

    「イエスを裏切ったユダが答えて言った、『先生、まさか、わたしではないでしょう』。イエスは言われた、『いや、あなただ』」。マタイ26:25最後の晩餐の席での出来事です。イエス様はこの後十字架に命を絶たれることになります。この重大なとき、自分を裏切る者がいると言われ、弟子たちは誰のことだろうと疑心暗鬼に陥ります。そのとき、ユダ本人に極めて明確に「あなただ」と指摘しますが、当人はなんの痛痒も感じません。まことに不幸です。今日、あなたの心に主が指さされることがあるなら、速やかに悔い改めて、主との関係をしっかり整えましょう。(KE)美ヶ原高原どの写真を見てもどんより空は暗い。帰ってみて考えれば良かったな。行けて良かったな。何て思ってしまいます。信州は大好き!ホテルの方々のおもてなしには感心。いつも予約は満員とか。今...6月30日御言葉をあなたへ

  • 6月29日 御言葉をあなたへ

    「あなたはこの民に言いなさい、『主はこう仰せられる、見よ、わたしは命の道と死の道とをあなたがたの前に置く』」。エレミヤ21:8人生は選択と決断の連続です。その際、何を基準に判断すべきでしょうか。人の心には様々な思いがあって、なかなかこれだと決断できずに、結局成り行き任せに終わります。神様が与えてくださる道は勿論「命の道」です。それは貧相で、魅力もない、避けたいものでしょう。しかし、神様の導きを信じて踏み出す時、その道を命のあふれる道としてくださいます。(KE)長野県美ヶ原26日より2泊で友人が教えて下さった、美ヶ原へ行けました。松本までホテルのシャトルバスが出ているなら老夫婦でも行けるかも!?夫が足を痛めてますし、薬を飲んでいますから、なるべく乗り換えが少なく、歩く距離が少なくで企画。梅雨なので天気は期待...6月29日御言葉をあなたへ

  • 6月24日 御言葉をあなたへ

    「神はモーセに言われた、『わたしは自分のあわれもうとする者をあわれみ、いつくしもうとする者を、いつくしむ』」。ローマ9:15神様は愛に満ちた優しい方だとの印象を抱きますが、だからと言って、軽んずることは出来ません。何といっても、神様は生殺与奪の権限を持ちたもう全能者です。一分一厘もルーズな所のない方。ご自分の御心のままに事を進めることが出来ます。そのような厳しい方でありながら、愛を与えてくださるのです。主の慈しみと恵みが何と尊いことでしょう。(KE)木曽皆様いつもありがとうございます。この数日留守にしますので、更新をお休み致します。6月24日御言葉をあなたへ

  • 6月23日 御言葉をあなたへ

    「しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる」。イザヤ40:31a「主を待ち望む」と、何度も言われることですが、考えるとやはり事の帰するところはここ以外にありません。万物は神様の御手に握られているわけですから。神様が力を与えてくださらなければ、私たちは何一つ良きことが出来ないのです。今日も、神様が与えてくださる力、知恵、知識等々、を期待して、求めつつ進もうではありませんか。(KE)木曽御岳6月23日御言葉をあなたへ

  • 6月22日 御言葉をあなたへ

    「主なる神、イスラエルの聖者はこう言われた、『あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る』。しかし、あなたがたはこの事を好まなかった」。イザヤ30:15人は思いがけない事態に遭遇すると、慌てふためきます。そのため、正しい必要な判断が出来なくて、事態をさらに悪化させる悪循環に陥ります。そうならないために、まず神様を見上げて、主に信頼する心を整えることが良い結果につながります。急いては事を仕損ずると言われるところです。(KE)滋賀県近江八幡西湖べり6月22日御言葉をあなたへ

  • 6月21日 御言葉をあなたへ

    「『基が取りこわされるなら、正しい者は何をなし得ようか』と」。詩篇11:3何事を成すにも、正しい基準がなければ、事の良しあしを判断できません。無秩序に見えるこの世も、神様の目線(み言葉)でみるとき、首尾一貫、貫かれている道筋が明らかです。それがなければ、この世は混沌(カオス)の極みです。どんなに理不尽に見えようとも、義なる基がある限り、決して失望することはありません。(KE)京都市勸修寺6月21日御言葉をあなたへ

  • 6月20日 御言葉をあなたへ

    「主に問うことをしなかった。それで主は彼を殺し、その国を移してエッサイの子ダビデに与えられた」。歴代上10:14イスラエル王国の初代サウル王は神様の言葉に従うよりも、民衆の声に従った結果、王の位から退けられました。しかし、即座に追放されたのではありません。主はなお悔い改めの時を待っておられたのだと思います。しかし、ペリシテ人との戦いにあって、主に対して犯した罪のために戦死します。これは神様の裁きです。主の言葉を聞くとき、即座に従う者となってください。(KE)守山なぎさ公園6月20日御言葉をあなたへ

  • 6月19日 御言葉をあなたへ

    「すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、神の栄光となるのである」。第二コリント4:15私たちの日々の営みは神様のなさることです。だから、失敗だとか、無駄なことは一切なく、すべてが私たちの益となるもの、恵みばかりです。神様は私たちに喜びを与え、感謝があふれる者にしたいのです。自分の物差しと量りを捨てて、主の御手に自分をまかせてみてはどうでしょう。すべての事が感謝にかわります。(KE)滋賀県守山なぎさ公園6月19日御言葉をあなたへ

  • 6月18日 御言葉をあなたへ

    「モーセが手を上げているとイスラエルは勝ち、手を下げるとアマレクが勝った」。出エジプト17:11カナンの地を目指して、荒野を旅するイスラエルに、アマレク人が戦いを仕掛けてきます。モーセはホル山に登り、祈り続けます。起立して両腕を天につきあげて祈るのが、当時の祈りです。しかし、腕が疲れて下がると敵が勝ち、彼が祈るとイスラエルが勝ちます。アマレクは神を畏れないこの世の勢力、肉の力の象徴です。まさに信仰の戦いとは祈りの勝負です。内に働く罪の力に勝つには祈り続けることです。(KE)志賀高原木戸池6月18日御言葉をあなたへ

  • 6月17日 御言葉をあなたへ

    「見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である」。第二コリント6:2人は今と言う時に満足できない者です。昔はよかったとか、明日は良くなるだろうと思って、「今」を無駄にしているのではないでしょうか。私たちに与えられている時は「今」しかありません。あなたが今どんな状況にあろうと、まさに「今」こそ恵みのとき、また神様の救いを受けることが出来るときです。今日も、主はあなたを恵み、救おうと備えておられます。どのような事におかれようと、今を生きてください。その時、主にお会いできます。(KE)志賀高原のぞきより6月17日御言葉をあなたへ

  • 6月16日 御言葉をあなたへ

    「あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである」。ローマ8:15a奴隷など、現代社会にはありえないと思いがちですが、必ずしもそうではありません。確かに、自由を奪い強制力で使役する姿は見られませんが、人が何者かを恐れる時、その者の奴隷です。奴隷の特徴は恐怖をもって縛られる状態です。あなたが病気を恐れるなら、病気の奴隷です。イエス様はそのような奴隷の支配から解放してくださったのです。そればかりか、神様の本質である聖霊を私たちに与えて、神の家族にしてくださったのです。(KE)志賀高原笠岳後方は北アルプスに妙高山も見える6月16日御言葉をあなたへ

  • 6月15日 御言葉をあなたへ

    「するとイエスは彼らに言われた、『それなら、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい』」。ルカ20:25イエス様にパリサイ人や律法学者がローマ皇帝カエサルに税を納めてよいかどうかと尋ねました。主は当時の貨幣に刻印された皇帝の肖像を見せて、この貨幣は誰のものかと問われたのです。同様に、人はすべて「神のかたち」に造られたもの。神様の刻印が記されています。私たちは神様のものなのです。あなたは神様のものとなっていますか。(KE)志賀高原木戸池6月15日御言葉をあなたへ

  • 6月14日 御言葉をあなたへ

    「きょう、あなたの家に泊まることにしているから」。ルカ19:5イエス様がエリコの町に来られた時、突然、取税人のザアカイの家に泊まることにしました。取税人だった彼は不正なことをして町中の人々から嫌われていました。イエス様が悪人の家に泊まったと、多くの人々は失望しました。しかし、その晩、彼は主の前に出て、自分の罪を認め、すべての償いをすると決断しました。主は彼の家ではなく、彼の心に入ってくださったのです。甦った主は今どこにおられるのでしょうか。(KE)近江八幡西湖6月14日御言葉をあなたへ

  • 6月13日 御言葉をあなたへ

    「あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか」。マタイ5:13ab「塩」は地味な存在ですが、無くてはならないものです。料理の味付けに塩がなければ素材の味を引き出すことが出来ません。わずかな量の塩ですが、甘いものを作るにも欠かせません。また、塩は防腐・殺菌効果があって、保存食などに不可欠です。そればかりか、貴重なミネラルが含まれているので健康にも必要です。神様は私たちを「世の塩」としてこの世に遣わしておられます。(KE)京都市勸修寺6月13日御言葉をあなたへ

  • 6月12日 御言葉をあなたへ

    「あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕(しもべ)とならねばならない」。マタイ20:27イエス様は神様の御子でした。本来、滅びゆく人間に関わる必要のない方です。神の位に居られた主は、父なる神様の御心に従ってしもべとなり、この人の世に下ってこられたのです。その目的は人間の罪を引き受けて、身代わりとなり、十字架に命を絶たれるためでした。イエス様は徹底して父なる神様の僕となりきって、父なる神様の御心に従い抜かれたのです。そのように、私たちにも神様の「しもべ」となることを願っておられます。(KE)渋峠より草津白根山を見る6月12日御言葉をあなたへ

  • 6月11日 御言葉をあなたへ

    「彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである」。ローマ4:17bアブラハムの生涯は、一貫して神様を求める生涯であったと言えます。故郷を離れて新天地にやってきますが、波乱万丈の日々です。時折、掛けられる神様の声を聞きつつ、患難を耐え抜いて神様の愛と真実を味わい、深く神様を知るようになります。人生のクライマックス、最大の試練に会います。愛する一人息子イサクを犠牲にせよとの神様の求めに、彼は即座に従います。イサクを失うとも、神様は彼を生かして下さると確信したからです。(KE)志賀高原渋峠より6月11日御言葉をあなたへ

  • 6月10日 御言葉をあなたへ

    「どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか」。ローマ8:32b神様は祈ることを求めておられます。しかし、祈りつつも、この祈りに応えてくださるだろうかと疑います。神様は私たちの天にいますお父さんです。この方は天も地も、そのすべてを持ちたもう方。そればかりか、私たちを愛するゆえに、罪をゆるすため、ご自身の御子を犠牲にされたのです。だったら、私たちの祈りに応えられないことはありません。(KE)宇治田原湯屋谷6月10日御言葉をあなたへ

  • 6月9日 御言葉をあなたへ

    「するとイエスは彼らに言われた、『なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちよ』」。マタイ8:26a弟子たちはイエス様とガリラヤ湖を舟で渡っていました。そのとき、突然、天候が変わり、激しい暴風が吹きつけ、波にのまれそうになりました。同船していたイエス様は嵐の中でも悠然と眠っておられるのです。慌てふためく弟子たちはイエス様を呼び起こします。主は「なぜこわがるのか」と言われます。今日、あなたの人生に嵐が吹き荒れているなら、共におられるイエス様をしっかり信じましょう。主は嵐を鎮めて平安を与えてくださいます。(KE)滋賀県朽木村6月9日御言葉をあなたへ

  • 6月8日 御言葉をあなたへ

    「あなたは施しをする場合、右の手のしていることを左の手に知らせるな」。マタイ6:3「施し」とは今言うところの慈善活動です。人は自分が良いと思うことをするとき、それを多くの人に知ってもらいたいと思います。また、賞賛を受けるなら、なおさら励むことでしょう。やがて、良き思いと願いで始めたことが、人の歓心を得ることが目的になって、神様の報いを受けることができません。神様は隠れたことを見ておられるのです。(KE)志賀高原笠岳(後方は北アルプス)6月8日御言葉をあなたへ

  • 6月7日 御言葉をあなたへ

    「怒りをおそくする者は大いなる悟りがあり、気の短い者は愚かさをあらわす」。箴言14:29先日、ネットやテレビなどのニュースを賑わした立てこもり事件があり、警察官を含め4人が殺害されました。原因は自宅の前の取りすがりの人が話している言葉に怒り、銃を持ち出して殺してしまった。まことに愚かなことをしたと言うほかありません。一呼吸置けば、大事に至らなかったと思います。どんな怒りでも、いい事はありません。(KE)志賀高原渋峠より6月7日御言葉をあなたへ

  • 6月6日 御言葉をああたへ

    「人は自分の愚かさによって道につまずき、かえって心のうちに主をうらむ」。箴言19:3これは私たちがしばしば経験することです。自分の浅知恵によって事を起こし、失敗すると神様を恨む。これこそ逆恨みです。人は自分が蒔いたものを必ず刈り取ることになります。そのようなとき、素直に自らの浅はかさを認め、謙虚に悔い改めるなら、神様は損失を上回る祝福を与えてくださいます。(KE)志賀高原「のぞき」の手前6月6日御言葉をああたへ

  • 6月5日 御言葉をあなたへ

    「北風よ、起れ、南風よ、きたれ。わが園を吹いて、そのかおりを広く散らせ」。雅歌4:16人生には様々な試練や患難があります。多くの人々はそのような苦しみを少しでも少なくしたいと願いますが、思うようにはいきません。しかし、試練や患難と言われるものは人生の時間を無駄にするのではなく、むしろ、それらがあればこそ、受ける恩恵は計り知れません。梅の香りは厳しい寒風でこそ馥郁(ふくいく)と香るのです。(KE)しg志賀高原渋峠より6月5日御言葉をあなたへ

  • 6月4日 御言葉をあなたへ

    「人が自分で神々を造ることができましょうか。そういうものは神ではありません」。エレミヤ16:20例外なく、古来すべての民族、人々は「神」と称する超人的な力を有するものを求めて来ました。その大きな原因は人が弱さを感じ、自然の異常現象、噴火や地震、台風や豪雨による災害、疫病などに不安や恐れを抱き、対抗できないからです。その結果、神仏に縋ることで安心を得ようとします。そうである限り、不安や恐れの数だけ神々が必要となります。真の神様は人を造られたものであって、人によって神様が造られるのではありません。(KE)志賀高原渋峠から芳の平湿原を見る6月4日御言葉をあなたへ

  • 6月3日 御言葉をあなたへ

    「神に栄光を帰することをしなかったからである」。使徒12:23ツロとシドンの人々がヘロデ王の怒りに触れていたので、なんとかなだめようと、代表者がうちそろってやってきました。彼らは王様を褒め上げます。ヘロデ王は得意満面、有頂天になったとき、主の使いが彼を撃ち、瞬時に息が絶えたのです。なんと虫にかまれたのです。神様は小さな虫をも御使いとして用いられます。神様の前に高慢になり、高ぶったものになることこそ、悲劇の始まりです。(KE)志賀高原渋峠6月3日御言葉をあなたへ

  • 6月2日 御言葉をあなたへ

    「われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである」。使徒17:28a神様と私たちとの関係は、人と人との相対する関係のようなものではありません。神様は私たちよりもはるかに大きく、広い方です。その大きさ、長さ、高さをはかり知ることは出来ません。なぜなら、私たちがすでにその中に取り込まれているのです。宇宙という大空間に銀河系や地球、その他の無数の星があるように、神様の中に生きているのです。だから、神様から離れることは出来ないのです。(KE)志賀高原琵琶池入口6月2日御言葉をあなたへ

  • 6月1日 御言葉をあなたへ

    「人の怒りは、神の義を全うするものではないからである」。ヤコブ1:20人が怒る時、相手が間違っていると自分の正しさを主張している時です。その時、忘れているのは、事の良し悪しを裁かれる神様の存在です。私たちに求められているのは神様の裁きに委ねることです。理不尽な非難を受けようと、神様を見上げて、主のなされるわざを待ち望みましょう。(KE)志賀高原丸池6月1日御言葉をあなたへ

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