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  • 往生院金堂跡・ご歴代尊位並びに中世戦乱犠牲者御供養

    朝から往生院金堂跡へ、ご供養に赴いた。五輪塔の破片と思わしき石群を住職にも確認してもらい、加工の跡、断片等から間違いなく五輪塔の一部であるとして、幾つかを現在の歴代供養塔のところにお祀りして、今後供養していくことになった。一帯を掘れば、おそらくもっと断片も出てくるであろうが、大阪府史跡指定地、埋蔵文化財包蔵地であることから、勝手に掘ることは当然にできない。(地権者には、露出してある瓦、石等は資料として提供を頂ける許可を頂いている。)やはり、この五輪塔は、安助上人をはじめとした歴代尊位の供養塔であった可能性が高く、このことを(中興五代目・浄興和尚から)教えて頂いたのだと思われるのである。そして、このあたりは、金堂裏における墓域として、中世戦乱犠牲者方の埋葬、供養もされてあった場所だと考えられるのである。前回...往生院金堂跡・ご歴代尊位並びに中世戦乱犠牲者御供養

  • 閑院宮家の創設と美作後南朝の小倉宮家廃絶とは密接な繋がりがある

    先ほどのポストの湛如上人の室が、閑院宮直仁親王の長女・始宮であるが、この閑院宮家の創設には、実は、美作後南朝の小倉宮家廃絶とも密接な繋がりがあるのである。徳川幕府は、慶安事件、承応事件、明暦の大火を受けて、後南朝勢力の恐ろしさを目の当たりにしたことから、綱吉の代にての改易の嵐にて津山藩森家を筆頭として南朝勢力を徹底的に追い落とすと共に、いよいよ小倉宮家を廃絶させ、代わりに親幕府であった東山天皇の流れとなる閑院宮家を創って、没収した小倉宮家の財産をそのまま新しい宮家に充てたとされています。閑院宮家は、言わば幕府直属の宮家なのであり、以後、朝幕関係の緩衝を担うことになるのである。そのため、幕府により閑院宮家から天皇となった光格天皇、仁孝天皇、孝明天皇は、当然に親幕府よりであったわけです。結局のところ、維新派に...閑院宮家の創設と美作後南朝の小倉宮家廃絶とは密接な繋がりがある

  • 安助上人以降、江戸期(後中興)までの入寺の僧侶について

    明日に往生院金堂跡へ供養に赴くにあたって、慎重を期すために、お出ましになられた第五代とされる浄興さんについて資料等を改めて調べてみるが、もちろん、どこにもそのお名前は見当たらない。安助上人以降、江戸期までにおける寺史上にお名前のある方の位牌は、新しくして祀られあるのが四柱。安助上人、東福寺開山の円爾禅師(臨済宗往生院の整備来山)、夢窓疎石の弟子、黙庵禅師、そして、熊王丸こと正寛法師である。あとはこれも新しいものになるが、歴代を供養するための笠塔婆供養塔、宝篋印塔、五輪塔、どこを調べてもお名前はない。念のために江戸期の無縫塔、位牌も調べたが、もちろんない。ただ、先代は、正寛法師を中興第四世としている。ならば、その次の方となるのかもしれない。とにかく、正寛法師のあとの方になるとみてよいのだろう。とすれば、室町...安助上人以降、江戸期(後中興)までの入寺の僧侶について

  • 西本願寺・本願寺派16世・湛如上人の一説ご自害の裏について

    西本願寺・本願寺派16世・湛如上人の一説ご自害の裏についても、拙生は額面どおりには捉えていない。理由としては、皇家から降嫁(閑院宮直仁親王の長女・始宮)を受けているわけであり、その相手方である湛如上人を自害に追い込むことはあり得ないと思うのである。皇家に対する不敬にもなるわけで、門跡寺院でもあったのだから、尚、おかしいと思うのである。また、病気平癒を室が神祇祈願したためという理由だけで、日渓法霖和上・能化(勧学)が、室にではなく、門主に自害を勧めたというのもやや行き過ぎ感が否めない。日渓法霖和上・能化は、室を責めたが、その室の代わりに責めを負って、病気が重いこともあり、自らで自害したというのが本当のところではないだろうか。湛如上人に異安心があったとはやはり思われないのである。能化は室を責めたものの、門主が...西本願寺・本願寺派16世・湛如上人の一説ご自害の裏について

  • 御開山・安助上人以降、江戸期までの歴代尊位の供養について

    明日に往生院金堂跡へ供養に赴くにあたって、慎重を期すために、お出ましになられた第五代とされる浄興さんについて資料等を改めて調べてみるが、もちろん、どこにもそのお名前は見当たらない。安助上人以降、江戸期までにおける寺史上にお名前のある方の位牌は、新しくして祀られあるのが四柱。安助上人、東福寺開山の円爾禅師(臨済宗往生院の整備来山)、夢窓疎石の弟子、黙庵禅師、そして、熊王丸こと正寛法師である。あとはこれも新しいものになるが、歴代を供養するための笠塔婆供養塔、宝篋印塔、五輪塔、どこを調べてもお名前はない。念のために江戸期の無縫塔、位牌も調べたが、もちろんない。ただ、先代は、正寛法師を中興第四世としている。ならば、その次の方となるのかもしれない。とにかく、正寛法師のあとの方になるとみてよいのだろう。とすれば、室町...御開山・安助上人以降、江戸期までの歴代尊位の供養について

  • 南北朝時代以降、不可解な歴史のエアポケットには、間違いなく美作後南朝が至るところに絡んである

    ちなみに、「承応の変」で捕まった戸次一党の詮議においては、紀州藩(徳川頼宣)、尾張藩(徳川光友)、岡山藩(池田光政)、鳥取藩(池田光仲)と共謀して謀反を企てていたとして、特に池田光政を筆頭としての幕府転覆計画であったと暴露されているものの、証拠も不十分で、結局は徳川頼宣の蟄居継続以外、目立ったお咎めはなしとなっています。もちろん、この背後に美作後南朝朝廷の存在があることは容易に想像できるわけであります。池田光政が筆頭と挙げられたのも、何も偶然ではなく、池田光政が楠木家(正行)の子孫として、南朝方全体に認識されていたからであります。悲願の後南朝・高仁天皇の再即位(一回目の即位はもちろん歴史上から抹殺されている)へと向けた明らかな動きが、慶安の変、承応の変、明暦の大火であったわけです。このように色々とその痕跡...南北朝時代以降、不可解な歴史のエアポケットには、間違いなく美作後南朝が至るところに絡んである

  • 「慶安事件」・「承応事件」・「明暦の大火」と美作後南朝について

    由比正雪の乱後の残党による反乱蜂起が、「明暦の大火」であると述べたわけですが、もともとの未遂に終わった由比正雪の乱である「慶安事件」は、ただ浪人たちの不満による蜂起の未遂と、日本史で習うのが、まあ、普通なわけである。「明暦の大火」の歴史の謎について・由井正雪の残党たちによる反乱蜂起説https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/b09e1540fe4492e3fa8e23fb92eda29fしかし、由比正雪が橘姓を名乗り、楠木正辰創始の南木流軍学者で、南朝正統主張論者であったことまで習うことは、まずありません。そのため、背景を考えずに、ただ江戸に地方から集まった浪人の不平不満に応えて決起しただけと認識されてしまうのであります。しかし、実はそうではなく、美作後南朝の高仁天皇を天皇...「慶安事件」・「承応事件」・「明暦の大火」と美作後南朝について

  • 織田信長と本願寺、本能寺の変と南北朝の関係について

    少し前の考察から、私のところも南北朝時代、または室町時代に南朝方の武将が僧侶となって入寺されて、浄土真宗に改宗した寺院です、と複数の方から教えて頂いていた。やはりそんな寺院は、考察での推測どおりに案外多いのかもしれない。楠木家は、楠木正勝が本願寺派4世の善如から学びを受けているのは有名な話であり、本願寺派8世の蓮如の参謀であった浄賢は正勝の孫であったとも言われている。やはり、南朝勢力は生き残る術として、本願寺、浄土真宗に入り込むようになっていたとも言えるのである。河内において、楠木家の子孫が次々と浄土真宗の僧侶となって入寺したり、開山となったり、中興となったりしたのは、南朝の生き残りの一つの策であったのだろうとして考察したのが先の拙説だったが、河内以外でも多いとなれば、そういう向きが全国的にもあったのだろ...織田信長と本願寺、本能寺の変と南北朝の関係について

  • 「新しい領解文」問題に対しての浄土真宗他派の反応について

    浄土真宗は、特に近年のお東の大谷家お家騒動によることも新しいが、多くの分派がある。前に往生院関連年表でも示してあるとおりにいくつもの分派がある。http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/91065827.htmlしかし、不思議なのは、今回の西本願寺・本願寺派の「新しい領解文」問題に対して、明らかな異安心、異端になるにもかかわらず、お西の連枝方(親戚筋)もそうだが、他派の門主、門首、山主からの批判、忠告、諌言などの声が全く聞こえてこない。関心がないわけではないだろうが、不気味なほどである。他派不干渉の原則でもあるのだろうか?親鸞聖人の御教えが破壊されている、汚されてあるわけだから、黙ってられるわけもないとは思うのだが…まあ、元々は、特に江戸期となるが、本願...「新しい領解文」問題に対しての浄土真宗他派の反応について

  • 往生院金堂跡には、1/30に供養へと赴く予定

    往生院金堂跡には、1/30に供養へと赴く予定。この前のことから正直なところ恐怖心が強い。呼吸が浅くなり、意識も朦朧となり、あんなに恐ろしい目にあったのは、初めてのことだった。今まで霊感とか憑依とか、まあ、あまり自分には関係ないだろうとばかり思っていたが、マジかよ、という感じである。室町後期以降、元の地での再興がなされなかった理由もなんとなくわかる気がした。おそらく多くの戦乱横死者がそのままに眠ったままでもあるのだろう。そういえば、少し下ったところからも、南北朝時代、四条縄手の合戦における戦死者の遺骨や武具が大量に出土している。現在の霊光院さんのところであり、その経緯や慰霊碑が建てられている。http://www12.plala.or.jp/HOUJI/shiseki/newpage948.htmならば、本...往生院金堂跡には、1/30に供養へと赴く予定

  • 世俗の幸福を得ることが仏教の目的ではない

    世俗の幸福を得ることが仏教の目的ではない。仏教の目的は、出世間、勝義における悟り、涅槃を得ることであり、更に大乗仏教では衆生済度に資せるようになることである。浄土真宗も阿弥陀如来の往還相二種回向を当然に同じように捉えるわけである。しかし、新興宗教では、おおよそ、世俗的な幸福を得るためとして、その信仰、帰依、信心、勤めを勧める立場が多いが、仏教では逆に世俗的な幸福には真なる安らぎはないとして、出世間(解脱)の道を勧めるのである。もしも、本願寺代表役員、安永雄彦執行長が、世俗的な幸福を得るための目的として、教義を引いてきて使ってしまっていたとするならば、仏教的にも、浄土真宗的にも間違ったものであり、それこそ監正局に訴えられてしかるべきものとなるであろう。西本願寺・本願寺派は、かつて、異端として、小池龍之介氏を...世俗の幸福を得ることが仏教の目的ではない

  • 往生院金堂跡・歴代住職の墓域への供養と共に今後の向き合い方について

    とにかく、日を改めて、住職と共に、その歴代住職の墓域と思われるところへ供養に赴くと共に、五輪塔の一部と思わしき石の破片が、やはり五輪塔の一部であると確認できれば、現在の往生院の歴代のところに祀りて、毎月の供養を受けれるように調えるということで、話を進めることになった。いずれにしても、あの鬱蒼とした藪の中で、もう少なくとも五百年以上は、歴代尊位の供養としてのお経を、眠っておられるその場では頂けていなかったのは確かであるのだろう・・これまでの何度も赴いた調査の際でも、お経を上げずに、ただ調査だけをしていたのは本当に迂闊なことであった・・昨日も焼け焦げた瓦を手にとって、それを動画におさめていたが、いまだそのように兵火により焼け焦げたままの瓦や土塀がそのまま地面に残ってあるように、その場で亡くなった多くの者たちの...往生院金堂跡・歴代住職の墓域への供養と共に今後の向き合い方について

  • hasunoha問答・AIとの回答対比シリーズ・6

    hasunoha問答・AIとの回答対比シリーズ・6AIの回答、「慈悲」と「冥利」ということが、この文脈で出てくるのは、生身の人ではなかなか無理な気もする。そういう点では面白いが、やはり説得力としてはやや方向性が違うような気もする。「因果の教えと向き合う契機」とするのは、もちろんそのとおりなのではないかとは思う。質問「悪人は地獄で必ず裁かれますか?」https://hasunoha.jp/ai/q/15a98402d96426b8AIによる回答ご相談いただきありがとうございます。お考えになっていることについて心を開いていただけたこと、大変ありがたく思います。仏教における地獄という概念は、人がこの世で行った行いによって次の世で受けるとされる報いを象徴する教えですが、それは単なる報復や罰というよりは、因果の教え...hasunoha問答・AIとの回答対比シリーズ・6

  • 往生院金堂跡・探索動画

    これは往生院金堂跡に着いてからすぐに撮った動画。散在している瓦について述べている。まだまだ普通で、これから30分ほどしてから、あの事態となるのである、、・・これは往生院金堂跡の史跡指定の石碑。大阪府指定。まだ、到着してまもない時。もちろん元気。・・金堂跡の下で菜園をされている方々にもチラシを渡して協力を頂こうと考えていたが、配る前に退却となったものの、別の意味でもう教えてもらえたため全く必要なくなったのはよかった…・・今朝に往生院金堂跡に久しぶりに行ってきた。地権者にも了承をもらっており、その目的は、平安時代に往生院を創建された安助上人のお墓、供養塔が必ず山内にあったはずでありながら、いまだ分からないままであり、そのおおよそのことを調べるために行ったのである。色々なお寺に行っていることから、だいたい歴代の...往生院金堂跡・探索動画

  • 往生院金堂跡に平安時代、往生院を創建された安助上人のお墓、供養塔を探しに行ったら・・

    今朝に往生院金堂跡に久しぶりに行ってきた。地権者にも了承をもらっており、その目的は、平安時代に往生院を創建された安助上人のお墓、供養塔が必ず山内にあったはずでありながら、いまだ分からないままであり、そのおおよそのことを調べるために行ったのである。色々なお寺に行っていることから、だいたい歴代の住職のお墓はここになるのではないかとの勘がつくため、そのお墓や供養塔が建てられてあったそうなところを隈なく調べていた。しばらく回って調べるうちに、金堂跡裏手の南側の藪に入ったと同時に、体が重くなり、寒気と震え、めまいがして、もうろうとなり、ふらふらで立っておれなくなった…もうダメだとして、とにかく下山、ふらふらになりながら、転げ落ちるようにして帰ってきて、寺務所前で倒れた…息が浅く、意識も朦朧、驚いて出てきた妻の介抱に...往生院金堂跡に平安時代、往生院を創建された安助上人のお墓、供養塔を探しに行ったら・・

  • 「明暦の大火」の歴史の謎について・由井正雪の残党たちによる反乱蜂起説

    もちろん、拙生、「新しい領解文」についてだけを考察しているわけではない。並行して美作後南朝史、宮沢賢治父子にない堂参詣説についても研究継続しています。さて・・この「明暦の大火」の歴史の謎であるが、少し前に美作後南朝史について考察している中で、旧美作藩・津山総鎮守として知られている徳守神社の由来についてhttps://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/e9c36f8bede3c1e87edeb06c056d5a9d「・・また、徳川紀伊家の初代となる徳川頼宣(徳川家康の十男)も松平忠輝同様に後南朝・高仁天皇の支持者であったとされ、家光以降の南朝勢力に対しての冷遇策への反発心があったと言われており、由比正雪の乱である「慶安の変」への関与も疑われることになります。(由比正雪の乱の背景には、...「明暦の大火」の歴史の謎について・由井正雪の残党たちによる反乱蜂起説

  • 簡単に述べる満井論文の間違い

    もっと簡単に満井論の間違いを教えて下さいとのことですが、一切が空であることを根拠として、全ては無分別であり、一如、同じだ、として、悟りも煩悩も、仏陀も凡夫も一如、同じだ、と述べているということであり、これは本覚思想以前の問題で、要は、「悪取空見」の典型的な論であるわけです。後期中観思想の仏教認識論から拙生は反論を述べさせて頂いたわけですが、これは、単に、仏教における「空」、「縁起」、「中観」をちゃんと学んでいない、理解していない証左となるもので、大変に恥ずかしいと言えるわけです。日常的な例えで簡単に言うと、赤信号も青信号も、空で一如、無分別、同じだとして、信号における世俗的な意味合い、ありよう、あり方をも無視して、交差点に突っ込むようなことと同じであるわけです。当然に命を落とす愚かな行為になるわけです。そ...簡単に述べる満井論文の間違い

  • 満井秀城勧学が桂紹隆氏の晩節を汚させてしまった罪も重い・・

    しかし、満井秀城勧学が、論文『なぜ「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」なのか』において、その暴論の論理的根拠を補完するために、桂紹隆氏に頼ったのも間違いである。桂紹隆氏は中観の専門ではない。論理学の専門であるが、それも自立論証派、瑜伽行中観派よりで、後期中観思想は弱いのである。そのため、問題の本質に気づけずに、このような論文に協力してしまったのだろう・・本件により、研究者として大きく評価を下げることになり、迷惑千万な話になったと、あとからきっと後悔されるだろう・・同じ広大の先生なら根本裕史氏に頼めばこのようなことは防げて、間違いを指摘してもらえたはずなのに・・桂紹隆氏の晩節を汚させてしまう迷惑な話にもなり、誠に情けないことである。満井秀城勧学が桂紹隆氏の晩節を汚させてしまった罪も重い・・

  • もう何だか哀れでかわいそうになる満井論文・・

    拙生の親鸞思想、浄土真宗教学の研究は、もちろん、中観思想、唯識思想の基本、仏教認識論、仏教論理学の基本から行ってきたものである。この基本視点から、親鸞聖人の往還相の二種回向、法性方便の二種法身の思想を鑑みていく作業となっていた。ある一定まできていたところで、この「新しい領解文」の問題に関わることになり、すっかりと逸れてしまったのであるが、ここで意外にも戻ることになったのは、ある意味では怪我の功名ではある。しかし、まさかここまで仮にも勧学であり、今年の与奪者であり、研究所の所長との肩書まである方が、仏教の基本的なことさえ知らない?理解できていない?とは、正直、思わなかった。これでは議論にもならないし、「議論の余地がない」などと強気に論文でよく述べれたものだと逆に感心する・・いや、むしろ今日的な西本願寺・本願...もう何だか哀れでかわいそうになる満井論文・・

  • 論文『なぜ「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」なのか』/ 満井秀城氏(勧学・浄土真宗本願寺派(西本願寺)総合研究所所長)への反論について

    反論文をお願いしますと言われたが、私は、正式な研究者でもないし、学術学会員でもなく、どの学会にも属していない。また、「議論の余地はない」と、念押しして述べてある時点で、呆れてその気も無くなるレベルでさえある。先に示した満井秀城勧学(与奪者)の改悔批判における『「私の煩悩と仏のさとりは本来ひとつ」は、生死即涅槃の法義です。仏智見から見れば自他一如として、仏と衆生と隔てるものはありません。それを凡夫の分別心が両者を隔絶してしまうのです。』の主張に対しての拙反論のあれだけで、もう十分にお腹いっぱいという感じでもある。。要は、論文における下記に対して反論するだけで、もう十分ということである。『・・これを私は約仏の視点として説明して来た。約仏の視点としての「生死即涅槃」とは、仏の眼からご覧になれば「自他一如」として...論文『なぜ「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」なのか』/満井秀城氏(勧学・浄土真宗本願寺派(西本願寺)総合研究所所長)への反論について

  • 仏教認識論の基本となる「凡夫と阿羅漢と仏陀の認識のあり方」についての対比

    この表のより詳しい説明をということで・・これは、仏教認識論の基本となる「凡夫と阿羅漢と仏陀の認識のあり方」についての対比である。「真実執着」は、本来、一切は「空性」なるにもかかわらず、まるであたかも実体として成立してあるかの如くに顕れてきているモノ・コトを、実体としてあるかのように囚われてしまうありようを示す言葉である。間違った捉え方であるため、「迷乱知」、「転倒知」とも言うわけです。「虚偽の現れ」とは、あたかも実体として成立してあるかの如くの現れのことになります。もちろん、本来は「空性」であるため、その現れは間違ったもの、偽のものとなるわけです。その間違った現れ、偽の現れに囚われることになるから、迷乱知、転倒知となるわけです。真実執着の原因は、「煩悩障」となります。間違った現れ、偽の現れを正しい現れ、本...仏教認識論の基本となる「凡夫と阿羅漢と仏陀の認識のあり方」についての対比

  • 扶桑社『歎異抄なぞり書き』、親鸞会の現代語訳を依用とか・・

    扶桑社『歎異抄なぞり書き』、親鸞会の現代語訳を依用とか・・勧学、総局、本願寺代表役員も、あぁ、そもそも門主もか、、一から仏教、浄土真宗を学び直すべきですね、、2023年3月に安永雄彦本願寺派執行長の名で、扶桑社より『歎異抄なぞり書き』が発行されました。「無碍の一道」を「絶対の幸福者」と訳してあります。この現代語訳は、親鸞会のホームページを参考にして、用いています。比べると、本願寺派『現代語版聖典』ではなく、親鸞会の現代語訳を用いたことがわかります。いまの本願寺派は、内局も総局も、本派の教義理解に乏しい方が動かしており、研鑽せねばまた大きな問題を生みます。監修とはいえ、「本願寺執行長」の名で出す本ではありません。また、本願寺派聖典『歎異抄』の底本は「本派本願寺蔵蓮如上人書写本」です。故に、本願寺派『註釈版聖...扶桑社『歎異抄なぞり書き』、親鸞会の現代語訳を依用とか・・

  • 凡夫、阿羅漢、仏陀、それぞれの認識のあり方について

    懐かしい表を探し出してきた・・実のところ、仏陀の如量知も如実知も、その知に違いはない。空性を現量に了解しながらに、世俗のこともご覧になられるということを、世俗の側から一応、便宜的に述べてあるだけである。先日の「真実執着の戯論」とは、この表では「虚偽の顕れ」のことになる。第八地以上の菩薩でも、モノ・コトは、まるであたかも実体として成立してあるかの如くに顕れてくるのである。所知障を断滅するまで、これはどうしょうもない。でも、空性の理解が十分であるため、煩悩は生じず、業も汚されないのである。だから輪廻からも解脱しているのである。この表のように、凡夫、阿羅漢、仏陀と、認識は歴然と異なっているのである。それが、悟りと煩悩は、空性を本質として同じ(一如)だからと言っても、はたらきやあり方が同じになるわけでは全くないの...凡夫、阿羅漢、仏陀、それぞれの認識のあり方について

  • 満井秀城勧学より『なぜ「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」なのか』が発表されたらしいが・・

    おぉー先日の投稿、タイムリーだったか。。まあ、中身は見なくても、それは改悔批判での解説でおおよそわかる。どうせ間違っているであろう。満井秀城勧学、一から仏教を学び直すべきであろう。・・「新しい領解文」を誤解のないように読むには勧学寮の解説とセットで読むことが推奨されていますが、それでも疑義が生じていることに対して、宗派の学習会で講義を担当している満井秀城勧学より『なぜ「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」なのか』が発表されました。1月17日に行われた滋賀教区の学習会より配布されています。今後は「新しい領解文」+「勧学寮の解説」+『なぜ「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」なのか』をセットで拝読することが推奨されます。合わせて14,000文字を超え、仏説無量寿経に匹敵します。https://note.com...満井秀城勧学より『なぜ「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」なのか』が発表されたらしいが・・

  • 「真実執着の戯論」について

    昨日に紹介の論文での「真実執着の戯論」について詳しく教えてほしいとのことですが、まず、「真実執着」とは、「(倶生)諦執(たいしゅう)」とも言いますが、顕れに囚われてしまうという意味合いとなります。簡単には、モノ・コトが、あたかもそれぞれ実体として成立してあるかの如くに顕れており、要は、凡夫によりアレ・コレ・ソレと分別されてしまうものとして顕れてきてしまっているということで、それを「真実執着の戯論」と言うわけであります。この「真実執着の戯論」の顕れは、第八地以上の菩薩や輪廻から解脱した聖者にもまだ顕れてきてしまっているものとなりますが、既に空性については、相当なレベルまで了解しているため、その顕れに対して囚われて迷い苦しむことはなく、また、業が汚されることもないものとなります。業が汚されることがないわけです...「真実執着の戯論」について

  • 改悔批判での満井勧学の間違い

    「私の煩悩と仏のさとりは本来ひとつ」は、生死即涅槃の法義です。仏智見から見れば自他一如として、仏と衆生と隔てるものはありません。それを凡夫の分別心が両者を隔絶してしまうのです。満井勧学のこの説明は、当然に苦しい。仏智見は、単純に、自他一如と観るわけではない。仏智見とは、一切は空性として如実に直観知する仏陀による見方のことである。確かに、空性としては、一切、自他共に一如ではある。つまり、悟りも煩悩も当然に空性を本質としているということは同じではあるが、それで、悟りと煩悩が同じとはもちろん言えないのである。はたらきがまるで違うし、煩悩があるならば、まず迷い苦しみは無くならないし、空性を了解すること自体も、そもそも難しいのである。また、凡夫の分別心が、悟りと煩悩を分けるわけではない。悟りと煩悩を分けるのは、空性...改悔批判での満井勧学の間違い

  • さっさと取り下げ、撤回すべき「新しい領解文」

    HeugeMonとは、あなたですかと、これまでDMに問い合わせをそこそこに頂いていましたが、もちろん、私ではありません。似た憂いを持っているのは互いに共通しているところもあるかとは思いますが・・互いに意見交換したりとかも全くありませんし、誰かも全く知りません。今回の門主の親教では、「新しい領解文」に関しての言及が無かったのは良かったのだが、これまであれだけ「意向」を強く示していたのに、全く言及がなかったというのは、ある意味で、「梯子外し」ではないかと、どなたかがおっしゃっていたが、どこか自身の責任を感ずるところも、やはりあったのではないかとは思われるのである。もちろん、一連の混乱の責任を取って自主退任までする気もさらさらないでしょうし、本件への関与は今後、フェイドアウトしていくのではないかとは思うのであり...さっさと取り下げ、撤回すべき「新しい領解文」

  • 「改悔批判(がいけひはん)」批判

    「御頭人(おとうにん)、御頭人」と呼ばれて集まる初夜勤行の式衆たちが、お勤め後の改悔批判(がいけひはん)において、領解出言(りょうげしゅつごん)では、本来の領解文を唱和するが、領解解説の後半においては、式衆僧侶であれば、皆、異安心と知り、分かっているにもかかわらずに、「新しい領解文」をまるでロボットのように異口同音に唱和しているのを観て、あぁ、まるでカルト集団のようだな・・と空恐ろしくになった・・まあ、もちろん、もともと、それぞれの人には、それぞれでの領解が多少なりとも違ってあるはずで、本来の領解文を異口同音に唱和するというのも、正直、どうかとも思うのではある。要は、ただの形式的な儀礼となってしまっているということなのであろう・・もともとは、個々人が、それぞれの領解を与奪者、勧学の前で披見して、その領解の...「改悔批判(がいけひはん)」批判

  • 改悔批判での「新しい領解文」使用を受けて、とある文書を加筆修正

    この度の御正忌報恩講・改悔批判での「新しい領解文」使用を受けて、とある文書に加筆修正した・・いずれにしても「新しい領解文」の件に関して、拙生としては、あとは、西本願寺・本願寺派における修正力、自浄作用に期待するしかなく、ひとまずはここまでとして、引き続き親鸞思想・浄土真宗教学の研究に戻りたいと思います・・・・また、昨今の親教では、先の戦時におけるその時代や社会に迎合して、戦争に賛成し、積極的に加担するために教えを歪めた反省を述べながらにも、結局、今の時代や社会に応じて、教え(救いのよろこび、念仏者の生き方、私たちのちかい、浄土真宗のみ教え、新しい領解文)を変え、調えていくというまさに矛盾したあり方について、自らそれを露呈するところにもなってしまっています。とにかく、新しい領解文に至るまでの一連の流れ(救い...改悔批判での「新しい領解文」使用を受けて、とある文書を加筆修正

  • 親鸞聖人に誠に申し訳なくに・・

    結局、御正忌報恩講・改悔批判においての「新しい領解文」使用を止めることはできなかった。ものの見事に、仏教でもなく、浄土真宗でもない教えが、教義のど真ん中に居座ることになったのである・・親鸞聖人に誠に申し訳なくに存じるところでございます・・拙生としては、詳しくには言えないのではあるが、昨年12月中頃に、それなりにやれるできる限りの最後のことはやれたつもりである。修正力、自浄作用が働くかどうかは、西本願寺・本願寺派次第のところであり、もはやこれ以上、どうしようもできないのである。あとは、末寺、僧侶、門信徒が、仏教でもなく、浄土真宗でもない教えをもとに、あれしろ、これしろと色々と思想操作、行動操作をされて、本山、宗門の都合のいいように利用され、本山、宗門の経済的生存のためだけに搾取され続けないことを祈るのである...親鸞聖人に誠に申し訳なくに・・

  • 西本願寺・本願寺派が、「浄土真宗」では無くなった日

    注目であった西本願寺・本願寺派、御正忌報恩講法要・9日逮夜初夜の「改悔批判」。出言領解は旧領解文であったが、結局、「新しい領解文」についての参照、依用、そして、唱和もあり、これで、西本願寺・本願寺派は、ついに「浄土真宗」では無くなったと言えるであろう・・親鸞聖人の御顔に大きく泥を塗った。なんとも哀れなることである。西本願寺・本願寺派が、「浄土真宗」では無くなった日

  • 河内ふるさと文化誌「若楠・わかくす」の定期購読について

    河内ふるさと文化誌「若楠・わかくす」を購読したいとのお申し出を複数のお方から頂いておりますので、改めて・・年間定期購読して頂ける場合(文化誌の存続は、貴重となる地域文化資源の保護・支援にもなります)・・定期購読は年2,000円で、春と秋に郵送して送られてくることになります。郵便局のどこの窓口にもある「振込取扱票」(青、赤のどちらでも構いません。青であれば手数料自己負担になります。できれば青でお願い致します)に、口座記号・口座番号に、「00970=5=121295(口座番号は右詰め)」、加入者名に、「わかくす文芸研究会」と、受領証の方にも同じくそれぞれに書いて頂き、通信欄には、「定期購読会員」と書いて、下の欄の郵便番号、住所、お名前、電話を書いて、2,000円を送金して頂けましたらと存じます。それで、次号か...河内ふるさと文化誌「若楠・わかくす」の定期購読について

  • 浄土門における浄土真宗と他宗との相違について

    異安心の「新しい領解文」のせいで、すっかりと忘れてしまっていたが、この問答を回答する中で、そう言えば浄土真宗教学におけるどのあたりについて考究していたのかを久しぶりに思い出した・・もう一年ほど前で止まってしまっていたわけである・・問い「浄土について」https://hasunoha.jp/questions/69131拙回答浄土門における浄土真宗と他宗との相違について浄土真宗の教義においては、機と法の二種深信を信心の面において重視するため、煩悩具足の凡夫のままにて救われるありようを考えることが大切となります。悩みや恐怖、不安は、やはりそう簡単には無くならないし、無くせないものであり、煩悩によって善い行いも成せない、成し得ない(雑善、雑毒の善)と自覚することも必要となります。一方で、自力聖道門では、そうでは...浄土門における浄土真宗と他宗との相違について

  • hasunoha問答・AI回答との比較シリーズ・5

    hasunoha問答・AI回答との比較シリーズ・5AIは、問題を単純化して個人の業と震災とを結びつけることは真っ向から否定していますね。個人の業と震災は結びつかなくとも、「共業」と震災についてどう考えるかまでは、AIは言及しておらず、まあ、それも妥当なことであるかとは思われます。とにかく業の問題は難しいのであります・・「今この瞬間からできること、一歩ずつ前に進むことに集中されると良いでしょう」というのは、拙生とも同じような回答でありますが、できること、進むこと、集中することの取り組むべき中身が無いのが残念な点であります。問い「震災の被害に遭うのも因果応報、業の報いによるものですか?」https://hasunoha.jp/ai/q/96b1f1373455371bAIによる回答お相談いただきまして、ありが...hasunoha問答・AI回答との比較シリーズ・5

  • 最近の美作後南朝関連の考察まとめ

    最近の美作後南朝関連の考察まとめ・・・自分でも今どのあたりを調べてるのかがわからなくなってきた、、旧美作藩・津山総鎮守として知られている徳守神社の由来についてhttps://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/e9c36f8bede3c1e87edeb06c056d5a9d後水尾天皇から後南朝・美作植月朝廷の小倉宮・高仁親王への譲位についての考察https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/252c13df87fcf21cdbda1c2f988a763f禁闕(きんけつ)の変について通説と美作後南朝史との対比検討https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/fbe1b771cf6958f904104b58192c9e1a長禄の変に...最近の美作後南朝関連の考察まとめ

  • 旧美作藩・津山総鎮守として知られている徳守神社の由来について

    岡山県の旧美作藩・津山総鎮守として知られている徳守神社。この徳守の社号の由来も、江戸幕府による後南朝断滅策の中で消された歴史の一つである。現代では由緒において下記のように、微かに触れられているだけとなっている。「徳守」の社号は勅使として参向した清閑寺大納言藤原徳守の名に因むといわれるが定かではない。https://www.tokumori.or.jp/history.html勅使とは、天皇の命令を伝える使者であるが、では、どの天皇による、どのような命令であるのかということである。時の天皇は、後陽成天皇であり、後南朝後胤である植月朝廷の詳細について調べるための勅使を、実は遣わしていたのであり、それが、藤原徳守であったのであります。なぜ、後陽成天皇は、この植月朝廷の小倉宮家について調べることになったのか。この...旧美作藩・津山総鎮守として知られている徳守神社の由来について

  • 南北朝時代・楠木家の子孫が河内の浄土真宗寺院の僧侶となった者が多いのは何故か

    南北朝時代・楠木家の子孫が河内の浄土真宗寺院の僧侶となった者が多いのは何故か前回・・宗良親王・尹良親王・井伊家・大橋家・川口家・織田家・徳川家についての一考察http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/91872871.htmlこれまでの一考察集・・http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/91076974.html関連年表・・http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/91065827.html中世以来、時の権力による弾圧、粛清、逆賊狩りから逃れるために、姓を変えて別の氏族に養子に入ったり、あるいは、出家・得度して僧侶となって寺院に入ったりすることは珍し...南北朝時代・楠木家の子孫が河内の浄土真宗寺院の僧侶となった者が多いのは何故か

  • 【往復書簡】『新しい領解文』は浄土真宗ではない!?

    これは、門主に問題があることを暗に示しており、だから仕方ないと捉えられかねない回答になるのでは、、門主異安心を直入に指摘できないで、勧学として情けないとは思わないのであろうか。むしろ、それが本来の役割であろうに。同じことは有志の会の勧学にも言えることであるが、、すっかりポシャったままである。頼りない、、【往復書簡】『新しい領解文』は浄土真宗ではない!?

  • お話にならない・・

    岡本法治先生がお越しになられた際に、パラパラとしか前総長の著書は見ていませんが、空、縁起の中観理解も稚拙であり、誠にお粗末すぎるのであります…まともに仏教も、ましてや浄土真宗すらも学んでいないのではないかと思われても仕方がなく、まったく話にならないのであります、、お話にならない・・

  • 六字真言が、日本では、あまり馴染みのない真言であるのは、どうしてなのか

    では、六字真言(六字大明呪)・オンマニペメフン(唵嘛呢叭咪吽)が、日本では、あまり馴染みのない真言であるのは、どうしてなのか、ということですが、確かにチベット圏であれば、マニ石に刻まれていたるところに見られ、日常挨拶ほどのものとなっていますが、日本ではあまり一般的に広がっていない、ほとんど誰も知らないと思われるでしょう。しかし、実のところ、意外にも平安時代中期の真言宗小野流の淳祐(菅原道真の孫)によって「六字経法」が調えられ、以来、醍醐寺(派)において六字明王を曼荼羅本尊(六字経曼荼羅)としての修法が確立され、やがてすぐに天台宗でも取り入れられていくことになるのであります。その六字明王の真言が、「オンマニペメフン(唵嘛呢叭咪吽)」であります。ところが、日本でその真言咒として取り上げられたのが「佉智佉住佉毘...六字真言が、日本では、あまり馴染みのない真言であるのは、どうしてなのか

  • 真宗教義と災害救助、支援活動、ボランティア活動のあり方について

    真宗教義と災害救助、支援活動、ボランティア活動は明確に分けて行うべきであり、教義の中に入れ込んでやろうとするから、おかしなことになっているのでしょう。また、おかしいため、混乱、硬直化を招いていると思うのでもあります。何も支援活動、ボランティア活動をしなくていい、教義とは関係ないからやるな、というわけでは全くなく、大いにやるべきであり、やれるだけの資金、人材、組織を充てれるのは、本山であるからできることでもあり、そういった部署(社会部・災害対策担当、特別部門[災害対策本部・復興支援]の即時スライド化)もあるのだから、当然にお東のように迅速に動けば良いのであります。特に門主は親教等であれだけボランティアしよう、しないといけないと言っているのであるのだから、すぐ現地に飛んで、泊まり込みで泥だらけになり率先してボ...真宗教義と災害救助、支援活動、ボランティア活動のあり方について

  • 六字真言(六字大明呪)・オンマニペメフン(唵嘛呢叭咪吽)と南無阿弥陀佛・称名念仏

    六字真言(六字大明呪)・オンマニペメフン(唵嘛呢叭咪吽)は、観音菩薩真髄ご真言として、チベット、中国、韓国では有名ですが、どうして、六字真言の彫られた石碑のFacebook投稿のコメント欄では、「南無阿弥陀佛」と、多くの方がコメントされているのですが、どうしてですか、という質問を頂いた。まあ、確かに普通で考えれば、「南無観世音菩薩」や「オンアロリキャソワカ」となるのであろうが、観音菩薩の師匠、本師は阿弥陀如来であり、基本的には、浄土教の密教的要素の強い真言として、真言の一番の目的が、極楽浄土への往生の功徳として、観音菩薩の救済の利益も極楽往生のためへと向けたものとして解されるところとなり、六字真言に対してのコメント欄では、「南無阿弥陀佛」の称名念仏になると考えられるのである。また、六字真言による観音菩薩の...六字真言(六字大明呪)・オンマニペメフン(唵嘛呢叭咪吽)と南無阿弥陀佛・称名念仏

  • 門松は冥土の旅の一里塚…

    門松は冥土の旅の一里塚…昨日の能登地震のこともあり、年末年始であっという間に全部出てしまった観音菩薩さま御札の薫香祈祷と共に、般若心経、世尊偈、大悲呪、消災呪、楞厳呪、消災呪、楞厳呪普回向、祈祷回向、戦災災害物故者供養回向、能登地震犠牲者供養回向、オンアロリキャソワカ、オンマニペメフン、オンタレトゥタレトレソハー、合掌御札は有り難いことに累計でもう1万枚以上になりました。皆、無いと落胆されるため、急遽にお勤め、薫香いたしました。パウチは調達できずにハダカのままになりますが、ご容赦下さいませ。門松は冥土の旅の一里塚…

  • 國界安寧兵革銷

    年越法要は、例年とは異なり、楞厳呪を三巻に変更した。ウクライナ、ガザと戦争がいまだ続いている。楞厳呪の普回向には、「國界安寧兵革銷」がある。平和を願い、兵士・武器を無くすとの意である。合掌國界安寧兵革銷

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