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  • 「新しい領解文」問題における思想扇動(思想操作)・運動扇動(行動操作)の意図についてついて

    林遊さんの「・・何故このような令和の新作領解文騒動が起こったかといへば、浄土真宗の中に「運動論」を持ち込んだ為であった。あらゆる場ですべての人に唱和させようといふ企図は、スローガン(団体や運動の主義・主張を、言い表した語句。標語)によって大衆(門徒)に行動を扇動する左派の運動論である・・」新しい領解文に至るまでの一連の流れへと至る思想(救いのよろこび、念仏者の生き方、私たちのちかい、浄土真宗のみ教え)、そして、「新しい領解文」によって、積極的に門信徒・念仏者のあり方を型にはめて、規定し、強制していくようなものを次々に出してきた理由の一つが、このまさに「大衆(門徒)扇動の運動論」であるとも言えるのでしょう。先にも述べられてあったように「社会参画型の宗教として、その末寺や門徒を搾取しての経済的生存を計る」とい...「新しい領解文」問題における思想扇動(思想操作)・運動扇動(行動操作)の意図についてついて

  • ダライ・ラマ法王猊下・2023年ブッダガヤの法話会 『法界讃』と文殊菩薩の灌頂授与

    御年88歳でこの法話と灌頂・・世の90近い方ができるような事業ではない・・2023年ブッダガヤの法話会『法界讃』と文殊菩薩の灌頂授与https://youtu.be/GbeVWetLfuc?feature=shared口自在たる慧蔵にて至善なる勝者流の、教誨の真髄を持す比類なき御方、無数なる勝者の海を凝集せし御身に祈願せん。最上と共通の悉地を給わんことを。ダライ・ラマ14世ガクワン・ロサン・テンジン・ギャツォ猊下に最敬礼申し上げます。合掌「偉大なる第十四世の長寿を祈願する如意自在王〔経〕」『14人のダライ・ラマ』下(2006年)グレン・H.ムリン氏(原著),田崎國彦氏(翻訳),クンチョック・シタル師(翻訳),渡邉郁子氏(翻訳)春秋社・p379-394参照ダライ・ラマ14世法王猊下・初代摂政ラデン・トゥルク...ダライ・ラマ法王猊下・2023年ブッダガヤの法話会『法界讃』と文殊菩薩の灌頂授与

  • 新しい領解文に至るまでの一連の流れの思想の目的の一つには

    林遊さんコメント・・「浄土真宗本願寺派は、社会参画型の宗教として、その末寺や門徒を搾取する経済的生存を計りたいのでしょう。」新しい領解文に至るまでの一連の流れ(救いのよろこび、念仏者の生き方、私たちのちかい、浄土真宗のみ教え)、そして、「新しい領解文」にて、積極的に門信徒・念仏者のあり方を型にはめて、規定し、強制していくようなものを次々に出してきた理由の一つが上記のことでもあるのでしょう・・この社会的事業、この社会活動をするから、半強制的に手伝いなさい(動員・奉仕・ボランティア)、寄付しなさい(予算・財源・資金)ということの狙いもあるのだろう・・新しい領解文に至るまでの一連の流れの思想の目的の一つには

  • 一年振り返り・4・WEST.桐山照史さんが滝行に来山

    一年振り返り・4WEST.桐山照史さんが滝行に来山されました。ほんの近くが実家で、地元で厄払いしたいとのことからお声掛けを頂きました。WEST.【緊急企画!疫病神は誰だ!!!!!!】来年の10周年は気持ちよく迎えたいhttps://youtu.be/n5hXJBkHVpA?si=PmgJYmRSrG9KcNAC本年は会社全体、グループ全体が大変な苦境、逆境に立たされることになったのは周知のこと。少しでも来年が、この苦境、逆境を超えての飛躍の歳へとするきっかけとなれば有り難いことでございます。動画での滝行のシーンは少ないですが、終始礼儀正しく、全行程一時間、本堂・役行者前での法話、お勤め、そして、山内道中の掛け念仏、滝・不動尊前でのお勤め、滝行と全て真剣に取り組まれました。滝行も動画では撮影された部分だけと...一年振り返り・4・WEST.桐山照史さんが滝行に来山

  • 一年振り返り・3・西本願寺・本願寺派の慶讃法要初日に御影堂外陣外から「新しい領解文」に対しての抗議の歌

    一年振り返り・3春彼岸が終わって疲れが癒える間もない3月29日、西本願寺・本願寺派の慶讃法要初日に御影堂外陣外から、異安心の「新しい領解文」に対しての抗議の意で歌を掲げた。歌は、宗会議員さんから安永執行長に渡ったことは確認しているが、それが門主に渡ったかどうかは今も分からないままである。親鸞思想・浄土真宗教学を本格的に研究し始めて一年ほどが経った時に、この問題に対して質問されたことから、この「新しい領解文」に対しての取り組みが始まった。以後、関連考察、関連投稿も多数に上っている。しかし、この問題の解決は遅々としてほとんど進んでいない。原因は、門主・総局の異安心、勧学寮・監正局の機能不全にある・・このままでは年明け早々の御正忌報恩講の改悔批判が、この異安心である「新しい領解文」で行われるとしたら、もう本当に...一年振り返り・3・西本願寺・本願寺派の慶讃法要初日に御影堂外陣外から「新しい領解文」に対しての抗議の歌

  • 勧学寮、監正局の長年の機能不全が招いたもの

    信楽派?石泉派?まあ、いずれにしても前述のとおりに宗祖の信心、念仏の教えとは乖離が著しくなってしまっているのは明らかなことである。これには、異安心、宗門風紀の乱れを糺すべき勧学寮、監正局が長年にわたり機能不全に陥り、この事態を看過していたのも問題であるのだろう。もちろん、人事権を掌握されての問題もあるのだろうが、、(総局が総局に都合のよい者を選任任命する)しかし、厚顔無恥の金魚のフンを晒しながら、更に異安心さまで暴走を始めるとか、チェックが何もはたらかず、やりたい放題になり、これはマジで終わってるな…https://www.facebook.com/groups/4239983176033867/permalink/7238206432878178/勧学寮、監正局の長年の機能不全が招いたもの

  • 一年振り返り・2・歴史考証「親鸞聖人自作像」

    一年振り返り・2お寺の歴史を再考証していくきっかけがあり、これまで空白だった歴史が相当に埋まったこと。また、川口家の先祖についても遡るきっかけとなった。それが、あるボランティアガイドさんから聞かれた石碑道標にある「親鸞聖人自作像」のことについて。親鸞聖人と往生院との関係性が、九条兼実、玉日姫と往生院との関係性から明らかとなりました。坐像については、専門家鑑定では、本体は中世であり、三度の修繕跡、頭もすげ替えられてしまっているが、年代的には自作由来も可能性があり、考証をさらに進めて参ります。更に、いくつかの本堂安置物の由来の調査もこれから続きます。特にその中でも「法然聖人三日月の御影」は、かなりオリジナルに近いものと確信するものであり、今後の調査進展が待ち遠しくあります。それぞれの考証については、河内ふるさ...一年振り返り・2・歴史考証「親鸞聖人自作像」

  • 一年振り返り・東京2020オリンピック・空手・男子形出場のワエル・シュエブさん

    一年振り返り。今年、最も印象にあったのが、3月にドキュメンタリー映画の撮影で来られた東京2020オリンピック・空手・男子形出場のワエル・シュエブさん。祖国・シリアを思いながらにも難民として過ごす日々の葛藤を描く長期取材ドキュメンタリーで、映画化はまだまだ先ながら、日本で自分を見つめ直す旅の途中にて当山に寄られることになりました。仏様の前での祖国、平和への祈りと共に、仏教の法話、滝行などに勤めさせて頂きました。クルー皆さん、本当に純粋で熱意があり、美しい方たちでありました。映画が楽しみです。ワエル・シュエブ選手(シリア・難民選手団)東京2020オリンピック・空手・男子形・11位シリアの繊維工場で働きながら、格闘技のコーチとして、またシリアナショナルチームの選手としても結果を残していたが、2015年、戦火から...一年振り返り・東京2020オリンピック・空手・男子形出場のワエル・シュエブさん

  • 「新しい領解文」の問題点指摘X投稿

    「新しい領解文」の問題点について、Xで11項目において簡潔に記されている投稿の紹介。拙生とはまた少し別視点からの問題指摘もあり、誠に参考となります。いずれにしても、信心、往生へと向けた親鸞聖人の教えには、社会性や道徳性の保持、社会活動・ボランティア活動の奨励敢行、教団の見栄体裁の維持等など、本来は全く関係が無いことなのであります。ましてや称名念仏以外の何かを唱和強制させるなど論外中の論外であるわけです。誠に、「おまかせしはからい捨てよが弥陀本願あれこれせよとは領解しかねる」であります。「新しい領解文」の問題点指摘X投稿

  • WEST.のパフォーマンス

    WEST.-Mood〈DanceFocusVer.〉fromWEST.LIVETOUR2023POWERhttps://youtu.be/bADJd5a_k8s?si=og4k4PoqWEVmtbvE先日の件があったからということもあるが、最近、意識してWEST.のパフォーマンスを観ていると、バラエティ力だけでなく、ダンスも歌も実力があり、かなりうまいのに、歌番組や歌謡祭等にあまりまださほどに登場していないのはもったいないと思ってしまうようになってきた。しかし、YouTubeコメントで5000超いいねは、さすがにこれまでにない引くレベル、、WEST.担、WEST.推しの熱さを感じざるを得ない。とにかく、来年10周年、きっと日の目を見ると思うのではある。歌もダンスも本当にうまい。WEST.のパフォーマンス

  • 新しい領解文問題の元凶の一つには・・

    前総長による力(強引な運営によるところ)もあったからでもあろうが、それよりも早い段階から現門主が異安心であったのは、新しい領解文に至る一連の過程から、もはや明らかである。これには、本来、異安心を律すべき勧学寮が、長年、それに対して何も糺さなかったのも、今回の問題の元凶にはある。これでは、お飾りのただの名誉職にでも成り下がっていると批判されても仕方がないであろう。勧学、改悔批判の与奪者もしかりである。よもやではあるが、御正忌報恩講、改悔批判を「新しい領解文」で行なうとなれば、もうそれを満天下に知らしめることになってしまい、宗門、門信徒のみならず、内外の皆からの信用、信頼も一気に失墜してしまうことになるであろう。新しい領解文問題の元凶の一つには・・

  • 宮沢賢治父子「にない堂参詣」説ついて・義祖父資料から

    宮沢賢治父子「にない堂参詣」説父・政次郎さんの記憶による口伝(小倉豊文氏・賢治史研究家が聞いて書き留めた文書は現存しているとある)に根拠があるとされているが、当時、延暦寺を知り尽くされている延暦寺執行の小林隆彰大僧正が、賢治比叡十二首の最後の「暮れそめぬふりさけみればみねちかき講堂あたりまたたく灯あり」これは「にない堂」あたりで詠まれたものでないとおかしいとの論拠を述べられたことで、あの参詣七十五周年記念銘板の内容の根拠の一つとなったとの経緯が記されてあった。今回、義母さんから預かった資料には、前述の文書は含まれていなかったが(岩手の実家に現存してあるとは思われるとのこと)、この小林大僧正による根拠もやはり大きい。従来、白川路帰路で詠まれたとされるこの歌では、白川路からは大講堂が、比叡山頂の千米山に遮られ...宮沢賢治父子「にない堂参詣」説ついて・義祖父資料から

  • hasunoha問答・AIとの回答対比シリーズ・4

    hasunoha問答・AIとの回答対比シリーズ・4質問「人間は、何のために存在するのかを仏教視点から教えて下さい。」https://hasunoha.jp/ai/q/a6ffaab0c30e1357AIは、一応、「縁起」と「四諦」の仏教用語から説明しようとしているが、正直、あまり良い回答ではないように思う。なんだろうか・・伝わってくるものがない、少し空虚なという感覚だろうか・・拙生は、「業」、「輪廻」からご説明させて頂きました。・・AIによる回答相談をしてくださり、ありがとうございます。人生の根源についての思索は、私たちの心を深くかき立てるテーマであり、あなたがこのような質問を持つこと自体が、すでに心の成長につながる素晴らしいことです。仏教では、すべての存在は「縁起」によって成り立っていると教えます。縁起...hasunoha問答・AIとの回答対比シリーズ・4

  • どこかズレた総局による監正局への訴え・・

    異安心の根本が、もはや門主にあることは明らかであるのだから、その異安心を正さねばならない役割にあった勧学寮、前寮頭の不手際に対しての監正局への訴えなら分かるが、総局の対応はどうやらそうではないようだ。なんだろうかこのズレと泥仕合、、それよりも、早く新しい領解文を取り下げるのが先であろう。おこぼれ金魚のフンには、それも期待はできないが、、どこかズレた総局による監正局への訴え・・

  • 「仏恩報謝のお念仏」について

    「仏恩報謝のお念仏」か、、信心の社会性のお念仏還相のお念仏どこか仏恩報謝に念仏を合わせてくる、この押しつけがましさには、信心に報恩謝徳を内包させ、宗門、教団に奉仕、貢献しなさいとの意図もあるように感じるのは、やはり穿った見方になるのであろうか。社会活動、社会貢献活動、ボランティア、奉仕活動の奨励と信心の社会性と念仏を合わせる意図も窺えるわけではあるが、そこまで、念仏者、門信徒のあり方を型にはめ、強制的に規定したいのには、やはり、何か理由があるのだろう。ぶっちゃけ、信心に社会活動、社会貢献活動、ボランティア、奉仕活動は必要ないというよりも、本来は関係がないのである。信心に関係があるのは、ただ、念仏申すか、申さないか、それだけのことである。仏恩報謝も信心には必要ないし、関係がない。あくまでも仏恩報謝は、信心獲...「仏恩報謝のお念仏」について

  • 応仁の乱における西陣南帝についての通説と美作後南朝史の比較検討

    次は、応仁の乱における西陣南帝について応仁の乱は、1467年から1477年にかけて、細川勝元の東軍と山名宗全の西軍の間で繰り広げられた戦乱となります。この背景には、将軍職の跡継ぎ問題、畠山・斯波両家の家督争いも絡むなど、各地で戦闘が繰り広げられることになり、京都も焼け野原となります。東軍・細川勝元には、足利義政、後土御門天皇・後花園法皇、公家の日野家などを後ろ盾として、西軍・山名宗全は、足利義視と正親町三条家・阿野家・葉室家などの公家を後ろ盾とする中で、南朝後胤の「西陣南帝」を擁立することになります。通説・・山名宗全は、東軍に対抗するために、1471年に大和高取の壷阪寺にいたとされる小倉宮の後胤(名前等の詳細は不明)を西軍に迎える。壷阪寺から河内を経由し、京都の西陣にある松梅院に入り、その後、尼寺・安山院...応仁の乱における西陣南帝についての通説と美作後南朝史の比較検討

  • 長禄の変についての通説と美作後南朝史との比較検討

    長禄の変について次に、長禄の変について比較検討してみる。通説・・1457年12月18日に、吉野にある後南朝朝廷のもとにあった神璽を、1441年の嘉吉の乱(播磨・備前・美作の三国守護代であった赤松満祐が、室町幕府の六代将軍・足利義教を殺害したことから、その後、幕府軍の討伐で赤松家は滅亡した)により断滅した赤松家の遺臣たちが、赤松家の再興のために奪い返した事件。小寺藤兵衛入道が中心となった赤松家の遺臣たちは、南朝復権を手伝うという名目で吉野に逗留するも、1457年12月18日に御所を急襲し、これにより自天王と忠義王が討たれて亡くなります。しかし、この時は神璽の奪還に失敗。吉野の土民たちが、その神璽を守っていたものの、やがて奪還され、その功により赤松家は再興、赤松政則が家督を相続することになります。自天王と忠義...長禄の変についての通説と美作後南朝史との比較検討

  • 禁闕(きんけつ)の変について 通説と美作後南朝史との対比検討

    禁闕(きんけつ)の変1443年10月16日に発生した京都・後花園天皇の禁闕(皇居内裏)襲撃事件である。通説・・1443年2月、後亀山天皇の皇子・小倉宮聖承(せいしょう)が、南朝復権へ向けて蜂起するという噂が京に流れる。1443年9月、尊秀王(源尊秀・後鳥羽院皇胤説)と尊義王(金蔵主・護聖院宮の皇子の可能性)、通蔵主(出自不明・護聖院宮の皇子の可能性)が、蜂起、首謀者とされる日野有光の手引にて後花園天皇の禁闕へと乱入し、三種の神器のうち、剣と神璽(勾玉)を奪い、比叡山へと逃れるも、守護大名の畠山持国によって、即座に鎮圧。この際、剣(清水寺で発見)は返ってきたものの、神璽(勾玉)は持ち去られてしまう(持ち去られた先は、吉野地方と考えられているが、はっきりとはしていない。→長禄の変へ続く)。尊秀王、尊義王、日野...禁闕(きんけつ)の変について通説と美作後南朝史との対比検討

  • 新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)の推進にあたり、宗務の基本方針の一部変更を願う臨時宗会招集要求

    しかし・・「宗務の基本方針の一部変更を願う臨時宗会招集」、宗務の基本方針とは、「新しい領解文」の推進についてで、推進の見直しを議論するための臨時宗会の開催ということで、異安心である「新しい領解文」そのもの自体の撤回・取り下げ・見直しについて議論するためではない・・まあ、「推進の見直し」でやっとの過半数超えであるから、そのもの自体の撤回・取り下げ・見直しなら、開会もまず無理ということであるのは想像できるが・・せめて、「推進の見直し」はもちろん、「新しい領解文」そのもの自体の撤回・取り下げも併せて議論されることを望むが・・それも難しいのであろうか・・しかし、このようなことでは、来月の改悔批判には当然に間に合わない。ここで、門主がこの混乱について自らの責任を認めて謝罪し、「新しい領解文」そのもの自体の撤回・取り...新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)の推進にあたり、宗務の基本方針の一部変更を願う臨時宗会招集要求

  • 西本願寺・本願寺派はカルト集団へと向かうのか

    総局、推進派は、門主の意向、門主の真意を汲んでと、もはや思考停止に陥っている状態であると言える…これは、まさにカルトの特徴そのものであり、西本願寺がカルト集団に陥ってしまったと言ってもおかしくない状態を表している。外から見れば、危険分子は、まさにカルト化している総局、推進派であると言える。御正忌報恩講の改悔批判をあれでやれると本気で思っているなら、本当に立派な思考停止そのものなのであろう…頼みの有志の会も、ここ最近、というか記者会見以来、すっかりと沈黙してしまっている…みすみすこのままカルト化を許すつもりなのであろうか、、西本願寺・本願寺派はカルト集団へと向かうのか

  • 後水尾天皇から後南朝・美作植月朝廷の小倉宮・高仁親王への譲位についての考察

    紫衣事件により、後水尾天皇は天皇としての面目を潰されただけではなく、天皇の定め、勅旨、勅許よりも、徳川将軍(征夷大将軍)の定め、法度が優先されるという、前代未聞の地位の逆転を天下に見せしめられたこととなり、徳川幕府への後水尾天皇の憤慨、憤懣は相当なものであったことが窺えるわけであります。徳川家に大恥をかかされ、地位まで貶められたのに、その徳川家の血を引いている興子内親王(のちの明正天皇)へと譲位することなど、まあ、普通の感覚では当然に考えられないわけです。なんとか面目を維持するには、上皇として、それも院政が敷けるようにとして、ひとまずは、他の宮家の親王へと譲位、つまり、徳川家への当てつけとして、美作植月朝廷の高仁親王への譲位を幕府に通告なくに行い、上皇邸の造営を始め、そして、高仁親王の即位へと向けて動かれ...後水尾天皇から後南朝・美作植月朝廷の小倉宮・高仁親王への譲位についての考察

  • 大異安心による混乱の行方は・・

    総局、推進派は、門主の意向を傘に着ているが、門主の意向であるのは、これまでの親教や公式非公式の発言、著書等からでも、やはり明らかであろう。社会的な実践重視、社会活動、ボランティア活動奨励、信心の社会性への偏重も含めて…ならば、責任が門主にないとも言えないのも確かなことになる。総局、推進派も、もはや、新しい領解文が、異安心は異安心だが、門主の意向だから仕方なく推進しているという雰囲気でもある。この大異安心による混乱は、新しい領解文の撤回、取り下げと共に、門主による謝罪、自主退任への流れを、周りの不手際、不誠実が生み出していっているようにしかもう見えない。早い段階で修正へ向けては動けたはずである。総局、門主ともに。門主の完全な悪手は、総長候補指名で二人のうちの一人を病気施設療養中の方(当選しても辞退確実)を候...大異安心による混乱の行方は・・

  • WEST.【緊急企画!疫病神は誰だ!!!!!!】来年の10周年は気持ちよく迎えたい

    滝行をご案内させて頂きました。桐山照史さん、本当にお疲れ様でした。動画での滝行のシーンは少ないですが、礼儀正しく、全行程一時間、本堂・役行者前での法話、お勤め、そして、山内道中の掛け念仏、滝・不動尊前でのお勤め、滝行と全て真剣に取り組まれました。滝行も動画では撮影された部分だけとなっておりますが、その間、真摯に打たれておいででした。WEST.10周年へ向けた意気込み、気迫が伝わりました。来年のさらなる飛躍へと向けて、少しでもお役に立つことができましたら幸甚に存じます。ちなみにですが、テロップでは住職となっておりますが、正確には副住職となります。この点、お伝えが曖昧となってしまっており、大変に失礼致しました。WEST.、グループ皆様のますますのご活躍を心から祈念申し上げます。ありがとうございました。合掌WE...WEST.【緊急企画!疫病神は誰だ!!!!!!】来年の10周年は気持ちよく迎えたい

  • 映画「続編 親鸞」法然聖人の説法、会話がかなり深い

    映画は、親鸞聖人の初婚相手である玉日姫と結ばれるのがメイン、焦点になっているが、それよりも仏教的には、法然聖人の説法、会話がかなり深い。特に九条兼実との破戒を巡る会話は必見である。凡夫と聖者の念仏に差異ありやいなやなぜ僧侶は肉食妻帯しないのでしょうかこれから僧侶が妻帯することは良いことでしょうか、悪いことでしょうか浄土門の信仰は、良いか悪いかで決めることではなく、念仏申されるか、申されないかで、決めるのです。聖で念仏申されるか、妻をもうけて念仏申されるかで決めるのです。つまり、専修念仏となるわけです。浄土真宗的にも、称名にたのむのか、たのまないのかが、重要となり、両者共に、弥陀本願にまかせるか、まかせないかで決めるということになるわけです。当たり前となりますが、本願寺派門主が、昨今に推奨、奨励するような社...映画「続編親鸞」法然聖人の説法、会話がかなり深い

  • 親鸞・続編 親鸞聖人と「玉日姫」との結婚について

    親鸞・続編・・というか、「玉日姫」との初婚までが描かれているとは・・それも、法然聖人の指示ではなく、親鸞聖人から結婚を懇願するという、まあ、創作されてあることもやはりあろうが、むしろ、こちらの方が史実に近い形での玉日姫との結婚だったのではないだろうかとも思うのである。吉川英治、さすがの慧眼である。そして、兼実の娘、慈円の姪であったからこそ、破戒が公然と許されたのも確かであったのだろう。しかし、法然聖人の説法の内容、非常に簡潔かつ、わかりやすくて、なるほどと思った。これも吉川英治さすがである。思った以上に見応えがあった。親鸞・続編親鸞聖人と「玉日姫」との結婚について

  • 親鸞聖人と玉日姫の結婚について

    最後まで見ていなかったから気づかなかったけど、、九条兼実、慈円、親鸞の関係性はもとより、「玉日姫」(役・吉川博子氏)が、もろに親鸞聖人との絡みで出ているじゃないですか。。つまり、初婚者「玉日姫」のことがうっすら想定されてあっての「玉日姫」との叶わぬ恋という設定での脚本というわけなのだろう。実際には、法然聖人と九条兼実との教義的なやり取りから、親鸞聖人と玉日姫との結婚となったわけですが、実のところは、二人ともそれぞれに想い合うきっかけは幾つもあったとも考えられるような描き方となっており、親鸞聖人も嫌々に法然聖人の指名で結婚したわけではなく、やはり、互いにそれぞれに惹かれるところがあったのかもしれませんね。。玉日姫は、公家のトップで天皇に次ぐ権力者となっていた九条兼実の娘、そして、当時の事実的に仏教界のトップ...親鸞聖人と玉日姫の結婚について

  • 御正忌報恩講、改悔批判を新しい領解文で行うことになれば・・

    御正忌報恩講、改悔批判を新しい領解文で行うことになれば、門主の親教のその内容次第で、異安心の問題の本質が、門主そのものにあることがもはや明らかとなり、門主の自主退任を迫る声はいっそうに大きくなることであろう…タイムリミットは御正忌報恩講までであると言っているのは、このような理由からである。新しい領解文にて改悔批判を迎えたら、大きく異安心が歴史に刻まれることになり、もはや取り返しがつかなくなる。あと一ヶ月に迫るが、動きはまったく硬直したまま、、門主の異安心と共に、この問題の本質は更にもっと深いところに別にあるというのが、半年以上前から拙生が指摘してきたことである。拙生が憂いてあるのは、この問題は本願寺派、浄土真宗だけに留まる問題ではなく、日本全体、ひいては世界の未来にも関わることであるからなのである。大袈裟...御正忌報恩講、改悔批判を新しい領解文で行うことになれば・・

  • 西本願寺・ブランドロゴ・・

    ブランドロゴか…誠にごもっともなご感想である…しかし、銀杏の木の本体ならまだしも、、黄葉後の(逆さ)落ち葉を並べるとは、、凋落を象徴したいと思われても仕方がないのでは…まあ、どうしても新しい領解文問題にてネガティブに見てしまう今では何に対しても良くは見えなくなっている偏見でありますが、、https://www.facebook.com/story.php?story_fbid=6679790255452640&id=100002651942157&post_id=100002651942157_6679790255452640西本願寺・ブランドロゴ・・

  • 釈尊成道会法要厳修

    釈尊成道会法要厳修深遠なる真実義をご説示なさられました偉大なる仏陀世尊に最敬礼申し上げます。カーラチャクラ砂曼荼羅御砂舎利塔荘厳深遠なる真実義をご説示なさられました偉大なる仏陀世尊に最敬礼申し上げます。開経偈・般若心経・大悲円満無礙神呪・仏頂尊勝陀羅尼・観音経世尊偈・大仏頂万行首楞厳神呪・成道会回向・舎利礼文・釈尊御真言・タプケートゥクジェ(教主釈迦牟尼仏十二相礼賛偈)・普回向・四弘誓願合掌年末の各所大掃除も終わって参りました。1年、早いものです。無常迅速なり。釈尊成道会法要厳修

  • 新しい領解文問題・・御正忌報恩講までがタイムリミット

    若い、経験が浅いとはいえども、挽回のチャンスはまだ幾つもあったのに…総局へ新しい領解文の早期の取り下げ、撤回の意向の指示もできたであろうが、何よりも総長候補指名が完全な悪手であった…もはや進むも地獄、引くも地獄状態、、今さら総長は代えられないが、内局を改造して、松原議員に入閣して頂いて、善後策を仕切って頂き、落とし所を見極めていく中でしか、門主も活路が見い出せないのではないだろうか、、御正忌報恩講までがタイムリミットになるだろう。時間はもうあまりない。新しい領解文問題・・御正忌報恩講までがタイムリミット

  • hasunoha・AIとの問答・回答比較シリーズ・3

    hasunoha・AIとの問答・回答比較シリーズ・3「縁起」という言葉は被ったが、意図は違ったものとなっている。信じるも信じないも因縁次第ということでの「縁起」を使っており、その因縁における探求や思索により得られるものを人生の豊かさや糧として、前に進む勇気にしていこうとして、AIは諭したいようだ。一見、もっともらしいことは述べているが、正直、中身はカスカスと言われても仕方がないのではないだろうかと思われる。「それらを優しく見つめ、自分自身と対話しながら」って・・具体的なアドバイスへの乏しさが感じられる。もちろん、AIの方は題の部分だけしか問いとしていないため仕方がないが・・もちろん、経験や体験、体感がないため当然でもあるが・・知識、ビッグデータを使っても、実際の経験や体験、体感がない、できないAIの限界を...hasunoha・AIとの問答・回答比較シリーズ・3

  • 尹良親王の名前の由来について

    尹良親王の名前について、臣下にあたる井伊家の「伊」から名前を取ることはないのではないかとの最もなご質問を頂いた。[この宗良親王の妃が、宗良親王に従って活躍した井伊道政の娘の駿河姫で、その皇子が、尹良親王となります。尹と付くのも伊からであると、そのままに想像できるわけです。]天皇の後継ぎの候補となる皇子の名前であるから、確かに臣下の名前から取るのはありえないことである。当然に、儒教、陰陽道により、姓名も慎重に判断されることになっていたものと考えられる。たとえ皇位継承からは遠くあっても親王の名前は適当に名付けられることなどありえないものであります。では、尹良親王の「尹」はどう説明されるのか。尹は、おさめる、ただす、つかさどるという意味があり、特に「神意によってことを治める」ということがあり、まさに天皇の跡継ぎ...尹良親王の名前の由来について

  • 平和、平和と耳障りよく叫んでもただ虚しく聴こえるだけである

    戦時教学と同様の過ちを犯し、聖を俗へと貶めた「新しい領解文」をいまだ撤回、取り下げせずに、平和、平和と耳障りよく叫んでもただ虚しく聴こえるだけである・・ウクライナ、ガザ・・戦火の火を消すべく、停戦へ向けた具体的な働きかけこそが、慈悲の本当の働きかけとなるのである・・平和、平和と耳障りよく叫んでもただ虚しく聴こえるだけである

  • 後醍醐天皇の孫・尹良(ゆきよし)親王のお墓についての一考察/宗良親王・尹良親王・井伊家・大橋家・川口家・織田家・徳川家についての一考察

    後醍醐天皇の孫・尹良(ゆきよし)親王のお墓についての一考察これまでの一考察集・・http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/91076974.html関連年表・・http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/91065827.html静岡県浜松市天竜区水窪町奥領家の針間野集落跡には、後醍醐天皇の孫、宗良(むねよし)親王の皇子とされる尹良(ゆきよし)親王のお墓となる宝篋印塔があるということで、尹良親王の皇子である良王君が、津島大橋家、そして、津島大橋家からの養子を迎えた川口家の先祖になると一説では考えられていることから、この宝篋印塔について少し詳しく調べてみることにした。まず、近影となるネット上の画像を最初に見...後醍醐天皇の孫・尹良(ゆきよし)親王のお墓についての一考察/宗良親王・尹良親王・井伊家・大橋家・川口家・織田家・徳川家についての一考察

  • 宗良親王・尹良親王・井伊家・大橋家・川口家・徳川家についての一考察

    そういえば、宗良(むねよし)親王の母は、二条為子で、その先祖が藤原定家であるということは前に考察している。宗良親王がかなり和歌に優れていたのは、当然に藤原定家から続く母親譲りの血筋にあったからであろう。この宗良親王の妃が、宗良親王に従って活躍した井伊道政の娘の駿河姫で、その皇子が、尹良親王となる。尹と付くのも伊からであると、そのままに想像できる。尹良親王は多くの伝承がありながら、未だに歴史的には懐疑され続けている存在である。(宮内庁により認定された陵墓があるにもかかわらず)軍記の浪合記の物語性によるところからであろうが、そもそも全く何もないところからそんな話は出てくるわけがない。やはり、地方、地方で伝承されてきたことが、その下地となっているのは明らかであり、その足跡、史跡も多く残されてあることから鑑みても...宗良親王・尹良親王・井伊家・大橋家・川口家・徳川家についての一考察

  • 後醍醐天皇の孫・尹良(ゆきよし)親王のお墓についての一考察

    静岡県浜松市天竜区水窪町奥領家の針間野集落跡には、後醍醐天皇の孫、宗良(むねよし)親王の皇子とされる尹良(ゆきよし)親王のお墓となる宝篋印塔があるということで、尹良親王の皇子である良王君が、津島大橋家、そして、津島大橋家からの養子を迎えた川口家の先祖になると一説では考えられていることから、この宝篋印塔について少し詳しく調べてみることにした。まず、近影となるネット上の画像を最初に見たところで、かなりの違和感を感じた。これは宝篋印塔ではない。では、五輪塔なのかといえば、五輪塔でもない。中世の高貴な者のお墓は、建立されるとしたら五輪塔か宝篋印塔である。そのどちらでもないのであれば、お墓ではないのではないか、ということになる。しかし、これは、昔より伝承、口伝で南朝の王子(尹良親王)のお墓と今に伝わってきているので...後醍醐天皇の孫・尹良(ゆきよし)親王のお墓についての一考察

  • 尹良(ゆきよし)親王のお墓とされる宝篋印塔について・2

    やはり、傘も明らかに宝篋印塔ではないな。。傘は、神社のお社、祠の屋根を転用している感じだ。急造のお墓であるのだろう。塔身はもしかしたら春日灯籠を転用したかもしれないですね。塔身にはやはり何か納められている、いたのではないかと考えられる。石柱に八咫烏が彫られているとすれば、、やはり南朝皇子の可能性が高いとも言えるだろう。これは本当に当該市の教育委員会が詳しく再調査すべきではないだろうか。史跡文化財に指定されてもおかしくないぐらい重要なものであるように思われる。こんな野ざらしでは、、尹良(ゆきよし)親王のお墓とされる宝篋印塔について・2

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