尹良(ゆきよし)親王のお墓とされる宝篋印塔と八咫烏陰陽の賀茂氏の関係について
そうか、、分かった。後醍醐天皇以降の南朝、後南朝を支えた一族の一つに八咫烏陰陽の賀茂氏があったということか、、大和賀茂氏、山城賀茂氏、備前賀茂氏。備前、美作の植月朝廷においても賀茂氏がその庇護にあたっていたと言えるのである。この宝篋印塔の石柱の彫りが八咫烏であるならば、まさに南朝皇子の証と言えるのである。もしそうならいわれは正解なのである。やはり、伝承、口伝も何も由来がないわけではないのである。・・尹良(ゆきよし)親王のお墓とされる宝篋印塔を探されたようだが、至れずに戻られたようである。尹良親王の子・良王君は、津島大橋家、川口家へと繋がるかもしれないわけではあるが、この宝篋印塔、現物の写真を見て少し違和感を感じた。鎌倉後期~南北朝期のものであることは明らかであろうが、基礎の石が石柱となっているのだ。その下...尹良(ゆきよし)親王のお墓とされる宝篋印塔と八咫烏陰陽の賀茂氏の関係について
2023/11/30 15:52