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  • 尹良(ゆきよし)親王のお墓とされる宝篋印塔と八咫烏陰陽の賀茂氏の関係について

    そうか、、分かった。後醍醐天皇以降の南朝、後南朝を支えた一族の一つに八咫烏陰陽の賀茂氏があったということか、、大和賀茂氏、山城賀茂氏、備前賀茂氏。備前、美作の植月朝廷においても賀茂氏がその庇護にあたっていたと言えるのである。この宝篋印塔の石柱の彫りが八咫烏であるならば、まさに南朝皇子の証と言えるのである。もしそうならいわれは正解なのである。やはり、伝承、口伝も何も由来がないわけではないのである。・・尹良(ゆきよし)親王のお墓とされる宝篋印塔を探されたようだが、至れずに戻られたようである。尹良親王の子・良王君は、津島大橋家、川口家へと繋がるかもしれないわけではあるが、この宝篋印塔、現物の写真を見て少し違和感を感じた。鎌倉後期~南北朝期のものであることは明らかであろうが、基礎の石が石柱となっているのだ。その下...尹良(ゆきよし)親王のお墓とされる宝篋印塔と八咫烏陰陽の賀茂氏の関係について

  • 尹良(ゆきよし)親王のお墓とされる宝篋印塔について

    尹良(ゆきよし)親王のお墓とされる宝篋印塔を探されたようだが、至れずに戻られたようである。尹良親王の子・良王君は、津島大橋家、川口家へと繋がるかもしれないわけではあるが、この宝篋印塔、現物の写真を見て少し違和感を感じた。鎌倉後期~南北朝期のものであることは明らかであろうが、基礎の石が石柱となっているのだ。その下に石盤となっている。https://yamap.com/activities/19193775/article#image-259872178もう一つは、塔身正面には石がはめ込まれたかのように見えなくもない。もしかすると、経筒か舎利容器かが収められてあるのかもしれない。傘を外せば、何か由来の分かるものが出てくるのでは、、しかし、傘は明らかに割れていることから、過去に落ちたことがあるのは歴然としており...尹良(ゆきよし)親王のお墓とされる宝篋印塔について

  • チベット仏教弾圧に異論、善光寺僧侶が死去 北京五輪、国内聖火リレーの出発地返上

    松長有慶猊下、北村大道先生・・そして・・今年はチベット仏教に縁が深い日本の高僧が相次ぎ遷化なされた…合掌チベット仏教弾圧に異論、善光寺僧侶が死去北京五輪、国内聖火リレーの出発地返上

  • 遠山の袈裟

    遠山の袈裟は、聖徳太子が着用されたことから始まったとされ、それが太子遺徳の象徴となり、以後、太子に準ずる程の仏徳のある者(長者や座主、別当)が着用できるものとされているわけであります。遠山の袈裟

  • AI僧侶問答との比較・第2弾「中道について」

    AI僧侶問答との比較・第2弾「中道について」AIの回答は、確かに「無常」や「縁起」的なあり方からの当たり障りのないところから説明されているように思えますが、「空」についての言及がないのが少し残念であるという感じになるでしょうか。。質問「仏教の中道とは、本当は何なのでしょうか?」https://hasunoha.jp/ai/q/8742d8311c121f52AIによる回答まず、お心の中に疑問を抱き、こうして質問してくださること、深く感謝いたします。仏教の「中道」についてお話しします。中道とは、一般的には「極端な行動や考えを避け、適度で穏やかな道を歩むこと」と説明されることが多いですね。身も心も健康であるためには、自己過剰と放逸の両方を避け、中庸の道を歩むことが大切だと、仏陀は教えました。しかし、仏教の中道...AI僧侶問答との比較・第2弾「中道について」

  • hasunoha・AI回答僧侶の回答と拙回答との比較検討について

    改めてAIによる回答を私なりに分析してみると、私の回答とも似通っている点はやはりいくつかある。ちなみに当然、私はAIの回答より先に回答している。AI「あなたの気持ちは、世界の問題への深い思いやりと繊細さを表していると感じます。それはあなたが広い心を持ち、人々の痛みに敏感な方だということです。」私「仏教では、「同事」(どうじ)という言葉があります。同事とは、相手のことを自分のことと同じように考えることです。相手の苦しみや辛さをどうしかしてあげたいという慈悲の心にも繋がるものであります。」AI「仏教には「輪廻」という概念があります。物事が絶えず変化し続け、止まることなく連続して生まれ変わるという概念ですね。今、目の前の現状が辛くても、それは一時的なものであり、時と共に変わっていくという教えです。また、悲しみや...hasunoha・AI回答僧侶の回答と拙回答との比較検討について

  • hasunoha新実装の「AI僧侶問答」を試してみた

    hasunoha新実装の「AI僧侶問答」を、先に私が回答した質問に後から試してみた。但し、文字制限があるため全文転写できないので、AI僧侶問答は題のところだけでの質問となっています。なるほど・・輪廻、無常の概念を持ち出してきたのか。。しかし、輪廻と無常を混同している内容である。それ以外は全体的に悪くない回答ではあるかなと。AI僧侶問答質問「ウクライナやガザの現状が辛くて楽しめないのですが、どうしたらよいでしょうか。」https://hasunoha.jp/ai/q/8cb2c56109f32a9bAIによる回答まず、お苦しみの中、ここにご自身の悩みを共有して下さったこと、感謝いたします。あなたの気持ちは、世界の問題への深い思いやりと繊細さを表していると感じます。それはあなたが広い心を持ち、人々の痛みに敏感...hasunoha新実装の「AI僧侶問答」を試してみた

  • hasunohaがAI回答僧侶をリリース

    hasunohaがAI回答僧侶をリリースか、、最近、ほとんど回答しなくなってしまったが、AIがあるから私の回答はいらんか、となってしまいそうである。最近は、個別で来る質問や相談に答えることが多くなっているため、いまさらAIと張り合う気もないが・・しかし、本当の仏教は、意識下でのやり取りとなるルンが何よりも大切となる。輪廻する存在となれないAIはいつまでもそれは不可能だ。取り組みには敬意を表するが、個人的には賛成とまでは難しい。。仏教×AIの融合-hasunoha(ハスノハ)がAI僧侶問答をリリースhttps://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000003.000092718.htmlhasunohaがAI回答僧侶をリリース

  • 新しい領解文問題の事後処理・・

    松原議員を総長に押し上げないと本願寺派は本当に終わってしまうのではないかと思うのである…門主も立場を守り、退任を避けるには、松原総長をおいてしかこの問題の事後処理は難しいように思われる。もちろん、個人的な感想にしか過ぎないが、、新しい領解文問題の事後処理・・

  • 理想的な出家のあり方

    理想的な出家のあり方は、まさにこの本佛寺の前隆さんのような方のことである。誰もが応援したくなる純粋さ。そして、いよいよ荒行。頑張ってほしい。。理想的な出家のあり方

  • 御正忌報恩講・改悔批判は批判に果たして耐えうるか・・

    門主より聖教が重視されるべきであるのは、もちろん当然であるが、いずれにしても、遅かれ早かれ、今の教義における軸足として重視されてある「信心の社会性」のあり方が、その論点となってくるのも、もはや時間の問題だろう。その「信心の社会性」が、聖の俗への傾斜を促すことになってしまっているのは、今の流れを見れば歴然としている。時代、世間に迎合し、聖を俗へと限りなく貶め、その結果、明らかに聖は劣化し、しかも仏教とも言えない間違った教えまで内包したものに成り下がっているのが、新しい領解文なのである。勧学の役割は、聖教を第一として、教義を間違いのないように宗門全体を正しく導くことである。来年の御正忌報恩講の改悔批判の与奪者に与えられる試練はあまりに重い。まさか、新しい領解文なんかで迎えられるとはとても思えないのだが、、しか...御正忌報恩講・改悔批判は批判に果たして耐えうるか・・

  • なぜ、宮沢賢治父子「にない堂参詣」の有無が重要となるのか

    なぜ、宮沢賢治父子の比叡山・延暦寺参詣における「にない堂参詣」の有無が重要となるのか。それは、この比叡山参詣が、その後の賢治の宗教思想・信条、文学作品の思想に大きな変容をもたらしたとして、その転換点、分岐点と位置づける中で、「にない堂参詣」の有無の示す役割が大きなものになっていたと考えられるからであります。宮澤賢治父子延暦寺参詣由来(参詣七十五周年記念銘板)より・・にない堂の常行堂を拝んでは従来の一派専行から法華経の原点に立ちかえり、伝教大師は「・・悉く皆の無上菩提・・」と言っている事を重視した賢治はみんなの幸福、という目標を案出した。下山後賢治は多数の童話や詩を書いたが、これら自由闊達な宇宙大の作品の制作エネルギーは、父子参詣で得た宗教的理念に根本があると推測される。・・家出滞京窮地の賢治を蘇生させ、彼...なぜ、宮沢賢治父子「にない堂参詣」の有無が重要となるのか

  • 宮沢賢治父子比叡山参詣「にない堂参詣説」

    宮沢賢治父子の比叡山参詣において、「にない堂参詣説」があり、この説の鍵を握るのが、宮沢賢治研究家であった平澤農一氏(私の子どものひいじいちゃん)であるようだ。にない堂父子参詣説(1)https://ihatov.cc/blog/archives/2008/11/1_41.htm農一氏の娘が、私の義母であり、にない堂参詣説の根拠となる賢治史研究家・小倉豊文氏から農一氏への鍵となる書簡があるならば、研究は前へと進展することになる。これはやらねばなるまい。。・・本佛寺さんの御会式後半の動画の中で、宮沢賢治の話があったが、比叡山延暦寺でも「賢治忌法要」が毎年営まれていることはあまり知られていない。比叡山延暦寺での賢治忌は、関西宮沢賢治の会が実現させたもので、その第2代会長の平澤農一氏は、なんと私の妻の母の父なので...宮沢賢治父子比叡山参詣「にない堂参詣説」

  • 関西宮沢賢治の会

    本佛寺さんの御会式後半の動画の中で、宮沢賢治の話があったが、比叡山延暦寺でも「賢治忌法要」が毎年営まれていることはあまり知られていない。比叡山延暦寺での賢治忌は、関西宮沢賢治の会が実現させたもので、その第2代会長の平澤農一氏は、なんと私の妻の母の父なのである(私の子どもの曾祖父となる)。関西宮沢賢治の会http://www.iwate-kansai.com/kenji/第2代会長平澤氏は東和町土沢(現花巻市)のご出身で、熱烈な賢治信奉者であり且つ賢治研究者であった。平澤氏は本会設立後の昭和40年11月に、機関紙「雨ニモマケズ」(B4二つ折り)を創刊、昭和47年9月まで精力的に発行し17号を数えた。当初、本会は「大阪賢治の会」であったが、その後「関西賢治の会」と改称され、当時の著名人も名を連ねている。平成8...関西宮沢賢治の会

  • 信心の社会性・新しい領解文の問題の本質の一つ

    聖と俗の並列化・聖の俗への劣化が、新しい領解文の問題の本質の一つである。信心の社会性…門主の意向を盾にしているのが総局ではあるが、新しい領解文の要の一つが、信心の社会性であり、それが門主の意向でもあるということが、この一連の流れの根底としてあるのは確かでしょう。今回の質疑応答においては、信心の社会性についてかすってきたのはかなりの前進と言い得るのではないかと。しかし、これはあくまでもカモフラージュ的なもの。もう一つめくらないと。その質問はまだどこからも出てきてはいない。結局は門主批判になるという躊躇もあるのだろうが、、それならいつまでたっても問題の本質には辿り着けない。堂々巡りに茶番が続くだけである。まだ残されてある学習会にて出てくるのかどうか。注目しておきたいところであります。戦時教学の反省から「信心の...信心の社会性・新しい領解文の問題の本質の一つ

  • 後白河法皇 「難波潟 入りにし日をも ながむれば よしあしともに 南無阿弥陀仏」の解釈について

    法然聖人の「阿弥陀仏というより外は津の国の難波のことも葦刈りぬべし」は、四天王寺で詠まれたものではなく、流罪の際において専修念仏を宣揚するために詠まれたものであると先に述べたわけですが、後白河法皇の「難波潟入りにし日をもながむればよしあしともに南無阿弥陀仏」は、「難波潟入りにし日をもなが(眺)むれば」とあることから、四天王寺から大阪湾へと沈みゆく夕陽を眺めていたことが明らかであることから、これは日想観(じっそうかん)を修しての極楽誓願の際に詠まれたことは確実であります。「よしあしともに」とは、「葦(よし)葦(あし)ともに」ということで、「善い、悪いともに」と掛けてあるわけです。問題は、何が善い、悪いかです。葦は、弱い存在として人に例えられることがあります。水面の波にフラフラと漂うだけの儚い存在というわけで...後白河法皇「難波潟入りにし日をもながむればよしあしともに南無阿弥陀仏」の解釈について

  • 親鸞思想の再評価の必要性

    hasunoha参加以来、12年以上になるけど(最近回答サボりまくり)、hasunohaで回答したことがきっかけとなった方や、最近では思うような回答がもらえないという方が、個々でメールやDMで質問してくるようになって結構になるけど、ある程度は過去の問答やブログの内容を読んでもらえていたら助かるのだけど、やっぱりそうでない場合が多い。また、新興宗教、カルト宗教などマニアックなものも。(空飛ぶスパゲッティモンスター教とかも。。)浄土真宗教学、親鸞思想研究も、親鸞会関係から始まったもの。仏教全体をそこそこ学ばせて頂いてから研究に入るのと、もともとあまり仏教自体は学ばずに浄土真宗教学、親鸞思想研究に入り、その専門だけで進めているのとでは、そのなんというか、温度差がかなりある。まあ、当然ながら宗祖無謬と考えてその至...親鸞思想の再評価の必要性

  • 法然聖人「阿弥陀仏と いうより外は 津の国の 難波のことも 葦刈りぬべし」を詠まれた場所と時期について

    第三回目「法然聖人・三日月の御影」についての中では、「阿弥陀仏というより外は津の国の難波のことも葦刈りぬべし」の、法然聖人が、四天王寺で日想観を修されていた際に、たまたま行幸されていた後白河法皇と共に詠まれた歌についても取り上げさせて頂いていますが、この歌は、元々、流罪となって讃岐へと赴く際での瀬戸内海の島で詠まれたとされるのが、現在では有力説となっています。本当は、どちらで詠まれたのか・・私は瀬戸内海の島において詠まれたのではないかと考えるのであります。なぜならば、四天王寺においては、慈円の招きにおいて、当時、日想観を「一応は」やはり修されていたとされていたと考えられるため、称名念仏行だけではなく、法然聖人が日想観「も」当然に成されていたと言えるわけです。であれば、この際において、わざわざ、称名念仏以外...法然聖人「阿弥陀仏というより外は津の国の難波のことも葦刈りぬべし」を詠まれた場所と時期について

  • 獲信者の仏智の根拠について

    最近、頂いている質問については、あまりアップしていませんが、獲信者の仏智の根拠について聞かれたことについて、二つの根拠があるとお答えをさせて頂いていました。一つは、阿弥陀如来から賜るということ。もう一つは、阿弥陀如来と一如になるということ。賜る場合、現生に賜るのか、往生において賜るのか、一如も、現生で一如となるのか、往生で一如となるのか、現生正定聚との関係でどう考えるのか、というものであるが、往生で賜り、一如となりての仏智であると考えるところであります。まあ、賜るというよりも、阿弥陀如来と一味、一如となり同体二種法身になるということであります。現生正定聚は、やはり、あくまでも獲信者における「予約」的な立ち位置であり、阿弥陀如来と一如となることが確定はしているものの、まだ仏智は未達とするものではないかと考え...獲信者の仏智の根拠について

  • 河内ふるさと文化誌「若楠」(わかくす)への原稿3つ入稿

    気の早い話ながら、河内ふるさと文化誌「若楠」(わかくす)への次号(来年4月)、次々号(来年10月)、次々々号(再来年4月)の原稿を仕上げて、もう入稿した。第二回目「玉日姫(たまひひめ)坐像」について第三回目「法然聖人・三日月の御影」について第四回目「往生院と南朝」について一回目を読まれた方から、次が楽しみですので、購読会員になって読みますと頂いて、調子に乗って書き上げた、、同人誌など次々と廃刊していくような時勢下、地域に残されてある文化誌は、誠に貴重である。会員となり、支援を頂ければ有り難いことです。掲載原稿も随時、募集しています。(但し、協力金として、掲載に応じた掲載料が発生します)地域文化、歴史、郷土の研究成果の発表の場として、是非、ご活用を頂けましたらと存じます。河内ふるさと文化誌「若楠」(わかくす)への原稿3つ入稿

  • 「私たちの浄土真宗を返せ!」との怒号・・

    「私たちの浄土真宗を返せ!」との怒号・・チベット仏教の貴方が今回の「新しい領解文」に反対するのは理解できないと言われたことがあるが、確かに、通仏教の観点からは、浄土真宗が通仏教寄りとなるのはある一定望ましいことではあるだろうが、当初より指摘してきたことであるが、通仏教どころか仏教でも無くなってしまったのが、新しい領解文の問題なのである。この問題の端緒より声を上げたのも、仏教でない思想が仏教として大手を振りだすことになると懸念したからである。この思想の背後関係については、もっとよくよく考えてみるべきであろう。もう何年も前から根深く浸透してきて仕組まれてあった流れであると理解できることであろう。だから取り消し、撤回も容易でなくなってしまっているのである。「私たちの浄土真宗を返せ!」との怒号・・

  • まだまだ解決に程遠い新しい領解文問題・・

    「推進をやめるつもりはないし、今後も学習会を進めていく、手続き上、瑕疵はないから問題はない」・・門主の意向が、その一番の錦の御旗となっているからであろうが、撤回、取り下げも門主の意向次第ということで、裏を返せば、総局もその「意向」がなければどうしょうもない、ということなのでもあろう・・しかし、撤回、取り下げということになれば、門主は一応は責任がないとされてはいるものの、ここまでの問題となってしまっている以上、道義的にももはやそういうわけにもいかないだろう・・撤回、取り下げとなれば、やはり責任を取っての門主退任は避けられないだろう。このまま恥を晒し続けることに腹を括っているのかもしれないが・・まだまだ解決に程遠い新しい領解文問題・・

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