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  • 親鸞聖人坐像等の調査・研究について(東大阪市教育委員会・社会教育部・文化財課と協同)

    ひとまず往生院の関連年表については一段落し、あとは、東大阪市教育委員会・社会教育部・文化財課と協同しての坐像等の実際の調査・研究を待つことになります。7月中旬ころから実見調査となります。親鸞聖人自作坐像については、仏像彫刻専門家の意見と共に、できれば炭素年代測定はしたいと考えています。また、関連したことでの知見がございましたら、往生院六萬寺の方へと情報を提供して頂けましたら有り難くに存じます。往生院関連年表(明治まで)http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/90830195.html往生院関連年表(明治から現代まで)http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/90882160.html伝・親鸞聖人自作像...親鸞聖人坐像等の調査・研究について(東大阪市教育委員会・社会教育部・文化財課と協同)

  • 往生院・川口家関連年表(往生院の大正・昭和以降の年表)

    往生院・川口家関連年表(往生院の大正・昭和以降の年表)最新に更新しました。往生院の大正以前の年表については、こちらをご参照下さい。http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/90830195.html桜井寺・善信尼帰国入寺役行者・岩瀧山開山女人大峯・修験道修行場、葛城修験宿場の一つであった聖武天皇勅願・行基開基六萬寺・本尊・薬師如来宇多天皇(仁和寺御室)による寄進があった念仏聖・安助上人・川瀬吉松の夢告通りに来訪。川瀬吉松の開基・安助上人により往生院の創建(拾遺往生伝・三善為康)安助上人往生。以後、日想観・五念門・二十五三昧会・百万遍念仏を修する寺院として、多くの念仏行者・信者が来山し栄える。この頃から、往生院は、九条家の権勢が強まる中で、九条家の荘園地・...往生院・川口家関連年表(往生院の大正・昭和以降の年表)

  • 往生院・川口家関連年表(往生院の大正・昭和以降の年表)

    往生院・川口家関連年表(往生院の大正・昭和以降の年表)最新に更新しました。往生院の大正以前の年表については、こちらをご参照下さい。http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/90830195.html桜井寺・善信尼帰国入寺役行者・岩瀧山開山女人大峯・修験道修行場、葛城修験宿場の一つであった聖武天皇勅願・行基開基六萬寺・本尊・薬師如来宇多天皇(仁和寺御室)による寄進があった念仏聖・安助上人・川瀬吉松の夢告通りに来訪。川瀬吉松の開基・安助上人により往生院の創建(拾遺往生伝・三善為康)安助上人往生。以後、日想観・五念門・二十五三昧会・百万遍念仏を修する寺院として、多くの念仏行者・信者が来山し栄える。この頃から、往生院は、九条家の権勢が強まる中で、九条家の荘園地・...往生院・川口家関連年表(往生院の大正・昭和以降の年表)

  • 情報提供のお願い(往生院の歴史に関して)

    情報提供のお願い(往生院の歴史に関して)この度、往生院六萬寺では、本堂の安置物について詳しく再調査した結果、幾つかの文化的、歴史的な新しい発見と共に、これまでの寺史の見直しが必要となることが明らかとなりました。そのため、東大阪市・文化財課と協同して、本堂の幾つかの安置物と共にお寺の歴史について、改めて精査していくことになりました。その精査へと向けた関連となる年表を整理した上で、既に史実的に確実となってあるものとは別に、新たな歴史的な事実として裏付けとなる古文書や史跡等の情報の提供を求めていくことになりました。特には、浄土真宗の開祖である親鸞の正室であった玉日姫(九条兼実の娘)と往生院、親鸞と往生院に関するものでございます。もし、年表をご確認して頂いた上にて、関連したことでの知見がございましたら、往生院六萬...情報提供のお願い(往生院の歴史に関して)

  • 川口家と往生院の関連年表(往生院の大正・昭和について)

    やっと川口家の関連年表も完成した・・大正・昭和の往生院の年表もこれにより併記できて、往生院全体の年表もほぼこれで全てができあがった。やはり記録があるのは有り難いことである。先代は何でもメモして漏らさずに資料も全て残されてあったので、日単位の詳細までが分かるぐらいだ・・合間合間で往生院の歴史についても深く考証されてあった。しかし、やはり今回の調査対象(親鸞聖人自作像・玉日姫坐像等)のものについてはどうしても確定できなかったようであり、推測か、曖昧なものとなっていた。いよいよ史実的な考証はこれからとなるが、川口家の先祖のことも含めて一つ一つ進めていきたい。大正以前は、下記を参照下さい。http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/90830195.html桜井寺...川口家と往生院の関連年表(往生院の大正・昭和について)

  • 情報提供のお願い(往生院の歴史に関して)

    情報提供のお願い(往生院の歴史に関して)この度、往生院六萬寺では、本堂の安置物について詳しく再調査した結果、幾つかの文化的、歴史的な新しい発見と共に、これまでの寺史の見直しが必要となることが明らかとなりました。そのため、東大阪市・文化財課と協同して、本堂の幾つかの安置物と共にお寺の歴史について、改めて精査していくことになりました。その精査へと向けた関連となる年表を整理した上で、既に史実的に確実となってあるものとは別に、新たな歴史的な事実として裏付けとなる古文書や史跡等の情報の提供を求めていくことになりました。特には、浄土真宗の開祖である親鸞の正室であった玉日姫(九条兼実の娘)と往生院、親鸞と往生院に関するものでございます。もし、年表をご確認して頂いた上にて、関連したことでの知見がございましたら、往生院六萬...情報提供のお願い(往生院の歴史に関して)

  • 往生院・玉日姫坐像の由来について

    さて・・色々と情報を頂けている中で、九条家から分家した縁の方からかなり信憑性の高い情報を頂いた。往生院に、玉日姫の坐像並びに親鸞聖人坐像(自作像とは別)が奉納された時期についてである。それは、本願寺派20世の広如の頃ではないかとのことである。つまり、玉日姫の坐像については、比較的に新しくて、江戸後期、1850年代に意図して作成されて奉納されたものであると。。西本願寺・本願寺派では、13世・良如の頃から、教義論争(以後、興正寺との不和)、16世・湛如の頃では宗主自身が宗意安心のため能化(現在の勧学)の勧めにて自害、その後を一旦継いだ湛如の弟の静如は問題多々にて退任、歴代宗主の取り消し、17世・法如の頃には、明和の法論、19世・本如の頃での三業惑乱・・と江戸期の西本願寺・本願寺派は、艱難辛苦の連続となっていた...往生院・玉日姫坐像の由来について

  • 情報提供のお願い(往生院の歴史に関して)再掲

    情報提供のお願い(往生院の歴史に関して)この度、往生院六萬寺では、本堂の安置物について詳しく再調査した結果、幾つかの文化的、歴史的な新しい発見と共に、これまでの寺史の見直しが必要となることが明らかとなりました。そのため、東大阪市・文化財課と協同して、本堂の幾つかの安置物と共にお寺の歴史について、改めて精査していくことになりました。その精査へと向けた関連となる年表を整理した上で、既に史実的に確実となってあるものとは別に、新たな歴史的な事実として裏付けとなる古文書や史跡等の情報の提供を求めていくことになりました。特には、浄土真宗の開祖である親鸞の正室であった玉日姫(九条兼実の娘)と往生院、親鸞と往生院に関するものでございます。もし、年表をご確認して頂いた上にて、関連したことでの知見がございましたら、往生院六萬...情報提供のお願い(往生院の歴史に関して)再掲

  • 情報提供のお願い(往生院の歴史に関して)訂正・追記

    情報提供のお願い(往生院の歴史に関して)訂正・追記この度、往生院六萬寺では、本堂の安置物について詳しく再調査した結果、幾つかの文化的、歴史的な新しい発見と共に、これまでの寺史の見直しが必要となることが明らかとなりました。そのため、東大阪市・文化財課と協同して、本堂の幾つかの安置物と共にお寺の歴史について、改めて精査していくことになりました。その精査へと向けた関連となる年表を整理した上で、既に史実的に確実となってあるものとは別に、新たな歴史的な事実として裏付けとなる古文書や史跡等の情報の提供を求めていくことになりました。特には、浄土真宗の開祖である親鸞の正室であった玉日姫(九条兼実の娘)と往生院、親鸞と往生院に関するものでございます。もし、年表をご確認して頂いた上にて、関連したことでの知見がございましたら、...情報提供のお願い(往生院の歴史に関して)訂正・追記

  • 情報提供のお願い(往生院の歴史に関して)訂正・追記

    情報提供のお願い(往生院の歴史に関して)訂正・追記この度、往生院六萬寺では、本堂の安置物について詳しく再調査した結果、幾つかの文化的、歴史的な新しい発見と共に、これまでの寺史の見直しが必要となることが明らかとなりました。そのため、東大阪市・文化財課と協同して、本堂の幾つかの安置物と共にお寺の歴史について、改めて精査していくことになりました。その精査へと向けた関連となる年表を整理した上で、既に史実的に確実となってあるものとは別に、新たな歴史的な事実として裏付けとなる古文書や史跡等の情報の提供を求めていくことになりました。特には、浄土真宗の開祖である親鸞の正室であった玉日姫(九条兼実の娘)と往生院、親鸞と往生院に関するものでございます。もし、年表をご確認して頂いた上にて、関連したことでの知見がございましたら、...情報提供のお願い(往生院の歴史に関して)訂正・追記

  • 情報提供のお願い(往生院の歴史に関して)

    情報提供のお願い(往生院の歴史に関して)この度、往生院六萬寺では、本堂の安置物について詳しく再調査した結果、幾つかの文化的、歴史的な新しい発見と共に、これまでの寺史の見直しが必要となることが明らかとなりました。そのため、東大阪市・文化財課と協同して、本堂の幾つかの安置物と共にお寺の歴史について、改めて精査していくことになりました。その精査へと向けた関連となる年表を整理した上で、既に史実的に確実となってあるものとは別に、新たな歴史的な事実として裏付けとなる古文書や史跡等の情報の提供を求めていくことになりました。特には、浄土真宗の開祖である親鸞の正室であった玉日姫(九条兼実の娘)と往生院、親鸞と往生院に関するものでございます。もし、年表をご確認して頂いた上にて、関連したことでの知見がございましたら、往生院六萬...情報提供のお願い(往生院の歴史に関して)

  • 石泉僧叡の本具仏性説から「私の煩悩と仏のさとりは 本来一つゆえ」を検討する

    結局のところ「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」は、石泉僧叡の本具仏性説からですか、と聞かれましたが、それなら、「私のさとりは本来そなわってあるゆえ」か、「私のさとりは私の煩悩により隠れてしまってあるゆえ」か、「私の煩悩を無くせば(離せば)私のさとりが現れるゆえ」か、にならないといけないことになります。あとに続く、『「そのまま救う」が弥陀のよび声』に続けるならば、「私のさとりは本来そなわってあるゆえ」が、もちろん無理はあるものの一応一番妥当となります。いずれにしても「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」が間違いであることは変わらないのであります。つまり、石泉学派でもないということであります。石泉学派は、あくまでも本願寺派が、聖道自力法門よりに一気に教学、実践が傾くということで、本覚思想とはまた違うのであ...石泉僧叡の本具仏性説から「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」を検討する

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