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大衆文化評論家指田文夫の「さすらい日乗」 https://blog.goo.ne.jp/goo1120_1948

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です。多くのジャンルをさ

大衆文化評論家指田文夫の「さすらい日乗」
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2014/09/26

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  • 石原裕次郎はダフガイではないと思う

    高校から大学の頃、私の周辺では」石原裕次郎は、もう太ってダメ」という評価が普通だった。だが、1966年7月、馬場日活で見た舛田利雄監督の『夜のバラを消せ』は、非常に良くて、それを早稲田の映研の連中に言うと大きく笑われた、「今更裕次郎なんて」と。この映画は、由美かおるが、映画に出た最初であり、彼女が孤児たちと住んでいる船での自由な感じも大変yかったのだ。そうした自由な雰囲気を、裕次郎は全体として支えているように見えた。そして、石原裕次郎をタフガイとして、単純なアクションスターとして捉えるのは、私は間違っていると思う。彼は、意外なことに福永武彦の『草の花』を愛好する文学青年であり、物事を仔細に見ることができる人なのだ。そして、多くの映画で、彼は相手役の女優に対して、「受けの演技」をして彼女たちを立てている。そ...石原裕次郎はダフガイではないと思う

  • 日本人がIRに向いていないことを証明する映画

    日本人がIRに向いていないことを証明する映画がある。それは、石原プロ第一回作品の『太平洋ひとりぼっち』である。これは、言うまでもなく堀江謙一の太平洋単独横断を描いた大作で、市川崑監督、森雅之、田中絹代、浅丘ルリ子ら共演の作品だった。だが、これはヒットしなかったのである。なぜか、日本人は、堀江のような冒険が嫌いだからで、映画でも、父親の森雅之は、マスコミに、「もうこんなことはさせませんから」と謝罪している。当時は、そうだったが、今も日本人は変わらないだろうと私は思う。松井、橋下、吉村等は、これを見た方が良いのだが、文化音痴の彼らが見ることはないだろう。日本人がIRに向いていないことを証明する映画

  • 『帰らざる波止場』と佐藤氏講演

    横浜キネマ倶楽部で、1987年7月に亡くなられた石原裕次郎追悼で、『帰らざる波止場』が上映され、佐藤利明氏の講演も行われて、大変面白かった。この『帰らざる波止場』は、公開時の1966年に映画『あなたの命』と一緒に、高田馬場日活で見ていて、いい映画だと記録されているが、斎藤武市監督の『あなたの命』については、なにも記憶にない。話は、有名ジャズピアニストの裕次郎が、海外公演から横浜に戻ってきて、恋人原良子をびっくりさせるために、黙って一日早くマンションの部屋に行くと、男(深江章紀)がベッドの上で暴行していて、裕次郎は深江と争っている内に、原を拳銃で射殺してしまい、殺人罪で3年の刑に服する。裕次郎は、出獄後、マネージャー等を当るが、真相は不明。横浜のイタリア料理店でピアノを弾いていると、拳銃で撃たれ、その血が元...『帰らざる波止場』と佐藤氏講演

  • 大東亜共栄圏か

    高校野球の東東京大会決勝は、共栄学園対東亜学園になった。二つ合わせて、大東亜共栄圏だ。時代錯誤の命名なのか。大東亜共栄圏か

  • さらに、縮小されていた 三菱HFJ銀行上永谷支店

    前に、三菱UFJ銀行上永谷支店が、支店ではなくATMに変わったことを書いた。今日、問題のSBI新生銀行の登録を直すために、上永谷に行くと、三菱UFJ銀行のATMが2階の部屋に縮小されていた。ATM自体が、半分くらいに減らされていたが、ビルの賃借面積は、三分の一くらいになっているのだろう。本当にメガバンクも大変なんだなあと思った。さらに、縮小されていた三菱HFJ銀行上永谷支店

  • 加山雄三らのホテルが出てくる映画がある

    加山雄三の回想で、父・上原謙の親戚が作ったホテルのために、多額の負債を負った件が書かれていた。一族に成功者が出れば、そのおこぼれにあずかろうとする者が出てくるのはよくあることだ。特に、上原謙・加山雄三と二代にわたって大スターが出れば、「なんとかして」と思うのも無理ないところだろう。さて、その問題のホテルの、パシフィック・パーク茅ヶ崎が出てくる映画がある。1967年の松竹、監督野村芳太郎、主演田村正和、加賀まり子の『男なら振り向くな』である。この中で、特別出演の石坂浩二が、加賀と会うのが、パシフィックパーク茅ヶ崎なのだ。ホテルの内部の映像を初めて見たが、石坂と加賀のことについて言うお婆さんは、加山の祖母で、松竹の女優で戦前からこの頃までいた江間光括だろう。彼女は、十分な金があったのだが、映画製作の現場が好き...加山雄三らのホテルが出てくる映画がある

  • 「これは、なんですか」と言われる

    先日、ある会に出て、『ウォーマッド横浜・歴史から消えたビッグ・フェスティバル』のチラシを配ったところ、「これ、なんですか」「1991年に、ここでやったフェスティバルなんだよ」「生まれた次の年です」とのことで、知らないのは当然だった。そこで、日本で最初の野外の音楽フェステイバルは、フジ・ロックではなく、1991年のウォーマッド横浜だったこと言っておく。しつこく言うぞ。「これは、なんですか」と言われる

  • 長銀の嘘に勝ったことがある

    横浜市の財団法人にいたとき、ある日日本長期信用銀行の横浜支店長が突然来た。そこは、財団法人なので、基本財産があり、それを狙ってきて、「うちに全部まとめてくれれば、良い利率を出します」と言った。横浜市なので、横浜銀行他、何行かに別けて預金していた。「長銀は平気なの!」「絶対平気です!」横浜支店長程度では、東京で巨額の不正融資をしていたことなど、知るはずもなかったのだから。当時は、横浜駅西口に高層ビルを持っていて、偉そうに建っていた。いろいろと話したが、もちろん何もせず、長銀に移すことなど、なにもしなかった。数か月後、長銀は倒産した。なにもしなくて良かったと思った。地方公共団体の財団法人で、基本財産に手を付けて、減らしたのはほとんどないが、余剰の現金等を運用して失敗し、大赤字を出した人もいた。銀行の勧めで、外...長銀の嘘に勝ったことがある

  • さすがハゲタカファンド銀行

    あるところに送金しようとしたところ、登録した口座に送ると、「ありません」とのこと。調べると、新生銀行なのだが、今はSBI新生銀行に代わっているので、だめなのだ。勝手に自分で名称を変えているのに、こちらに変更をさせる。一斉に銀行側が変更したら、金がかかるため故だろう。さすがにハゲタカファンド銀行だと思った次第。さすがハゲタカファンド銀行

  • 『眠狂四郎・人肌蜘蛛』

    「眠狂四郎」シリーズも多くの作品があるが、これは見ていなかったので、見ると面白い。監督は安田公義で、あまり評価されないが、私は好きだ。1966年に、川崎中央劇場に増村保造の『赤い天使』を見に行って偶然見た安田道代主演の『殺人者』を見て、びっくりしたのだ。この人は、抒情的なのだが、画面も良いのだが、それもそのはず美術学校出なのだ。だから、当然コンテ主義で、内藤昭の本によれば、全編完全なコンテのスケッチがあり、それに従って撮っていく方法だったようだ。話は、甲府に徳川家斉の妾腹の子の土門家の兄・妹、川津祐介と緑魔子が支配していて、領民を城に拉致しては、殺している。緑は頭痛持ちで、それを血を見て癒すためなのだ。また、川津は密かに緑を恋している怪しげな関係。乳母が岸輝子で不気味なところが良い。そこに江戸から、吟味役...『眠狂四郎・人肌蜘蛛』

  • 「地図には参る 『これが戦場だ』」

    劇団俳小の公演が中野で行われているので、見に行く。この地図がすごいものだったのだが、中野駅に降りてあまりに暑いのでタクシーに乗ると、運転手が知ってますと言い、「ここです」とぴったりと中野ポケットに着いた。私は、北が下、南が上と言う地図を初めて見た。この劇場の関係者は、中学の地理は零点である。劇は、アフガニスタンでの、アメリカとアフガン政府連合軍のことで、敵はタリバン兵である。歴史的に、大国が小国に負けた戦争が二つあり、一つはアメリカのベトナム戦争で、もう一つは、旧ソ連のアフガンのイスラム勢力軍に対してであった。どちらも、アジアの地勢で、ジャングルと砂漠は、物量による近代戦もゲリラ戦法には勝てなかったのだ。その後、生き残ったタリバンを今度はアメリカが殲滅することになったわけだ。そこの小部隊の4人の兵士の話で...「地図には参る『これが戦場だ』」

  • ジャニー喜多川事件に見る戦後の日米関係

    アークタイムズで、服部吉次と松崎氏の記者会見を見た。問題は、二人とも小さいころに、ジャニー喜多川から性加害を受けた人だった。服部吉次は、服部家で、松崎氏は、少年野球チームジャニーズにいるときに。服部吉次は、元テントの役者で、言うまでもなく作曲家服部良一の次男だった。今回見ると白髪で、当然だが随分と年取ったなあという感じだった。戦後、服部家と喜多川家は、深い交流があり、それは服部良一が笠置シズ子を連れてアメリカ公演に行ったときだった。地元の日系二世のジャニー喜多川らは、公演の手伝い、スタッフとして甲斐甲斐しく働いたとのこと。そして、1950年代には、朝鮮戦争の従軍通訳として来日し、東京の服部家に頻繁に出いりしていた。その中で、当時8歳の服部吉次は、性加害を受けたのだそうだ。ジャニー喜多川は、服部家では、特に...ジャニー喜多川事件に見る戦後の日米関係

  • ワイヤーレコーダーについて

    朝日新聞に加山雄三の回想が連載されていて、昨日は、父上原謙がワイヤーレコーダーを持っていたことが話されていた。ワイヤーレコーダーについて、彼は「針金に録音するもので・・・」と言っていたが、本当は細い銅線に録音するもので、19世紀末に発明され、20世紀初頭には商品化されていた。テープレコーダーの以前の録音機では、ディスク式レコードは、いくら増やしても4分くらいしかならず、両面を使っても、せいぜい8分だった。そこで、クラシックのシンフォニーなどでは、数枚のSPを写真帳に挟んでセットとした。それを写真帳だったので、アルバムと称した。その言でいえば、後のLPもアルバムと言ったのも本当は変なのだが。さて、このワイヤーレコーダーについては、ジャズファンならよく知っているはずだ。『ミントンハウスのチャーリー・クリスチャ...ワイヤーレコーダーについて

  • 『駿河遊侠伝・破れ鉄火』

    大映の田中徳三は、大したことのない監督と思っていたが、1964年のこれは非常に良かった。主演は、勝新太郎で、清水の次郎長になる前の時、諸国を遍歴している時代の話。最初に、ある賭場でイカさまをやっている奴がいて、それを折檻しようとすると、勝新が止めて、「男ならするが、女じゃなあ」と言う。男に化けた女で、誰かと思うと浅香光代。「へえ、意外ときれい」と思うが、ラストには着物姿も見せる。この辺の役者へのサービスも、勝新らしいところ。子分志願で付いてくるのが、水原弘で、この頃から勝新の豪快な生き方を学んで、身を滅ぼすことに至る。古い善人の親分の寺津の治助役が、なんと山本礼三郎で、本当に勝新は、昔の役者への尊敬があると思う。この映画の撮影の後、山本礼三郎は、病院に急患で運ばれて亡くなったとのこと。悪の親玉が、当然にも...『駿河遊侠伝・破れ鉄火』

  • ブルース・リー映画の元は『座頭市』

    先週、朝日新聞の夕刊に、小泉という人が、「ブルース・リー」について書いていたが、勝新の『座頭市』について、なにも触れていないのはどうしたわけなのだろうか。ブルース・リーのクンフー映画は、勝新の『座頭市』がヒントであることは、有名なここである。その証拠に、リーの先輩のジミー・ウォングは、『座頭市・破れ唐人剣』に出ている。これは、ラストが二つある作品で、日本版は座頭市が勝つが、香港版は、ウオングが勝つのだそうだ。『座頭市』は、アジアやラテンアメリカでもヒットした作品で、キューバでも人気だったことは、黒木和雄の『キューバの恋人』のメーデーのパレードにも出てくるのだから。もちろん、私は、こうしたことを非難しているわけではない。大衆文化である映画や演劇では、先行する作品が、さまざまに変更され、修正され、転換されて新...ブルース・リー映画の元は『座頭市』

  • 『地獄の掟に明日はない』の問題点

    前に降旗康男監督の作品として『地獄の掟に明日はない』を評価した。彼の監督デビュー作の『非行少女ヨーコ』は、今見ると相当に笑える映画だが、公開当時は、早稲田の映研でも「東映にもすごい新人監督が出てきた!」と騒がれたものだ。そして、次の作品が高倉健主演なので、さらに期待が高まり、見るとかなり良い作品だった。共演は、三国連太郎と十朱幸代だった。だが、これには二つの問題があった。一つは、筋書で、言うまでもなくジャン・ギャバンの映画『望郷』の焼き直しであることだった。もう一つは、音楽で、八木正生だが、これが完全にマイルス・デイビスの『スケッチチズ・オブ・スペイン』なのだ。よくもここまでそっくりに使うのかと思ったものだ。だが、こうしたことは、当時よくあったことで、ある日活映画を見たら、音楽は三保敬太郎だったが、これも...『地獄の掟に明日はない』の問題点

  • 『オテナの塔』は・・・

    先日見た、唐十郎作の『少女都市からの呼び声』には、重要なキーワードとして、オテナの塔が出てくる。満州に残留した陸軍の隊長の風間杜夫らは、北の果てにあるというオテナの塔を目指すと言い、三角の塔の影がホリゾンとに映り、霧と共にラストになる。ここは、いっそのこと、ホリゾントを開けて、7階のビルの外に風間を吊るしたら場内全員大感動だったと思うが、それはなし。渋谷のシアター・コクーンのホリゾントは開くようになっていて、蜷川幸雄は、ラストで劇場外の渋谷の街を見せたものだが。演出の金守珍は、そのくらいの冒険をすべきだったと思うのだが。さて、この劇を見ていて、唐十郎をはじめ主要な作者は、このオテナの塔を見ていないのではないかと思えてきた。NHKラジオの『新諸国物語』の『紅孔雀』、『笛吹童子』等は、東千代之介・中村錦之助の...『オテナの塔』は・・・

  • 『わが映画人生・マキノ雅裕』

    日本映画監督協会による「監督に聞く」シリーズの1本、聞き手はマキノの助監督も務めたことのある澤井信一郎で、その映像化の監督は、奥中惇夫。このお二人も亡くなられているのだが。私は、マキノが苦手で、見ていて面白いのだが、長門裕之・津川雅彦・南田洋子らマキノ一族が出てくるのと、庶民、民衆はいつも正しいとされることで、民青嫌いの私としては、困るのだ。マキノのような「生きている映画史」の語りはすごく、まあ嘘はないだろうが、自分たちに都合の悪いことは言っていないようにもみえる。京都一商のとき、ラクビー部が優勝したため、父の牧野省三に、中学を中退させられてしまい、映画作りを手伝わされることになる。脚本からカメラ、現像までやらされることで、学ぶことになる。最初の監督作品は、童謡を基にした『青い目の人形』で、相当に評価され...『わが映画人生・マキノ雅裕』

  • 運・建戦争

    今や、この言葉を知っている人も少なくなっただろうが、1980年代の日本には「運建戦争」というのがあった。これは、運輸省と建設省の縄張争いのことを言ったものだが、それは中央の霞が関で展開されるものではなく、横浜のような地方で、「代理戦争」として行われたものだった。その典型的な例が、40年前の横浜で実施された、みなとみらい21計画の起工式に違いない。それは、一応、公式的には1983年11月に、起工式が行われたとされている。だが、その1週間後に、「礎石鎮定式」という名の起工式も実施されたのだ。前者が、建設省と横浜市都市計画局で行われた公式的なものだった。一方、後者は、運輸省と横浜市港湾局で行われた式だった。横浜市で、みなとみらい21計画が始められたとき、最初は企画調整局の計画だった。それが、都市計画局での実施事...運・建戦争

  • 大日本航空と映画界

    根岸にあった大日本航空の飛行艇の基地のことを書いたが、実は日本の映画界とも深い関係があった。それは、同社の東京の本社で、有楽町にあったが、空襲で焼失した。そこに目を付けたのが日活社長の堀久作で、米軍用の駐車場を作るとのことで土地の払い下げを受けて、日比谷パークビルとし、日活の本社、映画館、ホテルにした。石原裕次郎と北原三枝の結婚式も、ここで行われた。堀は、大変な政商で、江の島に水族館を作ったが、国有地である砂浜にどうやって民間の建物を作ったのか。相当に金をばらまいたのだろうと思う。政治家原健三郎の名前が、長い間小林旭の「渡り鳥シリーズ」の原作者としてタイトルにあったが、これは勿論政治献金の言い逃れである。私が学生時代、劇団の先輩の島村さんの会社・東西通信でアルバイトしていたとき、日活の本社はまだそこにあっ...大日本航空と映画界

  • 大阪万博をどうするか

    2027年に開催される予定の大阪万博の評判が悪いようだ。今更、19世紀のものであり、時代遅れの万博をすること自大がどうかしているが、どうしたら良いか考えてみる。なにか世界中から新しいものを見せるのが万博だが、ネット時代の今日、本当に新しいものを見せられるかは相当に問題がある。私は、中田宏市長の時の、「開国博」のときも問題だと思ったが、今は本当に開催の意義はないと思う。開国博と書いたが、実は多くの人は、「開港博」と記憶しているだろうが、本当は開国博であり、この名前時代が問題で、横浜市ごときがやるのは僭越であったのだ。さて、大阪の万博だが、いったい何を見せるのだろうか。日本維新の会の躍進を展示するのかね。博覧会は、もちろん展示会だが、同時にイベント、祭りでもある。1989年の横浜博の時も思ったが、祭りを半年も...大阪万博をどうするか

  • mirano-zaについて

    これほど安っぽい劇場もないだろう。品格ゼロ、地方自治体の文化センターでももう少し遊びや飾りがあるが、そうした無駄が一切なく、まるでオフィスビルの部屋のごときの劇場空間。簡単に言えば、渋谷のシアターコクーンの横幅を広げたような劇場である。新宿歌舞伎町のミラノには、東京の青少年非行の巣だったアイススケート場があったが、そこが複数の映画館になり、後にはシネマスクエアというミニシアターのはしりもあったが。今度は高層のタワーになったが、東急も新線建設で金がないのだろうか、全国でも珍しい歴史に残る劇場建築になった。『風と共に去りぬ』のような玄関のラセン階段がくだらないが、こうも品格のないのも困ったものだと思う。肝心の劇の『少女都市からの呼び声』だが、唐十郎の劇の最大の魅力である「陶酔感」がどこまで行っても出てこないの...mirano-zaについて

  • 『蓼科高原と小津安二郎』

    オールスターゲームの中継がまったく面白くないので、ユーチューブに代える。真剣に野球を見るという精神に欠けている。テレビ朝日は、どうかしている。またしても、下村さんがアップした作品。監督は元松竹の井上和男で、横浜映画放送学院にいた連中に聞くと、「井上さんも、いろいろとやりたかったが、結局できなかった」、その不満が強かったそうだ。井上和男の作品は3本くらいしか見たことがないが、後の大島渚などのヌーベルバーグの連中の先駆けの監督だったと言えるだろう。あらためて、これを見ると、昔の松竹や日本映画界は、結構裕福だったのだなあと思う。小津の他、今村昇平、新藤兼人らも蓼科に別荘を持っていたのだから。当時は、土地も建築費も安かったのだろうと思うが、かなり名のある映画人となれば、別荘をもてるような暮らしができたのだったと思...『蓼科高原と小津安二郎』

  • 日本石油の千鳥町・豊浦町の土地は、当初の計画では高級住宅地だった

    中区根岸鳳町の土地は、もともとは大日本航空の土地だったと書いた。では、千鳥町・豊浦町は、どうだったかと言えば、これは元はなんと住宅地だったのだ。それを知ったのは、やはり港湾局の管財係長をやっているときだった。19876年の秋ごろだと思うが、南区の公明党の議員遠藤望先生から電話があり、港湾の土地のことで要望がある人がいるので、会ってくれという。すると、かなり高齢の産廃業者社長と弁護士が来たが、その話が驚くべきものだった。「中区根岸の日赤病院あたりの土地は、本来は私のものなので、寄こせ」というのだ。びっくりして聞くと、以下のような話だった。戦後、米軍が根岸湾の土地に、市内の瓦礫を捨てて埋立をした。そのとき、われわれは代金を貰っていず、代わりにできた時には土地を上げるよ、という話だったので、俺たちにくれというの...日本石油の千鳥町・豊浦町の土地は、当初の計画では高級住宅地だった

  • 高倉健について

    ネットで羽仁進と入れたら、なぜか「高倉健、佐伯清が語る」と出てきたので、見ると檀ふみが聞き手で、高倉健と札幌の寿司屋で対談しているテレビだった。北海道と馬、映画のことで、最初に北海道で撮った作品は、佐伯清監督の『夕陽と拳銃』だったとのこと。次は、内田吐夢監督の『森と湖の祭り』で、ここから馬、そして『網走番外地』シリーズになって行く。この佐伯清も、石井輝男も、実は新東宝出身で、その前は東宝にいたのだ。だが、東宝が大ストライキで、分裂し、彼らは新東宝にいくことになったのだ。石井は、もともと東宝ではカメラマンで、その性で徴兵を逃れたのである。東宝には、秘密スタジオの航空教育撮影所というのがあり、そこでは主に海軍からの注文を得て、「教材映画」を50本以上作っていた。それは、戦後の新東宝撮影所の大スタジオに模型の真...高倉健について

  • 日本石油の土地は

    横浜市中区根岸にある日本石油精製の土地の一部は、実は日本石油のものではないと知っている人はどのくらいいるのだろうか。今は、どうなっているか知らないが、1980年代は、日石製油所の南側の掘割川側の一部の用地は、実は国際航業が所有する土地だったのだ。なぜ、私がそんなことを知っているかと言えば、当時港湾局港営課管財係長をやっていたので、知っていたのだ。港湾地区には、今では厳しくなくなったようだが、「臨港地区規制」というのがあり、臨港地区内では港湾に関係する企業や組織しかできず、また所有することができないことになっていた。およそすごい縄張りだったわけだ。だから、臨港地区内の土地の完全な所有者の台帳があった。半畳くらいの大きな地図で、そこに全所有者が書かれていて、私の管財係長時代の「愛読書」だった。そのなかで、根岸...日本石油の土地は

  • Bキャスカードにご用心

    先週から、テレビ及びレコーダーの音が、ステレオに聴こえず、モノラルでおかしいと思っていた。いろいろと配線を調べたり、接続をやり直したが、直らず、最後の手段として、Bキャスを入れ直した。なんと直ったのだ。NHKの受信にしか関係していないと思っていたが。今は、テレビ、レコーダー全体が一つのシステムとして動いているようだ。その核にいるのが、あのカードのようだ。今後も十分に注意しようと思った。今は、すべてが順調に動いている。Bキャスカードにご用心

  • 日本映画四大監督

    小津安二郎、溝口健二、黒澤明、成瀬己喜男を俗に日本映画四大監督と言うそうだ。私は、これに加えて豊田四郎を入れてほしいが。その四大監督に共通するものが、三つある。全員、男であり、東京の下町生まれである。もう一つは、なんだろうか。それは、全員大学を出ていないことで、小津と黒澤は一応受験したらしいが、落ちているようだ。いずれにしても、戦前の日本映画界は、高学歴の者がいくような場ではなかったのである。それが、戦後の就職難の中で、大島渚、吉田喜重、篠田昌浩など、高学歴の若者が入る職場になったのである。今は、どうなのだろうかと思う。日本映画四大監督

  • S部長について

    横浜市役所に36年間いて、いろんな人にあったが、港湾局のS部長も印象に残る方だった。非常にいい方で、技術屋なので、口下手で嘘のつけない真面目な人だった。ただ、問題はあり、ときどき時間通りに出勤されないことがあった。住所が東京で、通勤に1時間以上かかる上、夜遅くまで酒を飲んでいることがあるので、朝早く来られないのだ。別に飲むと言っても、勝手に飲んでいるのではなく立派な仕事で、運輸省の役人と付き合っているのである。横浜市の港湾の施設は、実はその多くは国有財産であることが多く、それを加工したり、変更・修正したりする時は、あらためて国の許可が必要なので、そのためには国の連中との交渉が必要になる。特に、当時はみなとみらい計画が進行していたので、新興ふ頭や大さん橋などのほとんどは、国有財産なので、交渉が必須だったのだ...S部長について

  • 思い出のジェーン・バーキン

    ジェーン・バーキンが死んだそうだ、76歳。彼女の夫・セルジュ・ゲンスブールのコンサートは見たことがあるが、ステージ上でスパスパと煙草を吸うというすごいものだったが、やはりその影響のガンなのだろうか。彼女には、ブライアン・ジョーンズからエディ・コクラン、ジミ・ヘンドリックスなど、死んだミュージシャンを唄う曲があった。ついに彼女も、思い出のロックンローラーになってしまったのだろうか。冥福を祈る。思い出のジェーン・バーキン

  • 万博、カジノに正反対のものはなにか

    昨夜は、「山下ふ頭についてのみんなのプロジェクト」の野毛のハナハナでの会議に出た後、元市役所の野田邦弘君らと懇親をした。土曜日の夜で、ベイスターズ戦もあったとのことで、野毛は大変な混雑だった。ただ、ベイスターズは負けたので、そのユニフォームの連中はいなくて、逆に広島のファンがいたようだ。さて、この席で一番の話題になったのが、大阪の万博がだめだということで、まさに時代遅れとの意見だった。万博は、19世紀末の欧州で、世界の珍しい文物を集め、またイギリス、フランスの進んだ文明を背内中に見せるイベントとして始められた。そこに来たインドネシアの音楽は、ドビッシーの響きにヒントを与え、アフリカの彫刻は、ピカソに影響したのは有名だろう。日本も徳川幕府も出展したし、明治政府も出たはずだ。いずれにしても、文化、文明の交流に...万博、カジノに正反対のものはなにか

  • 『猛獣使いの少女』

    1952年の大映映画、オール・アメリカン・サーカス団が、蔵前国技館で興行をする。大映というのは、時代劇の古臭い会社のように見られているが、実は洋画部があり、1960年代は、ディズニー映画の配給をやっていた。パシフィコ横浜にいたとき、Fさんという女性がいて、彼女の父親は経団連の幹部、母親は大映洋画部にいたとのことで、彼女の家庭では、英語で話しているという噂だった。一度、酔った彼女を保土ヶ谷の家に送っていったとき、奥から普通のおばあさんが出てきて日本語だったので安心したものだ。そうした大映だったので、アメリカのサーカス団の招へいもやって、興行もしたのだろうか。江利チエミの映画デビュー作で、脚本は井出俊郎と井上梅次、美術は木村丈夫、そして音楽は、『赤胴鈴之助』の主題歌作曲の渡辺浦人。彼の長女は初代の新国立劇場芸...『猛獣使いの少女』

  • 『7人の刑事・女をさがせ』の二人の制作者

    『7人の刑事・女をさがせ』を見た。これは、川崎国際で見たように記憶していたが、ノートには記録がなく、今回見てまったく筋を憶えていないので、初めて見たのだと思う。監督・脚本の高橋治は、これが松竹での最後になり悦の、後には小説家になったのは、奥さんが文芸誌の人だったからのようだ。俗に高橋は、松竹ヌーベルバークの最初のように言われるが、内容的には無関係で、あえて言えば兄貴分的存在というべきだろう。ただ、これの2人の製作者は気になった。市川喜一と栄田清一郎で、二人とも独立プロ的な方である。栄田は、羽仁進とも関係のあった方で、ここでも十朱幸代と城所英夫が、浅草や上野、そして横浜の大さん橋を歩くところは、やや即興的に撮影されていて、羽仁の『充たされた生活』の東京の情景みたいだ。思い出すのは、野村芳太郎監督の映画『東京...『7人の刑事・女をさがせ』の二人の制作者

  • 医療・福祉と文化・芸術は違う

    私は、なぜ山下ふ頭開発で、最初に金沢の横浜市大病院をと言っているのは、医療・福祉と文化・芸術は、本質的に違うし、また自治体としてするべきものと、絶対にしなくてはならないものではないものとの差異があることだ。もちろん、前者の医療・福祉等は、法的にしなくてはならないものだが、文化・芸術は、設置義務はなく、やれるものならやっても良いと定められているわけだ。正確には、やれと決まっているわけではなく、またやってはならないとも決まっていない。要は、自治体の自由、しいて言えば市民の自由というわけだ。だから、福祉や医療においては、ある条件に該当する者に対して、同一の施策、事業が必要となるが、文化・芸術においては、水準は問題にならない。それは、創造の自由の範囲に属するからだ。だから、私は、川村さんが言う「専門図書館」や穴澤...医療・福祉と文化・芸術は違う

  • YouTubeには、黒木和雄作品もある

    本当に、YouTubeには、なんでもあるもので、なんと黒木和雄が日本羊毛振興会のPR映画として作った1961年の『恋の羊が海いっぱい』もあった。『恋の羊が海いっぱい』になると黒木の才能が爆発する。これはペギー葉山を主人公にしたミュージカルなのだ。ペギーが歌う東京の街角から、お針子の部屋、さらに緑の牧場へと忙しく転換するが、到底記録映画には見えない。音楽は、小野崎孝介、詩は谷川俊太郎。お針子で当時の若手女優が多数出てくるが、久里千春、五月女マリ、水垣洋子、そして言うまでもなく後に真理明美になる及川久美子。牧場で出てくる鰐淵晴子のような女優は誰かと思うと、岡乃桃子で、松竹の女優だったようだ。ともかくすごい映画で、黒木の才能が爆発しているが、逆に言えば、当時の岩波映画には、多くの才能が結集していたということでも...YouTubeには、黒木和雄作品もある

  • 映画は、風俗描写が重要

    あまりに暑くて、外に出るのが嫌だったので、昔の録画の藤田敏八監督、秋吉久美子主演の1974年の『妹』を見る。さらに、今井正監督で、草刈正雄と共演の1975年の『あにいもうと』も見る。昔、松竹で監督の吉村公三郎は、島津保次郎から「いいか、映画は風俗が重要なんだぞ」と言われたそうだ。この2本では、『妹』では、鎌倉の民芸品店、原宿のフリーマーケット、『あにいもうと』では、溝の口駅付近のストリップ劇場が出てくる。藤田は、日活だが、製作再開後の日活には、西河克己ら多数の松竹大船の助監督が来ており、今井がいた東宝には、松竹の大監督の島津が来ていたので、彼らの薫陶を受けていたと思うのだ。この1970年代前半は、完全に日本映画は秋吉久美子時代だったと思う。その意味では、「日本の妹」だったわけだ。因みに、藤田・秋吉の『赤ち...映画は、風俗描写が重要

  • 石原慎太郎と安倍晋三の共通点

    去年、2022年は、石原慎太郎と安倍晋三が亡くなった年だったが、この二人には共通するところがある。以前、私は、石原慎太郎原作の映画について、次のように書いた。午前中、彼の原作『挑戦』を須川栄三が監督した、三橋達也、司葉子主演の『愛と炎と』を見た。出光興産の社長出光佐三をモデルにした小説で、彼の下でイランから石油輸入を実現させた男のドラマ。ここで描かれているのは、米占領軍に抗して、アラブから石油を輸入し、日本の民族石油産業を奮い立たせた男たちの美しい姿である。これを見ると、石原慎太郎は、三橋達也が演じる、石原より少し年長の戦中派へ、ある種の憧れを持っているように見える。石原慎太郎は、太平洋戦争に行き遅れたことが、最大の悔恨のようにさえ見えてくるのだ。彼が今回も口にした、最後のご奉公等のセリフの古臭さは、戦時...石原慎太郎と安倍晋三の共通点

  • 『ベストキッド・2』

    公開時に見たのは、監督がアビルドセンだったからで、『ロッキー』のように面白いと予測したが、相当に満足した。要は、『ロッキー』のように弱く見えるのが、実は強いというので、その元は『座頭市』である。ロスにいるモリタとダニエルが、モリタの父が危篤とのことで、故郷の沖縄に戻って来る。そこのモリタの故郷の宮城村を支配しているのは、元ライバルだったサトウで、町や村を支配している。ただ、撮影はフィピンだったとのことで、衣装やセットの感じが違うが、まあ許せる範囲だろう。そして、なぜか急に嵐が来て、村を襲うが、そのなかでサトウとミヤギは和解する。だが、サトウの甥の男は、満足せずダニエルと戦う。このときのダニエルの戦法が、デンデンだいこで、皆が太鼓を回すのが大いに笑える。やはち、日本的なものを挿入しないと日本的な映画におさま...『ベストキッド・2』

  • 『JFKを作った3人のケネディ』

    NHKで、ケネディ元大統領を作り上げた3人のことが放映された。父ジョゼフ、妻ジャクリーン、そして弟ロバートである。前二人の死は、知らないが、ロバート・ケネディが殺された日はよく憶えている。1968年6月で、私は当時付き合っていた子と、渋谷の喫茶店にいた。いつも待ち合わせていたのは、新宿だったので、この日は、その前にどこかに行ったのか、記憶はない。だが、そこは3階まである大きな喫茶店で、当時はよくあったのだが、BGMでFENを放送していた。それで、ロバートの死を聞いた。英文科の落第生だった私でも、そのくらいのニュースは、理解できた。その数年前だったと思うが、彼は日本に来て、早稲田の大隈講堂で、学生と討論をして、その模様はテレビでも放映されていた。「日本のテレビも、随分と自由だったんだな」と今にして思うのだ。『JFKを作った3人のケネディ』

  • 古畑弘二だった 『20歳の恋』

    先日、トリフォーも監督したオムニバス映画『20歳の恋』の日本編の主人公の青年は、石崎浩二だろうと思っていたが、今のウィキペディアを見ると、古畑弘二になっているので、どちらが正しいのか、確かめたくて、日本ATGのパンフがネットにあったので、買う。するとやはり古畑弘二で、女優は田村奈己だった。そして、驚くことに、そのパンフレツトには、券が入っていて、日劇文化で、1963年4月20日、14時40分の回で、4列目7番の席にどうぞ、と書かれていた。この頃の映画館のチケットは、いちいち手で書いて発券していたのだと思う。この『20歳の恋・日本編』の脚本・監督は、石原慎太郎で、小松川女子高校生殺題材なのだがなのだが、あまり明確ではない。しかし、後に大島渚が『絞首刑』で描いたように、慎太郎も、当時は多少は反社会的だったのだ...古畑弘二だった『20歳の恋』

  • 大久保英太郎さん

    大久保英太郎さんは、横浜市会史上で、初めての社会党の議長であり、4年間の任期も務めた方である。私は、最後の半年を議長秘書として仕えたが、大変に勉強になった。私は、大久保さんの生まれは知らない。ただ、もともとは北海道の道東の電報局にいたそうで、市会でのあだ名は「デンポー」だった。どのようにして横浜の市会議員になったのかも知らないが、当時は保土ヶ谷区の星川に自宅があった。ただ、先生は、「俺は分区のとき、旭区に5,000票おいてきたので、最初は大変だった」と言っていたので、もともと星川に住んでいたようではなかったらしい。ともかく、全電通系労組で議員になったわけで、同じ旧郵政系の全逓労組とは仲が良く、集会ではいつも国会議員の大出峻らと一緒だった。大出も、バクダン男で有名で、息子も1回だけ民主党で議員に当選したはず...大久保英太郎さん

  • 美空ひばり、ブラジル公演

    1980年夏、美空ひばりは、ブラジル公演に行った。現地の奥原興行によって行われた公演には、約5万人の人間がブラジルのみならず、南米諸国から見に来たとのことだ。このとき、ひばりは、まだ30代であり、見るとかなり若々しい。ホリゾント幕には、加藤哲也、香山武彦の名も書いてあり、まだ生きていたんだなあと思う。正直に言って、ひばり・チエミ・いずみの3人娘の内、ひばりが一番嫌いで、いずみが一番好きだった。理由は、雪村いずみは、西欧的で素直な感じがしたからだった。今見ると、いずみはほとんど素人としか見えない。それは、当然で、雪村いづみの父の朝比奈氏は、戦前にハワイアンバンドを大学でするなどの上流の方で、戦後は占領軍に勤務していた。だが、彼は急に自死してしまったので、娘のいずみが芸能界にデビューしたのであり、素人的なのも...美空ひばり、ブラジル公演

  • 区役所で困ったこと

    横浜市では、磯子区、緑区、金沢区の区役所に勤務した。その中で、一番困ったのは、そこでの飲み会の話題に、必ず「この日本酒は旨い」とか「この焼酎がよい」との話題が出ることだった。私の舌は味音痴らしく、日本酒や焼酎の味はわからない。逆に鼻は良く利き、普通の人よりも敏感なのだが。そうした宴会で、いつも思っていたのは、「こんな仕事で飲むよりも、気の合う連中、さらにいい女と一緒に飲む酒はおいしく、こんな仕事のつきあい酒は少しもおいしくない」だった。今は、つきあい酒はないので、いつもおいしく飲んでいる。区役所で困ったこと

  • 内示を取り消された課長

    昨日、横浜市役所で、鈴木喜一議長の一言で内示を取り消された課長について書いた。その方は、職員時代に市会事務局にいて、その後各局をまわった後に係長試験に合格し、課長になった方で、やっと憧れの市会に戻れることになった。そして、その頃は、し尿処理の現場にいたとのことだった。当時は、まだ下水道が完備していなかったので、バキューム・カーで収集したし尿を専用船で運搬し、横浜港の港外に投棄していた時代で、そこにいたのだ。なんとか良いところにと思っていたので、うれしくてつい鈴木喜一議長に電話してしまったのだろうと思う。まあ、仕方のないところだと思う。し尿処理の海上投棄が見られる映画がある。岡本喜八の日本ATGでの作品『肉弾』のラストシーンである。大谷直子のヌードのみで評価されるされる映画で、私は他の岡本作品に比して、そう...内示を取り消された課長

  • 鈴木喜一さんと相川藤兵衛さん 4

    相川藤兵衛さんが議長になり、私は非常に気が楽になった。それは、相川さんは、非常に温厚で気難しいところがまったくなかったからだ。鈴木先生は、横山先生との関係にあるように人の好みが結構あり、だめと思い込んだら、ずつとダメだったからだ。横浜市役所では、人事異動の前に、内示があった。ある時の内示で、市会事務局の課長の内示を受けた人がいた。よほどうれしかったのだろう、その方は、鈴木議長に「今度、市会事務局に行きますのでよろしく」と電話した。すると議長は、「絶対にあんな奴はだめ」と人事部長に電話して、熱海での県議長会に行ってしまった。びっくりして、助役が飛んできた。「鈴木議長は、どこに行ったんですか」熱海の県下議長会のホテルを教えた。もちろん、助役は熱海に行き、その課長の内示は取り消された。翌週、鈴木議長に聞いてみた...鈴木喜一さんと相川藤兵衛さん4

  • 鈴木喜一さんと相川藤兵衛さん 3

    相川さんはに行く前に、もう一つだけ鈴木喜一さんのことについて追加する。それは横浜駅のホテル・リッチのことで、今は横浜キャメロット・ホテルと名が変わっている。横浜の地下街の一番端にあるホテルだが、その名の通りリッカー・ミシンが作ったホテルだった。そこは木材の市場があり、一時は浦舟町の横浜市大病院の移転候補地ともなったところだった。横浜の大岡川両岸には、材木関係の会社が多くあったが、これは材木は港で船から落とし、筏で輸送したからで、川の周辺に関連企業が立地したのであり、小此木も大岡川沿いに本社がある。小此木家は、歌蔵、彦三郎、八郎と三代続く横浜の世襲議員一家である。そこにリッカー・ミシンがホテルを建てることになり、頼ったのが元代理店だった鈴木先生だった。年柄年中、彼らは議長室に来て、建築局の職員と交渉していた...鈴木喜一さんと相川藤兵衛さん3

  • 鈴木喜一さんと相川藤兵衛さん 2

    1975年の春、川口正英さんの議長が終わった頃、正確な数字は憶えていないが、横浜市会の党派の順は、自民、社会、公明、民社で、共産党だったと思う。なので、議長は自民党の序列からみて、今度は西区の鈴木喜一さんだろうとの噂だった。だが、驚くことに議長は、社会党の大久保英太郎さんになった。その理由は、自民党団長の横山健一さんが、「われわれは今後は、飛鳥田市長に対して完全野党になるから」と宣言して議長を放棄したので、第二党の社会党の大久保英太郎さんが議長になったのだ。もちろん、初めての社会党議員の議長就任である。だが、これには裏があり、「完全野党云々」は表向きの理由にすぎず、本当は横山健一さんが鈴木喜一さんを嫌いで、「鈴木喜一を議長にしたくなかった」からなのだ。なぜ、横山さんが、鈴木さんが嫌いだったのか、その理由は...鈴木喜一さんと相川藤兵衛さん2

  • 鈴木喜一さんと相川藤兵衛さん

    松村議長のことを書いたので、その前に公的秘書として仕えた二人の自民党の議長について述べる。お二人は、かなり対照的な出自だったが、自民党なので非常に共通したところもあった。まず、区だが、鈴木先生は、横浜市西区で、住所は久保町だった。対して、相川さんは、金沢区の六浦で、大地主相川家の当主だった。相川さんは、大地主の当主と書いたが、鈴木先生のお家は、どういう人か私は知らない。先生から聞いたこともない。ただ、そう裕福ではなかったようで、給料の良い横浜市交通局の市電の運転手になったのだから。こう書くと意外に思われるかもしれにが、横浜の市電の運転手の給料は非常によく、またいろいろと特別手当のようなものもあったので、「非常に良かった」のだそうだ。1960年代のモータリゼーションの時代とは違い、横浜のような大都市でも、市...鈴木喜一さんと相川藤兵衛さん

  • 西区は、三菱重工の城下町だった

    月曜日の夕方は、ランドマークタワー内の横浜市大エクステンションセンターで行われた「フォトグラメトリーが近現代史の視点を変える」に行き、杉島和三郎さんのお話を聞くが、非常に興味深かった。中区元町生まれで、95歳の杉島さんは、早稲田大学理工学部を出られて、昭和27年に、横浜の三菱重工造船所に勤務される。当時は、レッドパージの直後で縁故採用が多く、同期は7人だったとのこと。三菱重工と書いたが、当時は財閥解体で、重工は別の名称だったが。当時、横浜造船所には約1万人の職員がいて、勤務時間は朝8時から、夕方4時までだった。杉島さんは、重機、実際はボイラー等の設計、製作に当たられたそうだが、他に船体部、また全体を統括する総務部などがあったとのこと。会社の正門は、高島町に近いところにあり、そこでタイムレコーダーを押して事...西区は、三菱重工の城下町だった

  • 『四谷怪談』

    鶴屋南北の名作『東海道四谷怪談』は、なんども映画化されていて、新東宝の中川信夫監督の作品が有名だが、私は1965年に東京映画で作られたこれが一番好きだ。理由は、役者が良いからで、中村勘三郎の直助と仲代達矢の伊右衛門だが、三島雅夫の宅悦、その女房は野村昭子、伊右衛門に殺されてお岩と一緒の戸板に打ち付けられしまう不幸な小者が矢野宣と皆適役なのだ。ともかく、勘三郎の嫌らしさが非常に良い。まさにスケベな歩き方が最高!この映画は、劇団俳優座が小沢栄太郎演出で『四谷怪談』を成功させたので、できた映画だと思う。そして、お岩を俳優座では、座内の大塚道子だったが、それを松竹の岡田茉莉子に代えてできたものだろう。東京映画は、一応東宝の範囲だが、独立プロなので、「5社協定」外なので、松竹の岡田を出すことができたのだ。同様に、森...『四谷怪談』

  • 松村千賀雄議長時代

    松村千賀雄先生時代について書く。横浜の自民党は、鶴見区の横山健一先生時代の後は、中区の松村先生の時代になった。これがどうしてなったのかは、自民党ではない私にはわからない。ただ、われわれの感じでは、いつの間にか自民党は松村先生の一人勝ちになっていた。その背景には、自民党出の市会議長が、鈴木喜一、相川藤兵衛と、自己の権力の拡大に興味のない人が二代の議長になったからだろうと思う。その裏で、松村先生は、着々と地盤を広げていたのだと思われるが、その辺は私にはわからない。ただ、一つ言えるのは、自民党横浜市連の幹事長として市連本部を強化したことだ。事務局をきちんと作り、元市会事務局職員だった加藤君を雇用して横浜市への議会での質問や、各界からのヒアリングを組織的に行うことにして、これで完全に経済界からの要望を市連本部に一...松村千賀雄議長時代

  • 朝聞く音楽は 『キングコングVSゴジラ』だ

    朝起きて、テレビを付けて目を覚ますために聞く音楽は、モーツアルトの人もいるだろうが、私は伊福部昭先生の『キングコング対ゴジラ』である。2014年の『伊福部昭100年紀』のもので、かつしかシンホニーホールでの演奏と、観客全員の大合唱である。東宝大行進と続くのだ。朝聞く音楽は『キングコングVSゴジラ』だ

  • トリフォーの多彩さ

    先週、フランソワ・トリュフォーの映画を見て、少し感じるところがあった。それは、初めて見た『夜霧の恋人たち』である。ここには、夜霧はどこにも出てこないのだ。恋人は、一応昔からの友達で、結婚してしまう主人公はいるが。まるで、小津安二郎の『秋刀魚の味』みたいなものなのだ。『秋刀魚の味』が公開されたとき、どこにも秋刀魚は出てきませんね、という反応があったそうだ。そして、思ったのは、フランソワ・トリュフォーは、結構多彩な傾向の作品を作っているんだなあとのことだ。サスペンスやメロドラマ、『アデルの恋の物語』のような、実話に基づくものなど、いろいろある。その意味では、日本のヌーベルバーグの松竹の篠田昌浩にに一番似ているのかもしれない。篠田も、喜劇、メロドラマ、時代劇、『美しさと哀しみと』のような相当に前衛的な作品も作っ...トリフォーの多彩さ

  • 『突然、炎のごとく』

    テレビでは、なんどか見ているが、映画館で見たのは、50年ぶりくらいだ。高校2年くらいの時、新宿の日活国際で見たと思う。今の丸井の5階にあった洋画系の名画座で、和田誠がチラシを書いていたことで有名だが、渋谷の東急名画座と並び、東京の痴漢の巣でもあったそうだ。さて、この『ジュールとジム』を見て、当時は一番感じたのは、ジュールとジムの友人関係、それ以上に20世紀初頭から、一次世界大戦、そしてナチスの台頭(ナチの焚書のニュースが出てくる)の1930年代に至る欧州の文化の豊かさだった。だが、今回見て、カトリーヌに扮するジャンヌ・モローの演技の見事さ、生き方のすごさに感動した。当時は、まったく気がつかなかったが、この映画のジャンヌ・モローの自由で自発的な演技と生き方は、世界中の女性に影響を与えたんだなあと思った。加賀...『突然、炎のごとく』

  • 中田市長のお力でできたこと

    中田元市長の問題点を指摘したので、一応功績も書いておく。それは、2008年の国連アフリカ開発会議の時である。前年の夏ごろに、担当課長の漆原君に、アフリカ映画祭、講座、音楽イベント、芝居などを話したが、そのときはそれで終わった。その後、12月頃、いきなり彼から金沢区の福祉保健担当部長の私に電話がかかってきた。中田市長から指摘があった。「横浜でアフリカと言えば、野口英世で、野口と言えば金沢区の検疫所である。金沢区でなにかしないのか、と言われたので、指田さん、金沢区でなにかやってくれませんか」「もう時間がないですが・・・」「予算はなんとかしますから、ぜひお願いします」そこで能見台の長浜ホールに行った。ここは、旧検疫所を改修してホール、展示室等にしているところなのだ。そして、ホールの裏の庭に2本のヤシの木があった...中田市長のお力でできたこと

  • また、証拠を見つけた

    昨日の深夜、巨人・阪神戦も、延長で岸田と言う「番外打者」にサヨナラホームランを撃たれて負けたので、することがないのでゴミ出しに行く。昨日の負けは、岡田は織り込み済みで、巨人がエースの戸郷なので、西純也で、まずだめと思いつつ出したと思える。さて、ゴミ出しのために袋を下げて、エレーベーターホールに向かうため、入り口の硝子戸の取っ手を引くと、それが取れそうになる。取っ手が、上下2か所のビスで留められているのだが、下はなく、上も緩んでぐらぐらしている。なんとか開いて、下に降りて、ゴミを捨てて戻り、ネジ廻しを持って行き締める。その時、隣の若夫婦の女性の方がエレベーターから現れる。「下の方がなくなっていますので、上を持って引くようにご主人にも言っておいてください」ご主人とは、古い言い方だったなあと思う。このボロマンシ...また、証拠を見つけた

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