日本映画が、アカデミー賞で2本受賞したのは、喜ばしいが、どちらも技術的である。日本映画の黒澤明、小林正樹、小津安二郎、溝口健二らも結局は職人的仕事の見事さに成立していたと思う。だから、映画『オッペンハイマー』のような作品は出てこない。日本にも興味深い人間はいた。陸軍の石原莞爾など、最高ではないか。満州事変を起こし、満州国を作ったが、東條英樹によって陸軍を追われる。この数奇な運命を、幼い小澤征爾の目から描けば、と思うのだが。職人芸の日本映画
さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です。多くのジャンルをさ
NHKの「歴史番組」で、大津事件のことをやっていたが、脇からだが、これを題材とした映画があったことを思い出した。1962年に大映で作られた勝新太郎が、大津事件でロシア皇太子を暴漢から助けた人力車夫安太郎を演じる。安太郎は、無知蒙昧な酒浸りの乱暴者だったが、ニコライ皇太子を襲った警官の津田三蔵を偶然に偶然に取り押さえたことから起きる波乱の生涯。実際は、彼一人ではなかったようだが。脚本八住利雄、監督は木村恵吾。ロシアとの戦争を恐れる政府、国民から安太郎は感謝され、ロシアからは多額の恩賞金と年金が貰える。村の英雄と称えられ、彼は金で屋敷を建て、元校長で国会議員となる三島雅夫の娘近藤恵美子を嫁に貰う。村での酒池肉林が傑作だが、なにかと言うとすぐに怒ってものをやたらに壊す勝新が最高である。勝は、もともとは「長谷川一...「大津事件」の映画『鉄砲安の生涯』
巨大な鯨と戦う男達の映画で、今では絶対に作れない作品である。鯨と言うと、結構感情的になる人が多いが、私は別にそうではない。鯨の竜田揚げの給食も食べたことはないので、美味しかったという記憶もない。ただ、食文化は、人間の一番の根底にあるもので、それは人種差、民族差が大きいものなので、他人種がある人種・民族の食文化を云々するのは間違いだと思う。その意味では、反捕鯨運動は、欧米人の偏狭さの現れだと言えるだろう。場所は、明かでないが多分九州に、鯨漁を生業とする村があり、鯨長は、志村喬で、鯨神が来たとき、「あれを捕った者には娘を上げる!」と宣言する。村の小屋には、鯨採りの多数の荒くれ者がいて、その一人が勝新太郎で、「紀州」とよばれている。村には、本郷功次郎もいて、彼は貧しい家の娘・藤村志保と恋仲である。だが、娯楽劇の...『鯨神』
「国葬」は、賛否あったが、無事終わったようだ。近代以降の日本の大衆芸能史から、現在の政治状況と「国葬」を考えてみる。日本の大衆芸能で一番人気があったのは、浪花節、浪曲である。それは、戦前、戦中、戦後の1950年代まで続いていた。いかに、浪曲が人気があったかは、俳優の加東大介の戦時中の実話、『南の島に雪が降る』をニューギニアでやるとき、参加者を募集すると、「私は浪花節ができます・・」ばかりだったでも分かるだろう。近代以降の日本で、最大の人気の芸能は、浪花節で、ラジオでも1950年代まで『浪曲天狗道場』などがあった。だが、浪曲は、1960年代に急速に人気を失ってしまう。その原因は、高度成長により、農村からの大量の若者の都市への移動したことと、戦後の民主主義教育だった。すべての場面で、「浪花節的」は、古くさい物...大衆芸能の変遷から見る「国葬」
今日のスポーツ紙によれば、来年の阪神の監督に岡田が内定したとのことで、実に喜ばしい。以前、私は次のように書いた。Jスポーツで阪神キャンプの中継をやっていて、岡田彰布元監督が解説していた。マルテのホームランは喜ばしいいが、「小野が3-1からストレートを投げたのには驚いた、日本では3-1からも変化球を投げると教えてあげるのが彼への教育だ」と言っていた。小野は、ひどくて、アップアップの状態だったのだが。また、4番を期待されている中谷が打った2017年のホームラン20本の内、ストレートは1本だけで、翌年はストレートで攻められて駄目になっている。フォームを全部変えないとだめだ」とのこと。「糸井は、ホームランを捨てて、打率だけを目指しているのではないか」ともコメントしていた。藤浪については、「理解不能」とのことだった...岡田彰布が阪神の監督に内定したそうだ
ヤクルトの強さは・・・1960年のオリオンズ以来ではないかと思う
昨夜、ヤクルトが、サヨナラ勝ちで、横浜に勝ち、セ・リーグの優勝を決めた。次に、CSシリーズもあるが、どこが出てきても、まずヤクルトの勝ちは揺るがないだろう。ヤクルトの強さは、言うまでもなく、村上、山田の左右の強打者を揃えていることだが、前後の塩見、中村、そして外人もよく働いている。その強さを考えると、9連覇時代の巨人で、これも王、長嶋の左右の強打者がいた。だが、もっと強打者がいたチームがある。1960年のパ・リーグ優勝の大毎オリオンズである。ここでは、山内一広、葛城隆夫の右の強打者、左は田宮謙次郎、榎本喜八がいて、ミサイル打線とよばれたのだ。投手も、33勝の左投手の小野正一をはじめ、若生、三平(みひらで、さんぺいではない)といて、非常に強く、18連勝をしたほどだった。だが、日本シリーズでは、初優勝の太洋ホ...ヤクルトの強さは・・・1960年のオリオンズ以来ではないかと思う
村田の右腕の強さは、尋常ではないと思う。昔、早稲田大学での学費・学館闘争の時、ある場所で、スト派の学生達がピケを張っていた。その時、相撲部の連中が来て、「どけよ!」と一押した。すると、学生のピケの10人くらいが、一挙に倒れたとのことだ。学生とはいえ、本当の相撲取りの力は、すごいのである。たしか、ボクサーは、素手でも凶器とされるはずである。村田の右腕も、凶器とされるに違いないと思う。NEWS.YAHOO.CO.JP村田兆治容疑者、逮捕空港で暴行も容疑否認携帯電話を手に金属探知ゲートへ→何度も引っかかり…(スポニチアネックス)-Yahoo!ニュース羽田空港の保安検査場の検査員に暴行を加えたとして警視庁東京空港署は23日、暴行の疑いで元ロッテ投手の村田兆治容疑者(72)を現行犯逮捕した。逮捕容疑は23日午後、第...村田元投手が逮捕
先日見た『パイナップル部隊』のタイトルには、宮本敏雄の名があった。1950年代末に、巨人の打者でライトを守っていて、打点王も取っていた。三振かホームラン下の、荒い打者で、三振すると、その笑顔がよかった。彼は、エンディー宮本の愛称で親しまれていて、私が最初に好きになったプロ野球選手だった。当時の、選手は、川上や別所など、年取った小父さん連中が多く、まさに戦前からの職業野球人という感じだった。中で宮本は、少し上のお兄さんという感じだったので、私が好きだったのだと思う。当時は、ハワイ出身のプロ野球選手は日本に多くいて、宮本の他、東映のジャック・ラドラやスタンレー・橋本などもいて、結構活躍されていた。もう少し前では、阪神の若林忠治や田中義雄もハワイから来た選手だった。現在では、アメリカの元メジャーの選手もいるが、...宮本敏雄について
前の『パイナップル部隊』では、巨人の宮本敏雄の名がタイトルにはあったが、登場はなかったことを書いたが、こうした例は、1960年代頃はよくあった。今井正の映画『ここに泉あり』では、草笛光子がピアニストとしてタイトルにあるが、映像にはない。さらに、音楽評論家湯川れい子さんも、中学校への訪問の場面に出ていて、きちんと撮影されたそうだが、これもなく、NHKテレビでの放映の際にカットされたのだそうだ。また、東宝の『サラリーマン清水港』のタイトルには、児玉清があったが、作品にはないが、おそらく編集でカットされたのだろう。理由は二つあり、当時は2本立てだったので、1本は1時間30分程度で、それに合わせて編集したこと。さらに、スター以外の俳優は、会社社員で組合員でもあったので、映画にでる出ないに関わらず給与は出たので、誰...タイトルにあるが、出演がない映画
長い間見たいと思っていた映画を見るのは、うれしいが、「こんな程度なの」というのもあり、これはそうしたものの一本だった。1951年、朝鮮戦争の国連軍に参加するため、ハワイの日系人の若者が召集されて訓練を受ける。主人公の杉浦直樹、ミッキー安川、マイク佐野など。10週間の訓練の後、日本に来る。立川基地で、そこでまず東京に遊びに行く。杉浦は、叔父伴淳三郎がやっている銀座の寿司屋に行く。伴淳の娘は、十朱幸代である。もう一人、南馬込にいるはずの日本人娘と婚約していた、マイク佐野も、大井町に来る。第二国道の馬込橋も、大井町駅も出てくるが、その娘は別の男と結婚していて、彼は落胆する。だが、駅前で、似顔絵描きをしている女・桑野みゆきに会い、馬込橋まで行くが、桑野は家まで来させずに去る。松竹京都作品なのだが、ここは大船が撮っ...『パイナップル部隊』
阪神・ヤクルト戦を見ていて、藤浪、中野のエラーでの失点1点を回復できずに負けたので、日活ロマンポルノの『実録エロごと師・巡業花電車』を見る。これは、初回に、ノーアウト1,2塁になったのに、3番の近本にバントをさせて2,3塁にしなかったのが間違いだったと思う。一回からバントはないと普通は思うが、現在は通常のゲームではなく、日本シリーズのような戦いなので、「まずは先取点だった」と思うのだ。1974年の全盛時代で、見たはずだが、筋はあまり憶えていなかった。吉村平吉の実体験の本の映画化で、今村昌平の『人類学入門・エロごと師達』は、吉村らの話をもとにした野坂昭如の小説だったので、この方が実録だと思う。検察庁で、罰金を払った殿村(殿山泰司)は、そこの受付の女(星まり子)に目を付ける。浅草の小料理屋でやっているシロ・ク...『実録エロごと師・巡業花電車』
1974年の松竹映画、30分ほどのものだが、こういう映画は、2番館以下は、すでに3本立てだったので、需要があったのだ。そうした館では、ピンク映画を付けることも多かったのだから。監修は、東大を出て、晩年の小津安二郎の助監督もやった田中康義氏で、なんどか小津安二郎ネットワークでお話したこともあるが、温厚で真面目な方だった。田中さんには申し訳ないが、ここには間違いもある。『愛染桂』の霧島昇の『旅の夜風』に始まり、『人生劇場』の美空ひばりの『人生劇場』で終わるので、歌謡映画は、トーキーで始まったように思えるが、実は違う。サイレント時代から、映画主題歌はあり、SP盤で販売され、館で掛けられていたのだ。私が持っていた、ある盤では、A面は主題歌で、B面はいい場面の台詞入りになっていて、今のビデオみたいになっていたのだ。...『名シーンでつるるなつかしの映画歌謡史』
カラーで見る大英帝国の3シリーズで、一番興味深かったのは、1938年12月にベルリンで行なわれたドイツとイギリスのサッカーの試合の開会のこと。このとき、イギリスのチームは、開会式のドイツ国歌の時、ヒトラーに向かいってナチス式敬礼をしているのだ。この時期の、イギリスのチェンバレン首相の融和政策は、ヒトラーをつけ上がれせて、二次大戦を招いたとして、大変に評判が悪い。だが、このイギリス・チームのナチス式敬礼にみられるように、国民も融和的意識だったのだ。「もう、そんなにひどくヒトラーは、戦争に向かってい行かないだろう」と。それだけ、第一次世界大戦の傷は、国民に大きかったのだったと思える。イギリスチームもしたナチス式敬礼
横浜稲門会の伝統文化鑑賞会で、大相撲9月場所2日目に行く。1時過ぎだったので、幕下中盤で、後ろから二番目で朝乃山が出てくる。まだ、髷を結っていない学生上がりの川副をひねり潰すように押して勝つ。学生とプロは違うところを見せつける。十両では、徳勝龍が出ている。去年は、幕内のビリで優勝したのだが、今は十両である。個人競技の相撲は、力が落ちると一気に下がるもので、今年引退となった福留や糸井がずっとできたのとは異なる。野球は、団体で、代打、リリーフなど多様な役割があるので、いろいろと使いようがあるのだ。幕内では、贔屓の栃の心が負けたのが悔しいが、上手い妙義龍では仕方のないところだろう。今場所は、悪くないはずの正代に勝った霧馬山は、北の富士も推奨する力士で、どんどん強くなっていると思う。打ち止めの照ノ富士は、翔猿に負...照ノ富士、負ける
1987年の東宝特撮映画、監督は舛田利雄、主演は渡瀬恒彦と名取裕子。ある日突然、東京が謎の雲に覆われて、外部から一切連絡ができなくなる。名取は、テレビのレポーターで、関西地区で活躍していて、そのテレビ局は、関西テレビで、局幹部が財津一郎で、そのはしゃぎぶりが面白い。パニックものとなれば、当然丹波哲郎の出番で、留守舞台となる大阪府知事渡辺文雄の黒幕になる。だが、東京に代わって大阪が首都になって、という風にはならないのは、製作の大映が嫌ったからだそうだ。渡瀬は、三菱電機らしい北斗電気の技師で、研究者の大滝秀次と現場に行って対応するが、自衛隊機も落とされてしまう。不安が高まる中で、聖歌隊が祈りの合唱をしたり、団扇太鼓の連中が祈るのが娯楽映画らしくて良い。その広場では、大騒ぎになり、縁日で屋台が出て、大混雑になり...『首都消失』
昨日書いた『ロスト・ラブ』には、その後出なくなった二人が出ている。富川澈夫と田島和子である。二人とも六月劇場の関係で、富川は東宝に、田島は、テレビの「11PM」にも出ていたので憶えている方も多いと思う。彼女は、美人だったが、草野大悟と結婚して引退した。まさに美女と野獣だった。若松正雄は、誰というと、この映画の美術で、後に根本悌二の後を受けて、日活の社長になった人だ。美術は、肉体労働の場なので、各社では組合の主力になっていた。若松は、この作品で見るように、普通の映画が好きなようで、「若松がポルノが嫌いで、ロマンポルノを止めてロッポニカを始めた」という噂は本当のように見えてきた。日活が倒産したとき、根本はアメリカにいて、実務は日本にいた若松がやっていたのだそうだ。だが、その後、いろいろな経緯があり、日活は今も...富川、田島、そして若松正雄
昨日書いた『ロスト・ラブ』には、その後出なくなった二人が出ている。富川澈夫と田島和子である。二人とも六月劇場の関係で、富川は東宝に、田島は、テレビの「11PM」にも出ていたので憶えている方も多いと思う。彼女は、美人だったが、草野大悟と結婚して引退した。まさに美女と野獣だった。若松正雄は、誰というと、この映画の美術で、後に根本悌二の後を受けて、日活の社長になった人だ。美術は、肉体労働の場なので、各社では組合の主力になっていた。若松は、この作品で見るように、普通の映画が好きなようで、「若松がポルノが嫌いで、ロマンポルノを止めてロッポニカを始めた」という噂は本当のように見えてきた。日活が倒産したとき、根本はアメリカにいて、実務は日本にいた若松がやっていたのだそうだ。だが、その後、いろいろな経緯があり、日活は今も...富川、田島、そして若松正雄
内田あかりのヒット曲『浮世絵の町』を基にした日活作品、途中まで見ていて普通の映画だなと思うと、ロマンポルノではなく、一般映画として作られ公開されたのだという。監督は小沼勝で、いつもの猟奇的な作風ではなく、青春映画的である。砂塚秀夫が率いる歌謡曲の地方廻りの一座が、雪深い新潟の町に来る。同時に、売れない写真家の富川澈夫も駅に降りて、友人の岸田森の高校に来る。二人は、高校の同級生で、岸田は仲間だつた田島和子と結婚していて、平凡で幸福な家庭に見える。夜の居酒屋で内田と富川は会い、どこか意気投合する。内田の歌はなかなか上手くいかず、砂塚とも喧嘩になる。内田の友達は、扇ひろ子で、彼女は東京で居酒屋をやっている。内田は、富川のアパートに行き、一緒の暮らすようにまでなる。そこに田島和子を、有楽町で見かける。彼女は、赤ん...『ロスト・ラブあぶら地獄』
私が一番に映画を見た1960年代は、ヤクザ映画の全盛時代で、言うまでもなく、東映の全盛時代だった。最初に見たヤクザ映画は、高校3年の時で、鶴田浩二の『大陸流れ者』だったと思う。評判の良くない作品だったが、この頃よく上映されていたのは、北島三郎や村田英雄のヤクザ映画で、今見るとひどいが、よく上映されていたのは、意外にも人気があったのだと思う。加藤泰の『三代目襲名』と山下耕作の『総長賭博』は、大学の時にすぐ見たが、さすがだと思ったが、好きだったのは加藤泰の方で、この頃にほとんど見たと思う。沢島忠監督の『人生劇場・飛車角』は、なかなか上映されない作品で、見たのは、1970年代で川崎の銀星座だったと思う。ここは、映画好きには結構有名な館で、田中小実昌さんも来ていたようだ。『人生劇場・飛車角』の印象は、「多くのヤク...体験的ヤクザ映画論
こんな面白い映画とは知らなかった。夏目雅子は。テレビで、小達雅子時代の演技を見ていて、あまりにひどいので、見ないことにしていたのだ。明治の高知のヤクザというか、女衒のような男・鬼龍院政五郎(仲代達矢)の話で、非常に面白い。この男、また周囲の男も、女たちも皆矛盾だらけの人間なのだ。政五郎は、ヤクザで、親分の丹波哲郎の子分だが、彼が大株主の土佐電鉄で労働争議が起きたとき、組合側のインテリ山本圭の説得に折れて、組合側に立ってしまう。山本も、富裕な家小沢栄太郎の息子だが、社会の矛盾に目覚めて運動に走る。仲代の本当の一人娘花子は、大阪のヤクザの子分と結婚するが、その男は東京で殺されてしまい、最後は娼婦に転落し、京都で一人で死ぬ。山本は、仲代と丹波の子分の内田良平との組の争いの中で殺される。撮影は、森田富士郎、美術は...『鬼龍院花子の生涯』
1964年8月、東映のヤクザ映画の始まりの一つである。監督は言うまでもなくマキノ雅弘、主演は高倉健で、当初は中村錦之助だったが、都合で高倉に代わった作品。東京木場のヤクザの木場政組の話で、彼らはヤクザの本業である、木場での口入れ稼業をやっている。口入れ業と賭博は、江戸時代以来のヤクザの本業であり、そこを天津敏と安陪徹兄弟の新しい運輸会社が乗り出してきて、そこで対立するドラマである。天津と安陪の二大悪役が出ているのがうれしい。高倉の恋人は藤純子で、まだかわいい。マキノ一家の例で、長門裕之、津川雅彦、南田洋子などの連中が出てきて、なれ合っているように見えるのが、私には不愉快。最初なので、最後の殴り込みシーンもきわめて簡単だった。音楽が斉藤一郎なので、きわめて普通だった。日本映画専門チャンネル『日本侠客伝』
私が経験した一番立派だった葬式は、川口正英議長の母親が亡くなった時のものだった。川口家は、瀬谷の名家で、幕末から明治期に生糸で富を得た家だった。さらに、明治後半にはそれを不動産に変えていて、中華街や山下町にも土地を持っていた。家は、相鉄の瀬谷駅から、ご自宅まで、他人の土地を歩かずに行けるとという話しだった。瀬谷駅から10分くらいの緩やかな谷にあり、背景の北側は少し高くなっていて、冬の北風を防ぐようになっていた。庭には小川がながれていて、紫陽花が諸所に咲いていた。6月には、紫陽花祭として、近所にも開放していた。さて、葬式は大変で、市会の庶務課は総出だった。まず、運転手や守衛が行って雑草を刈って駐車場用地を確保した。当日は、庶務課は総出で、受付、香典の計算、花輪の記録も役人が全部やったのだ。記憶ははっきりしな...一番立派だった葬式
安部晋三元首相の「国葬」が問題となっているが、横浜市会でも「市会葬」があった。1970年代は、任期3期以上あるいは、議長、副議長経験者が対象だったと思う。最初に経験したのは、南区の自民党の中堅議員谷田部巳三郎氏だったと思う。谷田部氏は、自民党のベテラン議員だったが、南区の中学校で行なわれたそれは、あまり大したものではなかったと記憶している。彼は、横浜で、睦タクシーやガソリンスタンド、不動産会社等を持っている資産家だったが、自民では反主流派だった。それは、昭和38年の市長選挙の時に、自民党の決定に反して、半井清前市長を支持した人だったからだ。このとき、自民党は、前助役の田中省吾氏を市長候補にしたが、前市長の半井氏も出た。この保守分裂で、社会党の飛鳥田市長が生まれたのだ。だから、半井支持派は、自民党を除名され...横浜市会の葬式
録画しておいた豊田四郎監督の『雁』を見る。たぶん、5,6回目だが、やはりすごいと思う。髙峰秀子と東野英治郎の演技合戦がすごい。豊田四郎は、あまり評価されないが、私はすごいと思っている。その視線の動かし方で、すべての感情を表現してしまうのは、成瀬巳喜男とも似ているが、共に松竹蒲田出である。また、大映の当時のスタジオを三棟ぶち抜いて作った無縁坂のセット、木村威夫の美術もすごいと思う。さて、この映画の筋は、森鴎外の原作にほぼ忠実だが、最後で髙峰のお玉が、芥川の岡田の洋書を古本屋から買い戻す件のサスペンスは、原作にはない脚本の成沢昌茂らの創作である。もちろん、それはすぐに東野に見つかって駄目になる。お玉の、自由への憧れは、一瞬にして消え、芥川は、ドイツに行ってしまうのである。お玉は、雁のようには飛び立てないのであ...『雁』と日本ATG
森元首相の銅像を建てる計画があるとのこと。バカバカしいとしか言いようがない。だが、俗に三欲、性欲、物欲、性欲と言われるが、これは死んだら終わりだ。ただ一つ、死んでも残るのがあり、これが名誉欲で、勲章などだが、銅像もそうだろう。たしか、原健三郎も、建てたはずだ。横浜市議会でも、銅像の授与があり、議長を務めた方に贈呈される。ただ、これは立体写真を撮って製作するもので、意外に安く、3万円くらいでできるらしい。飾りたい方はどうぞ。NEWS.YAHOO.CO.JPモリトモが進める、驚愕の「森喜朗銅像」建立プロジェクト…気になる「設置場所」と「寄付金の出所」(現代ビジネス)-Yahoo!ニュース東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の高橋治之元理事が大会のスポンサー契約において、AOKIホールディングス前会長・青...森喜郎の銅像計画
彼女の歌を実際に聴いたのは、1993年である。この年の夏、パシフィコ横浜のプラザで、「ウォーマッド・コンサート・プラザ」というイベントが行なわれた。この年は、ウォーマッド横浜を開催することは、予算的に無理だとのことで、田村光男が、パシフィコ横浜のプラザで、フリーのコンサートをしたのだ。たぶん、ほとんど田村の会社の「手うち」イベントだったと思う。彼の意地だったと思う。その中で、彼女はメインの一人だった。もう、30年前のことか!NEWS.YAHOO.CO.JP歌手のおおたか静流さん死去(時事通信)-Yahoo!ニュースおおたか静流さん(おおたか・しずる=歌手)5日午前、病気で死去、69歳。東京都出身。葬儀は近親者で行う。89年にユニット「ディド」でデビューし、翌年ソロに。クラシックやジャズ、民族音おおたかしずる、死去
森川時久が死んだそうだ。「フジテレビで・・・」と書かれていて間違いではないが、彼にはその前の前歴がある。それは、劇団ムーランルージュにいたことである。彼は、大卒後、新宿にあったムーランルージュに入り、演出家として活動を始めていたのだ。要は、1950年代にテレビが始まった時、他の分野から移って来た人が沢山いた。それは、演劇界もあったが、その一人が、森川氏だったのだ。1960年代になると、テレビ生え抜きの人材が育ってくる。ムーランからは、多くの人がテレビ界に移っていて、日本テレビの初代芸能局長だった阿木欧助氏も、そうだった。もっとも、阿木氏は、その前に新劇にいたこともあるはずだが。NEWS.YAHOO.CO.JP映画監督の森川時久さん死去(時事通信)-Yahoo!ニュース森川時久、死去
森川時久が死んだそうだ。「フジテレビで・・・」と書かれていて間違いではないが、彼にはその前の前歴がある。それは、劇団ムーランルージュにいたことである。彼は、大卒後、新宿にあったムーランルージュに入り、演出家として活動を始めていたのだ。要は、1950年代にテレビが始まった時、他の分野から移って来た人が沢山いた。それは、演劇界もあったが、その一人が、森川氏だったのだ。1960年代になると、テレビ生え抜きの人材が育ってくる。ムーランからは、多くの人がテレビ界に移っていて、日本テレビの初代芸能局長だった阿木欧助氏も、そうだった。もっとも、阿木氏は、その前に新劇にいたこともあるはずだが。NEWS.YAHOO.CO.JP映画監督の森川時久さん死去(時事通信)-Yahoo!ニュース森川時久、死去
区内を歩いていると、来年の地方選挙のポスターが貼られている。南区は、県会議員は一人だが、市会議員は、自民党は2人なので、票を割っていると思う。たぶん、地域毎に、この人は、この町内会、あの人は、この町内会という具合だと思う。自民党は、複数の候補がいても地域分りなので、簡単である。だが、かつての社会党、現在の民主系だと、ことは複雑になる。だいたい、地域割りができず、組織割なので、票が読めないのだ。民間系労組は、この人で、官公庁系はこの人に、と分けるのだが正確にはできないようだ。このことは、私が最初に秘書として仕えた大久保英太郎さんが、よく言っていた。「俺は、旭区に5000票置いてきたんだ」と。当時、保土ケ谷区の社会党には、大久保さんの他、もう一人仙田さんという方がいて、この人は、保土ケ谷がもともとの地盤だった...地域分りと組織分り
私は、この映画をさして優れた作品とは思っていない。しかし、久しぶりに見て、面白かった。それは、多くの役者が出てくるからである。たとえば、銀座のクラブのマダムとして出てくるのが村松英子で、そこの女が夏純子という具合。警視庁の刑事には、丹古母鬼馬児や山本幸枝さんなども。佐分利信の秘書は、加島潤と、松竹大船の二枚目も。ここには、新劇の俳優も多いが、当時の若手アングラ系の俳優も出ていて、加藤健一は、三森の警察で、丹波をジープで案内する警官である。国語研究所の職員は、民芸の信欽三だが、化学警察研究所の職員で、血液型の判定をするのは、ふじたあさやである。最大の意外な配役は、伊勢の映画館ひかり座の渥美清だろう。また、伊勢の旅館の女将は、春川ますみで、夫は瀬良明で、瀬良は台詞がないが、春川は多くの台詞を話す。あらためて見...『砂の器』を見る
1960年の映画だが、今見るとびっくりするところが多々ある。まず、上諏訪に国の通産省だと思うが、局長二本柳寛の娘桑野みゆきが駅から出てくると、県の局長以下が出迎えて、旅館に案内する。こんなことがあったのだろうか、信じがたい。局長から頼まれたと言っているが、ひどい公私混同であり、職権乱用である。少なくとも私が入った1970年代の横浜市ではありえないことである。桑野は一人で諏訪湖の近くに行き、縄文遺跡の小屋に入ると、若い男の津川雅彦が寝ていて、起きたところ。縄文人が好きなのだそうだ。桑野が友達の葵京子と、東京の深大寺に行き、そこの遺跡近くに行くと、また津川がいる。彼女たちは、津川を古代人と名付けているが、今度は和服の女性・有馬稲子と一緒である。二人は、新橋演舞場で行なわれたモスクワ芸術座の公演で、津川の隣席に...『波の塔』
NHK総合の『歴史探偵』なる番組で、『米騒動」を扱っていた。1917年夏に富山で起き、全国に波及した米騒動は、近代史に大きな影響を与えた事件だった。陸軍の出動と戒厳令でやっと収まり、寺内内閣が倒れた事件で、その後にできたことは、三つある。一つは、日常食料品の流通の改良で、法によって各大都市に中央市場が設立された。さらに根本の米穀の流通制度の改革だったが、これは結局戦争期までできず、最後にやっと食糧管理制度になる。もう一つは、同和事業で、大阪、京都、奈良等での「米屋の打ち壊し」に、いわゆる被差別部落の人間が多数参加していたとのことで、政府は、これに大変に恐怖し、そこで同和事業を始めたのだ。皇室の誰かは言ったそうだ「日本もロシアのようになるのか・・・」と。この時期に、ロシアでは革命が起きていて、ソビエト社会主...米騒動で起きたこと
昨日、9月1日は、99年前の1923年に関東大震災が起きた日である。この日、私の父は、22歳で大田区の蒲田新宿小学校の教師だった。このの卒業生には、女優の髙峰秀子がいる。以前、私は次のように書いた。父も、「横浜から朝鮮人が攻めてくるぞ・・・」との噂で、町内会の人と共に、様々に武装して多摩川まで行ったそうだ。そして、恐る恐る首を上げて、土手の向こうを見ると、誰もいなかったとのこと。それは当然で、朝鮮人が反乱を起こすなどなかったからだ。逆に、横浜では「東京から朝鮮人が攻めてくる」と噂されていた。では、なぜこのようなデマが流布されたのか。当時は、テレビはおろかラジオもなく、新聞も社屋が壊れたのできちんと発行できなかったからだ。その中で、普段何らかの形で「差別と偏見」におかれていた朝鮮人等が、この際に反撃してくる...父が体験した関東大震災
12月に出す予定の本について、渋谷で打ち合せのために行く。渋谷駅は、相変わらずの改装中で、なんと山手線から改札を出るまでに5分かかる。安藤忠雄の設計は、いつも最悪である。打ち合せの桜ヶ丘側に出るのも大変で、一度東急プラザビルに行ってから廻っていく。桜が丘もビルが建設中で、かのマックスロードもなくなっている。そこでは、ミュージック・マガジンの歴代の編集者や若手の音楽評論家たちとも会ったものだが。今後のスケジュールや内容について、藤田さんや井上さん、戸塚さんと打ち合せ。三時過ぎに終わって外に出ると、猛烈な暑さ。渋谷は、駅周辺の谷間に熱がたまっているようだ。山手線の内回りに乗るつもりで、来たのに適当にのると、これが相鉄新線。武蔵小杉を出て、鶴見に来ると地下に潜る。これは、もともとは、新貨物線で、飛鳥田市政下での...渋谷から相鉄廻りで戻る
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日本映画が、アカデミー賞で2本受賞したのは、喜ばしいが、どちらも技術的である。日本映画の黒澤明、小林正樹、小津安二郎、溝口健二らも結局は職人的仕事の見事さに成立していたと思う。だから、映画『オッペンハイマー』のような作品は出てこない。日本にも興味深い人間はいた。陸軍の石原莞爾など、最高ではないか。満州事変を起こし、満州国を作ったが、東條英樹によって陸軍を追われる。この数奇な運命を、幼い小澤征爾の目から描けば、と思うのだが。職人芸の日本映画
夜、確定申告を終える。去年は、3月15日に出したので、今年は非常に早いことになる。今日の午前中に横浜南税務署に出しに行く。確定申告、終了
「3月は、31日ではなく、50日までありますから・・・」と聞いたのは、1989年12月末に、パシフィコ横浜から横浜市総務局国際室に異動した時だった。1989年度の国際室の調査事業で、2本も委託業者も決まっていないものがあり、「指田課長、すぐに業者を決めて事業を始めてください!」と言われ、驚いて、担当の荒木田百合さんに聞くと、「各年度事業は、3月31日ではなく、5月31日までにできれば良いんです」と平然と返された。その度胸には、大変に驚いたものだ。正月になってから、2社の委託業者を決めて、いろいろバタバタと調査をやり、最後は、業者が持ってきた下手な作文を、ほとんど私が改作して5月上旬に無事「報告書」を作って終わった。当時は、「出納閉鎖期間」というものがあり、各年度の事業は5月末に終了すればよいとなっていたの...3月は、31日では終わらないんです・・・
石原裕次郎、浅丘ルリ子の映画でベストと思われるのが、舛田利雄監督の『赤いハンカチ』である。このラストシーン、裕次郎とルリ子が別れるシーンは、墓場のようなところだ。昨日の『第三の男』を見て、これのラストシーンに類似しているなあと思った。私は、こういうことを否定しているわけではなく、肯定している。大衆文化では、引用はよくあることで、日本でいえば「本歌どり」であるのだから。『赤いハンカチ』のラストシーン
映画『第三の男』の舞台は、オーストリアのウィーンで、ここは第二次世界大戦後は、複雑な状況にあった。戦時中は、ドイツだったオーストリアは、東から侵攻してきたソ連軍によって占領されたが、イギリス、アメリカ、フランスによってウィーンは、分割統治されていた。その中で起きたのが、この映画の物語なのだ。1990年、翌年に開催される「国連ピースメッセンジャー都市会議」への参加誘致に、日本のウィーン市代表部の方に聞いたことがあった。ソ連占領後は、複雑な経緯があったようだが、最後は中立国になった。そこについては、「飲ませる、抱かせる、掴ませる」などの手を使ってのオーストリアの外交手法があったとのことだ。さすがハプスブルグ家の伝統だと思った。ウィーンは、今ももう一度行ってみたい都市である。ウィーンについて
『カサブランカ』のリメイクが日活の『夜霧よ今夜も有難う』なのは有名だが、『第三の男』もリイメイクされている。赤木圭一郎主演の『霧笛が俺を呼んでいる』で、共演は芦川いづみで、赤木が横浜に探しに来る旧友で、実は悪になっている男は、葉山良二なのだ。また、赤木の妹として吉永小百合が出ていることも貴重である。舞台は、いうまでもなく横浜と横浜港であり、芦川は、港のキャバレーの歌手で、歌を唄うのだが、ここではなぜか吹替えになっている。主題歌はもちろん赤木が歌うがこれが実に下手で参る。監督は山崎徳次郎で、この人は言わば職人的な監督だが、かなり良い作品を作っているが、最後は笹川財団の金で捕鯨の映画を撮って失敗したようだ。意外なのは、脚本が熊井敬であり、私はこの人は、新藤兼人と同様、脚本はすごいが、監督はどうかなあと思われる...『第三の男』のリメイクは
桜の映画と言えば、鈴木清順の名作『けんかえれじい』で高橋英樹が、浅野順子と見に行く夜桜も大変に美しい。浅野順子は、可愛いかった割に映画に出ていないと思っていたら、実は結構出ている。それも大映京都の時代劇である。浅野寿々子1957.07.30十七才の抵抗日活...可奈子の幼少時代1958.11.15赤胴鈴之助黒雲谷の雷人大映京都...しのぶ1958.12.21赤胴鈴之助どくろ団退治大映京都...しのぶ1959.11.22薄桜記大映京都市川雷蔵の代表作で、森一生の映画『薄桜記』で、堀部安兵衛の勝新太郎と婚姻を結ぶ少女が、浅野順子なのである。当時は、まだ十代のはずだが、かわいかったので、わざわざ大映京都までよばれて演じたのだ。本当に大橋巨泉に見込まれて結婚引退してまったのは、実に残念なことだったが。桜の映画と言えば
近年、桜の花が咲くのが早くなっているが、地球温暖化の性なのか。花見が出てくる映画もいろいろあるが、私が一番好きなのは、川島雄三監督の『花影』である。この映画の最後の方で、複数の男との関係を経てきた銀座のクラブの女給池内淳子は、最初の男である池辺良と夜桜を見に行く。そこは、青山墓地で、夜桜が美しいが、岡崎宏三と美術スタッフが作った人工の桜だったはずだ。ここのシーンに来ると、一生に一度、こんなにきれいな女と夜桜を見たいなと思うのである。美しい花見の映画
今日、3月8日は、私の誕生日で、76歳になった。今朝、低気圧の影響で雪が降ったが、5歳ごろのときも、東京池上だったが、大雪が降って家の前の電線が切れて停電になっり、お誕生日の祝いができるか、本当に心配したこともあった。さて、1947、1948、1950年生まれは、250万人もいたそうだが、去年の出生者数は、75万人だそうで、30%であり、人口減少社会である。人口は、そのエリアの力の元で、明治維新で薩摩や長州が徳川幕府を倒したのも、幕末は農業等の改良で西日本の人口が増加していたとの説もある。だが、人口に頼っていた社会はもう古いと思う。人口等による経済成長のみに頼っている社会ではなく、経済的停滞でも豊かな生活をおくれる社会を目指すべきだと思うのである。誕生日に思う
五百旗頭真先生の死亡は、急性「大動脈乖離」で、これは石原裕次郎もやったことがあった。実は、私も「動脈乖離」で倒れたのだが、心臓につながる大動脈乖離ではなく、右脳の大動脈乖離で、これは非常に珍しいものだそうだ。もちろん、脳内で動脈乖離が起き、その結果右脳の一部で梗塞が起きたので、脳梗塞となったのである。そのとき、「これは稀な症例とのことで、遺伝子等を調べるから」と血液を採取されて、研究に使用する許可を求められて、もちろん承諾したことがあった。その結果、どのように医学的研究が進んだかは、知らないが。唯一、私が医学の進歩に「貢献した」例である。同じ動脈乖離だが・・・
まるで、大島渚の映画『青春残酷物語』みたいだと思う。映画では、桑野みゆきは高校生で、川津祐介は大学生だったのだが。この映画では、桑野と川津の方が死んでしまうのだが。川津祐介も、桑野みゆきの姉久我美子の元恋人で医者の渡辺文雄もとっくに死んでいて、監督の大島渚も、撮影の川又昂も、音楽の真鍋理一郎も亡くなられている。その後、結婚して引退した桑野みゆきは、ご健在なのだろうか。MSN.COMSNSで美人局、大学生を転落死させた疑い中学生3人を逮捕・通告SNSで知り合った20代の男性から金を奪おうとし、逃げようとした男性をビル4階から転落させ、死亡させたとして、大阪府警は7日、大阪市中央区の中学2年の少女(14)と堺市北区の中学3年の少年(15)を強盗致死の疑いで逮.....まるで映画『青春残酷物語』みたいだ
東証の株価が4万円を越えて、40年前の水準を越えたと大騒ぎである。懐かしのバブル時代だが、私もパシフィコ横浜の営業部にいたとき、1回だけ「贅沢三昧」があった。それは、何かの医学界で本郷の東大医学部に営業に行った後のこと。パシフィコ横浜の上司の課長の他、JTBの担当の方もいて、5人くらいで行き、そのまま上野のカラオケ店に行った。そこでずっと飲んで歌ったのだが、すぐに時はすぎて、「帰ろう」となった。店のマスターが、9時ごろからずっと電話をしていて、11時ごろにタクシーが捕まったので、皆タクシーで帰った。私も会社発行のタクシー券で、横浜まで帰ったのだ。この程度のことだったが、今考えれば信じがたいことだった。40年前の「贅沢三昧」
この本は、この数年に読んだ本で一番面白かった。朝妻一郎と言えば、1960年代以降、日本のポピュラー音楽のLPを見ると必ず解説を書いていた方で、非常に年上の方だと思い込んでいた。だが、この本を読んで、私より5歳上の方だと分かり驚いた。朝妻さんは、高校時代にポール・アンカが好きになり、彼の後援会の代表になる。その時、経済観念の鋭かったポール・アンカは、自分で権利を管理する会社を作り、レコード会社も変えてしまい、日本の発売元も代わった。そこで、日本のレコード会社に頼れなくなったことから、渋谷のヤマハの紹介で、朝妻少年は、ニッポン放送の高崎一郎氏に紹介されて、アルバイトで助手をすることになる。そして、歌曲の権利管理会社のフジパシフィック・ミュージックの社員となり、日本のポピュラーの音楽の発展に多大な貢献をされるよ...『高鳴る心の歌』朝妻一郎
大谷将平の結婚話で、マスコミのすべてが占領されているが、実は大谷選手のご両親は、横浜にいたのだ。彼の父親は三菱重工横浜の野球部にいて、レギュラーの選手だったが、そこでバドミントンをやっていた女性と知り合って結婚して生まれたのが、大谷翔平君なのだ。彼は、非常にまじめで親の生き方をよく見ていると思うので、結婚相手は、彼の母親のような方ではないかと私は推測する。こんなことは、本来関係者だけの問題で、大谷ではないが、「皆さんがうるさい」ことに他ならないのだ。大谷の両親は横浜にいた
これも笑いはなしで、あろ日、佐藤栄作首相が聞いたそうだ。「なかそね、みき君はどうしているかね」秘書は言った、「中曾根康弘氏と三木武夫氏は・・・」「違うよ、仲宗根美樹君のことだよ」後に沖縄返還に尽力された佐藤栄作氏の言葉のようだ。佐藤栄作が言った「なかそね、みき君はどうしているかね」
歌手の中曽根美樹が亡くなったそうだが、結構映画にも出ている。また、吉永小百合、浜田光夫の映画『愛と死を見つめて』では、この二人が仲宗根の『川は流れる』を唄っている。この映画では、今テレビの朝ドラの主人公の笠置シズ子が、吉永と病院の同室の患者の叔母さんとして出ている。この頃、笠置は歌手をやめていたのである。仲宗根美樹1963年(キングレコードの広告)映画[編集]うるさい妹たち(1961年大映)東海一の若親分(1961年東映)海猫が飛んで(1962年松竹)しのび逢い(1962年松竹)太平洋戦争と姫ゆり部隊(1962年大蔵映画)川は流れる(1962年松竹)その結婚異議あり(1963年大映)独立美人隊(1963年松竹)魚河岸の旋風娘(1963年松竹)BACKSTAGE/バックステージ(2001年日活)仲宗根美樹、死去、79歳
昨日は、106年前に2・26事件がおきたときで、この時期になると「新資料」が出て来たものだが、この数年はない。さすがに100年も経つと関係者はもとより、遺族ももういなくなったからだろう。さて、この事件は、戦前の最大の事件の一つであり、日本の近代史の問題点の集中である。それは、日本は大日本帝国憲法で、一応立憲君主制を定めたが、思想的には前近代的な「君民一体」思想を持っていたからだ。日本は、天皇を祖とする大きな家族であるという神話で、個々の日本人と天皇は、もとをただせば同じと言う馬鹿げた考えである。人口学によれば、縄文時代に日本には、すでに30万人の住民がいたそうで、「君民一体」などありえないのだ。天皇制的神話が、一番嫌いだったのは、実は昭和天皇であり、だから2月26日に事件がおきた時、すぐに「反乱軍」を制圧...もう出てこないだろう2・26事件資料
昨日の朝日新聞に、元首相の宮沢喜一氏の日録があり、遺族から委託されて御厨貴先生らが編纂されているとの記事があった。いずれ、公開されるらしいが、ぜひ見てみたいものだ。日本の首相の中で、宮沢喜一氏は、もともとエリートで、高級官僚だった人の典型であり、その最後の方だったと思う。この人は、自分で言っているが、政策は得意だったが、人の動向を見るのは苦手で、1993年に自民党の小沢一郎らが反乱を起こして、宮沢内閣不信任案が可決されたとき、まったくその動きを知らなかったのだそうだ。おそらく「そんなことはあるまい」と思っていたのだろう。このときの感想はぜひ読んでみたいと思っている。同じ東大卒の高級官僚でも、人事にたけていたのは、佐藤栄作で、彼は、常に『国会便覧』を読み、さまざまな人事情報を頭に入れていたそうだ。だから、佐...『宮沢喜一日録』の存在
映画『ZK』、頭脳警察を見て、食わず嫌いだったことを悔いた。彼は、赤軍などの左翼過激派との関係が言われたが、その本質は、抒情的なメロディメーカーであることが分かった。それは、彼(パンタ)は、埼玉の所沢に生まれ育ったことで、アメリカ軍基地の文化を浴びたからだったと思う。それは、レゲエのボブ・マーリーにも類似していると思う。ボブは、他のレゲエ歌手とは異なるクールさがあるが、彼はイギリス人の父親とジャマイカ人の母との間に生まれたことが、その理由だと私は思うのである。横浜シネマベティ『ZK』を見て
女優の山本陽子が死んだそうだが、81とは女性では若死にと言うべきか。彼女の出演歴は以下のとおりで、数は多いが、まあ端役である。目立ったのは、裕次郎・浅丘ルリ子の名作『赤いハンカチ』で、二谷英明の裏切りで殺人犯にされ、ルリ子と二谷が結婚した豪邸の女中役で、私も最初に気づいた映画だった。後は、『猟人日記』でも、仲谷昇の餌食にされる女の一人にすぎなかったと思う。いずれにしても、日活時代は大した役はなかったが、1974年の東宝の『華麗なる一族』での万俵家の長男田宮二郎の妻が適役だったと思う。ゴシップ的に言えば、この頃から田宮二郎との関係はあったのかと思うが。テレビで成功した俳優であることは間違いなく、元日活でいえば、男では杉良太郎、女優では山本陽子が第一だと思う。杉良太郎など、沖雅也や藤竜也の遥か下だったのだから...山本陽子、死去、81歳
日本映画が、アカデミー賞で2本受賞したのは、喜ばしいが、どちらも技術的である。日本映画の黒澤明、小林正樹、小津安二郎、溝口健二らも結局は職人的仕事の見事さに成立していたと思う。だから、映画『オッペンハイマー』のような作品は出てこない。日本にも興味深い人間はいた。陸軍の石原莞爾など、最高ではないか。満州事変を起こし、満州国を作ったが、東條英樹によって陸軍を追われる。この数奇な運命を、幼い小澤征爾の目から描けば、と思うのだが。職人芸の日本映画
夜、確定申告を終える。去年は、3月15日に出したので、今年は非常に早いことになる。今日の午前中に横浜南税務署に出しに行く。確定申告、終了
「3月は、31日ではなく、50日までありますから・・・」と聞いたのは、1989年12月末に、パシフィコ横浜から横浜市総務局国際室に異動した時だった。1989年度の国際室の調査事業で、2本も委託業者も決まっていないものがあり、「指田課長、すぐに業者を決めて事業を始めてください!」と言われ、驚いて、担当の荒木田百合さんに聞くと、「各年度事業は、3月31日ではなく、5月31日までにできれば良いんです」と平然と返された。その度胸には、大変に驚いたものだ。正月になってから、2社の委託業者を決めて、いろいろバタバタと調査をやり、最後は、業者が持ってきた下手な作文を、ほとんど私が改作して5月上旬に無事「報告書」を作って終わった。当時は、「出納閉鎖期間」というものがあり、各年度の事業は5月末に終了すればよいとなっていたの...3月は、31日では終わらないんです・・・
石原裕次郎、浅丘ルリ子の映画でベストと思われるのが、舛田利雄監督の『赤いハンカチ』である。このラストシーン、裕次郎とルリ子が別れるシーンは、墓場のようなところだ。昨日の『第三の男』を見て、これのラストシーンに類似しているなあと思った。私は、こういうことを否定しているわけではなく、肯定している。大衆文化では、引用はよくあることで、日本でいえば「本歌どり」であるのだから。『赤いハンカチ』のラストシーン
映画『第三の男』の舞台は、オーストリアのウィーンで、ここは第二次世界大戦後は、複雑な状況にあった。戦時中は、ドイツだったオーストリアは、東から侵攻してきたソ連軍によって占領されたが、イギリス、アメリカ、フランスによってウィーンは、分割統治されていた。その中で起きたのが、この映画の物語なのだ。1990年、翌年に開催される「国連ピースメッセンジャー都市会議」への参加誘致に、日本のウィーン市代表部の方に聞いたことがあった。ソ連占領後は、複雑な経緯があったようだが、最後は中立国になった。そこについては、「飲ませる、抱かせる、掴ませる」などの手を使ってのオーストリアの外交手法があったとのことだ。さすがハプスブルグ家の伝統だと思った。ウィーンは、今ももう一度行ってみたい都市である。ウィーンについて
『カサブランカ』のリメイクが日活の『夜霧よ今夜も有難う』なのは有名だが、『第三の男』もリイメイクされている。赤木圭一郎主演の『霧笛が俺を呼んでいる』で、共演は芦川いづみで、赤木が横浜に探しに来る旧友で、実は悪になっている男は、葉山良二なのだ。また、赤木の妹として吉永小百合が出ていることも貴重である。舞台は、いうまでもなく横浜と横浜港であり、芦川は、港のキャバレーの歌手で、歌を唄うのだが、ここではなぜか吹替えになっている。主題歌はもちろん赤木が歌うがこれが実に下手で参る。監督は山崎徳次郎で、この人は言わば職人的な監督だが、かなり良い作品を作っているが、最後は笹川財団の金で捕鯨の映画を撮って失敗したようだ。意外なのは、脚本が熊井敬であり、私はこの人は、新藤兼人と同様、脚本はすごいが、監督はどうかなあと思われる...『第三の男』のリメイクは
桜の映画と言えば、鈴木清順の名作『けんかえれじい』で高橋英樹が、浅野順子と見に行く夜桜も大変に美しい。浅野順子は、可愛いかった割に映画に出ていないと思っていたら、実は結構出ている。それも大映京都の時代劇である。浅野寿々子1957.07.30十七才の抵抗日活...可奈子の幼少時代1958.11.15赤胴鈴之助黒雲谷の雷人大映京都...しのぶ1958.12.21赤胴鈴之助どくろ団退治大映京都...しのぶ1959.11.22薄桜記大映京都市川雷蔵の代表作で、森一生の映画『薄桜記』で、堀部安兵衛の勝新太郎と婚姻を結ぶ少女が、浅野順子なのである。当時は、まだ十代のはずだが、かわいかったので、わざわざ大映京都までよばれて演じたのだ。本当に大橋巨泉に見込まれて結婚引退してまったのは、実に残念なことだったが。桜の映画と言えば
近年、桜の花が咲くのが早くなっているが、地球温暖化の性なのか。花見が出てくる映画もいろいろあるが、私が一番好きなのは、川島雄三監督の『花影』である。この映画の最後の方で、複数の男との関係を経てきた銀座のクラブの女給池内淳子は、最初の男である池辺良と夜桜を見に行く。そこは、青山墓地で、夜桜が美しいが、岡崎宏三と美術スタッフが作った人工の桜だったはずだ。ここのシーンに来ると、一生に一度、こんなにきれいな女と夜桜を見たいなと思うのである。美しい花見の映画
今日、3月8日は、私の誕生日で、76歳になった。今朝、低気圧の影響で雪が降ったが、5歳ごろのときも、東京池上だったが、大雪が降って家の前の電線が切れて停電になっり、お誕生日の祝いができるか、本当に心配したこともあった。さて、1947、1948、1950年生まれは、250万人もいたそうだが、去年の出生者数は、75万人だそうで、30%であり、人口減少社会である。人口は、そのエリアの力の元で、明治維新で薩摩や長州が徳川幕府を倒したのも、幕末は農業等の改良で西日本の人口が増加していたとの説もある。だが、人口に頼っていた社会はもう古いと思う。人口等による経済成長のみに頼っている社会ではなく、経済的停滞でも豊かな生活をおくれる社会を目指すべきだと思うのである。誕生日に思う
五百旗頭真先生の死亡は、急性「大動脈乖離」で、これは石原裕次郎もやったことがあった。実は、私も「動脈乖離」で倒れたのだが、心臓につながる大動脈乖離ではなく、右脳の大動脈乖離で、これは非常に珍しいものだそうだ。もちろん、脳内で動脈乖離が起き、その結果右脳の一部で梗塞が起きたので、脳梗塞となったのである。そのとき、「これは稀な症例とのことで、遺伝子等を調べるから」と血液を採取されて、研究に使用する許可を求められて、もちろん承諾したことがあった。その結果、どのように医学的研究が進んだかは、知らないが。唯一、私が医学の進歩に「貢献した」例である。同じ動脈乖離だが・・・
まるで、大島渚の映画『青春残酷物語』みたいだと思う。映画では、桑野みゆきは高校生で、川津祐介は大学生だったのだが。この映画では、桑野と川津の方が死んでしまうのだが。川津祐介も、桑野みゆきの姉久我美子の元恋人で医者の渡辺文雄もとっくに死んでいて、監督の大島渚も、撮影の川又昂も、音楽の真鍋理一郎も亡くなられている。その後、結婚して引退した桑野みゆきは、ご健在なのだろうか。MSN.COMSNSで美人局、大学生を転落死させた疑い中学生3人を逮捕・通告SNSで知り合った20代の男性から金を奪おうとし、逃げようとした男性をビル4階から転落させ、死亡させたとして、大阪府警は7日、大阪市中央区の中学2年の少女(14)と堺市北区の中学3年の少年(15)を強盗致死の疑いで逮.....まるで映画『青春残酷物語』みたいだ
東証の株価が4万円を越えて、40年前の水準を越えたと大騒ぎである。懐かしのバブル時代だが、私もパシフィコ横浜の営業部にいたとき、1回だけ「贅沢三昧」があった。それは、何かの医学界で本郷の東大医学部に営業に行った後のこと。パシフィコ横浜の上司の課長の他、JTBの担当の方もいて、5人くらいで行き、そのまま上野のカラオケ店に行った。そこでずっと飲んで歌ったのだが、すぐに時はすぎて、「帰ろう」となった。店のマスターが、9時ごろからずっと電話をしていて、11時ごろにタクシーが捕まったので、皆タクシーで帰った。私も会社発行のタクシー券で、横浜まで帰ったのだ。この程度のことだったが、今考えれば信じがたいことだった。40年前の「贅沢三昧」
この本は、この数年に読んだ本で一番面白かった。朝妻一郎と言えば、1960年代以降、日本のポピュラー音楽のLPを見ると必ず解説を書いていた方で、非常に年上の方だと思い込んでいた。だが、この本を読んで、私より5歳上の方だと分かり驚いた。朝妻さんは、高校時代にポール・アンカが好きになり、彼の後援会の代表になる。その時、経済観念の鋭かったポール・アンカは、自分で権利を管理する会社を作り、レコード会社も変えてしまい、日本の発売元も代わった。そこで、日本のレコード会社に頼れなくなったことから、渋谷のヤマハの紹介で、朝妻少年は、ニッポン放送の高崎一郎氏に紹介されて、アルバイトで助手をすることになる。そして、歌曲の権利管理会社のフジパシフィック・ミュージックの社員となり、日本のポピュラーの音楽の発展に多大な貢献をされるよ...『高鳴る心の歌』朝妻一郎
大谷将平の結婚話で、マスコミのすべてが占領されているが、実は大谷選手のご両親は、横浜にいたのだ。彼の父親は三菱重工横浜の野球部にいて、レギュラーの選手だったが、そこでバドミントンをやっていた女性と知り合って結婚して生まれたのが、大谷翔平君なのだ。彼は、非常にまじめで親の生き方をよく見ていると思うので、結婚相手は、彼の母親のような方ではないかと私は推測する。こんなことは、本来関係者だけの問題で、大谷ではないが、「皆さんがうるさい」ことに他ならないのだ。大谷の両親は横浜にいた
これも笑いはなしで、あろ日、佐藤栄作首相が聞いたそうだ。「なかそね、みき君はどうしているかね」秘書は言った、「中曾根康弘氏と三木武夫氏は・・・」「違うよ、仲宗根美樹君のことだよ」後に沖縄返還に尽力された佐藤栄作氏の言葉のようだ。佐藤栄作が言った「なかそね、みき君はどうしているかね」
歌手の中曽根美樹が亡くなったそうだが、結構映画にも出ている。また、吉永小百合、浜田光夫の映画『愛と死を見つめて』では、この二人が仲宗根の『川は流れる』を唄っている。この映画では、今テレビの朝ドラの主人公の笠置シズ子が、吉永と病院の同室の患者の叔母さんとして出ている。この頃、笠置は歌手をやめていたのである。仲宗根美樹1963年(キングレコードの広告)映画[編集]うるさい妹たち(1961年大映)東海一の若親分(1961年東映)海猫が飛んで(1962年松竹)しのび逢い(1962年松竹)太平洋戦争と姫ゆり部隊(1962年大蔵映画)川は流れる(1962年松竹)その結婚異議あり(1963年大映)独立美人隊(1963年松竹)魚河岸の旋風娘(1963年松竹)BACKSTAGE/バックステージ(2001年日活)仲宗根美樹、死去、79歳
昨日は、106年前に2・26事件がおきたときで、この時期になると「新資料」が出て来たものだが、この数年はない。さすがに100年も経つと関係者はもとより、遺族ももういなくなったからだろう。さて、この事件は、戦前の最大の事件の一つであり、日本の近代史の問題点の集中である。それは、日本は大日本帝国憲法で、一応立憲君主制を定めたが、思想的には前近代的な「君民一体」思想を持っていたからだ。日本は、天皇を祖とする大きな家族であるという神話で、個々の日本人と天皇は、もとをただせば同じと言う馬鹿げた考えである。人口学によれば、縄文時代に日本には、すでに30万人の住民がいたそうで、「君民一体」などありえないのだ。天皇制的神話が、一番嫌いだったのは、実は昭和天皇であり、だから2月26日に事件がおきた時、すぐに「反乱軍」を制圧...もう出てこないだろう2・26事件資料
昨日の朝日新聞に、元首相の宮沢喜一氏の日録があり、遺族から委託されて御厨貴先生らが編纂されているとの記事があった。いずれ、公開されるらしいが、ぜひ見てみたいものだ。日本の首相の中で、宮沢喜一氏は、もともとエリートで、高級官僚だった人の典型であり、その最後の方だったと思う。この人は、自分で言っているが、政策は得意だったが、人の動向を見るのは苦手で、1993年に自民党の小沢一郎らが反乱を起こして、宮沢内閣不信任案が可決されたとき、まったくその動きを知らなかったのだそうだ。おそらく「そんなことはあるまい」と思っていたのだろう。このときの感想はぜひ読んでみたいと思っている。同じ東大卒の高級官僚でも、人事にたけていたのは、佐藤栄作で、彼は、常に『国会便覧』を読み、さまざまな人事情報を頭に入れていたそうだ。だから、佐...『宮沢喜一日録』の存在
映画『ZK』、頭脳警察を見て、食わず嫌いだったことを悔いた。彼は、赤軍などの左翼過激派との関係が言われたが、その本質は、抒情的なメロディメーカーであることが分かった。それは、彼(パンタ)は、埼玉の所沢に生まれ育ったことで、アメリカ軍基地の文化を浴びたからだったと思う。それは、レゲエのボブ・マーリーにも類似していると思う。ボブは、他のレゲエ歌手とは異なるクールさがあるが、彼はイギリス人の父親とジャマイカ人の母との間に生まれたことが、その理由だと私は思うのである。横浜シネマベティ『ZK』を見て
女優の山本陽子が死んだそうだが、81とは女性では若死にと言うべきか。彼女の出演歴は以下のとおりで、数は多いが、まあ端役である。目立ったのは、裕次郎・浅丘ルリ子の名作『赤いハンカチ』で、二谷英明の裏切りで殺人犯にされ、ルリ子と二谷が結婚した豪邸の女中役で、私も最初に気づいた映画だった。後は、『猟人日記』でも、仲谷昇の餌食にされる女の一人にすぎなかったと思う。いずれにしても、日活時代は大した役はなかったが、1974年の東宝の『華麗なる一族』での万俵家の長男田宮二郎の妻が適役だったと思う。ゴシップ的に言えば、この頃から田宮二郎との関係はあったのかと思うが。テレビで成功した俳優であることは間違いなく、元日活でいえば、男では杉良太郎、女優では山本陽子が第一だと思う。杉良太郎など、沖雅也や藤竜也の遥か下だったのだから...山本陽子、死去、81歳