日本映画が、アカデミー賞で2本受賞したのは、喜ばしいが、どちらも技術的である。日本映画の黒澤明、小林正樹、小津安二郎、溝口健二らも結局は職人的仕事の見事さに成立していたと思う。だから、映画『オッペンハイマー』のような作品は出てこない。日本にも興味深い人間はいた。陸軍の石原莞爾など、最高ではないか。満州事変を起こし、満州国を作ったが、東條英樹によって陸軍を追われる。この数奇な運命を、幼い小澤征爾の目から描けば、と思うのだが。職人芸の日本映画
さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です。多くのジャンルをさ
日本シリーズが終わって昼も夜も見るものもないので、大好きな『陸軍中野学校』シリーズを2本見る。これは、どちらも英米のスパイ網との対立を描くもので、「ゾルゲ事件」をヒントにしていると思う。脚本はどちらも長谷川公之で、監督も井上昭である。主人公の椎名次郎は、市川雷蔵で、相手役は4作目では高田美和、5作目では織田利枝子という女優である。また、5作目ではスパイ側の女性医師が小山明子で、これは好演である。二人が料亭で会っている場面で、雷蔵は半ば自分の身分と役目を打ち明け、「あなたとあっているときにも、何を考えているのか、ハラの中を探っている。悲しい運命です」というが、小山は「平和な時にお会いしたかったですわ」と二人はキスする。この頃、小山明子と大島渚の創造社は大変だったので、彼女は大映作品に出ている。それは、大島渚...『陸軍中野学校・密命』『同・開戦前夜』
これは、1962年の大ヒットした有名な劇の映画化で、私が見たのは1966年5月頃、早稲田大学文学部自治会の新入生歓迎映画会でだった。この時、私はすでに早稲田の映画研究会にいたので、当時委員長だった曽根さんは、「マル戦は、これが好きだなあ」と皮肉を言ったものだ。だが、この時、曽根さんは、加藤泰の他の作品をそうは見ていなかったと思う。当時、加藤はそんなに人気のある監督ではなかったからだ。この劇の『真田風雲録』は、大変な反響を残していたもので、1973年12月に西武劇場で、福田善之作・演出の『焼跡の女侠』を見て、私が「面白いですね」と言ったとき、劇場にたまたまいて、高校の演劇班では4年上におられた栗原さんは、「私は、真田風雲録を見ているからねえ・・・これは」と言った。事実、『真田風雲録』の影響は非常に大きく、一...『真田風雲録』
韓国ソウルでの群衆圧死事件が騒がれているが、実は日本でも以下のような大事件があった。彌彦神社事件(いやひこじんじゃじけん、やひこじんじゃじけん)、彌彦神社丙申元旦事故(やひこじんじゃひのえさるがんたんじこ)または彌彦事件(やひこじけん)[1]:124は、1956年(昭和31年)1月1日午前0時過ぎ、新潟県西蒲原郡弥彦村の彌彦神社(弥彦神社)拝殿前で初詣客が新年の餅撒きに殺到、玉垣が崩れて将棋倒しになった群集事故である[1]:125。この事件で124人が亡くなっているのだ。「韓国は、云々・・・」と言い方は通用しないのである。誰も知らないのだから実に恐ろしいことだ。日本にもあった事件
ジェリー・リー・ルイスが死んだそうだ、87歳。これで、反射的に思い出したのは、今週火曜日に横浜市役所のアトリウムで行なわれていた「よこはま共創博覧会」に出てきた、神戸大学の特命教授だった。土田某は、自分の体の動きをパソコンに記憶させて、それで自由に動きを再現すると言う試みをやっていて、障害を持つ者への補助にもなると言っていた。このイベントは非常に良かったが、この某教授のやっていたことは「まるでバカ」としか思えなかった。私は、以前にジェリー・リー・ルイスのライブ・ビデオを見たことがある。火の玉ロックのルイスは、まさに破壊的に見えるほどのものすごいロックで、舞台にグランド・ピアノを両手で弾きながら、体で押し出してきてしまうのだ。まさに、最大のエンターテイメントは、人間の肉体であるということを全身の体で証明して...ジェリー・リー・ルイス死去
今日は、日本シリーズがないので、夜はユーチューブにあった『陸軍中野学校・竜三号指令』を見る。このシリーズでは凡打だが、やはり面白い。昭和15年秋、椎名次郎の市川雷蔵は、草薙の加東大介の命令で中国の上海に行く。もちろん、国際都市で、様々な連中がうごめいている。その中で、雷蔵は、和平派の日本の軍人が殺された件と、次の和平派の派遣に関わって行く。現地の強硬派が、早川雄三で、雷蔵と対立する。第二陣の和平派の大物が、共産党地区で捕獲されたとのことで、雷蔵は、仲村隆と一緒に行く。地雷原を逃れる件など、細かい細工があるが、全体にはやや不満なできだと思う。雷蔵が知合い、敵スパイのスタイナー商会に入るのが安田道代で、彼女は敵スパイの一人と結婚し自殺した女の娘であることが最後に明かされる。ここは、ゾルゲ事件のゾルゲの愛人石井...『陸軍中野学校・竜三号指令』
1960年の東映、中村錦之助の森の石松ものだが、非常に斬新で、大変に面白い作品である。なにしろ、錦之助が演じる若手演出家が「ヌーベルバーグだ」と言っているのだから、普通じゃない。脚本、監督の沢島忠、そして錦之助は、本当の天才だと思う。劇場で、『森の石松』の閻魔堂の場面が演じられていて、演出家は中村錦之助、助手が丘さとみ、照明が山形勲で、支配人は進藤英太郎。寿司屋の出前が鶴田浩二で、掃除の伯母ちゃんは赤木春恵である。錦之助は、「この芝居が古くさくていつも通りだとして不満」だが、支配人達は、「三日後に本番だ」と言ってそのままやれという。彼は、不満で酒を飲み酔って、劇場に戻ってきて、支配人室のソファーで寝る。目がさめると、遠州にいる森の石松になっていて、廻りの者も皆次郎長一家の人間になっている。皆は、錦之助を「...『森の石松鬼より怖い』
昨夜の日本シリーズは、吉田がサヨナラホームランを打って、2勝2敗1分けで、同じになって、土曜日から神宮球場ですることになった。今年のオリックス・ヤクルトの日本シリーズは、非常に面白い。それは、村上、吉田のホームランバッターがいると同時に、オリックスの中継ぎ投手がすごくて、150キロ前後の球を投げてくるからだろう。中で宇田川というのが、面白い顔をしていると思ったら、フィリピン系だった。オリックスには、宗裕真がいるが、彼は西アフリカのギネアである。私は、こうした非日本人が活躍するのが好きである。その意味で言うと、山本由伸が、1戦目で脇腹を痛めて降板したのは、残念なことだ。その痛めた原因は、神宮球場のマウンドが普通ではないからだとのことだ。マウンドだけでなく、神宮球場のフィールドは、実は平面ではなく、ホームから...神宮球場変遷史
ダンスの勅使河原三郎が、文化功労賞を受賞されたそうだ。1980年代だが、彼をインタビューしたことを思いだした。当時、教育委員会の教育文化センターにいた、野田邦弘君の依頼で、教文センターのPR誌に載せるものだった。教文センターのどこかの会議室でインタビューしたが、KARASの佐藤まいみさんも一緒だった。どういう話をしたかほとんど憶えていないが、彼に「手や足の動きは、自動的に出てくるものなのか、意識してするものなのか」聞くと、「そんなことを聞かれたのは初めてだ」と答えたと思う。それで、「自動的、自発的に出てくるものだ」との答えだったように記憶しているが、その原文がないので、なんとも言えない。ただ、2001年に私は脳梗塞で、左半身マヒになった。マヒから回復する過程で、人間の手や足の動きは、すべて脳がいちいち指示...勅使河原三郎さんをインタビューしたことがある
「ちい散歩」を見ていたら、大田区蓮沼が出てきた。ただ、主に矢口側で、他のところについて書く。まず、駅近くにあったのは、2館の映画館で、洋画の南星座と邦画のヒカリ座だった。南星座は、かなり上質の洋画館で、ディズニー作品などをやっていたが、1960年前後に閉鎖された。これに対し、ヒカリ座はずッとあって、もともと大映や松竹をやっていたが、1970年代はピンク映画やATG作品も上映していて、松本俊夫の『修羅』もここで見た。山田洋次監督の映画『男はつらいよ』の1作目もここで見た。11月で、過激派の「羽田闘争」から町を自衛した「蒲田自衛団」の連中がオールナイトで寝たまま、椅子の上で寝ていたのをよく憶えている。この2館の反対側の蒲田方向には、新東宝系の帝都座があり、新東宝倒産の後は、閉鎖されていた。だが、1960年代末...蓮沼について
私が、直接、間接に聞いて知っている議長は、以下のとおりである。大体の任期は、本来4年だが、2年で交替している。それは、議長というのが、どこか旨味があるのだろうが、私たち役人には分からない。この津村峯男さんは、8年やった伝説の方で、行政視察に愛人を連れてきたという噂があった。だが、写真で見てもなかなかいい男で、本当にもてたのだと思う。また、この方の愛人の息子と言われる方も県会議員になっている。これは、本当のことで、確かに津村さんによく似ていた人だった。18代の清水さんという人は、自民党が割れて飛鳥田市長ができたときで、その責任を取って自民は、議長を放棄して無所属の横浜市政同志会の清水さんが就任した。そこで、自民党からさんざ虐められて死んでしまったという話である。その後、自民党の主流の横山さんに戻った。横山・...横浜市会議長について
今日の朝日新聞の夕刊に、こんにゃくのことが出ていた。大学のとき、英語の教師が、アメリカ人が下手な日本語を話すと、「彼と彼女が婚約しましたを、彼と彼女がこんにゃくしました」と言ったが、本当だろうか。こんにゃくで、擬似性交することがあるのかと思ったものだが。さて、冗談はさておき、こんにやくには、相場がある。こんにゃくは、多年草で、毎年取れないので、あるとき高騰すると、それっと作りすぎ、その何年後かは作りすぎで、暴落するのだそうだ。だから、相場が成立するらしい。町場のこんにゃく屋さんは、大体は相場をやっているので、金持ちなのだそうだ。昔、横浜に「はまっ子」というタウン誌があったが、その二代目の発行者は、磯子のこんにゃく屋だったと編集者の渡辺光次君から聞いた。磯子や南区には、いまでもこんにゃく屋が多いが、これは水...こんにゃく相場
小室圭さんが、ニューヨーク州の弁護士試験に合格されたそうで、ともかく喜ばしいことだ。今後が実は大変だろうが、彼には大きな利点もある。それは、ある日本の某大企業での話である。そこでは、何人かの取締役がいたのだが、普段はほとんど仕事をしていなかったそうだ。ただ、なにかもめ事が起きると出ていき、「この方は、実はなんとかの宮様の孫で・・・」というのだそうだ。それで、解決する案件もあったとのことで、そのために置いていたとのこと。アメリカでそんことが通用するとは思えないが、王様がいないアメリカでは、意外にも「日本の皇室に繋がる方」というのは、使い道があるのかもしれない。小室さんのご活躍をお祈りしたい。小室さんの弁護士試験合格で思うこと
ユーチューブに、地井武男の『ちい散歩』があったので、見る。蓮沼があったが、北品川では、ほ志乃さんの、星野昭さんが出てきた。電柱の上にあるコンデンサーについて地井さんの質問に答えているシーンだった。ほ志乃は、北品川の有名な居酒屋で、私も北品川に住んでから、ずっと通ってきた。数年前に閉めてしまい、別の方が店を継いでいるが、星野夫妻はいない。お二人に子供はなく、店でおそらく十分な資産を得たので、やめられたのだと思う。一度、お会いしたいものだと思っているが、連絡するすべがないので、困っているのだが。蓮沼については、またかく。地井散歩についてほ志乃さんが出ていた
金曜日の朝日の夕刊に、森鴎外の意外な食の趣向のことがかかれていて、地元ではそれを再現した食事等が振る舞われていると出ていた。彼が、大変な文豪で、秀才だったことは認める。だが、本職の陸軍軍医総監として実績には、相当に疑問がある。なぜなら、彼は、強固な「脚気、風土病説」の信者で、かの日露戦争で、最大の死者の原因を作り出したからである。当時、世界的に、脚気の原因は解明されていなかった。特に、欧州には脚気はいなかったので、「アジアの風土病だ」とする説が主流だったのだ。さらに、鴎外は、ドイツで細菌学の権威のロベルト・コッホ博士に学んでいるので、いよいよ「脚気は細菌だろう」との説に傾いたのだ。だが、今では誰でも知っているように、脚気はビタミンB1の不足から来るものである。白米のみを食するとなってしまうもので、江戸時代...森鴎外の罪
私も、今はテレビで見るのは、『剣客商売』『御家人斬九郎』などの時代劇である。その理由を考えてみると、やはり時代劇の台詞や所作が、馴染みになるからだろうと思う。『剣客商売』では、元東京キッドブラザースなどで、洋物ミュージカルを演じていた俳優の三浦浩一が、和服を着ていて結構様になっているのには、本当に驚く。さて、私の父は、大田区で小学校の校長をやっていて、そこでは当然にも背広を着ていた。だが、家に戻ると、和服に着替えていて、パンツではなく、褌をしていた。そこで、思い出すのは、昔、日本のコンベンションビューローの総会で聴いた、ロシア語通訳の米原万里の講演だった。彼女の父は、日本共産党の国家議員米原昶で、国際通だったので、チェコスロバキアの世界共産党の事務局にもいたという「国際派」だった。だが、米原万里によれば、...なぜ時代劇は人気があるのか
昨日の朝日新聞の夕刊に、東大出の選手のことが出ていた。新治伸治、井出峻、小林到、遠藤良平、松家卓弘、宮台康平の6人である。成績では、新治が、大洋ホエールズの投手で9勝6敗。当時の大洋は強いチームではなかったので、立派なものだろう。井出竣は、投手で1勝、打者としてもホームラン1本なので、「二刀流」であり、これも結構立派な成績だったと思う。ただ、この二人は、共に野球チームの所属ではなく親会社の、新治は大洋漁業、井出は中日新聞の社員でそこからの出向だったそうだ。小林がロッテに入ったとき、監督の金田正一が、「これは、球が遅すぎて、逆にプロは打てないのではないか」と言ったが、成績は1軍出場なしだった。宮台康平選手は、まだヤクルトの現役なので、今後どのような成績を残すかが、楽しみである。井出は、中日を辞めた後、アマチ...東大出のプロ野球選手
中学のときの運動会は普通だったが、高校3年の運動会は、午後はサボってしまった。われわれと対立していた高校生組織の反戦高協の集会があったからだ。午後、両国公会堂に行き、中核派の集会に出たのだ。だが、その集会の趣旨に興味があったからではない。松本俊夫監督の映画『安保条約』が上映されるからだった。これは、1960年に総評(日本労働組合総評議会)の資金で作られた反安保条約の宣伝映画であった。だが、実に驚くべき作品で、その趣旨は、「安保条約は日本の軍国主義化であり、米国への従属」というほとんど日本共産党の政策そのものだった。さらに、アニメ等も使用されるのだが、表現が稚拙で単純なのだ。「これが、あの松本俊夫先生の作品なの!」と思った。この時、「眼高本当に本当にあるものだ」と思ったものだ。因みに松本俊夫監督の最高作品は...高校の運動会では
1961年の松竹京都作品、監督井上梅次、脚本は八住利雄で、原作は樫原一郎。大正15年3月、警察官になるため、鹿児島の大木実と福島の佐田啓二が上京してくるところから始まる。警官、刑事の目から見た昭和史であり、木下恵介監督の『喜びも悲しみも幾年月』が、灯台守の目から見た昭和史と同様の趣向である。大木は、サツマッポの堅物で、対して佐田は世慣れていて、故郷には許嫁の乙羽信子までいる。二人は、浅草で警官になるが、すぐに刑事になる。浅草で、スリの父親の息子の三井弘治は、スリをやめて寿司屋になる。昭和初期の説教強盗や、ピストル強盗などの事件もあるが、刑事の活躍と努力で順次解決される。そして、満州事変から太平洋戦争になり、大木は高千穂ひづると結婚するが、その初夜の模様が笑える。佐田には、三上真一郎と桑野みゆき、大木には津...『妻あり子あり友ありて』
初めて行く映画館だったので、不安で渋谷からバスで行こうかとも思ったが、歩くと意外に近かった。渋谷のメトロビルの隣ではないか。1968年、ビートルズの4人は、インドに行く。彼らの前に、女優のミア・ファーローもインドに行き、瞑想をしていたのだ。「本当なの」と思ったのは、この話を聞いたときだった。だが、彼らは本気だったことが、この映画を見るとよく分かる。こうした英米の若者動きの裏には、当時のヒッピームーブメントがあり、さらに遡ればビートがあったのだ。ビート族というと、ヒゲを生やした連中としか日本で見られていないようだ。だが、彼らこそ、アメリカで、当時の支配的なキリスト教的白人文化の他に、世界、アメリカに多様な文化があることを発掘し、記録した人達だった。その代表が『路上』のアレンギンズバーグであり、アメリカのルー...『ミーテイング・ザ・ビートルズ・イン・インディア』
テレビで、「聟社長」が優れていることが特集されていたが、実は日本の江戸時代、富家の跡継ぎは婿が多かったのだ。それは、歌舞伎をみれば分かる。大きな商店等でも、次代は、息子ではなく、優秀な手代、番頭の中から婿を選んで、娘と結婚させるのだ。男の子がいる場合は、家を継がせるのではなく、別の家に行かせて結婚させて、別の新たな関係を増やすのだ。ある意味で、日本は弥生時代から「母系社会」で、それが江戸時代まで続いていたのだ。男系相続だったのは、一部の武家だけだったのである。日本の社会が、男性優位の社会になったのは、明治以降のことで、それは下級武士の出だった明治維新の元勲連中が連中が、上級武士のやり方を憧れて真似たからだと言われている。多分、そうだと思う。江戸時代も聟社長だった
ヤクルト・阪神戦の三戦目は、エースの青柳が一人で頑張って投げていた。それは、まるで、V9時代の巨人に対して孤独に投げている江夏のようだった。選手全員で戦ってくるヤクルトに対し、青柳は一人戦っていて、3・ゼロだった。だが、7回裏に2死満塁で、マルテのエラーで1点差に迫られた時、投手交代になったのは、仕方ないだろうと思う。ただ、これが浜地なのだ。なぜ、湯浅ではないのかと思うと、村上に変なゴロを打たれ、1塁へ悪送球で、3員全員が生還する。ここは、「湯浅なら、三振で終わったのに」と思う。矢野監督は、いつものことだが、結構投手を出し惜しみする。今年の開幕戦の時もそうだったと思う。出し惜しみをして加点されたのだ。そして、8回にはケラーを出して、開幕戦と同じ山田に打たれて、6点になる。開幕もケラーデ負けて、最後もケラー...V9時代の江夏を思い出した
昨日は、池上本門寺のお会式だったはず。このところ、まったく行っていないが、池上の子供にとって、一年で一番に心躍る日だった。なにしろ、池上小学校は、この日は休みだったのだ。お寺の祭式で、公立学校が休日というのは、全国でもそうはないことだったようだが、今はどうだろうか。さて、先日、プロレスラーのアントニオ猪木が亡くなったが、その墓はどこになるのだろうか。順当にいけば、彼が尊敬する力道山のお墓のある、池上本門寺となるだろう。そこには、沢山の有名人のお墓があり、力道山の他、児玉義雄、大野伴睦、さらには市川雷蔵、渋くは幸田露伴のもあった。映画関係では、溝口健二の墓もあり、先日亡くなったゴダールもお参りに来た。そのすぐ近くには、花柳章太郎のもあったと思う。アントニオ猪木の墓は本門寺だろうか
これは、1992年に東品川にできたアート・スフィアのオープニング公演の一つとして行なわれもので、私は雑誌『ミュージック・マガジン』で酷評させてもらった。その理由は、つまらなかったからで、今回も同じだった。当初、これはKAAtの公演だと思い、5階の劇場入口に行くと「これは違います、県民ホールです」と言われ、神奈川県民ホールに行く。先日亡くなられた一柳慧芸術監督の念願だったのかと思うが、できは良いとは言えなかった。なにより、フリップ・グラスの音楽が前にも増して不愉快だった。ミニマルズムだが、要は『ショナ族のムビラ』などの、アフリカの民族音楽のパクりで、1960年代の欧米の知らない人には珍しかっただろうが、民族音楽を熟知している我々には、不愉快なだけである。ルシンダ・チャイルズの振り付の、その機械的動作も、文楽...『浜辺のアインシュタイン』
ウクライナへのロシアの攻撃は、依然と続いていて、ロシアへの国際的な批難は高まるばかりだ。さて、この問題で、一つだけ良いことがあった。それは、中国の台湾への攻撃が不可能になっただろう。1950年代に、中国は「台湾解放」を掲げて、金門、馬祖島へのミサイル攻撃を繰り返した。だが、大したことにはならず、台湾は依然として台湾である。今回のウクライナへのロシア攻撃は、当初予想された数週間でウクライナ全土が占領されることにはならなかった。その結果、現在ではむしろウクライナが反撃に出ているようだ。中国の習近平主席は、台湾解放を依然として掲げているが、陸続きのウクライナ・ロシアと異なり、台湾海峡のある台湾への攻撃は、不可能というしかないだろう。もし、本当にやるとすれば、まず数年間空襲などをして、台湾を疲弊させた後に、上陸攻...たった一つ良かったことは
1964年10月10日は、東京オリンピックの開会式が行なわれたときです。私は、高校2年で、この日は、学校は休みだったと思う。この前に、都立高校では、オリンピックの試合の券の抽選がクラスで行われていました。全校で、各競技毎に何枚とあって、クラスで抽選したのです。もちろん、タダではなかったはずですが、東京中の学校で、オリンピックを国民が挙げて祝おうというムードがあったのです。去年のインチキオリンピックとは、まったく意味がちがいます。なぜ、去年のオリンピックが駄目だったかといえば、その出だしの動機が不純だったからです。3期目の都知事選に出るとき、石原慎太郎が公約がないので、いきなりオリンピック誘致と言い出したことが不純の始まりで、これが現在の「オリンピック汚職」の基になっているのです。不純なものは、不純な結果を...58年前の今日は
日枝小学校の運動会と書いたが、お三の宮幼稚園の運動会だった。音が大きくないなあと思うと、幼稚園だった。見ると60人ほどで、まあこんなものなのだろう。私は、幼稚園に行っていないが、私の時代、幼稚園に行っていた者は、10人くらいだったと思う。兄弟でも、上の姉達2人は、昭和初期の平和な時代だったので、行っているが、その後の兄と三女は、戦争の時代になっているので、幼稚園に行っていない。幼稚園は、平和な時代の産物なのだろうか。幼稚園の運動会だった
朝、ゴミを出しに行くと、前の日枝小学校で運動会をやっている。小学校の運動会については、やや苦い思い出がある。徒競走でビリになった、と言うようなことではない。6年生の時に、会場のアナウンスをさせられたことだ。なぜか、私は、もう一人の女の子と選ばれて当日のアナウンサーにされたのだ。選んだのは、Aと言う教師で、多分学年主任だったのだと思う。だが、このAは、今では大変な問題教師だった。私の同級生で一番仲が良かった子に、田辺君というかわいい男の子とがいた。彼によれば、A先生には膝の上に乗せられて、オチンポコを触られたと言うのだ。私は、その被害に遇わなかったが、田辺は嘘を言うような男ではなかったので、本当だと思う。現在でも、学校で、いろんな問題が起きているが、昔もあった。むしろ、昔の方が多かったと思うのだ。ただ、表沙...運動会でのできごと
元近鉄の投手だった吉井理人が、ロッテの監督になると言うが、彼を一度見たことがある。それは、宝町の国立映画アーカイブの入口でだった。何か忘れたが、2階のホールで映画を見て終わり、下に降りると入口に背の高い男がいた。どこかで見た男だなと思うと吉井だった。別に映画を見に来たのではなく、誰かと待ち合わせで、ライターのような人と会って出ていった。背が高くて、小顔でカッコ良いなあと思った。ロッテの千葉スタジアムにも女性の客が増えるだろうと思う。吉井も、オリックスの中島も、仰木彬の教えを受けているので、かなり期待できるのではないかと思うのだ。吉井を見たことがある
『悪い奴ほどよく眠る』の映画版とテレビ版との違いについて書く。一番の大きな違いは、主人公の三船敏郎、テレビでは村上弘明が結婚する公団総裁森雅之、テレビでは中野誠也の家族である。映画では、香川京子の兄は三橋達也だが、テレビでは岩井なおみの姉がとよた真帆で、村上とも関係があったとされていて、さらにとよたは、父親の中野とも関係があったとなっていた。この辺は、時代の差だろうか。もう一つ、大きな差は、映画では三船敏郎には、友人で協力してくれる加藤武がいるが、テレビ版ではいないことだった。これは、村上を孤独なヒーローとするためだったのか、よくわからない。そして、最後は、映画版では三船は、藤原釜足などの老人によって捕まり、交通事故とされて殺されてしまう。だが、テレビ版では、村上は殺されず、岩井と幸福に生きていくことが示...映画版とテレビ版の違い
黒澤明生誕100年とのことで作られた作品。映画を最初に見たのは、高校3年のとき、渋谷のテアトルハイツで、岡本喜八の『江分利満氏の優雅な生活』と2本立てだったと思う。ここは、東宝系の名画座で、音と映像が良いので有名だった。渋谷の百軒店で、ここにはテアトルSSというストリップ劇場もあったが、すぐにピンク映画になった。この『悪い奴ほどよく眠る』を見て、不思議に思ったのは、汚職などの社会的問題に一切意識がないはずの黒澤が、なぜこの汚職をテーマとしたのかだった。ずっと分からなかったが、黒澤の父親の黒澤勇氏のことを知ってわかったのだ。黒澤勇氏は、日本体育協会と体操学校の理事だった。だから、黒澤明は、東大井の学校の官舎で生まれ、幼いときは高輪にあった私立の森村学園に行っていた。ところが、大正3年に体育会と体操学校を首に...『悪い奴ほどよく眠る』
言うまでもなく、1936年2月に起こった日本の歴史上最大で、最後のクーデターである。秦郁彦先生によれば、「日本には、2.26事件産業があり、毎年2月頃になると新資料が出てくる」とされていたが、90近く前なので、さすがに近年はもうないようだ。監督五社秀雄、脚本笠原和夫で、1989年に公開され、横浜のピカデリーで見たが、ほとんど台詞が聞えなかった。その訳は、当時横浜ピカデリーの屋根は鋼鉄製で、その日は夕立があり、その雨音でほとんど台詞が聞えなかったのだ。話は、三浦友和らの陸軍の青年将校が、料亭のようなところで決起を決めるところから始まり、重臣を次々と襲う場面が続く。それは、約30分で終わってしまい、軍事参議官会議が「陸軍大臣告示」になる。これは、相当に反乱派に阿った告示だったので、彼らは「勝利で、天皇は我々の...『2.26』
1970年代の横浜市役所は、市長の飛鳥田一雄氏が、明治大学だったので、明治出は、出世すると言われていたが、そうでもなかったようだ。たぶん、局・区長で一番多かったのは、横浜市大と横浜国大だと思う。そんなことはどうでも良いのだが、明治大学記念館が出てくる映画があった。増村保造監督、浅丘ルリ子主演の『女体』である。この映画で、浅丘ルリ子に溺れて身を滅ぼしてしまうのが岡田英次で、彼は某大学の事務長なのだ。そして、大学に乗り込んで来て、闘争している学生に「頑張ってよ」と彼女はカンパするのだが、それは明治大学記念館だった。この岡田英次の妹が、梓英子で、二人兄妹で、「絶対に守る」というのだ。なぜ、浅丘ルリ子が、大学に乗り込んで来るかと言えば、理事長小沢栄太郎のドラ息子青山良彦らが、海岸で浅丘を強姦したからなのだ。さて、...明治大学が出てくる映画は『女体』である
私が、横浜市役所に入って数年後に聞いた、非常に驚いた言葉の一つである。市役所がヤクザなら、世の中はヤクザでないところはなくなるのではないか。これを言ったのは、S課長で、明治大学出身で、最後は某区の区長になった方である。もっとも、市会事務局は、議員さんが絶対で、彼らの言うことがいつも正しい、ヤクザ映画のごとき世界だったのだが。どうやら、そうではなく市役所の仕事全体が、ヤクザ的と言ってらしかったので、驚きだった。ただ、この方は、麻雀が大好きで、朝きちんと出てくることはなく、10時近くに出てくる人だったのだが。当時の局長も、さすがによく見ていて、「こんなことでは上に行けないぞ」と警告していたが、後に区長にまでなったのだから、それなりに評価されていたのだと思う。「われわれは、ヤクザな仕事だから」
大学の劇団には、いろいろな人がいたが、中でもっともユニークなのはTさんだった。子供の時は、「美少年」だったので、雑誌の表紙にでたこともあると言う人だったが、劇団ではずっと大道具で、私もいろいろと教えてもらった。4年できちんと商学部を出たのだが、普通の就職はせず、町の印刷工場の職員、まあ言えば工員になった。他の兄姉は、普通のサラリーマンとのことで、相当に変わった方だった。そして、この方が、大のプロレス好きで、高校野球が大嫌いなのだった。なぜですかと聞くと、「高校野球は真面目にやっているのが嫌い!」とのことだった。好きなのは、辺見まりと渥美まりで、その点は私も同様だった。「こういう生き方もあるのか」と思ったものだ。ただ、このTさんは、酒が大変にお好きで、しかも摘まみをほとんど食べないで飲むので、もともと痩身だ...プロレス好きのTさん
葬式、特に自宅や町内会会等でやる葬式がなくなって困ったのは、和菓子屋さんです。昔、区の保健所にいたとき、和菓子屋さんが言っていました。「葬式饅頭、さらに建前で撒く餅は儲かったんだけどねえ」葬式饅頭、小判形で異常にデカイ饅頭をもらったものだが、それは今はもうない。建前の餅捲きも必ずあったもので、建前だと言うと、子供たちは見に行ったものだ。世の移り変わりと言うほかはない。葬式がなくなって困った人は
安部晋三元首相の国葬で、賛否があったが、これを見て思うのは、葬式自体が終わりになりつつあるとのことだ。昔は、本当に葬式は盛んで、私がいた横浜市役所でも、いろいろなところから訃報が来て、必ず出たものだ。だが、退職した現在、ほとんどこうした訃報は来ないし、また来ても「家族で営みましたので・・・」が多く、行くことはない。昔々、中核派の京大生山崎君が、羽田で死んだ時、中核派は「人民葬」をやって、当時委員長だった秋山勝行が総指揮をした。このとき、中核派以外のわれわれは、「葬式の総指揮か!」と笑ったものだ。いずれにしても、本当の近親者以外まで列席する葬式など、本質的に意味のないものだと私は思う。人の死は、厳粛なものだが、吉本隆明的に言えば、「人の死は、個として死に、類として生きる」ことだそうなので、類として生きていけ...葬式の葬式
「公明党も堕落したな」と言ったのは、1984年春の統一地方選挙の時、大久保英太郎横浜市会議長が言った言葉である。大久保氏は、社会党でありながら、横浜市会議長を4年も務めた方で、私は最後の半年間、公的秘書としてお付き合いした。非常に頭の良い方で、挨拶など、話の非常に上手い方でもあった。当時、横浜市長は、飛鳥田一雄氏から細郷道一氏に替った時で、細郷氏はそれほど演説の上手い方ではなかったので、かなり対照的だった。この選挙の時は、公明党は、それまでの社会党との協力から、民社党との共闘に乗換えた。その結果、それぞれ少数だったが、公明党は議席数を減らし、逆に民社党は増やしたのである。選挙に詳しい大久保先生によれば、選挙に素人の公明党は、民社党に欺されただとのことで、結果から見ればたしかにそうだ。そして、言ったのが「公...「公明党も堕落したな」
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日本映画が、アカデミー賞で2本受賞したのは、喜ばしいが、どちらも技術的である。日本映画の黒澤明、小林正樹、小津安二郎、溝口健二らも結局は職人的仕事の見事さに成立していたと思う。だから、映画『オッペンハイマー』のような作品は出てこない。日本にも興味深い人間はいた。陸軍の石原莞爾など、最高ではないか。満州事変を起こし、満州国を作ったが、東條英樹によって陸軍を追われる。この数奇な運命を、幼い小澤征爾の目から描けば、と思うのだが。職人芸の日本映画
夜、確定申告を終える。去年は、3月15日に出したので、今年は非常に早いことになる。今日の午前中に横浜南税務署に出しに行く。確定申告、終了
「3月は、31日ではなく、50日までありますから・・・」と聞いたのは、1989年12月末に、パシフィコ横浜から横浜市総務局国際室に異動した時だった。1989年度の国際室の調査事業で、2本も委託業者も決まっていないものがあり、「指田課長、すぐに業者を決めて事業を始めてください!」と言われ、驚いて、担当の荒木田百合さんに聞くと、「各年度事業は、3月31日ではなく、5月31日までにできれば良いんです」と平然と返された。その度胸には、大変に驚いたものだ。正月になってから、2社の委託業者を決めて、いろいろバタバタと調査をやり、最後は、業者が持ってきた下手な作文を、ほとんど私が改作して5月上旬に無事「報告書」を作って終わった。当時は、「出納閉鎖期間」というものがあり、各年度の事業は5月末に終了すればよいとなっていたの...3月は、31日では終わらないんです・・・
石原裕次郎、浅丘ルリ子の映画でベストと思われるのが、舛田利雄監督の『赤いハンカチ』である。このラストシーン、裕次郎とルリ子が別れるシーンは、墓場のようなところだ。昨日の『第三の男』を見て、これのラストシーンに類似しているなあと思った。私は、こういうことを否定しているわけではなく、肯定している。大衆文化では、引用はよくあることで、日本でいえば「本歌どり」であるのだから。『赤いハンカチ』のラストシーン
映画『第三の男』の舞台は、オーストリアのウィーンで、ここは第二次世界大戦後は、複雑な状況にあった。戦時中は、ドイツだったオーストリアは、東から侵攻してきたソ連軍によって占領されたが、イギリス、アメリカ、フランスによってウィーンは、分割統治されていた。その中で起きたのが、この映画の物語なのだ。1990年、翌年に開催される「国連ピースメッセンジャー都市会議」への参加誘致に、日本のウィーン市代表部の方に聞いたことがあった。ソ連占領後は、複雑な経緯があったようだが、最後は中立国になった。そこについては、「飲ませる、抱かせる、掴ませる」などの手を使ってのオーストリアの外交手法があったとのことだ。さすがハプスブルグ家の伝統だと思った。ウィーンは、今ももう一度行ってみたい都市である。ウィーンについて
『カサブランカ』のリメイクが日活の『夜霧よ今夜も有難う』なのは有名だが、『第三の男』もリイメイクされている。赤木圭一郎主演の『霧笛が俺を呼んでいる』で、共演は芦川いづみで、赤木が横浜に探しに来る旧友で、実は悪になっている男は、葉山良二なのだ。また、赤木の妹として吉永小百合が出ていることも貴重である。舞台は、いうまでもなく横浜と横浜港であり、芦川は、港のキャバレーの歌手で、歌を唄うのだが、ここではなぜか吹替えになっている。主題歌はもちろん赤木が歌うがこれが実に下手で参る。監督は山崎徳次郎で、この人は言わば職人的な監督だが、かなり良い作品を作っているが、最後は笹川財団の金で捕鯨の映画を撮って失敗したようだ。意外なのは、脚本が熊井敬であり、私はこの人は、新藤兼人と同様、脚本はすごいが、監督はどうかなあと思われる...『第三の男』のリメイクは
桜の映画と言えば、鈴木清順の名作『けんかえれじい』で高橋英樹が、浅野順子と見に行く夜桜も大変に美しい。浅野順子は、可愛いかった割に映画に出ていないと思っていたら、実は結構出ている。それも大映京都の時代劇である。浅野寿々子1957.07.30十七才の抵抗日活...可奈子の幼少時代1958.11.15赤胴鈴之助黒雲谷の雷人大映京都...しのぶ1958.12.21赤胴鈴之助どくろ団退治大映京都...しのぶ1959.11.22薄桜記大映京都市川雷蔵の代表作で、森一生の映画『薄桜記』で、堀部安兵衛の勝新太郎と婚姻を結ぶ少女が、浅野順子なのである。当時は、まだ十代のはずだが、かわいかったので、わざわざ大映京都までよばれて演じたのだ。本当に大橋巨泉に見込まれて結婚引退してまったのは、実に残念なことだったが。桜の映画と言えば
近年、桜の花が咲くのが早くなっているが、地球温暖化の性なのか。花見が出てくる映画もいろいろあるが、私が一番好きなのは、川島雄三監督の『花影』である。この映画の最後の方で、複数の男との関係を経てきた銀座のクラブの女給池内淳子は、最初の男である池辺良と夜桜を見に行く。そこは、青山墓地で、夜桜が美しいが、岡崎宏三と美術スタッフが作った人工の桜だったはずだ。ここのシーンに来ると、一生に一度、こんなにきれいな女と夜桜を見たいなと思うのである。美しい花見の映画
今日、3月8日は、私の誕生日で、76歳になった。今朝、低気圧の影響で雪が降ったが、5歳ごろのときも、東京池上だったが、大雪が降って家の前の電線が切れて停電になっり、お誕生日の祝いができるか、本当に心配したこともあった。さて、1947、1948、1950年生まれは、250万人もいたそうだが、去年の出生者数は、75万人だそうで、30%であり、人口減少社会である。人口は、そのエリアの力の元で、明治維新で薩摩や長州が徳川幕府を倒したのも、幕末は農業等の改良で西日本の人口が増加していたとの説もある。だが、人口に頼っていた社会はもう古いと思う。人口等による経済成長のみに頼っている社会ではなく、経済的停滞でも豊かな生活をおくれる社会を目指すべきだと思うのである。誕生日に思う
五百旗頭真先生の死亡は、急性「大動脈乖離」で、これは石原裕次郎もやったことがあった。実は、私も「動脈乖離」で倒れたのだが、心臓につながる大動脈乖離ではなく、右脳の大動脈乖離で、これは非常に珍しいものだそうだ。もちろん、脳内で動脈乖離が起き、その結果右脳の一部で梗塞が起きたので、脳梗塞となったのである。そのとき、「これは稀な症例とのことで、遺伝子等を調べるから」と血液を採取されて、研究に使用する許可を求められて、もちろん承諾したことがあった。その結果、どのように医学的研究が進んだかは、知らないが。唯一、私が医学の進歩に「貢献した」例である。同じ動脈乖離だが・・・
まるで、大島渚の映画『青春残酷物語』みたいだと思う。映画では、桑野みゆきは高校生で、川津祐介は大学生だったのだが。この映画では、桑野と川津の方が死んでしまうのだが。川津祐介も、桑野みゆきの姉久我美子の元恋人で医者の渡辺文雄もとっくに死んでいて、監督の大島渚も、撮影の川又昂も、音楽の真鍋理一郎も亡くなられている。その後、結婚して引退した桑野みゆきは、ご健在なのだろうか。MSN.COMSNSで美人局、大学生を転落死させた疑い中学生3人を逮捕・通告SNSで知り合った20代の男性から金を奪おうとし、逃げようとした男性をビル4階から転落させ、死亡させたとして、大阪府警は7日、大阪市中央区の中学2年の少女(14)と堺市北区の中学3年の少年(15)を強盗致死の疑いで逮.....まるで映画『青春残酷物語』みたいだ
東証の株価が4万円を越えて、40年前の水準を越えたと大騒ぎである。懐かしのバブル時代だが、私もパシフィコ横浜の営業部にいたとき、1回だけ「贅沢三昧」があった。それは、何かの医学界で本郷の東大医学部に営業に行った後のこと。パシフィコ横浜の上司の課長の他、JTBの担当の方もいて、5人くらいで行き、そのまま上野のカラオケ店に行った。そこでずっと飲んで歌ったのだが、すぐに時はすぎて、「帰ろう」となった。店のマスターが、9時ごろからずっと電話をしていて、11時ごろにタクシーが捕まったので、皆タクシーで帰った。私も会社発行のタクシー券で、横浜まで帰ったのだ。この程度のことだったが、今考えれば信じがたいことだった。40年前の「贅沢三昧」
この本は、この数年に読んだ本で一番面白かった。朝妻一郎と言えば、1960年代以降、日本のポピュラー音楽のLPを見ると必ず解説を書いていた方で、非常に年上の方だと思い込んでいた。だが、この本を読んで、私より5歳上の方だと分かり驚いた。朝妻さんは、高校時代にポール・アンカが好きになり、彼の後援会の代表になる。その時、経済観念の鋭かったポール・アンカは、自分で権利を管理する会社を作り、レコード会社も変えてしまい、日本の発売元も代わった。そこで、日本のレコード会社に頼れなくなったことから、渋谷のヤマハの紹介で、朝妻少年は、ニッポン放送の高崎一郎氏に紹介されて、アルバイトで助手をすることになる。そして、歌曲の権利管理会社のフジパシフィック・ミュージックの社員となり、日本のポピュラーの音楽の発展に多大な貢献をされるよ...『高鳴る心の歌』朝妻一郎
大谷将平の結婚話で、マスコミのすべてが占領されているが、実は大谷選手のご両親は、横浜にいたのだ。彼の父親は三菱重工横浜の野球部にいて、レギュラーの選手だったが、そこでバドミントンをやっていた女性と知り合って結婚して生まれたのが、大谷翔平君なのだ。彼は、非常にまじめで親の生き方をよく見ていると思うので、結婚相手は、彼の母親のような方ではないかと私は推測する。こんなことは、本来関係者だけの問題で、大谷ではないが、「皆さんがうるさい」ことに他ならないのだ。大谷の両親は横浜にいた
これも笑いはなしで、あろ日、佐藤栄作首相が聞いたそうだ。「なかそね、みき君はどうしているかね」秘書は言った、「中曾根康弘氏と三木武夫氏は・・・」「違うよ、仲宗根美樹君のことだよ」後に沖縄返還に尽力された佐藤栄作氏の言葉のようだ。佐藤栄作が言った「なかそね、みき君はどうしているかね」
歌手の中曽根美樹が亡くなったそうだが、結構映画にも出ている。また、吉永小百合、浜田光夫の映画『愛と死を見つめて』では、この二人が仲宗根の『川は流れる』を唄っている。この映画では、今テレビの朝ドラの主人公の笠置シズ子が、吉永と病院の同室の患者の叔母さんとして出ている。この頃、笠置は歌手をやめていたのである。仲宗根美樹1963年(キングレコードの広告)映画[編集]うるさい妹たち(1961年大映)東海一の若親分(1961年東映)海猫が飛んで(1962年松竹)しのび逢い(1962年松竹)太平洋戦争と姫ゆり部隊(1962年大蔵映画)川は流れる(1962年松竹)その結婚異議あり(1963年大映)独立美人隊(1963年松竹)魚河岸の旋風娘(1963年松竹)BACKSTAGE/バックステージ(2001年日活)仲宗根美樹、死去、79歳
昨日は、106年前に2・26事件がおきたときで、この時期になると「新資料」が出て来たものだが、この数年はない。さすがに100年も経つと関係者はもとより、遺族ももういなくなったからだろう。さて、この事件は、戦前の最大の事件の一つであり、日本の近代史の問題点の集中である。それは、日本は大日本帝国憲法で、一応立憲君主制を定めたが、思想的には前近代的な「君民一体」思想を持っていたからだ。日本は、天皇を祖とする大きな家族であるという神話で、個々の日本人と天皇は、もとをただせば同じと言う馬鹿げた考えである。人口学によれば、縄文時代に日本には、すでに30万人の住民がいたそうで、「君民一体」などありえないのだ。天皇制的神話が、一番嫌いだったのは、実は昭和天皇であり、だから2月26日に事件がおきた時、すぐに「反乱軍」を制圧...もう出てこないだろう2・26事件資料
昨日の朝日新聞に、元首相の宮沢喜一氏の日録があり、遺族から委託されて御厨貴先生らが編纂されているとの記事があった。いずれ、公開されるらしいが、ぜひ見てみたいものだ。日本の首相の中で、宮沢喜一氏は、もともとエリートで、高級官僚だった人の典型であり、その最後の方だったと思う。この人は、自分で言っているが、政策は得意だったが、人の動向を見るのは苦手で、1993年に自民党の小沢一郎らが反乱を起こして、宮沢内閣不信任案が可決されたとき、まったくその動きを知らなかったのだそうだ。おそらく「そんなことはあるまい」と思っていたのだろう。このときの感想はぜひ読んでみたいと思っている。同じ東大卒の高級官僚でも、人事にたけていたのは、佐藤栄作で、彼は、常に『国会便覧』を読み、さまざまな人事情報を頭に入れていたそうだ。だから、佐...『宮沢喜一日録』の存在
映画『ZK』、頭脳警察を見て、食わず嫌いだったことを悔いた。彼は、赤軍などの左翼過激派との関係が言われたが、その本質は、抒情的なメロディメーカーであることが分かった。それは、彼(パンタ)は、埼玉の所沢に生まれ育ったことで、アメリカ軍基地の文化を浴びたからだったと思う。それは、レゲエのボブ・マーリーにも類似していると思う。ボブは、他のレゲエ歌手とは異なるクールさがあるが、彼はイギリス人の父親とジャマイカ人の母との間に生まれたことが、その理由だと私は思うのである。横浜シネマベティ『ZK』を見て
女優の山本陽子が死んだそうだが、81とは女性では若死にと言うべきか。彼女の出演歴は以下のとおりで、数は多いが、まあ端役である。目立ったのは、裕次郎・浅丘ルリ子の名作『赤いハンカチ』で、二谷英明の裏切りで殺人犯にされ、ルリ子と二谷が結婚した豪邸の女中役で、私も最初に気づいた映画だった。後は、『猟人日記』でも、仲谷昇の餌食にされる女の一人にすぎなかったと思う。いずれにしても、日活時代は大した役はなかったが、1974年の東宝の『華麗なる一族』での万俵家の長男田宮二郎の妻が適役だったと思う。ゴシップ的に言えば、この頃から田宮二郎との関係はあったのかと思うが。テレビで成功した俳優であることは間違いなく、元日活でいえば、男では杉良太郎、女優では山本陽子が第一だと思う。杉良太郎など、沖雅也や藤竜也の遥か下だったのだから...山本陽子、死去、81歳
日本映画が、アカデミー賞で2本受賞したのは、喜ばしいが、どちらも技術的である。日本映画の黒澤明、小林正樹、小津安二郎、溝口健二らも結局は職人的仕事の見事さに成立していたと思う。だから、映画『オッペンハイマー』のような作品は出てこない。日本にも興味深い人間はいた。陸軍の石原莞爾など、最高ではないか。満州事変を起こし、満州国を作ったが、東條英樹によって陸軍を追われる。この数奇な運命を、幼い小澤征爾の目から描けば、と思うのだが。職人芸の日本映画
夜、確定申告を終える。去年は、3月15日に出したので、今年は非常に早いことになる。今日の午前中に横浜南税務署に出しに行く。確定申告、終了
「3月は、31日ではなく、50日までありますから・・・」と聞いたのは、1989年12月末に、パシフィコ横浜から横浜市総務局国際室に異動した時だった。1989年度の国際室の調査事業で、2本も委託業者も決まっていないものがあり、「指田課長、すぐに業者を決めて事業を始めてください!」と言われ、驚いて、担当の荒木田百合さんに聞くと、「各年度事業は、3月31日ではなく、5月31日までにできれば良いんです」と平然と返された。その度胸には、大変に驚いたものだ。正月になってから、2社の委託業者を決めて、いろいろバタバタと調査をやり、最後は、業者が持ってきた下手な作文を、ほとんど私が改作して5月上旬に無事「報告書」を作って終わった。当時は、「出納閉鎖期間」というものがあり、各年度の事業は5月末に終了すればよいとなっていたの...3月は、31日では終わらないんです・・・
石原裕次郎、浅丘ルリ子の映画でベストと思われるのが、舛田利雄監督の『赤いハンカチ』である。このラストシーン、裕次郎とルリ子が別れるシーンは、墓場のようなところだ。昨日の『第三の男』を見て、これのラストシーンに類似しているなあと思った。私は、こういうことを否定しているわけではなく、肯定している。大衆文化では、引用はよくあることで、日本でいえば「本歌どり」であるのだから。『赤いハンカチ』のラストシーン
映画『第三の男』の舞台は、オーストリアのウィーンで、ここは第二次世界大戦後は、複雑な状況にあった。戦時中は、ドイツだったオーストリアは、東から侵攻してきたソ連軍によって占領されたが、イギリス、アメリカ、フランスによってウィーンは、分割統治されていた。その中で起きたのが、この映画の物語なのだ。1990年、翌年に開催される「国連ピースメッセンジャー都市会議」への参加誘致に、日本のウィーン市代表部の方に聞いたことがあった。ソ連占領後は、複雑な経緯があったようだが、最後は中立国になった。そこについては、「飲ませる、抱かせる、掴ませる」などの手を使ってのオーストリアの外交手法があったとのことだ。さすがハプスブルグ家の伝統だと思った。ウィーンは、今ももう一度行ってみたい都市である。ウィーンについて
『カサブランカ』のリメイクが日活の『夜霧よ今夜も有難う』なのは有名だが、『第三の男』もリイメイクされている。赤木圭一郎主演の『霧笛が俺を呼んでいる』で、共演は芦川いづみで、赤木が横浜に探しに来る旧友で、実は悪になっている男は、葉山良二なのだ。また、赤木の妹として吉永小百合が出ていることも貴重である。舞台は、いうまでもなく横浜と横浜港であり、芦川は、港のキャバレーの歌手で、歌を唄うのだが、ここではなぜか吹替えになっている。主題歌はもちろん赤木が歌うがこれが実に下手で参る。監督は山崎徳次郎で、この人は言わば職人的な監督だが、かなり良い作品を作っているが、最後は笹川財団の金で捕鯨の映画を撮って失敗したようだ。意外なのは、脚本が熊井敬であり、私はこの人は、新藤兼人と同様、脚本はすごいが、監督はどうかなあと思われる...『第三の男』のリメイクは
桜の映画と言えば、鈴木清順の名作『けんかえれじい』で高橋英樹が、浅野順子と見に行く夜桜も大変に美しい。浅野順子は、可愛いかった割に映画に出ていないと思っていたら、実は結構出ている。それも大映京都の時代劇である。浅野寿々子1957.07.30十七才の抵抗日活...可奈子の幼少時代1958.11.15赤胴鈴之助黒雲谷の雷人大映京都...しのぶ1958.12.21赤胴鈴之助どくろ団退治大映京都...しのぶ1959.11.22薄桜記大映京都市川雷蔵の代表作で、森一生の映画『薄桜記』で、堀部安兵衛の勝新太郎と婚姻を結ぶ少女が、浅野順子なのである。当時は、まだ十代のはずだが、かわいかったので、わざわざ大映京都までよばれて演じたのだ。本当に大橋巨泉に見込まれて結婚引退してまったのは、実に残念なことだったが。桜の映画と言えば
近年、桜の花が咲くのが早くなっているが、地球温暖化の性なのか。花見が出てくる映画もいろいろあるが、私が一番好きなのは、川島雄三監督の『花影』である。この映画の最後の方で、複数の男との関係を経てきた銀座のクラブの女給池内淳子は、最初の男である池辺良と夜桜を見に行く。そこは、青山墓地で、夜桜が美しいが、岡崎宏三と美術スタッフが作った人工の桜だったはずだ。ここのシーンに来ると、一生に一度、こんなにきれいな女と夜桜を見たいなと思うのである。美しい花見の映画
今日、3月8日は、私の誕生日で、76歳になった。今朝、低気圧の影響で雪が降ったが、5歳ごろのときも、東京池上だったが、大雪が降って家の前の電線が切れて停電になっり、お誕生日の祝いができるか、本当に心配したこともあった。さて、1947、1948、1950年生まれは、250万人もいたそうだが、去年の出生者数は、75万人だそうで、30%であり、人口減少社会である。人口は、そのエリアの力の元で、明治維新で薩摩や長州が徳川幕府を倒したのも、幕末は農業等の改良で西日本の人口が増加していたとの説もある。だが、人口に頼っていた社会はもう古いと思う。人口等による経済成長のみに頼っている社会ではなく、経済的停滞でも豊かな生活をおくれる社会を目指すべきだと思うのである。誕生日に思う
五百旗頭真先生の死亡は、急性「大動脈乖離」で、これは石原裕次郎もやったことがあった。実は、私も「動脈乖離」で倒れたのだが、心臓につながる大動脈乖離ではなく、右脳の大動脈乖離で、これは非常に珍しいものだそうだ。もちろん、脳内で動脈乖離が起き、その結果右脳の一部で梗塞が起きたので、脳梗塞となったのである。そのとき、「これは稀な症例とのことで、遺伝子等を調べるから」と血液を採取されて、研究に使用する許可を求められて、もちろん承諾したことがあった。その結果、どのように医学的研究が進んだかは、知らないが。唯一、私が医学の進歩に「貢献した」例である。同じ動脈乖離だが・・・
まるで、大島渚の映画『青春残酷物語』みたいだと思う。映画では、桑野みゆきは高校生で、川津祐介は大学生だったのだが。この映画では、桑野と川津の方が死んでしまうのだが。川津祐介も、桑野みゆきの姉久我美子の元恋人で医者の渡辺文雄もとっくに死んでいて、監督の大島渚も、撮影の川又昂も、音楽の真鍋理一郎も亡くなられている。その後、結婚して引退した桑野みゆきは、ご健在なのだろうか。MSN.COMSNSで美人局、大学生を転落死させた疑い中学生3人を逮捕・通告SNSで知り合った20代の男性から金を奪おうとし、逃げようとした男性をビル4階から転落させ、死亡させたとして、大阪府警は7日、大阪市中央区の中学2年の少女(14)と堺市北区の中学3年の少年(15)を強盗致死の疑いで逮.....まるで映画『青春残酷物語』みたいだ
東証の株価が4万円を越えて、40年前の水準を越えたと大騒ぎである。懐かしのバブル時代だが、私もパシフィコ横浜の営業部にいたとき、1回だけ「贅沢三昧」があった。それは、何かの医学界で本郷の東大医学部に営業に行った後のこと。パシフィコ横浜の上司の課長の他、JTBの担当の方もいて、5人くらいで行き、そのまま上野のカラオケ店に行った。そこでずっと飲んで歌ったのだが、すぐに時はすぎて、「帰ろう」となった。店のマスターが、9時ごろからずっと電話をしていて、11時ごろにタクシーが捕まったので、皆タクシーで帰った。私も会社発行のタクシー券で、横浜まで帰ったのだ。この程度のことだったが、今考えれば信じがたいことだった。40年前の「贅沢三昧」
この本は、この数年に読んだ本で一番面白かった。朝妻一郎と言えば、1960年代以降、日本のポピュラー音楽のLPを見ると必ず解説を書いていた方で、非常に年上の方だと思い込んでいた。だが、この本を読んで、私より5歳上の方だと分かり驚いた。朝妻さんは、高校時代にポール・アンカが好きになり、彼の後援会の代表になる。その時、経済観念の鋭かったポール・アンカは、自分で権利を管理する会社を作り、レコード会社も変えてしまい、日本の発売元も代わった。そこで、日本のレコード会社に頼れなくなったことから、渋谷のヤマハの紹介で、朝妻少年は、ニッポン放送の高崎一郎氏に紹介されて、アルバイトで助手をすることになる。そして、歌曲の権利管理会社のフジパシフィック・ミュージックの社員となり、日本のポピュラーの音楽の発展に多大な貢献をされるよ...『高鳴る心の歌』朝妻一郎
大谷将平の結婚話で、マスコミのすべてが占領されているが、実は大谷選手のご両親は、横浜にいたのだ。彼の父親は三菱重工横浜の野球部にいて、レギュラーの選手だったが、そこでバドミントンをやっていた女性と知り合って結婚して生まれたのが、大谷翔平君なのだ。彼は、非常にまじめで親の生き方をよく見ていると思うので、結婚相手は、彼の母親のような方ではないかと私は推測する。こんなことは、本来関係者だけの問題で、大谷ではないが、「皆さんがうるさい」ことに他ならないのだ。大谷の両親は横浜にいた
これも笑いはなしで、あろ日、佐藤栄作首相が聞いたそうだ。「なかそね、みき君はどうしているかね」秘書は言った、「中曾根康弘氏と三木武夫氏は・・・」「違うよ、仲宗根美樹君のことだよ」後に沖縄返還に尽力された佐藤栄作氏の言葉のようだ。佐藤栄作が言った「なかそね、みき君はどうしているかね」
歌手の中曽根美樹が亡くなったそうだが、結構映画にも出ている。また、吉永小百合、浜田光夫の映画『愛と死を見つめて』では、この二人が仲宗根の『川は流れる』を唄っている。この映画では、今テレビの朝ドラの主人公の笠置シズ子が、吉永と病院の同室の患者の叔母さんとして出ている。この頃、笠置は歌手をやめていたのである。仲宗根美樹1963年(キングレコードの広告)映画[編集]うるさい妹たち(1961年大映)東海一の若親分(1961年東映)海猫が飛んで(1962年松竹)しのび逢い(1962年松竹)太平洋戦争と姫ゆり部隊(1962年大蔵映画)川は流れる(1962年松竹)その結婚異議あり(1963年大映)独立美人隊(1963年松竹)魚河岸の旋風娘(1963年松竹)BACKSTAGE/バックステージ(2001年日活)仲宗根美樹、死去、79歳
昨日は、106年前に2・26事件がおきたときで、この時期になると「新資料」が出て来たものだが、この数年はない。さすがに100年も経つと関係者はもとより、遺族ももういなくなったからだろう。さて、この事件は、戦前の最大の事件の一つであり、日本の近代史の問題点の集中である。それは、日本は大日本帝国憲法で、一応立憲君主制を定めたが、思想的には前近代的な「君民一体」思想を持っていたからだ。日本は、天皇を祖とする大きな家族であるという神話で、個々の日本人と天皇は、もとをただせば同じと言う馬鹿げた考えである。人口学によれば、縄文時代に日本には、すでに30万人の住民がいたそうで、「君民一体」などありえないのだ。天皇制的神話が、一番嫌いだったのは、実は昭和天皇であり、だから2月26日に事件がおきた時、すぐに「反乱軍」を制圧...もう出てこないだろう2・26事件資料
昨日の朝日新聞に、元首相の宮沢喜一氏の日録があり、遺族から委託されて御厨貴先生らが編纂されているとの記事があった。いずれ、公開されるらしいが、ぜひ見てみたいものだ。日本の首相の中で、宮沢喜一氏は、もともとエリートで、高級官僚だった人の典型であり、その最後の方だったと思う。この人は、自分で言っているが、政策は得意だったが、人の動向を見るのは苦手で、1993年に自民党の小沢一郎らが反乱を起こして、宮沢内閣不信任案が可決されたとき、まったくその動きを知らなかったのだそうだ。おそらく「そんなことはあるまい」と思っていたのだろう。このときの感想はぜひ読んでみたいと思っている。同じ東大卒の高級官僚でも、人事にたけていたのは、佐藤栄作で、彼は、常に『国会便覧』を読み、さまざまな人事情報を頭に入れていたそうだ。だから、佐...『宮沢喜一日録』の存在
映画『ZK』、頭脳警察を見て、食わず嫌いだったことを悔いた。彼は、赤軍などの左翼過激派との関係が言われたが、その本質は、抒情的なメロディメーカーであることが分かった。それは、彼(パンタ)は、埼玉の所沢に生まれ育ったことで、アメリカ軍基地の文化を浴びたからだったと思う。それは、レゲエのボブ・マーリーにも類似していると思う。ボブは、他のレゲエ歌手とは異なるクールさがあるが、彼はイギリス人の父親とジャマイカ人の母との間に生まれたことが、その理由だと私は思うのである。横浜シネマベティ『ZK』を見て
女優の山本陽子が死んだそうだが、81とは女性では若死にと言うべきか。彼女の出演歴は以下のとおりで、数は多いが、まあ端役である。目立ったのは、裕次郎・浅丘ルリ子の名作『赤いハンカチ』で、二谷英明の裏切りで殺人犯にされ、ルリ子と二谷が結婚した豪邸の女中役で、私も最初に気づいた映画だった。後は、『猟人日記』でも、仲谷昇の餌食にされる女の一人にすぎなかったと思う。いずれにしても、日活時代は大した役はなかったが、1974年の東宝の『華麗なる一族』での万俵家の長男田宮二郎の妻が適役だったと思う。ゴシップ的に言えば、この頃から田宮二郎との関係はあったのかと思うが。テレビで成功した俳優であることは間違いなく、元日活でいえば、男では杉良太郎、女優では山本陽子が第一だと思う。杉良太郎など、沖雅也や藤竜也の遥か下だったのだから...山本陽子、死去、81歳