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お偉いさまのお供で、レバークーゼンにあるアグファゲバルト社 を訪問したのは、1974年10月である。 そこから電車で15分ほど移動すれば、ベートーヴェンのうまれたボンがある。 だが、そこには
粋な深川、いなせな神田 5円玉握り、明神さまへ初詣 大雪ぞ 10年寝かせた酒を汲み 初日さす 硯の海に 波寄せて ベートーベンか、マイルスか 春待つ庭を眺めけり
新年はコロナ菌の流行で、初詣も逼塞であるが、 病いに効能のある薬は、すばらしい。 物心ついて目の前に現れたのが「龍角散」であった。 タダコさんが匙で猪口に移し、砂糖と水を加え掻き回す。 幼児
as eloquent as competent ほんらい、ジャズは歌って演奏するものであるが、 分類学(taxonomy)において、 ジャズ喫茶は、口も手もあまり動かさない、なりわいである。 ロビンソン・クルーソーの小屋
天気の良い日は、正面に須川栗駒山が見える。 数億年前から噴火を起こして、 いまも山頂に温泉が沸っている。 周囲の地層に火山灰があり、 2008年6月14日の大地震は震度6強で、 厳美祭畤は世界最
久しぶりにハンドルを握り、 4号線の雪景色をみながら、 テーブルに珈琲を届けた膝に、穴が開いてたのを思い出した。 ジーンズが流行った40年代は、それ、高価だったからな。 御婦人は、カチンと
客人の話がおもしろい。 少年期を中里児童公園の近くに育ったと申されている。 公園の南側のブランコのところは、当方が盛んに遊んでいた頃、 長い板を両側で吊ったブランコの端を押したり引いたりして
音は、タンノイ。 「大学のクラブでギターをやるとき、言われたんです」 客人は、低く言葉をつなぐ。 「あそこはセミプロ級が集まっている、凄いからね。 心配されたとうり、付いていけなく1年で、や
ことのほか細かいことを追求されます性格の方もご遠慮ください。 個人出品中古品のため、 ノークレームノーリターンでお願いいたします。 キモチはわかる。 良い文面だ、そのとうりである。 コンタッ
ブンコウさんは、海軍兵曹長で、ラバウルから生還したが、 「押忍」 と言ったことはない。 あまりに戦地の経験が苛酷だったか、 半分サヤに収まった刀のようなところがあって、 子供の時は、あぶない
塀を造作中の棟梁に言った。 ―― もっと高くしてくれませんか。 「このくらいで、止めていたほうがよいでしょう」 自分は、何かを思い出して、笑った。 コンクリを流して貼る造作会社は別で、 そこ
タンノイは、鼓膜感染の人気がある。 1999年7の月に、空から恐怖の大王が来るであろう、 ノストラダムス詩篇のご託宣であるという。 3ヶ月ほどで公称100万部を突破した本に、 ノストラダムスが未来を
BMを借りることが出来た。 プレイリーと、うさぎのハルちゃんの車と、 どれでも良いのだが。 司馬遼太郎氏の「街道をゆく」をながめると、 十巻、山寺の旅において、彼は芭蕉の道をたどる時間が無い
突然やってきた客人は、珈琲を注文しながら、 「髪の白い人から、ここをきいてきました」 手短に申されている。 傍らの快活な女性は、一日中でもここに居たい、 と分類学上の禁句を発しつつ、 エルデ
当方が子供の頃、「銀座カンカン娘」を唄って、 スーツの似合った釜石の伯父は、 先年久しぶりにお会いしたところ、 般若心経を、専門家のように朗々と唱えるのを聞いて、 非常に感心させられた。 好
屋根裏倉庫から、古いプラモを取り出して、 閑居のてすさび、戦車の量産体制に入った。 中学の時、大町の五軒隣り東光デパートコンテストで、 金賞なるものをいただいて以来、突然の発露をみせ、 コ
国立科学博物館に展示の「ハナイズミモリウシ」頭蓋骨化石は、 有馬川の傍の畑を掘っていて、発掘された。 2万年前の風景がそのまま現在も見られるというので、 貝鳥貝塚の次に廻り、写真に収めた。
当方が期待していた、株価2万4千円台になる日が、 ついに来た。 地球上のきょうの人口は、77億人であるという、 メガネをかけて、小さな数字を拝読しながら、 株価の恩恵を人類等しく期待しても、良い
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。 淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、 久しくとどまりたるためしなし。 世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。 たましきの
ライン川のローレライの岩肌を遠くに眺めたのは、 1974年10月のことである。 オプションでライン下りもあったが、ノイシュバンシュタイン城を、 撰んで、放蕩で有名なワグナー様のお城に行った。
平安時代に藤原貞敏が唐から持ち帰った琵琶の秘曲「啄木」、 義経と同世代の鴨長明は琴や琵琶の名手で、 演奏することを許されていない『啄木』を演奏したことが知られてしまったため、 退職が余儀なく
秋に、「黄海の戦い」の冊子を読んでいて、まてよ? と著者を見たら、やはり高橋富雄氏であった。 文脈の構成が、広沢虎造のように涼しく韻をふむ。 白崖弥栄道を通り、そういうわけで千年前の黄海
海外にも販路を広げたスリーダイヤの客人は、 定年を祝うご旅行の途中、ご婦人と立ち寄られ、 さて、どのような音が心に鳴っているのか、 タンノイを聴いて、笑ってくださった。 人生を懸けた激戦は終
分類学(taxonomy)の考察において、 ハエは8個、ネコは38個、ヒトは46個の遺伝子染色体からなり、 第16染色体の、動原体のすぐ下に耳垢の遺伝子がある。 だからどうしたの。 と言って、最後のおに
芭蕉奥の細道紀行に、曽良が詳細な記録を残している。 十二日 曇。戸今を立。 戸今はとよま、ともいって現在の登米のことである。 芭蕉と曽良は1689年5月1日に、登米市の伊達大蔵の検断役人、
94万回。 将棋藤井×里見戦の閲覧数であるが、 「あっ、指されましたね、5、4角」 期待にわくわくする二人の解説者のムードが、 苛烈な勝負を、穏やかにみせている。 男女の棋士によるめずらしい
ペレス・プラードを聞きながら、伊達兵部街道を周遊する。 寛文11年1671年3月、大老酒井忠清の屋敷で、 伊達安芸と伊達式部の所領紛争の裁判を行っている時に、 有名な刀傷事件寛文事件・伊達騒動が発生
この夏は、阿波踊りも高校野球もディズニーも無い。 おきのどくであるが、そう言っても居られず、 藤井戦の合間に、 北上川崖道の「白崖弥栄道」を走ってみた。 北上大橋から花藤橋までの7キロが、特
歴史読本395号「義経特集」の巻頭を飾っていた高橋富雄氏、 作家と学者の違いは奈辺に有るのだろうか。 30年、盂蘭盆会に登場される坊様がお見えにならず、 箱庭のコロナの風を見る。