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千の朝 https://plaza.rakuten.co.jp/beabea65/

「千の朝」で、最近読んだ本の中で、考えさせられたフレーズを紹介しています。

 自分がたまたま生を受けて、そして間もなく死んでしまう意味を知りたいのだ。  これほどの不条理の中にも、生きる一条の意味を探り当てたいのだ。  充実して生きる道を探しているのだ。  それが、何にもまして一番重要なことなのだ。  それは、広い意味における自分の「仕事」を探していることにほかならない。

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2014/09/11

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  • 十四世紀の危機

    十四世紀の危機は西欧だけでなく、 中東でもユーラシア大陸の 他の地域においても 未曾有の危機に直面していました。 疫病のもたらした影響は大きく、 西欧では人口の三分の一が死亡しました。 信心深き若

  • ポルトガルのアジア進出2

    こうして西欧人が アフリカをまわってアジアへでる、 新しい東西貿易ルートが ひらかれたのです。 以後、ポルトガル人は ぞくぞくとアジアへきて、 大量のコショウを買いつけてかえり、 ポルトガルの港から

  • ポルトガルのアジア進出1

    ポルトガルは、 一二世紀にイベリア半島の西端に建国された 小さな国ですが、一五世紀はじめから、 アフリカをまわってアジアへでるルートをめざし、 ちゃくちゃくと計画をすすめていました。 イスラームの天

  • スペインのアメリカ征服

    スペインとポルトガルによる征服活動は、 もちろん平和的ではありません。 コロンブスや ヴァスコ・ダ・ガマ、マゼランなどは、 大航海時代を代表する海洋探検家として 歴史の教科書にも紹介されていますが、

  • 西欧の世界進出

    西欧人は、長いあいだ 牧畜に依存して生活してきた関係から、 大量の肉をたべる習慣が 今日までつづいてきています。 そのために、 西欧人は殺した家畜 の肉を保存することについて、 大きな関心をもってい

  • 大航海時代

    15世紀後半から16世紀にかけて 西欧人の活躍は西欧のわくをこえて、 文字どおり東西の世界へ広がっていきました。 その先頭をきったのは ポルトガルとスペインで、 ポルトガルは半世紀以上にわたる 探検航海

  • レオナルド・ダ・ビンチ

    1452年にフィレンツェに生まれた レオナルド・ダ・ビンチは、 ルネッサンスの代表のような人にされていますが、 19世紀末までは ほとんど知られていなかったそうです。 彼は、ルネッサンスの中心的存在だった

  • 数学的原理

    学問としての「数学」と 原理としての「数学」を 分離して捉えることが重要です。 両者の混同を避けるために、 前者を単に「数学」といい、 後者を「数学的原理」と呼びます。 学問としての「数学」は、

  • ガリレオ・ガリレイ

    ガリレオは、一五六四年ピサで、 音楽理論の研究者 ヴインチエンツォ・ガリレイの 息子として生まれました。 望遠鏡の導入と使用によって 観測天文学革命をおこし、 太陽中心の太陽系モデルを 断然有利にす

  • ケプラーの第三法則

    第三法則はもっと現実的なものです。 惑星が太陽の周りを 完全に一周するのにかかる時間と、 太陽とその惑星の平均距離のあいだには 特別な関係が存在するというものです。 この法則によって、 天文学者は

  • ケプラーの第一、第二法則

    最初のふたつの法則は密接に関連しており、 これらの法則が発見されたのは、 ブラーエが遺した火星の動きに関する 注意深い観測記録のおかげです。 ケプラーは観測記録を研究し、 やがて惑星がかならずしも

  • ケプラー

    ケプラーは波乱万丈の生涯を送りました。 妻と娘は亡くなり、 母親は魔女裁判にかけられたのです。 彼自身は熱心なプロテスタントだったのですが、 宗教改革の嵐が吹き荒れ、 支配層のほとんどが カトリッ

  • 天球の回転

    コペルニクスは自分の研究が 人々に衝撃を与えることは承知していましたが、 年老いて身体が弱っていく中で、 自説を発表することを決断し、 一五四二年、大著『天球の回転について』の 執筆を終えました。

  • プラハ天文台

    やがてブラーエは島の天文台を閉鎖し、 一五九七年にはプラハに新たに天文台を建て、 プラハに移ることになりましたが、 恒星と感星の位置と動きについて、 多くの重要な発見をしています。 その三年後には

  • ティコ・ブラーエ

    多くの人々がコペルニクスの 『天球の回転について』の本を読み、 その内容は彼の死後、何十年にもわたって 天文学に影響を与えます。 特に重要なふたりの天文学者が 彼の研究をさらに先へと進めました。

  • 宇宙は広い

    コペルニクスの説は、 このほかにも重要な影響を与えました。 彼の説によれば、恒星の位置が、 アリストテレスや古代の思想家が 考えていたよりも地球からはるかに 遠く離れていることになります。 アリス

  • 太陽系

    コペルニクスは、 天空と(今の呼び名で言う)太陽系について、 自分の仮説のほうが 観察結果をうまく説明できると確信しました。 一五一四年に 「地球の中心は宇宙の中心ではない」ことと 「ほかの惑星と同

  • 地動説

    古代の天文学者は、地球が中心にあり、 天体はその周りを回っているのだ と信じていました。 では、地球の代わりに太陽を中心に据え、 感星(地球もそのひとつ)が 太陽の周りを回っていると仮定すると、 ど

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