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千の朝 https://plaza.rakuten.co.jp/beabea65/

「千の朝」で、最近読んだ本の中で、考えさせられたフレーズを紹介しています。

 自分がたまたま生を受けて、そして間もなく死んでしまう意味を知りたいのだ。  これほどの不条理の中にも、生きる一条の意味を探り当てたいのだ。  充実して生きる道を探しているのだ。  それが、何にもまして一番重要なことなのだ。  それは、広い意味における自分の「仕事」を探していることにほかならない。

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2014/09/11

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  • 武士道とは

    西洋の騎士道に対比される武士道は、 日本の近世以降の封建社会における 武士階級の倫理及び価値基準の根本をなす、 体系化された思想です。 明治時代に新渡戸稲造は外国人から 日本の学校における宗教教育に

  • マグナカルタ4

    マグナ・カルタの理念は、 その後しばらくの間忘れ去られていましたが、 国王と議会が対立した17世紀に 再度注目されるようになり、 エドワード・コーク卿ほか 英国の裁判官たちによって 憲法原理としてまとめ

  • マグナカルタ3

    マグナ・カルタは、 イングランド国王の権限を制限したことで 憲法史の草分けとなり、 また世界に先駆け敵性資産の保護を成文化しました。 成立から800年が経過した21世紀の現在でも イギリスの憲法の最も基

  • マグナカルタ2

    ジョンは、1214年に フランスと対立する 神聖ローマ皇帝オットー4世らと共に フランスの北と南から攻撃を行いますが、 フランドルのブーヴィーヌの戦いで 惨敗し撤退するはめになりました。 フランスか

  • マグナカルタ

    マグナ・カルタ(大憲章、だいけんしょう、 ラテン語: Magna Carta / Magna Carta Libertatum、 英語: Great Charter of the Liberties、 直訳では「自由の大憲章」)は、 イギリス(連合王国)の 不成典憲法を

  • 諸要素の対立

    アルプスの北では、 新しい人文主義的、自然主義的関心が 大胆な主張としてうまく 表現にうつされることはありません。 西欧の文化遺産の中で 調和しない諸要素の対立が 抜きさしならぬところまで来た、 と

  • ルネサンス・スタイル

    人文主義の文学や芸術の価値は、 教会の高位聖職者の力によるもので、 そういった人々は、 この動向の最も重要な 擁護者の中に数えられました。 そんなイタリア都市の環境で、 新しい芸術スタイルが誕生しま

  • 儒教と儒学

    朱子学は南宋の朱熹(しゅき) によって再構成された儒学です。 朱熹は、 「大学」、「中庸」、「論語」、「孟子」を 四書と呼んでいます。 まず「大学」から始め、 次に「論語」、さらに「孟子」、 最後

  • ルネッサンス

    ルネッサンス以後の西欧では、 鉱山や航海などの産業が マニファクチャーを中心に発展しました。 そうした産業の要求により、 力学や鉱物学、化学などの研究活動が さかんに行われました。 特に、市場の拡

  • 人文主義者

    一三〇〇年以後の時代の西欧文化の特色は、 一般に中世文化の総合が、衰えたことです。 十四、五世紀にあっては、 神聖の理想およびそれと対立関係に立つ 現世での人間の満足は、 真に人を納得させる決着点に

  • 光は東方より

    東洋では十一世紀において 北宋時代に儒学の復興がなされ、 文体においても漢以前の 古文復興が支配的となり、 印刷術や火薬、羅針盤などの科学の発達、 そして芸術の発展がなされて、 学芸復興がなされました

  • 美術の領域

    「文化」において、西洋の学者たちは 自分たちが古代ギリシャ・ローマを 受け継いでいると自負しているため、 「古代」と「近代」の問に「中世」を挟んで、 いかにも西洋「文化」が一貫して 継続しているように

  • 太平記

    北畠顕家の『太平記』は、 日本の南北朝時代を舞台にした軍記物語で、 全40巻からなります。 14世紀(1370年ころまでには 現在の40巻からなる太平記が成立) に成立したこの作品は、 後醍醐天皇の即位から始

  • 文学上の活動

    聖フランチェスコの 強烈な聖なるものの追求は、 彼を異端の際まで押しやります。 弟子たちのある者は、 教皇や教会の司教たちが、 (托鉢士たちが実行することを 原則としているように) 貧しい暮らしをし

  • 行動の領域

    行動の領域では、合成総合よりも、 多様さと矛盾の方がきわだっていました。 しかし、対立しあう傾向や思想は 互いにバランスをとりあい、 結果として人間の 衝動の範囲の広さが生かせました。 例えば、キ

  • 美術の領域

    「文化」において、 西洋の学者たちは自分たちが 古代ギリシャ・ローマを受け継いでいる と自負しているため、 「古代」と「近代」の問に「中世」を挟んで、 いかにも西洋「文化」が一貫して 継続しているよう

  • ベーコンとアクィナス

    アクィナスには 批判者がないわけではなかった。 そのうちで最も影響力があったのは、 論理的証明の長い連鎖に不信を抱いて、 神秘的体験により得られる 神的なるものの確実性の方を好み、 世俗のものの知に

  • 日本の中世末期

    中世末期の日本の変化は、 社会の発展がその基礎にあり、 南蛮人の影響でおこったのではない。 その発展を一向宗と法華宗いう 二つの宗教がささえました。 親鸞のひらいた一向宗(真宗)は、 農民ばかりで

  • 神学の領域

    西欧における神学の領域では、 信仰と理性は、 聖トマス・アクィナス(一二七四年没)や アルベルトウス・マグヌス(一二八〇年没) のような神学者の力で、 決定的に和解させられました。 アクィナスの『神

  • 公武二元社会

    西欧の中世文化が ようやく芽生える準備を始めたころ、 日本は後醍醐天皇によって、 天皇親政による専制国家という 近世の政治様式を目指しました。 しかし、 この建武の中興は容易に進まず 所領問題、恩賞

  • 十三世紀の文化総合

    およそ一二〇〇年と一三〇〇年の間に、 中世西欧文化の上昇曲線の躍進は、 もっと複雑で困難ではありますが、 しかし大きな豊かさを持った構造へと 発展をとげました。 一方においては、キリスト教の信仰、

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