~日々のキリスト~から【 [キリストの血の力]「しかしキリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。(ヘブル9:26)」 主イエス・キリストは、ご自分を十字架という祭壇にささげて、罪のいけにえとなり、「世の罪を
2025年7月
~日々のキリスト~から【 [キリストの血の力]「しかしキリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。(ヘブル9:26)」 主イエス・キリストは、ご自分を十字架という祭壇にささげて、罪のいけにえとなり、「世の罪を
福音を伝えるときは、今しか、自分しかいない…と思うと、緊張感というか、感じたことのない不安で心が落ち着かなかった。詩篇42~のことばを思い出しながら・・〈私のたましいよ、なぜおまえはうなだれているのか思い乱れているのか神を待ち望め 私はなおも神をほめたたえ
2025年7月
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~日々のキリスト~から【 [キリストの血の力]「しかしキリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。(ヘブル9:26)」 主イエス・キリストは、ご自分を十字架という祭壇にささげて、罪のいけにえとなり、「世の罪を
福音を伝えるときは、今しか、自分しかいない…と思うと、緊張感というか、感じたことのない不安で心が落ち着かなかった。詩篇42~のことばを思い出しながら・・〈私のたましいよ、なぜおまえはうなだれているのか思い乱れているのか神を待ち望め 私はなおも神をほめたたえ
50代の頃だったか…三歳違いのたったひとりの姉に話したことがあった。今思えばストレートに言い過ぎた・・(-_-;)言葉は忘れたが、「死後に神のさばきを受ける」というような内容だったので、ただでさえキリスト教に反発していた姉に、強い拒絶反応を起こさせた。(姉にはいく
~日々のキリスト~より【 [羲とされること]「不法を赦され、罪をおおわれた人たちは、幸いである。主が罪を認めない人は幸いである。」(ローマ4:7-8。 詩篇32:1-2参照) 「羲認」は、神が私たちを正しい者と認めてくださることですが、それは「罪の赦し」とは少し違ってい
神である主に背いた人は…神との関係が断たれ(霊的死)…罪人となった。生まれながらに受け継いだ性質は神に反抗し、神に怒(いか)られている・・ひとりのこらずすべての人である。「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、(神の栄光に達しない)」ローマ3:23
わが行くみち いついかになるべきかは つゆ知らねど、主はみこころ なしたまわん。そなえたもぅ 主のみちをふみてゆかん ひとすじに。 (讃美歌494)この2年間に、予想もしない様々なことが次々あった。これだけでなく、80年もの人生の旅だからいろいろあった。それな
艱難 忍耐 練達 希望よく聞いて知っているみことばだったが、これを体験することはなかった。艱難、試練、苦悩といっても、人それぞれに違うし、罪の刈り取りの場合もある。いずれにしても、神の子とされた者なら、この試練を無駄にできないぞ。「私の兄弟たち。様々な試
「…様々な試練にあうときはいつでも、この上もない喜びと思いなさい。」ヤコブ1:2このことについて学んだ。だれも苦難にはあいたくないし、困難や辛い時から早く脱出したいと思う。世の方法もあれこれ考える・・とにかく苦しい状態が一刻も早く過ぎ去ることを願い…祈り求め
キリストのいのちをいただいて生きている幸いを深く覚えて、御名をほめたたえる日々でありますように。(^人^)~日々のキリスト~より[キリスト教の中心]【「どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように
世のことに振り回され、日々目に見えることに気をとられてしまっている。そして、問題が解決するように祈り、良くなったら感謝して一件落着。こんな繰り返しの信仰生活(?)で良いわけがない。人は神のために造られたのに、その道に背き霊的に死んだ、そして罪ゆえに肉体も必ず
救いの証しや信仰生活の証しを聞くとき、自分の証しになったり、世の問題解決が証しとなることが多いのではないだろうか。最初の頃は喜んで聞いていたけれど、最近 なんか違うナと思う。「罪」が出てこない、「キリスト」が出てこない…イエス・キリストは、罪人を救うために
[有終の恵み] ~日々のキリスト~より~【「事の終わりは、その初めにまさり、忍耐は、うぬぼれにまさる。」(伝道者7:8) いよいよ、今年も今日で終わろうとしています。この一年を振り返るとき、私たちはこの年の幸いを感謝することができるでしょうか。ある方にとっては
~日々のキリスト~より【ー全き信頼の祝福ー「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。」(Ⅱ歴代16:9) ユダの国王アサはイスラエルの王バシャと争ったとき、神によりたのむことをせず、
どうしても近視眼的な信仰の歩みになってしまう。救いを受けた者の恵みは計り知れないけれど、もしかしたら感謝より闘うことが多いかもしれない。(世にあっては艱難があるので)国内外の情勢や自分の年齢も手伝って…近頃、究極の目標(新しい天と新しい地)が少し身近に考えら
聖書で「神の選び」ということばを聞くとき、人の無力を思う。神に背き、善悪の知識の実を食べて以来、怒りの子となってしまったので、神からの善いものを受けられなくなった。堕落してしまった人間は、自分からは神を求めることも救いの手を掴むこともできない死人同然とな
考え事や問題に気をとられてしまって、クリスチャンであるのにむなしくなることがある。そんなときは偉大な主を見上げよう。(キリストは…神の知恵、すなわち、義と聖と贖いになられました)~日々のキリスト~より【 [主ご自身]「イスラエルの王、主は、あなたのただ中にお
軽い気持ちで「自然治癒力」について検索してみた。人間なら、命あるものは~傷ついた部分が(特に手当をしなくても)自然に治っていくことを経験的に知っているし、自然治癒力というものを身近に感じてきたと思う。現代の医療をすべて否定するつもりは全くないが、残念なのは
50歳過ぎに血圧の高い日があり、しばらく飲めばいいのかと思っていた降圧剤だったが…25年も飲み続けることになるとは・・よく考えなかった私は、その後引っ越して転院したときも当然のように処方してもらっていた。他にも骨粗鬆症の薬等も増えていった。やむなく足腰の痛み
~日々のキリスト~9月23日より【自我の死】「もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。」(ローマ6:8) クリスチャンの生涯は、キリストの十字架を信じる信仰からはじまりますが、真の勝利あるクリスチャンの生涯は
【試練の意味】「霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。」ヘブル12:10 ヤコブは、試練は、神の子供の品性が完成するためのものである(ヤコブ1:4)、またパウロは、クリスチャンの練達向上のためのものである(ローマ5:
昔聞き慣れたみことばを開いてみると、「ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです。」Ⅰコリント2:12(新改訳2版)肉に従ういのちか霊に従ういのちか…わかることが
みことばを信じてきた。主に信頼している。人生の終盤に生きる今…主が私の一番の拠り所であり慰め、砦となっている。御名を崇め、感謝するばかり…そうであるのに、いまひとつ力弱い(力強いの反対)。雄々しくない。神の約束のみことばを信じているのに、なぜ?なぜなのか、
マタイ20章のぶどう園のたとえ話の学び【ロイドジョンズ「霊的スランプ」ー信仰の回復ーより】で、これまでぼんやりしていた「天の御国の法則と愛の神の恵み深さ」が私の中でクローズアップしてきた。【「労務者たちを呼んで、最後に来た者たちから順に、最初に来た者たちに
キリストのうちにあるなら=新しく造られた者なら=神の国の規準を前提に生き続けるはず。「自分は新しく造られた!」と、みことばを信じ力づけられてはいたが、神の国の法則で生きていないことが多くある。信じ方の問題でなく、知っていればいいのでもなく、実際に神の国の
いろいろ探し歩いた信仰の旅だった。神の国にあるものを、この世で探し回っていた感じ。これもそうだしあれも大事、みな必要なことだったけれど、どれも材料のひとつでしかなかった。最近とても良い出合いがあった。息子が提供してくれた〈ロイドジョンズの〉信仰書で見つけ
悔い改め(生き方を方向転換する)のないまま「クリスチャン」となっている人は多いと思う。反対に、悔い改めを経てクリスチャンになった人にはなかなか出会えない時代だ。出会えないので、その違いを体験できないこともあり、多数の人と同じだから大丈夫と思っている可能性も
最近教えられていること、だが… ( ̄ー ̄)世の問題に振り回される時、視点を変えてまず(いと高き方)神に目を向けよう・・感謝しよう。 わがたましいよ なぜ おまえはうなだれているのか。 私のうちで思い乱れているのか。 神を待ち望め。 私はなおも神をほめたたえる
神の存在が確かであるのと同じように、悪霊の存在についても認知していなければならない。ごく普通の日常にまさか悪霊が働いているとは考えなかったが、最近いろいろわかってきた。敵は日常的な問題の中に入り込んで煽ってくることがよくある。それは人により様々だと思うが
罪が赦されたことを信じて感謝している…だけでなく、全く新しい生き方をするために新しいいのちが与えられたのだ。「キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです。」ローマ6:4「同じように、あなたがたもキリスト
みことばを知っている、信じている…と言っても、都合の良いみことばが多くないだろうか。自分にとって、刺さる言葉や信じたくないみことばを聞いているだろうか?クリスチャンが神のいのちで生きるとき、敵は様々な状況や思いを与えて挑んで来る。(〈神を信じているから〉と
クリスチャンが「世の常識」や「この世の支配者(死)の法則」を当然のように簡単に受け入れ過ぎていることについて学ばされる。しばらく元気が続いているのに急に異変を感じることがある…そんな時はすぐに、もう年だからといちいち「病気」や「死」と結びつけて考えてしまう
身内にキリスト教式の葬儀があった。ごく近場に住む近親者だけの簡素なものになったが、これはこれで良かったと思う。故人が高齢であったことと、家族も少なく…前夜式はせず、葬式だけにした。(私の時もそれを望んでいる)ただキリスト教式なので、なんとなく初めに決めたこ
クリスチャンの受けている恵みは計り知れない。日々どんなことも神を頼り、祈り求めることができる者とされたから。困ったときは当たり前のように話し、聞いていただいている。もし神と繋がりも関係もなければ、父と呼ぶこともできず…人生で身にふりかかる苦難に押し潰され
神に祈れることはすばらしい。♪告げよ主に 告げよいま うちにある悩みを…主が知ってくださるだけでも…幸せ者だと思う。どれほど多くの問題や悩みを主に聞いていただいたことか、数えきれない。時には的外れなことさえ…あわれんで助けてくださった。これらはとても有り
…… ……「何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。私たちが願うことは何でも神が聞いてくださると分かるなら、私たちは、神に願い求めたことをすでに手にしているとわかります。」Ⅰヨ
老いたからわかったことも多いけれど、老いも若きも関係なく…みことばの語りかけに真剣に向き合うことを切に願う。「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また『何の喜びもない』と言う年月が近づく前に。」伝道者の書12:1「結局のとこ
~みことばの糧~より「わたしは、高く、聖なる所に住み 打ち砕かれて、へりくだる霊の人と共にあり」イザヤ57:15【 だれでも、その人のかたくなな心が砕かれなければクリスチャンになることはできません。 心を砕かれるのは神です。しかし神にとってもそれは容易な仕事
意識してもしなくても、人が求めているものは、まことの神からの恵みと平安だと思う。神がくださった「救い」とか「永遠のいのち」というと先のことのように思ってしまわないだろうか。それもあって、福音を伝わりにくくしているかもしれない。「…私たちの神であり救い主で
これ以外にも、回りの人によって知らず知らずクリスチャンに加工され市民権を得た人もいる。ひどい場合は、教会やクリスチャンに好意的・協力的な人だったという理由で…取り巻きが救ってしまう?等々。(あんな良い人を神が滅ぼすハズはない…と。)永遠を思うとき、なおざり
未信者の祈りは聞かれるか…について学んだことがあった。もちろん聞かれる、と思っていたし、そう言いたいところだが…考えさせられる。信者と未信者=(キリストにある)義人と罪人=神に属する者と悪魔に属する者=・・クリスチャンが祈るとき、イエス・キリストの聖名によ