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2014/07/29

  • 神から受けている霊のいのち

    昔聞き慣れたみことばを開いてみると、「ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです。」Ⅰコリント2:12(新改訳2版)肉に従ういのちか霊に従ういのちか…わかることが

  • 聖霊を求めなかった愚かさ

    みことばを信じてきた。主に信頼している。人生の終盤に生きる今…主が私の一番の拠り所であり慰め、砦となっている。御名を崇め、感謝するばかり…そうであるのに、いまひとつ力弱い(力強いの反対)。雄々しくない。神の約束のみことばを信じているのに、なぜ?なぜなのか、

  • 「天の御国、愛の神」が理解できてうれしい

    マタイ20章のぶどう園のたとえ話の学び【ロイドジョンズ「霊的スランプ」ー信仰の回復ーより】で、これまでぼんやりしていた「天の御国の法則と愛の神の恵み深さ」が私の中でクローズアップしてきた。【「労務者たちを呼んで、最後に来た者たちから順に、最初に来た者たちに

  • (2)救われたのは…このため

    キリストのうちにあるなら=新しく造られた者なら=神の国の規準を前提に生き続けるはず。「自分は新しく造られた!」と、みことばを信じ力づけられてはいたが、神の国の法則で生きていないことが多くある。信じ方の問題でなく、知っていればいいのでもなく、実際に神の国の

  • 救われたのは…このため

    いろいろ探し歩いた信仰の旅だった。神の国にあるものを、この世で探し回っていた感じ。これもそうだしあれも大事、みな必要なことだったけれど、どれも材料のひとつでしかなかった。最近とても良い出合いがあった。息子が提供してくれた〈ロイドジョンズの〉信仰書で見つけ

  • 「福音」は救いと滅びを分ける・・

    悔い改め(生き方を方向転換する)のないまま「クリスチャン」となっている人は多いと思う。反対に、悔い改めを経てクリスチャンになった人にはなかなか出会えない時代だ。出会えないので、その違いを体験できないこともあり、多数の人と同じだから大丈夫と思っている可能性も

  • 神は良いことしかなさらない

    最近教えられていること、だが… ( ̄ー ̄)世の問題に振り回される時、視点を変えてまず(いと高き方)神に目を向けよう・・感謝しよう。 わがたましいよ なぜ おまえはうなだれているのか。 私のうちで思い乱れているのか。 神を待ち望め。 私はなおも神をほめたたえる

  • 思いや感情に入り込んで来る悪霊

    神の存在が確かであるのと同じように、悪霊の存在についても認知していなければならない。ごく普通の日常にまさか悪霊が働いているとは考えなかったが、最近いろいろわかってきた。敵は日常的な問題の中に入り込んで煽ってくることがよくある。それは人により様々だと思うが

  • (2)「信じている」だけなら悪魔は楽チン

    罪が赦されたことを信じて感謝している…だけでなく、全く新しい生き方をするために新しいいのちが与えられたのだ。「キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです。」ローマ6:4「同じように、あなたがたもキリスト

  • 「信じている」だけなら悪魔は楽チン

    みことばを知っている、信じている…と言っても、都合の良いみことばが多くないだろうか。自分にとって、刺さる言葉や信じたくないみことばを聞いているだろうか?クリスチャンが神のいのちで生きるとき、敵は様々な状況や思いを与えて挑んで来る。(〈神を信じているから〉と

  • 私の助けは主から来る

    クリスチャンが「世の常識」や「この世の支配者(死)の法則」を当然のように簡単に受け入れ過ぎていることについて学ばされる。しばらく元気が続いているのに急に異変を感じることがある…そんな時はすぐに、もう年だからといちいち「病気」や「死」と結びつけて考えてしまう

  • よみがえってさばきを受ける…

    身内にキリスト教式の葬儀があった。ごく近場に住む近親者だけの簡素なものになったが、これはこれで良かったと思う。故人が高齢であったことと、家族も少なく…前夜式はせず、葬式だけにした。(私の時もそれを望んでいる)ただキリスト教式なので、なんとなく初めに決めたこ

  • 私に代わって見捨てられたイエス様

    クリスチャンの受けている恵みは計り知れない。日々どんなことも神を頼り、祈り求めることができる者とされたから。困ったときは当たり前のように話し、聞いていただいている。もし神と繋がりも関係もなければ、父と呼ぶこともできず…人生で身にふりかかる苦難に押し潰され

  • 「天に名が記されている」喜び

    神に祈れることはすばらしい。♪告げよ主に 告げよいま うちにある悩みを…主が知ってくださるだけでも…幸せ者だと思う。どれほど多くの問題や悩みを主に聞いていただいたことか、数えきれない。時には的外れなことさえ…あわれんで助けてくださった。これらはとても有り

  • 信仰によって歩むとは

    …… ……「何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。私たちが願うことは何でも神が聞いてくださると分かるなら、私たちは、神に願い求めたことをすでに手にしているとわかります。」Ⅰヨ

  • 神の国と義を求め続ける者の幸い

    老いたからわかったことも多いけれど、老いも若きも関係なく…みことばの語りかけに真剣に向き合うことを切に願う。「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また『何の喜びもない』と言う年月が近づく前に。」伝道者の書12:1「結局のとこ

  • かたくなな心が砕かれるのは奇蹟

    ~みことばの糧~より「わたしは、高く、聖なる所に住み 打ち砕かれて、へりくだる霊の人と共にあり」イザヤ57:15【 だれでも、その人のかたくなな心が砕かれなければクリスチャンになることはできません。 心を砕かれるのは神です。しかし神にとってもそれは容易な仕事

  • 「救い」は今日のため

    意識してもしなくても、人が求めているものは、まことの神からの恵みと平安だと思う。神がくださった「救い」とか「永遠のいのち」というと先のことのように思ってしまわないだろうか。それもあって、福音を伝わりにくくしているかもしれない。「…私たちの神であり救い主で

  • 聖霊による救いと 知識による救い

    これ以外にも、回りの人によって知らず知らずクリスチャンに加工され市民権を得た人もいる。ひどい場合は、教会やクリスチャンに好意的・協力的な人だったという理由で…取り巻きが救ってしまう?等々。(あんな良い人を神が滅ぼすハズはない…と。)永遠を思うとき、なおざり

  • 信者の祈りと未信者の祈り

    未信者の祈りは聞かれるか…について学んだことがあった。もちろん聞かれる、と思っていたし、そう言いたいところだが…考えさせられる。信者と未信者=(キリストにある)義人と罪人=神に属する者と悪魔に属する者=・・クリスチャンが祈るとき、イエス・キリストの聖名によ

  • 神は…子として扱っておられる

    「わが子よ、主の訓練を軽んじてはならない。主に叱られて気落ちしてはならない。主はその愛する者を訓練し、受け入れるすべての子に、むちを加えられるのだから。」ヘブル12:5-6咋年末わが家を見舞った青天の霹靂。あぁ人生とはこういうものなんだ、と実感した。「もしあな

  • イェスが私を守られるから

    今年もあと一日という時に…心配事も大小あったけど守られて、年を越せる…と安堵していたが・・一番身近なところで問題が発生した。内容は話せないが、私と近くの息子におおきな重荷が・・青天の霹靂とはこれか!今朝も主を仰ぎ見る。~いと高き方のもとに~の一文【 「イ

  • 自分の肉を十字架に…(忘れがちなこと)

    ~いと高き方のもとに~より【 「キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。」ガラテヤ5:24 霊の戦い 罪は地獄と悪魔に属するものである。私は神の子供として、天国と神に属している。罪を捨てているか、

  • 御霊と御力の現れによって

    福音を伝えたいと思うのに…、なんと伝わらないことをやってきたことか・・そればかりか、真理に導く妨げにさえなる・・いまこのみことばが、タイムリーに私の心にしみてくる。「私のことばと私の宣教は、説得力のある知恵のことばによるものではなく、御霊と御力の現れによ

  • キリストの十字架にのみ

    ~いと高き方のもとに~より【「私たちは、この御子のうちにあって……罪の赦しを受けている。」エペソ1:7 神の赦し 「神は優しく、愛に富んだ方であるから、私たちを赦すのは当然である」というような、自分に都合の良い方法で、父なる神を見ることは、気をつけるべきで

  • ♪あなたの罪あやまちは しまつされてあるか

    クリスチャンが最初に必ず踏まなければならないベースがあることに気づかされた。この聖歌に表されていると思う。♪~あなたのつみあやまちは しまつされてあるか神なるキリスト・イェスを信じ救われたか罪を悔いて 誰もすがれイェスにイェスは十字架の血潮で 罪をきよめ

  • (2)信仰の姿勢を倣った母教会

    キリストにあって変えられ、キリストに根ざして生きている先輩クリスチャンに対して、私はその生き方を見倣っていたのに過ぎなかった。それは「新しい私」ではなく、生来の私のままでクリスチャンらしく生きようとしていただけ。教会を離れるのは自己責任なので、ひとりで重

  • 信仰の姿勢を倣った母教会

    30年余り在籍した母教会を離れてから…長い年月を経て~一昨日は久しぶりに二人の姉妹と顔を合わせた。お互い高齢者となり、もう会えないかも知れないから一度会いたい、ということで急遽お声がかかった。懐かしい思いもなければブランクも感じなかったのは、ずっと主にあっ

  • 自分の善に救いはないヨ

    万年求道者の息子は、何かあるごとに「祈って○○します」などという。祈ることが悪くはないが、最近はちょっと違うよと言いたくなる。大抵は「祈りながら(希望がかなう方へ)行きます」という感じだから。先日も願い通りにならなかった一件について、「祈りながら打開策を練

  • 万事がキリストに至るように…

    穏やかな日にもそれなりに悩みはあるが、主に頼れることを感謝できている。しかし、手に負えないようなことが起こると頼れることはわかっているのに…自分で重荷を負い過ぎてしまう。クリスチャンとして生きるということは、問題もなく喜び楽しめる人生ではないし、それが祝

  • イエス・キリストが目をとめるところ

    イエス・キリストにしか救いがないこと。クリスチャンなら当然知っていなければならない、大切な理解。~いと高き方のもとに~より【「ひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり……全人類が罪を犯した。」 滅びへの経路 聖書は、ひとりの人の罪のため

  • 家系図の話から罪と福音の話へ導かれる

    事故で入院中の姉を見舞った。当初は声も出せなかったが、話ができるようになった。面会を楽しみにしていると聞いて…中学時代の大親友が来てくださり、昔話に花が咲いていた。その間、待合室で甥っ子が言い出したことが~いま家系図を作っているとのこと。(姉の話が間違って

  • 問えば教えてくださる神

    救い救い救い・・信じた初めの頃から~よくも悪くも一途に「人の救い」が私にとって最大の関心事となり、そうでない人が不思議だった。が、思えばそれは…さばきに対する恐れに起因していたと思う。そんな信仰が長かった。ところが今あることをきっかけに、突如として自分の

  • キリストの義に頼る生き方

    切実な祈りではあるが、毎日同じような祈りを繰り返していた・・ある時、「何を祈ればいいのかわかりません、誰のことを祈ればいいでしょうか?教えてください」と神に問いかけてみた。そんなに切実な思いではなかったが、どんな小さいことでも何かできることはないか…と。

  • (2)「予定説」に反感を持つのは…

    選びが神の一方的な意志によるものならば、「私」には選ばれる理由も価値もなかったけれど選ばれたのであり、これこそが「恵み」(受ける価値がないのに与わった)というもの。それでも人は勘違いして、自分には何かしらマシなところがあったから救いに選んでくださった…と、

  • 悔い改めは神からの賜物

    ♪(讃美歌239)さまよう人々 たちかえりてあめなる御国の 父を見よや罪とが悔やめる こころこそは父より与うる たまものなれ人が自分の罪を認めることはなんと難しいことか!と言うより、不可能であることをつくづく思わされる。どんなに一生懸命話しても届かない…人が人

  • 「予定説」に反感を持つのは…

    予定説と予知説があることも、それがどんな内容かも…よく知らないまま過ごしていた。ある時期に突如として、自分の信仰(救い)は大丈夫なんだろうかという思いがわいてきた。あんなに「信仰だけはある」と揺らがず歩んで来た私が・・(クリスチャンであることが、生きる上で一

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