逆⇔中国大返し-まとめ- 1日目⇒山崎古戦場~姫路城108km 2日目⇒姫路城~備中高松城92km 秀吉が本能寺の変の黒幕かどうか辿って調べる前は怪しいと…
これまで趣味で旅行してきた全国の「城」と、仕事で携わる「高校」の紹介
Trying to find dreams are more precious! I walk to the horizon and there I find another, It all seems so surprising and then I find that I know.
2024年12月
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逆⇔中国大返し-まとめ- 1日目⇒山崎古戦場~姫路城108km 2日目⇒姫路城~備中高松城92km 秀吉が本能寺の変の黒幕かどうか辿って調べる前は怪しいと…
逆⇔中国大返し-その22- 備中高松城 沼城を出発して約30分後、最上稲荷の大鳥居(1972年建立)をくぐり、目的地に到着 同時に200kmの旅路もこれでゴ…
亀山城(沼城)⇒備中高松城 約20km強の距離 車で30分程度、徒歩の場合6h強 備中高松城の方が緯度が高く、もっと北部にあると思っていたが地図で見るとほぼ…
船坂峠⇒沼城(亀山城) 次は宇喜多直家のかつての居城へ 約30kmの道のり 車で30分強、徒歩8時間半強 今更ながら徒歩より約17倍の速さで辿り着ける車って…
姫路⇒岡山 70kmの距離を新幹線でたった20分程度で移動 秀吉たちが生きた時代から考えると言葉にならない 探索2日目はレンタカーでの移動がメイン あいにく岡…
2日目くもり☁️後半いよいよ開始 姫路城 秀吉の中国攻め以前は姫山城といい、黒田官兵衛の居城だった 1577年の秀吉の播磨着陣の際、官兵衛より秀吉に献上…
円教寺
明石⇒ 的形 中国大返しが1日30kmというなら庶民の徒歩レベルでも難しくない が、甲冑や武器を携帯するなら話しは別 で、海運を利用して武具等運んだらしい そ…
兵庫⇒明石 電車では、約20分、徒歩5h強、約20km弱の距離 以前紹介した家康の伊賀越え、光秀の本能寺の変の行軍は1里(4km)単位で進んでいるのに対して、…
栖賢寺 秀吉が亡君の弔い合戦に臨む決意を示すため、尼崎にある栖賢寺で自身の髻を切った逸話が有名 これで大義名分を民衆に知らしめることができた 摂津衆と合流する…
高槻城(富田) ⇒尼崎城 電車の場合、梅田経由で約1時間、30km強 実際には秀吉が野営した富田は茨木城と高槻城のほぼ中間地点で徒歩の場合、淀川を渡河せず約2…
山崎合戦での明智軍の敗因 兵力差がみ挙げられるが後方から柴田勝家らが攻めてくることを警戒して合戦に全兵力集中できなかったことも大きな要因だったようだ 次は山…
【1日目】曇りのち晴れ⛅️山崎合戦古戦場 1582年6月13日、「本能寺の変」を受け、備中高松城の攻防戦から引き返した秀吉と光秀」が激突した古戦場 いったん秀…
本能寺跡⇆亀山城「光秀の本能寺の変」のルートを辿った終わったその日帰宅する新幹線に乗車まで時間があったため、京都市内にある「豊国廟」へ立ち寄ることにした …
「家康の神君伊賀越え」、「光秀の本能寺の変」に続き、「秀吉の中国大返し」を逆ルートを2023年10月7日、8日の2日間に渡って辿ってみました。 電車と車と徒…
機会損失に焦った光秀 このように協力者のうち、村重が謀反を起こした時点で光秀はこのクーデターを諦めるべきだった だが、機会損失に焦ってしまった結果、単独で本能…
黒幕は誰だ 1568年、本圀寺の変において、まず荒木村重と細川幽斎は光秀と同じく将軍足利義昭を守った誼があった 特に村重は摂津、幽斎は、丹後と京都の隣国領主と…
京都クーデター計画」説 では、ここからは、独自の完全なる妄想なのであしからず 当初の考えでは、毛利攻めで信長が進軍している間に京都を「占拠」するつもりだった光…
「本能寺の変」真犯人 諸説も多々あり、事実は今となってはわからない だが、今回本能寺から亀山城を道のりを辿ってみて、個人的な考えではあるが、やはり明智光秀自身…
1日目⇒愛宕山登山 2日目半日⇒ 本能寺の変ルート 辿ってみてまずは光秀に対して率直な感想 ①行動的② 一方で慎重 ③観念的 ④一方で現実的 世間的評価…
機会損失に焦った光秀 このように協力者のうち、村重が謀反を起こした時点で光秀はこのクーデターを諦めるべきだった だが、機会損失に焦ってしまった結果、単独で本能…
黒幕は誰だ 1568年、本圀寺の変において、まず荒木村重と細川幽斎は光秀と同じく将軍足利義昭を守った誼があった 特に村重は摂津、幽斎は、丹後と京都の隣国領主と…
京都クーデター計画」説 では、ここからは、独自の完全なる妄想なのであしからず 当初の考えでは、毛利攻めで信長が進軍している間に京都を「占拠」するつもりだった光…
「本能寺の変」真犯人 諸説も多々あり、事実は今となってはわからない だが、今回本能寺から亀山城を道のりを辿ってみて、個人的な考えではあるが、やはり明智光秀自身…
1日目⇒愛宕山登山 2日目半日⇒ 本能寺の変ルート 辿ってみてまずは光秀に対して率直な感想 ①行動的② 一方で慎重 ③観念的 ④一方で現実的 世間的評価…
それからの光秀 信長を討った後、さらに嫡男信忠も二条城で討ち、14時に終結 城内に兵士が500人居た説もあり、これは二条城近くで起こった本圀寺の変で光秀らが籠…
老ノ坂峠⇒王子神社 およそ2kmのルートを車で約4分(徒歩30分程度) 峠を下っていくと景色は一変 田畑が広がり、京都市内から別次元にやって来たようで国境を…
本能寺跡⇒桂大橋 前置きにずいぶん費やしてしまったが 改めて本能寺跡からスタート およそ6kmのルートを車で16分 京都駅直前で右折し、東海道新幹線を左手に…
本能寺跡 2日目スタート宿泊先から西へ500mほど直進したところにある老人ホームが跡地 外観は当時を偲ぶのような景色が一切なし 『信長最期の地』とはいえ、 …
渡月橋 下山してバスに乗車して嵐山駅へ到着 渡月橋を見学 歴史は古く、836年に架橋したのが始まりで、秦氏にゆかりがあるとかないとか ちなみに鎌倉時代に亀山…
13:50 愛宕神社境内到着 やっと黒門へ 我ながら時間がかかりすぎ 情けない 年齢不詳の光秀(66歳or54歳説あり)は亀岡からのルートで登ったそうだが、ホ…
愛宕神社 本能寺の変直前の5/27、光秀が戦勝祈願した彼の地へ 光秀の拠点・亀山城から北に位置する愛宕山は標高差約850m JR嵯峨嵐山駅⇒清滝行きのバスに…
徳川家康は総距離200kmを2泊3日で越えた 実際にできるのか確かめるべく、伊賀越えしたルート(岡崎→堺)を反対に辿った『逆⇔神君伊賀越え』 以前紹介した通…