のんべえで、エッチなおばちゃんです。理系女子だったので化学やアマチュア無線のことも書いてます。
アラフィフの元理系女子です。世の中あきらめてます。 エッチなのは仕方ない。お酒も強いです。妄想癖があるので、ブログにはどこまで本当かわかんないことをいっぱい書いてます。
「みのるほど こうべ(頭)をたれる いなほ(稲穂)かな」とは、年配の方なら修身とか道徳の時間に習ったのではなかろうか?私は、この五・七・五で「稲穂」という季語も入っているから、てっきり俳句だろうと思っていた。それで誰の作なのか調べたら、どうやら作者不詳(
このあいだ、私の手伝っている塾で、ある生徒から「短調の音楽って、どうして悲しい感じがするのかな?」と訊かれた。わたしも、そのことは「そういうもんだ」と思って、これまで調べることもなかったが、改めて訊かれると答えられない。反対に長調の楽曲は前向きで、元気が
奥書に昭和十二年とあって、この全集が戦前のモノらしいことがわかる。「中央公論社」の児童向けの物語集であり、作者は西洋人と思われる「ヂッケンス」という人物だ。父が所有していたもので、父が本家の高安家から京都の横山子爵家に養子に出された以降、子爵家が没落し、
「読書の嫌いな人がやりがちなこと」と題して、ある高学歴の人が偉そうなことを書いていた。言いたいことはわかったのだが、全面的に同意はできない。つまり「わからない言葉が出てきても、逐一、辞書などを調べながら読まない」ということらしい。そういう「一旦停止」ばか
K氏は夢を見た。そこは砂丘だった。おそらく寝る前に読んだ安部公房の『砂の女』が影響しているのだろう。彼は少女を伴っていた。あの白痴の少女だった。屈託のない彼女は、終始、笑顔を絶やさないけれども、何もしゃべらない。ただK氏に手を引かれて、さらさらとした白砂の
K氏は人生の半ばを過ぎて独りぼっちだった。両親は、弟も妹も作ってはくれず、彼は一人っ子として育った。学校は苦手だった。あまり思い出したくないことばかりだった。弟か妹でもあれば、学校が、いくらか楽しい場所であったろうに。両親は小さな活版印刷所を経営しており、
私が読んできたものをふり返ると、あまり裕福ではない主人公の物語が多い。名付けるならば「貧乏小説」となろうか?デラシネ(根無し草)を扱ったものや、ルサンチマン(貧者の妬み)を描いたもの、そして清貧を潔しとしたものなどが多い。実際、正岡子規は死病にさいなまれ
私が手伝っている塾で子供たちから受ける質問の中で、多いものの一つに「海の水はなぜしょっぱいのか?」がある。ほかに「空が青いのはなぜ」など、だいたいパターンが決まっているし、たいてい義務教育の中で解決されるものばかりだ。おそらく理系の大学を出た人なら、同じ
書庫にこもって、埃と格闘しながら、古い書籍を整理していますと、「私は働いていないのではないか?」とふと思うのです。人にも会わず、今月は、家事と夫の介護以外は、ずっと二階の書庫にいて、日が傾き、暗くなるころに「今日はここまで」と階下に降りる。特定小電力トラ
今日の報道ステーションの党首討論会を観た。こういうことを本当は国会を開いてやってほしかった。いくら選挙前に私たちに訴えられても、虚しい。日本の国会、なかんずく衆議院予算委員会は討論の場と言うより、追及と弁駁の場と化している。「文春砲」にすっぱ抜かれた閣僚
すばらしい秋晴れである。「それじゃ、美津江さん、行ってきますわ」「お義母(かあ)さん、行ってらっしゃい」いつもの朝の玄関先の風景である。赤間茂子は、黄色のスニーカーを履いて、藤色のショルダーバッグを袈裟懸けにし、背筋を伸ばすと家族に敬礼して踵を返す。連れ
灯台の書庫には、揃え本がかなりありました。『昆虫記』(ファーブル)の岩波版が全10巻、『千夜一夜物語』の岩波版が全13巻、『紅楼夢』の岩波版が全12巻、『水滸伝』の岩波版が全10巻、『金瓶梅』の岩波版が全10巻、『西遊記』の岩波版が全10巻、『ドン・キホーテ』(セル
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