幕末・維新に係る記事。史跡訪問。幕末維新系の時代劇レビュー。最近の事件を歴史に絡て考えてみたり。
高杉晋作と幕末志士を紹介するHP「ぬしと朝寝がしてみたい」のブログです。 http://www.access21-co.jp/sinsaku/top.html 住んでる山口県下関市を拠点に観光や出張などで史跡をまわったり、幕末・維新に係るいろいろな記事を書いたりします。
康順寺は真宗本願寺派の寺院。親鸞の弟子裕乗による開基で、寛永年間に当地に移転したようです。「本堂」。康順寺は元…
半原藩は岡部藩安部家が新政府に願い出て、武蔵国岡部から三河国半原に藩庁を移したもの。元々岡部藩は関東の所領より…
吉田宿は東海道五十三次の34番目の宿場で、三河吉田藩の所領であったようです。吉田城からも近く城下町と宿場町が混…
三河吉田藩の藩校時習館は、儒者三浦竹渓の助言を受けて、初代藩主松平信復によって設立されました。儒学や漢学を学問…
第29回 「栄一、改正する」第30回 「渋沢栄一の父」第31回 「栄一、最後の変身」第32回 「栄一、銀行を作…
吉田城は戦国時代初期に牧野古白が、今橋城を築いたことに始まり、松平家、戸田家、牧野家、今川家等が奪い合い、激し…
渥美半島先端付近の畠村一帯の5ヶ村は、大垣藩初代戸田氏鉄の次男戸田氏経に与えられ、6200石の大身旗本となりま…
あ薬医門の山門柳堂楼門本堂安藤直次墓碑平岩親吉墓碑
池ノ原公園は渡辺崋山が晩年を過ごした場所で、現在は史跡公園となっています。崋山は蛮社の獄で国許蟄居を命じられ、…
渡辺崋山は田原藩藩士渡辺定通の長男に生まれ、8歳で藩主嫡男の亀吉や三男元吉の伽役となり、藩主三宅康友にも目を掛…
田原城は室町後期に戸田宗光によって築城され、三河湾支配の拠点となった城でしたが、戸田康光の代に今川義元に攻めら…
つつき。①/②「海巌院殿源徹了淵大居士」。挙母藩(2度目の)2代、田原藩初代藩主三宅康勝の墓。3代当主三宅康盛…
①/② 霊巌寺は元々挙母にあったようで、挙母藩初代藩主となった三宅康貞が再興し、三宅家の菩提寺にしていたようで…
愛知県田原市にある城寶寺に、渡辺崋山の墓があります。「城寶寺」。弘法大師によって開創されたものとされ、かつては…
壇ノ浦の戦いで平家が敗れた為、平家に仕えたの女官や雑仕女達は、彦島の平家一門の住居跡や、漁師の家に匿われて潜ん…
清末地区の西側の阿内地区の八幡宮に、清末陣屋の表門が移築されて現存しています。「阿内八幡宮」。平安時代初期の貞…
①/②/③/④/⑤まずは備中松山藩板垣宗家から。「松雲院殿秀峯源俊大居士(左)」、「瑤樹院殿寶林淸月大姉(右)…
同じタイトルの記事を7年前に書いていますが、今回も同じく親バカの記事です。豊浦コスモスまつりに久しぶりに行きま…
長崎は唯一の対外貿易港であった為、九州13諸藩と長州藩は蔵屋敷を設置しており、※福岡藩、佐賀藩、熊本藩、対馬藩…
佐世保市針尾支所の北側にある墓地に、楠本端山らが眠る楠本家の墓地があります。「楠本家墓地土墳群七基」。国道20…
佐世保市の針尾島は複雑な海岸線を持つ島で、九州本土とは狭い早岐瀬戸で分けられており、6本もの橋が架けられて殆ど…
光明寺は延徳年間(1489-1492)に、真宗本願寺派8世蓮如上人の弟子釈正善が、西市に御堂を建立した事に始ま…
大歳神社の大鳥居から豊前田通りに入り、5~60m歩いた左手にある「国民旅館 天海」。この入口に石碑が建てられて…
ブログの始めたばかりの平成24年に、大歳神社の記事を書いていたのですが、9年ぶりに訪問してみました。三井住友銀…
神道の概念では神の霊魂は2つの側面を持ち、優しく平和的な和魂と、荒々く攻撃的な荒魂があるとされ、同じ神でも全く…
清末八幡宮に隣接する清末護国神社は、明治13年に清末藩の歴代藩主を祀る為に、清栄神社として創建され、後に国事に…
清末八幡宮は建武2年(1635)に、宇佐八幡宮より勧請されて創建されますが、その後は長らく荒廃していた為、清末…
瑞松庵は曹洞宗の名刹。応永18年(1411)に定庵禅師が船木に庵を開き、名僧で名高い師の石屋禅師を開山としたの…
勘場跡の宇部市船木ふれあいセンターの隣に、宇部市北部総合支所がありますが、ここにはかつて全国で3番目に古く、県…
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