「ミルチ」の愛称で親しまれている、 「明治ミルクチョコレート」は、1926(大正15)年、発売。 機械生産による本格的なものであった。 順調に販売を伸ばしていくも、 1942(昭和17)年、戦争のために、 民需用チョコレートが生産中止になった。 9年後の1951(昭和26)年に、ようやく再開された。 再開はまず、学童に配給される「ミルクチョコレート」 次に、「明治ミルクチョコレート」であった。 この翌…
♪ブタブタコブタ、お腹が空いた、ブー♪ このCMソングのメロディーでお馴染みの、 「エースコック ワンタンメン」。 梅新製菓(現エースコック)が、 1959(昭和34)年に、まず「エースラーメン」を発売。 会社名に製菓と付くのは、それまでは、 ビスケットなどを製造販売していたからで、 この年に、インスタントラーメンに進出したのだ。 「エースラーメン」は麺自体に味付けされていて、 お湯を注ぐタイプ…
カゴメトマトジュースの発売は、 何と1933(昭和8)年である。 カゴメの前身である、愛知トマト製造による。 愛知トマト製造の創業者は蟹江一太郎氏。 愛知県で農業をしていた人物である。 この時点のトマトジュースは、現在の物とは異なり、 砂糖・塩・化学調味料でしっかり味付けされ、 着色料が使用され、加熱処理もされていた。 当時、トマトジュースは一般的では無い事から、 ごく一部の、ホテルやレスト…
旅館での朝食の定番といえば、卵と海苔。 この二つを一緒にした、ふりかけを作れないだろうか、 と考えた人物がいた。 丸美屋食品工業の創業者、安部末吉氏である。 それまで丸美屋には、1951(昭和26)年発売の、 ふりかけの元祖「是はうまい」というヒット商品があった。 「是はうまい」は、味付けし乾燥させた魚をベースに、 ゴマ・海苔等加えた、ふりかけであった。 この時点で、高度な乾燥技術は持ち合わ…
ミルキーのデビューは、1951(昭和26)年、 最初は全国ではなく、不二家銀座店のみであった。 価格は一箱10円でした。 この価格設定は、かなり低目であったが、 子供向けだからという思いがあったそうだ。 ミルキーの開発秘話は、決して涙無しでは語れない、 不二家初代社長・藤井林右衛門氏の熱い思いがあった。 「母親を思わせる優しく、懐かしい味、 母親が安心して子供に与えられる味」を、 戦災での工場の…
「オレオ」が日本に登場したのは、1971(昭和46)年。 当時は、「ナビィ」と言う名前であった。 さかのぼる事、59年前の1912年、アメリカ・ナビスコ社が、 「オレオ」という名前で発売しています。 日本に来るのに、こんなに経っていたのですね。 「ナビィ」は、当時の商品カタログには、 「アメリカで『オレオ』という名前で親しまれている」と、 表記されている。 この「ナビィ」何故か数年後、日本での販売…
1961(昭和36)年に発売されたお菓子。 それまでは、チョコレートと言えば、 板チョコが主流でした。 高温で溶けやすい板チョコは、 夏場に売り上げが落ちます。 そこで、欧米で流行していた、 糖衣の小粒チョコレートをヒントに、 作られました。 発売に至るまでには相当苦労があり、 改善・改良に3年の月日を、要しました。 日本は高温・多湿である事から、 糖衣が割れやすいという問題点を、 打破し、…
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