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アヴァンギャルド精神世界 https://blog.goo.ne.jp/naitoukonan

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

本当のなつかしさ、本当のやさしさ、そういったしみじみとしたものだけが好みです。 気になるもの 錬金術、冥想、瞑想、オカルト、坐禅、気功、ヨーガ、オーパーツ、超能力、霊能力、前世記憶、PTSD、トラウマ、修験道、アトランティス、レムリア、ケルト、クンダリーニ,チャクラ、洗脳、情報操作、テレビっ子、個人主義、疎外、おひとり様、悟り世代、アセンション、無私、敬虔、清貧

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2013/11/11

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  • 柔道大野将平、東京五輪一行専心者語録

    ◎神に入る瞬間毎日仕事を一生懸命やり続けることで、大悟覚醒に至る道がある。これが事上磨錬。また一つのことに打ち込み続けることで、開悟することもある。それが一行専心。金メダルをとるために練習に励むのも立派な一行専心。一行専心といえば、スピリチュアルでは、マントラを何度も繰り返すのが有名で、オーム、南無妙法蓮華経、南無阿弥陀仏。虚空蔵求聞持は百万遍。アーメン、惟神霊幸倍坐世、等々。伝統的な見方では、マントラ・シッディからその先に行くとされる。雪で井戸を埋めたり、瓦を一所懸命に磨いて仏を作るなどという一行三昧もある。東京五輪2020柔道男子73kg級五輪連覇直後の大野将平のインンタビューで、まず平常心だけで戦ったと述べる。ご存じのとおり、平常心とは、有漏の世界だけのことでなく、無漏の世界も本来含むもの。※有漏:迷い、...柔道大野将平、東京五輪一行専心者語録

  • 釈迦といういたづら君-4

    ◎他人も我も一体である一休水鏡から。釈迦の戒律通りに生きても、仏になるという兆候もなく、とにかくわけがわからない。死んでしまえば我もなく、他人もない。釈迦も阿弥陀仏も元々は人間として生を受けながら、地獄に入ったのである。※太子瑞応本起経に、釈迦は昔長い間凡夫だったとあり、観心略要集に、弥陀も昔は凡夫だったとある。心と仏教についての歌五首。夜もすがら仏の道を尋ぬれば我が心にぞ尋ね入りぬる※徹夜で仏の道を尋ねたら自分のこころに分け入ってしまった。思ひ入れば人も我が身もよそならず心の外(ほか)の心なければ※思うに他人も我も一体である。心の外(ほか)に心はないという神秘体験。心とてげには心の無き物を悟るは何の悟りなるらん※心といっても本当のところ心はないのだから、悟るというのは、一体何の悟りなのだろうか。何事も空しき夢...釈迦といういたづら君-4

  • 釈迦といういたづら君-3

    ◎掘ってもいない井戸に、溜まっていない水が波立って、影も形も無い者が汲んでいる。自分の来し方行く末、自分は何のために生きているのか、自分は何をするために生まれて来たのか。青年期以前は、このようなことをよく考えるものだ。だが、主な関心事は、そんな現実の不条理、死生ではなく、むしろ次のような表面的なことが大半だ。受験、就活、部活、恋愛。長じては、仕事、金儲け、結婚、子育て、離婚、老後。こうした人生におけるメイン・ストリームを見て、心理学者ユングは、人は人生の午後三時になって、不条理、死生を考え始めると感得している。ところが最近は、若者も中年も老人も貧困化と独身化が進み、このままならぬ現実に頻繁に不条理、無力感を感じることが多くなっている。人生の午後三時を待たずに無慈悲を実感する毎日なのだろう。一休水鏡では、自分とは...釈迦といういたづら君-3

  • 釈迦といういたづら君-2

    ◎こころをば如何なる物を云ふやらん一休水鏡から。『正しいことは正しいこととし、誤りは誤りとしてうけとめ、ありのままに、生は生、死は死、花は花、水は水、土は土(としてうけとめるのがよい)。雨・霰・雪・氷と何故隔てをなすのであろうか。解けてしまえば、同じ谷川の水となるものを。「この我というのは、何者なのか。我とはいったい何者なのか。」と、頭の先から尻に至るまで、探ってみるがいい。探ったとしても探られる相手はやはり我なのである。』(一休和尚全集第4巻一休仮名法語集P31から現代語訳部分を引用)ここで心についての一首が出てくる。『こころをば如何なる物を云ふやらん墨絵に描きし松風の音』我を探る手段として、一休は禅に取り組んだ。我とはいったい何者なのか、と自分に問うて見れば、わが心の様々な動きとは、墨で描いた松風の音である...釈迦といういたづら君-2

  • 釈迦といういたづら君-1

    ◎今ここですらない釈迦といういたづら君の世に出でて多くの者を迷はするかな(一休水鏡)これは、『釈迦』のところを、イエスや老子や荘子、達磨など他の宗教家の名前に置き換えても全く問題ない。『釈迦』の教えに従うことは、自分自身でなく、本来の自己でもなく、弥陀の本願でもないから、アプローチが間違っているのだ。一休水鏡冒頭部分:『もとより生死を離れた身であるから、やって来たる所もなく、去り行く所もない。過去・現在・未来の三世において、実体のあるものは何一つとしてない。混沌のような、いずれとも知れない所から、この身は出て来たので、父や母がこの世に生まれない前の、本来ということもなく、決して仏法などということも知らなかった。(だから)、何かになろうなどと考えてはいけない。ただ何とも分別しない心こそが仏なのだから。その仏という...釈迦といういたづら君-1

  • ゆくすえにやどをそこへと定めねば

    ◎ふみまようべき道もなきかなゆくすえにやどをそこへと定めねばふみまようべき道もなきかな(一休)様々な信仰、宗教は、目的地である宿を定めて、そこへと向かおうとする。この和歌では、宿である目的地もないとまず語る。目的地を天国、極楽と決めて、それでもって教義教学の宣伝に努めれば、その結果は、かえって地獄を作り出すことになっていく。目的地である宿がないというのは、まず未来にあるはずの目的地はないということ。未来がないということは過去もない。更に敷衍すると、未来があっての現在もなく、過去があっての現在もないということ。よくスピリチュアル系では、「今ここ」というが、未来と過去があっての今ここではない。未来と過去がない「今ここ」のこと。それは、そういう世界しかない世界に生きているということ。「今ここ」と言えば一見時間のことと...ゆくすえにやどをそこへと定めねば

  • 意識のスペクトル

    ◎面白い学説から救いへケン・ウィルバーの『意識のスペクトル』では、宗教や心理学の様々なアプローチを宗派や学問分野に固定せず、ほとんどのものに共通な心理兼実存兼意識レベルの何段階かのモデルを作成しようとしている。このモデルは全部で三段階で、自我のレベル、実存のレベル、心のレベル(意識のスペクトルP8)と大括りであって、それぞれの下部にマイナーなレベルがある。大括りの対象として挙げているのは、瑜伽行派仏教、ユング派の精神分析、ヴェーダーンタ学派、ゲシュタルトセラピー、サイコシンセンシス、金剛乗、実存的心理学、行動主義、社会心理学等々である。彼の別の著書『ア―トマン・プロジェクト』では、こうしたものに共通の意識レベルのステップと、彼自身の十数段階のステップ(プレローマ、ウロボロス等)とを照応させている。具体的には、グ...意識のスペクトル

  • 奈良の大仏の金メッキとお水取り

    ◎大仏と信心奈良・東大寺の大仏(廬舎那仏)は752年(天平勝宝4)に造立。大仏は、多湿な風土をもつわが国で、戦火に2度も見舞われながら、いまだに腐食現象が起きていないのは、“焼付け金メッキ”が行なわれたからだといわれる。金と水銀を1:5の比率で混合してアマルガムとし、これを塗って加熱し、水銀の蒸気として蒸発させて金メッキとする。この水銀の蒸気は非常に有毒だが、大仏師国中公麻呂と東大寺の良弁僧上は、ガスマスクを制作し、殿内に充満する水銀蒸気対策をとったと伝えられる。『不老不死と薬-薬を求めた人間の歴史-石田行雄/著築地書館』によれば、聖武天皇の皇后である光明皇后(701年-760年)は、医療施設施薬院でらい患者を治療したとあるが、大仏関係作業員の水銀中毒者を治療したのではないかと著者は推測し、更に東大寺二月堂のお...奈良の大仏の金メッキとお水取り

  • オリンピック後と生物兵器の極み

    ◎神国日本の大和民族の誇りとは今日、2021年7月23日は、東京五輪2020の開会式。この日に至るまで、多くの人が奇妙な形で辞任している。将棋ならハメ手ですね。20年11月、開会式の実質的な責任者だった振付師のMIKIKO氏が「組織委員会から連絡のないまま、IOCから新たな企画案を提示されたことによる不信感」で辞任。21年2月、組織委員会の森喜朗会長が、女性蔑視発言で辞任。21年3月、開閉会式の企画、演出の統括役でクリエーティブディレクター佐々木宏が女性タレントの容姿を侮辱するような演出提案で辞任。21年7月、開会式の楽曲担当だったミュージシャン小山田圭吾が、過去のいじめ加害で辞任。21年7月、開閉会式の制作・演出チームの「ショーディレクター」小林賢太郎が、過去のコントにユダヤ人の大虐殺をパロディーに使った内容...オリンピック後と生物兵器の極み

  • 自然に解脱する書

    ◎リアリティの純粋な光とは空40年以前の昔、おおえまさのり訳のチベット死者の書は衝撃だった。誰でも死の最初の段階で神に出会っているし、それが解脱の最初にして最大のチャンスであるなどと平然と書いているからである。誰でも自分のひきずるカルマを死の一瞬にジャンプアウトできるのだ。出家者は勿論、在家の者も、無神論者でも。心ある人は、そのために死を待つことはなく、転移の行と呼ばれるポワの修行を目指すし、世俗の家事や仕事に忙しければ、臨終の死の一瞬に賭けることになる。ポワにおいては、頭頂のブラフマランドラから脱身し、仏人合一しカルマから脱却し、再転生しない。『自然に解脱する書』は、どちらかと言えば俗人で、チベット密教修行のない人間が、臨終の死の一瞬に神であり仏であるところの「根源の純粋な光」(原初の光)を認識し、可能であれ...自然に解脱する書

  • ミトゥナ

    ◎愛を通して対極同士を橋渡しするミトゥナは、インドのカジュラーホーのパールシュバナータ寺院などに存在する男女交合像。チベット密教以外にもあるわけだ。男は、論理的で、体系的、科学的。女は非論理的で、直観的、感情的。この論理と非論理、マインド(頭)とハート(心)、陰と陽などの対極が一体となる時、愛という寺院が創造されるが、ミトゥナ像はそのシンボル。OSHOバグワンは、この合体、ミトゥナとは、個なる自分に関して知っていたあらゆるものの忘却と、あなたが実際にそれであるものすべての想起。換言すれば、自我(エゴ)としての忘却と全体としての想起であるとする。(一休道歌上巻/バグワン・シュリ・ラジニーシ/めるくまーるP63-64)さらに、『深い愛のなかで抱擁し合う恋人たちは、ひとつであることの大いなるエクスタシーのなかで寺院の...ミトゥナ

  • 自意識の頂点では英雄の夢は破れる

    ◎戦争の代わりにオルガズムをダンテス・ダイジの老子狂言から、若い頃から気に入っている詩。『大志をもて!かつて男にも大志があった。地位・名声・権力———それらは、一種のオルガズムであり得た。あるいは、知的探求・芸術的創作———少なくとも幾ばくかの陶酔を与えてくれた。男の性的快楽なぞ淡いものだ。だから男はいつの日か英雄になることを夢見た。だが、自意識の頂点では、英雄の夢は破れる———それは生物学的必然なのだ。破れた夢は、一つの暴力と化す。戦争はすぐまじかにある。人間を大自然に憩わしめるのは、オルガムズ以外にない。悟りとは、究極的なオルガムズなのだ。今や文明は終わった。究極的オルガムズに帰るに最適の時だ。女はと言うと、女は女でなくなった。現代女性は男のように自意識的に快楽を求めつつある。だが、自意識のあるところに全身...自意識の頂点では英雄の夢は破れる

  • 田中陽希GreatTraverse-9

    ◎メガ・ソーラーと土砂崩れ田中陽希のように徒歩で日本全土の山岳を歩いた人はそういるものではない。TV番組のGreatTraverseでは、産廃置き場と化した深山の渓谷とメガ・ソーラー(太陽光発電所)パネルはまず出て来ない。だが、下が産廃上が残土という山は、熱海の土砂崩れの例で知られるように他にもいくつもあるだろう。果たして田中陽希の著書『それでも僕は歩き続ける』のP133-135には、山崩れは山林が防いでいるのだが、ソーラーパネル設置のために山林の樹木を伐採する必要がある。地域によっては山一面ソーラーパネルが設置してあるところもある。これほど多くの山にソーラーパネルが設置されているのを目の当たりにすると、本当にこれでいいのかと思うようになったなどと書いてある。ソーラーパネルは、雪の少ない関西の方が設置が多い印象...田中陽希GreatTraverse-9

  • 心の本質的な働きとは-3

    ◎解脱しても再び人間に戻って来ないヨーガ・スートラは、いきなり和訳を読んだり解説書を読んだりしても、現代社会人の常識とは全く異なる世界観から構成されており、かつ連続する章句が全く関連がないかのように並べられており、全体的に理解しにくいものだ。だからせいぜい世界は三種のグナでできているとか、カルマの解消の仕方を理解したところで読み進むのをやめたりすることが多い。昔は佐保田鶴治版くらいしかなかったので、私も仏教用語を並べられるうちに煙に巻かれ、訳がわからなくなっていたものだ。ヨーガ・スートラの続きで、最後の章句まで。『4.27潜在印象によって、隙間には他の思考が起こる。4.28潜在印象は、煩悩と同じプロセスで除去することができる。4.29永続的な識別知の中において、瞑想から得たどんなものからも自分自身を切り離せば、...心の本質的な働きとは-3

  • 心の本質的な働きとは-2

    ◎見られるものと見るものとの違いを識別する練習日本語は、語彙の豊富さで微妙なニュアンスを表現できるという点では、英語に比べれば優れているように思う。だが特にスピリチュアル系、精神世界系の書物では、心という言葉はあまりに便利で頻繁に使われており、読者を無限の荒野に置いてけぼりにすることがある。心には胸と頭があって、胸がハート、頭がマインド。このヨーガ・スートラ『第四章独存』における心についてOSHOバグワンは、マインドであるとしている(Yoga:TheAlphaandtheOmega第10巻)。OSHOバグワンは、人間の心は二重になっていて、思考、感情、欲望が混然一体となった嵐となっているパートと、それに全く影響されないあらゆる転変する現象を見る目撃者のようなパート。この嵐のパートも心だが、目撃することが可能であ...心の本質的な働きとは-2

  • 心の本質的な働きとは

    ◎ヨーガ・スートラから『ヨーガ・スートラ4.9記憶と潜在印象は、たとえ誕生、時間、空間によって引き離されていようともつながっている。』(現代人のためのヨーガ・スートラグレゴール・メーレ/著ガイアブックスP248から引用)さらに『ヨーガ・スートラ4.104.10これらの潜在印象と記憶には、始まりがない。欲望とは始まりのないものだからである。』(上掲書P249から引用)潜在印象(サンスカーラ)は、無意識、潜在意識上のイメージであって記憶と常に干渉しあっている。そのリンクは、時間、空間を超えるので、ここに共時性の原理がある。潜在印象と記憶も見られる対象の方であって、心がすべての対象を知っているわけでもない。(4.17)心は心自身と外にあるものを同時に確かめることはできない。(4.20)心は気づきの光を持っていない。そ...心の本質的な働きとは

  • コーザル体を幻視する

    ◎カルマとコーザル体クンダリーニ・ヨーギ本山博は、カルマは、種子の形で蓄えられ、その場所は、アラヤ識であり、原因身心(コーザル体)だと見た。本山博によれば、原因身心(コーザル体)こそが、肉体と心、アストラル体と末那識の種子でもある。そこで彼は、個人のカルマを超えるために、一切の存在の究極である絶対に進みなさいと勧め、そのことを超作と呼ぶ。これは神人合一のことだが、神人合一すれば、自分個人の善い効果を求めるなどということは問題にしなくなる。(以上参考:輪廻転生の秘密/本山博/宗教心理出版P179-182)最近は、目的とプロセスとか、効果と手法とか、原因と結果ばかり世の中全体が考えるようになっているが、それではいつまでたっても有漏の業である迷いの世界の堂々巡りのままである。そこで金が儲かるとか、引き寄せるとか、スッ...コーザル体を幻視する

  • 龍樹の末路

    ◎乱行三昧の末路龍樹(ナーガールジュナ)は、バラモン出身で、家は裕福で秀才の誉れ高く、若くして各地を遊学し、天文、地理、星宿などを学びほとんどの道術を体得していた。彼には道友が三人いて、皆優秀で眉目秀麗だったが、揃って好色を追求するために隠身の術を、さる術者について学んだ。この術はさる薬物を瞼に塗ることで身を隠すことができるものだった。四人は、この薬でもって自由に遊び回り、終には王の後宮に入り、宮中の美女を手当たり次第犯して回った。強姦から百日経つと宮中では懐妊する婦人が多く、王に告白して処罰を求める者が多かった。王は、これは方術によるものと見て、細かな砂を宮廷内にまき、足跡を追えるようにした。果たして、龍樹以外の三名は、足跡によって待ちかまえていた勇者たちに首を切り落とされた。龍樹は王の周り七尺は、刀を持って...龍樹の末路

  • 田中陽希GreatTraverse-8

    ◎戸隠山戸隠山は、修験の根拠地として比叡山、高野山と並び立つほどに往時は繁栄していたらしい。そして日本に聖山は多い。位山、伊吹山、木曽御嶽山、英彦山、出羽三山、立山、富士山などいくらでも挙げることができる。日本で山岳修験が盛んであった理由の一端を田中陽希の戸隠山登攀で察することができた。戸隠山は、両側が崖になっている尾根が連続している部分があり、蟻の戸渡り、剣の刃渡りという部分は特に幅が狭い。そんな狭い切り落ちた尾根でも、田中陽希はそんな場所でも通常立って渡るのだが、剣の刃渡りは幅30cmほどしかなく、流石の彼も四つん這いになって時間をかけて進まざるを得なかった。行きは、ガスが立ち込めて谷底が見えないので「怖さは少ない」と言い、帰りはガスが晴れ、「恐怖感」が増すなどと云いながら、どっちにしても恐怖は免れなかった...田中陽希GreatTraverse-8

  • ゾーハルと源泉の光

    ◎原人間は世界の始まりから終りまでを見たユダヤ教の聖典ゾーハルから『源泉の光―――仲介者「神は言った。『光あれ』。すると光があるだろう」。発話には必ずそれが向けられる相手がいる。もとより、最初の「あれ」は現世に、二番目の「ある」は来世に発せられている。これこそ至聖が原始に創造した光であり、源泉の光と呼ばれるものである。至聖はこの光を原人間に見せ、原人間はそのなかで世界の始まりから終りまでを見た。同様にダビデにも見せられた。ダビデはこれを詩篇のなかで次のような言葉で告白している。「あなたがあなたを畏れる者たちのために宝としてしまっておかれたあなたの恵みはなんと豊かなのでしょう」(詩篇31・20)。同様にモーセにも見せられた。彼はそのなかでギルアド〔ヨルダン川東岸のヤルムク川とヤボク川に挟まれた山地〕からダン〔上部...ゾーハルと源泉の光

  • 若い人と仏教の厭世

    ◎ダンマパダ法句経『老いの章一四六何の笑いぞ何の喜びぞ常に燃えつつあるに汝らは暗黒に覆われて燈明を求めざるや一四七見よ飾り立てられし形体をそは傷だらけの身にて合成されしもの病めるもの思い多きものにしてそこには堅固も永続もあることなし一四八このいろかたちは衰えはて病の巣窟にして壊れやすし腐れる身は滅び去る生は死に終わればなり一四九秋に投げ棄てられたるかの瓢箪のごときこれら灰白色の骨を見て何の喜びかあらん』(原始仏典7[ブッダの詩]梶山雄一/[ほか]編集委員講談社P32から引用)釈迦の厭世的人生観と言われる生老病死。これは、学業や就職が順調に行っている若い人にはあまり説得力はないものだ。だから不浄観など無理に人生の裏面を見せて厭世的人生観に追い込むような行法すらある。だが人生の早い時期に人生の裏面を見せるのは、人に...若い人と仏教の厭世

  • 空にして無相なる解脱

    ◎ダンマパダ法句経ダンマパダ法句経は、釈迦自身の言葉に最も近い経典の一つとされ、珍重されている。だが、現代語訳を見ると訳者によって全く異なる訳文が出て来て、古代インド語ってこんなものかと面食らうことがある。尊敬すべき人とは、阿羅漢のことで、最低でも本当の自分を見たり感じたりした人のことで、禅の十牛図で言えば、第三図以上の人。今の時代は、第三図程度の見神見仏者でも立派にグル、師匠が勤まる時代。『尊敬すべき人の章九〇すでに道を歩み終え憂いを離れあらゆる点に解脱しすべての束縛を断ち切れる人には苦悩あることなし九一思念をこらす人びとは努め励むかれらは家にあるを喜ばず白鳥の池を捨てて飛び立つがごとくかれらはそれぞれの家を捨つ九二蓄うることなく食物につきてあまねく知り空にして無相なる解脱がその人びとの心境ならばかれらの行く...空にして無相なる解脱

  • 米露中揃って日本を取るシステム

    ◎事態は着々と進むアメリカについては、アマゾンは日本ではすっかり定着、ゴールドマンサックスは日本で銀行業免許を取得、米Googleは、日本のスマートフォン決済会社pring(プリン、東京・港)を200億円超で買収。これがアメリカの日本を取るシステムか。また破産が囁かれるアメリカはGAFAを使って延命する作戦なのだろうか。ロシア軍は、2021年6月23日から北方領土の択捉島や国後島などで大規模な軍事演習を実施。さらに7月6日、ミサイル巡洋艦1隻、駆逐艦2隻、ミサイル観測支援艦1隻など計7隻の露艦隊が4日に沖縄本島と宮古島の間の宮古海峡を北上し、その後、対馬海峡を通って日本海へ向かった。更にロシアは、7日から9日に日本の排他的経済水域(EEZ)にある好漁場「大和堆(たい)」を含む日本海で、海軍のミサイル発射訓練を行...米露中揃って日本を取るシステム

  • 疫病対策としてのひな祭り

    ◎替代、紙人形オカルティックなコロナ対策としては、妖怪アマビエが有名になった。これは熊本産なので、マスコミの宣伝によるところが大きいが、日本の疫病対策としては、雛祭りのお雛様が第一。コロナ以前の時代から発展途上国では、平均寿命が30代、40代の国はざらにある。要するに医者が少なくて医療レベル自体もあまり期待できない国のことだが、日本だって、明治大正以前は似たようなものだった。そこで疫病になる際の身代わりとして、ひな祭りの雛が家庭に鎮座し、家人の身代わりに疫病を受ける役割を負っていた。絵や人形を身代わりに疫病や災いを避けるのである。そして最後は、病気や災いを川や海に流す。人間は肉体あってなんぼ。そして日本は、ひな祭りという疫病退散呪術が国家を挙げて津々浦々まで浸透していた国だったわけだ。最近は霊を信じないとかいう...疫病対策としてのひな祭り

  • フル回転の時代と隙間

    ◎喜びには秘密がある明治大正の頃から、金も情報も物質もフル回転だった。平成を経て令和になって、そのフル回転度は更に増したように見える。以下は、スーフィ関係の書からの引用だが、真実はその超高速回転と超高速回転の間の隙間にある。『喜びには秘密がある。そしてその秘密はこうだ。静止し、そして、耳をすます。考えるのをやめ、動くのをやめる。ほとんど息をするのも止める。そして、心の内に静寂を作りだす。すると、空き家に巣くうねずみのように、毎日の生活には役に立たない気まぐれで捕えにくい能力と気づきが、かすかに浮かびあがってくるのだ。アラン・マグラスハム』(ラスト・バリアスーフィーの教え/ルシャッド・フィールド/角川書店P47から引用)われわれは、起きている時間には絶え間なくテレビを見たり、スマホの液晶をみたりイアホンから情報や...フル回転の時代と隙間

  • カルマはあると言えるし、ないとも言える

    ◎個我と無我・涅槃とカルマ改善法仏教では、個我があって「何でも縁によって物事は生じて滅ぶ」という因果論が主たる教説の一つ。もう一つ何もかもなしという、すべてのものは実体のない空であるから、個我もないという無我論も主たる教説の一つ。この相互に矛盾するロジックは、阿頼耶識という深層意識兼微細身の登場で、涅槃ニルヴァーナと個我をリンクできることになり解消した。阿頼耶識は、学者さんは意識あるいは心理とばかり捉えたがるが、ヨーガ・スートラなどを見れば、脱身と微細身によるアストラル・トリップ、メンタル体トリップ、そしてアートマンとの一体化は、太古ら知られていた。要するに阿頼耶識から先は、体験できるボディ兼潜在意識として、古代インドの時代から知られていた。体験とは言えない体験もあるが。アートマンからニルヴァーナの展開すら、堂...カルマはあると言えるし、ないとも言える

  • 神仏を知れば悪事を行うことはできない

    ◎そんなことは三歳の子どもでも知っている何かをすれば、悪事を行うことはできないというのは、どこかのカルトやどこかの監視国家の徹底したマインドコントロールかと思う昨今。だが、人間の悟った姿は、諸悪莫作、衆善奉行。つまり善いことをして悪いことをしない。出典は、釈迦を含む過去七仏共通の教えである七仏通戒偈。これがすなわちみろくの世、千年王国の人間の姿。何が善で、何が悪かと言えば、自分自我を拡大強化する方向に動くのが悪であって、自分自我を縮小して無くする方向に動くのが善。悟りでの能力の開顕は、智恵サイド、感情サイドなどいくつかの側面があるが(七チャクラに配当される)、特に感情サイドで開顕すると、まず悪業はできなくなるだろうというのが出口王仁三郎の次の歌でわかる。われもなくうつしよもなくただひとりかみのみまえにひれふしお...神仏を知れば悪事を行うことはできない

  • サンヴァラとシャンヴァラ

    ◎精液、経血、糞尿からエリクサー「インド後期密教下巻般若・母タントラ系の密教/松長有慶/編著/春秋社P43-44」にサンヴァラの語義が述べられている。それによるとチベットでは、サンヴァラとは、本来禁戒の意味だったが、最高の楽という意味に転化した。その理由としては、インド東北部で後期密教が興起した頃(8、9世紀)は、サとシャが音韻的に差異がなくなっていたので、サンヴァラ(禁戒)はシャンヴァラ(最高の楽)と同義となったことを挙げる。もう一つの理由は、射精を抑制(禁戒)することが最高の楽(サンヴァラ)であるとの含意だそうだ。著者は性快感を高めることに意義があるかのように述べている。またインド後期密教の四種灌頂の一つ秘密灌頂では、グルの教誨と女性パートナーによって体験される楽がサンヴァラである由。それはさておき、射精を...サンヴァラとシャンヴァラ

  • サンヴァラとみとのまぐはひ(美斗能麻具波比)

    ◎富士と鳴戸の神業古神道は清よ明けき心などといいながら、古事記の最初の方から伊邪那岐神と伊邪那美神のナンパのシーンが出て来て、真面目な青少年の心を波立たせる。サンヴァラと呼ばれる交合像、交合図は、インド後期密教やチベット密教で見られるが、行法は、その時代に最初に発生したのでなく、相当に古い時代から性愛冥想、カーマ・ヨーガとして存在したのだろうと思う。古事記では、伊邪那岐神と伊邪那美神が美斗能麻具波比なる御神業をなす。美斗能麻具波比とは、火と水との息を調節して、宇宙万有一切に対し、活生命を賦与する神業のことであって、セクシュアルな話題ではない。鳴り鳴りて鳴りあまれる、九山八海(つくし)の火燃輝(ひむか)のアオウエイ(たちばな)の緒所(をど)といわれているのは不二山のこと。また鳴り鳴りて鳴り合わざるは、阿波の鳴戸の...サンヴァラとみとのまぐはひ(美斗能麻具波比)

  • 無神論者と神知らぬ者

    ◎証明できないものを直観する世の中には神知る者がごく稀にいて、99.99%以上の人は神知らぬ者である。その神知らぬ者の中には、無神論者と有神論者がいる。無神論者には絶え間ない無神論洗脳社会を前提とした無神論者がいて、その一方で自由主義国家にも無神論者がいる。もともと東洋では神の存在は心情的に自明であって、一方西洋では心情的に自明ではないので、神の存在は論理でもって論証するという形態がとられてきた。神を知るには三形態あって、それは神人合一する、神を見る感じる、神を我が身に下ろすである。要するに行という無意識を操作する多数の技法があって、それでもって三形態あるどれかの「神を知る」というあり方を選ぶ。人は行に取り組むには、理屈でもって納得しないとやらないものだから、最初はその人の機根、世界観に合わせて説得、証明という...無神論者と神知らぬ者

  • ダライ・ラマとチベット

    ◎亡国と目的を持たぬ冥想最後のダライ・ラマと自称するダライ・ラマ14世も85歳になった。先代のダライ・ラマ13世も当時としては長寿だった57歳で遷化したが、それに並ぶべくもない長寿ぶりである。英語で世界を説いて回るダライ・ラマ14世が日本人に向かって、日本人も英語を学びなさいと言っているのは意味深長である。平和平和と言っているうちに亡国となったのはチベットだが、日本にその兆しがない訳でもない。唐代においては、軍事大国だったチベットは、20世紀になると、清国、ロシア、英国にその領土を脅かされ、積年の軍備弱体化を見て、ダライ・ラマ13世は、軍備強化の必要性をその遺言(1933年)において説いたが、空しかった。1959年ダライ・ラマ14世は、チベットを脱出しインドに亡命した。ダライ・ラマ14世は、日本人に英語を学べと...ダライ・ラマとチベット

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