構想も新たに、後継ブログ『アヴァターラ・神のまにまに』を始めました。宜しくお願い申し上げます。後継ブログを開始しました。
冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。
本当のなつかしさ、本当のやさしさ、そういったしみじみとしたものだけが好みです。 気になるもの 錬金術、冥想、瞑想、オカルト、坐禅、気功、ヨーガ、オーパーツ、超能力、霊能力、前世記憶、PTSD、トラウマ、修験道、アトランティス、レムリア、ケルト、クンダリーニ,チャクラ、洗脳、情報操作、テレビっ子、個人主義、疎外、おひとり様、悟り世代、アセンション、無私、敬虔、清貧
◎魂年齢が若い渋沢栄一は、老子や禅は読まないそうだ。その点では、西郷隆盛や勝海舟に比べると、魂年齢が若い。西郷隆盛や勝海舟も相当に禅で行けているのに比べると、人生への洞察は未だしの感がある。渋沢栄一は、論語を座右の銘として処世してきた。彼は易はこれから学ぶなどと云っているので、孔子の域には達していない。最近のスピリチュアルに関心のある人向けに言えば、四書五経の中で、ストレートで究極を説いているのは、大学、中庸、書経。あの世とこの世の構造を描いているのは易経。孔子は晩年大悟したと思われるのだが、それ以前の言行は論語に多く拾われているものの、禅家、道家から見れば、この世にまだ未練が残っている段階であって、自分を死ぬ準備はできていない。そんな具合だから、荘子においては孔子の言行は突っ込みどころ満載のトピック提供者とし...渋沢栄一の実験論語処世談を読む
◎インテリジェンスの場、高山と海高山の登山には、聖と俗の二つの面がある。聖の側は、冥想修行であって、人跡稀な高山を以って修行の場とするケース。俗の場は、インテリジェンスすなわちスパイの通信伝達場所として高山を用いるケースである。まず俗のケース。アストラル・トリップで人と出会える猛者ならいざ知らず肉体でもって高山で文書を通信しようとするならば、まず装備が問題となる。8千メートル峰14座を無酸素で最初に登頂したラインホルト・メスナーも、凍傷で指を失わない、低体温にならないための装備を重視している。要するに体温を上げる特殊な訓練をしなくとも、装備でもって登山することを狙っているわけだ。山には冬山の厳寒あり、4千メートル級になると、高山病がある。インテリジェンスとは、人に知られない場所で重要情報を交換するのが基本。関所...田中陽希GreatTraverse-6
◎日本の水平における神秘を極め尽くす田中陽希の、急登を常人の倍以上のスピードで進む能力も一種の超能力のようなもの。20代で大峯千日回峰行(一日で48キロの山道の往復を繰り返す)を満行した塩沼亮潤大阿闍梨も50代になって、それを振り返り「人間のやることではない。」などと評していたが、そのスピードだけでなく、無事故で進めることも一つの奇跡である。奥山の道を進めば、風雨あり、熊、猪、鹿、猿、蛇あり、意識のゆらぎでの霊異あり、ロードでは自動車の危険がある。田中陽希GreatTraverseでは、この辺は風雨雪程度しか画面には登場しないが、磐梯朝日国立公園朝日岳では、登山道に熊の糞が点々と落ちており、熊道であることを示していた。田中陽希が、足元が不安定になる濡れた木の根、細かいガレ(大小さまざまな岩や石がゴロゴロ散乱して...田中陽希GreatTraverse-5
◎登ってはいけない山-2さらに大江山。『古事記』崇神天皇の段では、崇神天皇の弟である日子坐(ひこいます)王は天皇の命によって旦波国(丹波国)に遣わされ、土蜘蛛の玖賀耳之御笠(くがみみのみかさ)を討った。また用明天皇の時代に、聖徳太子の弟の麻呂子(まろこ)親王の鬼退治伝説がある。また一条天皇の時代、長徳元年(995年)に源頼光と藤原保昌らが大江山に住む鬼(酒呑童子)を征伐したという伝説もある。出口王仁三郎は、『大江山は日本の悪霊の集まつて居る所である。山の中腹を邪気線(死線)が六十間位の幅で取り巻いて居る。されば此山に登る事は危険な事である。大抵の人間がこの邪気に犯されると思想まで悪化して了ふのである。元伊勢の内宮から、外宮にかけて霊線が通つて居る、この霊線は良い線で、これを突破して大江山に登つた大本信者は悪霊の...田中陽希GreatTraverse-4
◎登ってはいけない山-1山には聖山もあるが、人間が登るのを戒められている山もある。それが、丹波大江山と筑波山。田中陽希は、大江山は、登っていないようだが、筑波山は登ってしまっていた。筑波山神社由緒によれば、山下の南面中腹(270m)に拝殿があり、これより山上の境内地「筑波山」を御神体として拝する由。出口王仁三郎は、『筑波山は兇党界の大将山本五郎右衛門が本拠である事は度々話した通りである。平太郎によつて封じ込まれて柔順しくなつては居るのであるが、それでもあの山に登ると憑依されて狂態を演ずるやうになる。丹波の大江山も悪霊の本拠であるから登つてはいけない。押して登れば憑依される。』(玉鏡/筑波山の悪霊/出口王仁三郎から引用)ところが筑波山には、今ではロープウェーもケーブルカーもあり、登ってはいけない山どころではないの...田中陽希GreatTraverse-3
◎霊魂の餌と肉体の餌まず人は神の子神の宮であって、神は人と倶に在り。そうであれば、人は霊魂の餌を大神からの内流という形で受け取るから、パンも含め神様が必要と認めたものは、衣食住業何でも得ることができる。だが、まず先に神を知るということが基本原則となっている。西洋は物質好きなので、天の露というのが、霊魂の餌に該当するように思う。以下霊の餌について、霊界物語から。『治道居士はこれに答へて歌ふ。天津御空を翔つ鳥も山野に棲へる獣も神の恵みに包まれて今日の貯へなくとても立派に命をつなぎをる人は神の子神の宮天は不食の民草をいかでか造り給ふべき誠の道に叶ひなば慈愛の神は吾々の身魂を安きに守りつつ永遠の栄と喜びと命の糧を賜ふべしそもそも人はパンのみでこの世に生くべきものならず霊の餌を沢山に吸収したる其の上は肉体守る食物を求むる...霊魂の餌-4
◎三千世界は勇んで暮す神国になる新型コロナウイルスへの懸念で中止論が高まっている東京五輪を巡り、国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長が、2021年5月22日に開かれた国際ホッケー連盟のオンライン総会であいさつし、五輪開催を実現するために「われわれは犠牲を払わなければならない」と述べたと、インドのPTI通信が23日までに報じた。この発言を承けると、今般の一年延期のオリンピックは、世界に向けて日本が、新たなコロナの猖獗の発信地になるかもしれない。食料危機については、原因は世界人口に比し農業生産が少ないことと、無駄の多い非効率な食糧消費、世界的な水不足なので、今年から始まる可能性すらある。おおもと神諭では、段々世が迫って来て、食物に困るようになったら、悪玉側は日本の人民を餌食にしても、神国日本を取ってしまおう...霊魂の餌-3
◎修験道との関わり、大峯山など日本三百名山で選定しているのは、必ずしも修験道の山ではない。だが、山頂には、亡くなった人を供養する積み石や、祠などが置かれており、時に蠅の飛ぶ音が聞こえて、山頂巡錫のリアリズムを感じることができる。大峯山では、田中陽希は、快適に森林地帯を進んでいたかに見えたが、山上ヶ岳の「西の覗き」という行場で、命綱を肩にたすき掛けして岩壁の上から身を乗り出す行をやった。彼も終わった直後は放心状態だったが、久しぶりに腹の底から声を出していたそうだ。バンジージャンプとは異なり、スリルを味わったり、好奇心でやったりするものではないが、いわゆる「本気でやる」ということの重要さを知る行である。禅語録で、よく弟子が生半可な解釈を師家に咎められ、棒で殴られたりして、本気を求められるが、本気には実は何層もあり、...田中陽希GreatTraverse-2
◎日本のピラミッド説などこれは、田中陽希が、日本3百名山をひと筆書きで、下界の道路も徒歩行き、三百名山も登ろうというプロジェクト。こうしたツーリズムものは、せいぜい火野正平の自転車ツーリング番組をたまに見る程度だった。私は登山はしないが、2か月ほど前からこの最初のシリーズの百名山のダイジェスト番組(NHK)を見始めた。田中陽希は、常人の2倍以上のスピードで山に登り山を降りるのだが、これで感じ入ることがいくつかあった。まず日本のピラミッド説に関して。これは昭和の初めに酒井勝軍が広島県の葦嶽山はピラミッドである説を唱え、出口王仁三郎もこれを否定はしていない。だが酒井勝軍の著書「太古日本のピラミッド」という著書はおよそ科学的とは言えない本であって、日本のピラミッドのある山頂の多くを巡るには、アストラル・トリップで見に...田中陽希GreatTraverse-1
◎鳥の声が絶えたのか、自分の心の声が絶えたのか王安石の詩から。鐘山即事【訓読】澗水聲無く竹を繞(めぐ)って流れ竹西の花草春柔を弄す茅簷(ぼうえん)相對して坐すること終日一鳥啼かず山更に幽なり【漢文】澗水無声繞竹流竹西花草弄春柔茅簷相對坐終日一鳥不啼山更幽【大意】谷川の水は音も無く竹林をめぐって流れ、竹林の西には草花が春の柔らかな日差しを楽しんでいる。茅葺きの庵で鍾山(南京の紫金山)と向かい合って一日中座っていると、鳥の鳴き声一つせず、山はいよいよ静まり返っている。王安石が、不遇の茅屋で一日坐るともなく坐っていたら、山では鳥の啼き声は一般に絶えることもないが、それが絶える瞬間があった。鳥の声が絶えたのか、自分の心の声が絶えたのか。一鳥不啼山更幽は、よく茶席の軸になっている由。茶に関わりの深いのが大徳寺で、その開山...一鳥啼かず山更に幽なり
◎〈孤独〉と共にいる孤独ケン・ウィルバーの日記から。『今朝は、広大な〈空〉しかない。〈私-私〉とは、〈独り〉でいること、〈孤独〉と共にいる孤独、〈すべて〉の中のすべて。〈充満〉が私を存在から押し出し、輝きがこの世界の物事に対して私を盲目にする。私は無限の〈自由〉だけを見る。それは私がまったく何も見ないことを意味する。魂を蘇生させる苦闘がある。意識を循環させ、微細の中へ。それを引き下ろし、自我と身体の中へ。そうしてベッドから起き上がる。しかし、〈自由〉はまだそこにある。このかすかな薄明の曙光の中に。この光輝な状態を顕現させるためのわずかな動きにさえ、解放が宿っている。』(ワン・テイスト上巻/ケン・ウィルバーP198から引用)有だけである空にあっても絶対的な孤独。それは、魂の伴侶トレヤを早くに亡くしたからということ...ケン・ウィルバーの悟境
◎モクシャへケン・ウィルバーも70代。表現の仕方は、永遠のインド哲学風やら、トランス・パーソナルなのだが、要するに万教同根である。だがアメリカにあってすら、まともに受け入れたとは見えない、覚者の孤独。ケン・ウィルバーの日記から。『「(上記の記帳で)〈大いなる入れ子〉を概説しながら、再び私が思ったことは、三人称の「それ―言語」で意識のレベルを記述するのはうんざりするということだ。それは便利(そして必要)だが、核心を外している。私は各レベルが内側から、一人称の「私-言語」で記述されているような文章―私はそれを「回想」と呼ぶだろうと思う-を書きたい。各レベルがどのようなものかではなく、各レベルから見た世界がどのようなものかを書きたい。』(ワン・テイスト上巻/ケン・ウィルバーP197から引用)三人称の「それ―言語」とは...ケン・ウィルバーの一人称の「私-言語」
◎時代も“意識のぎりぎりの極限状況”を通過する人間としての人生サイクルをほぼ終えれば、人間としての転生は終る。誤解を恐れずに言えば、それは七転生コースだったり、もっと転生回数が多い場合もあるし、いろいろな事情で、少しの回数しか転生できていない人もいるのだろう。だが、人間としての人生サイクルを終えるというのは、覚醒であり、光明を見るということであって、人間を卒業するということ。最後は、伊都能売(いづのめ)あるいはアダムカドモンなる神を常に生きる両性具有人となって、再度人間として転生してくることはないのだろう。OSHOバグワンは、覚醒すると人間としての形態を維持することがそう長い期間はできなくなるとか、超能力を使える期間も同様に長いものではないというニュアンスのことを言っている。こうして覚者の最終転生は一般に短命で...覚者の現世滞在時間が短い件
◎思想、言語の外に【神真】がある【神真】とは、しんしんとも、まこととも読む。神の本質、エッセンスのようなニュアンス。霊界物語第44巻第8章光と熱から『『神真中に斯の如く偉大無限の神力の潜み居るとは現界の真理を以て只思想又は言語に外なしと思ふ学者の中々に信じ能はぬ所なり思想や言語は自身にて力を有するものならず主神の命に従ひて活動する時始めてぞ力を生ずるものとなすされど神真はその中に自らなる力ありて天界こそは造られぬ地上の世界もその中の万物併せて悉く之にて造られたるものぞ斯くも尊き神力の神真の中にあることは二個の茲に比証あり即ち人間にある善と真との力その次に世間よりする太陽の光と熱との力にて神の稜威を明かに覚り得らるるものぞかしアヽ惟神々々神のまにまに答へおく』『イヤどうも有難う御座いました。万公マンマン満足致しま...霊魂の餌-2
◎天人は福音を聴聞して愛と証覚を磨くさて出口王仁三郎が手に入れた黄金の釜では、霊魂の餌を煮るという。以下は天界における天人の霊魂の餌。霊界物語第24巻霊の礎(一一)から。『一、天界即ち神界高天原にも、又地上の如く宮殿や堂宇があつて、神を礼拝し神事を行つて居るのである。その説教又は講義等に従事するものは、勿論天界の宣伝使である。天人は常に愛と証覚の上に於て、益々円満具足ならむ事を求めて、霊身の餌となすからである。天人に智性や意性の有ることは、猶地上現界の人間同様である。天人は天界の殿堂や説教所に集合して、其の智的又は意的福音を聴聞し、共に益々円満ならむことを望むものであつて、智性は智慧に属する諸の真理に依り、意性は愛に属する諸の善に由つて、常に円満具足の境域に進みて止まぬものである。』これは、教団主催の集会や勉強...霊魂の餌-1
◎有想定、無想定、愛、有相三昧、無相三昧最近自称覚者が世に出て来てどうもサマディー(三昧)というのが、何だか素晴らしい冥想状態であるらしいと思わされている。冥想は、目的を持った冥想で始まる限り、問題がある。冥想してサマディーに入ろうとした瞬間にサマディーは遠ざかる。サマディーとは三昧のことだが、三昧の前段で定というのがある。定から三昧の展開については、ダンテス・ダイジが冥想十字マップで説明している。冥想十字マップの横軸では、有想定、無想定、愛、有相三昧、無相三昧の5段階に分けられ、無相三昧とはニルヴァーナのこと。簡単に区分すれば、有想定、無想定では、自分があるが、有相三昧、無相三昧では自分はない。故人となったクンダリーニ・ヨーギ本山博がこの辺の進化の消息についてわかりやすい説明をしている。『〈三昧の境位-場所的...サマディーの先
◎神様は更に公然と世間の人民に予告は為さらぬ海幸彦、山幸彦で、現代日本をみろくの世に渡してくれるのは、意識の極限状況を無事に通過させてくれる『目無堅間の船』であると知った。パニック映画でよく出てくるように、善人も悪人も取り混ぜて巨大宇宙船兼潜水艦みたいな母船に動物ともども乗り組んで、天変地異をやり過ごす。そして天変地異が終わったら、方舟に乗り組んだ善人悪人取り混ぜて、今みたいな科学の発達した地獄的時代を再建にかかるというのは、どうも違うのではないか。ヨハネの黙示録21章では、『第21章わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。また、御座から...ノアとナオとの方舟(別名目無堅間船)
◎無間勝間(めなしかたま)の神船海幸彦と山幸彦は古事記に出ていて、いじわるな兄海幸彦を真面目な山幸彦が見返すという物語。ところが出口王仁三郎の講演録によれば、海幸彦は外国、山幸彦は日本。海幸彦は、針に餌をつけ騙した魚を取るやや卑怯なやり方。山幸彦は弓矢なので心技一体とならねば獲物を取れない大和魂。山幸彦は、海幸彦から借りた釣り針で釣りをしたが、さっぱりの結果で、釣り針まで落としてしまった。そこで、代わりの針を千個も作ったが、海幸彦はこれは貸した針ではないとして受け取らない。苦悩している山幸彦のところに塩椎(しおつち)翁がやってきて、無間勝間(めなしかたま)の船をつくり、それに山幸彦を乗せて竜宮に送り込んだ。無間勝間(めなしかたま)の船とは、衆生済度のことであり、神様の教えのこと。古事記では、山幸彦は竜宮で妻子を...海幸彦と山幸彦
◎今再びの中国の日本占領の企てが見えるたまにはSLも走る秩父鉄道に乗ると、和銅黒谷という駅があり、ホーム真ん中に直径2メートルはあろうかと思われる巨大和同開珎のレプリカに驚かされる。このレプリカは最近新しくなった。和同開珎は、708年、古事記は、712年成立。日本一国の伝統文化が唐様になっていくには、まず中国による軍事占領の如きものがあって何十年か経ってほぼ完成する。621年日本への中国文化移入を推進した聖徳太子没645年乙巳の変(蘇我入鹿暗殺)646年大化の改新660年百済滅亡663年白村江の戦いで大敗し、日本は事実上唐に軍事支配を受ける。666年高句麗滅亡。王族の王若光らが武蔵国に亡命移住?671年唐国の使人郭務悰等2千人の唐兵や百済人が日本に上陸。671年天智天皇崩御672年壬申の乱673年天武天皇即位6...古事記をいつ書くか
◎古来言霊(ことたま)の幸(さちは)う国大本教言霊学で、出口王仁三郎の見る言霊衰亡史が説かれている。日本国は、古来言霊(ことたま)の幸(さちは)う国であって、五十連十行のカタカナが神典であって、これを学べば天地万物の根源の神理を詳知することができた。ところが応神天皇の御代に百済国から王仁が来日し論語千字文など漢籍を多数持ち込み、以後漢学が歴代甚だしく行われたので、言霊の教えは日々に衰亡した。一方で第四十代天武天皇の御代、天皇自ら口述された古事記を、第四十三代元明天皇の時代に太安麻呂に命じて記録させ、皇国の大道を残されたのは、誠にありがたいことだった。柿本人麿主の歌に、志貴島倭国者事霊之所佐国叙慎福興具シキシマノヤマトノクニハ、コトタマノタスクルクニゾマサキクアレコノとあるように、神代の言霊を失い果てることを惜し...出口王仁三郎の見る言霊衰亡史
◎黄金(こがね)の珠と黄金の釜大本教言霊学序文として、出口王仁三郎が一筆寄せている。概要は次のようなもの。出口王仁三郎が、金龍海の海底や弥山の高山までを、水は元伊勢、火は出雲なる玉水に照らされて捜し回ったところ、黄金(こがね)の珠と黄金の釜を拾った。さて出口王仁三郎に長年この黄金の珠と黄金の釜を磨き洗わせ給うた理由を考えると、黄金の珠は、水火満(しおみつ)の玉、水火干(しおひる)の玉であって、天地万物の息を治めているもの。また黄金の釜は、霊魂(みたま)の餌(えさ)を沸かし煮るべき弥(いや)の神宝であった。ここに出口王仁三郎は、この玉を世界に照らし輝かせ、またこの釜をたぎり沸かして鳴り鳴らせ、天下四方に広めるべくこの二つの神宝について記し奉る、云々。霊界物語では、黄金(こがね)の珠と黄金の釜が出てくるのは、第6巻...大本言霊学序文
◎古神道ダンテス・ダイジと古神道の関わりと言えば、出口王仁三郎だが、あまり見えにくい。彼は、大本教の短期セミナーに参加し、立替立直しを学び、鎮魂帰神も学んだことがあるらしい。霊界物語に三神系という主要神の系図があるが、その中の野立彦神こそダンテスであるという説明も自らしている。古神道の言霊では、返しというのがあり、NODATEはDANTEに返るのだろうか。彼の冥想道手帳に次のものが入っている。1.天の数歌「一二三四五六七八九十百千万」(読み:ひとふたみよいつむゆななやここのたりももちよろづ)天の数歌を唱えれば、あの世もこの世もまとめて修祓できる。2.われもなく現世(うつしよ)もなくただ一人神の御前(みまえ)に平伏(ひれふ)しをろがむ(出口王仁三郎/大本の道第6章祭─惟神の大道に所載)3.大本宣伝歌「朝日は照ると...ダンテス・ダイジの教えの全貌-4
◎ソーマ・ヨーガ求道者は、いつの時代も悟り薬を求める。何のために?生きる苦悩と死の恐怖を超え、無上の歓喜を求めるために。ダンテス・ダイジは、高弟の一人に対して、『死とは、水を張ったバケツから腕を引き抜くようなものだ。』と語ったそうだ。薬物ジャングルの探検者ティモシー・リアリーが妙なことを書いている。ケタミンによって引き起こされる臨死体験に際して、『それを経験する者が誰もいないのに、宇宙の全情報が通り抜ける』のだそうだ。これは、例の『体験とは言えない体験』の別の表現である。『ケタミンが引き起こす遊体離脱体験はしばしば浮遊感を伴い、トンネルを通り抜けている感じに近いという。またどんなに高用量のサイケデリック・ドラッグも自我の喪失感では、ケタミン投与にかなわない。それを経験する者が誰もいないのに、宇宙の全情報がどうや...ダンテス・ダイジの教えの全貌-3
◎まず否定はせず肯定するのが常だったダンテス・ダイジの著書『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』に四つの章があり、マントラ禅、丹田禅、クンダリーニ・ヨーガ、只管打坐と四つの章が並んでいるので、たいていの人は、この四つの門が彼のメインの教えなのだろうと勘違いをする。だが彼の裏主著というべき『老子狂言』では、老子という只管打坐系の覚者を看板に掲げてはいるが、悟ったままに遊ぶ、あるいは醒めたままで狂言するの如き、およそ社会性とは全く無縁の自分の運命を自由自在に生きる覚者の姿が次々と描かれている。ダンテス・ダイジの弟子たちには、マントラ禅、丹田禅、クンダリーニ・ヨーガ、只管打坐をメインに修行した者たちが多いのだろうが、彼自身のエピソードを追ってみると、出口王仁三郎の古神道とヤキ・インディアンのドン・ファン・マトゥスのソ...ダンテス・ダイジの教えの全貌-2
◎すべてのすべてが自分であるという実感OSHOバグワンは、世界の現状が、個々人と密接に連動していることを知っている。世界は一であり、有であり、アートマンである第六身体であるという立場において、世界の累卵の危うきにある現状の責任を各個人の責任であるとする。その立場では、既に世界と個人は逆転していて、すべてのすべてが自分であるという実感においては、自分が誰かを傷つけたり、殺したりすることはあり得ない。この実感を体験するのは、すべてのすべてである自分であって、それは追体験してもらわないとわからない。この追体験のことを大悟とか、入我我入とか神人合一と呼ぶ。それを経た人は、群衆の中にあっても慈悲に生き、人類の自殺を手助けすることはない。神々にはそうでない立場もあるが、それは俗人の関与すべきことではないと思う。『だが、おそ...核兵器による恐怖の均衡とその責任者-2
◎政治家の権力と悪人ぶり核兵器による恐怖の均衡が、1945年から1991年のソ連の解体まで続き、以後米国の一強時代となった。ところが、中国が米国を凌駕しようとしていることに今頃気がついて、世界中が怖気を震っているところである。だが、この間、世界の有力政治家が善人であったためしはない。むしろ世間では、ちょっとイカレタ方が正常とされる風潮だったから、その有力指導者がまさかの“狂人”であったとしても誰も驚きはすまい。善人とは、二度と悪事を犯さぬ菩薩や聖者のこと。以下は、OSHOバグワンの最近の政治家像。『現在、大きな力を持つ国は、それぞれ核兵器を保持している。かなりの量であるために、もし私たちが望むのであれば、このような地球を七百個、まさにいま破壊することでさえ可能だ。それだけ多量の核の力がそこにあり、手に入る。それ...核兵器による恐怖の均衡とその責任者-1
◎日本民族の覚醒か犬死か小松左京の映画『日本沈没』(1973)を見た。これは、外国が日本に侵攻してくるのではなくて、地殻変動だけで、日本全土が急速に沈降し、1億2千万人中の少々が外国に難民として受け入れてもらい助かると言うシナリオ。印象に残ったシーンは、北陸の住民が自分たちの漁船に乗り組んで、政府の許可なく韓国、北朝鮮に向けて出港するところ。たまたまヘリコプターから主役の藤岡弘が、「韓国、北朝鮮は、難民受入れしていないので、不法入国として扱われる。津波も来るので、政府の許可なく出航するのをやめて戻りなさい」と呼びかけるところ。映画では住民は戻らず、漁船は津波に呑まれる。ダンテス・ダイジは、日本の最後について、政府のコントロールが効かないシーンも出てくることを予言しているのだが、このシーンを見て、このようなことな...日本沈没、小松左京
◎私が味わったことは言えない十字架の聖ヨハネ詩集から。『私は知らないで知らぬ処に入り知らないままに留まった一切の知を超えて。何処に入ったか知らないが、何処に居るのか知らないままそこに居たとき大いなることを悟った私が味わったことは言えない知らないままだったのだから一切の知を超えて。それは、深い孤独の中で直接(じか)に悟った平和と愛との完璧な知であったそれはあまりにも密かなことだったから』(十字架の聖ヨハネ詩集P81から引用)十字架の聖ヨハネは、平和と愛から『何も知らない』に至った。1577年には男子カルメル会修道会士によってトレドの修道院に幽閉されたが、1578年8月16日に修道院から脱出した。その後、暗い小部屋での九ヶ月の幽閉生活によって、この境地に至った。禅者だっていろいろなきっかけで大悟するものだが、幽閉生...十字架の聖ヨハネの語れない神秘-1
◎荒れ狂う季節の中をノストラダムス2021年5月3日発売の藤井風のシングル“きらり”の歌詞の末尾『荒れ狂う季節の中も群衆の中も君とならばさらりさらり新しい日々もつたない過去もすべてがきらり』これは、HONDA車のコマソンに使われているので、レジャーでの歓喜というつかみなのだが、『君』って誰?ノストラダムスの予言詩集諸世紀の冒頭の四行詩二つ。『真夜中に秘密の部屋に入りただ一人青銅のいすに休んでいるとかすかな炎が静寂の中から飛びはねるようにして私にすばらしきことを告げる取りまく枝の中心で神から授かった杖を手にもって私の足と杖を水にひたす私の手は畏敬でふるえながら何かを待っているすばらしきかな天なるものの輝き神の霊がそこにましますことは』(時の旅人ノストラダムスミシェル・C・トゥシャールボーダーランド文庫角川春樹事務...藤井風きらり発売
◎すべての人が神を知るのは、「今だ、今だ」ノストラダムスの「アンリ2世への手紙」の最後の方に、『多くの見慣れぬ鳥が「今だ、今だ」と叫ぶ』がしばらくしてその小鳥たちはいなくなり、この後に土星が支配する黄金の時代、至福千年が来るとある。土星と言えば、西洋占星術の影響で、土星は、大凶、悪などと思われているのだが、ホンチャンのスピリチュアリズムでは土星こそ、永遠に続く大吉のシンボルである。また土星はメランコリーだから、鬱病のサインなので不吉などということこそ先入観である。というのは、現代の近代西欧文明こそ、大輪の向日葵(ひまわり)の如き花であって、花が落ちれば、実が生る。その実こそが土星だからである。実は地なる土星で生きる。ノストラダムスの大予言では、土星の時代とは一貫して至福千年、みろくの世を指している。ノストラダム...多くの見慣れぬ鳥が「今だ、今だ」と叫ぶ
◎人類は核戦争をやらずに至福千年を迎えられるのかこれは、NHKスペシャルの1時間番組だったのだが、ネットでyoutubeに上がっているのを見たもの。これは、広島の原爆の爆発の最初の10秒に焦点を当てたドキュメンタリーだが、以下のような恐ろしげな話が連続する。1.広島原爆の構造は、ウラン235のふたつの塊を円筒の左右に分けて配置し、片側をもう片側にぶつけると核分裂の連鎖反応が猛烈な速度で拡大する。ウランの合計量は多分6kgなどといわれているもの。2.この段階では、原爆の外形はまだ爆発していないが、爆発直前には内部の温度は250万度に達する。この段階で可視光でもなく音もない中性子線が地上を襲う。3.爆心地から130mの距離に2階建て木造家屋の1階で食事をしていた建具屋一家五人が居間で丸く坐って亡くなっていたが、これ...原爆投下・10秒の衝撃
「ブログリーダー」を活用して、naitoukonanさんをフォローしませんか?
構想も新たに、後継ブログ『アヴァターラ・神のまにまに』を始めました。宜しくお願い申し上げます。後継ブログを開始しました。
blogアヴァンギャルド精神世界は終了しました。18年間、ご来訪、ご愛顧ありがとうございました。なおtwitterもアカウント削除しました。twitterもご来訪、ご愛顧に感謝致します。ネタ切れでも、書くテーマがなくなった訳ではありませんが、自由な言論のできる一対多のSNSの時代が終わったため山に戻ることになりました。累計閲覧pageview19百万余、累計訪問者IP392万余の読者の皆様なかりせば、ここまで継続できませんでした。ありがとうございました。頓首再拝。アヴァンギャルド精神世界終了について
◎人類全体の進化人類全体が進化する時期が到来した。人間の進化形は、大悟覚醒を経て、人が神と共に生きていく形。さりとて、人間の進化形とは、いろいろな表現の仕方がある。1.人間が第六身体、第七身体に至るという、体験とは言えない体験を経て、神仏とともに生きる。2.悪いことをせず、善いことだけをして、真理を以て生きる(諸悪莫作、衆善奉行)3.人の目には涙もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。(聖書ヨハネの黙示録21章)4.「何ものも救うことはできないし救う必要もないこのことを頭によらずに理解したら君は正真正銘の救世主であり救うというマインドなしにすべてを救うように生きている」(ダンテス・ダイジ/アメジスト・タブレット・プロローグP21から引用)そんな人だらけの時代。5.無用の用、無価値の価値に直観的に気がついて、...アヴァンギャルド精神世界18年の回顧-6
◎きくち体操はすごいきくち体操を始めて1か月経過。諸事情であまりあからさまに書けない効果もあるが、中野ジェームズ修一氏流ストレッチや古神道の振魂、鳥船では伸び悩んでいたのが、めきめきと効果が出てきている。1.頭がはっきりしてきた。2.普通股で歩けるようになった。歩行スピードも速くなった。3.腰をかがめる等の何気ない姿勢がより自然にできるようになった。等々。※きくち体操本を見ると無数の治癒例が載っています。菊池和子先生曰く、老いるとは筋肉や血管が縮んで痩せていくこと。痩せ始めるとすごい勢いで筋肉が落ちていく。そうなると、歩けなくなったり、紙おむつになったりする。菊池和子先生(87歳)は老人ホームにお住まいで、そうした人を多数見ており、同年配の人に「どうすれば治るでしょうね」と問われて、「どうですかね」などと...きくち体操考-3
◎物事を変えるには相当に早い時期から準備が必要戦争や国家レベルの飢餓やパンデミックが発生した際に、それを避けるにはどうすればよかったかなどと考えるものだ。ところが、人間一人のできることはたかが知れているし、また人間一人が自分の意志や努力を以てしても髪の毛一本白くも黒くもできない。だからと言って知らない他人である聖者やスーパーマンが登場したところで、この価値観が多様化し、自分勝手にして、メリット・デメリットや金や便利に敏い人々が、国家的危難を前もって避けるために、禁欲的にして無欲の努力を毎日繰り返せるとも思えない。またそのような国家的クライシスは、何十年も前に霊界で起こっていた事件が現実化したものであるなどと、したり顔に述べたとしても、追い込まれた現実は何も変わらない。至福千年、すべての人が悟っている時代に...アヴァンギャルド精神世界18年の回顧-5
◎わが身一身で、あらゆる冥想法を試すわけに参らぬことこのブログでは、カテゴリー区分に冥想法の種類を用いてはいるが、肝心の冥想法自体にほとんど深入りしていない。例外的に只管打坐については、古典である普勧坐禅儀の紹介は行っている。それはなぜかと言えば、各冥想法の窮極に至る部分は明かされていないからである。いろいろな冥想法で本当にそれで悟れるかどうかを試すには、自分でその行法の正師について、その瞑想法で自分を死なねばならない。自分を死ぬとは、自殺のことではなく、自我が死ぬということ。悟りに至る様々な冥想法がある。ただ坐る、マントラを唱えて坐る、坐相は固定し雑念は放っておいて坐る、特定の観想を行う等々。複数の冥想法について、それぞれの冥想法で大悟できると述べるには本来自分がその冥想法で大悟する必要がある。だが、人...アヴァンギャルド精神世界18年の回顧-4
◎相としての組織宗教衰退と万人が神仏を知ること古代エジプトの過ぎ越しの頃、悪玉エジプト人は、善玉ユダヤ人を奴隷としていた。神は、圧政を続けるエジプトのすべての初子を撃ち殺すという予告を行った。だが条件がついており、家の二本の門柱とかもいに子羊の血がついていない家には、その災いは及ばないとした。これに従い家に子羊の血を塗ったユダヤ人の幼児は存命し、後のエジプト脱出につながっていく。情け容赦もなく、神の手が人を殺害していくというイメージは恐ろしいもので、人は本能的にそういうシチュエイションでは、救済を必要とする。死後地獄に落ちるというイメージもこれまた恐ろしい心理に追い込まれがちになるもので、地獄に落ちないように生きて、天国、極楽に入るようになるためには、わが宗派に入信しなさいというのは、これまでの組織宗教や...アヴァンギャルド精神世界18年の回顧-3
◎出口王仁三郎私は大本教の信者であったことはないが、大本教の東京本部と亀岡の本部に行ったことがある程度の横好きである。最初に興味を持ったのは『巨人出口王仁三郎』という文庫本を読んでからであって、それから大学図書館で大本神諭の予言に触れて出口ナオ、出口王仁三郎が日本人の生存確率をひどく低く見ていることに暗澹としたものだ。大学生のうちに霊界物語を読んだが、正直言って、全82巻中最後の12巻天祥地瑞の格調の高さは感じられたものの、わかったとは言えなかった。出口王仁三郎は、六度死んでいるわけだが、その後の分析で、高熊山の最初の大悟が極めて重要であって、神人合一(中心太陽突入)したかどうかはわからないが、彼の人生の方向性を決めたのはそこだったように思う。肝心要めの六回の死で、それぞれ何が起こったかについて記録がない...アヴァンギャルド精神世界18年の回顧-2
◎ブログを始めた頃冥想をテーマにしたブログということで、18年前に「アヴァンギャルド精神世界」はスタートした。始めた頃の偽らざる気持としては、時代の存続のため、人類存続のために、生活において冥想が根付くことの一助になれば、ということが動機であった。そして、宗派を超え、無宗派であってもよいが、冥想実践・研究するブログが雨後の竹の子のように殖えて行ってくれればよいなどと思ったのだ。18年たってみれば、そのような超宗教的な冥想の研究、普及を標榜するブログは、わがブログを除いてほとんど見当たらない状態である。勿論特定の一宗派の道を進んでいく宗教ブログも大変結構なことだと考えてはいる。このブログは、一貫してgooでやってきた。初期の頃は、コメントは書き放題であって、削除機能もなかったから、実質的に掲示板と変わること...アヴァンギャルド精神世界18年の回顧-1
◎三国同盟三国同盟は、日中戦争と欧州大戦を連動させ、結局米英を敵国として日本を戦わしめた決定的な事件。大島浩は、軍人にしてA級戦犯となった。2022年9月21日のNHKの番組『昭和の選択「破局への条約三国同盟~松岡外相と影のキーマン大島浩~」』で、最後に昭和天皇が、軍人らのことを下剋上で云々と評していたこと、磯田先生が軍人の爵位への執着について言及していた。曰く半藤一利は、軍人で爵位を取れるのは長州であって、それ以外はうまくいかないという現実が当時はあったらしい。長州でなかったので大島浩は中将にまで成ったが、結局爵位には届かなかった。放送ではこの程度で、この点はあまりこれ以上突っ込まなかった。軍人は爵位をもらうためには、出世を狙う。出世するためには新たな戦争を起こせば、それがチャンスとなり、戦争は途中不調...人間の評価、勲章、爵位、印可
◎人に知られない(『聖アントニウスと聖パウルス』,1634,ディエゴ・ベラスケスwikipediaから)隠修士パウロスは、3世紀頃の人物。西洋絵画展に行くとよく目にする「聖アントニウスの誘惑」で知られるアントニウスが発見した人物として知られる。※聖アントニウスの誘惑は、悪魔の登場であり、大悟覚醒の直前段階。パウロスは、テーベに生まれ、キリスト教徒に加えられる拷問の数々を見て、砂漠に隠れて修行することを選んだ。町で暮らして発覚すれば、拷問と死が待っているからには、当然の選択の一つである。キリスト教のテキストを見れば、殉教が人生上の主要選択肢の一つだったと考えられていた時代が初期にはあったと思い込まされるのだろう。ところが、生活しながら信仰を維持し深めていく立場からすれば、準備ができないまま殉教すれば、殉教時...最初の隠修士パウロス
◎殉教と大悟エリザベス女王の葬儀を取り仕切ったのは、カンタベリー大司教。イギリスがカトリックから離脱して英国国教会になる以前、カンタベリー大司教がカンタベリー大聖堂内陣で、四人の騎士に頭蓋を割られて暗殺された事件があった。その大司教がトマス・ベケット。1118年、彼はロンドンのノルマン人の富裕な商家の息子として生まれた。やがてカンタベリーで聖職修行を行い、1154年には助祭長となった。一方で時の国王ヘンリー二世に気に入られ、大法官という世俗職にスカウトされ、やがてカンタベリー大司教に就任。ベケットは、カンタベリー大司教になって、国王の要求を事々にはねつけたことで、命を狙われる危険を感じたことから、1164年フランスに逃亡した。フランスでは、教皇アレクサアンデルの意向により、北中部のポンティニ村のシトー会修...カンタベリーの聖トマス・ベケット
◎すべての人が覚醒に至る時代の前兆1935年、政府による二度目の大本教大弾圧前夜、笹目秀和は、出口王仁三郎から竹筒に入った大本教のご神体を崑崙山に返還してくるように命ぜられた。崑崙山での返還完了まで実に半年を要した。大組織宗教の始末をつけることについて、笹目秀和も考えさせられたものと見える。崑崙山到着直前にさるラマ僧から、「ラマ教はあと30年したらなくなる」と聞いて、大本教もラマ教も隆盛を誇った大組織宗教だが、これはこの二つの教団だけのことでなく、組織宗教全般が終わろうとしていると感じたことが書かれている。ラマ教は、1959年のダライ・ラマのラサ脱出でほぼ終了。今もラマ教徒も教団も残っているし、大本教も教団も信徒も残ってはいるが、スピリチュアリストの目から見れば実質終わったと見たのであろう。カトリックの予...伝統破壊、文化破壊と大衆宗教の衰退は裏腹
◎イギリス人が何かを予感して弔問に24時間並ぶ2022年9月16日、ロンドンのウェストミンスターホールに公開安置されたエリザベス女王の弔問のためテムズ河畔に寒中に並ぶ人々の行列は、24時間待ちの長さに達した。サッカーのベッカムはここで13時間も並んだという。さてロの字あるいはマッソンは何のために大戦を起こすのであろうか。『○艮の金神とユダヤユダヤは神の選民で、艮の金神が道具に使っていられる。ユダヤは悪に見せて善をやるのや。ユダヤは九つのしるしあるものを探しているのだ。ユダヤは十八階級のうち一階級三人。二階級十八人。三階級三十六人。日本人でもユダヤに這入っているが、十二階級以下である。一階級上のことは全然判らぬから、最高幹部の考えていることは判らぬ。ユダヤの仕組で十六魔王を戦争で戦いぬかして倒してしまう。東...パワースポットとしてのウェストミンスター寺院-2
◎ウィンザー城での王族と民衆のコンタクト日本では、未だに外出時のマスクはどこでも必須だが、故エリザベス女王の哀悼に際し、2022年9月10日、エリザベス女王の住まいだったウィンザー城前に何万人も行列している民衆のざっと8割方はノーマスクであった。そして、極めつけは、その並んでいる民草とウィリアム皇太子、キャサリン妃、ヘンリー王子、メーガン夫人が金属柵越しに挨拶やらお礼やら交わしているのだが、その王族側がノーマスクだったこと。これには最初目を疑った。王族たちが、にこやかにノーマスクのリスクを平然と取って、民衆と言葉を交わし握手を繰り返したのだ。マスクのマインド・コントロールとは、このようなものであると、後世において典型例として挙げられるシーンとなるかもしれない。実はリスクがほとんどないものを「リスクがある」...ノーマスクの衝撃
◎戦争に巻き込まれにくかった英国元々は異教の寺院があった場所に建てられたウェストミンスター寺院。パワースポットは、みる目のある人には、宗派を超えてパワースポットであり続ける。ウェストミンスター寺院は、604年ごろエセックスのサエベルフト王がその島にセント・ピーター教会を建てたことに由来する。デーン人の侵入による破壊後に、951年エドガー王がベネディクト派修道院として復興。11世紀前半にクヌート王が修道院近くに宮殿を建て、エドワード懺悔王の時代に修道院と宮殿を壮大に改築した。日本は、日英同盟を経て、対英米開戦に至ったが、戦前の小冊子には、英国でも隠然たる力を持ち続けるロスチャイルド家の来歴の説明がある。『ロスチャイルド家は、一七四三年にマイン河畔のフランクフルトの「ゲットー」(ユダヤ人窟)に一小商人として生...パワースポットとしてのウェストミンスター寺院-1
◎静坐、マインドフルネスなど各宗派で様々な坐法がある。坐法とは、ポスチャー・坐る姿勢だけでなくて、坐る時刻、時間、坐る場所、柔軟体操、呼吸法、どうトランスに入っていくか、三昧に入っていくか、浮かんでくる想念の取り扱い方、坐が終了してからの作法など様々な要素がある。「きくち体操」のような体操でも意識の持って行き方、顔の向け方、観想法(指がまっすぐになりますように、など)をちょこっと入れたり、マスターに適切なポイントでアドバイスを受けないとわからないところがある。いわんや坐法では、イラストあるいは動画と文章の説明があったとしても、わからない部分は残るのだ。事程左様に坐法については、文章、動画、イラストでまともに説明されているのは、只管打坐がほとんどであり、密教・道教・クンダリーニ・ヨーガ系の坐法については、ほ...坐法のいろいろ
◎羊飼い、家畜、乞食(ホームレス)、身体障害者、鍛冶屋の保護聖人スコットランドのエディンバラにあるセント・ジャイルズ大聖堂は、故エリザベス女王が生前プライベートで過ごした町にある大聖堂。ここに彼女の遺体がしばし弔問のために置かれていた。聖ジャイルズは、7~8世紀の人物で、フランス語では聖ジル、ラテン語では聖アエギディウス。中世に人気のあった14救難聖人の一人で、彼の祝日はなんと9月1日。聖ジャイルズは、ギリシア生まれ。アルルなどで超能力で人助けをしながら、ついには南フランスのニーム郊外の深い森で一切の他人との交流を断ち、泉の湧き出る洞窟でたった一人の冥想修行に入った。ここでは、誰も食事を与えてくれる人がいなかったせいか、雌鹿が毎日やってきて、その乳で彼は生命を養った。ところがある日、王の狩りがこの地に行わ...セント・ジャイルズ大聖堂
◎大したことのない人でも成仏できる家はみな杖にしら髪の墓参(はかまいり)芭蕉兄に招かれ家族そろって郷里の墓参りをしたが、かつては子供として参り、また青年、壮年として参った人も自分も白髪になり杖をついていることだ。昨今は、墓のない葬儀、納骨のない葬儀もある由。その場合は墓もない。戦争体験者が元気だった時代には、墓参り、先祖供養が盛んに言われた。墓参り、先祖供養もせんじ詰めれば、各人の愛を掘り起こすきっかけにしようという機会。だから墓なく遺骨なくとも、愛があればよしという立場もある。数ならぬ身となおもひそ玉まつり芭蕉自分などもの数にも入らない大したことのない人間だなどと思ってはいけません、成仏できるのだから。玉まつりは、江戸時代に盛んだった旧暦7月15日の先祖を祀る仏事。人間は、社会では、役所でも民間企業でも...家はみな杖にしら髪の墓参
◎家族制度、秘密結社、そして国家支那の家族制度の続き。大家族制度はやがて秘密結社に至る。『さらに支那人には、同族、同郷、同學、或は同業者なるものの相團結する習慣が、生れて居る。同族は、血縁團體として、同郷者は地縁團體として、その外に同業團體やら、職業團體やら、社會的に、この種同種類のものが相聯合して、團結する習慣がある。これは支那のやうな、國家の統治力の弱い國では、一族一村の自衛上からも、この種の團結が必要となるのであるが、その結果は、頗る變挺(へんてこ)なものとなる。例へば私が、假りに知事になるとか、或は他の役人になつたとすると、そこへ先づ一族相携へて、中には妻妾迄召し連れた食客が、押しかけて來る。同郷者は、同郷者で、何とか云ふ名目で訪ねて來る。同期生は、同期生で、同学であるとか、同校出身であるとか、種...支那の家族制度など-2