住所
香港
出身
ハンドル名
kao_nekoさん
ブログタイトル
香港、小さな場所だと思いきや。
ブログURL
http://kaori-neko.hatenablog.com
ブログ紹介文
香港の過去(歴史)から現在まで彷徨ってます。妄想、現実なんでもあり。斜め上の視点で観察します。
自由文
-
更新頻度(1年)

20回 / 365日(平均0.4回/週)

ブログ村参加:2013/07/28

kao_nekoさんの人気ランキング

  • IN
  • OUT
  • PV
今日 04/19 04/18 04/17 04/16 04/15 04/14 全参加数
総合ランキング(IN) 7,656位 6,946位 6,801位 7,135位 7,833位 8,283位 8,561位 957,132サイト
INポイント 20 10 40 40 30 60 90 290/週
OUTポイント 30 20 40 50 60 50 130 380/週
PVポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
歴史ブログ 68位 64位 59位 66位 72位 71位 78位 4,163サイト
歴史情報 1位 1位 1位 1位 1位 1位 1位 69サイト
海外生活ブログ 348位 313位 317位 333位 360位 373位 376位 34,989サイト
香港情報 33位 33位 32位 33位 34位 35位 34位 595サイト
今日 04/19 04/18 04/17 04/16 04/15 04/14 全参加数
総合ランキング(OUT) 20,987位 19,982位 19,915位 20,241位 20,967位 21,900位 19,387位 957,132サイト
INポイント 20 10 40 40 30 60 90 290/週
OUTポイント 30 20 40 50 60 50 130 380/週
PVポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
歴史ブログ 55位 48位 53位 54位 53位 63位 47位 4,163サイト
歴史情報 1位 1位 1位 1位 1位 1位 1位 69サイト
海外生活ブログ 1,196位 1,145位 1,154位 1,166位 1,188位 1,250位 1,123位 34,989サイト
香港情報 53位 52位 53位 54位 56位 55位 48位 595サイト
今日 04/19 04/18 04/17 04/16 04/15 04/14 全参加数
総合ランキング(PV) 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 957,132サイト
INポイント 20 10 40 40 30 60 90 290/週
OUTポイント 30 20 40 50 60 50 130 380/週
PVポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
歴史ブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 4,163サイト
歴史情報 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 69サイト
海外生活ブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 34,989サイト
香港情報 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 595サイト

kao_nekoさんのブログ記事

  • 明治10年(1877年)琉球人6名が英国船に救助される

    前回、明治9年にフィリピンで助けられた3名の琉球人のお話をしましたが、翌年にも同じようなことが起こります。 琉球・頭間切奥間村の山城筑登之さん(56歳)、安里丹也さん(39歳)、比嘉築登雲上さん(30歳)、加那桃原さん(30歳)、武太山城さん(24歳)、蒲戸島袋さん(24歳)らが、1チーム3人、全部で3チーム(計9名)で、明治10年5月2日に柴を運ぶため、琉球・頭間切奥間村を出発しました。 無事に送り届けたのですが、その帰りの5月22日に大嵐にあいます。船の帆を張るための木は折れてしまい、コントロールを失いました。漂流すること5日間、不運にも3名が死亡。26日に横島(長崎?)付近で一艘のイギリ…

  • 明治9年、外資系企業の苦戦、中国系の台頭。

    明治9年(1876年)9月23日頃の安藤副領事の報告に、当時の香港の経済状況が描かれています。 香港は明治7年(1874年)からずっと景気が思わしくなく、外資系企業は大きな打撃を受け、会社を清算するところも少なくありませんでした。外資系企業が立ち退き、空き家となった洋館には中国人が駐留する外国の汽船会社が入りました。外資系銀行などの大会社だけでなく、ありとあらゆる業種の法人が中国人に押されていったようです。この時、押されていった欧米人の多くは東京やサイゴン(ベトナム)へと移動したとあります。 ちょっと話が逸れますが、当時の町の中心には「香港人」と呼べる人は少なく、中国から流れてきた中国人たちが…

  • 騙されて苦力(クーリー)となった日本人、領事館へ逃げ込む。

    明治9年(1876年)、日本は開国後10年も経っていませんでしたが、日本の交易範囲がどんどん開拓され、それに伴い海外へ出る日本人が増えていきました。外国船の船乗りとなって遠方の海洋に出て行くもの、外国人の召使いになるもの、そして売春婦になるものと様々でした。 海外に出る民間日本人は、当時とても価値があったメキシコ銀貨(※1)を餌に騙されるパターンが多かったようです。海外に出た途端、暴行を受けたり、詐欺にあったりして、右も左もわからない外国で路頭に迷い、物乞いに身を落とす日本人もいたそうです。 当時、東洋人は外国人(欧米人)に半奴隷化され、過酷な労働を強いられるケースもあり、その中には、日本人も…

  • 偽造コイン流通経路。香港の日本領事館の調査。

    新コインがそれほど流通していない時期から偽造コインが出やしないか、日本領事館は戦々恐々としていました。それは旧コインの偽コインが出まくっていたからです。 アモイ(廈門)で偽物の流通が確認されていました。明治9年6月15日頃、当時の廈門領事である福島さんが偽造コイン調査依頼を香港の安藤副領事に送っています。 「明治7年に鋳造された1元銀貨は偽造コインがすんごい数あるやん?これって香港から輸入した銀貨の中に混ざってたから、うち(アモイ)から香港の銀取扱店を訴えさせてもらったことがあるけど、1元銀貨のサンプルを送るから、受け取ったら貴地で偽造コイン製造者がいるかどうか調査してな」 安藤副領事が回答し…

  • 貿易用の新銀貨登場。流通方法を香港で事前調査

    「明治時期 香港的日本人(明治初期における香港日本人)」には貿易用銀貨が新しくなり、流通を始めたことが記載されいています。 明治8年(1875年)2月28日頃の公告第35号に基づき、我が国は新しい貿易銀貨を発行した。新しい銀貨は過去のものと見た目はほぼ一緒で、ちょっと重いだけ。為替レートは古いのは1元/7.176銭で、新しいのは1元/7.245銭。刻印については古いのは「1元銀(※1)」、新しいのは「貿易銀」となっている。 どちらも当時中国中に出回っていた支那大洋と呼ばれる銀貨や香港港元(香港ドル)と概ね一緒でした。 この新しい銀貨は中国やインド、海沿いの植民地エリアで使おうと計画されていたの…

  • 苦力(クーリー)の輸出地「香港」とケネディー総督

    少し話が逸れますが、その昔「苦力(クーリー)」という中国人労働者がいました。 19世紀中期、アメリカ西海岸やオーストラリアのシドニーなどで金脈が見つかったことでゴールドラッシュが起き、中国から多くの労働者「苦力(クーリー)」が香港を経由して「輸出」されていました。 例えば、1848年にアメリカ・カルフォルニア州で金脈が見つかった際、その翌年には大量の中国人労働者の輸出が開始され、1852年には香港から3万人のクーリーを送り込むために44隻もの船がカルフォルニアに行っています。 当時、香港には「苦力(クーリー)」闇市があり、多くのブローカーも存在、労働者のことを「豬仔(ブタちゃん)」と呼び、ひど…

  • 日本領事館スタッフ紹介。香港初の現地採用者!?

    明治9年(1876年)の領事館メンバーが「明治時期 香港的日本人」に載っていました。当時の日本人は安藤さん、小林さん、寺田さんの3人。 今までの報告書に良く出てくる「安藤太郎副領事」は、明治7年7月1日に来港、明治16年(1883年)までの9年間、香港にいることになります。 小林端一書記官は安藤さんと一緒に香港にきています。ところが小林書記官は体を壊して、明治8年に熱海へ温泉療養し、その後、2ヶ月ほどで香港に戻るも、明治9年4月25日に当時の外務大輔(外務省)の鮫島尚信さんより小林書記官に帰国命令が出て、6月20日に香港を去ります。 寺田一郎書記官は明治8年6月10日から香港に着任。明治9年7…

  • 琉球人フィリピン漂流記。香港の日本領事館で語られる物語(後編)

    前回のお話 : 嵐に巻き込まれた琉球人4人。1人が亡くなってしまうが、3人はなんとかフィリピンへ上陸。自分たちがたどり着いたのは台湾だと思い込んでた琉球人、上陸後に現地人を見つけるも、台湾で起きた「宮古島島民遭難事件」を思い出し、恐怖に震えます。 「助けてくださいっ!」とうずくまり命乞いをする2人。 牛を連れた男はどうやら2人の言わんとすることがわかっただけでなく、漂流民だと気付いたようでした。2人はこの男が危害を加えそうにないと判断し、自分たちが乗った小舟まで案内、その男に動けなくなった仲間を助け出してもらいました。 なんとか助かった3人は次の日、小舟に乗せられ同じ島の違う村に連れて行かれま…

  • 琉球人フィリピン漂流記。香港の日本領事館で語られる物語

    明治9年(1876年)8月6日、香港にあるスペイン領事が日本領事館を訪れました。何の用事かと思いましたら「うち(スペイン)の植民地のフィリピンに日本人3人が漂流してきたから保護しててん。お渡しするな。」とわざわざ3人を連れてきてくれたのです。安藤副領事は「いや~、ほんまありがとう!」とお礼を言い、早速その3人に会いました。 助けられた3人は琉球人。困ったことに琉球語がわからない安藤さん、全く会話が成り立ちません。「え~、話できへんやん。どうしよう。。」と困っていた時に、鹿児島県出身の宮田五郎左衛門忰甚助さん(以下:忰甚助さん)(※1)という人が通訳ができると聞きつけ、早速きてもらいました。忰甚…

  • 日本海軍士官、イギリス軍艦に乗る。領事館は進捗チェック!

    「明治時期 香港的日本人(明治初期における香港日本人)」に、明治初期の日本海軍についてこう書かれています。 「明治元年、うちの海軍の貧弱さと言ったら、言い訳というか何も言われへんほど確かな事実。もうホンマ仕方ないからこの事実をちゃんと認識して、実力を高めるためにイギリス海軍から勉強する事にしたわ。せやな、例えばうちの若くて優秀な海軍士官はイギリス軍艦に乗って、いろんな事、勉強してるで」 例として「伊月一郎」さんが挙げられています。彼はイギリス中国艦隊の旗艦「Audacious」へ乗船。その船が香港へ入港した際にジョンストン(Johnston)艦長と伊月さんは香港の日本領事館を訪問し、安藤副領事…

  • 明治8年)在香港日本領事館の引越し、日本人の人数

    在香港日本領事館は開設してすぐに「そもそも領事館は必要なの?」との存在の危機に直面していましたが結局「香港の日本領事館は必要」と判断され、明治8年2月12日に現ヴエルブの部屋から、アレキサンドラ・テラス(Alexandra Terrace)3號に引っ越しました。 これだけはっきりと住所が残っているにもかかわらず、場所がどこなのかわかっていません。本では翻訳者のコメントで「中環(セントラル)のエスカレーター辺りで便利な、商業エリアに近いところだっただろう」と記載がありました。またネットで「アレキサンドラ・テラス(Alexandra Terrace)」を調べたところ「Old BaileyからShe…

  • 日本領事館、また海軍の尻拭い?百貨店から請求書届く。

    嵐が過ぎた約2ヶ月後の11月15日に、軍艦「日進号」が突然入港してきます。「アモイから台湾へ行く途中に嵐に遭い、風に流され香港まできた」が原因だったようです。台風が軍艦を流してしまうほどひどいものだったことがわかりますね。幸いにして乗組員にけがはなく、船も目立った破損はなかったようです。ただ軍艦には物資がほとんどなくなっていたため「日進号」は香港で物資調達し、到着2日後の11月17日には台湾へ向けて出発していきました。 するとその後、「Lane Crawford(レーン・クロフォード)」(現在でも高級でおしゃれなイギリス系デパートとして超有名!)から4元50銭の請求書が領事館に送られてきます。…

  • 香港を襲う巨大台風、日本のご婦人が海へ落ちた?

    領事館の記録には1874年に香港を襲った台風の記録が残っています。香港のメディアでも「香港で初めて記録が残っている台風」として紹介されています。 「明治時期 香港的日本人」によると明治7年(1874年)9月22日の午後8時より暴風雨になり、それは次の日の朝5時まで続きました。この台風で香港に停泊していた4艘の汽船が沈没、帆掛船の被害数は時間を追うごとに大きくなり、ましてや中国の小舟は数え切れないほど破壊・沈没しました。また香港だけでも5,000人(※1)が死亡、石澳・土瓜灣などの村は壊滅、筲箕灣(シャウケイワン)・油麻地(ヤウマテイ)のお寺は吹き飛ばされ、香港仔(アバディーン)やその他の埠頭の…

  • 台湾出兵と香港領事館に売り込みにくる外国人

    アメリカ人のリチャード・ルジャンドルが日本に肩入れしすぎてアメリカ・イギリスが猛抗議をしましたが、もちろん清朝もすごい危機感を抱いていました。実は、ルジャンドルが日本が台湾侵略に成功した後、貿易の利益をアメリカで独占し、ゆくゆくは植民地にしようと企んでいたことを聞きつけていたのです。清朝はその事を理解していたので必死に止めようとしました。 清朝の有名な政治家「李鴻章」は日本の台湾侵略計画論を唱え「日本はアメリカ人を頼みとしている。もしアメリカが自分たちの人間や船を引き揚げたら、日本は兵を撤退するだろう」と発表、それを聞いた清朝は正式にアメリカへ抗議をします。一方、アメリカは清朝との話し合いのた…

  • 日本の征台論、香港でわかる「欧米諸国」の色めき

    領事館資料をまとめた「明治時期 香港的日本人」によると1874年は春日丸(http://kaori-neko.hatenablog.com/entry/2019/02/18/220831)をはじめ、色々な事が起こっていたようです。 当時の副領事である安藤さんの報告書(7月2日)には当時の欧米諸国の反応が描かれています。 「香港と広東省にいる西洋人は『日本の出兵が正しい事かどうかについてはひとまず置いといて、もし台湾が日本に属することになったら!って考えたら、物(台湾の資源とか?)の輸出ができるようになるから、えぇ事やって思ってる。』と。こう言われるのは(日本にとって)めでたいことやと思います。…

  • 台湾での悲劇「宮古島島民遭難事件」と清朝の問題発言

    「宮古島島民遭難事件」は明治4年(1871年)に起こりました。沖縄の人は知っていると思いますが、日本本土でこの事件って授業で習いましたっけ?覚えてないなぁ。。日本が国際的に目立つキッカケを作ったんじゃないかと思うほど重大な事件だと思います。 当時の背景を簡単に説明すると明治4年(1871年)は沖縄はまだ「琉球王国」で、翌年に「琉球藩」になります。台湾は清朝管轄でした。ちなみに香港領事館ができるのはこの2年後です。 「宮古島島民遭難事件」は、琉球王国に年貢を納めに行った宮古島の船がその帰り道に嵐にあって遭難、台湾へ流れ着いたところから始まります。 船に乗っていた69名のうち、3名は溺死、残り66…

  • 有名軍艦「春日丸」が香港にやって来た!日本領事館は尻拭い(涙)

    軍艦のことは全く知識がないので「春日丸」でググったら、萌えキャラでてきた!有名な軍艦だったのですね! 春日丸は薩摩藩がイギリスから購入した木製軍艦。イギリスは本来、清朝に売るつもりで船の名前も「江蘇艦」だったのですが、清朝が「えー、めっちゃ高いわ、買われへんわ」と拒絶。イギリスが「じゃー、他に売るわ」と行って、インドや日本を模索。 ある日、長崎港に止まっていた春日丸(当時、まだ江蘇艦)を見初めた薩摩藩が購入。戊辰戦争(明治政府軍と旧幕府勢力及び奥羽越列藩同盟との内戦)で大活躍したみたいです。 そんなアイドル春日丸は、明治7年(1874年)1月末に香港に到着。記録によると「井上少佐」以下143名…

  • 明治6年の民間日本人の香港居住所を特定か!?

    鎖国をしていた江戸時代が終了してまだ間もない明治6年(1873年)、日本の民間人が香港でビジネスをしていたことが領事館の記録に記載されています。 香港でビジネスをしていたのは「駿浦屋(Sun Po & Company)」、日本本店は横浜本町1丁目で社名は駿府屋太郎商店、香港はその分店だそうです。香港では明治5年10月に開業。住所は「香港中環大街54號」。中環大街ってどこ? 本を続けて読むと「現在(昭和10年/1935年)の中華百貨公司(中華系百貨店)の東2,3件隣の位置にありました。あの辺りはすごい繁華街で人目を引きますね」と大きなヒント。 昭和10年/1935年で該当しそうな百貨店は全部で3…

  • 明治時代)開設2年目にして閉鎖の危機を迎える日本領事館

    領事館ですが、開設後わずか2年目にして存続すべきかどうかの危機を迎えていました。 この本「明治時期 香港的日本人(明治初期における香港日本人)(※1)」によると「適当な人がいない」というのが大きな理由だったようです。 初代の林副領事は、就任後わずか3ヶ月で帰国申請を提出。理由は当時日本で起こっていた外交問題「鮑彦卿事件(※2)」の処理で帰る必要があったようですが、1873年9月19日に横浜へ到着するも同月23日に突然、病気で亡くなっています。 その後、明治政府は次に樋野書記官を派遣、しかし彼は元々3ヶ月の短期の約束だったのと、病気になってしまったのとで「早く日本に帰りたい」と訴えます。政府側は…

  • 明治時代の香港にいた日本人〜どこにあったかわからない初めの領事館

    香港の書店はどこも必ずと言っていいほど、日本の歴史本コーナーがあります。 そこで「明治時期 香港的日本人(明治時代 香港の日本人)」という本を見つけました。これは、香港人の方々が在香港日本領事館の記録を元に、中国語にまとめた本のようです。読んでみると大変興味深く、この本の存在を日本人が知らないのはもったいないと思い、気になる箇所を抜粋してみることにしました。 ・どこにあったかわからない初代領事館 在香港日本領事館(以下;領事館)は今から遡ること146年前の明治6年(1873年)に開設。 領事館がどこにあったかというと、実ははっきりとはわかっていません。賃貸契約書は存在し、それによると「ヴエルブ…

  • 香港普通選挙と鹿と馬(馬鹿ではないです)

    香港「真の普通選挙」を求める活動は今も続いています。 さて、真剣な、大変真剣なテーマのはずなのですが、 いつもどこかユーモラスにしてしまうのが香港人の国民気質なんでしょうね。 今回は立法会(立法審議会)で「馬」の文字が書かれた鹿の紙が持ち込まれました。 これは中国の四文字熟語「指鹿為馬(鹿を指して馬とする)」をもじっています。 これは権力を背景に事実を歪曲すること、白を黒にしてしまうこと、を指します。 香港政府が4月に「とりあえずやってみよう(袋住先)」と差し出した 普通選挙の草案は,結局はごく一部の人しか立候補ができず、 その立候補者も事実上、中国寄りの人しかできないんじゃないか?と 疑問を…

  • おしゃれ!香港地下鉄(MTR)

    香港の地下鉄の壁はおしゃれなんです。 新しく出来た駅や改装されたところはダメなんですが、 昔のままの所は可愛いんです。 何が可愛いかというと、百聞は一見にしかず。 お写真をご覧あれ! 小さなタイルが貼られた壁です。 主要な駅と思われる所は2パターンの色があります。 香港は駅事に色が違っていて(似ている所もあるけど)、 香港人は「色を見るとどこの駅か分かる!」とのこと。 黄大仙、藍田(藍は中国語で「青」)や彩虹は分かりやすいな。 金鐘は乗り換え駅なので、頻繁に利用するため色を覚えました。 水色が見えると慌てて降りる! まだ撮れていない駅もありますが、可愛いタイルの壁は少なくなって 鉄板(?)みた…

  • 中国と香港って一緒なの?違うの?(その1)

    中国大陸のネットをウロウロするのに、はまっている今日この頃です。 中国のビジネスサイトとか、ブログで香港のことをあぁだ、こぉだと説明しているのがいっぱいあって、それを見ながら「中国ってそういう規制あんの?」とか思うこともあったり、香港の良さを再認識したり。 昨年、香港では100日間に及ぶ「真の普通選挙を訴える」運動、今年は香港のショッピングモールで「運び屋」を追い出すデモなど、色々あった香港。香港人の大陸嫌悪はまだまだ続き、 一方、中国に住む中国人の友達や知り合いからは「香港って中国なんだから、ギャンギャン言わないでほしいわよね」とのコメント。 嫌われれば、嫌いになる感情は自然だけど、相互依存…

  • 「禁猫令(市場での猫禁止)」に見る香港政府の態度

    先日、九龍城の市場に「禁猫令(猫飼育禁止令)」が出されたお話をしました。 とある香港人コラムニストの方がこんな事を書いていました。(以下、コラム内容) 今回、九龍城の猫飼育禁止令に対して市民が大きな不満を表したのには、政府の処理の仕方に問題があると思う。 まずは1つ目。今いる猫達をどこに移すのかってこと。 2つ目は、九龍城市場は香港の中でも特に鼠の問題が深刻なエリアであるにも関わらず、猫達がいなくなった後の鼠対策について十分な説明がされていないこと。 (※花屋にて) 食物環境衛生署が衛生面から猫達をはじめとする動物を入れたがらないのは分かるし、そういう意味では今回の措置は「道理のある」事だ。け…

  • 香港市場(いちば)で「猫」禁止令が発令!?猫、失業?

    今回は大変な記事を発見! 香港の九龍城街市(市場)で「禁猫(猫禁止)」の張り紙を出されました。もし猫を籠に入れていないと政府に連れていかれることになる!? 以前、市場で働く猫さまをブログで紹介しました。香港市場の猫は、ただのペットではなく「鼠取り」を目的として飼われている立派な職業猫です。 香港の街を歩いていると市場やレストランなど残飯が出るエリアには鼠が出没しているのを見かけます。そんな鼠から商品を守るのが猫さまのお仕事。市場では、猫が商品を傷つけることなく、それどころかちゃんと鼠から守っているのに、「猫がいなくなったら、鼠による被害が増えるじゃない!」と心配の声が。猫さまの存在で鼠からの被…

  • 「進撃の巨人」と「香港」の類似点

    日本で大人気の「進撃の巨人」。 実は香港でも大人気です!現在、旺角のLangham PlaceでPop Upストアが出されていて香港人ファンが押し掛けているんです。 さて、今日は「進撃の巨人」を特別に感じながら見ている香港人がいると言うお話です。 進撃の巨人をご存じない方に大まかなあらすじを。 繁栄を極めた人類の前に、突如として出現した「巨人」。この巨人は人類を補食するため、人類はあっという間に絶滅の危機に。そして高さ50メートル、厚さ10メートルの巨大な3重の城壁を築き上げ、人類はその中で生き延びていく。 そしてその城壁が築かれて約100年後。巨人の恐怖を忘れかけた人類に再び危機が訪れる。大…

  • お金が全てじゃない!投資移民ビザの凍結

    19日の人民日報海外版で「香港はなぜ投資移民に対し態度を変えたのか」と言うコラムが出されました。人民日報といえば、共産党の機関紙。海外版とは言え、香港の様子を冷静にとらえ、中国大陸人の投資に対して苦言を呈した内容は意外な気がしました。 私が読んだ印象では、このコラムで、本来投資というものは経済の発展、貢献を考えて行うべきものなのに、後さき考えず、自分のやりたいようにやった金持ちのわがままが生んだのが今回の「後果(良くない結果)=香港人が住めないほどの不動産バブル」だと言っています。 しかし、このビザが施行された2003年当時、SARSの後で経済がどん底だった香港は海外からの投資を欲していたのも…

  • 今の香港はどんな感じ?施政報告2015(2)

    施政報告、続きです。 正直、冒頭だけで疲れてしまったので、気になるところだけピックアップしました。 今回は去年のように「人口島を作ります!」みたいな突拍子もない事は載っていなかったです。 あっ。。今年の冒頭はこれ以上に度肝を抜かれましたけれど。 さて、やはり気になるのは「不動産、高いよね?」の問題。 政府もそこは分かっているらしく「香港居民が購入できるアパートをつくります!」と宣言。 「不動産価格は高騰し、若者は家を買えず、家賃の高騰に中小企業も苦しんでいる」 その理由は「香港は土地が足りないのではなく、土地の開発が進んでいないのだ!開発をしようとした時期に、アジア通貨危機が起こり、香港の経済…

  • 「一国二制度」と「基本法」の解釈/2015施政報告

    とうとう出ました!香港2015施政報告。 これを読めば、香港政府が今後何をするのか、何を考えているのか一目瞭然!なので、個人的には「暫定未来報告書」と呼んでいます。 早速見てみましたが、冒頭で内容満載でした。 さて、どんな内容でしょうか? 香港は「一国二制度」の上で成り立っているが、認識に少し相違があったようである。 香港は「高度な自治」を有するのであり、「絶対的な自治」を有するのではない。高度な自治は意のままに政治を行うことではない。 《基本法》は中央政府(以下、中央)及び香港政府の関係を具体的に規定している。香港の権力は中央から《基本法》を通して香港に授けられたものである。 「一国二制度」…

  • 日清(甲午)戦争の展示に想う

    香港海防博物館で、日清(甲午)戦争の特別展示がありました。 展示物には結構、日本の物があり、正直驚きました。 日本で発行された風俗雑誌(戦争の様子が書かれている)、日本軍の制服、明治天皇の肖像、日清戦争の様子を書いた記者の手記。 手記を見ていると良く出てくる言葉が「毎日戦争」「砲撃」「沈没」「即死」「重傷」。傷つくのに、日本も中国もありません。 日本でもこんな展示してるのかなぁ。今まで気にしていなかっただけかなぁ。。事実として、淡々と紹介する展示があってもいいと思うのだけど、こんな事するとややこしい事になりそう。。 下記は、日清戦争が終わったという明治天皇の詔。総理大臣は伊藤博文。 こういう展…