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ブログタイトル
香港、小さな場所だと思いきや。
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http://kaori-neko.hatenablog.com
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香港の過去(歴史)から現在まで彷徨ってます。妄想、現実なんでもあり。斜め上の視点で観察します。
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12回 / 365日(平均0.2回/週)

ブログ村参加:2013/07/28

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kao_nekoさんの新着記事

1件〜30件

  • ヘネシー総督、日本へ行く

    香港のヘネシー(Sir John Pope Hennessy)総督は、大の日本好きで知られていました。そんな「I ❤️ JAPAN」なヘネシー総督が、安藤領事に「日本に訪問したい」と言い出しました。この頃は日本の銀貨を、法定通貨にできるかどうか奔放していた時期でしたので、安藤領事はめちゃくちゃ喜びます。 Sir John Pope Hennessy 安藤領事は早速、日本の外務省に連絡、日本政府も「熱烈歓迎」の意思を伝えます。「明治時期 香港的日本人(明治時代 香港の日本人)」によると、日本側がかなりノリノリで、安藤領事も日本政府も「いつ?いつ?」とヘネシー総督に詰め寄っています。言い出しっぺの…

  • 日本人、日本領事館に詐欺をする?(最終回)

    前回の話:http://kaori-neko.hatenablog.com/entry/2019/12/29/235246 常吉の供述によると、以前現れた3人の説明も嘘ばかりではなさそうです。 「昨年明治11年(1878年)12月28日に、僕は横浜に泊まっているアメリカ汽船「東京丸」で石炭運びの下働きをしていました。仕事が終わった後、出口が分からなくなり、次の日にでも下りればいいだろうと考えていました。そこで船の上でボーッとしていたところが船が出航してしまったので、甲板にいた船の士官にその経緯を話しましたところ『来年の1月6日に香港に着くから。お前一人やったら、こっそり船に乗せて日本へ連れて帰…

  • 香港人の新型コロナウイルス・ギャグ

    香港人は社会的危機が起きると、いつも抜群のジョークを飛ばしてくれます。最近教えてもらっためちゃくちゃ面白い話を1つ。 神様が天界に集まって定例会を開こうとしています。 玉帝大帝(とっても偉い神様):千手観音がいないけど、どうした? 部下:手洗いが終わってないみたいです。 玉帝:四面仏(顔が4つある仏様)は? 部下:マスクが足りないみたいです。 玉帝:二郎神(おでこに第三の眼がある神様)はどこだ? 部下:第三の眼を覆う防護メガネが見つからないそうです。。 玉帝:(面白くなさそうに):じゃぁ、誰も来ていないのか? 部下:関公(※)は顔が赤く、発熱かもしれないと自宅隔離しています。 三蔵法師は西にお…

  • 香港人ギャグ炸裂。映画「ビルサイト」?

    社会的な問題が起きた時、香港人のギャグとして昇華する様はいつも舌を巻きますが、今回は、ベースとなるトピックを選ぶセンス、そして作り上げた作品のクオリティの高さに喝采でした。 私なりに解読して見ました。 ・タイトル「VIRUSITE」 ウイルス(Virus)とオスカーを受賞した韓国映画パラサイト(Parasite)の造語。パラサイト(寄生虫)は一体誰のことでしょうね。 ・「習近平」 もちろん主役ですね。きっちりマスクをして、しっかり立っています。「中国政府をあげてウイルスと闘う!」と言ってから、2月10日までは全く音沙汰がありませんでした。存在感がありながらも、沈黙している様子はまさにそのまま?…

  • 武漢肺炎について。今の日本にできること。

    私がずっと注目してる中国人弁護士:陳秋實。 彼は公平公正、そこから来る正義をとても大切にしている人で「なぜ香港でこんなデモがおきるのか。貧富の差が原因の一つと言われるが、本当のなのか?」と自分の目で確かめるべく、2019年8月に香港デモを取材。案の定(?)強制送還を喰らい、その後は中国当局から、彼のあげた投稿を故意に順位を落とされたり(ネット民の反応が全くないのですぐわかるそうです)、彼の名前や写真があると削除されたりと色々嫌がらせを受けているそうです。(今はyou tubeやtwitterで情報を拡散しています。) 現在、武漢で取材を敢行。おおよそ1週間が経ちます。日本への訴えがあります。 …

  • 香港人気ドラマ「黒市(Dark City)」

    今期、私がハマりまくっている香港のドラマ「黒市(Dark City)」。 一話完結のホラードラマなのですが、どの回も人の愛(家族愛、夫婦愛、師弟愛)」がベースになっていて、胸を打たれるものがあります。 それに、今の一般的な香港の生活や社会の苦悩がしっかり織り込まれていて見ごたえ満点。今の香港を知りたい人には超おすすめです。 (問題は字幕が中国語のみ、英語なしというところですが。。) 今のところのおすすめは、第4話「嚇親萬理通」。 タイトルは「脅かしマイル」と言った意味でしょうか。死んだ人間が生まれ変わるために、生きている人間を脅かしてマイル(点数)を貯めて、多く溜まったら早く生まれ変われるとい…

  • ・日本人、日本領事館に詐欺をする(其の三)

    長吉の件から1ヶ月後の明治12年(1879年)4月17日、前田源之助という人物が現れました。聞くところによると福島県巌城国標葉郡之荘の村民五右衛門の次男だと言います。ここにたどり着いた経緯は以下の通りでした。 「僕は明治10年(1877年)から横浜の外山要次郎の家で住み込みの下働きをしておりました。今年の2月に横浜に泊まっていたアメリカ汽船「東京丸」に乗船しました。とても疲れていたため、乗船した途端、眠ってしまいました。出発前に降りる予定でしたが、気が付いたら出航していて海の上にいました。その船の士官が『1月4日に香港に着いたら、領事館に行けばいい』と言いました。 船の上で「阿元」という中国人…

  • 日本人、日本領事館に詐欺をする(其の二)

    さて日本領事館に助けを求めてきた加藤金次郎が香港から上海行きの船に乗船したはずにもかかわらず消えてしまししたが、それから約2ヶ月後の明治12年(1879年)3月23日に下総国葛飾郡新川村の村民で、横浜清正公前住吉町2丁目4番地魚屋((※1)の竹中長吉が、香港の日本領事館に現れました。そして本人の自己申告によると以下の詳細がわかりました。 「僕は明治11年(1878年)12月27日に横浜に泊まっていたアメリカ汽船「東京丸」に乗船しました。その時は松影町2丁目2番地の忍野常松のところで下働きをしておりましたが、とても疲れており、乗船した途端、眠ってしまいました。出発前に降りる予定でしたが、気が付い…

  • 日本人、日本領事館に詐欺をする?(其の一)

    明治12年(1879年)1月30日、加藤金次郎(東京神田辦慶橋(?)松枝町1-2 医者加藤徳兵衛の次男、当時22歳半)が突然、領事館に現れました。本人の自己申告で、以下の経緯がわかりました。 「僕は明治11年(1878年)12月27日に横浜に泊まっていたアメリカ汽船「東京丸」(※1)に下働きとして乗船しました。出発前に降りる予定でしたが、船での仕事がきつくって、つい、うとうとしてしまったんです。気が付いたら出航していて海の上にいました。慌てて甲板にあがり、船員に伝えたのですが『香港着いたらおりぃや。陸に降りてから考ぇ』と言われました。とはいえ、一文も持ち合わせていなくどうしたもんかと、途方に暮…

  • 軍艦「清輝丸」の料理人が失踪!井上良馨、落ち込む。

    日本の軍艦「清輝丸」がヨーロッパへ行く途中の明治11年(1878年)2月3日と、日本への帰路の途中だった明治12年(1879年)3月10日、香港に立ち寄っています。 明治12年2月2日、「清輝丸」が彼南港(ペナン港)へ停泊した際に料理人の吉崎万吉が突然失踪したそうです。軍艦内はもとより、陸地やありとあらゆる手段を使って探したらしいのですが、全く行方がわかりません。最終的にはおそらく海に落ちてしまったのだろうと、海底調査も数回、行われましたが結局何もわかりませんでした。 一人の部下を失ったことに井上良馨は責任を感じ、その後も何度も調査を行ったとあります。その5日後の2月7日に井上良馨は、仲が良か…

  • 明治11年、日本領事館の移転先

    明治8年(1875年)2月12日からアレキサンドラ・テラス(Alexandra Terrace)3號に構えていました。毎月の家賃は95元とわかっており、一番初めの住所では120元も取られていたのでかなり安くなっていたようです。ただアレキサンドラ・テラスは商業エリアだったため、大家が家賃値上げを要求、安藤領事は交渉したようですが、大家が頑として譲らなかったため、やむなく引っ越しとなりました。 このあたりの事情、100年以上たった今でも全く同じです。香港はそもそもでそういう土地柄なんですね。切ない。。 さて引っ越しを決意した日本領事館ですが「いいところが見つからん!」とかなり苦戦したようです。(こ…

  • パリ万博メンバー、大工から百姓まで。香港に立ち寄る。

    明治11年(1878年)5月20日~11月10日に開催されるパリ万国博覧会に参加する日本メンバーが、パリに行く途中に香港に立ち寄った記録があります。 明治11年2月18日に世界博事務局長の松方大蔵大臣率いるメンバーが香港に来ました。総人数は書かれていませんが、日本館の大工、瓦造り職人や百姓まで相当の人数が一度に香港へ上陸。日本領事館はホテルのアレンジに苦労したようです。 記録によると、一行を「法蘭西酒店(France Hotel)」へ宿泊させようとするも人数が多すぎ、「香港大酒店(Hong Kong Hotel)」「東方酒店(Oriental Hotel)」やその他のホテルへと振り分けました。…

  • デモに溢れる香港ユーモア

    6月16日に行われた「逃亡犯条例改正案反対」デモの参加者は、主催者発表によると200万人となり、香港人口の26%が参加した計算となりました。9日に行われた103万人をはるかに超える規模でした。ところで警察発表ははるかに少ない33.8万人。主催者発表よりはるかに少ないのはいつものことですが、街の人のあふれ方や交通規制などを見るとそれは少なすぎるなぁという感覚がありました。 そう思っていたら、facebookで見つけた一つの画像。警察発表の疑問を一発で吹き飛ばす、香港人らしいユーモアに溢れていました。 6月16日のデモ人数。警察発表への疑問。 写真(上)年末ニューイヤー花火の観客数:35万人(警察…

  • デモのスローガン「反送中」ってなぁに?

    昨日(9日)は103万人もの人が「逃犯条例の改正案反対」デモに参加しました。世界中で報道されたので知っている人が多いかと思います。ちなみに警察発表は24万人でしたが、いつも主催者と警察の発表は大きな差がありますので「香港あるある」です。 さて話を戻しまして「逃犯条例の改正案反対」について軽くご説明いたします。現在の条例では、中国や台湾で犯罪を犯した人が香港に来た場合、犯人を相手側に引き渡すことができません。 そこで政府は条例を改正して、引き渡せるようにしようとしています。 きっかけは2018年に台湾で起きた事件でした。若い香港人カップルが台湾旅行にき、男が女性を殺害。男はそのまま香港に帰ってき…

  • 三井物産の香港会社がオープン!事務所は誰もが知るあの場所!

    新しい日本の貿易銀貨を広く流通させるために政府に協力することになった三井物産。こちらも着々と準備が進み、明治11年(1878年)8月17日に香港会社が正式開業しました。 開業場所は「畢打街7號(7 Pedder Street)」、Google Mapで調べるとセントラルにある高級ショップばかり入ったモール「LandMark(ランドマーク)」でした。あそこは今も昔も一頭地。いい場所に出たんですね。 ランドマーク外見 実は当時、開業したのは三井物産だけでなく、「広業商会」という会社も同じ年の11月に香港会社をオープンしています。私たちのほとんどが「広業商会」という会社名すら知りませんが、この会社は…

  • 【香港:Mount Davis Path】日本軍の幽霊が出る心霊スポット

    香港には日本軍の幽霊が出るというスポットがいくつかあります。 その中でも有名な場所に、香港島の西にある「Mount Davis Path(マウント・デイビス・パス)」があります。ここは第二次世界大戦時代の遺跡「砲台跡」が何箇所にも残っています。山は標高269mほどの低い山ですが、登って行く道すがらに幾つか砲台跡があり、頂上には砲台跡だけでなく、爆弾を保管していたと思われる建物、キャンプができる空き地などがあります。 Mount Davis Path-爆弾格納庫 今は緑が豊かで海が望め、静かでキャンプも楽しめる場所ですが、ここは第二次世界大戦争時代の1941年12月、日本軍が攻めてきた時にイギリ…

  • 日本の銀貨を法定通貨に。ライバルはアメリカ!?

    香港政府と香港の有力銀行の反応が思ったより良く、大喜びの日本組ですが、アメリカも自国の銀貨を香港で法定通貨として認めさせたいと動いている件にかなりピリピリとしていました。 三井物産の執行さんが調べていくうちに、香港のヘネシー総督はアメリカ銀貨を香港で流通させるのにかなり消極的だとわかってきました。アメリカは北京にいるアメリカ公使を通じて再三再四プッシュを入れてたようですが、アメリカ・フランス及びモスクワの銀貨について同時に処理するのは難しく、その他にも色々問題があり、あまり触れたくなかったようです。(アメリカ以外にフランスやモスクワからもオファーが来ていたのでしょうか?)そこで当時は特にどこに…

  • 日本の銀貨を法定通貨に。香港政府と3大銀行へ乗り込み!

    お金も香港に送ってこられ、三井物産の設立も着々と準備が進んでいましたが、あとは使うだけ!と言う訳には行かなかったみたいです。当時、明治政府は「小額銀貨とは言うても、広範囲で流通させたいから、香港政府に『法定通貨』として認めさせたい!」と考えていました。 そこでイギリス人ピットマン(Pitman)さんが早速、当時の香港総督ヘネシーさん(Sir John Pope Hennessy)(※1)に非公式で会い、日本の新銀貨を法定通貨にしたいと伝えます。その後、すぐに安藤領事もピットマンと一緒にヘネシーさんの元を訪れ、安藤領事は、新通貨の特徴などを説明、且つ「日本国としてはまだ正式に『法定通貨にしてこい…

  • 貿易通貨を送る準備する日本。受け取り準備をする香港。

    日本の貿易銀貨を香港で流通させるために重要な人物ピットマンは、中国貿易で活躍したイギリス人ですが、当時明治政府に雇用されるなど日本と深い関係がある人物です。ピットマンは香港に来て日本の新銀貨流通のため、香港政府や東洋銀行(※1)に働きかけたり、香港・広東省エリアのマーケット規模を調査したりしています。 広東の税関局長にあった際には、香港経由で大量のアヘン(阿片)が密輸されているのを知ります。(合法アヘンがあった時期なんですねぇ)当時広東省に流れていたアヘンの2/3もが密輸だったそうです!この点については、その後香港総督に「ちゃんと取り締まって税金取れば儲けまっせ」とアドバイスしています。 ピッ…

  • イギリス船で日本人労働者が虐待される?領事館が調査

    明治10年(1877年)8月9日、永野由松さんと渡辺角太郎さんが領事館にやってきました。 彼らの話によると、イギリス船(帆船)の船員になり横浜から香港へ来ました。ところが船内で虐待がひどく、耐え切れなかった二人は香港に到着後、船長ときちんと話し合いを行い、契約を破棄し香港で船をおりました。しかしそこでもらった賃金は、乗船前に話し合った金額と程遠く、二人は日本へ帰るだけの費用にもなりません。そこで交渉してもらえないかと領事館を訪れたそうです。 領事館は、船や船長の名前を尋ねますが、二人はそれすら分からないと言い、これでは交渉どころではないありません。そこで領事館は港事務所へ出かけ該当するイギリス…

  • 江戸時代後期、香港にいた日本人

    かなり話がずれてしまいますが、香港に日本領事館ができる前、江戸後期に香港で過ごしていた日本人4名について記録がありましたので、紹介します。 「香港日報」(日本が香港占領時代に発行していた新聞)によると、香港で暮らし始めた日本人は、1846年(江戸末期/弘化2年)、香港がイギリス領になってわずか4年後のことでした。 香港に来た日本人4名は、いずれも漁師で嵐でフィリピンに漂着した後、ポルトガル領だったマカオに送られたようです。ちなみにその4名のうち2名は大阪川丸、1名は肥前(佐賀県)口津、1名は尾張名古屋の人でした。 江戸時代の漁師 香港に来た後、一人は裁縫で身を立て、一人は洋物雑貨屋の店主として…

  • 港初の民間企業「駿浦屋」の倒産と三井物産

    唐突に三井物産の名前が出てきましたが、明治9年から流通開始された新しい銀貨を、明治政府は三井物産と協力し、海外での流通を積極的に行おうと考えていました。しかし日本領事館は「一社だけに任せるのもなんやし、民間企業の「駿浦屋」にも手伝って欲しいな」と考えていました。 民間企業としては香港進出の先駆けである「駿浦屋」さん。 日本領事館はなんとか廃業しないように色々とお願いをしていたようですが、不景気のあおりでとうとう、明治10年(1877年)10月に廃業してしまいます。 安藤領事(明治10年、副領事から領事へ昇進!)がレポートしています。 「長年香港で開業してた「駿浦屋」ですけど、経営が思わしくなく…

  • 明治10年(1877年)琉球人6名が英国船に救助される

    前回、明治9年にフィリピンで助けられた3名の琉球人のお話をしましたが、翌年にも同じようなことが起こります。 琉球・頭間切奥間村の山城筑登之さん(56歳)、安里丹也さん(39歳)、比嘉築登雲上さん(30歳)、加那桃原さん(30歳)、武太山城さん(24歳)、蒲戸島袋さん(24歳)らが、1チーム3人、全部で3チーム(計9名)で、明治10年5月2日に柴を運ぶため、琉球・頭間切奥間村を出発しました。 無事に送り届けたのですが、その帰りの5月22日に大嵐にあいます。船の帆を張るための木は折れてしまい、コントロールを失いました。漂流すること5日間、不運にも3名が死亡。26日に横島(長崎?)付近で一艘のイギリ…

  • 明治9年、外資系企業の苦戦、中国系の台頭。

    明治9年(1876年)9月23日頃の安藤副領事の報告に、当時の香港の経済状況が描かれています。 香港は明治7年(1874年)からずっと景気が思わしくなく、外資系企業は大きな打撃を受け、会社を清算するところも少なくありませんでした。外資系企業が立ち退き、空き家となった洋館には中国人が駐留する外国の汽船会社が入りました。外資系銀行などの大会社だけでなく、ありとあらゆる業種の法人が中国人に押されていったようです。この時、押されていった欧米人の多くは東京やサイゴン(ベトナム)へと移動したとあります。 ちょっと話が逸れますが、当時の町の中心には「香港人」と呼べる人は少なく、中国から流れてきた中国人たちが…

  • 騙されて苦力(クーリー)となった日本人、領事館へ逃げ込む。

    明治9年(1876年)、日本は開国後10年も経っていませんでしたが、日本の交易範囲がどんどん開拓され、それに伴い海外へ出る日本人が増えていきました。外国船の船乗りとなって遠方の海洋に出て行くもの、外国人の召使いになるもの、そして売春婦になるものと様々でした。 海外に出る民間日本人は、当時とても価値があったメキシコ銀貨(※1)を餌に騙されるパターンが多かったようです。海外に出た途端、暴行を受けたり、詐欺にあったりして、右も左もわからない外国で路頭に迷い、物乞いに身を落とす日本人もいたそうです。 当時、東洋人は外国人(欧米人)に半奴隷化され、過酷な労働を強いられるケースもあり、その中には、日本人も…

  • 偽造コイン流通経路。香港の日本領事館の調査。

    新コインがそれほど流通していない時期から偽造コインが出やしないか、日本領事館は戦々恐々としていました。それは旧コインの偽コインが出まくっていたからです。 アモイ(廈門)で偽物の流通が確認されていました。明治9年6月15日頃、当時の廈門領事である福島さんが偽造コイン調査依頼を香港の安藤副領事に送っています。 「明治7年に鋳造された1元銀貨は偽造コインがすんごい数あるやん?これって香港から輸入した銀貨の中に混ざってたから、うち(アモイ)から香港の銀取扱店を訴えさせてもらったことがあるけど、1元銀貨のサンプルを送るから、受け取ったら貴地で偽造コイン製造者がいるかどうか調査してな」 安藤副領事が回答し…

  • 貿易用の新銀貨登場。流通方法を香港で事前調査

    「明治時期 香港的日本人(明治初期における香港日本人)」には貿易用銀貨が新しくなり、流通を始めたことが記載されいています。 明治8年(1875年)2月28日頃の公告第35号に基づき、我が国は新しい貿易銀貨を発行した。新しい銀貨は過去のものと見た目はほぼ一緒で、ちょっと重いだけ。為替レートは古いのは1元/7.176銭で、新しいのは1元/7.245銭。刻印については古いのは「1元銀(※1)」、新しいのは「貿易銀」となっている。 どちらも当時中国中に出回っていた支那大洋と呼ばれる銀貨や香港港元(香港ドル)と概ね一緒でした。 この新しい銀貨は中国やインド、海沿いの植民地エリアで使おうと計画されていたの…

  • 苦力(クーリー)の輸出地「香港」とケネディー総督

    少し話が逸れますが、その昔「苦力(クーリー)」という中国人労働者がいました。 19世紀中期、アメリカ西海岸やオーストラリアのシドニーなどで金脈が見つかったことでゴールドラッシュが起き、中国から多くの労働者「苦力(クーリー)」が香港を経由して「輸出」されていました。 例えば、1848年にアメリカ・カルフォルニア州で金脈が見つかった際、その翌年には大量の中国人労働者の輸出が開始され、1852年には香港から3万人のクーリーを送り込むために44隻もの船がカルフォルニアに行っています。 当時、香港には「苦力(クーリー)」闇市があり、多くのブローカーも存在、労働者のことを「豬仔(ブタちゃん)」と呼び、ひど…

  • 日本領事館スタッフ紹介。香港初の現地採用者!?

    明治9年(1876年)の領事館メンバーが「明治時期 香港的日本人」に載っていました。当時の日本人は安藤さん、小林さん、寺田さんの3人。 今までの報告書に良く出てくる「安藤太郎副領事」は、明治7年7月1日に来港、明治16年(1883年)までの9年間、香港にいることになります。 小林端一書記官は安藤さんと一緒に香港にきています。ところが小林書記官は体を壊して、明治8年に熱海へ温泉療養し、その後、2ヶ月ほどで香港に戻るも、明治9年4月25日に当時の外務大輔(外務省)の鮫島尚信さんより小林書記官に帰国命令が出て、6月20日に香港を去ります。 寺田一郎書記官は明治8年6月10日から香港に着任。明治9年7…

  • 琉球人フィリピン漂流記。香港の日本領事館で語られる物語(後編)

    前回のお話 : 嵐に巻き込まれた琉球人4人。1人が亡くなってしまうが、3人はなんとかフィリピンへ上陸。自分たちがたどり着いたのは台湾だと思い込んでた琉球人、上陸後に現地人を見つけるも、台湾で起きた「宮古島島民遭難事件」を思い出し、恐怖に震えます。 「助けてくださいっ!」とうずくまり命乞いをする2人。 牛を連れた男はどうやら2人の言わんとすることがわかっただけでなく、漂流民だと気付いたようでした。2人はこの男が危害を加えそうにないと判断し、自分たちが乗った小舟まで案内、その男に動けなくなった仲間を助け出してもらいました。 なんとか助かった3人は次の日、小舟に乗せられ同じ島の違う村に連れて行かれま…

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