気持ちのいい季節の中の、特に気持ちのいい1日だ。東京は意外に緑が多い。木漏れ日は、水面のように穏やかに揺れる。小さい舟が静かにパドルを漕いでやってくる。「ひなちゃん」振り返ると、星がひとつ乗ったコンバースのスニーカーがゆっくり歩いてきた。「ハルくん」「何してんの」「見てこれ」「……地面?」「てんとう虫」ハルくんは少し笑って、ところで一緒帰ろうよ、と続けた。「見て、うちスマホ変えた」「おお、最新じゃん」「カメラすごいのよ、これ」「見せて見せて……何これ?」「てんとう虫」「てんとう虫?」「なんか楽しくなっちゃって」「……それ俺ちょっとわかる気がする」「お?」「てんとう虫見つけるとなんか嬉しくなるよね」「でしょ」ハルくんとはなんとなく出会った。なんとなく情報交換をしているうちになんとなく世間話をするようにもなっ...【ショートショート】Paddle
【元気ですか】子どもを若いうちに産んだほうがいい、とはよく言われた。子供を産む前、それは妊孕性や出産リスクの問題だけと思っていた。だが、妊娠や出産もさることながらそれ以上に育児のほうが大部分を占めていることを思い知らされている。「元気があればなんでもできる」なんて格言があったけれど、本当にその通りだった。怪獣もとい2歳児を追いかけまわしていると、元気があれば大体の問題は解決する気がしてくる。いやそもそも問題が問題にならない。元気、ねえ。元気なんてどうやったら出るのかな。筋トレ?栄養のある食事?気持ちの問題?元気印の2歳児の寝顔に問いかける。気持ちよく寝てんなー、なんて思ってると眠たくなってくる。まあ何はともあれ睡眠よね……遠ざかる意識の中、「元気ですかー?!」と声がする。あれは30代頭のなんちゃって老化に...元気があればなんでもできる
生理前の酷い情緒不安定には10年以上、人生の半分は悩まされていた。情緒不安定になって当たり散らす泣き喚くだけならまだいいほう。スイッチが入ると抑鬱と希死念慮の波が襲いかかってくる。死神は28日周期でやってくる。そんな半生だった。死にたくなるきっかけは些細なこと。ゆで卵の殻がうまく剥けないとか、ラップの切れ目が見つからないとか。言葉にすると自分でも可笑しいのだけれど、たったそれだけで絶望してしまうのだ。絶望の数日間を乗り越えて子宮内膜が剥がれ落ちれば、ストンと憑き物もどこかに消える。経血を見て、ああやっぱり生理前だったのか、とそのときは納得する。でも28日経つ頃には忘れてしまう。また自分が自分でなくなってしまう。生理前のあの精神症状がよっぽどきつかったのか、妊娠中や授乳中の生理が止まっている期間は非常にメン...28日周期の死神
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