私は職場でどうしても嫌いな人がいました。 長年コンビを組んで仕事をさせられていました。 担当を替えてもらいたいとは何度も考えましたが、ある特殊な技術を取り扱っていて、このままいくと、ずっとその人と仕事を続けなければならないという状況でした。
成績が悪い子供は一筋縄ではいかない・・・ そんな娘の夢を応援したいと思います。
中学に入って成績が底辺まで落ち込んだ娘が高校生になりました。 うちの子はなぜ勉強しないのか?また、壮絶な反抗期を振り返って、反抗期とは何だったのか?思春期の娘の変化と、揺れ動く私の気持ちの変化、不安、勉強ができない子を持つ母親としての悩みを書き綴っていきます。
【ダブルキャンサー体験記】円錐切除 手術同意書の署名と保証人
高度異形成で円錐切除の手術を受けた人の1割が実際は癌だったという事と、手術説明書の1ページ目に書かれた「上皮内がん」 「初期の浸潤がん」「子宮頸部腫瘍」 ・・・という言葉にショックを受けて、他の事がほとんど頭に入らなかった私は、 「何か質問ありますか?」 ・・・と聞かれて、「今のところ、ありません」と答えました。
【大学生】落ちこぼれ娘の女子大生デビュー 娘のレポートを手伝う事になるか?②
娘は大学の勉強やレポートに関していちいち私に話したり報告したりしないので、いつレポートをやっていて、提出期限がいつなのかはわかりませんが、たまに娘がいない時に換気のために部屋に入るとプリンターで印刷したレポートが部屋に置いてある事もありました。
【大学生】落ちこぼれ娘の女子大生デビュー 娘のレポートを手伝う事になるか?①
娘が大学に入学する前から私が心配していた事は、大学に入学してからもレポートを手伝わされる事になるか・・と言う事でした。
【ダブルキャンサー体験記】円錐切除 「上皮内がん」「初期の浸潤がん」と書かれた手術同意書
長年の中度異形成が高度異形成になったため、2泊3日の入院で円錐切除の手術をする事を決断しました。 手術の日程が決まり、手術の説明を受けました。 そして次に先生が手術同意書をプリントアウトしました。
【大学生】落ちこぼれ娘の女子大生デビュー 大学の授業についていけるのか
娘が大学生になるになって心配だった事は、大学の授業についていけるか・・・という事でした。 せっかく大学に入っても、もし卒業できなかったら、ショックで寝込んでしまうかもしれません。
【大学生】落ちこぼれ娘の女子大生デビュー 娘の血液型が違っていた事が判明
大学に入学してしばらく経過したある日、娘が大学で受けた健康診断の結果を受け取ったらしく、「血液型がO型だった!」と言い出しました。
【ダブルキャンサー体験記】高度異形成の1割は癌・・私には当てはまらないと思っていた
ネット情報などで、高度異形成は前がん病変だとは認識していましたが、円錐切除の手術の説明でいきなり「がん」という言葉が出てきて私はショックを受けました。
【番外編】Facebookで連絡を取っている学生時代の男友達③ 友達のラインを超えようとしてきた夜
私が社会人で、まだダンナと出会う前の話です。 私の実家の隣の駅に引っ越して来た男友達と会い、ワンルームマンションに車で送って行きました。 そして、上がって行かない?と言われ、ちょっとだけ寄る事にしました。
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私は職場でどうしても嫌いな人がいました。 長年コンビを組んで仕事をさせられていました。 担当を替えてもらいたいとは何度も考えましたが、ある特殊な技術を取り扱っていて、このままいくと、ずっとその人と仕事を続けなければならないという状況でした。
ある時、娘の大学で保護者向けの講演会が行われました。 講演会は毎年外部の講師を招いて大学主催で行われていて、Zoomでも参加できます。 土曜日で仕事が休みという事もあって、ダンナと娘の大学に行きました。 高校の時も講演会はありましたが、平日だったので参加できませんでした。
高度異形成で円錐切除の手術を受けた人の1割が実際は癌だったという事と、手術説明書の1ページ目に書かれた「上皮内がん」 「初期の浸潤がん」「子宮頸部腫瘍」 ・・・という言葉にショックを受けて、他の事がほとんど頭に入らなかった私は、 「何か質問ありますか?」 ・・・と聞かれて、「今のところ、ありません」と答えました。
娘は大学の勉強やレポートに関していちいち私に話したり報告したりしないので、いつレポートをやっていて、提出期限がいつなのかはわかりませんが、たまに娘がいない時に換気のために部屋に入るとプリンターで印刷したレポートが部屋に置いてある事もありました。
娘が大学に入学する前から私が心配していた事は、大学に入学してからもレポートを手伝わされる事になるか・・と言う事でした。
長年の中度異形成が高度異形成になったため、2泊3日の入院で円錐切除の手術をする事を決断しました。 手術の日程が決まり、手術の説明を受けました。 そして次に先生が手術同意書をプリントアウトしました。
娘が大学生になるになって心配だった事は、大学の授業についていけるか・・・という事でした。 せっかく大学に入っても、もし卒業できなかったら、ショックで寝込んでしまうかもしれません。
大学に入学してしばらく経過したある日、娘が大学で受けた健康診断の結果を受け取ったらしく、「血液型がO型だった!」と言い出しました。
ネット情報などで、高度異形成は前がん病変だとは認識していましたが、円錐切除の手術の説明でいきなり「がん」という言葉が出てきて私はショックを受けました。
私が社会人で、まだダンナと出会う前の話です。 私の実家の隣の駅に引っ越して来た男友達と会い、ワンルームマンションに車で送って行きました。 そして、上がって行かない?と言われ、ちょっとだけ寄る事にしました。
娘が高校生の時は、お小遣いは月に4000円でした。 洋服などは一緒に行った時買ってあげて、その他に費用はレシート精算制度にしました。 娘がレシートを出した場合は精算して現金をあげるという制度でした。 その他、おばあちゃんから貰うお小遣いもあったし、バイトができなくてボランティア活動をしていたので、その分は月のお小遣いに上乗せしてあげていました。 大学生になって、お小遣いはいくらあげるか悩みま…
私は診察室に入り、手術の説明を受けました。 説明してくれたのは主治医であり、執刀医になる予定の先生です。
娘が大学生になって、女子大生風ファッションをするようになって思ったのは、私が大学生の頃と時代の違いです。
私には学生時代からの男友達がいました。 その友達とは共通の友達がいて、飲み会で一緒になったり、時々電話でだべったり、遊びに行ったりしていました。
1月20日、円錐切除の手術の説明を受けるために、病院へ行きました。 ダンナが朝8時頃会社に行った後、私は猛スピードで掃除などの家事をして、朝9時頃に家を出ました。
娘が高校生の頃はほとんど制服だったし、洋服を買う時は、アウトレットかバーゲンの時に一緒に買物に行き、洋服を買ってあげました。 娘に買ってあげた洋服はほとんどがアウトレットかセール品で、金額は高くても一点が4000円~5000円の服でした。 高校の時は娘は時々私のクローゼットをあさって、私の服や靴を履いて行く事もありました。
娘が実際に通う事になった第一志望(A学科は不合格、B学科に入学)の大学に関しては、ダンナと私の見解は一致しました。
診察の後、術前検査を受ける事になりました。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle …
高校2年生から3年生まで続けていたボランティアでは、できれば大学生になったらバイトとして来て欲しいと言われました。 ==> 高2から続けているボランティア・・大学生になったらバイトとして続けて欲しいと頼まれる 娘は満更でもないような顔でどうしようかなと言ってましたが、実際に大学に入学すると、大学とイベントスタッフの…
娘が大学に入学してしばらくしてから、私は大学選びは間違っていなかったと確信しました。 …
突然の訃報を聞いたのは、幼馴染のEちゃんから最期の電話があって約3ヶ月後でした。 …
2月下旬、卒業式も近づいてきました。 ダンナは、娘の高校の事を「悪ガキ更正施設」と言いました。 高校入学時はかなりの悪ガキで問題ばかり起こしていた娘もかなり落ち着いてきました。
私は不安で悩まされていました。 乳癌の検診の日が近い事もありますが、 ある日、子宮頸がんの異形成のため、「いずれは手術しなければならない」と言われた事を思い出しました。 医師の話によると、手術は2泊3日。
私は、ダンナに「もうすぐ卒業式だねー。」と言いました。 そして、A大学に入れて、本当に良かったと言うと、ダンナは「結局、金の力で何とかなる」と言いました。 お金の力で何とかなると言うのは微妙な言い方だと思いました。 「違う」と完全に否定はできません。
やっぱりショックでした。 よくAO入試で合格したな・・・と思いました。 やっぱりお情けで合格させてもらったとしか思えませんでした。 この学力では、入学してからが心配でした。
2月も下旬に近づいて頃、私は娘の部屋の窓の結露を拭くため、娘の部屋に入りました。 娘はバイトに出かけているようで留守でした。 そこで娘のスクールバッグを覗き込むと模試の結果のような紙がありました。 その紙は、「東進センター分析」と書いてありました。
2月も後半に差し掛かり、心なしか寒さにピークは超えたかなと思った頃・・・ 娘の高校はまだ受験が終わっていない子の対応で忙しいのか、娘の登校は週に1回くらいになっていました。 娘はイベント・スタッフのバイトで毎朝のように朝7時とかに出かけて行きました。 疲れるのか、終わった後は遅くならないで帰ってきました。
3度目の転職、4社目で、ダンナは心の安定と自信を取り戻していきました。 (adsbyg…
高校生活も残りわずかになってきました。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle []…
2月のある夜、娘が「今日からがんばる」と言い出しました。 「ダイエット?」と聞くと、「アイプチを始める!」 娘は、どこをどう見てもくっきり二重です。私よりも二重の幅ははっきりしています。
2月の土曜日・・その日は雪でした。 娘が朝から夜まで家にいる事は月に一度もないのですが、大雪の予報だったのでめずらしく家にひきこもりました。 夕飯はキムチ鍋にしました。 夕飯の後、娘が「これにサインして」と何やら紙を出しました。
私は2月は寒くてあまり好きではないのですが、卒業式が近づいて高校を卒業してしまうのが寂しくて仕方ありませんでした。 娘は時々学校に行ったり、時々朝からイベントスタッフのバイトに行ったりするような生活でした。
1月下旬頃から、娘が「スマホが壊れた。電源が突然切れる」と言い出しました。 私は、「電源が切れるんだったらまたつければいいじゃない」と相手にしませんでしたが、娘は「2ギガじゃ足りない!1週間で速度制限がかかる。調べ物もGoogleマップもできない」とすごい剣幕でした。
ダンナの存在の私は、ある時、「ダンナ ストレス」などで検索したりしていました。 そして、このブログを書き終えたら、「ダンナがストレス」というタイトルのブログでも書こうかなと考えていました。
1月最後の日、会社帰りに実家に寄ると、甥がいたので、話をしました。 娘には年の近いいとこや親戚が数人いますが、娘以外はみんなそこそこ賢いのです。 国立大に行った子やT大志望の子もいました。
ダンナを見ていると、男性は仕事が原因で心の病になる場合が多くて、女性は子育てが原因でメンタルをやられる事が多いのではないかと思います。 ダンナは育児に関しては、他人事で、娘が反抗期でも、成績が底辺まで落ちても、対岸の火事のように見ていたので、メンタルがやられるという事は全くありませんでした。
子宮頸癌の検査を受けた翌週、有給を取って検査結果を聞きに近所の総合病院へ行きました。 …
大学の入学手続きも一段落してほっとしたある火曜日、登校日だという娘は朝6時頃起きました。 初めてひとりで新幹線に乗って中学生の頃の友達の家に行った事が何らかの刺激や影響を与えたのか、高校に入ってから朝食を食べなかった娘が、学校のある日も家で朝食を食べるようになりました。 学校がある日は娘の方が家を出るのが早いので、娘のパンを先に焼き、娘が6時半過ぎに食べ終わりました。
娘の高校は遠くて、朝早い事もあって、高校に入ってから娘はあまり朝食を食べなくなりました。 何だったら食べる?何を食べたい?と聞いても、朝ギリギリに起きるので、食べないで出かけていました。 私もダンナも朝食はしっかり食べる派だったので、健康面でも娘が朝食を食べない事は心配していました。
イベントスタッフのバイトは単発で入れるので、大学生になっても続けたいそうですが、配置先によって明るいカラーはダメ、ピアスは外すなどの制限があるので、娘は「カラーは暗い色にする。ママくらいの色がいいな」とか、「ピアスはやめる」と言い出しました。