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2013/06/15

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  • 飛騨国分寺

    岐阜県高山市総和町に飛騨国分寺があります。飛騨国分寺は天平13年(741)、聖武天皇の勅により、全国の国ごとに建てられた国分寺の一つです。天平勝宝9年(757)頃、行基菩薩により建立されたといわれています。弘仁10年(819)火災で焼失しましたがすぐに再建されたようです。天正13年(1585)、金森長近が松倉城にこもる三木自綱(よりつな)を攻めた時、兵火で多くの堂宇が焼失しました。その後の天正年間(1573-1592)に長近は千光寺の玄海和尚を招いて再建しました。現在の本堂はこの頃のものと推定されています。本尊の「薬師如来御像」は平安時代のもので、像高145.7cmです。また「聖観世音菩薩」は国分尼寺の本尊であったものといわれ、平安時代のもので、像高204cmです。いずれも国の重要文化財に指定されています...飛騨国分寺

  • 荒川家住宅主屋

    岐阜県高山市丹生川(にゅうかわ)町大谷に荒川家住宅があります。荒川家住宅主屋は棟札や住宅に残る資料から寛政8年(1794)に建てられ、土蔵はさらに古い延享4年(1747)の建造で、飛彈屈指の歴史を誇っています。2つともに昭和46年(1971)に国の重要文化財に指定されました。主屋は榑葺き平入り切妻造りの木造2階建てで、間口11間(21.5m)、梁間8間(14.8m)で面積は約345平mの大きな民家です。切妻造りの木造2階建てで、石置板葺きです。土台は栗、柱は桧、梁には松が使われ、玄関は南東を向いています。正面外観は出桁を腕木でうける小庇が付けられています。また差物や軒桁にかなりの巨木を用いて横の線を強めています。2階正面の格子窓と2段に通る貫の細い直線的交叉など、洗練された立面意匠を施しています。下記のサ...荒川家住宅主屋

  • 荒川家住宅

    岐阜県高山市丹生川(にゅうかわ)町大谷に荒川家住宅があります。荒川家は金森長近の飛彈入部に従って当地に移ったという旧家です。400年前ごろから肝煎りを務め、元禄年間(1688-1704)以降江戸時代を通じて代々周辺の大谷、小野、根方、白井、芦谷、板殿の6村を束ねる兼帯名主を務めました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/荒川家住宅

  • 高山陣屋

    岐阜県高山市八軒町に高山陣屋(たかやまじんや)があります。高山陣屋は、幕末には全国に60数ヵ所あった郡代・代官所の中で、当時の建物が全国で唯一残っている建物です。陣屋とは、江戸時代に郡代・代官が治政を行った場所で、役所や郡代(代官)役宅、御蔵などを総称して陣屋と呼んでいます。もともと高山陣屋は飛騨高山藩主の金森氏の下屋敷でした。元禄5年(1692)に幕府が飛騨を天領として、伊奈忠篤らによって代官所として用いられるようになりました。安永6年(1777)に飛騨代官から飛騨郡代に昇格し、当時4ヵ所あった郡代役所の中でも重要な直轄地となりました。郡代役所は玄関、御役所、大広間などの部分に文化13年(1816)に改築されたものが現存しています。また敷地内の土蔵は、慶長年間(1596-1615)に高山城内に建てられ、...高山陣屋

  • 高山城跡(城山公園)

    岐阜県高山市城山1に高山城跡(城山公園)があります。高山城跡は明治6年(1873)に臥牛山を整備して城山公園となりました。園内には約千本のソメイヨシノが植樹され、桜の名所になり、「飛騨・美濃さくら33選」に選ばれています。紅葉の名所でもあり、野鳥の観察もできます。「日本の歴史公園百選」「森林浴の森百選」にも選ばれています。高山城は、文安年間(1444-1449)に飛騨守護職・京極氏の被官・多賀出雲守徳言が天神山城(多賀山城)を築城したのが始まりと伝えられています。永正年間(1504-1521)に高山外記によって標高686.6mの城山山頂に城が築かれました。その後、三木自綱が高山へ進出し、飛騨を平定しました。天正13年(1585)、豊臣秀吉は越中富山・佐々成政を攻めました。そして越前大野城主・金森長近に佐々...高山城跡(城山公園)

  • 照蓮寺梵鐘

    岐阜県高山市堀端町に照蓮寺(しょうれんじ)があります。照蓮寺梵鐘は建武元年(1334)の鋳銘と、飛州安国寺の銘が刻まれています。国府町の安国寺から移されたと思われ、飛騨に現存する梵鐘では最古のものです。照蓮寺梵鐘は岐阜県の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/照蓮寺梵鐘

  • 照蓮寺中門

    岐阜県高山市堀端町に照蓮寺(しょうれんじ)があります。照蓮寺の中門は天正2年(1574)に建てられた山門で、昭和37年(1962)に本堂とともに移築された建物です。中門は附棟札とともに岐阜県の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/照蓮寺中門

  • 照蓮寺

    岐阜県高山市堀端町に照蓮寺(しょうれんじ)があります。光耀山照蓮寺は浄土真宗大谷派のお寺です。高山市には照蓮寺は2寺あり、鉄砲町にある「真宗大谷派高山別院照蓮寺」とは直線距離で約800m離れています。照蓮寺は建長5年(1253)、嘉念坊善俊が開いたのが始まりといわれています。善俊は親鸞の直弟子で後鳥羽上皇の第11皇子です。当初は正蓮寺と称し飛騨国白川郷鳩ヶ谷にあり飛騨国の浄土真宗の中心的なお寺でした。室町時代中期に入ると正蓮寺の僧だった教信が大名化し第9世明教(教信の弟)と共に広大な領地を有し、北陸地方の一向一揆とも協力関係を築き上げました。長禄2年(1488)、帰雲城城主・内ヶ島為氏と対立し、全山焼き討ちにあい多くの堂宇が焼失、教信も戦死しました。永正元年(1504)10世明心が再興し、寺号を照蓮寺に改...照蓮寺

  • 松本家住宅主屋、米蔵、漬物蔵

    岐阜県高山市上川原町に松本家住宅があります。松本家住宅主屋は間口10.8m、梁間14.5m、木造2階建て、切妻造り、平入、鉄板葺き、外壁は真壁造り、正面にはのれんかけを下げるむくり屋根の小庇や2階の連子窓、1階の出格子などがみられ、高山の町家の典型的な外観を示しています。玄関大戸は無双窓の形式になっていて、中桟を動かすと縦の格子戸になります。夕方は大戸を閉めて小さい潜戸から出入りします。主屋、米蔵、漬物蔵ともに昭和46年(1971)に国の重要文化財に指定されています。主屋、米蔵は江戸時代の後期、漬物蔵は文政9年(1826)に建てられています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blo...松本家住宅主屋、米蔵、漬物蔵

  • 松本家住宅

    岐阜県高山市上川原町に松本家住宅があります。松本家は弘化年間(1844-1848)に高山町に分家し、以来、蝋燭、煉油商を営みました。明治30年代は煙草製造卸、同40年代には金貸業も営み、明治45年(1912)に薬種商原屋三衛門、屋号「原三」の家を譲り受けたそうです。この家が松本家住宅です。明治8年(1875)、二之町から出火した火災は三町、寺内町、八幡町、鉄砲町などに広がり千戸以上が焼失しました。桜山八幡宮などの寺院や多くの町家が類焼しましたが、松本家住宅は火災を免れました。市内の町家の中では最も古く、改造があまりされていない貴重な建物です。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blo...松本家住宅

  • 木造阿弥陀如来像

    岐阜県高山市国府町木曽垣内に国府大仏(こくふだいぶつ)があります。国府大仏こと木造阿弥陀如来像の像高は2.01m、仏の顔の長さは0.6m、肩幅は1mで、大仏としては小型です。蓮華座に座した阿弥陀如来像は、いわゆる丈六像といわれるもので、飛騨地方では例のない木造如来像です。親指と人差し指で輪をつくり、ひざの上で手を組み、大きい耳たぶが際立っています。胎内から見つかった墨書により、慶応2年(1866)に修理が行われていることが判明しています。奈良時代の行基作ともいわれ、昭和39年(1964)に岐阜県の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.co...木造阿弥陀如来像

  • 国府大仏

    岐阜県高山市国府町木曽垣内に国府大仏(こくふだいぶつ)があります。国府大仏は、高山市の国府にある大仏です。安置される「大仏殿」の寺号は「建正山国分尼寺」です。飛騨国の政庁が高山盆地に置かれる以前には、国府盆地に飛騨の政庁があったという説を裏付けています。この大仏は、地元では「木曽垣内のおおぼとけ」といわれています。平安時代の作といわれていますが、天平時代の特徴が垣間見られます。ただし破損のため修復箇所が多く、原型を留めていない箇所もあります。一説には奈良時代の行基作ともいわれています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/国府大仏

  • 阿多由太神社稲荷社

    岐阜県高山市国府町木曽垣内に阿多由太神社(あたゆたじんじゃ)があります。阿多由太神社の稲荷社殿は嘉永年代(1848-1854)頃に造られたと思われます。八棟造りで間口1.5m・、奥行2mの社殿です。手法、技法とも優れたもので、大工棟梁は、糠塚の名工、中垣内八右衛門といわれています。高山市指定文化財です。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/阿多由太神社稲荷社

  • 阿多由太神社木造随神像

    岐阜県高山市国府町木曽垣内に阿多由太神社(あたゆたじんじゃ)があります。阿多由太神社の本殿の中央には主神の大歳御祖神が祀られています。その左右に一対の木造随神像があります。右側は熊野大神、左側は阿須波乃大神で、平安時代に刻まれています。一対とも岐阜県の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/阿多由太神社木造随神像

  • 阿多由太神社本殿

    岐阜県高山市国府町木曽垣内に阿多由太神社(あたゆたじんじゃ)があります。阿多由太神社の本殿は室町時代後期に建てられたと推察されています。三間社流見世棚造り、こけら葺きです。階段を持たず小形社殿が多い見世棚造り組物や彫刻、工法など当時の神社本殿としては規模も比較的に大きなものです。横幅2.76mで、正面3間のそれぞれに扉が付いています。今も残る建築当時の部材には、木目の緻密なサワラなどの良材が多用されています。当時の飛騨の森林資源の豊かさが想像できます。各部の意匠は室町時代の特徴をよく表しています。昭和36年(1961)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http...阿多由太神社本殿

  • 阿多由太神社

    岐阜県高山市国府町木曽垣内に阿多由太神社(あたゆたじんじゃ)があります。阿多由太神社は日本三代実録に貞観9年(867)に従五位上に列した事が記載された古社で、延喜式神名帳に飛騨式内8社の一つと記載されています。古くから木曽垣内・三日町・半田の産土神として崇敬され「権現宮」といわれてきました。「斐太後風土記」によると文化年間(1804-1817)に吉田家臣・玉田常陸永辰が飛騨式内八社を調べに来て、当社を荒城神社として札を懸けたそうです。同じく荒城神社と認定された河伯大明神(現・荒城神社)の氏子が怒って札を外したそうです。くじをしてみたら阿多由太に当たったので阿多由太神社としたと記されているそうです。阿多由太神社は古くから神仏習合していました。明治の神仏分離令で仏教色は排され、昭和3年(1928)に郷社に列し...阿多由太神社

  • 荒城神社本殿

    岐阜県高山市国府町宮地に荒城神社(あらきじんじゃ)があります。荒城神社本殿は明徳元年(1390)に建立されています。三間社流造り、こけら葺き、素木造りで、正面・側面三方に縁をつけて勾欄をもたない簡素な構造です。和様・唐様・天竺様を巧みに組み合わせた造りになっています。本殿は明治42年(1909)に国の重要文化財に指定されています。荒城神社本殿はまた平成28年(2016)に日本遺産「飛騨匠の技・こころ」の一つとして認定されました。毎年9月7日の秋の例祭には、「荒城神社鉦打・獅子舞」(岐阜県重要無形文化財指定)が行われます。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/荒城神社本殿

  • 荒城神社

    岐阜県高山市国府町宮地に荒城神社(あらきじんじゃ)があります。荒城神社は飛鳥から奈良時代に勧請された古社です、荒城神社の格式は高く、三代実録によると貞観9年(867)には従五位下に列し、延喜式神名帳には式内社(飛騨国8座)として記載され、古事記にも飛騨國荒城神社の名が見られます。歴代領主からも崇敬され鎌倉時代から領主の厚い崇敬を受けたようです。地頭多好方は例祭である鉦打ちを伝え、慶長18年(1613)には当時の領主・金森重頼から幣殿が寄進されています。古来より川の神、水の神(河泊大明神)として地域の信仰を集めてきました。室町時代以降は河伯大明神と称されていましたが、文化年間に旧社号の荒城神社に戻しています。古くから神仏習合していましたが、明治時代初頭の神仏分離令により、仏教色が排除されました。明治5年(1...荒城神社

  • 安国寺本堂

    岐阜県高山市国府町西門前に安国寺(あんこくじ)があります。安国寺本堂は江戸時代初期の寛永元年(1624)、飛騨高山藩第3代藩主の金森重頼により再建された建物です。間口7間、木造平屋建て、入母屋造り、銅板葺き、平入です。外壁は真壁造り、白漆喰仕上げで、花頭窓が付いています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/安国寺本堂

  • 熊野神社本殿

    岐阜県高山市国府町西門前に安国寺(あんこくじ)があります。熊野神社はもとは安国寺の鎮守社で、国宝の経蔵の上に建てられています。創建は室町初期と推定されています。近年の年輪年代測定調査では、横板壁板の部材が室町時代(西暦1400年)前後の伐採と推定されているそうです。熊野神社本殿は間口1.827m、奥行1.073m、こけら板葺きの、一間社流見世棚造りです。正面向拝の柱上に向かい合わせで木鼻を飾るなど、細部にまで優れた技法が取り入れられています。こけら板葺きの屋根に古いものが残っているのも特徴で、市内に現存する本殿建築では最古のものです。、熊野神社本殿は荒城神社本殿、阿多由太神社本殿に続くもので、飛騨地方の神社建築の流れを知るうえにも重要な社殿です。熊野神社本殿は昭和54年(1979)に国の重要文化財に指定さ...熊野神社本殿

  • 安国寺経蔵

    岐阜県高山市国府町西門前に安国寺(あんこくじ)があります。安国寺経蔵は明治42年(1909)に国宝に指定されました。墨書によると、応永15年(1408)に願主超一によって建てられています。この墨書は大正11年(1922)の解体修理のときに発見されました。安国寺の経蔵は萩原町奥田洞出身の奥田弾正頼親の寄進により建立されたものです。経蔵は入母屋造り、こけら葺きで、禅宗様の建物です。外観は3間4方のようですが内部の1間4方の身舎(もや)の外側に1間の束を廻し裳階を付けています。経蔵の中には、中央に八角の輪蔵(回転式の経蔵)があります。八方に出ている木鼻を押すと、中心の軸で回転するようになっています。年代の明らかな輪蔵として日本最古のものです。内部に納められている経本は中国の元の時代に、杭州の大晋寧寺で出版された...安国寺経蔵

  • 安国寺

    岐阜県高山市国府町西門前に安国寺(あんこくじ)があります。太平山安国寺は臨済宗妙心寺派のお寺で、飛騨三十三観音霊場11番札所です。経蔵は唐様素木造りの建物で、飛騨唯一の国宝です。この経蔵は平成28年(2016)に日本遺産「飛騨匠の技・こころ/国府盆地の中世社寺建築群」の一つに認定されました。安国寺の創建は、正平2年(1347)、足利尊氏・直義兄弟が瑞厳和尚を開山として、南北朝動乱での戦死者の慰霊のため、国ごとに一寺一塔を建立させたのが始まりと伝えられています。瑞巌和尚は元々あった少林寺を整備して安国寺を開山したといわれています。瑞巌和尚は観応元年(1350)に没し、その弟子本瑞が師の徳を慕い、明徳3年(1392)師の火葬された灰をねんどを混ぜて和尚の坐像を造立しました。この塑造瑞巌和尚坐像と木造須弥壇、像...安国寺

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