岐阜県下呂市森に縄文公園があります。縄文公園入口に下呂石のオブジェが造られています。下呂石は湯ヶ峰から流れ出た溶岩が固まった石です。湯ヶ峰流紋岩といい、ガラス質で石器の石材として旧石器時代より利用されてきました。湯ヶ峰は下呂市中心部から見て北東3kmほどにあった10万年前の火山です。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/下呂石
岐阜県岐阜市岩井に延算寺(えんさんじ)があります。延算寺の毘沙門堂は昭和6年(1931)に東院の本堂を移築した建物です。間口1間、奥行き1間半、入母屋造り、桟瓦葺き、妻入り、木造平屋建ての建物で、正面に1間の向拝が付けられ、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、向拝の天井は格天井で絵が描かれています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/延算寺毘沙門堂
岐阜県岐阜市岩井に延算寺(えんさんじ)があります。延算寺鐘楼は天和3年(1683)に再建された建物です。芥見村の庄屋篠田利左衛門尉正利が目の病気をなおしてもらったお礼として寄進したという記録が残っているそうです。入母屋造り、銅板葺き、高欄付き、外壁は四隅柱のみの吹き放し、上層の格天井には絵天井板をはめています。岐阜市の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/延算寺鐘楼
岐阜県岐阜市岩井に延算寺(えんさんじ)があります。延算寺本坊の本尊である薬師如来像はたらい薬師と呼ばれています。当初は祀る所が無く、たらいの上に安置していたそうです。平安時代前期の楠の木を使った一木造りの仏像です。像高は153.0cmで、延暦24年(805)伝教大師最澄が因幡国岩井郡岩井で彫り込んだ3体(延算寺・比叡山根本中堂・横蔵寺)のうちの1つとされ、大正3年(1914)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/延算寺薬師如来像
岐阜県岐阜市岩井に延算寺(えんさんじ)があります。延算寺の本堂は寛永20年(1643)に淳仁法印により再建された建物です。間口3間、奥行4間、単層入母屋造り、銅板葺きで、均整のとれた素朴な建物です。組物、蟇股、入母屋破風などの彫刻に室町時代末期の様式を残しています。昭和36年(1961)に本堂の解体修理工事が行われ、屋根が檜皮葺きから銅板葺きに葺き替えられています。昭和31年(1956)に岐阜県の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/延算寺本堂
岐阜県岐阜市岩井に延算寺(えんさんじ)があります。岩井山延算寺は高野山真言宗準別格本山のお寺で、本坊と東院が離れたところに建てられています。本尊は薬師如来ですが本坊は「たらい薬師」、東院は瘡神薬師(かさかみやくし)と呼ばれています。美濃四国八十八箇所霊場の本坊は八十五番札所、東院は八十番札所です。、延算寺は弘仁6年(815)、弘法大師空海が美濃巡杖で、霊水が湧き出る霊地を見つけ薬師如来を安置したのが始まりと伝えられています。貞観6年(864)に清和天皇の病気平癒祈願により勅命により定額寺(国立寺)となり、七堂伽藍を備え、12の塔頭を擁する大寺になったそうです。延算寺は俗に岩井山瘡神(かさがみ)とも呼ばれています。瘡(かさ)とは皮膚病のことで、治癒する御利益があると評判でした。昌泰年間(898-901)に平...延算寺
岐阜県岐阜市長良福光に崇福寺(そうふくじ)があります。崇福寺には関白一条兼良(いちじょうかねら)が寄贈した中門と土塀が残されています。兼良は当時500年来の才人といわれ、古典学、有職学の第一人者でした。応仁の乱で続く都を離れ、斎藤妙椿の招きで文明5年(1473)に美濃に下向しました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/関白一条兼良寄贈の中門と土塀
岐阜県岐阜市長良福光に崇福寺(そうふくじ)があります。崇福寺には稲葉一鉄が寄贈したという梵鐘があります。この梵鐘は元和元年(1615)に改鋳されています。一鉄は土岐頼芸、斎藤氏、織田信長、豊臣秀吉に仕えた武将で、美濃の曽根城主(大垣市)でした。安藤守就、氏家直元と共に西美濃三人衆と称され、その中心人物でした。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/稲葉一鉄寄贈梵鐘
岐阜県岐阜市長良福光に崇福寺(そうふくじ)があります。非情成仏絵巻は通称「付喪神絵巻」とも呼ばれ、室町時代の作で京都の東寺から移されたと伝えられています。年末のすす払いで捨てられた古道具たちが捨てられた恨みを晴らすため妖怪となって人間を脅かしました。仏の従者の護法童子によって改心し僧になって成仏するという内容です。この絵巻は岐阜市の文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/非情成仏絵巻
岐阜県岐阜市長良福光に崇福寺(そうふくじ)があります。信長、信忠父子の廟所は本堂裏にあり、墓の高さは139cm、巾39cm、厚さ30cm、位牌形の石碑で縦に両分して、父子の法名が左右に並んでいます。信長は「総見院殿贈一品大相圀泰岩大居士」覚霊、信忠は「大雲院殿三品羽林高岩大禅定門」神儀と刻んであります。岐阜市の史跡に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/信長、信忠廟所
岐阜県岐阜市長良福光に崇福寺(そうふくじ)があります。神護山崇福寺は市街地の北、長良川右岸にあります。美濃西国三十三観音霊場第14番札所で、臨済宗妙心寺派のお寺です。明徳元年(1390)、土岐満康が竜潭宗濬を招き、その師弟である太白真玄をもって開山したといわれています。永禄10年(1567)に織田信長が岐阜城に入ると織田家菩提寺として篤く庇護されました。本能寺の変で織田信長、信忠が亡くなると崇福寺の境内に廟所が設けられました。本堂裏に信長、信忠父子の廟所が残されています。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで岐阜城が落城した際、織田秀信(幼名・三法師)の城兵が天守閣で自刃し、血が床板に飛び散りました。本堂の天井板はその後その床板を用いて造られました。そのため崇福寺の血天井といわれています。江戸時代には徳川家...崇福寺
岐阜県岐阜市徹明通に「じゅうろくてつめいギャラリー」があります。じゅうろくてつめいギャラリーは、十六銀行が創立130周年を記念して、平成19年(2007)に旧徹明支店を改装してオープンした地域開放型のギャラリーです。建物は、昭和12年(1937)に岐阜貯蓄銀行本店として建造された鉄筋コンクリート4階建ての重厚な造りです。昭和18年(1943)に十六銀行との合併により十六銀行徹明支店となり、平成17年(2005)、柳ヶ瀬支店に統合され業務を終了しました。平成10年(1998)には、近代建築を代表する建物として、岐阜市の「都市景観重要建築物」に指定さました。内部は吹き抜けにより高い天井と広い室内があり、見下ろせるように回廊と木製の手摺が廻り、随所に精緻な意匠が施され開放的でレトロな空間ができています。下記のサ...じゅうろくてつめいギャラリー
岐阜県岐阜市本荘に岐阜市科学館があります。岐阜市科学館は子どもも大人も楽しめる岐阜県内唯一の総合科学館です。プラネタリウムや天文台、動く展示や参加体験のできる展示を主体とし、自由に見て聞いてためして、体験を通して学べる知的レジャー施設です。岐阜市科学館の前身は岐阜市児童科学館で、昭和30年(1955)に岐阜公園内に開館しました。昭和55年(1980)に本荘の紡績工場跡地に移って、岐阜市少年科学センターとなり、昭和63年(1988)11月岐阜市科学館となりプラネタリウムもオープンしました。屋上の天文台では望遠鏡で天体観望会を定期的に開いています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://bl...岐阜市科学館
岐阜県岐阜市宇佐に岐阜県美術館があります。岐阜県美術館は昭和58年(1982)に開館しました。そして令和元年(2019)にリニューアルオープンしています。岐阜県と関係の深い山本芳翠を筆頭に、熊谷守一、川合玉堂、前田青邨、荒川豊藏らの作品を収蔵しています。所蔵している山本芳翠の「裸婦」は国の重要文化財に指定されています。海外の美術では、19世紀末に登場した象徴主義を代表するフランスの画家、オディロン・ルドンとその周辺の作家たちを収集しています。広い敷地に1階建の白い鉄筋コンクリートのモダンな建物でゆっくり絵画など鑑賞できます。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com...岐阜県美術館
岐阜県岐阜市宇佐に岐阜県図書館があります。岐阜県図書館はJR西岐阜駅近くの県民文化の森の中にあります。この図書館の前身は明治37年(1904)に開館した岐阜県教育会附属図書館です。県教育会が運営し、教育者などへの貸出がなされました。太平洋戦争後は岐阜公園内に移転しましたが、平成7年(1995)、岐阜県図書館としてこの地に移転しオープンしました。百万冊近くの蔵書があり、幅広い分野のメディアなども所蔵し、地図や分布図を収蔵している世界分布図センターなども併設されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/岐阜県図書館
岐阜県岐阜市寺町に瑞龍寺(ずいりょうじ)があります。瑞龍寺の6つある塔頭の一つである開善院は悟渓下八哲の一人、興宗宗松が開山しています。そして斎藤妙椿の菩提所でもあります。所蔵している紙本著色斎藤妙椿像は岐阜市指定文化財です。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/瑞龍寺開善院
岐阜県岐阜市寺町に瑞龍寺(ずいりょうじ)があります。絹本著色悟渓宗頓像と絹本著色土岐成頼像が寺宝として瑞龍寺に残されています。平成12年(2000)に岐阜市の重要文化財に指定されています。悟渓宗頓(ごけいそうとん)は)龍安寺の雪江宗深(せっこうそうしん)の法をつぎ、斎藤妙椿の招きで瑞龍寺を開きました。大徳寺をへて文明16年(1484)に妙心寺の住持になりました。妙心寺東海派の祖ともいわれています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/悟渓宗頓
岐阜県岐阜市寺町に瑞龍寺(ずいりょうじ)があります。厚見寺跡は現在の瑞龍寺の境内を中心に立地していたと考えられる寺院跡です。山門西側に塔心礎が残されています。境内からは厚見寺瓦などの文字が刻印された平瓦が出土しています。昭和47年(1972)に岐阜県の史跡に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/厚見寺跡
岐阜県岐阜市寺町に瑞龍寺(ずいりょうじ)があります。金宝山瑞龍寺は臨済宗妙心寺派のお寺で、金華山の峰続きの水道山西麓にあります。応仁元年(1467)、美濃の守護代の斎藤妙椿が奈良時代からこの場所にあった厚見寺を再興し、悟渓国師を招いて瑞龍寺と改めたのが始まりです。瑞龍寺は土岐家の菩提寺として名声を得て繁栄し、境内には七堂伽藍が建ち並びました。後花園天皇から金宝山瑞龍寺の勅額を賜り、土御門天皇から綸旨を賜わるなど、美濃における東海派禅門の中心道場として寺運が隆盛しました。織田信長の稲葉山城攻めで、瑞龍寺も兵火で焼失、慶長5年(1600)の関が原の戦いで城主織田秀信(幼名・三法師)が西軍に与したため、兵火で再び焼失しました。その後、文化3年(1806)に隠山禅師が再興しましたが、度重なる兵火、地震、戦災などで...瑞龍寺
岐阜県岐阜市美江寺町に美江寺観音(みえじかんのん)があります。十一面観世音菩薩像は像高176cmで奈良時代後期に造られたもので、岐阜県最古の仏像の1つです。脱活乾漆造り(乾漆仏)の十一面観音像としては唯一のもので、大正3年(1914)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/十一面観世音菩薩像
岐阜県岐阜市美江寺町に美江寺観音(みえじかんのん)があります。大日山美江寺は天台宗のお寺です。本尊の十一面観音像は伊賀国名張郡にあった伊賀寺にあったものです。長良川が度々氾濫を起こすので、本尊を美濃国本巣郡十六条(現在の岐阜県瑞穂市美江寺)に移したところ氾濫が治まったそうです。養老7年(723)、元正天皇が養老の滝に行幸の際、勅命により七堂伽藍を建立、美江寺と称し、この十一面観音像を本尊として安置したのが始まりといわれています。美濃の守護職の土岐家により庇護され、元徳2年(1330)には土岐頼貞が寺領の寄進を行い、永正3年(1506)には土岐成頼が改修しています。天文10年(1541)、斉藤道三が稲葉山城を築いた際、美江寺は現在地に移され、裏鬼門鎮護のお寺として織田信長や織田信孝などに崇敬・庇護され、慶長...美江寺観音
岐阜県岐阜市伊奈波通りに伊奈波神社(いなばじんじゃ)があります。伊奈波神社にある石造狛犬は天正4年(1576)に多和田新八直房が伊奈波神社に諸願成就の為に奉納したものです。像高は吽形が31.0cm、阿形が29.0cmです。このような形式の狛犬は岐阜県内に少なく貴重な事から昭和47年(1972)に岐阜県の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/伊奈波神社石造狛犬
岐阜県岐阜市伊奈波通りに伊奈波神社(いなばじんじゃ)があります。楓稲荷神社は伊奈波神社の入口近くにあります。祭神は宇迦之御魂神です。事業繁栄・商売繁盛を願う人のお参りが多く、崇敬者の方々からの朱塗りの鳥居の奉納も多くあるそうです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/楓稲荷神社
岐阜県岐阜市伊奈波通りに伊奈波神社(いなばじんじゃ)があります。伊奈波神社にある忠魂碑は日露戦争で亡くなった岐阜県下の戦病死者3873柱の英霊を祀っています。忠魂碑には乃木希典大将により書かれた文字、「明治37・8年戦役岐阜縣下戦病死者忠魂碑」が刻まれています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/伊奈波神社忠魂碑
岐阜県岐阜市伊奈波通りに伊奈波神社(いなばじんじゃ)があります。黒龍神社の祭神は黒龍大神です。黒龍神社は、天文8年(1539)に伊奈波神社が丸山の地からここに遷座される以前から当地に鎮座されていました。黒龍大神は活発で行動的な神霊であり、パワースポットにもなっています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/黒龍神社
岐阜県岐阜市伊奈波通りに伊奈波神社(いなばじんじゃ)があります。金山神社は鉱山や治金を司る祭神の金山彦命を祀っています。古縁起では景行天皇の勅命により、「金石」という鏡を破る不思議な神石が命によって奥州から美濃に運ばれたと記されています。この「金石」が一夜にして山となり、そこへ命と王子達が隠れたそうです。この山が「金石」によってできた事から「金山」と呼ばれ、後に「稲葉山」となったそうです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/金山神社
岐阜県岐阜市伊奈波通りに伊奈波神社(いなばじんじゃ)があります。岐阜東照宮の祭神は徳川家康です。江戸時代に岐阜奉行所に祀られていましたが、明治に入り、伊奈波神社の境内に遷座されました。和歌三神社・須佐之男神社・天満宮と合わせ4社が合祀されていましたが、令和3年(2021)に新宮が新たに造営され、遷座しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/岐阜東照宮
岐阜県岐阜市伊奈波通りに伊奈波神社(いなばじんじゃ)があります。伊奈波神社の拝殿は間口5間、入母屋造りの木造平屋建て、檜皮葺き、平入で、外壁は真壁造板張りです。柱はいずれも円柱で、柱間は板戸と蔀が使われています。神社建築にはめずらしく、土間の床となっています。幣殿は間口3間、奥行2間の木造平屋建て、入母屋造り、檜皮葺き、平入です。本殿は三間社入母屋造り、檜皮葺き、平入です。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/伊奈波神社拝殿幣殿本殿
岐阜県岐阜市伊奈波通りに伊奈波神社(いなばじんじゃ)があります。伊奈波神社の神門は一間一戸の四脚門で、切妻造り、銅板葺きです。門扉は桟唐戸で、菊花の紋がついています。主柱と控柱のあいだには花狭間があります。神門の左右には回廊が繋がっています。回廊は2つの切妻を組み合わせた形式で、銅板葺きです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/伊奈波神社神門
岐阜県岐阜市伊奈波通りに伊奈波神社(いなばじんじゃ)があります。伊奈波神社の楼門は間口3間、奥行2間、入母屋造り、銅板葺きの、三間一戸の八脚楼門です。柱はいずれも円柱で、3つの柱間の中央が通路となっています。下層部の正面左右には随神像ではなく、奉納された酒樽が安置されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/伊奈波神社楼門
岐阜県岐阜市伊奈波通りに伊奈波神社(いなばじんじゃ)があります。伊奈波神社は金華山と尾根続きの稲葉山麓に鎮座しています。平成27年(2015)、「信長公のおもてなしが息づく戦国城下町・岐阜」の構成文化財として日本遺産に認定されています。旧国幣小社で社伝によると五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)が東国討征の折り、この地に館を構えたのが始まりとされています。五十瓊敷入彦命は第11代垂仁天皇と日葉酢姫命の長男であり、第12代景行天皇の兄にあたります。飛鳥時代の672年に起こった壬申の乱の際、大海人皇子(後の天武天皇)が伊奈波神社で戦勝を祈願し勝利後、厚見郡一円を社領として寄進したと伝えられています。当初は現在の岐阜公園丸山にありましたが天文8年(1539)、斎藤道三が稲葉城の築城の折、現在地に遷座したよ...伊奈波神社
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岐阜県下呂市森に縄文公園があります。縄文公園入口に下呂石のオブジェが造られています。下呂石は湯ヶ峰から流れ出た溶岩が固まった石です。湯ヶ峰流紋岩といい、ガラス質で石器の石材として旧石器時代より利用されてきました。湯ヶ峰は下呂市中心部から見て北東3kmほどにあった10万年前の火山です。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/下呂石
岐阜県下呂市森に縄文公園があります。縄文公園は峰一合遺跡(みねいちごいせき)に、縄文橋や、下呂ふるさと歴史記念館を加えて整備した魅力のある公園です。下呂石を使った石器類や土器類などが発掘され、縄文時代の竪穴式住居跡2軒と弥生時代の竪穴式住居跡1軒が復元されています。今から約5800年前の縄文時代前期から、約1800年前の弥生時代にかけての集落遺跡です。昭和41年(1966)から昭和46年(1971)にかけて6次にわたる発掘調査がされました。「下呂石」を使った石器類や土器類のほか全国でもめずらしいパン状炭化物(食べ物の一部)が出土しました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog....縄文公園
岐阜県下呂市森に下呂温泉合掌村があります。円空(えんくう)(1632-1695)は江戸時代初期に全国各地を巡り、およそ12万体もの神仏像を造ったとされる修験僧(廻国僧)・仏師・歌人です。特に、各地に「円空仏」と呼ばれる独特の作風を持った木彫りの仏像を残したことで知られています。美濃国竹が鼻の出身といわれ、下呂温泉にも滞在し刻みました。現存する作品は約180体とされ、円空館にはそのうちの29体の円空仏と資料が展示されています。円空館は、1階には円空仏のパネルを展示し、2階は下呂市内の円空仏がガラスケース内で展示されています。ガラスケースは全面ガラス張りで360度の角度から見ることができます。円空の彫った像は「円空仏」と呼ばれ、鉈で彫ったようなゴツゴツとした力強い仏像です。下記のサイトにもお立ち寄りください!...円空館
岐阜県下呂市森に下呂温泉合掌村があります。村内の合掌造りの劇場、影絵昔話館「しらさぎ座」は、日本で唯一の常設の影絵劇場でした。平成20年(2008)から、9年間にわたり影絵劇場として公演してきましたが、平成29年(2017)に終演しました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/しらさぎ座
岐阜県下呂市森に下呂温泉合掌村があります。旧大戸家住宅からさらに奥へ進むと料理の神様、飛騨高椅神社があります。昭和49年(1974)に勧請されています。盤鹿六雁之命(小山市・高椅神社)、櫛八玉之神(出雲市・火守神社)、山陰中納言藤原政朝卿(茨城・総持寺)の分霊を祀っています。お参りすると一生食べることに困らないといわれています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/飛騨高椅神社
岐阜県下呂市森に下呂温泉合掌村があります。旧大戸家住宅は大野郡白川郷御母衣村字上洞(現・大野郡白川村御母衣)にあった民家です。天保4年(1833)から弘化3年(1846)まで13年の歳月をかけて造営されたと、棟札に記されているそうです。間口21m、奥行12.3m、高さ13mと合掌造りでは最大級の大きさで、1重3階、切妻造り、茅葺きの建物です。衆議院議員の平沢勝栄氏の生家だったそうです。釘やかすがい類をまったく使わず、荒縄やネソなどで木材を固くしばり、組み立てられています。中に馬屋があり、旧大戸家住宅の部屋には人形で実際の暮らしぶりが展示されています。庄川の御母衣ダムの底に沈む運命でしたが、昭和38年(1963)に合掌村に移築しました。昭和31(1956)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにも...旧大戸家住宅
岐阜県下呂市森に下呂温泉合掌村があります。竹原文楽記念館の隣に国登録文化財の旧遠山家住宅板倉が建てられています。文化7年(1810)に建てられた木造の倉庫です。板で壁を二重にしているため板倉と呼ばれています。気密性が高く倉に適した造りです。2階の床板と横木が1階の天井となっている「根太(ねだ)天井」で、養蚕農家の建築様式を伝えています。白川郷御母衣から移築された建物で国の登録有形文化財に登録されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/旧遠山家住宅板倉
岐阜県下呂市森に下呂温泉合掌村があります。足湯の近くに竹原文楽記念館があります。竹原文楽人形が展示されています。竹原文楽とは100体以上もの人形を1人で操ったという人形歌舞伎です。創作者であり、演者でもあった下呂市宮地出身の故洞奥一郎(ほらおくいちろう)氏は一代限りと後継者を作りませんでした。ここには当時の資料や、人形が展示されているのです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/竹原文楽記念館
岐阜県下呂市森に下呂温泉合掌村があります。入口右にある旧岩崎家住宅主屋が民俗資料館になっています。江戸中期の建築で、切妻造り、茅葺き。木造1階建てで屋根裏にも部屋があります。富山県南砺市の五箇山から、昭和43年(1968)に移築されています。国の登録有形文化財に登録されています。白川郷の合掌造りは、屋根の三角部分が側面になる「平入り」ですが、この建物は三角部分が家の正面になる「妻入」で、五箇山の伝統的な合掌造りといわれています。2階に上がると茅葺屋根の裏側も見ることができます。大鋸、切斧など農具、漁具、狩猟具、林業具の道具や生活道具が展示されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http:...旧岩崎家住宅
岐阜県下呂市森に下呂温泉合掌村があります。下呂温泉合掌村は、下呂温泉の東方の高台にあります。下呂市直営で、下呂温泉でもっとも規模の大きな観光施設です。村内は「合掌の里」「歳時記の森」の2つのゾーンで構成されています。「合掌の里」には国の重要文化財「旧大戸家住宅」を中心に10棟の白川郷、五箇山から移築保存された合掌造りの建物が集落を再現しています。村内には四季の山野草などが植えられ、飛騨の自然が感じられるようになっています。農具や民具などを展示する民俗資料館などで合掌集落の生活文化が体験できます。また、陶芸や陶器の絵付け・手びねり、和紙の絵漉きも体験できます。円空館では市内の神社、個人所有の円空仏30点余りが展示されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~...下呂温泉合掌村
岐阜県岐阜市岩井に延算寺(えんさんじ)があります。延算寺のコバノミツバツツジ群落は平成10年(1998)に岐阜市天然記念物に指定されています。ツツジ科の高さ2~4mの落葉大低木で、枝は細かく分枝します。葉が枝先に3枚つくことからコバノミツバツツジと命名されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/コバノミツバツツジ群落
岐阜県岐阜市岩井に延算寺(えんさんじ)があります。延算寺本坊の庭園の中に柳原白蓮女史の歌碑があります。昭和27年(1952)に延算寺にお参りした時に小野小町のことを詠んだものです。「やまかげの清水にとへばいにしえの女のおもいかたりいずらく」下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/柳原白蓮女史歌碑
岐阜県岐阜市岩井に延算寺(えんさんじ)があります。延算寺の東院には本堂にあたる薬師堂の手前に小町堂が建てられています。昌泰年間(898-901)に小野小町が瘡平癒の祈願に訪れ、念願成就後、東院に石仏薬師を奉納したと伝えられていることから建立されました。小町観音、阿弥陀如来、ぼけよけ地蔵、西国三十三観音、釈迦涅槃像が祀られています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/延算寺小町堂
岐阜県岐阜市岩井に延算寺(えんさんじ)があります。延算寺の大師堂は宝形造り、銅板葺きの木造平屋建てです。外壁は真壁造白漆喰仕上げ、左右に花頭窓付、「大師堂」の扁額が掲げられています。堂内には弘法大師、不動明王、愛染明王などが祀られています。平成5年(1993)に再建されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/延算寺大師堂
岐阜県岐阜市岩井に延算寺(えんさんじ)があります。延算寺の毘沙門堂は昭和6年(1931)に東院の本堂を移築した建物です。間口1間、奥行き1間半、入母屋造り、桟瓦葺き、妻入り、木造平屋建ての建物で、正面に1間の向拝が付けられ、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、向拝の天井は格天井で絵が描かれています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/延算寺毘沙門堂
岐阜県岐阜市岩井に延算寺(えんさんじ)があります。延算寺鐘楼は天和3年(1683)に再建された建物です。芥見村の庄屋篠田利左衛門尉正利が目の病気をなおしてもらったお礼として寄進したという記録が残っているそうです。入母屋造り、銅板葺き、高欄付き、外壁は四隅柱のみの吹き放し、上層の格天井には絵天井板をはめています。岐阜市の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/延算寺鐘楼
岐阜県岐阜市岩井に延算寺(えんさんじ)があります。延算寺本坊の本尊である薬師如来像はたらい薬師と呼ばれています。当初は祀る所が無く、たらいの上に安置していたそうです。平安時代前期の楠の木を使った一木造りの仏像です。像高は153.0cmで、延暦24年(805)伝教大師最澄が因幡国岩井郡岩井で彫り込んだ3体(延算寺・比叡山根本中堂・横蔵寺)のうちの1つとされ、大正3年(1914)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/延算寺薬師如来像
岐阜県岐阜市岩井に延算寺(えんさんじ)があります。延算寺の本堂は寛永20年(1643)に淳仁法印により再建された建物です。間口3間、奥行4間、単層入母屋造り、銅板葺きで、均整のとれた素朴な建物です。組物、蟇股、入母屋破風などの彫刻に室町時代末期の様式を残しています。昭和36年(1961)に本堂の解体修理工事が行われ、屋根が檜皮葺きから銅板葺きに葺き替えられています。昭和31年(1956)に岐阜県の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/延算寺本堂
岐阜県岐阜市岩井に延算寺(えんさんじ)があります。岩井山延算寺は高野山真言宗準別格本山のお寺で、本坊と東院が離れたところに建てられています。本尊は薬師如来ですが本坊は「たらい薬師」、東院は瘡神薬師(かさかみやくし)と呼ばれています。美濃四国八十八箇所霊場の本坊は八十五番札所、東院は八十番札所です。、延算寺は弘仁6年(815)、弘法大師空海が美濃巡杖で、霊水が湧き出る霊地を見つけ薬師如来を安置したのが始まりと伝えられています。貞観6年(864)に清和天皇の病気平癒祈願により勅命により定額寺(国立寺)となり、七堂伽藍を備え、12の塔頭を擁する大寺になったそうです。延算寺は俗に岩井山瘡神(かさがみ)とも呼ばれています。瘡(かさ)とは皮膚病のことで、治癒する御利益があると評判でした。昌泰年間(898-901)に平...延算寺
岐阜県岐阜市長良福光に崇福寺(そうふくじ)があります。崇福寺には関白一条兼良(いちじょうかねら)が寄贈した中門と土塀が残されています。兼良は当時500年来の才人といわれ、古典学、有職学の第一人者でした。応仁の乱で続く都を離れ、斎藤妙椿の招きで文明5年(1473)に美濃に下向しました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/関白一条兼良寄贈の中門と土塀
奈良県大和郡山市矢田町に大和民俗公園があります。旧臼井家住宅の内蔵は土壁で塗り固めた土蔵造りで、間口4.8m、奥行3.8m、2階建て、屋根は切妻造り、本瓦葺きの建物です。江戸時代中期の寛文ー元禄ー寛延年間頃(1661-1750)の建築と考えられています。内蔵は主屋とともに昭和49年(1974)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/旧臼井家住宅内蔵
奈良県大和郡山市矢田町に大和民俗公園があります。旧臼井家住宅主屋は正面左2間を格子構えとしながら農家風の正面・外観を持っています。これは当時の城下町の特徴です。建築年代は明らかではありませんが、江戸時代中期の元禄年間頃(1688-1703)の建築と考えられています。間口17.6m、奥行7.0m、切妻造り、茅葺きで、南面と北面に本瓦葺きの庇が付いています。内部は「しもみせ」、「なかのま」、「おくざしき」などに間取りされている農家風の町屋建築です。昭和49年(1974)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/旧臼井家住宅主屋
奈良県大和郡山市矢田町に大和民俗公園(大和民俗公園)があります。旧臼井家(きゅううすいけ)住宅は高市郡高取町上土佐に所在していた町屋です。植村藩の城下町であった高取町は古くから奈良盆地と吉野を結ぶ旧街道でした。臼井家は伊勢から上土佐に移り、高取城下で大手へ通じる道の北側に屋敷を構え、屋号を「伊勢屋」と称しました。臼井家は藩の公用伝馬の役を務めるかたわら、酒、醤油の販売を営むほか、大年寄をも務めたと伝えられています。解体前には主屋、離れ座敷、内蔵、高蔵、米蔵、道具蔵などで構成されていましたが、そのうち主屋と内蔵が昭和51年(1976)に移築復元されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村htt...旧臼井家住宅
奈良県大和郡山市矢田町に大和民俗公園(大和民俗公園)があり、園内に奈良県立民俗博物館があります。奈良県立民俗博物館は、奈良(大和)に暮らす人々が、その風土の中で育み、改良工夫を重ね維持してきた生活用具など4万2千点を収穫し、保存・展示公開している全国的にもめずらしい民族専門の博物館です。「奈良盆地の稲作」、「大和高原の茶業」、「吉野山の林業」に分け、昔使われた用具の展示や、衣食住について紹介しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/奈良県立民俗博物館
奈良県大和郡山市矢田町に大和民俗公園(大和民俗公園)があります。大和民俗公園は矢田丘陵の東部に26.6ヘクタールという広い敷地に、野外博物館的要素を持った特色ある都市公園です。園内には有形・無形の民俗文化財を収集する奈良県立民俗博物館や県内各地の典型的な民家を移築展示しています。「町屋」エリア、奈良盆地に位置する「国中(くんなか)」エリア、奈良県東部にある「宇陀・東山」エリア、山深い「吉野」エリアの4つに分けて18世紀から19世紀に建てられた民家15棟を移築復元しています。旧臼井家住宅の主屋と内蔵、旧岩本家住宅は国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://b...大和民俗公園
奈良県大和郡山市矢田町東良に矢田坐久志玉比古神社(やたにいますくしたまひこじんじゃ)があります。矢田坐久志玉比古神社の末社である八幡神社の社殿も本殿同様に明治41年(1908)に国の重要文化財に指定されています。本殿より少し小さめで、檜皮葺きの一間社春日造りの社殿です。室町時代中期の明徳から文正年間(1393-1466)に建てられたものと考えられています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/矢田坐久志玉比古神社八幡神社
奈良県大和郡山市矢田町東良に矢田坐久志玉比古神社(やたにいますくしたまひこじんじゃ)があります。矢田坐久志玉比古神社の本殿は室町時代前期の建武から明徳年間(1333-1392)に建てられたものと考えられています。檜皮葺きの一間社春日造りの社殿です。明治41年(1908)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/矢田坐久志玉比古神社本殿
奈良県大和郡山市矢田町東良に矢田坐久志玉比古神社(やたにいますくしたまひこじんじゃ)があります。櫛玉饒速日命が天磐船に乗って大空を駆けたという故事により、神門には、プロペラが奉納されています。このプロペラは中島飛行機製の陸軍九一式戦闘機のものです。昭和18年(1943)に大日本飛行協会大阪支部が奉納したものだそうです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/矢田坐久志玉比古神社神門
奈良県大和郡山市矢田町東良に矢田坐久志玉比古神社(やたにいますくしたまひこじんじゃ)があります。矢田寺(金剛山寺)の東1kmの山裾に矢田坐久志玉比古神社が建てられています。櫛玉饒速日命(にぎはやひのみこと)と、妻の御炊屋姫命(みかしきやひめのみこと)を祀っています。物部氏の祖先神であり、矢田部氏の部族神ともいわれています。当社は貞観元年(869)に従五位上を授けられ、延喜式大社で、月次・新嘗の幣帛を預る矢田地方隋一の名社です。古くは矢落大明神又は矢田の大宮と呼ばれました。天孫降臨に先立って櫛玉饒速日命が天磐船に乗って降臨した際、上空から3本の矢を射て、その2本目が落ちた場所とされ、「矢田」という地名の元になっています。矢田坐久志玉比古神社の本殿と、末社の八幡神社の社殿は国の重要文化財に指定されています。天...矢田坐久志玉比古神社
奈良県大和郡山市矢田町に矢田寺(やたでら)があります。本堂手前の参道にみそなめ地蔵と呼ばれるお地蔵様が置かれています。昔ある農婦がみその味が悪くなり困っていました。ある夜、夢の中に石のお地蔵様が現われ「その味噌を食べさせてくれたら、良い味にしてやろう」と告げました。翌朝、矢田寺に夢に現れたお地蔵様を見つけ、味噌をその口許にぬったところ、家の味噌がよくなったそうです。以来、皆がお地蔵様の口許へ味噌をぬるようになり「みそなめ地蔵」と呼ばれるようになりました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/みそなめ地蔵
奈良県大和郡山市矢田町に矢田寺(やたでら)があります。矢田寺の本堂裏山には大正時代に開かれた矢田寺八十八ケ所霊場があります。1周約3kmで、1時間半もあれば廻ってこれるそうです。矢田丘陵の自然の中の山道に、四国霊場の各お寺の本尊と弘法大師の石仏が置かれています。四国霊場を巡礼したのと同じ功徳が授かるとのことです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/矢田寺八十八ケ所霊場
奈良県大和郡山市矢田町に矢田寺(やたでら)があります。鐘楼は本堂の正面にあり、梵鐘は寛元4年(1246)に鋳造された奈良県指定文化財です。京都に平安時代初期、この矢田寺の別院として創建された矢田寺(金剛山寺)があります。小野篁と関係が深い閻魔・篁堂がある京都の六堂珍皇寺では、お盆に先祖の霊を迎えるため鐘をつく「お迎え鐘」が行われます。京都の矢田寺では冥途に送るため「送り鐘」が撞かれるそうです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/矢田寺鐘楼
奈良県大和郡山市矢田町に矢田寺(やたでら)があります。閻魔王は、死者の過去の罪を裁く十人の裁判官のひとりです。閻魔堂には、閻魔王とその眷属(けんぞく)が祀られています。矢田寺の満米上人は、小野篁(昼は嵯峨天皇に仕え、夜は閻魔大王に仕えたといわれます)とともに地獄で閻魔大王と会ったそうです。地獄の罪人を救う地蔵菩薩に出会い、地上に戻ってから4人の翁(春日4神)の協力でその姿を写して像を彫ったそうです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/矢田寺閻魔堂
奈良県大和郡山市矢田町に矢田寺(やたでら)があります。矢田寺の塔頭・北僧坊は矢田寺開山の智通僧正の住坊だったところです。桃山時代、豊臣秀吉の異父弟の大和大納言豊臣秀長が、郡山城内より書院と茶室を移築し遊居したと伝えられています。所蔵する木造虚空蔵菩薩坐像は国の重要文化財で、奈良国立博物館に寄託しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/矢田寺北僧坊
奈良県大和郡山市矢田町に矢田寺(やたでら)があります。矢田寺本堂は間口7間、奥行4間、単層、入母屋造り、本瓦葺きで、正面に向拝が付けられています。室町時代の末期に再建された建物で奈良県の有形文化財に指定されています。堂内には創建当初は本尊だったと伝えられる十一面観音立像や本尊の地蔵菩薩立像などが安置されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/矢田寺本堂
奈良県大和郡山市矢田町に矢田寺(やたでら)があります。矢田寺境内にある春日神社の本殿は檜皮葺きの一間社春日造りの建物です。室町時代後期の応仁から元亀年間(1467-1572)頃に建てられたと考えられています。矢田寺の鎮守社であった春日神社本殿は大正9年(1920)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/春日神社本殿
奈良県大和郡山市矢田町に矢田寺(やたでら)があります。矢田山(やたさん)矢田寺は正式には金剛山寺(こんごうせんじ)という高野山真言宗別格本山で、矢田兵陵の中心矢田山の中腹にあり弘仁年間(810-824)に満米(まんべい)上人によって中興されました。上人自ら刻んだ地蔵菩薩像を祀り、地蔵信仰の中心の寺として栄えました。平安時代初期に本尊となった地蔵菩薩は日本最古の延命地蔵菩薩で国の重要文化財に指定されています。「矢田のお地蔵さん」として広く知られるようになり、繁栄していきました。創建当初は七堂伽藍で48坊を持つ大寺でしたが、戦乱などにより多くは焼失し、現在は矢田寺北僧坊、矢田寺大門坊、矢田寺念仏院、矢田寺南僧坊の4つの塔頭を総称して「矢田寺」と呼んでいます。広い境内には本堂、講堂、閻魔堂、阿弥陀堂、開山堂、御...矢田寺(金剛山寺)
奈良県大和郡山市山田町に松尾寺(まつおでら)があります。本堂のうしろに神霊石の大岩があります。不動明王三尊と役行者の石像が祀られています。大岩を巡って、西国三十三所松尾山石仏観音(ミニ霊場)があり、修験の山の様相を残しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/神霊石の大岩
奈良県大和郡山市山田町に松尾寺(まつおでら)があります。松尾寺には鎌倉時代の十三重石塔が残されています。高さ342cmで、舎人親王の毛骨を納めたものと伝えられています。初層の軸部にウン、タラク(宝生)、キリク(阿弥陀)、アク(不空成就)の金剛界4仏の梵字が刻まれています。相輪部は伏鉢、請花・九輪・水煙を一石から彫り上げています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/松尾寺十三重石塔
奈良県大和郡山市山田町に松尾寺(まつおでら)があります。松尾寺の鐘楼には「厄除の鐘」と呼ばれる梵鐘が吊下げられています。参詣客は年中自由に撞くことができますが、やくよけ除夜祭には長蛇の列ができるそうです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/松尾寺鐘楼