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2013/06/15

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  • 教念寺経堂

    長野県諏訪市小和田に教念寺(きょうねんじ)があります。教念寺の経堂は文政9年(1826)に建てられています。宝形造り、土蔵白漆喰仕上げ、銅板葺きの建物です。内部には六角経蔵が収められています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/教念寺経堂

  • 教念寺山門

    長野県諏訪市小和田に教念寺(きょうねんじ)があります。教念寺の山門は入母屋造り、銅板葺きの三間一戸、八脚楼門です。明治時代に建てられたもので、外壁は真壁造り板張り、上層部に高欄が付けられています。初代立川和四郎冨棟が制作したという「源海山」の山号額が掲げられています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/教念寺山門

  • 教念寺本堂

    長野県諏訪市小和田に教念寺(きょうねんじ)があります。教念寺の本堂は天保年間(1830-1844)に焼失し、弘化年間(1844-1847)に立川流四代目・和四郎冨惇が棟梁になり再建された建物です。間口3間、奥行3間、入母屋造り、平入、銅瓦葺きで正面に向拝が付いています。中尊阿弥陀如来像、脇侍勢至菩薩像、観音菩薩像、百体観音などが安置されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/教念寺本堂

  • 教念寺

    長野県諏訪市小和田に教念寺(きょうねんじ)があります。源海山教念寺は浄土宗知恩院の末寺です。室町時代後期の永正年間(1504-1524)に教譽淨念が一宇を設けたのが始まりです。元亀2年(1571)に一袋上人が浄土宗のお寺として開山しました。高島城築城後、現在地に移され、江戸時代には関東18談林の一つに選ばれたそうです。学問所として多くの僧侶が修行に訪れたようです。本尊・阿弥陀如来のほか諏訪湖湖畔七福神の弁財天なども安置されています。鎌倉時代末期に造られ享和元年(1801)に教念寺17世卓門上人が伊勢宝積院の義音上人から譲られたという国指定重要文化財の「絹本著色羅漢像」をはじめ、諏訪市指定有形文化財の「観経変相曼陀羅」、「金銅善光寺仏脇士仏」、「阿弥陀如来来迎図」、「紙本著色当麻曼陀羅図」などを所蔵していま...教念寺

  • 足長神社舞屋

    長野県諏訪市四賀足長山に足長神社(あしながじんじゃ)があります。足長神社の舞屋(神楽殿)は間口5.7間(10.3m)、梁間3.5間(6.4m)、木造平屋建て、入母屋造り、銅板葺きの建物です。江戸時代後期の文久2年(1862)に棟梁の石田房吉らにより建てられています。正面開口部上に大きな虹梁(こうりょう)を渡し、その上に龍・漠(ばく)などの彫刻を施しています。木鼻には獅子が彫られています。昭和63年(1988)に諏訪市の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/足長神社舞屋

  • 足長神社本殿

    長野県諏訪市四賀足長山に足長神社(あしながじんじゃ)があります。足長神社の本殿は一間社流造り、銅板葺き(元こけら葺き)です。拝殿より一段高い所にあり、渡廊で結ばれています。社額裏面の墨書から江戸時代中期の延享4年(1747)頃に再建されたと思われます。平成6年(1994)に諏訪市の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/足長神社本殿

  • 足長神社拝殿

    長野県諏訪市四賀足長山に足長神社(あしながじんじゃ)があります。足長神社の拝殿は江戸時代後期の天保13年(1842)に大隅流の矢崎専司らにより建てられています。木造平屋建て、間口1間(3.8m)、奥行2間(3.1m)の五棟造り(正面に千鳥破風、軒唐破風が付いた切妻造り)、平入の社殿です。木鼻に唐獅子、欄間に龍、鷹、鶴、脇障子に麒麟、鳳凰などの繊細な彫刻が施されています。江戸時代後期の社殿建築の遺構として貴重な建物で、昭和63年(1988)に諏訪市の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/足長神社拝殿

  • 足長神社

    長野県諏訪市四賀足長山に足長神社(あしながじんじゃ)があります。足長神社は古代から崇敬され、祭神の足摩乳(あしなづち)神は上桑原村の産土神として信仰されてきました。当初は夫婦神とされる手長神社も祀られていましたが、下桑原村に遷座しています。平安時代初期の大同年間(806-810)に諏訪神社上社大祝の始祖である御表衣祝有員(みそぎほうりありかず)が足長神社を崇敬し、広大な社殿を造営しました。以後、足長神社は諏訪大社の末社になり、諏訪上社の御柱祭に足長神社が奉納しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/足長神社

  • 五本杉

    長野県諏訪市中洲神宮寺に諏訪大社上社神宮寺跡(すわたいしゃかみしゃじんぐうじあと)があります。五本杉は、1本は落雷により倒れ、現在は4本となっていますが、五本杉して諏訪市の天然記念物に指定されています。樹齢は約400年で、幹周は4mから5m64cmぐらいあるそうです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/五本杉

  • 心字池

    長野県諏訪市中洲神宮寺に諏訪大社上社神宮寺跡(すわたいしゃかみしゃじんぐうじあと)があります。心字池は坂上田村麻呂が東夷征伐の途中、諏訪明神の加護を祈り、心字池の井戸で手を清めたと伝えられています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/心字池

  • 諏訪大社上社五重塔跡

    長野県諏訪市中洲神宮寺に諏訪大社上社神宮寺跡(すわたいしゃかみしゃじんぐうじあと)があります。諏訪大社上社の五重塔は延慶元年(1308)に下伊那の知久敦信により建てられたそうです。礎石からの高さは16間1尺4寸5分(29.53m)あったそうです。明治初年の廃仏毀釈により壊されましたが、本尊の五智如来像は四賀の万福寺へ移されました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/諏訪大社上社五重塔跡

  • 諏訪大社上社神宮寺跡

    長野県諏訪市中洲神宮寺に諏訪大社上社神宮寺跡(すわたいしゃかみしゃじんぐうじあと)があります。諏訪大社上社の東には神宮寺跡があります。神仏分離令前の地図には普賢堂・大師堂・阿弥陀堂・五重塔・鐘楼・釈迦堂・不動堂・上り仁王門・下り仁王門、観音堂、薬師堂、塔頭(たっちゅう)の如法院、神洞院、宝蔵坊、蓮乗坊、執行坊などが載っています。神宮寺は弘法大師の創建といわれ、普賢神変山と号する真言宗のお寺でした。神宮寺奥殿が普賢堂で、坂上田村麻呂が開創し、空海が移したと伝えられています。神宮寺という地名だけは残されていますが、神仏分離令、廃仏毀釈により壊され、今はマレットゴルフ場となっています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキン...諏訪大社上社神宮寺跡

  • 吉良義周墓

    長野県諏訪市中洲神宮寺に法華寺(ほっけじ)があります。法華寺には吉良上野介義央(よしなか)の養子である吉良義周(よしちか)の墓があります。米沢藩主上杉綱憲の二男として生まれ、祖父にあたる義央の養子となりました。元禄15年(1703)、赤穂浪士討ち入りに遭遇し、後に高島藩主諏訪忠虎にお預けとなり、高島城の南丸に幽閉されました。21歳の若さで病死し、法華寺に葬られました。墓は昭和54年(1979)に諏訪市指定史跡に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/吉良義周墓

  • 法華寺

    長野県諏訪市中洲神宮寺に法華寺(ほっけじ)があります。鷲峰山法華寺は諏訪大社上社に隣接する臨済宗妙心寺派のお寺です。法華寺は諏訪大社上社本宮の神宮寺の宮寺の1つでした。周りには神仏分離令と廃仏毀釈により壊された五重塔や如法院、普賢堂、釈迦堂の跡などが点在しています。法華寺は天台宗のお寺として開かれましたが、鎌倉時代の寛元年間(1243-1247)に領主だった蓮仏入道盛重が中興し、建長寺の蘭渓道隆を招いて臨済宗に改められました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/法華寺

  • 横谷渓谷

    長野県茅野市北山蓼科に横谷渓谷(よこやけいこく)があります。蓼科中央高原の横谷渓谷は渋川に沿って、明治温泉から横谷温泉にかけての約4kmの美しい渓谷です。断崖には木々や草花が生い茂り、渓流沿いには大小の滝や巨岩が点在しています。最初に現れる乙女滝は、名前からは想像できない豪快な滝です。さらに川沿いを行きますと霧降の滝へ行かれます。対岸には鷲岩、一枚岩、屏風岩の奇岩を見ることができます。自然が造りだした素晴らしい景観です。王滝は繊細な流れで、特に紅葉の季節はコントラストが美しいと評判です。横谷観音からは南アルプスから乗鞍、北アルプスまで見渡せます。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://b...横谷渓谷

  • 尖石縄文考古館

    長野県茅野市豊平に尖石縄文考古館(とがりいしじょうもんこうこかん)があります。八ケ岳の西側、標高1000m余の緩斜面にある尖石遺跡は、約5千年前の縄文中期を代表する遺跡です。八ヶ岳には多くの縄文遺跡が発見されています。中でも「尖石遺跡」は学術的価値が高いとして国の特別史跡に指定されています。この遺跡は、昭和初期から宮坂英弌氏が発掘調査を進め、日本で初めて縄文時代の集落研究が行われた遺跡であるといわれています。隣接する茅野市尖石縄文考古館では、国宝の土偶・縄文のビーナスや、重要文化財の土偶・仮面の女神などを展示しています。平成12年(2000)7月に完成した「新尖石縄文考古館」を中心に、北に与助尾根遺跡、南に尖石遺跡があります。合わせて尖石遺跡と呼ぶこともあります。館内には美的感覚の優れた「土偶」や、たくま...尖石縄文考古館

  • 蓼科温泉郷

    長野県茅野市に蓼科温泉郷があります。蓼科温泉は蓼科山や北横岳など八ヶ岳連峰の北西部の高原にある温泉地です。蓼科湖畔やプール平に、ホテル・旅館が多く点在しています。標高1200mから1600mに位置しており無色透明で弱酸性の温泉郷です。「蓼科グランドホテル滝の湯」がある滝の湯、小斎(こさい)の湯、「蓼科温泉ホテル親湯」親湯(しんゆ)などの温泉は鎮痛効果にすぐれた酸性泉または単純温泉で、蓼科温泉といわれています。近くには横谷渓谷がある横谷温泉などもあります。蓼科温泉は、戦国の武将武田信玄のかくし湯ともいわれ、胃腸病、婦人病、皮膚病などに効能があります。蓼科高原の観光開発で湯治温泉から近代的な観光温泉になりました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/ja...蓼科温泉郷

  • 蓼科高原美術館・矢崎虎夫記念館

    長野県茅野市北山に蓼科高原美術館・矢崎虎夫記念館があります。蓼科高原美術館はピラタス蓼科ロープウェイ山麓駅近くにある美術館です。北八ヶ岳山麓という立地条件を生かし、自然との調和をテーマに「自然の聞こえる贅沢な時間、空間作り」を目指している美術館です。茅野市出身で日本彫刻界の巨匠として知られる矢崎虎夫の代表作を収蔵し、その偉業をたたえるため平成3年(1991)に開館しました。力強い作品が、八ヶ岳の大自然と見事な調和を生み出しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/蓼科高原美術館・矢崎虎夫記念館

  • 蓼科湖

    長野県茅野市北山に蓼科湖があります。古くから別荘地として愛されてきた蓼科高原。そのシンボルといえるのが、昭和26年(1951)に完成した人造湖の蓼科湖です。面積8.5ha、最深部7mで、湖面の標高は1244mです。もとは地元の町村が、滝ノ湯川から引水し、水田を潅漑する農業用ため池と、冬季にはスケートリンクとして活用するために建設したものだそうです。緑に囲まれた高原の湖は、ボート遊びには最適です。蓼科湖畔にある蓼科湖レジャーランドにはローボート、ペダルボートなどのほか、湖畔にはゴーカート、パターコースがあります。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/蓼科湖

  • 諏訪大社上社前宮本殿

    長野県茅野市宮川に諏訪大社上社前宮(すわたいしゃかみしゃまえみや)があります。諏訪大社上社前宮の拝殿の背後には本殿があります。諏訪大社4社の中で唯一ある本殿です。諏訪神社で良く見られる流造ではなく、桁行4間梁間3間の切妻造りです。棟には鰹木を並べています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/諏訪大社上社前宮本殿

  • 諏訪大社上社前宮拝殿

    長野県茅野市宮川に諏訪大社上社前宮(すわたいしゃかみしゃまえみや)があります。拝殿は十間廊から50mほど離れた坂の上にあります。拝殿の横には神水である「水眼」と呼ばれる名水が流れています。木々に囲まれた妻入りの社殿で、周りには4本の御柱が建っています。社殿は伊勢神宮の用材を使って昭和7年(1932)に建てられました。拝殿の奥には墳墓があると伝えられています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/諏訪大社上社前宮拝殿

  • 諏訪大社上社前宮十間廊

    長野県茅野市宮川に諏訪大社上社前宮(すわたいしゃかみしゃまえみや)があります。二の鳥居の上にある十間廊は古くは神原廊と呼ばれていました。桁行10間、梁間3間、入母屋造りです。中世までは諏訪地域の政治や祭礼はこの場で行われ、現在でも上社で行われる神事のほとんどは、この建物で行われています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/諏訪大社上社前宮十間廊

  • 諏訪大社上社前宮内御玉殿

    長野県茅野市宮川に諏訪大社上社前宮(すわたいしゃかみしゃまえみや)があります。内御玉殿(うちみたまでん)は諏訪明神の祖霊がやどるといわれる御神宝が安置されていた御殿です。神事があるたびに、内玉御殿の扉を開き、大祝が神事を行っていました。現在の社殿は伊勢神宮の用材を使って昭和7年(1932)に建てられました。以前の社殿は天正13年(1585)に造営された上社関係では最古の建造物でした。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/諏訪大社上社前宮内御玉殿

  • 諏訪大社上社前宮

    長野県茅野市宮川に諏訪大社上社前宮(すわたいしゃかみしゃまえみや)があります。諏訪大社上社前宮は上社本宮から東南に約1.5km、八ケ岳や諏訪平を一望する神原(ごうはら)にあります。本宮の祭神・建御名方神が諏訪に入り、最初に居を定めた場所で、諏訪大社4社の中で最初に建てられた諏訪信仰の発祥の地です。境内の大半を占める広場の神原に、かつては大祝(おおほおり)の居館である神殿(ごうどの)の建物が建っていました。諏訪大社では木や石などに降りる精霊として、ミシャクジ神を祀っていました。奉祀する神職の最高位を大祝と呼び、上社の大祝「諏訪氏」は祭神の子孫として、下社の大祝「金刺氏」は皇族の子孫としていました。平安時代後期、諏訪・金刺の両氏が武力を持って大きな勢力となりました。祀られていた神もミシャクジから、上社は建御名...諏訪大社上社前宮

  • 聖光寺

    長野県茅野市北山蓼科に聖光寺(せいこうじ)があります。蓼科湖畔にある蓼科山聖光寺は昔からソメイヨシノの名所です。境内には1000本近くのソメイヨシノが植えられていて、毎年5月になると大勢の花見客で賑わいをみせます。旧トヨタ自動車販売(株)の社長であった神谷正太郎氏が発願しました。昭和45年(1970)7月奈良薬師寺長老の橋本凝胤師によって開眼されたということです。聖光寺は薬師寺の別院として知られ、交通安全祈願に訪れる参拝客も多いそうです。秋は紅葉が素晴らしく広い境内に大勢の人が来ています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/聖光寺

  • ピタラス横岳ロープウェイ

    長野県茅野市北山蓼科高原にピタラス横岳ロープウェイがあります。このロープウェイは横岳の山麓から坪庭を結ぶ通年運行のロープウェイです。山麓駅から山頂駅までは、全長2147m、標高差466m、所要時間は約7分です。北八ヶ岳の盟主ともいうべき横岳は標高2473m(南峰)です。北横岳の通称で親しまれています。その中腹、2240m地点まで100人乗りの大型ロープウェイが運行しています。ゴンドラからは八ヶ岳、南・中央・北アルプスが一望できます。縞枯れ山の珍しい縞枯れ現象も見ることが出来ます。山頂駅周辺は10万坪の溶岩台地「坪庭自然園」が広がっています。園内には広大な溶岩台地が広がり、20数種の高山植物が群生し、一周約30分で散策できる坪庭探勝路が敷かれています。縞枯山や横岳、八ケ岳の稜線が一望できます。下記のサイトに...ピタラス横岳ロープウェイ

  • 車山高原

    長野県茅野市米沢車山高原に車山高原(くるまやまこうげん)があります。車山一帯が車山高原と呼ばれ、標高は1925mで、霧ヶ峰の最高峰です。春から夏にかけ、レンゲツツジ、ニッコウキスゲ、マツムシソウの群落が咲き揃います。冬季には、車山高原スキー場としてスキーが楽しめます。車山の名前は、山の頂に溶岩が円く堆積してできた「円頂丘」に由来する説と、「くるま」という地名に由来する説があります。円い形状が車山の名前の由来の鍵となっているようです。リフトが通年動いていて手軽に頂上に行くことが出来ます。さまざまな小動物や草花などを見る事ができるレジャースポットもあり、公園・博物館・レストラン・テニスコートやグラウンドなどの施設も備え付けられています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne....車山高原

  • 白岩観音堂

    白岩観音堂は諏訪七観音の1つとして信仰され、歴代高島藩主から庇護されました。元禄年間(1688-1703)に藩主・諏訪忠虎により現在地に移されたといわれています。現在の観音堂は安永3年(1774)に立川流初代の立川和四郎富棟が初めて手掛けて再建された建物です。間口3間、奥行3間、入母屋造り、銅板葺きで、正面に軒唐破風を付けた1間の向拝があります。虹梁に竜の彫刻があり、向拝柱の木鼻には、正面に唐獅子、側面に漠の彫刻が彫られています。大きな堂ではありませんが、信州に多数ある立川流の寺社建築の原点になり、平成元年(1988)に県宝に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://bl...白岩観音堂

  • 惣持院・白岩観音堂

    長野県茅野市塚原に惣持院・白岩観音堂(そうじいん・しろいわかんのんどう)があります。惣持院は白岩観音堂の別当で同じ境内にあり、茅野の中心市街地に位置しています。白岩山惣持院は高野山真言宗のお寺で、寛正3年(1462)に創建され、永禄13年(1570)に現在地に移っています。惣持院の入口は冠木門になっており、摩利支天や不動明王などの石仏が並んでいます。それほど大きくない真直ぐ奥に白岩観音堂が建てられています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/惣持院・白岩観音堂

  • に御射鹿池

    長野県茅野市豊平奥蓼科に御射鹿池(みしゃかいけ)があります。御射鹿池は標高1500mの山の中にあり、東山魁夷画伯の「緑響く」の舞台となった場所として有名です。その後、シャープのAQUOSのCMでも使用され、さらに知られるようになりました。御射鹿池は農業用のため池で、農林水産省の「ため池100選」にも選ばれています。冷たすぎる八ヶ岳の水を太陽にあて、稲作に利用するために、昭和の初めに造られた人造湖です。池の水質は酸性が強く魚が生息できません。このため透明度は高く、澄み切っています。鏡のように周囲のカラマツ林などが映り込み、神秘的な雰囲気を出しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http:/...に御射鹿池

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