わたしなりのグリーフワーク
こころの傷は外からはみえない・・・。自死により遺されたひとびとは大勢います。わたしもそのひとりです。母と親友を喪いました。思いを綴ることはわたしなりのグリーフワークです。
2015年4月
一年ほど前に、ひょんなことから知り合ったCちゃんはご主人をがんで亡くされてまだ一年足らずの未亡人だった。なんとなく心安く、メールを交わすようになったのだけれど全身で悲しみ、全身で亡き夫を愛しみ、想い出を語る彼女がなんだか眩しくて、わたしはやはり、母と親友を亡くしたのが自死だったとはとても言えなかった。大切なひととのたくさんの想い出を胸に彼女がこの一年で次第に顔を上げて、前を向いてどんどん歩き出し始める行程を目の当たりにして「病死」と「自死」の大きな違いを改めて感じ入ってしまった。母を亡くして、今度の6月で10年。親友を亡くして、8月で4年。自分を許せない、納得ができない別れは時間が経っても経ったようには感じないものなのかもしれない。それでもかなしみに、慣れることはできたし、ちゃんと私も、自分の人生と、周りのひと...自死遺族ブログ卒業します。
先日、亡くした親友のあの子のおかあさんにねこのぬいぐるみを贈った。遠い山里へ電話をかけたら、いつもよりも明るい声。受話器の向こうに笑顔がみえる。「かわいくて、毎日ねこをふとんに入れて寝とります。朝にはふとんから飛んで出てるんやけど(笑)」と、彼女のおかあさん。ふわふわねこのぬいぐるみに名前をつけて可愛がってくれているとわかってすごくすごくほっとする、私。ああよかった。笑顔がちょっともどってよかった。。。あの子も空で喜んでくれてるね、きっと。うれしいこと
母を亡くした後、毎晩大きめのふわふわのくまのぬいぐるみを抱きしめていないと眠れなかった。当時既に、もうすぐ30代も終わる三児の母だったというのにね~。でも、言葉にできないほど辛い状態にある心にふわふわとした柔らかい「ぬいぐるみ」は思い掛けないほどの安心感と安らぎをもたらしてくれる。それはきっと性別も年齢も関係ないのではないかな・・・。乳幼児期の、親のぬくもりに包まれた安心感を本能が覚えているのだと思う。亡くした親友のあの子の高齢の父親が亡くなられた。時折、電話で話す彼女のおかあさんは・・・とうとう遠い山里でひとりぼっち。何か心を和ませてあげられるもの・・・暫しのかなしみの休憩に・・・とふわふわのねこのぬいぐるみを贈った。あの子は、子どもの頃に猫を飼っていたそうだしもしかしたら、そのねこのぬいぐるみに話しかけてひ...ふわふわしたもの
風に揺れる夜桜の下で。たいせつなひとを想う時その想いはきっと伝わってる。そう信じよう!夜桜の下で
2015年4月
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