ハンガリーを拠点にカメラ片手に周辺の“いい処”探しの旅と歴史・生活情報
米国とハンガリー、メキシコの20年間の駐在生活ののち、晴耕雨読を目指してバラトン湖畔(ハンガリー)に居残ってしまった、かつての企業戦士。中世の教会を主体に写真撮影の旅を楽しんでいる。
街の発展に川の必要性とそれを活用する橋の重要性は古今東西共通の課題であった。ブダペストにおいても例外ではなく、今回はドナウ川に架かる橋についての街作りにかけた夢と経緯を紐解いてみようと思った。同じような情報や写真が重複するかも知れないが、歳を取ると忘れぽくなり、クドクもなるのか.......ご容赦を。ブダペストの郊外も含めるとドナウ川に架かる橋は鉄道用も入れて、全部で11橋梁ある。そのロケーションは次の通りである(2019年現在)1.ブダペストに架かった最初の橋橋のない時代には筏やボートで渡っていたことは、古代ローマ帝国の時代からの方法であり、街や村が出来始めると渡し舟(今流でのフェリー)というものになった。1790年代になると多数の舟を結びつけて板を渡したいわゆる舟橋になった。運行する船の為に、一日二回は真ん...ブダペストの明日を架けた橋たち
もうかなり長い間ハンガリーで暮らしてきたけど、ブダペストの事となるとアバウトな知識ばかりで、チコちゃんに「ボゥーと生きてんじゃねぇ~よ」と叱られるほど、なんとノホホ~ンと暮らしてきたことか......そこでブダペストの生い立ちと現在の街並みを重ね合わせながら、「ドナウの真珠」の源に迫ると共に、より一層の認識と愛着を深めようと。1.最初にブダペストに住んでいた民族は...ローマ帝国が進出してくる前に、紀元前数世紀よりケルト人がドナウ川流域を広く支配しており、紀元前1世紀頃には今のゲッレールトの丘の麓に集落を作り、丘の斜面には葡萄畑が広がっていたという。●推定される現在の位置Mar.032019ブダの丘とゲッレールトの丘との間には小川がドナウ川に流れ込んでおり、村落は後に“タバーン”と呼ばれる街となり、セルビア人や...知っている積りだったブダペスト
ブダペスト市内を循環するバスには今、どのようなメーカーと車種が運行されているのか、俄然興味が湧き市内を散策してみることにした。よってこの情報は2019年3月時点のもので、掲載した写真も特記した以外は3月2~3日に撮影したものである。下記に列記する順番は、概ねBKV(ブダペスト交通局)のメジャーなメーカー順になるかと推定。1.メルセデスベンツ(Mercedes-Benz)●オーブダ(Ó-buda)を走る“シタロ(CITARO)-G”2016年より導入された3軸の連接バスで、座席42人+立ち46人乗り、MercedesOM407(10.7L)265kw出力エンジン搭載●アルパード橋(Árpádhid)沿いを走る“シタロ(CITARO)”2012年より導入された2軸のソロバス、座席28人+立ち40人乗り、Merced...ブダペストのバスたち
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