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撮り旅・ヨーロッパ https://blog.goo.ne.jp/balaton620

ハンガリーを拠点にカメラ片手に周辺の“いい処”探しの旅と歴史・生活情報

米国とハンガリー、メキシコの20年間の駐在生活ののち、晴耕雨読を目指してバラトン湖畔(ハンガリー)に居残ってしまった、かつての企業戦士。中世の教会を主体に写真撮影の旅を楽しんでいる。

balaton620
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住所
ハンガリー
出身
新潟県
ブログ村参加

2013/02/05

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  • バラトン湖をスケッチ(14)秋の終りに

    サクランボの木から枯葉がすっかり散ってしまうと、いつもと変わらぬ自然の摂理、冬の始まりである。■枯葉焚き紅葉観賞とキノコ採りも終わると、散って積もった枯葉の焼却はバラトン湖界隈の冬を迎える風物詩。1回では済まないので、10月末から2,3回に分けて行うが、初雪の降る前の11月末までに終えるのが我が家の冬支度スケジュール。今回は最後となった11月22日の枯葉焚きのスケッチを冒頭に使いました。枯葉に因んだ曲は数え切れないほどあるが、そのものズバリの「autumnleaves」を私の最も気に入っている歌手のEvaCassidy(1963-1996)のヴァージョンで以下のブログを観る間、お聴き下さい。彼女は33歳の若さで癌に侵され亡くなり、皮肉にも旅だった後に爆発的に人気が沸騰しました。枯葉の如く、音もなくハラリと散る情...バラトン湖をスケッチ(14)秋の終りに

  • バラトン湖をスケッチ(13)駅

    もうすぐスケッチを始めて一年になろうとしています。三日坊主になるかと思っていたけどよく続いたもの、腕の方は如何ほどにと、ずうっと描いてみたかった我が村の無人駅を。それもこの時期特有の濃霧の中という幻想的な姿を描いてみました。絵の元画像Dec.202019撮影スケッチしたら、....なんと、霧が上手く描けない、これが実力の進歩かとトホホでした。早速、霧の出ない今なら上の絵に合致するのではと、以前と同じ早朝に撮って来たのがこれ☟始発列車では暗過ぎNov.1920205:50a.m.発2番列車では、樹が色づいているNov.1920207:15a.m.発何故、この駅が気に入っているかと言うと、次の景色がyoutubeの竹内まりやさんの「駅」の映像とぴったりフィットしており、年に何度も利用する訳でもないけど、散歩コースの...バラトン湖をスケッチ(13)駅

  • バラトン湖をスケッチ (12) 晩秋

    ハンガリーの晩秋は紅葉になる樹は疎らで、むしろ黄葉と言うに近い風景になる所が多いようだ。あと一ト月もすると残っている枯葉もすっかり落とし冬景色、冬が来る前に....■ティハニー(Tihany)湖畔の並木道をスケッチOct.292020撮影■私の散歩道(Balaton-világos)でのスケッチ☝毎度の“夕陽ケ丘”より対岸を眺める。☟逆に対岸(Balaton-akarattya)より“夕陽ケ丘”を眺める。●“夕陽ケ丘”ではNov.072020●対岸ではNov.062020<ロケーション>...朱丸印スケッチ場所、青印はViewこれにて「バラトン湖をスケッチ(12)晩秋」は、お終いです。本ブログをご覧頂きまして、ありがとうございました。バラトン湖をスケッチ(12)晩秋

  • 東部国境沿いの教会スケッチ(4)

    最東端の国境から南に回り込む(地図上では下がる)とルーマニアと単独で接する様になるが、そこは第一次世界大戦まではハンガリーの領土であったトランシルヴァニア地方の入口でもある。状況は日本の北方領土問題とかなり類似しているかも知れないが、恐らく当時としては500年以上もの間、ハンガリーの国土であり続けたので、凄い数のハンガリー人が取り残され、もっと深刻な問題であったような気もする。この地域を以って、東部の国境沿いの教会スケッチの結びとしたい。ここでの最も重要な街として、ハンガリー第二の都市デブレツェン(Debrecen)があるが市民公園よりダウンタウンを眺めて見ると、(1998年5月初訪問時のアナログ写真より)右側向こうに聳える2本のバジリカ塔がカルヴィン派の大教会である。街のメイン通り(Piacútja)が駅へと...東部国境沿いの教会スケッチ(4)

  • 東部国境沿いの教会スケッチ(3)

    いよいよ国境の最東端まで来てしまった。北に向かうとウクライナ、南はルーマニアとなる。ここでの冒頭を飾る風景としては、まだ現役で働いている水車のある村風景。観光用ばかりだけでなく、実際に稼働している水車はハンガリーの全域でまだたくさん残っている。<風景スケッチ>Aug.202008撮影<ロケーション>●ハンガリー全土としての位置づけ●詳細...青丸印は冒頭の風景場所、赤丸印は今回の訪問教会■ションカード(Sonkád)改革派教会...カルヴィン派15世紀にゴシック様式で建てられ、塔は1807年に追加された。南門が他に類のないユニークな形状で注目を集めているらしい。Aug.202008撮影南門●内陣の特徴天井の絵板(パネル)とアーチ壁の壁画で共に、1795年に作られた物。■チェンゲル・シマ(Csenger-sima...東部国境沿いの教会スケッチ(3)

  • 国境沿いの教会スケッチ(2)

    これは仮想のスケッチ旅行であることを予め断っておきます。但し、仮想とは言っても、今現在の事ではないというだけで、過去の旅を紐解いています。このコロナ禍は、こちらでも感染の第二波が襲っており、より一層の自粛が要請されおり、国外の渡航は実質不可能、国内ならば日本の様な「GOTO何がし」があったら、すぐにも腰を浮かせたいところですが......当面は行った積りで思い出のスケッチ旅行が無難かと。今回の教会たちは、個人的にもお気に入りの教会が揃った地域であり、紹介したい物が一杯あり過ぎるので、詳細については過去の投稿写真を観て戴きたく、今回はスケッチ中心と要点のみと致しました。●2013/04/01投稿タイトル「Lónya/Vámos-atya教会」●2013/04/02投稿タイトル「Csarda/Tákos教会」ティサ...国境沿いの教会スケッチ(2)

  • 東部国境沿いの教会スケッチ(1)

    ハンガリーの東部はスロヴァキアとウクライナに接しています。四方を海で囲まれた日本では塀あるいは金網の向こうが隣国だなんて想像がしづらい訳ですが、ひと昔前まではその塀を越えることはタブーでした。(EUに加盟していないウクライナは緩和されたとは云え、未だ国境警備は厳しいものがあります)ハンガリーの風物詩である草原の牧草ロール(ロールベール)と隣国の山岳地帯を望む風景がこの地方の特徴であろう。Aug.192008撮ロールベールは直径1.5m、重さ350kgほどの大きさで牛などの家畜の餌となる。そして日本の合掌造りに相当する茅葺屋根の古民家<ロケーション>....赤丸印は今回紹介する教会の位置シャーロシュパタク(Sárospatak)はジグモンド(Zsigmond在位1387-1437)国王から自由都市の優遇を受け、特...東部国境沿いの教会スケッチ(1)

  • ハンガリー東部ミシュコルツをスケッチ(2)

    前回に引き続き、❸ヴィジョリィ(Viszoly)改革派(カルヴィン派)教会教会は13世紀にロマネスク様式で建てられ、その後14世紀にゴシック様式を取り混ぜた大きな内陣と塔を追加拡張した。<ロケーション>.....赤二重丸が今回の教会位置■教会の外観●13世紀創設期の祭壇と内陣(南側)●14世紀に追加された内陣と塔●教会の北側全景●東側(県道)より見た教会の全景■内陣内陣の全景;奥が祭壇部で新旧の内陣は仕切り壁で分かれている。これだけ多くの壁画が保存よく残されている教会は珍しく貴重な遺物である。●祭壇部のフレスコ画(壁画)◆13世紀の内陣にある壁画よく美術雑誌で見掛ける壁画でキリストを描いたようだ。◆天井は交差リブのヴォールト構造に色が鮮やかに残っているのは嬉しい。̻̻🔹14世紀の内陣側の壁面には....🔹天井は...ハンガリー東部ミシュコルツをスケッチ(2)

  • ハンガリー東部のミシュコルツをスケッチ

    この地域のカバーページを飾るスケッチを考えた時、一番に頭に浮かんだのがボルドグ・クー城(Boldog-kővár)であった。直訳すると「幸せの石」となる。山頂に佇む美しい城塞(主観的なミシュコルツのイメージである)ミシュコルツ(Miskolc)は、ハンガリーの東部にあってデブレツェン(Debrecen)に次ぐ大きな街であり、人口15.5万人(2018年)は国内では4番目に位置する。1989年の共産圏時代には20万人を超え、ブダペスト、デブレツェンに次ぐ3番目の工業都市であったが、旧ソ連崩壊後は西側から遠いということもあり、生産→工場の衰退で人口も激減した。工業都市ということで市街地よりも郊外の方に歴史的な建造物を含めた観光施設が多い。(温泉、行楽とアウトドア・ライフ、城塞、古い教会等)●温泉では洞窟温泉が、●行...ハンガリー東部のミシュコルツをスケッチ

  • ハンガリー東部のミシュコルツをスケッチ

    この地域のカバーページを飾るスケッチを考えた時、一番に頭に浮かんだのがボルドグ・クー城(Boldog-kővár)であった。直訳すると「幸せの石」となる。山頂に佇む美しい城塞(主観的なミシュコルツのイメージである)ミシュコルツ(Miskolc)は、ハンガリーの東部にあってデブレツェン(Debrecen)に次ぐ大きな街であり、人口15.5万人(2018年)は国内では4番目に位置する。1989年の共産圏時代には20万人を超え、ブダペスト、デブレツェンに次ぐ3番目の工業都市であったが、旧ソ連崩壊後は西側から遠いということもあり、生産→工場の衰退で人口も激減した。工業都市ということで市街地よりも郊外の方に歴史的な建造物を含めた観光施設が多い。(温泉、行楽とアウトドア・ライフ、城塞、古い教会等)●温泉では洞窟温泉が、●行...ハンガリー東部のミシュコルツをスケッチ

  • ハンガリー北東部国境の教会スケッチ(2)

    前稿に引き続き、次の教会から、●サロンナ(Szalonna)改革派(カルヴィン派)教会●ルダバーニャ(Rudabánya)改革派(カルヴィン派)教会●ツボジィ(Zubogy)改革派(カルヴィン派)教会<ロケーション>◆サロンナ(Szalonna)カルヴィン派)教会教会はアルパード王朝時代からの石造りの教会である。1562年にオスマン帝国軍によって、当時、壁面に描かれていた壁画は白い漆喰で上塗りされ、廃墟化していた。1589年にカルヴィン派の所有となり現在に至る。教会の入口教会の裏側(祭壇側)●内陣1970年に上塗りされていた壁を削り取って、絵を復元した。「聖マルギットの伝説」という名の貴重な壁画であるらしい。内陣の入口側(天井には絵板パネルはないが、階上礼拝席の側面パネルが存在)◆ルダバーニャ(Rudabány...ハンガリー北東部国境の教会スケッチ(2)

  • ハンガリー北東部国境の教会スケッチ(1)

    ハンガリーの北東部ではアッグテレク・カルスト台地(Aggteleki-karszt)をスロヴァキアと共有しており、地下では国境もなく繋がっている。両国合わせて1200もの洞窟があると云われており、1995年にユネスコの世界遺産に登録された。全長25Kmに及ぶバラドラ洞窟はヨーロッパ最大の洞窟である。バラドラ洞窟(Baradlabarlang)入口Aug.152007何億年もの歳月で出来た石灰岩の自然の造形には、各々名前が付けられているこの地域は外部からの侵略者も触手を伸ばさなかった秘境であった為か、幸いに古くからの教会が破壊されることなく残っている。先を急ぐ必要もないのだから、古き、貴重な物にちょっとばっかし多くの紙面を使わせて戴こう。アッグテレク国立公園の麓にある5つの教会を紹介したい。<ロケーション>山と湖...ハンガリー北東部国境の教会スケッチ(1)

  • ハンガリー東部エゲルの教会スケッチ

    ハンガリーの最高峰マートラ(Mátra)山(898m)とブック(Bükk)国立公園に囲まれた峠の城下町エゲル(Eger)は、国内でも10指に入る観光地と言えるであろう。何といっても山のすそ野に広がる葡萄畑は、ワイン作りに最適な環境で銘柄のBekervérワインは知名度No.1である。それと歴史(教会)と温泉好きな人には、充分満足できる地域となることだろう。<エゲルの中央広場(Döbóistvánter)>エゲル川を渡るとエゲル城はすぐ鼻の先、右の教会は聖アンソニー教会で1771年の創建であるので中世の教会とは言い難い。エゲル城は1552年にオスマントルコ軍の襲撃に対して、38日間の死闘の末、1596年まで守り抜いたが、その後の91年間はオスマン帝国の支配となってしまった。この史実は学校の教科書でも記載され、子供...ハンガリー東部エゲルの教会スケッチ

  • 夏と秋の狭間で草花スケッチ

    近所の湖畔で見つけた、去り行く夏と秋を実感させる草花をスケッチしてみました。連日の夏日のぶり返しで、夕陽ガ丘(自分で勝手につけた名称)は、毎日違った顔の夕焼けをみせてくれている。近年、雑誌でも当地(バラトンの高台という名で)が紹介されたこともあり、週末には訪れる人がめっきり増えたものである。Aug.22.2020,p.m.18:21<Sep.11.2020,p.m.17:33><Sep.12.2020,p.m.17:55><Sep.13.2020,p.m.17:44>左(西)を振り向けば.....ウィーン方角Sep.13.2020p.m.17:44<Sep.14.2020,p.m.17:52>右(北)を振り向けば.....ブダペスト方角Sep.14.2020p.m.17:281.行く夏を惜しむ草花●アザミ多くの...夏と秋の狭間で草花スケッチ

  • ハンガリー東部Gyöngyösの教会スケッチ

    ブダペストから国道3号線あるいは頭に3の付く道路を使えば、又は鉄道ならばブダペスト東駅が概ね東部地方へ向かうルートである。そのまま真っ直ぐ向かえばウクライナかルーマニア国境というイメージで間違いないだろう。これから先は古きハンガリーを彷彿させる教会が多く残っていると耳にしている。ブダペストから90Kmほどの所に、ハンガリーで最も高いマートラ(Mátra)山脈の麓にギュンギュシュ(Gyöngyös)という古くからの美しい街があるが、その近辺には長閑なハンガリーらしい風景に包まれた中世の教会が数多く残っている。Gyöngyösの街中に13世紀に建立されたフェレンツ教会という中世の大きな修道院を兼ねた教会があるが今回のスケッチとしては素通りする。(尚、教会の詳細は本ブログの2013/03/23,24投稿時にUPしてお...ハンガリー東部Gyöngyösの教会スケッチ

  • ハンガリー北部の教会スケッチ

    ドナウ川の北岸に拡がるブルジョウニィ(Börzsöny)山脈を西回りで迂回する国道12号線は隣接する国スロヴァキアに沿って北上することになる。スロヴァキアに事務所があった日本の友人が時々、使うという路線のようだ。こんな牧歌的な駅が残っていることに心が癒される。Kismaros駅(終点がブダペストの西駅)ここから振り向くとドナウ川を見越して、14~15世紀に栄華を極めたヴィシェグラード(Visegrád)の砦がすぐそこである。ブルジョウニィ(Börzsöny)山脈と云っても標高800m程度で日本のような山国からみたら丘のようなものである。向こうはスロヴァキア。Jun.062007撮影今回の教会は、13世紀頃に鉱山の町として栄えたナジブルジョウニィ(Nagybörzsöny)にある教会と少し内陸部にあるテレシュケ(...ハンガリー北部の教会スケッチ

  • バラトンそぞろ歩き (30) Felsőörs の教会

    先日、知人が訪ねて来たのでバラトン湖北岸で最も美しいと評判の教会を案内することにした。教会には人によっては、いろいろ美しさの基準が異なると思うが、ここフェルショゥ・ウルシュ(Felsőörs)の教会はアルパード時代のロマネスク建築様式が堪能出来ることと共に教会を取り巻く景観も重要なファクターであろう。<スケッチ>画面の黒い犬はプリ(puli)と呼ばれているハンガリー原産の牧畜犬で、目まで隠れてしまうほどのモフモフ犬。教会は13世紀前半に、この地の領主ウルシ(Örsi)によって、聖マリア・マグドルナを祀るためにロマネスク様式で建てられた。オスマントルコ軍の襲撃で焼き払われた(内陣と天井、側廊が破壊)後は1736年まで廃墟になっていた。1736年にヴェスプレーム(Veszprém)の司教MartonPadaniBi...バラトンそぞろ歩き(30)Felsőörsの教会

  • バラトンそぞろ歩き 古城 (29) Somogyvár の教会

    光陰矢の如し、ハンガリー語では「時は飛ぶ(repölidő)」と単純に揶揄しているが、今回のショモジヴァール(Somogyvár)は前回訪れた時が2007年であったので、実に歳月はひと回りしたことになる。不思議なことにバラトン湖のこちら側、南岸にも古い教会が多く在るのだが足が遠のいている。新型コロナ様々というべきなのか地元をディスカバーしてみよう。バラトン湖から20kmも離れているのに、薄っすらとバダチョニ(Badacsony)の山々が望めたのには、ちょっと嬉しくなってしまう。(手前の湖はバラトン湖ではない).....Somogyvár遺跡内の展望台よりAug.06202013年前と変わったところと云えば、2015年にオープンしたミュージアムであろう。北側のショモジヴァールの丘の麓、徒歩15分の所に設置された。...バラトンそぞろ歩き古城(29)Somogyvárの教会

  • パンノンハルマをスケッチ

    本日の目的地はジュール(Györ)から国道82号線で20Kmほどの所にある。因みにジュールはブダペストからウィーンまでの中間点(約120km)にある大きな街。目的地のパンノンハルマ(Pannonhalma)は、「パンノニアの聖なる丘」と呼ばれ、ハンガリーのキリスト教信仰の出発点となった地であり、1996年にはユネスコの世界遺産に登録された。丘の上には修道院教会、礼拝堂、学校、古文書館といったベネディクト派の宗教施設がすべて揃っており、敷地内には農園などもあり自給自足の生活を続けて来た。<国道82号線からのスケッチ>修道院の隣に千年記念館、ちょっと離れた丘の上に聖母マリア礼拝堂。8月が過ぎるとコウノトリもアフリカヘ帰る準備で忙しくなる。(この辺りには電柱の上に多く見掛ける)<ロケーション>1.パンノンハルマ修道院...パンノンハルマをスケッチ

  • クーセグ (Kőszeg)をスケッチ

    前回のショプロン(Sopron)の街より、50Kmほど南下した所に、もう一つのオーストリアとの国境の街、クーセグ(Kőszeg)がある。クーセグ山系の麓にあり自然に恵まれたハンガリーで有数な美しい町である。(人口は約12,000人)<街の中心部スケッチ>ユリシチ広場(Julisicstér):左から聖ヤコブ教会、聖イムレ教会、英雄の門<ロケーション>1.聖ヤコブ教会(Szt.Jakabtemplom)ローマカトリックの教区教会で、1403~1407年にゴシック様式で建立され、17~18世紀に部分的にバロック様式で改築されたクーセグで最も古い教会である。今日見られる教会のファサードは1807年に改修され、祭壇部屋根の上に塔を15世紀に追加した。教会裏手の祭壇側と塔教会内部は3層構造の内陣で、祭壇の背面のビザンチン...クーセグ(Kőszeg)をスケッチ

  • ショプロンの教会スケッチ(2)郊外にて

    ショプロンには郊外にもたくさんの素敵な教会があります。そんな小生の大好きな中世の教会をスケッチしてみました。次の2つは目と鼻の先、歩いてでも行き来出来る、ハンガリーで小生の最も気に入っている、癒せる地域の一つでもある。<スケッチ>手前が「マリア・マグドルナ教会」と道路を挟んだ向こうが「カルメリタ教会」1.カルメリタ(Karmelita)教会さほど古い物ではない。教会自体としては1495年(15世紀後半)にカトリック修道院として建てられたが、三度に亘り(オスマン帝国、ハプスブルク帝国による戦火と第二次世界大戦後、最近まで貧民救済館として)、教会活動を停止、廃墟化していた不運な教会である。カルメル会に戻ってきて、教会が再開したのが2002年からである。(Karmeliaとはカルメル山(イスラエル北部に存在)に住んで...ショプロンの教会スケッチ(2)郊外にて

  • ショプロンの教会スケッチ(1)

    ジュール(Györ)の街で国道1号線から国道85号線に進路を変え、国境までひたすら走るとオーストリアの国土側に盲腸のように出っ張っている街がショプロン(Sopron)である。何故かオーストリアの領土に複雑に入り込んでいるのかを何度も話したくなるのは余程のハンガリーびいきなんだろうと思ってしまう。第一世界大戦での敗北で、オーストリア・ハンガリー帝国は領土の削減と共に、二分されるにあたり、ショプロンはどちらの国に帰属させるかの住民投票が1921年12月14日に行われた。そして住民達はハンガリーの方(小国の方)に帰属することを選んだ。それによって変形的な国土になってしまったのである。<スケッチ>次の写真は、小生がハンガリーに最初に赴任した年のクリスマス休暇で、初めてハンガリーの国内を旅した時(1997年12月24日)...ショプロンの教会スケッチ(1)

  • ハンガリーの教会スケッチ(1)国1沿線

    国道1号線は言わずと知れたブダペストとウィーンを結ぶ日本で云えば東海道である。多くの中世ハンガリーの教会を見てきたが、地域によって教会の特徴が大きく3つに分けられるようだ。その要因は宗派的なものもあるが、地域的、時流、豊かさといろいろあるだろう。ハンガリー東部はトランシルヴァニア地方も含めて古きハンガリーのルーツを色濃く残しているような、南部は質素な祭壇部と礼拝部だけのカワイイ教会が多い。そして北西部(西欧からの表玄関というべくこの辺)は、何故か立派な教会が多い。勿論、例外的な物もあり、主観に偏ってもいる帰来もあるかも知れない。今回スケッチした教会は非常に似かよった教会で、何故、街の中心でなく辺鄙な郊外にこんな立派な教会が存在したのか不思議なのである。1.ジャーンベーク(Zsámbék)修道院教会ブダペストから...ハンガリーの教会スケッチ(1)国1沿線

  • バラトン湖をスケッチ(11) 麦畑とひまわり畑

    ハンガリーは高い山のない平坦な地形なので、野原一面に咲き誇る草花は圧巻である。バラトン湖周辺では五大パノラマが楽しめ、既に、4月の菜の花5月のポピー(ヒナゲシ)6月のラベンダーとスケッチ紹介して来たが、7月は麦とひまわりで最終の美を飾ってくれる。同じ畑で麦とひまわりとトウモロコシを毎年順繰りで植え付けている(ひまわりは連作を嫌うので)。トウモロコシを加えれば6大ということになるのだが、個人的にはイマイチ観で除外している。1.麦畑麦は黄金色に輝く麦穂が風にたなびく様が実に美しい。わりと湖と一緒になった風景は少なく、ここというMyspotが探し切れていない。<スケッチ>最も描いてみたいと思った場所は、タポルツァ(Tapolca)のHegysd山を望む位置。山(又は湖)と夏の入道雲と麦畑、癒されるなあ~。@Hegys...バラトン湖をスケッチ(11)麦畑とひまわり畑

  • バラトン湖をスケッチ(10) ラベンダーの園

    バラトン湖は気候が北海道の富良野に似ているせいか(と自分勝手に思い込んでいる)ラベンダーの栽培が盛んであり、最近は村おこしなのだろうか役場と協業したラベンダー園をあちこちで見掛ける。今日はバラトン湖周辺で最大と言われているラベンダー園を昨年に引き続き訪れて、スケッチをしてみた。ちなみに昨年はバラトンそぞろ歩き(18)...投稿日2019/06/23にて紹介していますが、2020年版として捉えて戴きたく思います。<ロケーション>●高速道路M7の出口手前から見たクルシュ・ヘジィ(Köröshegy)村Jun.152020高速道路の高架橋の上からの絶景スポットより●クルシュ・ヘジィのラベンダー園内入口Jun.152020スケッチした場所。向こう岸にティハニ半島の一部が望める。蝶や蜂たちにとっても素敵な楽園なのだろうな...バラトン湖をスケッチ(10)ラベンダーの園

  • エステルゴムをスケッチ

    前回はセンテンデレの街をスケッチしたが街道(国道11号線)を北にそのまま進むとドナウ川にぶつかり、川沿いを暫く辿るとエステルゴムの街になる。ここまではブダペストから45Kmほどの距離である。エステルゴム(Esztergom)はハンガリー建国の祖とも云うべき町であり1001年1月1日に初代の王イシュトヴァンが戴冠式をやった所で、丘の上に宮殿と聖堂を造り、ハンガリーのカトリック教会の中心的な役割と972~1249年までハンガリーの首都の役割を果たして来た。町の歴史及び大聖堂の特徴については、本ブログで以前に紹介した(2013/03/10投稿)したので興味がございましたら、ご参照願うとして、ここでは簡単に参考まで。1.大聖堂国王イシュトヴァン1世によって1000年頃に聖アダルベルト教会として創立され、オスマン帝国の攻...エステルゴムをスケッチ

  • バラトンそぞろ歩き (28) 遅咲きのバラ

    バラトン湖で薔薇の駅と親しまれているアルショウ・ウルシュ(Alsóörs)...Alsó-って下という意味で、上という村も山手の方にあります。felsó-って言います(余談).....のバラがようやく咲き揃った。駅前から国道71号線と歩道の間に1㎞ほど色とりどりのバラが植え込まれている。例年は5月下旬が満開時期であったが、今年はコロナウイルス騒ぎの影響がここにもか?(外出自粛で整備が遅れてしまったようだ)<スケッチ>こんなにいろんな色が一緒の所に咲くことはないが、ここにあるバラの色をを一緒に描いてみた。線路横の土手の上に、線路と並行に植えられている。以下の写真は、Jun.032020に撮影したものである。道路上から見ると、●スタンダードの単色では、●シンプルな単色も良いけど、ツートンカラーもシックですね。<ロケ...バラトンそぞろ歩き(28)遅咲きのバラ

  • センテンデレをスケッチ

    センテンデレ(Szentendre)はブダペストの北の避暑地として、南のバラトン湖とよく比較される。ブダペストから20Kmという距離的利便性に恵まれて、センテンデレは四季を通して外国人観光客も圧倒的に多い。歴史的な経緯よりセンテンデレは小さな国際都市と言えるだろう。(人口は28,000人程度であるが)そういう風土と通勤可能距離ということもあり、住む日本人の数も多いと聞く。かつて2度、このブログで取り上げている(2013/03/07&2018/10/13投稿)ので、街の成り立ち等はそちらを参照して戴き、簡単に云えば有史来の古い街、とりわけ16世紀にはハンガリーの中のセルビア人街として栄えた。オスマン帝国の支配時代には衰退したが、彼等が去った後は再び以前のようにドナウ川を辿って、セルビア人、クロアチア人、スロヴァキ...センテンデレをスケッチ

  • バラトン湖周辺の教会をスケッチ(6)

    16世紀にオスマントルコ軍はバラトン湖を渡り、北上しブダペスト、ウィーンへと攻め込んだということは述べて来たが、距離的に最も狭い、フォニョード(Fonyód)~バダチョニ(Badacsony)を船で渡ったと云われている。その結果、バラトン湖北岸の峠を越える街道沿い(バラトン・フェルヴィデークFelvidékと呼ばれている)には数多くの城・教会が廃墟になり遺跡として残されている。<モノスロー(Monoszló)の教会スケッチ>1.ドゥルギチェ盆地(Dörgicsei-medence)の教会たちこの村には三つの教会遺跡が存在する。いずれもオスマントルコ軍の襲撃で破壊され、そのまま廃墟になっている。May142020左側の山沿いの中腹に見える建造物は通称、聖母マリア教会と呼ばれている遺跡、右側の麓にある二つの教会は現...バラトン湖周辺の教会をスケッチ(6)

  • バラトン湖をスケッチ(9)ピパチを探し求めて

    ピパチ(pipacs)はハンガリー語であり、英語ではポピー(poppy)、フランス語ではコクリコ(Coquelicot)、中国語では虞美人草、日本語ではヒナゲシ、いずれの呼び方も世界中でポピラーになっており、人々から愛されている花である。人工的な栽培もあるが、一般的には野に咲く雑草である。花の咲き終わった種子が風に吹かれて、人やクルマなどに運ばれて翌年に思わぬ所で繁殖する。種子が停滞する所、例えば土手とか樹の脇とか、そして停滞する場所が大きい所では、例えば盆地などでは群生し、素晴らしい光景を提供してくれる。そんな開花のプロセスから、私の経験より、毎年、群生する場所が同じ場所でないようだ。(野生でなすがままなのが好きである)5月の初旬からが開花時期で、その場所を探すのが恒例の楽しみになっている。地形的に盆地の多い...バラトン湖をスケッチ(9)ピパチを探し求めて

  • 母の日

    「母の日」は、世界中で行なわれている行事だが、必ずしも一緒の日ではない。日本は5月の第2日曜日のあす10日であり、アメリカを始めドイツ、オーストリア、カナダ等多くの国々が採用、フランス、スウェーデンは5月の最終日曜日、イギリスは第4日曜日で、肝心のハンガリーはスペインと同じ5月の第1日曜日で、既に終わってしまったようだ。感謝の言葉をかける母上のいる方、恥ずかしがらずに声を掛けましょう。おかあさん、有難う!お母さんという呼び方はいろいろあるけど、ハンガリー語ではアニァ(anya)、私は小学校低学年まで「オタタ」と呼んでいましたが、人前では恥ずかしくて声を出して呼んだことはなかったような気がする。あれは方言だったのだろうか?周りには誰もそう呼ぶ友達はいなかった。物心ついたら、「おふくろ、有難う!」となっていた。もう...母の日

  • 春の庭花スケッチ(2)

    長引く新型コロナウイルス騒動で医療関係従事者への感謝とエールを送ろうという青いポスト運動を知り、我が庭、近所で咲いている青い花はないものか探してみた。医療関係従事者の皆さん、ご苦労さまです。ちょっとだけでも癒しになればと。1.ライラック(Lilac)4月の春先には、青い色の花は、クロッカス、ヒヤシンス、ムスカリと数多く見掛け、このブログでも取り上げてきたが、初夏に近づくと不思議と少ないものである。青系ということでライラックが今、庭で咲き乱れている。Apr.2420202.アヤメとジャーマン・アイリス(Iris)厳密な意味での花菖蒲やカキツバタはここでは見ないが、アヤメは多く見掛ける。一般的なアヤメは青い(薄紫)で花弁の根本に網目模様が入っている。ジャーマン・アイリスは別名ドイツ・アヤメと呼ばれ、色はいっぱい種類...春の庭花スケッチ(2)

  • バラトン湖の教会をスケッチ(5)

    前回のタリアーンデョーグド(Taliándörögd)から13Kmほど北へ、ヴェスプレーム方向へ向かうとVeszprém城域で最も大きい支城のナージヴァーゾニ(Nagyvázsony)城がある。1526年、モハーチでオスマン帝国に敗れたハンガリー軍は、次に守るべき重要拠点はヴェスプレーム(司教本部)であり、この城はいわば、最後の砦であったかも知れない。しかし1552年には陥落し、その後は廃墟になっていた。(ブダペストの陥落が1541年になっているので、順番が交錯しているが一説によるとブダペスト城は戦わずして明け渡したようなので、こういうことは有り得たかも知れない....明智光秀ではないが敗者の歴史は甚だ不確かになるもののようだ)<周囲の風景スケッチ>ナジヴァーゾニの坂を登りきると、バラトン湖を望むことが出来る。...バラトン湖の教会をスケッチ(5)

  • バラトン湖の教会をスケッチ(4)

    14世紀にオスマン帝国(トルコ)軍がトルコ行進曲ばりの太鼓の囃子に載せ、ハンガリーに進撃した経路の一つにバラトン湖を迂回するコースがあったが、そこに、はだかったのがヴェスプレーム(Veszprém)城域であった。城域には支城や要塞化した教会が多数あったが、根こそぎ破壊もしくは略奪された。その後の戦略目標であったブダペストの陥落、ウィーンへの攻撃を容易するものであった。今回はその代表的な村を訪ねてみた。<近郊のスケッチ><ロケーション>Apr.242020左の道路は国道77号線、タポルツァ(Tapolca)へ向かう。●タリアーンデョーグド(Taliándörögd)の村人口が1000人にも満たない小さな長閑な村、何故、戦場になったのか?Apr.242020手前がローマカトリック教会、向こうが改革(ルッター)派教会...バラトン湖の教会をスケッチ(4)

  • 春の庭花スケッチ(1)

    4月は我が庭に咲く花は、前章で述べた春一番、二番、三番の花が持続しており、5月になればという感じで、春を彩るにはまだ中途半端な時期と言えるだろう。そこで、重複する花もあるがスケッチをすることにした。1.遅咲きの水仙この水仙は西洋水仙と呼ばれるもので、今年はボリュームも少なく、元気も無さそうに、一層首を下に傾けている。暖冬にも関わらず例年の開花時期より1週間は遅れている。何も手当もせずに、十年以上も咲き続けてくれたので、もうそろそろかも知れない。赤いチューリップと白い水仙のコラボ。この水仙は別名「クチベニズイセン」と呼ばれており、雌しべが赤い縁取りをされている可憐な花である。水仙が元気だった頃は.....Apr.112017Apr.182018今年は....Apr.282020チューリップが黄色2輪であったものが...春の庭花スケッチ(1)

  • バラトン湖の教会をスケッチ(3)

    前回に引き続き、バラトン湖周辺でお気に入りの菜の花畑と教会をスケッチした。2.リテール(Litér)の菜の花畑<ロケーション>今年のスポットは、......Apr.132020夏の為の作付けが始まっていた。向日葵か麦か?ひまわりに賭けたい。こんな☟予測をしていたのに、Apr.272017向かいの丘の上からリテール(Litér)の村を眺めると、Apr.132020村のすぐ横にドイツ系の新工場が建設中、又ひとつ村の美観が損なわれた。2-1.リテール(Litér)の教会教会が出来たのは、13世紀の初めでロマネスク+ゴシック様式が使われた。オスマン帝国の襲撃で村人は去り、1582年には廃墟になったが、オスマン帝国の撤退で村人が戻って1784年には再建され、10年後には塔が増設された。再建後から教会は改革派の教会となって...バラトン湖の教会をスケッチ(3)

  • バラトン湖の教会をスケッチ(2)

    やはり今年はコロナウイルスの祟りなのか、思うようにならないものだ。漸く待ちに待った菜の花が咲き始めたので、とっておきのバラトン界隈、自慢の花の絨毯を撮ろうと出掛けてみた。あゝ無情!、なんと「菜もなく、花もなし」とは!菜の花も連作は効かないものなのか.....www皮算用では、4月には菜の花の黄色い絨毯、5月にはポピー(ハンガリー語でピパチpipacs)の赤い絨毯、6月にはラベンダーの紫色の絨毯、7月にはヒマワリの再びの黄色い絨毯、8月には麦の黄金色の絨毯、色とりどりの絨毯はハンガリーの大平原(プスタ,puszta)によく似合う。とりわけ菜の花は圧巻であり、過去の写真を使って秘蔵の風景とそこに残された古い教会を今回と次回の2回に亘って、描いてみよう。教会は決して大きく豪華でもないが、戦禍の長い歴史の中で慎ましく、...バラトン湖の教会をスケッチ(2)

  • バラトン湖の教会スケッチ(1)

    COVID-19(新型コロナウイルス)によって外出の制限(ハンガリーでは自粛でなく罰金刑)は、多くのブロガーさん同様、小生にも少なからずの被害が直撃している。この問題は簡単には解決しそうもないので、撮り溜めた写真でハンガリー全国の古刹(中世の教会)をスケッチすることに決めて今回が11件目、160ほどの教会があったので先の長い話だ。来世まで持って行かないようにしたいなぁ~。今回は、バラトン湖周辺で最も大きく、国内でも最も古い教会であるベスプレーム(Veszprém)の聖ミカエル大聖堂を描いた。以下の画像は、特記外すべてJul.202019に撮影したものである。新型コロナウイルスですべてが閉鎖ならば、せめて遠くからのショットで、2020年の寂しいイースター(復活祭)の日であった。Apr.132020下の写真の尖った...バラトン湖の教会スケッチ(1)

  • ブダペストをスケッチ(4)

    前章ではブダペストを代表する教会、マーチャーシュ聖堂と聖イシュトヴァン大聖堂を、更にはその前には聖フランシスコ教会をスケッチしてきたが、ブダペストで忘れてはならない、最も歴史のある司教区教会(聖母マリア教会)を描いておかなければと思った。教会前の広場は3月15日広場と呼ばれ、ブダペストで革命(1848、1956年)が蜂起される時の始まりの場がこの広場である。何故、王宮広場や聖イシュトヴァン大聖堂広場ではないのか?それは国政と都政の違いなんだろう。財力の違いで両者に比べ見劣りはするが、ブダペスト市民のこの教会への思い入れは格別なんだと思う。エリザベート橋の袂に佇む教会Mar.032019次の地図は、今のくさり橋などの橋がなかった13~15世紀のペシュト市街地図であり、街の成り立ちと繁栄を聖母マリア教会は市内の真ん...ブダペストをスケッチ(4)

  • 春三番の花たち

    ここで最初にお断わりしておきますと、我が庭で早春に咲く花の順番を私が勝手に概ね一番の群、二番、三番と呼んでいます。土地柄によって違いはあるかと。さて、春の三番群としては、....1.ムスカリ小さい土筆のような頭をムスカリの丘(これも私が勝手に命名...昨年頃より小山に陣取るようになった)にもたげ始めた。Mar.272020ヒヤシンスの脇にも同じ色でこっそりと進出。最盛期ならば、こんな筈。Apr.072019●去年の物でスケッチ2.ヤマブキ現状は、空も広く開けて見える。Mar.272020最盛期には花の密度がぐうっと多くなる。Apr.092017●スケッチ3.ヒイラギヒイラギは幹も太く強い樹で、手入れを怠り勝ちになっているので、とうとうこの場所を陣取られたかのよう。昔の写真を見ては、京都大原に住むベニシアさん(衛...春三番の花たち

  • 春二番の花たち

    前章の「春一番の花」の中で、一番にクロッカス、ほぼ同時にスノードロップを取り上げたが、それに次ぐ二番手は当時(2月末)は蕾であった水仙が3月14日に漸く一輪咲いた。1.水仙の巻Mar.1420205日後には、ほとんどの水仙が咲き誇った。Mar.192020水仙にはいろいろな品種があるが、毎年開花が遅い雌シベ部が赤く縁取りされたお気に入りの水仙(下の画像)は、まだ開花に至っていない。何時になるか楽しみにしている。Apr.1120192.ヒヤシンスの巻ヒヤシンスは前章(2月末)では、茎が顔を出した程度であったが、これもまた相次いで開花を始めた。Mar.212020例年は4月の上旬なので今年の暖冬ぶりが想像できる。3.スミレの巻花というより雑草の分類に入るであろう、見過ごし勝ちのスミレが足元に群生していた。Mar.2...春二番の花たち

  • ブダペストをスケッチ(3)

    今日3月15日(日)はハンガリーでは、オーストリアのハプスブルク帝国からの独立記念日で祭日でした。コロナウイルスの感染者が本日で32人に増え、昨日オルバーン・ビクトール首相がTVで非常事態宣言を発令し、明日より学校の休校、西側(オーストリア、スロヴァキア)国境での検問実施、出入国の渡航規制の強化等の処置が打ち出された。例年では国会議事堂前では、盛大な式典や王宮の丘では多くのイベント、美術館、博物館などは一般に無料開放になる筈であるが、自粛若しくは廃止されており、既に中国、韓国、イラン、イタリアを含めた西欧諸国からの観光客の入国を禁止していた為に観光地の何処も閑古鳥が鳴いている状態だという。事態が鎮静化する迄は出掛けるのを止めるのが、最善の対策であろう。そこで、本来ならばこんな筈と、最も観光客が集まる所をスケッチ...ブダペストをスケッチ(3)

  • 春一番の花

    春を呼ぶ花クロッカス今年の暖冬ぶりは例年にないものであろう。最も寒い筈の2月には連日10℃以上の日中気温が続いたことより、冬の風物詩であるバラトン湖の氷結がないまま春を迎えそうな勢い。いつもなら.......Feb.252017毎年、我が庭で春一番を告げてくれるクロッカスがいつもより半月も早く、可憐な花を見せてくれた。温暖化のeffectoraffect?又、地球の気温が上昇し、潮位が数ミリ上がったのなら、必ずしも素直に喜べないものかも知れない。Feb.202020いつもなら.....(3月上旬の開花)Mar.092017Mar.052019今年は、二月中旬には蕾が......Feb.192020Feb.252020毎年、春一番であったクロッカスに替わり、今年は新顔のスノードロップが顔を出した。昨年まではなかっ...春一番の花

  • バラトンそぞろ歩き (27) ケストヘイの大聖堂

    先日、このあたりのことをブログに書いたら、或る読者の方から昔ケストヘイに住んでいて、非常に懐かしかったというコメントを戴きましたので、折角、ケストヘイ(Keszthely)の近くまで来ているので、大聖堂(MagyarokNagyassonya)に寄ってみることにした。<今日のスケッチ>ケストヘイの中心にある中央広場に市庁舎と繋がっている大きな大聖堂である。その隣りが修道院となっている。以下の写真はすべてFeb.082020に撮影。左端が市庁舎大聖堂は1390年代に後期ゴシック様式で建てられたローマカトリック教会である。手前にある石を積み上げた基礎がローマ時代の石造りの教会と16世紀の城塞跡が残されている。教会の壁画は14世紀にイタリアの宗教画家に因るもので1974年に漆喰で上塗りされていたものを除去して復元され...バラトンそぞろ歩き(27)ケストヘイの大聖堂

  • バラトンそぞろ歩き (26) ヘービィーズの温泉湖

    バラトン湖はひと夏で一年分を稼ぐと云われるだけあって、夏以外は閑古鳥が鳴いているが、ヘービィーズだけは世界でも珍しい天然の温泉湖がある為、夏よりむしろ冬場の方が人気があるかも知れない。特に、オーストリア、ドイツからの観光客が多い、理由は物価が安いことと、東西冷戦時代の思い出の地などの理由があるかも知れない。ハンガリー人はと云えば、湯治客(シニア)、家族連れが多く、公共の温泉施設を使って、日帰りが多いようだ。実は、小生は近くに住んでいながら、いわゆるノンビリした湯治という意味合いで泊まり掛けで、ここに来ることは、今までなかった。この試みが気に入ったら、1時間ちょっとで来れるので、病みつきになるかも知れない。(哀しい哉、湯治が欲しくなった年齢だ)道中はM7(高速道路)を使うのが最も最速である。途中、ハンガリーで最も...バラトンそぞろ歩き(26)ヘービィーズの温泉湖

  • ブダをスケッチ(2)フランシスコ広場界隈

    エルジェーベト橋(Erzsébethid)からペスト側に向かう二つ目の交差点がフランシスコ広場(Frenciektere)であり、近年、最も大きく変貌した地区である。1900年代の交差点はこんなだった、現在の交差点は、以下の写真は全て、Feb.062020撮影教会からカーロイ通り向かい....MaverickHotelである。交差点からエルジェーベト橋方向を望むと、教会の向かいは、CinCinAmica靴屋教会の斜向かいは、ParisiUdvar●ParisiUdvar(ショッピングモール)ビルの中には、ホテル、ジョルナイ陶磁器等の販売店、カフェが入っている。建物のオリジナルは、1909~1912年に建てられた歴史あるものであるが、1980年に再建され、現在のようになったのは、2015年頃からだと思う。ショッピ...ブダをスケッチ(2)フランシスコ広場界隈

  • 国8沿線(6)ヤーク (Ják) の教会

    国道8号線沿線といえるのかどうか、20kmほど古都ソンバットヘイ(Szombathely)に向かうヤーク村にあるベネディクト派の大修道院で、正式名称は聖ジュルジ教会、今回の最後の目的地である。ハンガリーで最も好きな教会の一つで、是非、雪景色の中に佇む教会を撮って、スケッチしたいと年初から待ち望んでいたが、超暖冬の今年はその願いも叶いそうにないようだ。待ちきれなく三度目の訪問となった。Jan.302020筆ここも又、内装と庭の一部を改装中(シーズンオフを利用して)で、教会内部については過去に撮った写真を前回のブログ(2013/02/17投稿)と重複しないように使用した。●教会のファサードJan.282020撮1220~1256年にバジリカタイプのロマネスク様式で建てられたハンガリーの代表傑作と云われている。現在の...国8沿線(6)ヤーク(Ják)の教会

  • 国8沿線(5)ヴァシュ郡 (Vas megye) 中世の教会

    ハンガリーの街の名前には、長くて、何処で切って発音したら良いのか困ってしまうものに出くわすことが、ままある。今回のチェンペスコパーチ(Csempeszkopacs)もその一つで、前回のセーケシュフェヘールヴァール(Székesfehérvár)に比べれば、まだ大分マシと云えるが。どうせ、まともに発音できないのだから、いっそ、うーんと長い方に愛着を感じてしまう。●シャールヴァール(Sárvár)へ向かって流れるラーバ川Jan.282020この地域はハンガリー第三の河川、ラーバ(Rába)川に近いという事と、昔からの西側からの幹線街道(国道8号線)沿いであったせいか、昔は栄えていたのだろう、地図に依ると教会や領主の館(宮殿)が集中している。ラーバ川を境に西へは、オスマン帝国の進出はなかった為、古い建造物や遺跡が残っ...国8沿線(5)ヴァシュ郡(Vasmegye)中世の教会

  • ブダペストをスケッチ(1)

    <今日のスケッチ>これは10日ほど前に、ブダペストの日本大使館に年金の生存証明としての在留証明書を発行して貰うために、年1回の恒例行事となっているもので、他には国政選挙の不在投票に行くだけで、普段はまず大使館を訪ねることはない。在職中に至っては、行く用はなかった(その方が事件がなかったわけで良いのかも知れないが。)場所は他国の大使館の多くがペスト側に集中しているのに比べ、ブダ側の閑静な高級住宅地域にあって、ぶらり訪ねるのに悪くはない場所柄である。そこで一度、写真に収めておきたいと思ったのであるが、大使館を撮ることは禁止されているので、通りをスケッチしたみた。スケッチに人物を入れるのが、多くの画家たちは好みのようで、割と人間の動作というものを描くのは難しく、練習もしたかった理由もあった。(よってスケッチの中の人物...ブダペストをスケッチ(1)

  • ヘレンド (Herend) をスケッチ

    今日のスケッチは国道8号線沿いにある陶磁器の街ヘレンドの公園内の冬風景である。Jan.152020筆ヘレンドの敷地内の池Sep.152019撮池の周りの大きな樹々はすべて伐採されていた(お気に入りの場所だったのに)週末の金曜日に以前勤めていた職場の同僚がリタイアするので、祝賀パーティーに来ないかという招待を受けた。ハンガリーで、ずうっと一緒に働いてきた15年来のパートナーで今までの会社人生で外国人としては、最も長いパートナーであった。辞めて、よその会社に行くわけでもなく、とにかくお目出たいお別れである。涙はあっても、嬉し泣きだ、いろいろ苦しい事もあったが、今となっては楽しい思い出ばかり、さあ感謝を込めたプレゼントは何にしようか?時間があって、日本に戻れば.......迷いに迷った挙句、ヘレンドの磁器にしょうと、...ヘレンド(Herend)をスケッチ

  • バラトン湖をスケッチ(8)

    令和最初のお正月は幸先よく、年末からずうっと好天続きのハンガリーの気象状況であり、昨日(1/09)は冬には珍しく、穏やかな綺麗な夕陽を見ることが出来た。そこで早速、<スケッチ>Jan.102020筆<元になった写真風景>バラトンヴィラゴシュ(Balatonvilágos)の夕陽の丘よりJan.092020撮スケッチと下記に紹介する前回のブログで触れた「社内独語」という本のコラムとの関連性は、全くないのであるが、敢えてこじ付けるならば、いい景色を見ると、本も素直な気持ちで読めるということだろうか。<昭和48年から一章を紹介>「通学路追想....page81」Apr.151973子供の交通事故による犠牲が目立ってふえてきた。年を追うに従って交通事故の重みがひとつの恐怖となって迫ってくる。新入園児たちは明るい顔で通園...バラトン湖をスケッチ(8)

  • バラトンをスケッチ(7)

    我が家の庭で、一番陽当たりの良い場所なのであろうか、洋菊が10月中旬頃から咲き続けており、12月になると黄色いウンナンローバイが春を待たずに、フライング気味に咲き始めた。<スケッチ>断捨離というよりは、むしろお迎えの時に出来るだけ残る物は少なく、後片付けしてくれる人に迷惑の掛からないようにと、日常生活を営む上で最小限だけにしておこうなんて思っている昨今である。今まで引っ越した先々で物を新しくするので、引っ越し貧乏どころかドンドン物が増えていってしまった。外国で残しても、どうにもならないのが日本語の本であろう。とにかく重くて、嵩張って、おまけに読める人が少ないと来ており、処分に困る代物であることは間違いない。定年後はハンガリーで、姿を消して久しい貸本屋でもやろうかと思っていたくらいなので、半端ない数に増えてしまっ...バラトンをスケッチ(7)

  • ペーチをスケッチ(2)

    ペーチ(Pécs)はハンガリーの中でも、1,2を争う美しい都であり、ダウンタウンをスケッチしないわけにはいかないだろう。<スケッチ>街の中心はセーチェニ広場Jan.052020筆街の人口は16.5万人で、ハンガリー第4の都市であり、バラニャ県の県庁所在地。緑の丸屋根はイスラム教のモスクでオスマントルコ軍が残したハンガリー随一の置き土産で、現在はカトリック教会として使われている。Nov.112018撮■ペーチ・マーロム(Pécs-Málom)聖ヨージェフ教会<スケッチ>Jan.042020筆日本では、いざ知らず都会の住宅地に、こんな古刹がと思うほど住民と共存している教会で12世紀にロマネスク様式で、まずは外観の茶色の部分が建てられた(内陣と祭壇部外観)。後に16世紀には白い部分(塔も含む)がバロック様式で増築され...ペーチをスケッチ(2)

  • ペーチをスケッチ(1)

    ペーチ(Pécs)はハンガリー南部に位置し、クロアチアに近く、毎年1回は訪ねる最も気に入っている街の一つである。古代、中世の時代に渡ってハンガリーの建国上、重要な役割を果たして来た、とりわけペーチ近郊には中世の古刹が多く残っており、再度じっくり見て回り、スケッチなどするのも面白い。■トゥーロニィ改革派教会(Túronyreformátustemplom)Jan.042020筆教会自体はアルパート王朝時代より存在し、14世紀になって現在実在する塔を除く部分(内陣+祭壇)がゴシック様式で建立された。18世紀になって、内陣はバロックで改築され、1827年には塔が増築された。Dec.302019撮スリット様の細長い窓(上の5個と祭壇側の2個)と建物補強用の脚ゲタがゴシック様式。教会入口祭壇がある後方Dec.302019...ペーチをスケッチ(1)

  • バラトン湖をスケッチ(6)

    バラトン湖のスケッチを年賀として使うならば、やはり最もポピュラーなティハニー(Tihany)であろう。本来、バラトン湖は避暑地であるため、冬のこの時期を除けば行楽客に溢れ、スケッチをする場所に困らない訳であるが、この時期で選ぶならば冠雪を望みたいところである。但し、近年の暖冬化でタイミングよい冠雪は稀有である為、2009年の写真を元に描いてみた。■ティハニー修道院教会(Apátságitemplom)<スケッチ>「令和」最初の元旦、良い年をお迎え下さい。健康と多幸をお祈り致します。●スケッチの元になった風景Jan.022009昨年(2018年)は12月に降雪があったものの、年末にはすっかり融けてしまった。Dec.162018●今年の9月22日に秋篠宮佳子さまも観賞された、ここからのバラトン湖Sep.202019...バラトン湖をスケッチ(6)

  • バラトン湖をスケッチ(5)

    バラトン湖は中欧一の広さ(595㎢)で、日本一の琵琶湖(670㎢)に比べ、ちょっと小さいが、東西に細長く、端から端まで78㎞の距離がある。ブダペストから来る電車は南岸と北岸の路線が湖を挟む形で湖畔に沿って西端まで走っている。北岸路線は山間部を通る関係より風光明媚であるが路線は電化されておらず、使っている車両はディーゼル気動車である。人間は消えゆく物に至高のノスタルジーを感じ、これが堪らないという輩も小生同様、少なくないようだ。そこで幾つかある私のお気に入りの場所の中より、とっておきのポイントをスケッチしてみた。■アカラッチョ(Balatonakarattya)のトンネルの上<スケッチ>今にも降りそな雨雲で、気温は9℃(午前12時)、日射しなしで、今年のクリスマスは終日なんとか持ち堪えた。●スケッチの元になった風...バラトン湖をスケッチ(5)

  • バラトン湖をスケッチ(4)

    自分の本拠地で手前味噌になるかも知れないが、市販の地図上でもViewpointと表示されているので、ここからの雄大で美しい湖の眺めは外すわけにはいかないであろう。われ先と競うかの如く、雪の下から芽を出す早春の草花に囲まれた湖畔と、四季とりどりの夕焼けにキラキラと輝く湖面を眺めることが、とりわけ好きである。●バラトンヴィラゴシュ(Balatonvilágos)夕陽の丘<スケッチ>クリスマス・イブのバラトン湖は、気温8℃(午前10時)、風強し、前日の雨が上がり薄日も射してきた、MerryChristmasになることでしょう。●スケッチの元になった風景Dec.242019●春になれば、.....クロッカスが一番だろう。Mar.202018ライラックApr.212018Siófok(シオーフォク)、Tihany(ティハ...バラトン湖をスケッチ(4)

  • バラトン湖をスケッチ(3)

    バラトン湖を描こうとすると、我が本拠地を忘れることは出来ない。地球の歩き方じゃないけどベストスポットの乱発になってしまい、本来ならば“thebest”なんだから、いっぱい在るのは可笑しな話ですが、どれも甲乙つけ難い、ベストが一杯という所なんです、バラトンは。住めば都の手前味噌ということもあるかも知れませんね、嫌いというよりポジティブで行きたいですね。●バラトンヴィラゴシュ(Balatonvilágos)の散歩道<スケッチ>今朝(12月20日)は4時に目が覚めて、夜明けの列車をスケッチしてみようかと出掛けてみた、いつものお気に入りの散歩道なので、歩いても5分と掛からない。年寄りは、朝が早いが通説ではあるが、この隠居は朝はからきしダメで、その代わり昔、オールナイトニッポンで鍛えた夜更かしが、いまだに健在で超不規則な...バラトン湖をスケッチ(3)

  • バラトン湖をスケッチ(2)

    久しぶりの好天(午後1時で気温14℃)で、次にスケッチしたい場所に行ってみることにした。暖かくなるまでの自主トレです。●バラトンケネシェ(Balatonkenese)ひまわりスポットここは、ひまわりが植えられた年のMybestspotである。今は来年の作物のための土地の養生だと思う。来年は何を植えるかチョイスは3つである。1.ひまわり2.小麦3.トウモロコシ去年(2018年)は小麦とトウモロコシを半分づつ植えられた。今年(2019年)はトウモロコシだけだった。来年(2020年)はひまわりが予想される。期待できる、楽しみ。参考のため、ひまわりは連作が出来ないので3年毎に作付けするのが一般的のようだ。<スケッチ>スケッチの元になった写真Dec.182019ひまわりが咲くと、....Jul.022012去年(2018...バラトン湖をスケッチ(2)

  • バラトン湖をスケッチ(1)

    「今年こそは」「ゞ」と60年来の夢(悲願)であった絵を描くこと、歩んだきた人生で縁がなかったと云えば、そのような気もするが、本当に好きだったならばそのチャンスはきっと引き寄せた筈とも思う。もうこの歳になっては遅すぎるような気もするが、生業にする訳でもなし、人生100年時代の最後の手習いと考えてみようかなんて思った次第で、これからの撮り旅のAnotheroptionに加えてみようかと試してみた。まず、最初の第1歩としては、小生の愛するバラトン湖とその周辺をスケッチ。●バラトンアカラッチョ(Balatonakarattya)の有料ビーチシーズンオフ(9月~5月)は無料解放され、屋台もレストランも店じまい、滅多に人もいない自分だけのOnly-oneの散歩コースを発見することは間違いない。湖畔だけでなく、付近には四季を...バラトン湖をスケッチ(1)

  • セルビアからの帰路(2)ケチケメートの街

    副題;ドナウ河岸歩き(17)前章に引き続き.....2.ケチケメート(Kecskemét)ハンガリー語では山羊(ヤギ)という意味で市の旗や市章でも山羊の絵が使われているが、市や町の名前にそのまま使われてのは、非常に珍しいことである。明確なイワレは不明である。市旗市章昔、教会を中心とした2~300人規模の7つの村がこの辺りに点在していたが、ハンガリー国王ラヨシュ1世(1342~1382年在位)によって町としての特権が与えられ、1368年に一つの町に合併し、交易の中心として栄え、そして市となって発展した。オスマン帝国の支配下では、市はブダに居た総統パシャに直接、税金を支払っていた為、パシャからの庇護を受け、市には郊外から人も多く集まりようになり、ハンガリーの中央部で一番の大きな都市に成長した。現在は人口が約11万人...セルビアからの帰路(2)ケチケメートの街

  • セルビアからの帰路(1)セゲドの街

    副題;ドナウ河岸歩き(16)10月11日にベオグラードからの帰路は、往路と異なる道を辿り、ノヴィサド(Novisad)からはドナウ川と別れる為、帰路については記載を割愛しようと考えていた。しかし、帰路はドナウに替わりティサ川に沿うわけであるが、ティサ川はドナウの最も大きな支流(全長997Km)でもあり、次回のドナウ川を下る旅の経路の一つとしては取り上げるべき経路であろう。帰路に立ち寄った訪問地は、セゲド(Szeged)とケチケメート(Kecskemét)である。この二つの街はセルビア方面に向かうM5(高速道路)の主要都市であり、ハンガリーの中でもとりわけ美しい人気のある街である。3年前まで小生が歩んだ「ハンガリーの教会巡り」(既に193箇所まで終了)には、ここは古刹というほど古くはないという理由で外していたが、...セルビアからの帰路(1)セゲドの街

  • 初雪とクルマ事情(2)

    初雪後、バラトン湖周辺は一気に氷点下を彷徨う天候に突入。Dec.042019霜に覆われた真っ白な世界Dec.042019葡萄畑も凍える、今年の湖の氷結は早くなりそうだDec.052019さて前章に引き継き、.....文字がヤケクソに多くなりそう、退屈したら写真だけ見て下さい。以下の画像はすべてDec.022019に撮影したもの。2.車検事情日本では車検制度があるということはご周知の通りで、その時期になると十数万円も掛かるので、いつも頭を痛めていた記憶がある。そしてその必要性について疑問が湧くのは自分だけだろうか。その費用の内訳を見ると、本来の検査分は1~2割位で、あとは税金を含めたいわゆる諸経費というやつである。あれは車検でなく車権(権利)を買わされているんじゃないのかと思いたくなる。税金なんか毎年別にしっかり...初雪とクルマ事情(2)

  • 初雪とクルマ事情

    今年の初雪は12月2日であった。例年通りなのかな?去年の11月19日の初雪は早過ぎだったのかも知れない。今年の霜月は雨模様の日が続いたので全般的には暖冬だったのだろう。多少の前後はあるがクリスマス前に一度、白銀のヴェールを被るのが、ここブダペスト界隈の近年の恒例的気象傾向である。....以下、写真はすべてDec.022019に撮影したもの自宅前の通り(9:00a.m.)樹の枝に頑張って残っていた林檎も、あと6個になってしまった。先週の金曜日(11月29日)にM7(高速道路)90Km出口に新しいジャンクションが開通しブダペストとバラトン湖がまた一層近くなった。もはや通勤圏と言っても過言ではないかも知れない。SNS-Netの画像を拝借降雪の中、予約をしていたクルマの定期点検でブダペストのカーディーラーまで行くのに、...初雪とクルマ事情

  • ブダペストのMemento park

    Memento聞きなれない語(己の語学力の貧困さ)で、直ぐに辞書を引いてみたら、今度はちゃんとした英語とは....トホホ...語訳が「記念品とか形見、記念唱(ミサでの)」だから意味的には、ハンガリー共産党の形見公園が上手く的を射ているような...ちょっと引いてしまいそうな所です。ノンポリ人種なので、マルクスもレーニンも全く読んだことも、触れたこともなく、本来は足を運ぶこともない所なのだが、「1956年ハンガリー革命」の事を調べていて、あの時に倒されて残った「スターリンの長靴」像を撮らなければという思いのみで、足を運んだのであった。....以下の写真のすべてはNov.242019に撮影東ドイツ製乗用車トラバント(直列2気筒2サイクル、空冷595cc)◆オープン;1993年7月◆場所;ブダペスト12区、国道7号線で...ブダペストのMementopark

  • ブダペストのMiniversum

    いつも長たらしいブログになってしまうんだけど、今回は短くを心掛けて、特に文字が多いと読者は読み飽きるんでしょうね、判っているんだけど......昔、上司によく叱られました「お前のレポートは長くて、くどい」って、これって習性ですね。さて、Miniversumって?英語、洪語の辞書引いてみたけど無かった。語の前に「a」の冠詞がついていたので、洪語では「the」だから固有名詞ですね。早い話がミニチュア模型セット(ジオラマ)館の名前でした。アンドラーシ通りのオペラ座の側で、ちょっと手前にあり、子供達ばかりでなく、小生のような幼な心を捨て忘れた爺さんにも十分楽しめる所。但し、同じ目線になることが肝要かと。....貼付画像はオランダ分を除き、すべてNov.222019に撮影<Miniversumの入口>Andrássyút...ブダペストのMiniversum

  • 知りたいハンガリー近代史(1956年革命)

    今回は少し文字が多くなるが許して貰うことにしよう。それは今まさに、世間を騒がせている香港のデモと暴動、それにフランス、スペイン、イラクの反政府デモ、南米ではチリ、ベネズエラと世界の各地で連鎖化している。古くはここハンガリーでも建国史上、国民にとって忘れることが出来ない民主化と独立を強く願った戦いが二つあった。歴史は繰り返すではないが、それが中・東欧の社会主義諸国への連鎖、波及したという経緯とダブって見えてならない。その二つの革命とは、①1848年3月15日:オーストリアのハプスブルク帝国からの独立の為の革命②1956年10月23日:ソビエト連邦社会主義共和国連邦(ソ連)からの独立革命その呼び方には、対象国の立場によって動乱、暴動、事件、紛争など様々のようだが、ハンガリーにおいては独立革命という呼び方に固執してお...知りたいハンガリー近代史(1956年革命)

  • 国8沿線(4)セーケシュ市のボリ城

    国道8号線(E66)のみ、どういう訳かブダペストを起点にしていないことは前述した通りでSzékesfehérvár(セーケシュフェヘールヴァール)と舌を噛みそうな長い名前の街を起点にしている。恥ずかしい哉、その名を発音して未だかつて一回でネーティヴに通じたことがない。その起点位置もM7(高速道路)のジャンクション整備により、60Km出口地点から64Km地点に数年前変更になったので、今回紹介するボリ城は厳密な意味では沿線でなくなった事になる。Székesfehérvár市は国8沿線では一番大きな街で、各方面から他の国道が放射線状に集まる建国時の古都でもある。歴代の国王が戴冠式をやったり、埋葬されたりしたハンガリー国内で8箇所あるキリスト教の司教座の一つであった。人口は約10万人で数の面からは、国内9位の大きさであ...国8沿線(4)セーケシュ市のボリ城

  • 晩秋の散歩コース

    先日、ブダペストの街中を歩き回っていて懐かしい場所にふと足を止め、シャッターを押したくなったその場所は昔、この近所に住んでいて毎日のようにジョギングをしていたドナウ川河畔であった。Nov.092019どの時間に行っても必ず同好の士は走っていて、挨拶を交わし合う友も出来たものだった。あの頃は、一応走り切るだけの体力はあったのだ。♪砂利道を駆け足で、マラソン人が行き過ぎる、まるで忘却望むように....と五輪真弓を口ずさみたくなるような光景。そんな光景を見ていたら、今はとても「走り切る」という体力もなくなり、もっぱら「歩き」になってしまったが(情けねぇ~)、最近のコースを撮って自分がハンガリーで生きた証を残しておきたくなった。<スタート地点>Oct.062019スタート地点のみ、快晴日の写真を使用し、以下はNov.1...晩秋の散歩コース

  • ブダペストの市(いち)

    古今東西、町の成り立ちと発展には、シルクロードの街道沿いに栄えた前例を引き合いに出すまでもなく、いち(市)が重要なファクターであったことは言うに及ばないことだが、ブダペストにはそのような場所が何処にあったのだろうか、探してみることにした。ブダペストの街の発展に寄与した市(いち)というものは、国王が与える特権によって開設されており、規制と開催日を定めた13世紀中頃にベラ四世がペシュト市に与えた特許状が始まりであった。...蛇足ながら織田信長がそれに似た楽市楽座を、当時の鎖国状態に近い希薄な情報量の世の中で実践したという先見性には改めて驚愕してしまう。1.13~15世紀にペシュトに存在した市場①干し草市場街が市壁に囲まれる以前は市教区教会前の広場にあった。Mar.032019市壁が出来た(1255年)後、現在のカー...ブダペストの市(いち)

  • ドナウ河岸歩き(15)ベオグラード in セルビア

    ドナウ川はノヴィ・サド(Novisad)を過ぎると再び南に蛇行し、ベオグラードまで流れ下る。急がない旅なら一般道(100号線)、急ぐならば高速道路E75号線が、ほゞ並行に一直線、約80kmの道中である。但し、ノヴィ・サドの郊外で見た切り、ドナウ川をベオグラードに入るまで目にすることはなく、最初に見るのがスロヴェニア山中を源とするバルカン半島の大河、サヴァ川である。....以下の画像はすべてOct.102019に撮影したものである。手前の2つ(重なっている様に見えるが)は一般道の橋で、向こうの赤い橋梁は高速道路E-75のガゼッラ(Gazella)橋である。これらの橋を渡ると市街地中心部である。<ロケーション>高速道路のシステムについて.....●セルビアの高速道路料金支払いシステムは、その都度料金所で支払う方式(...ドナウ河岸歩き(15)ベオグラードinセルビア

  • ドナウ河岸歩き(14)ノヴィ・サド in セルビア

    ドナウ川はこれまで南へ南へと流れ下っていたのが、ヴコヴァル(Vukovar)を過ぎると真東に(地図上では水平に)進路を取り、セルビア国境の街バチュカ・パランカ(BackaPlanka)でパスポートチェックを受け、セルビア第2の街ノヴィ・サド(NoviSad)に向かう。...貼付画像はすべてOct.112019に撮影1.ドナウ川とノヴィ・サドの橋たち●自由橋(MostSloboda)ベオグラードからの幹線道路22号線がノヴィ・サドの市街地に入る橋。1991年のコソボ紛争時にNATO軍の空爆で橋は破壊され、2005年に再建された。破壊前の橋は1981年に造られたものであった。画像はSNSWikipediaより拝借<ロケーション>●ヴァラディン橋(MostVaradin)NATO軍の空爆により、橋ゲタのみ残っている旧...ドナウ河岸歩き(14)ノヴィ・サドinセルビア

  • ドナウ河岸歩き(13)ヴコヴァル in クロアチア

    前回に引き続いて、オシィエクから更にドナウ川を30kmほど下ると、今度はヴカ(Vuka)川がドナウ川と合流する街、ここはバルカン半島で最悪な悲劇の街であった。...以下の貼付画像はすべてOct.092019に撮影聖フィリップ&ジェームス教会から見たドナウ川とヴコヴァル市街ヴカ(Vuka)川河口は現在、河川工事中<ロケーション>2.ヴコヴァル(Vukovar)第2次世界大戦と1991年のクロアチア独立戦争では完璧なまでに破壊された最前線の地であり、未だにその傷跡が街の至る所で見受けられる。●給水塔...第2次世界大戦後の1963~68年に建てられた物で、600発もの砲弾を浴びても生き残ったことにヴコヴァル市民の感動を呼び、1991年の悲劇を忘れない為にも永久保存を決めた。高さ50.3mドナウ川はすべてを見ていた。...ドナウ河岸歩き(13)ヴコヴァルinクロアチア

  • ドナウ河岸歩き (12) オシィエク in クロアチア

    ドナウ川がハンガリー国境を越すと、その先15kmほどクロアチア単独の領土になり、オシィエク(Osijek)の街沿いを流れてきたドラヴァ(Drava)川と合流する辺りは広大な湿地帯となって、ドナウは蛇行しながら、湿地帯の水を飲み込んで更に南下する。以下の画像はすべて、Oct.082019に撮影ダリ(Dalj)の村でドナウ川の姿を見ることが出来る。写真の向こうには湿地帯(コパチュキ・リト自然公園)、238ヘクタールが拡がる。この後は対岸のセルビアとドナウ川を共有しながら南下するが、結局クロアチアがドナウ川を単独で領有する河岸距離はここまでの41kmしかなく、残りの317kmはセルビアと対岸を接する。ちなみにセルビアはその後210kmほどドナウ川を独占占有する。クロアチアがドナウ川と接する主要な街としては、オシィエク...ドナウ河岸歩き(12)オシィエクinクロアチア

  • 国8沿線(3)ヴァシュ郡、中世の教会

    国道8号線(E66)はスロヴェニアを通ることなくオーストリア国に入ることの出来る南端の国道である。オーストリア山中に端を発したラーバ(Rába)川はドナウ川に流れ込む大きな支流でハンガリー国土を蛇行しながら流れている為、国境もリアス式海岸の如く複雑に入り込んでいる。それもあってか、国8国境沿いの南側一帯はオールシェグ(Őrsegi)国立公園が横たわり野生の楽園となっており、中世の教会もそのままの姿で残っているものが多い。以前にも取り上げたことがあったが、より多くの写真を残したい意図もあり、再度の投稿である。1.オーリセント・ピーテル教会(Őriszentpétertemplom)カトリック教会で1230年頃にロマネスク様式で創建され、14~15世紀にゴシック様式でオスマントルコ軍の攻撃に備え補強拡張された。17...国8沿線(3)ヴァシュ郡、中世の教会

  • バラトンそぞろ歩き(25)シオーフォクの秋

    夏衣のままでも寒さを感じさせない小春日和のバラトン湖に誘われて、いつものティハニ(Tihany)の対岸の街シオーフォク(Siófok)を散策してみた。バラトン湖畔では最大の街で、人口は25,000人ほどであるが、夏休み期間中は10倍もの人で膨れ上がる典型的な観光保養地である。街の中心は給水塔のある自由広場(Szabaságtér)付近である。以下に貼付した画像は、特記以外はすべて、Sep.292019に撮影したものである。塔の高さ45m<ロケーション>1.街の概要....給水塔の頂上階から街を眺める●北東の方角;中央通り(Főu.)が走り、教会の裏側に鉄道駅とバスターミナルがある。駅舎(街の玄関口)Apr.092007●南の方角;市庁舎等の公官庁が集まっている。●西の方角;バラトン湖に沿って中央通り(Főu.)...バラトンそぞろ歩き(25)シオーフォクの秋

  • 国8沿線(2)ヘレンド磁器の里

    我が国日本でもご存じのように、数え切れないほどの窯元があって、有田焼だとか九谷、伊万里だとか全国各地で「我こそは....」という自慢の陶磁器がある。それは日本に限ったことでなく世界中のどこの国でも云えるようで、ここハンガリーでも知る人ぞ知る自慢の陶磁器がある。ハンガリーの中で、三大名窯メーカー*の一つであるヘレンド磁器の工場が国道8号線沿いにある。ヘレンドの磁器花瓶ここで前置きをちょっと....焼き物には、狭義な意味で3つの種類に分けられる。陶器と磁器そしてセラミックである。それらは用途によって原料(配分も含めた)と焼き方と云われる焼成条件が異なる。陶器とはいわゆる瀬戸物であり粘土を800~1200℃で焼き、特性として脆くて、表面がザラザラで吸水性に富んだ物。(瀬戸焼、常滑焼、益子焼、備前焼等)磁器とは石の成分...国8沿線(2)ヘレンド磁器の里

  • バラトンそぞろ歩き(24)秋晴れ

    まさに、「天高く馬肥ゆる...」「秋雲たなびく...」バラトンブルーの日和り続きで足はつい、バラトン湖の二大行楽地の初秋に向いてしまう。貼付の画像は全て、Sep.202019に撮影。1.ティハニ(Tihany)●ベネディクト派の修道院教会(Apátságitemplom);1055年に創建、1754年再建(現状)詳細は本ブログ2013/09/13投稿の「バラトンの車窓から(6)ティハニ」参照。ホームページhttp://motsukahu.web.fc2.com「バラトン遍路の旅」を参照下さい。年々、凄い勢いで観光地化開発が進んでおり、その変貌ぶりに目を見張らされる、何年経っても変わらない場所が多い中で、ここだけは別の国のようである。●ティハニの船着場●湖畔沿いの道路;向こうの街並みはバラトンフレド(Balato...バラトンそぞろ歩き(24)秋晴れ

  • 国8沿線(1)ケルメンドとトーリェ修道院教会

    1.序ハンガリーの国道の番号構成は単純なロジックで成り立っており、それを頭に入れておくことに依って、かなりの方向音痴は解消される。首都ブダペシュトの中心から放射線状に、一級国道(番号が一桁の国道)が周りの各国境まで伸びている。番号の付け方は国道1号線を基準に時計回りに順に、2,3,4....8号線で一周する。二桁の番号は準一級国道として、一級国道の間に入る形で番号が付けられている。三桁の番号の国道は一級国道と準一級国道同士を蜘蛛の巣のように横で結んでいる二級国道。高速道路は一級国道に沿うように走っており、一級国道の番号の前にMという文字(モータウェイという意味)が付けられている。但し、国道8号線(国8)のみブダペシュトが始点でなく、セーケシフェヒールヴァール(Székesfehérvár)が始点でオーストリア国...国8沿線(1)ケルメンドとトーリェ修道院教会

  • バラトンそぞろ歩き(23)秋と夕焼け

    ◆バラトンアリガ(Balatonaliga)湖畔にて、あの喧騒は何処へ行ってしまったのだろう、取り残された沖の飛び込み台と無人の湖岸で戯れる白鳥が去り行く夏の移ろいを告げている。Sep.102019Jul.072019そして早まる日没で、僅かの間の夕焼け空が郷愁を一層掻き立てる。そんな夕焼けが最も映える場所、恐らくバラトン湖周辺では一番かも知れない。Jul.252019<ロケーション>アリガ(Aliga)湖畔から望む夕焼けスポットJul.072019◆Sep.102019夕日の丘より南方角(シオーフォクSiófok)を眺めれば美しい緑が続く。夕日の丘の対岸は、アルショーウルシ(Alsóörs)の山並みを望む。午後9時頃の日没が2時間も早まり、6時半より夕焼けが始まるようになった。◆Sep.122019◆Sep....バラトンそぞろ歩き(23)秋と夕焼け

  • 「春の目覚め作戦」バラトン湖の戦い(2)

    前回に引き続き、この戦いで最も激戦区であったバラトン湖~ヴェレンツェ湖間の残りの戦線を辿ってみる。(以下の写真は特記以外、Aug.28&302019に撮影)<ロケーション>4.オゾラ(Ozora)村オゾラには、オスマントルコ軍と戦った古い城があるような山間に位置している為、今回の戦線からは離れていた。よって村の破壊もなく城と教会は無傷で残った。村の中心部(真ん中にはコウノトリの巣が)教会(左)と城(右)は1410年代に建立された(当時のイラスト)1740年代にバロック様式で再建された、改革派教会と隣なりの城。5.ツェツェ(Cece)の村ツェツェの付近から平原(プスタ)が開けており、ドイツ軍はこの辺の突破を図ったと推定される。国道61号線がツェツェ村(人口2,800人)に向かう幹線道路は真っすぐ。●ツェツェ村の教...「春の目覚め作戦」バラトン湖の戦い(2)

  • 「春の目覚め作戦」バラトン湖の戦い(1)

    第二次世界大戦の最後の幕引きとなったバラトン湖周辺で起こったナチスドイツ軍最後の戦車戦がハンガリー史上、最も悲惨な戦争の結果になってしまった。この時、既に日独伊三国同盟に加わって大戦に突入したハンガリーであったが、政策の不一致からドロップアウトし、1944年の3月にはブダペストはドイツ軍に占領されてしまい、同年10月にはナチスドイツ軍の傀儡政権の「矢十字党」が政権についていた。そのひと月前の9月にはソ連軍がユーゴスラヴィアを越えて、ハンガリー国境に侵攻し、12月にはソ連軍がブダペストを包囲したのであった。遂にドイツ軍の激しい抵抗も叶わず、1月18日にまずペシュトが、2月13日にはブダがソ連軍によって陥落、解放された。ドイツにとって残された石油産地はツッステルドルフ(オーストリア北部)とバラトン湖の南部だけになっ...「春の目覚め作戦」バラトン湖の戦い(1)

  • ハンガリーの花火

    8月20日はハンガリーの「建国記念の日」です。ハンガリーには祝日になっている興国に関する記念日が他に2つあります。①3月15日....1948年の独立革命の記念日②10月23日....1956年のハンガリー革命(蜂起)の記念日では、8月20日は歴史上、どんな日なのかということですが、ハンガリー王国の最初の王を国民皆で祝おうということから、キリストの復活祭から50日目の日を「聖イシュトヴァンの日」と定めたそうです。日本での「建国記念の日」2月11日と同じような意味合いで、日にちが限定出来ないので「記念の日」として「の」を間に入れて“建国を偲んで国を愛する心を養う日”というのが正解なのだそうです。よって、この日は全国的にいろんなイベントが開かれ、その日の最後に「花火」が打ち上げられる習わしとなっています。ではその花...ハンガリーの花火

  • ブダペストのカフェ文化(2)

    前回の続きとして.....3.カフェ復活時代(1956年頃~)1956年の「ハンガリー革命」の勃発を皮切りに東欧諸国も巻き込んだカフェ文化が復活し、1989年の東側の共産体制の崩壊に繋がった。あの11月10日のベルリンの壁崩壊と東欧各国の民主化、いわゆる「東欧革命」が燃え広がったのであった。時期を同じくして、今まで躊躇っていたカフェもドンドン復活して来た。(.....このタイプは老舗のクラシックカフェというもので今回はここに焦点を当てている)その他に世界的なフランチャイズチェーン(コスタ、スターバックス等)の進出、又、こだわりを追求した個性路線のカフェと3つのタイプがあり、近年ではその数は数えきれない程の多さになっている。<今回取り上げたカフェのロケーション>3-1.アストリア・カフェ(Astoriacafe)...ブダペストのカフェ文化(2)

  • ブダペストのカフェ文化(1)

    まず、ご理解を深める為に、ハンガリーの近代史における大雑把なエポックを整理してみます。1686年9月オスマントルコ軍がブダを開放(ハプスブルク帝国により追放される)1699年1月オスマン帝国のハンガリーから完全撤退とハプスブルク帝国支配がスタート。1848年3月ペシュト革命が勃発(結果的に革命と独立戦争は失敗に終わる)1867年6月オーストリア/ハンガリー二重帝国が発足1914~18年第一次世界大戦の敗北で二重帝国は崩壊1933年~ナチス・ドイツに接近1945年~第二次世界大戦で敗戦し、ソ連による東側共産主義体制に組み込まれる。1956年10月ハンガリー革命の勃発(結果的にソ連軍の制圧によって頓挫する)1989年10月ハンガリー議会は憲法を改訂し、共産主義体制から脱却(各国の東欧革命を誘発)1989年11月ベル...ブダペストのカフェ文化(1)

  • ブダペスト(ハンガリー)における温泉文化

    ハンガリーには非常に多くの温泉があり、世界でも日本人と甲乙つけ難い温泉好きの国民だ。オスマン帝国に150年もの間、支配されていたことが要因のように思われているようだが、その時期に開花したことは間違いないが、既にローマ時代からブダペストのオーブダ地区にあるアクインクム(Aquincum)には温泉遺跡も残っているので、あながちそれだけとは言い難い。実際、温泉発祥の地イタリアやハンガリーを取り巻く東欧諸国に比べ、圧倒的に温泉が多いのは何故なのか首を傾げなければいけない。二度の大戦で海を失ったハンガリーの国策として、海の替わりに温泉を各市町村に造らせ、国民の体力や健康増進の為に、強く推進して来たのも大きな要因にも思えるし、太古の昔には火山活動や地震も多かったらしいので、「テルマエ・ロマエ」ではないが、国中が桃源郷やユー...ブダペスト(ハンガリー)における温泉文化

  • バラトンそぞろ歩き(22)湖水を追って

    最近知ったことであるが、バラトン湖には60数箇所の川があるというので地図をじっくり眺めてみると、確かに名もない小川が無数にある。海抜の高い北岸にある川は湖に流れ込み、南岸の川は途中で合流したりしてドナウ川に流れて行くのだという。バラトン湖からドナウ川まではかなりの距離があり、その一滴が流れ、流れて黒海まで旅をするのかと思うと、小生も早く身体が動けるうちに黒海まで追い掛けて行きたい気がする。今回は、そんなバラトン湖の水の源流の一つでもあるザドル(Zádor)川とドナウ川への最大の排出口であるシオー川(Siófolyó)を訪ねてみる。●ザドル山中からバラトン湖を望むJul.312019●シオー川(Siófolyó)河口Aug.012019<ロケーション>1.源流の流れ(ザドル山中)源流はこの先近いと思われる。誰が置...バラトンそぞろ歩き(22)湖水を追って

  • バラトンそぞろ歩き 古城(9)ヴェスプレーム城址

    ヴェスプレーム(Veszprém)城址を夏に撮った画像が、近所に住むのにどういう訳か少なく、補足という意味も含めブラついてみることにした。(Jul.202019Sat.撮影)尚、城址内の解説については、既に「バラトンそぞろ歩き古城(4)」(2017/12/25&27投稿)にて詳細に述べているので、ここでは夏の光景写真に徹する。<城址の裏側(北西方向)からの全体像><ロケーション>1.城への入口旧市街広場(Óvárostér)から市庁舎脇を通って城内に入るのが一般的なルート。旧市街広場...観覧車は夏休み中のみ設置、稼働火の見塔(高さ48m):オリジナルは13世紀に造られたがハプスブルク帝国軍によって破壊され、今の物は1811年に再建された。現在の姿は1984年に改修されたものである。英雄の門(Hősökkapu...バラトンそぞろ歩き古城(9)ヴェスプレーム城址

  • バラトンそぞろ歩き(21)北岸の景勝地

    前章の続きになるが、温泉湖ヘーヴィーズ(Héviz)からの帰り道は湖岸を沿う国道71号線を辿ってきたので、対岸のフォニョード(Fonyód)に対抗する意味で、とりわけティハニ(Tihany)から先(南西)でお薦めしたい景勝地を二カ所紹介しよう。バラトン湖の北岸は起伏に富んでおり、住んでいる人や思い入れのある人には我が地が一番と言うことが多いであろうが、あくまでもこれは個人的な嗜好として。<ロケーション>1.バラトンジョルゥク(Balatongyörök)の展望公園●奇形の山として人気のあるバダチョニ(Badacsony)山を公園より眺める。Jul.232019●手前には湖を望む2010年オープンのゴルフコース“GolfclubimperialBalaton”が広がる。コースを仕切る樹々も随分高く伸び、素晴らしい...バラトンそぞろ歩き(21)北岸の景勝地

  • バラトンそぞろ歩き(20)ハスの花をもとめて

    この時期にハスの花の写真をブログでよく見掛けたので、10年以上も前の朧気なる記憶をもとにバラトン湖の西南端の天然温泉湖のヘーヴィーズ(Héviz)に浮かんでいたハスの花を探しに行くことにした。ハンガリーの市場でレンコンを見ることはないし、蓮根を知っている現地人にも会ったことがないので、ハス自体がここでは希少な植物のような気がする。本当の出会えるのだろうか?ヘーヴィーズ(Héviz)の温泉湖Jul.232019上の写真が正(西)門、下が南門から見た温泉の建物建物の底に設けられた階段から湖の中に入る(いわば入浴or泳ぐ?)湖水の温度は夏冬を通じて30℃前後で、夏は温く、冬は暖かい。年中温泉客が多いのは日本と同じ、水深が38mもあるので浮き輪はMustである。花に囲まれた桃源郷のよう。<ロケーション>1.睡蓮(スイレ...バラトンそぞろ歩き(20)ハスの花をもとめて

  • バラトン湖を彩る草花(7月-2 )

    7月も終盤に迫り、今日はいまバラトン湖ではどのような草花(樹)が茂っているのか、典型的な民家である築50年ほどの我が家の庭を覗いてみることにする。近所の家々の庭も似たり寄ったりである。元来、肥沃な土地のせいもあるが、加えて共産圏時代に培われた自給自足の精神からかハンガリーの多くの家庭には果物の樹が見受けられる。Jul.1420191.サクランボの樹(洪語Cseresznye)そのまま頬張って食べる甘いサクランボは6月には終わるが、10年前に日本の桜(実の生らない鑑賞用)を接ぎ木したものが、ようやく2年ほど前から綺麗に咲きはじめた。いわば日洪ハーフなのだが、実が大分遅れて生っていた。Apr.092017Jul.142019➡Jul.142019ハーフのせいか、大きさ半分、甘さなし、これからどう育つのか楽しみ。2....バラトン湖を彩る草花(7月-2)

  • バラトン湖を彩る草花(7月-1)

    1.ひまわり(洪語Napraforgó)何といっても最初に触れなければならない花である。ハンガリーでは食用油にヒマワリ油を多用しているのでハンガリー国内での栽培が盛んである(小生も毎日愛用している)Jul.152017@Balatonkenese向日葵畑から湖が望める所は非常に少ない、今年はここにはトウモロコシが栽培。Jul.172019@Balatonvilágos小生愛用の油(最も廉価では?)連作が出来ない関係より向日葵の替わりに小麦とトウモロコシが交互に栽培される。Jul.172019@Balatonvilágos2.ダリア(洪語Dália)メキシコ原産でスペインに渡り、1842年にオランダから長崎に持ち込まれ普及した。バラトンフレド(Balatonfüred)での発見にちょっぴり感動。Jul.15201...バラトン湖を彩る草花(7月-1)

  • バラトンそぞろ歩き(19)向日葵を求めて

    7月も半分が過ぎ、梅雨のないハンガリーは夏真っ盛り、これから秋までのひとときは向日葵(ヒマワリ)が主役、黄色い絨毯がバラトン湖を彩ってくれるだろう。向日葵は連作が利かない植物、行って確かめないと判らないので今日はティハニ(Tihany)までの北部湖畔をブラついてみた。今までの経験則から云えば、向日葵は平らな広大な農地で、小麦、トウモロコシとで交互に作るが、湖畔にはそういった土地が少ないため向日葵+湖の優良スポットがあまりなかったように記憶しているが.....小生の本拠地(Balatonvilágos)から対岸を眺めたところ、ケネシェ(Kenese)に向日葵畑を発見Jul.152019この日は夏空(NHK朝ドラのような)とエメラルド色の湖水で絶好の日和り。<ロケーション>1.国道710号線(準高速道路)沿いで見つ...バラトンそぞろ歩き(19)向日葵を求めて

  • 又、めぐって来た夏

    ハンガリーの夏はラベンダーの紫色が薄くなるほどに、サクランボの朱色が濃くなるほどに、夏の到来を告げてくれる。そして湖畔から聞こえてくる子供達の叫声(今年の学校の夏休みは6月15日から始まっている)と、いつもと変わらぬバラトン湖の夏の風物詩が戻ってきた。◆花の命の短さ哉ラベンダーの最盛期の始まりJun.172019終末期Jul.072019蜜蜂の営みも、あと僅かと大忙し。Jun.012019◆今年も又、天の恵みとして15瓶ほどのジャムを戴き、残りの大半は土に戻って行った。Jun.172019◆合歓(ネム)の花も散り頃、我が家自慢の樹の一つであるが散った花びらの清掃に、最近は持て余し気味。Jul.012019合歓の樹の成長に驚愕、「こんなに大きく育つなんて!」家の入手記念に今は亡き友が植樹(1999年)20年後の今...又、めぐって来た夏

  • バラトンそぞろ歩き(18)ラベンダー祭り

    この時期(6月中旬~下旬)は、バラトン湖周辺にはラベンダーが咲き溢れている。先日、近所の銀行のカウンターに置いてあったラベンダー・フェスティバルのパンフレットに誘われて、ぶらりと出掛けてみた。場所は前章の「バラトンそぞろ歩き(17)」で取り上げたバラトン・フルドヴァール(Balatonföldvár)であったので一層、興味を覚えた次第である。●M7高速道路高架橋からのフルドヴァールの街Jan.092019この日は雷雨前、快晴とまでいかなかった(残念)Jun.222019右の教会がカルヴィン派改革教会、左がローマカトリック教会●心休まる牧歌風景クルシュヘッジ(Köröshegy)村からのM7高速道路高架橋Jun.222019牧草ロールがあって、ラベンダーがあって、灰色牛が居て、羊が居て、北海道みたい。ハンガリー特...バラトンそぞろ歩き(18)ラベンダー祭り

  • 中・東欧を訪ねる(8)チェスキー・クルムロフ

    プラハの街を貫いたヴルタヴァ川(独語:モルダウ)を上流に遡って行く(南下する)とオーストリア国境が近くなるに従い、緑が多くなり森の中に中世の面影を残す小さな町や村が忽然と現れる。ブダペストへの帰り道、是非、立ち寄ってみたい所が「世界で最も美しい町」と呼び声の高いチェスキー・クルムロフ(CeskyKrumlov)であった。●ヴルタヴァ川はあくまでも、たわやかに流れ、時間が止まってしまったよう。Aug.112008<ロケーション><市街地マップ>1.チェスキー・クルムロフ城(ZámekCeskyKrumlov)13世紀にヴィートコフ家によって城が建てられたのが町の始まりであった。その後、町の支配者が替わる度に城も拡大し、16世紀には繁栄のピークに達したが、それ以降は時代に取り残されてしまった。それがこの町を「世界で...中・東欧を訪ねる(8)チェスキー・クルムロフ

  • 中・東欧を訪ねる(7)プラハ旧市街

    カレル橋を渡り切って、更に、真っ直ぐ歩を東に進めると旧市庁舎のある旧市街広場に出る。広場の脇を抜けて火薬塔までを「王の道」と呼ばれているそうで、観光必須ルートであろう。カレル橋を挟んで、北のマーネス橋、南のレギー橋までの範囲が旧市街地区であるらしく、ブラブラと歴史的な建造物を眺めて歩いてみた。●プラハ城から眺めた旧市街地Jul.252009<ロケーション>1.カレル橋の袂にあるアッシジの聖フランチェスコ教会1679~1685年に掛けて建立、教会前に佇むカレル4世の像と共にドームの緑屋根は旧市街のシンボル的な建造物である。Jun.1220112.クレメンティヌム(Klementinum)神聖ローマ皇帝フェルディナンド1世の治世(1526~1564年)でのフス戦争で疲弊した国家と減少した国民を補強するためにイエズス...中・東欧を訪ねる(7)プラハ旧市街

  • 中・東欧を訪ねる(6)カレル橋

    カレル橋と云えば、最初にピーンと来るのがスメタナの「わが祖国(モルダウ)」と思うのは小生だけではないような気がする。Youtubeをかけながら、珈琲を啜りながら、撮った写真を眺めながら、ブログを書く、なんとこの上もない至福なひと時か!そしてカレル橋の上に佇む彫像写真を全部並べてみたかった。カレル橋は12世紀の初頭に、ヴルタヴァ川の最初の橋として木造で造られたが洪水で流された為に、12世紀半ばには石造りの橋(ユディタ橋)に造り替えられた。しかし1342年の洪水で再び流された後に造られたのが現在のカレル橋である。1.カレル橋いろいろ●下流(北)側にあるマーネス橋(Mánesúvmost)からカレル橋の全長は516m、幅は9.5mJun.112011●橋の西側袂からフランツ・カフカ博物館横のレストランは、橋を下から眺...中・東欧を訪ねる(6)カレル橋

  • 中・東欧を訪ねる(5)プラハ城

    中欧の三大古都と云えば、ウィーン、ブダペスト、プラハで、五大古都となるとクラクフ(東欧に分類されることが多いが)、ブラチスラヴァが入るのだろう。*1プラハの人口は130万人で、ウィーン185万人、ブダペスト175万人と比べると、ちょっと少ないが第二次世界大戦の戦火から逃れたため貴重な文化遺産がそのまま残されている点では、歴史の宝庫として他を十分に凌駕していると云えるだろう。世界でトップの人気を誇る観光スポットと頷ける街、先ずはその歴史が始まったプラハ城に足を向けてみる。*1:クラクフの人口は75万人、ブラチスラヴァは45万人である。「百塔の町」と呼ばれるほど、プラハ城を中心とした西側は至る所に塔が林立し、赤茶色の瓦屋根が何とも中欧の情緒を醸し出している。1.プラハ城(Prazskyhrad)城は9世紀半ばから建...中・東欧を訪ねる(5)プラハ城

  • 中・東欧を訪ねる(4)クトナー・ホラ

    日本からの出張者や友人と共に、プラハへの旅を計画する時は、1995年に世界遺産にも登録された「クトナー・ホラ歴史都市」をよく推奨したものであった。凄い数の人骨が飾ってあるので、ホラという名かと思ったが、horror(恐怖)ではなく、horaはチェコ語で「山」という意味であった。クトナーは「採掘」という意味が語源らしいので、銀山が発見された後に付けられた地名なのであろう。先史よりこの地にはケルト人が住んでいたが、1142年にシトー会の修道院が今の郊外のセドレツという所に建てられた。その所有する山中で銀鉱脈が発見されてからは街は急速に発展した。1300年には王立造幣局が設立され、ここで鋳造された銀貨(プラハのグロシュ)はボヘミア国内外に流通し、14~15世紀にかけてはプラハに次いでチェコ王国の第2の都市として繁栄し...中・東欧を訪ねる(4)クトナー・ホラ

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