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2012/07/15

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  • 2022 日枝神社例祭

    19日の日出神社例祭で、板澤しし踊りさんから次の出番はしばらく無いと聞いており、また某所にて飯豊神楽さんは神事での打ち鳴らしだけとの情報を得ていた日枝神社例祭。昨日がその例祭でした。郷土芸能の奉納が無いなら・・・と考えていたところ、拙案内所付近で選挙関係の街頭PRがあるらしいとのことから、急遽、その場を脱出。遠野小学校東側の日枝神社です。子どもの頃は、大日さんと呼んでいました。慶安5年(1652)に山王の祠がこの地に建てられ、貞享2年(1685)に湯殿山の分霊を勧請し、大日堂と称することから、親しみを込めて「大日さん」。明治に大日堂が廃止され、山王に因み日枝神社と改称。時間前に拝殿内を見学。前回の訪問時同様に、この写真に目がいき、神事終了後、居合わせた方々に聴取。どうやら故浦田穂一氏の写真で、氏の住まいが...2022日枝神社例祭

  • 2022 上郷町日出神社例祭後編

    旧上郷村社だった日出神社の由来には三説あり。その一は、本宮は上有住の秋丸にあり、義経一行が北に落ち延びる時に同道していた日出姫をその地に残し、後に姫ともに御宮を現在地に移したことによる。その二は、坂上田村麻呂の時代、住田町に秋丸という豪族がいて、大きな石の上で戦勝祈願をした。それを伝え聞いた慈覚大師がその大石を探させ、見つけた石の上に仏像を安置したのが日出大明神。その三は、日出神社棟札により、寛保年中に遠野南部直栄が眼病平癒のため薬師如来を祀った。以上の三説。因みに神社の別当を当時勤めていた常陸家には如意輪菩薩像が伝えられているいようですが、その家が山伏だったという確証がありません。宝暦以降の修験者に名前無し。さて、例祭の後半です。笑佐比内、細越のしし踊りの姿が見えた頃に、平倉神楽さんが準備を始めました。...2022上郷町日出神社例祭後編

  • 2022 上郷町日出神社例祭前編

    先週前半までのバタバタ続きからいつもの日常へ戻ったところで、昨日は、来月後半に行う義母の三回忌法要のお知らせに花巻へ。時々愛妻が今月前半から、その方の様子を気にしていたところ、骨折で入院中とのこと。帰宅すると、今度は義母のいとこが亡くなったとの知らせ。まだバタバタ。そんな昨夕、仙台から24地割さんが来遠、一献ということになりました。突然の飲み会に我が家では、その日釣りに行った同級生との飲み会だと疑っているようです。笑明けて本日は、久しぶりのお祭り。上郷町の日出神社例祭です。新コロの影響で、細越獅子踊りさんと平倉神楽だけの奉納と聞いていました。神社に着き、関係者とお話していると、な!なんと、佐比内鹿踊りさんと板澤しし踊りさんも来るとのこと!早く行った甲斐がありました!9時過ぎ、佐比内鹿踊りさんが現れました。...2022上郷町日出神社例祭前編

  • 仏事続き・・・からの

    先週後半は黒いネクタイ続きとなりました。私の誕生日の日に亡くなったのは、父方の大本家のおばあさん103歳でした。この方の義父は、遠野物語拾遺に附馬牛で見知らぬ大男と出会った狩人として登場しています。家から葬祭会館に棺を移動する際、棺は玄関からではなく、別な出入り口からカヤで作った仮門をくぐって移動させます。その後、棺の安置していた場所を藁とイバラを箒として掃きます。金曜は通夜となり、土曜は葬儀そして、火葬その間に花巻に嫁いだ父方の従姉の義母が亡くなり、上記と同じ日葬儀・火葬こちらは93歳そして、日曜は予定していた父方の伯母の三回忌連日、黒いネクタイです。新コロの影響で、会場を設けての大勢での飲食が出来にくい雰囲気が続くため、三回忌の法要後は、家でこじんまりと・・・。遠野では通夜、火葬、葬儀が一般的な流れで...仏事続き・・・からの

  • 平穏無事は大切

    5月までは新コロが落ち着けば、今年はお祭りもあって、いつもどおりの年に。出かけられる時には行動を!と思っていました。世の中、そんなに良いことばかりが続きませんね~。これは2011年4月に焼失した以前の大慈寺(大工町)です。これは、先日、知人が持ち込んだ大正時代に遠野で発行されていた新聞日付は大正12年(13のように見えますが、12です)11月10日10月22日に大慈寺が火事になり、本堂、開山堂、祠堂、庫裡、廊下、浴室を焼失。これは、おそらく庫裡の再建だと思いますが、入札の案内。その後、徐々に再建し、全体の整備が済んだのが昭和49年。大慈寺は遠野南部氏が八戸に居た時代からの菩提寺で、600年以上の歴史があります。遠野に移ってから幕末まで70石を頂いていたものの、明治になるとそれも無くなり困窮。大正の火事の時...平穏無事は大切

  • 黒森神社 神楽祭其の参

    神楽祭も最後です。山の神舞が終わると、この日寄せられた御花の披露秋にも神楽祭を企画したくなる気持ちが、表情でわかります。笑囃子方も入れ替わり、沿岸の神楽と云えば、やはり、恵比寿舞十数年前、港のある集落の芸能を見始めた頃のこと、その地域の芸能に携わるのは皆さん漁師かと本気で思っていました。漁師なのに色が白いのはなぜなんだろう?と。汗でも、この黒森神楽さんのように宮古周辺とは言え、海もあれば山もあるのは当然で、市外も含め色々な地域から参加されていることを知ったのでした!笑Tさんの恵比寿舞を観るのは、2015年の大槌町郷土芸能祭以来かな?あらためて観ると、皆さん注目する魚を釣るシーン以外での所作もきれいですね~その釣りシーン・・・赤い魚が釣れたようです私は釣りの趣味がないので、この子のように上手に魚役はできそう...黒森神社神楽祭其の参

  • 黒森神社 神楽祭其の弐

    打ち鳴らし、龍天、新岩戸、伊勢参りと続いた神楽祭での黒森神楽さんここで、山の神舞最初に言い訳です。撮った写真の選別、そこからのブログ用の文章を構成して下書投稿をしておく。と云う手順が多いのですが、其の弐の文章が降臨しそうにないので・・・黙って、写真のみ・・・12345ここまで続いて、珍しい光景向かって右から、舞をスマホで撮影中、それを見て楽しむ、それらを見て、オイオイ!若者たちなら、こらっ!となりそうですが、この方々なら・・・廻り神楽巡業中では見られない貴重な一枚・・・と、勝手に認定笑678幕裏で面をはずしてOKサイン91011廻り神楽では、このあたりでお酒をお客さんに廻すのですが、新コロということで、コップに注いだ物をお裾分けしていました。121314約30分、Iさん、お疲れさまでした!黒森神社神楽祭其の弐

  • 黒森神社神楽祭 其の壱

    自称案内所にやってきた友人に、日曜は宮古へ行ってきたと話したら、毛ガニでなければ、黒森だべ!・・・お前の行く所は「そんなどごぐれだべもの」(そんなところぐらいだろうから)その通りでございます!笑午後1時始りの神楽祭に遠野出発8時半黒森神社も初めてなら、当然、この神楽堂も初めて、まして、ここで演じる神楽も初めて、日曜になると早起きする子供と一緒です。笑12時半、お客さんがだいぶ集まり、準備OKということで早めに始めるとのこと。早くから行って、それまでの間、何してたの?新コロでお会いしていなかった方々と旧交を温めていました!笑さて、神楽祭の始まりです。神社の名前を冠する黒森神楽さん松本会長のあいさつから・・・3年ぶりに名調子をお聞きしました!皆さん、お元気そうでなによりです。笛の方は、お初です。まずは打ち鳴らし顔を...黒森神社神楽祭其の壱

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