『現在我々がどんな犠牲を払っても手に入れなければならない真のキリスト教は、単にある事実に対する信仰とか、教会の一定の信仰箇条に対する信仰にあるのではない。あ…
『私は生涯に幾度か人間軽蔑者になりそうな時期があった。そうならずに済んだのは、確かに人間社会の上層の人々を知り合っていたためではなく、反対に、ささやかな人々…
『たいてい真の聖者については、残念ながら、その生涯の最後の時期のことがごく僅かしか知られていない。世に知られている彼らの内的経験の全ては、彼らの完成の段階よ…
『真の知恵がどこから与えられるのか他に知る術がない場合でも、ヨハネによる福音書五の一九・三〇🌟の言葉がそれを教えてくれるに違いない。キリストでさえこのような…
『結婚は軽く見て良いことでなくて、本当は恐ろしい事柄である。それに、個人にとっても国民にとっても祝福の源にもなれば、又は全く立ち上がれないほど重く彼等の上…
自助論 第一版序(スマイルズ自序) 『この書を著(あらわ)す原由(げんゆ)は、いかにというに、去ぬる十五年前のことなりし、北方の村落のおいて、有志の…
『マルコによる福音書十五の二九🌟。「通りかかった者たちがイエスを罵った。この言葉は私の生涯の特に苦しい時期に私の心を捉えたが、それは」「通りかかった」という…
『無気力と傲慢(これは奔り出るほどの自負心と活力感である)とは、いずれも悪の霊によるものである。貴方が自分の内にそれに気づいたならば、それがはびこらぬ内に直…
『我々は、ある人がいずれ一握りの塵に帰るであろう日をあらかじめ正確に知っていたら、彼に対して激しく起こるような事はおそらくしないであろう。』 …
『心に起こる善への促しも、悪への誘いも、たいてい刹那な閃きである。前者に対しては、属座にこれに応じて、我々を助けようと差し伸べられる手を、実行によって掴まな…
『余は如何にして基督信徒となりし乎』、内村鑑三・百五十三頁以下:
第八章 基督教国にてーーニュー・イングランドの カレッジ🌟生活 『余はニュー・イングランドを是非とも見るべきであった、余の基督教はもと…
『幸運にも中級階級に生まれた人は、人生において次の二つの事を余りにも知らない。先ず、何か方法と助けを求めて「他人の家の階段を上がらねばならい事が、どんなにつ…
『余は如何にして基督信徒となりし乎』、内村鑑三・百二十五頁以下:
第七章 基督教国にてーー慈善家の間にて 『シナの一聖賢の名言にいう、『山にある者は山を見ず』と。実は距離は景色の魅力のみでなく包括性をもまた与える…
『ジェネウ”ァのカタリナは、正当にも神にこう尋ねた、「神への愛は他の全ての愛を退けますが、それでも私達は隣人を愛さなくてはならないのでしょうか、」と。これに…
『ダンテの『神曲』地獄篇第五歌一二一行以上のフランチェスカ・ダ・リミニのみじめな境遇にあって幸福だった日のことをお思い出すほど苦しいものはない」という有名な…
『実に理解しにくい事ではあるが、しかし一旦それを理解すると我々の思考全体がそれによって大きな影響を与えられるのは次のような考え方である、即ち、生き生きとした…
『余は如何にして基督信徒となりし乎』、内村鑑三・百二十五頁以下:
第七章 基督教国にてーー慈善家の間にて 『シナの一聖賢の名言にいう、『山にある者は山を見ず』と。実は距離は景色の魅力のみでなく包括性をもまた与える…
『信仰については実に沢山の本が書かれていることを、私も知っている。けれども、ヘブル人への手紙一〇の三五〜三九🌟と、それに続く素晴らしい第十一章に含まれている…
『世の中には二種類の人間がいる。その一方の人は、我々が幸福の時には大変愛想よく世話を焼いてくれるが、こちらが引き続いて不安に襲われると、すぐさまそっと姿を隠…
『聖だの、徳だの、義などについてあまり多く語るべきではない。それらの物も、聖書が言っているように、一切を見抜く眼の前には、常に「汚れた衣」(イザヤ書六四の六…
第 二 回 昨晩は後世へ我々が遺して逝くべきものについて、まず第一に金のことの話をいたし、その次に事業のお話を致しました。ところで金を…
『ルカによる福音書一六の一九〜二一。いわゆる「永遠の眠り」についた人々が、この地上での生活についてはっきりした思い出を持ち、また、この世の生活に何か影響を与…
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『現在我々がどんな犠牲を払っても手に入れなければならない真のキリスト教は、単にある事実に対する信仰とか、教会の一定の信仰箇条に対する信仰にあるのではない。あ…
『弱い信仰でも、全く信仰がないよりははるかによろしい。最後の信仰の火種をもすっかり消してしまう事のないようにしなさい。そうすれば、またそれを吹き起こすのは、…
『内村鑑三 所感集』より: 『我らキリストの僕(しもべ)となりて一人となりて世に立つの決心なかるべからず。世は我らの主を棄てたり。またその僕たる我らを…
『内村鑑三 所感集』より: 『福音は罪人のための福音なり、弱者のための福音なり。故に我に福音を語りえざるの時あるべからず、また世に福音を信じえざるの人…
『内村鑑三 所感集』 『第二の宗教改革は第一の宗教改革に同じ、すなわち行(おこない)に対する信仰の勃興なり。第一の場合においては行はイタリア国によって…
『内村鑑三 所感集』より: 『今や世界最大の旧教国は北米合衆国なり。旧教の精神をは行(おこない)にあり、米国の精神は事業にあり、しかして事業は行の別名たる…
『内村鑑三 所感集』より: 『ひとり足りてひとり喜び、ひとり喜びて到るところに歓喜の香を放つ、星のごとく、花のごとく、識認を要せず、ひとり輝いてひとり香(…
『内村鑑三 所感集』より: 『人に愛されんと欲するなかれ、ただ愛せよ、十字架の上よりも愛せよ。愛するは愛せらるるよりも、幸福なり。我らは愛せらんと欲するも愛…
『内村鑑三 所感集』より: 『教会を作ること何ぞ易き、教会を作ること何ぞ難き、木と煉瓦との教会を作ること何ぞ易き、人と霊魂との教会を作ること何ぞ難き。余輩無…
『貴方は堅固な心を得ようと努めなければならない。既に数千年前に記されているように🌟、たちまち傲慢になったり、たちまち元気を失ったりことのない、堅固な心を。 …
『あまりに多く読みすぎるのは、たとえいわゆる良書や極めて宗教的な本であっても、まだ本当に自分の考えの固まっていない人にとっては、不健康である。と言うのは、そ…
『内村鑑三 所感集』より: 『ユダヤ国に芽を萌せしキリストの福音はユダヤ国の滅亡と共に滅びず、ローマに生長してローマの衰亡と共に衰えず、米国に繁茂して米国の…
『内村鑑三 所感集』より: 『恩恵の露、富士山頂に降り、滴りてその麓を潤し、溢れて東西の二流となり、その西なるものは海を渡り、長白山を洗い、崑崙山を浸し、天…
『マタイによる福音書二四の一一・一二・三五🌟、二五の二一、二六の四一。 これらの事は現代の特徴である。貴方はそれをあらかじめ覚悟して、それに対処しなければな…
『我々が自ら幸福だと感じるためには、常に頭が計画に満ち、心が愛に満ちていなければならないということは、正しい言葉である。しかしクレルウ“ォーの次の言葉の方が…
『内村鑑三 所感集』より: 『「エホバはこれまで我を助け給えり。」我が今日あるをえしはエホバによりてなり。我はエホバを棄て去らんとせり、されど彼は我を去らし…
『内村鑑三 所感集』より: 「神の命これ従い、神に導かれ、神に養わる。われに計画あるなし。したがって責任あるなし。餓死の恐怖あるなし、⚪️⚪️⚪️⚪️(てん…
『内村鑑三 所感集』より: 「キリストはわれを義とする事で者にあらず、わが義なり。わが義なるが故についに我を義とする者なり。キリストは我を救う者にあらず、…
『内村鑑三 所感集』より: 「年は改まれり。しかれども我が福音は改めるざるなり。我が福音は十字架の福音なり、罪の購(あがな)いの福音なり。肉体復活の福音なり…
『マタイによる福音書一一の二七🌟。誰でも神やキリストを直接的な啓示によるほかに知るすべはない。それにも関わらず、こんなにもおびただしい神学やキリスト論が書か…
『この信仰に関する差異は、人間の意志の自由という天性に基ずくのだから、いつまでも続けて消えない。「人間の魂は本来キリスト者である」というテルツリテヌスの言葉…
『弱い信仰でも、全く信仰がないよりはるかによろしい。最後の信仰の火種をもすっかり消してしまうことのないようにしなさい。そうすれば、またそれを吹き起こすのは、…
『一切の存在および生成の根源としての神は、説明することも、証明することもできない。また、そうすべきものでもない。むしろわれわれは、まず第一に神を信じ、その上…
『あまりに多く読みすぎるのは、たとえいわゆる良書やきわめて宗教的な本であっても、まだ本当に自分の考えの固まっていない人にとっては、不健康である。というのは、…
『万物の根源を万物それ自身から説明しようとせずに、むしろ、人生の経験に導かれつつ、世界全体ならびに各個人の創造者であり維持者である真の生気ある霊的存在に、そ…
『われわれがみずから幸福だと感じるためには、常に頭が計画に満ち、心が愛に満ちていなければならないというのは、正しい言葉である。しかしクレルウ“ォーの聖ベルナ…
『世界をそれ自身から、またそれ自身によって説明することは、とうてい不可能である。それでは、最後の根拠はついに見出せないからだ。人間が自分自身を崇拝し、他人か…
『人間の経験などというものは、実つ大きな幻影にすぎない。その滑らかな表面の下に隠されたものを、誰も見ないし、また見ようとしない。ただ時折、この外皮に突然裂け…
『これまで抽象的哲学は実際に、「存在」をも「生成」をも満足に説明することが出来なかった。ましてこの二つの根本概念を結びつけて、一つの統一的な原理からこれを解…
『ヘブル人への手紙一〇の三〇、申命記三二の三六。「主はその民を裁くであろう。」この言葉は、苦難に臨んだ時に、とくに全民族の苦難の時に、われわれが持つことので…
『これは疑問の中の疑問である。非常に浅薄な、あるいは動物的な人でない限り、だれでも少なくとも一生に一度は、この疑問の答えを求めようとする。そしてーー早速こう…
『ブルームハルトや、その他の歴史的に確証されている奇跡を行った人々の「力」に源(みなもと)をなしているのは、おそらくただ「私欲のない」愛であった。このような…
忍耐力と知恵を生む最高の「母胎」 『朗らかな性格は人生の喜びをもたらすもとではあるが、同時にそれは自分の性格が傷つくのを防ぐ大切な役目も果たしている。 「…
『オバデア書一二、ミカ書七の七ー11、ナホム書一の7ー12。これらの古代の預言者の言葉は、職業上これらの章を読むことのない一般の人には親しみがうすいかもしれ…
陽のあたる道を選ぶか、日陰の道を行くか 『陽気で朗らかな性格は生まれつきのものと言えるが、他の習慣と同様に訓練によって開発されていくものである。充実した人…
『マタイによる福音書一八の六・七・一〇、一二の36、二五の四〇、一七の二七、ルカによる福音書六の四五、九の五四・五五・五六、一〇の五、一二の一五・二九、一四…
この”心がまえ“が人生の重荷を半分にする 『この世には、非常に楽天的で、何を見てもよい面しか目に入らぬ人がいるものだ。 この人たちにとっては、挫折してしま…
『もしもわれわれが人間の事情を同情をもって見ることができないなら、世間との接触はわれわれの内的人間を必ず害する。これが、修道院生活を正当化する理由である。も…
人生は自分の選んだとおりに“姿"を変えてくれる 『悪い考えを避けてよい考えに従うかどうかの選択しだいで、意固地で心の曲がった人間にも。あるいはその反対にも…
『現代のすっかり倒錯した宗教教育は、神を愛することは全然教えず、せいぜい神を恐れることしか教えない。その裏には、実は神への恐れから解放され得たなら、その方が…