『現在我々がどんな犠牲を払っても手に入れなければならない真のキリスト教は、単にある事実に対する信仰とか、教会の一定の信仰箇条に対する信仰にあるのではない。あ…
カール・ヒルティ、『幸福論③』「より高きを目指して」三三九頁以下:
『この点に、最高の境地を求めて努力する人が、その生涯の最後の道で出会う危険がある。この危険を免れようとすれば、是非とも無条件に、断固として「神の言葉」に頼ら…
『人生を強く耐え抜くには次の二つの道がある。その一つは、世の狼どもと一緒に咆え、目の前にありながら万人に行き渡らない生の享楽の分け前を得ようと猛然と噛み合う…
カール・ヒルティ、『幸福論③』・「より高きを目指して」三三一頁以下:
一 『「より高きを目指す」道は存しており、見出す事もできる⭐️。しかしそれは、恍惚状態や神経の興奮などではなく、または断食や過度の…
『大きな仕事の重荷をかかえた週日の後で迎える日曜日がことの外楽しいように、苦難の後の幸福は最も爽やかで、危険も一番少ない。 自己愛から根本的に放たれ、それが…
カール・ヒルティ、『幸福論』・「より高きを目指して」三二四頁以下:
『より高きを目指して! ブース夫人の小論にこういう話が述べられたいる。ある見知らぬ婦人がロンドンの街上で夫人にいきなり話しかけて、どうすれば「より高きを目指…
『困難な事件が起こったら、第一に、知性を開いて、正しい道を見出そうと努めねばならない。完き叡知(神)に尋ねることの可能性を信じられなければ、それを用いなけれ…
カール・ヒルティ、『幸福論③』・「孫たちに幸いあれ」三一七頁以下:
『同様に、現代の我々はフランス革命の思想を放棄する。この思想は、国家はただ個人ばかりから成り、国家は単に個人を総括する権限を持つだけだという考え方であった。…
『全く気高い、そして同時に一般に幾らか感じやすい性質の人々に対しては、彼らの宗教的または哲学的信念の、あるいはその道徳的生活の何らかの欠点を、決して直に非難…
カール・ヒルティ、『幸福論③』・「孫たちに幸いあれ」三〇九頁以下:
『教会とその将来の発展の道についてのキリスト考えよりも、国家に関するキリスト本来の思想の方が、なおさら分かっていない。確かに、キリストは当時の国家、つまり世…
『人間とのまじわり、いや、さらに広げて、神のあらゆる被造物との交わりにおける唯一の正しい原則は、何物をも不必要に苦しめず、全てのものに同情を寄せ、全ての人に…
カール・ヒルティー、『幸福論③』・「孫たちに幸いあれ」三〇二頁以下:
『神の国は、決して終えることにない前進である。以前にはただ信じかつ予感したにすぎない事が段階的に次第に眼に見えて来、また、以前には知らなかったことさえも新た…
『たくさんの金を儲けたという人の話を聞くと(今日では特に工業や商業の社会でよく起こることだが)、その金で彼は何をするのだろうか、という疑問をすぐ抱かざるを得…
カール・ヒルティ、『幸福論③』・「われらは何をなすべきか」二九六頁以下:
『まず第一に、人はこの霊を自分で獲得する事はできないという事である。また、この霊は生まれつきの才能ではなく、あるいは人間的な伝承によって到りうるものでもない…
『キリスト教は全ての気高い性質を持っている人間の、真理と心の全き平安とに対する渇望を癒す事ができるという、この経験上の証明にまさる、その真理の証明は他にない…
カール・ヒルティ、『幸福論③』・「孫たちに幸いあれ」二八八頁以下:
『我々は自分の幸福についても、ある程度まで希望を頼りにしている🌟。また、一生を賭けた意義ある仕事をはっきり眼前に浮かべている人は、時々気の利いた表現をするフ…
『いつどこでも愛をもって真理の味方をすること、これが真に我々の日常の活動的生活の課題である。 ある近代の文筆家(おそらく哲学者ニーチェ)は、倒れかけたものは…
カール・ヒルティ、『幸福論③』・「われらは何をなすべきか」二八〇頁以下:
『たとえば大家族が僅かな収入で生活し、また、多くの寡婦たちがきまった収入さえ無くて、しかも物乞いもせずに年々暮らしを立て、その上子供達をも立派に教育している…
『かのパリサイ人や律法学者たちがキリスト非難して言った事を、いやしくもキリストの誠実な弟子たる者は誰でもみな経験しなければならない。さもなければ、まだキリス…
カール・ヒルティ、『幸福論③』・「われらは何をなすべきか」二七五頁以下:
『さてしかし、また次のように言う者もいるであろう。なるほど、これまで言われてきた事は全てまことに結構だと思われる。しかし、どうすれば我々はそれが実行出来るの…
『クロムウェル🌟が彼の生涯の大事業に取りかかる準備時代に、従姉妹(いとこ)のセント・ジュン夫人に宛てて、私はもう給金を前払いで貰っていると書き送ったのは、全…
『武士道とキリスト教』、笹森建美、「武士道の本質とは何か」二二頁以下:
『「武士道」とは一言でいえば、どうなるのでしちょうか。私は相手に対する「思いやり」だと考えます。「自らが誰よりも強くなる」武術を究める各種に武道も、礼に始り…
カール・ヒルティー、『幸福論③』・「われらは何をなすべきか」二六七頁以下:
『人間に対する、また一般に我々の周囲の世界全体に対する、さらには動物や植物に対する正しい関係🌟(これは勿論我々の幸福感を実際上大いに左右するものである)は、…
『何の恩寵にも預からない罪人の心の奥がどんなでありかを、実生活において精密に観察しなさい。そうすれば貴方は、もはや憎しみを感じる事なく、全ての人に深い同情を…
カール・ヒルティ、『幸福論③』・「われらは何をなすべきか二六〇頁以下:
『しかし、あなた自身の生活においては、それだけになおさら決然と、あなたの信仰に必ずしも合致しないものや、神との内的な結びつきをまだどこかで妨げているものを🌟…
『忘恩は耐えがたいものである。しかし、これは自分の力がまだしも、実際的にも積極的にも優越的立場にあることを示すものだ。だから。忘恩者には忍耐を持ってのぞみ、…
カール・ヒルティ、『幸福論③』・「われらは何をなすべきか」二五三頁以下:
『この一般的な訓令について、幾つか特別な注意事項を挙げれば、およそ次のようなものである。 我々が学校で授けられる通常の宗教教育は、せいぜい他の多くの恐怖に加…
『私はかつて、無報酬で事務的な仕事を果たしてやったイスラエル人に、半ば冗談、半ば本気で、この仕事のお礼は、彼からでなく、イスラエルの神から払って頂くつもりだ…
『武士道とキリスト教』、笹森建美・「一、「武」とは戦いを止めること」:
生まれのが遅すぎた武士たち 『スサノオノミトトが退治したヤマチノオロチの尾の中から大太刀が現れた。ヤマトタケルは「草薙の剣」で降りかかる火の粉を払って難を…
カール・ヒルティ、『幸福論③』・「われらは何をなすべきか」二四八頁以下:
『諸君の活動のうちに利得を求めることなく、それを附随的なものとして深く気にかけず、必要なものだけで満足し給え。それは、有り余るものが諸君に重荷となったり、煩…
『最も力強い人生哲学は、勇気と神の御心への献身との正しい混合から成り立つ。そのどちらか一方がちゃんと立派に現れない場合、事はうまく運ばない。 強いエネルギー…
カール・ヒルティ、『幸福論③』・「われらは何をなすべきか」二四二頁以下:
『人々がその内的もしくは外的生活の経過の間に何か重大な出来事に出会って、平凡なこの世の生活の惰眠から愕然として目覚めた時、あるいはまだ、とにかくもっと真面目…
『もし我々のキリスト教が、我々を日々の職業上の任務に前よりも忠実にし、金銭上の問題に利己的でなく、富と名誉に対して一層無関心にし、全ての人に対してより親切に…
カール・ヒルティ、『幸福論③』・「現代の聖徒」二三三頁以下:
五 『さらにこの神秘思想の問題にしても、もし我々が、キリスト自らが抱かれたのとは別の、もっと複雑な「神の概念」を打ち立て…
『最も確実な、常に目の前に生きている信仰は、歴史に基づく信仰である。確かに、神が人の心に近づいて来て、神がはっきり感じられる時や、個人的な経験によって神の存…
カール・ヒルティ、『幸福論③』・「現代の聖徒」二二七頁以下:
四 『以上の事から、さらに一般に神秘思想の問題、つまりより困難な問題の一つに導かれる。困難な、というのは、この思想は、健全な良識に…
『「貴方が私を辱める時、貴方は私を大いなる者とされる。」(サムエル記下二二の三六、詩篇一八の三五参照、邦訳聖書の言葉は異なったところがある。訳者注)この言葉…
カール・ヒルティ、『幸福論③』・「現代の聖徒」二二〇頁以下:
二、常に変わらぬ親愛、これは、正しい者の上にも正しく無い者の上にも太陽の光を照し、人間の内にある微弱な良さにも眼を止めて励まし給う神の反映である。全く実際的…
『人間に対する信頼と神に対する信頼とは、経験上、一致しない。むしろ、一方が他を排除するものである。魂にその信仰が十分備わっていれば、神に対する信仰の方が一層…
カール・ヒルティ、『幸福論③』・「現代の聖徒」二一二頁以下:
『もし貴方が幸いにも現代の聖徒に巡り合い、その人の心の遍歴を尋ねたとしたら、彼はおそらくただこう答えるのみであろう。「私は身の余る神の恵みに導かれて、次第に…
『多くの人達、ときには、特別に天分のある人でさえ、自分が体験するすべての事について、即座に判断を下さねければならぬと思っている。例えば、初めて会ったすべての…
『この「より高いお召し🌟」ーー仮にこう名づけるならばーー人は自分で手に入れることは出来ないが、それに預かりたいとの勇気を心の中に感ずるなら、誠実に祈り求める…
『「この世で幸福以上の何かを求める人は、幸福が彼に分け前とならなくとも、不幸を言ってはならない。」(エマソン)。これは、おそらく幾らか「実利主義」的で嘲笑的…
カール・ヒルティー、『幸福論③』・「現代の聖徒」一九九頁以下:
一 『一般に聖徒となることができるか、また特に現代においてそれができるかという問いを、諸々のえらい権威に対して、愚にもつかぬ問いだ…
『いわゆる人間愛は、すべて神に対する強い愛という根底がなければ、単なる幻想であり、自己欺瞞にすぎない。なぜなら、そんな場合は、ただ最も愛すべきものだけを愛す…
カール・ヒルティ、『幸福論③』・「[附]病人の救い」一九二頁以下:
『その他のいろいろな病気の大きな部分は、いわゆる神経症よりも、むしろ気候の変化に対する皮膚の敏感性とか、消化作用の順調や不調に関連している。気候の影響は完全…
『感覚的な生活から全く遊離した、単なる「精神的」生活は、この世では恐るべきものである。それはともすると人の心に空虚感と他人に対する冷淡、酷薄の感情を生み出す…
はじめに 『私は東京にある開拓伝道教会、駒場エデン教会の牧師をつとめています。 開拓伝道教会とは、それまで教会がなかった地域に初めて建てられた教会のこと…
カール・ヒルティ、『幸福論③』・「忍びうる者に勇気あり」一五三頁以下:
『それゆえ、この点については、われはこれらの人達と一致することは決してないであろう。というのは、我々は自分の生活の中で助けをしばしば経験してきたのに、彼らは…
『法そのものは、今も昔も、真実と偽りの奇妙な混じり物である。そこで、裁判の時に特に大切なのは、できるだけその真実の部分のみを生かして用いる事である。「神は人…
カール・ヒルティー、『幸福論③』・「忍びうる者に勇気あり」一四七頁以下:
『しかし、苦しい時には、可能な助けを求めなければならない。忍耐と帰依は大いによろしい。だが、「主よ、助け給え🌟」という言葉(高慢な人間の心にはいささか不向き…
『あなたが健康になりたいと望むなら、長い年月いたずらに人間からの助けを待つのでなく、むしろ、常に助ける事ができる、またそれを願って居られるあの御手を、直ちに…
カール・ヒルティ、『幸福論③』・「忍びうる者に勇気あり」一三六頁以下:
『苦しみは人間を強くするか、それとも打ち砕くかである。その人が自分の内に持っている素質の応じて、どちらかになり。幸福な時には、苦しみにどれだけ耐えうるか、皆…
『コリント人への第二の手紙一二の七〜一〇🌟。使徒パウロがこの箇所でかての「肉体の棘」とか、彼を拳(こぶし)で打つ「サタンの使い」と呼んでいるのは、しばしば彼…
カール・ヒルティー、『幸福論③』・「忍びうる者に勇気あれ」一二九頁以下:
一 『すでに古代の世界でもこの問題に心をひそめ、ことに聖書のヨブ記の中で、これについてた色々な人間的な見解が興味深くやり取りされ…
『私の人生経験に従えば、たいていの病気は、道徳的欠陥の共同作用が無ければ起らない。それどころか、実に多くの神経病や初期の精神病においては、これはほとんど例外…
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『現在我々がどんな犠牲を払っても手に入れなければならない真のキリスト教は、単にある事実に対する信仰とか、教会の一定の信仰箇条に対する信仰にあるのではない。あ…
『弱い信仰でも、全く信仰がないよりははるかによろしい。最後の信仰の火種をもすっかり消してしまう事のないようにしなさい。そうすれば、またそれを吹き起こすのは、…
『内村鑑三 所感集』より: 『我らキリストの僕(しもべ)となりて一人となりて世に立つの決心なかるべからず。世は我らの主を棄てたり。またその僕たる我らを…
『内村鑑三 所感集』より: 『福音は罪人のための福音なり、弱者のための福音なり。故に我に福音を語りえざるの時あるべからず、また世に福音を信じえざるの人…
『内村鑑三 所感集』 『第二の宗教改革は第一の宗教改革に同じ、すなわち行(おこない)に対する信仰の勃興なり。第一の場合においては行はイタリア国によって…
『内村鑑三 所感集』より: 『今や世界最大の旧教国は北米合衆国なり。旧教の精神をは行(おこない)にあり、米国の精神は事業にあり、しかして事業は行の別名たる…
『内村鑑三 所感集』より: 『ひとり足りてひとり喜び、ひとり喜びて到るところに歓喜の香を放つ、星のごとく、花のごとく、識認を要せず、ひとり輝いてひとり香(…
『内村鑑三 所感集』より: 『人に愛されんと欲するなかれ、ただ愛せよ、十字架の上よりも愛せよ。愛するは愛せらるるよりも、幸福なり。我らは愛せらんと欲するも愛…
『内村鑑三 所感集』より: 『教会を作ること何ぞ易き、教会を作ること何ぞ難き、木と煉瓦との教会を作ること何ぞ易き、人と霊魂との教会を作ること何ぞ難き。余輩無…
『貴方は堅固な心を得ようと努めなければならない。既に数千年前に記されているように🌟、たちまち傲慢になったり、たちまち元気を失ったりことのない、堅固な心を。 …
『あまりに多く読みすぎるのは、たとえいわゆる良書や極めて宗教的な本であっても、まだ本当に自分の考えの固まっていない人にとっては、不健康である。と言うのは、そ…
『内村鑑三 所感集』より: 『ユダヤ国に芽を萌せしキリストの福音はユダヤ国の滅亡と共に滅びず、ローマに生長してローマの衰亡と共に衰えず、米国に繁茂して米国の…
『内村鑑三 所感集』より: 『恩恵の露、富士山頂に降り、滴りてその麓を潤し、溢れて東西の二流となり、その西なるものは海を渡り、長白山を洗い、崑崙山を浸し、天…
『マタイによる福音書二四の一一・一二・三五🌟、二五の二一、二六の四一。 これらの事は現代の特徴である。貴方はそれをあらかじめ覚悟して、それに対処しなければな…
『我々が自ら幸福だと感じるためには、常に頭が計画に満ち、心が愛に満ちていなければならないということは、正しい言葉である。しかしクレルウ“ォーの次の言葉の方が…
『内村鑑三 所感集』より: 『「エホバはこれまで我を助け給えり。」我が今日あるをえしはエホバによりてなり。我はエホバを棄て去らんとせり、されど彼は我を去らし…
『内村鑑三 所感集』より: 「神の命これ従い、神に導かれ、神に養わる。われに計画あるなし。したがって責任あるなし。餓死の恐怖あるなし、⚪️⚪️⚪️⚪️(てん…
『内村鑑三 所感集』より: 「キリストはわれを義とする事で者にあらず、わが義なり。わが義なるが故についに我を義とする者なり。キリストは我を救う者にあらず、…
『内村鑑三 所感集』より: 「年は改まれり。しかれども我が福音は改めるざるなり。我が福音は十字架の福音なり、罪の購(あがな)いの福音なり。肉体復活の福音なり…
『マタイによる福音書一一の二七🌟。誰でも神やキリストを直接的な啓示によるほかに知るすべはない。それにも関わらず、こんなにもおびただしい神学やキリスト論が書か…
『この信仰に関する差異は、人間の意志の自由という天性に基ずくのだから、いつまでも続けて消えない。「人間の魂は本来キリスト者である」というテルツリテヌスの言葉…
『弱い信仰でも、全く信仰がないよりはるかによろしい。最後の信仰の火種をもすっかり消してしまうことのないようにしなさい。そうすれば、またそれを吹き起こすのは、…
『一切の存在および生成の根源としての神は、説明することも、証明することもできない。また、そうすべきものでもない。むしろわれわれは、まず第一に神を信じ、その上…
『あまりに多く読みすぎるのは、たとえいわゆる良書やきわめて宗教的な本であっても、まだ本当に自分の考えの固まっていない人にとっては、不健康である。というのは、…
『万物の根源を万物それ自身から説明しようとせずに、むしろ、人生の経験に導かれつつ、世界全体ならびに各個人の創造者であり維持者である真の生気ある霊的存在に、そ…
『われわれがみずから幸福だと感じるためには、常に頭が計画に満ち、心が愛に満ちていなければならないというのは、正しい言葉である。しかしクレルウ“ォーの聖ベルナ…
『世界をそれ自身から、またそれ自身によって説明することは、とうてい不可能である。それでは、最後の根拠はついに見出せないからだ。人間が自分自身を崇拝し、他人か…
『人間の経験などというものは、実つ大きな幻影にすぎない。その滑らかな表面の下に隠されたものを、誰も見ないし、また見ようとしない。ただ時折、この外皮に突然裂け…
『これまで抽象的哲学は実際に、「存在」をも「生成」をも満足に説明することが出来なかった。ましてこの二つの根本概念を結びつけて、一つの統一的な原理からこれを解…
『ヘブル人への手紙一〇の三〇、申命記三二の三六。「主はその民を裁くであろう。」この言葉は、苦難に臨んだ時に、とくに全民族の苦難の時に、われわれが持つことので…
『これは疑問の中の疑問である。非常に浅薄な、あるいは動物的な人でない限り、だれでも少なくとも一生に一度は、この疑問の答えを求めようとする。そしてーー早速こう…
『ブルームハルトや、その他の歴史的に確証されている奇跡を行った人々の「力」に源(みなもと)をなしているのは、おそらくただ「私欲のない」愛であった。このような…
忍耐力と知恵を生む最高の「母胎」 『朗らかな性格は人生の喜びをもたらすもとではあるが、同時にそれは自分の性格が傷つくのを防ぐ大切な役目も果たしている。 「…
『オバデア書一二、ミカ書七の七ー11、ナホム書一の7ー12。これらの古代の預言者の言葉は、職業上これらの章を読むことのない一般の人には親しみがうすいかもしれ…
陽のあたる道を選ぶか、日陰の道を行くか 『陽気で朗らかな性格は生まれつきのものと言えるが、他の習慣と同様に訓練によって開発されていくものである。充実した人…
『マタイによる福音書一八の六・七・一〇、一二の36、二五の四〇、一七の二七、ルカによる福音書六の四五、九の五四・五五・五六、一〇の五、一二の一五・二九、一四…
この”心がまえ“が人生の重荷を半分にする 『この世には、非常に楽天的で、何を見てもよい面しか目に入らぬ人がいるものだ。 この人たちにとっては、挫折してしま…
『もしもわれわれが人間の事情を同情をもって見ることができないなら、世間との接触はわれわれの内的人間を必ず害する。これが、修道院生活を正当化する理由である。も…
人生は自分の選んだとおりに“姿"を変えてくれる 『悪い考えを避けてよい考えに従うかどうかの選択しだいで、意固地で心の曲がった人間にも。あるいはその反対にも…
『現代のすっかり倒錯した宗教教育は、神を愛することは全然教えず、せいぜい神を恐れることしか教えない。その裏には、実は神への恐れから解放され得たなら、その方が…