『現在我々がどんな犠牲を払っても手に入れなければならない真のキリスト教は、単にある事実に対する信仰とか、教会の一定の信仰箇条に対する信仰にあるのではない。あ…
訳 者 序 ケーベル博士は著者のカール・ヒルティをその「生涯の伴侶(はんりょ)」の一人に数えて、こう言っている。「彼の著作のどこを開いても、明瞭に単純…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『偉大な思想は、ただ大きな苦しみによって深く耕された心の土壌の中からのみ成長する。そのような苦痛を知らない心には、ある浅薄さ…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『人はただ誠実であるだけでなく、また愛すべきところがなければならないが、こういう性質はごく実直な人にあっては、往々遅くなって…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『われわれも、巨大クリストフォルス⭐️のように、この地上の最も偉大な主人にだけ仕えようと固く決心しなければならない。しかし現…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『いくらか不精な若い人たちの多くは、宗教的真理や最上の処世法を短い言葉で、いわば格言風に表現したものを欲しがっている。まず、…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『「世間には、あまりにも頑固で、あまりにも一途(いちず)に未来にばかり望みをかけている人がいるーー決してやって来もしない未来…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『内的進歩をしめす最もよい徴候は、きわめて善良な、心の気高い人々の中にいると心地よく感じ、凡俗な人たちの中では常に不快を覚え…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『私の生涯において、まるで夢遊病者と同じ様子であったことが数かぎりなくあった。危険に対して眼が開かれていたら、決して歩もうと…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『 いつわりの平和とまことの平和 (タウラー説教集第126) 主よ、あなたの子らが 心深くいだく平和は、 黄金…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『 嘆 息 ああ、主よ、我が心のやすらぎよ、 あなたの祝福をお授けください。 道を早めて私を導き、 気高い目標へお連れ下…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『 嘆 息 ああ、主よ、我が心のやすらぎよ、 あなたの祝福をお授けください。 道を早めて私を導き、 気高い目標へお連れ下…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『もはやいななる我意も享楽も念頭にないということは、思いもかけぬ素晴らしい境地である。そうなれば、毎日のように、なにか新しい…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『自分の周りの社会的水準よりほんのわずか抜きん出た者だけが、人気があり、一般に好かれる。そいいう人は、生きている間に、最大の…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『われわれが人生において人の憎しみを受ける時、その大部分は、相手の嫉妬か、報いられなかった愛のためである。 われわれが公然と…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『私はこれまでの生涯に、怒りや憎しみを抱き続けることはできなかった。差し迫った事情の処理のために、つねに、そのような感情を捨…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『毎朝、まず目を覚ましたらすぐに、今日も善を行う新しい機会が与えられたことに対して、神に感謝しなさい。そして一日中、その機会…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『キリスト教が人間の魂の深い要求に適合しないならば、千五百年以上の永きにわたって行われてきたように、たとえ不十分ながらも…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『自分でものを考え、自分の意見をもつ人がもっと数多くいさえすれば、世の中は限りなく良くなるであろう。たとえこのような人が反対…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『信仰はそれ自体すでに一つの幸福である。あるものをやがて手に入れることができるという十分な確信は、鑑賞している樹の花のような…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『イザヤ書30の15・18⭐️。主はあなたに恵みを施される日を待っていられる。だから、あなた方はいたずらに心配したり、いろい…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『ダンテ『神曲』煉獄篇第21歌58ー69行。あなたが善への道を歩もうとする時、まず眼の前にある課題は、あなた自身の意志をすっ…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『どんな幸福な生活にも数多く起る試煉や心労を、堪え難い重荷だと考えるか、それとも自分の生活原則を実行し修練するために、神か…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『朝から晩まで、つねに神の御心だけを行いなさい。そうすれば、あなたがすでにこの地上で、繁忙な世の営みの迷路から天国へ導いてく…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『生活を(肉体的生活をも)、十分健康で力強いものにしたければ、生活の喜びがなくてはならない。だから、何らかの正しい喜びを持つ…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『この世には、少なくとも見たところ罰せられもせずに、数多くの不正が行われているということは、深くものを考えない人たちにとって…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『真理と永遠の生命とに至る道は、今日では、唯物論と迷信という二つの死の淵の間をぬける、きわめて狭い、しかしなお歩くことのでき…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『キリスト教会の歴史を綿密に、また公平に観察する時、われわれは、この教団はその創始者の思想に完全に適合した正しい完成に達した…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『力の許すかぎり、中絶せずに有益な仕事をすることは、たえず神の近くにあることと並んで、およそ人生が与えうる一切のうちで、最も…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『厭世観は、決してよい徴候ではない。これをいだく人には、肉体的か精神的に、かならず何かが欠けている。たいてい、こういう人は、…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『つねにもっぱら正しい、善良な人であることに努めなさい。必ず世間の人はそれを認めるものである。世間は決して人を見る明に欠けて…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『われわれは、完全に健康でなければ、立派な仕事はできない、だから何よりもまず健康でなければならぬ、という見解を信じ込んではい…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『人生のどんな境遇においても、神の導きと助けとをかたく信じることができ、ヨハネによる福音書15の7⭐️に言われていることをし…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『夢は、ある人の主な生活内容をなすものが何であるかを示す目印である。夢ががただ肉体的な事柄だけにかぎられず、もっと精神的にな…
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『現在我々がどんな犠牲を払っても手に入れなければならない真のキリスト教は、単にある事実に対する信仰とか、教会の一定の信仰箇条に対する信仰にあるのではない。あ…
『弱い信仰でも、全く信仰がないよりははるかによろしい。最後の信仰の火種をもすっかり消してしまう事のないようにしなさい。そうすれば、またそれを吹き起こすのは、…
『内村鑑三 所感集』より: 『我らキリストの僕(しもべ)となりて一人となりて世に立つの決心なかるべからず。世は我らの主を棄てたり。またその僕たる我らを…
『内村鑑三 所感集』より: 『福音は罪人のための福音なり、弱者のための福音なり。故に我に福音を語りえざるの時あるべからず、また世に福音を信じえざるの人…
『内村鑑三 所感集』 『第二の宗教改革は第一の宗教改革に同じ、すなわち行(おこない)に対する信仰の勃興なり。第一の場合においては行はイタリア国によって…
『内村鑑三 所感集』より: 『今や世界最大の旧教国は北米合衆国なり。旧教の精神をは行(おこない)にあり、米国の精神は事業にあり、しかして事業は行の別名たる…
『内村鑑三 所感集』より: 『ひとり足りてひとり喜び、ひとり喜びて到るところに歓喜の香を放つ、星のごとく、花のごとく、識認を要せず、ひとり輝いてひとり香(…
『内村鑑三 所感集』より: 『人に愛されんと欲するなかれ、ただ愛せよ、十字架の上よりも愛せよ。愛するは愛せらるるよりも、幸福なり。我らは愛せらんと欲するも愛…
『内村鑑三 所感集』より: 『教会を作ること何ぞ易き、教会を作ること何ぞ難き、木と煉瓦との教会を作ること何ぞ易き、人と霊魂との教会を作ること何ぞ難き。余輩無…
『貴方は堅固な心を得ようと努めなければならない。既に数千年前に記されているように🌟、たちまち傲慢になったり、たちまち元気を失ったりことのない、堅固な心を。 …
『あまりに多く読みすぎるのは、たとえいわゆる良書や極めて宗教的な本であっても、まだ本当に自分の考えの固まっていない人にとっては、不健康である。と言うのは、そ…
『内村鑑三 所感集』より: 『ユダヤ国に芽を萌せしキリストの福音はユダヤ国の滅亡と共に滅びず、ローマに生長してローマの衰亡と共に衰えず、米国に繁茂して米国の…
『内村鑑三 所感集』より: 『恩恵の露、富士山頂に降り、滴りてその麓を潤し、溢れて東西の二流となり、その西なるものは海を渡り、長白山を洗い、崑崙山を浸し、天…
『マタイによる福音書二四の一一・一二・三五🌟、二五の二一、二六の四一。 これらの事は現代の特徴である。貴方はそれをあらかじめ覚悟して、それに対処しなければな…
『我々が自ら幸福だと感じるためには、常に頭が計画に満ち、心が愛に満ちていなければならないということは、正しい言葉である。しかしクレルウ“ォーの次の言葉の方が…
『内村鑑三 所感集』より: 『「エホバはこれまで我を助け給えり。」我が今日あるをえしはエホバによりてなり。我はエホバを棄て去らんとせり、されど彼は我を去らし…
『内村鑑三 所感集』より: 「神の命これ従い、神に導かれ、神に養わる。われに計画あるなし。したがって責任あるなし。餓死の恐怖あるなし、⚪️⚪️⚪️⚪️(てん…
『内村鑑三 所感集』より: 「キリストはわれを義とする事で者にあらず、わが義なり。わが義なるが故についに我を義とする者なり。キリストは我を救う者にあらず、…
『内村鑑三 所感集』より: 「年は改まれり。しかれども我が福音は改めるざるなり。我が福音は十字架の福音なり、罪の購(あがな)いの福音なり。肉体復活の福音なり…
『マタイによる福音書一一の二七🌟。誰でも神やキリストを直接的な啓示によるほかに知るすべはない。それにも関わらず、こんなにもおびただしい神学やキリスト論が書か…
『この信仰に関する差異は、人間の意志の自由という天性に基ずくのだから、いつまでも続けて消えない。「人間の魂は本来キリスト者である」というテルツリテヌスの言葉…
『弱い信仰でも、全く信仰がないよりはるかによろしい。最後の信仰の火種をもすっかり消してしまうことのないようにしなさい。そうすれば、またそれを吹き起こすのは、…
『一切の存在および生成の根源としての神は、説明することも、証明することもできない。また、そうすべきものでもない。むしろわれわれは、まず第一に神を信じ、その上…
『あまりに多く読みすぎるのは、たとえいわゆる良書やきわめて宗教的な本であっても、まだ本当に自分の考えの固まっていない人にとっては、不健康である。というのは、…
『万物の根源を万物それ自身から説明しようとせずに、むしろ、人生の経験に導かれつつ、世界全体ならびに各個人の創造者であり維持者である真の生気ある霊的存在に、そ…
『われわれがみずから幸福だと感じるためには、常に頭が計画に満ち、心が愛に満ちていなければならないというのは、正しい言葉である。しかしクレルウ“ォーの聖ベルナ…
『世界をそれ自身から、またそれ自身によって説明することは、とうてい不可能である。それでは、最後の根拠はついに見出せないからだ。人間が自分自身を崇拝し、他人か…
『人間の経験などというものは、実つ大きな幻影にすぎない。その滑らかな表面の下に隠されたものを、誰も見ないし、また見ようとしない。ただ時折、この外皮に突然裂け…
『これまで抽象的哲学は実際に、「存在」をも「生成」をも満足に説明することが出来なかった。ましてこの二つの根本概念を結びつけて、一つの統一的な原理からこれを解…
『ヘブル人への手紙一〇の三〇、申命記三二の三六。「主はその民を裁くであろう。」この言葉は、苦難に臨んだ時に、とくに全民族の苦難の時に、われわれが持つことので…
『これは疑問の中の疑問である。非常に浅薄な、あるいは動物的な人でない限り、だれでも少なくとも一生に一度は、この疑問の答えを求めようとする。そしてーー早速こう…
『ブルームハルトや、その他の歴史的に確証されている奇跡を行った人々の「力」に源(みなもと)をなしているのは、おそらくただ「私欲のない」愛であった。このような…
忍耐力と知恵を生む最高の「母胎」 『朗らかな性格は人生の喜びをもたらすもとではあるが、同時にそれは自分の性格が傷つくのを防ぐ大切な役目も果たしている。 「…
『オバデア書一二、ミカ書七の七ー11、ナホム書一の7ー12。これらの古代の預言者の言葉は、職業上これらの章を読むことのない一般の人には親しみがうすいかもしれ…
陽のあたる道を選ぶか、日陰の道を行くか 『陽気で朗らかな性格は生まれつきのものと言えるが、他の習慣と同様に訓練によって開発されていくものである。充実した人…
『マタイによる福音書一八の六・七・一〇、一二の36、二五の四〇、一七の二七、ルカによる福音書六の四五、九の五四・五五・五六、一〇の五、一二の一五・二九、一四…
この”心がまえ“が人生の重荷を半分にする 『この世には、非常に楽天的で、何を見てもよい面しか目に入らぬ人がいるものだ。 この人たちにとっては、挫折してしま…
『もしもわれわれが人間の事情を同情をもって見ることができないなら、世間との接触はわれわれの内的人間を必ず害する。これが、修道院生活を正当化する理由である。も…
人生は自分の選んだとおりに“姿"を変えてくれる 『悪い考えを避けてよい考えに従うかどうかの選択しだいで、意固地で心の曲がった人間にも。あるいはその反対にも…
『現代のすっかり倒錯した宗教教育は、神を愛することは全然教えず、せいぜい神を恐れることしか教えない。その裏には、実は神への恐れから解放され得たなら、その方が…