『現在我々がどんな犠牲を払っても手に入れなければならない真のキリスト教は、単にある事実に対する信仰とか、教会の一定の信仰箇条に対する信仰にあるのではない。あ…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『エゴイズムは何にもなして宗教と一致しないものである。したがって、われわれが何でもすべてを正しく、また心やすらかに所有しよう…
『内村鑑三 所感集』47頁:『世の要求に応ずべし。すなわちわれらがもって世の要求なりと認めるところのものに応ずべし。世が絶叫してもって要求するところのものは…
『内村鑑三 所感集』47頁より:『世の要求に応ずべからず、そは世は快楽を要求するものばなり。われらは世に供するに苦味をもってすべし、苦闘をもってすべし、…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『いわゆる「内的な戦い」とは、実にしばしば、人間の我意が、それと対立する神の意志をはっきり知りながら、なお逆らう戦い以外のな…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『ある事柄がまだ完全に克復されていないということは、われわれがそれについて考えたり、語ったりしたがらないからも分かる。ところ…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『人間のあらゆる性質のなかで、最良のものは誠実である。この性質は、ほかのどんな性質の不足をも補うことができるが、この性質が欠…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『上を仰ぐ心からなる愛の一瞥(べつ)は、それを受けられる神の側からは、たしかに最も綺麗な型通りの祈りより、もっと値打ちのある…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『人間の間の友情と愛とは、こうした関係の最良のものにさえしばしば起りがちなように、上品なお楽しみに堕してはならない。むしろ、…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『今日、純然たる唯物主義を信じ得ない教養人の間に大いに広まっている不可知論は、結局のところゲーテの人生観であったし、一般に彼…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『どんな幸福でも、それに少しの罪も混じっていなければ、堪えられるものである。』 清秋記:
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『いわゆる「人間的な」事柄で、一番われわれの心が慰められるのは、人々をより深く知れば、たいてい彼らが評判よりも良い人間だとい…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『多くの人たち、ことに女性たちは、その天職を見失っている。今日ではそれを見失うこともやむを得ないとさえ思われる。なぜなら、現…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『私のこれまでの生活で、自分では気が進まぬながらも、他から強く促せれて行ったことは、ほとんどよい結果をみたが、自分の発意で着…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『神の「親愛」こそ、本当にわれわれに尊敬の念を起させ、われわれを信服させる唯一のものである。神の「怒り」はそうではない。いく…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『人から受けた不正をいつまでも思い続けることはつねに有害であり、その上たいていは無益である。そう言う考えを急いで払いのけて、…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『神への信仰を持たず、ただ自分の不確かな力と人々の当てにならぬ助けを頼りにし、また、世間で人生の楽しにとされれていることだけ…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『見えない世界を「信じる」ことによって歩くか、それとも日常の世界を「見ること」によって歩くかにしたがって(コリント人への第一…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『見えない世界を「信じる」ことによって歩くか、それとも日常の世界を「見ること」によって歩くかにしたがって(コリント人への第一…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著:『つねに真実を語るということは、真剣にそうしようと欲する時でさえ、決して、なまやさしいことではない。嘘はわれわれの生活に深…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『何事が起ころうと、すべては神の御手から授けられるものと信じ、もはやいろいろと思いわずらうことなく、ただ開いた門を通っていく…
スイスの哲、カール・ヒルティ著『どんなに反対の実例があるにしても、この欠陥の多い地上で、やはり幸福と喜びとが得られるものだということを、大多数の人たちは夢に…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『内的な進歩が行われるには二つのものが必要である。それは、われわれに話しかける声と、それを聞くことのできる耳とである。 われ…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『「あなた方が、いろいろな試練に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい」(ヤコブの手紙1の2)。試煉にあって…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『人生の幸福は、困難に出会うことが少ないとか、全くないとかいうことにあるのではなくて、むしろあらゆる困難と戦って輝かしい勝利…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『大多数の人間は働くことを避け、自分の労働の結果の代りに、資本の蓄積や縁故関係や気楽な社会的地位など、つまり自分のためになさ…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『ある文筆家は正当にもこう言っている。本当に大切なのは、正しい道にあることだけである。そうすれば、ほかのすべてのものは自ずか…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『すべての人間の生涯に非常におおくの神秘的なものが含まれているので、ある点からすれば、完全に真実な伝記などは世になく、またあ…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『試みに、しばらく批判することをすっかりやめてみなさい。そして、いたるところで力のかぎり、すべて善きものを励まし、かつ支持す…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『この世には、愛はほんのわずかで、エゴイズムばかりが多すぎる、だからわれわれはこの憐れむべき人間を見捨てて、彼らを軽蔑したい…
『キリストみずからは、神を怒りの父などと言い表したことは一度もない。それが最も言われそうな、あの放蕩息子の譬え話(ルカによる福音書15の11以下)においても…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『「神の怒り」は、ただキリストの受難と死によって、いわばその血によってのみ鎮められたという教会の教理は、私には十分納得できな…
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『現在我々がどんな犠牲を払っても手に入れなければならない真のキリスト教は、単にある事実に対する信仰とか、教会の一定の信仰箇条に対する信仰にあるのではない。あ…
『弱い信仰でも、全く信仰がないよりははるかによろしい。最後の信仰の火種をもすっかり消してしまう事のないようにしなさい。そうすれば、またそれを吹き起こすのは、…
『内村鑑三 所感集』より: 『我らキリストの僕(しもべ)となりて一人となりて世に立つの決心なかるべからず。世は我らの主を棄てたり。またその僕たる我らを…
『内村鑑三 所感集』より: 『福音は罪人のための福音なり、弱者のための福音なり。故に我に福音を語りえざるの時あるべからず、また世に福音を信じえざるの人…
『内村鑑三 所感集』 『第二の宗教改革は第一の宗教改革に同じ、すなわち行(おこない)に対する信仰の勃興なり。第一の場合においては行はイタリア国によって…
『内村鑑三 所感集』より: 『今や世界最大の旧教国は北米合衆国なり。旧教の精神をは行(おこない)にあり、米国の精神は事業にあり、しかして事業は行の別名たる…
『内村鑑三 所感集』より: 『ひとり足りてひとり喜び、ひとり喜びて到るところに歓喜の香を放つ、星のごとく、花のごとく、識認を要せず、ひとり輝いてひとり香(…
『内村鑑三 所感集』より: 『人に愛されんと欲するなかれ、ただ愛せよ、十字架の上よりも愛せよ。愛するは愛せらるるよりも、幸福なり。我らは愛せらんと欲するも愛…
『内村鑑三 所感集』より: 『教会を作ること何ぞ易き、教会を作ること何ぞ難き、木と煉瓦との教会を作ること何ぞ易き、人と霊魂との教会を作ること何ぞ難き。余輩無…
『貴方は堅固な心を得ようと努めなければならない。既に数千年前に記されているように🌟、たちまち傲慢になったり、たちまち元気を失ったりことのない、堅固な心を。 …
『あまりに多く読みすぎるのは、たとえいわゆる良書や極めて宗教的な本であっても、まだ本当に自分の考えの固まっていない人にとっては、不健康である。と言うのは、そ…
『内村鑑三 所感集』より: 『ユダヤ国に芽を萌せしキリストの福音はユダヤ国の滅亡と共に滅びず、ローマに生長してローマの衰亡と共に衰えず、米国に繁茂して米国の…
『内村鑑三 所感集』より: 『恩恵の露、富士山頂に降り、滴りてその麓を潤し、溢れて東西の二流となり、その西なるものは海を渡り、長白山を洗い、崑崙山を浸し、天…
『マタイによる福音書二四の一一・一二・三五🌟、二五の二一、二六の四一。 これらの事は現代の特徴である。貴方はそれをあらかじめ覚悟して、それに対処しなければな…
『我々が自ら幸福だと感じるためには、常に頭が計画に満ち、心が愛に満ちていなければならないということは、正しい言葉である。しかしクレルウ“ォーの次の言葉の方が…
『内村鑑三 所感集』より: 『「エホバはこれまで我を助け給えり。」我が今日あるをえしはエホバによりてなり。我はエホバを棄て去らんとせり、されど彼は我を去らし…
『内村鑑三 所感集』より: 「神の命これ従い、神に導かれ、神に養わる。われに計画あるなし。したがって責任あるなし。餓死の恐怖あるなし、⚪️⚪️⚪️⚪️(てん…
『内村鑑三 所感集』より: 「キリストはわれを義とする事で者にあらず、わが義なり。わが義なるが故についに我を義とする者なり。キリストは我を救う者にあらず、…
『内村鑑三 所感集』より: 「年は改まれり。しかれども我が福音は改めるざるなり。我が福音は十字架の福音なり、罪の購(あがな)いの福音なり。肉体復活の福音なり…
『マタイによる福音書一一の二七🌟。誰でも神やキリストを直接的な啓示によるほかに知るすべはない。それにも関わらず、こんなにもおびただしい神学やキリスト論が書か…
『この信仰に関する差異は、人間の意志の自由という天性に基ずくのだから、いつまでも続けて消えない。「人間の魂は本来キリスト者である」というテルツリテヌスの言葉…
『弱い信仰でも、全く信仰がないよりはるかによろしい。最後の信仰の火種をもすっかり消してしまうことのないようにしなさい。そうすれば、またそれを吹き起こすのは、…
『一切の存在および生成の根源としての神は、説明することも、証明することもできない。また、そうすべきものでもない。むしろわれわれは、まず第一に神を信じ、その上…
『あまりに多く読みすぎるのは、たとえいわゆる良書やきわめて宗教的な本であっても、まだ本当に自分の考えの固まっていない人にとっては、不健康である。というのは、…
『万物の根源を万物それ自身から説明しようとせずに、むしろ、人生の経験に導かれつつ、世界全体ならびに各個人の創造者であり維持者である真の生気ある霊的存在に、そ…
『われわれがみずから幸福だと感じるためには、常に頭が計画に満ち、心が愛に満ちていなければならないというのは、正しい言葉である。しかしクレルウ“ォーの聖ベルナ…
『世界をそれ自身から、またそれ自身によって説明することは、とうてい不可能である。それでは、最後の根拠はついに見出せないからだ。人間が自分自身を崇拝し、他人か…
『人間の経験などというものは、実つ大きな幻影にすぎない。その滑らかな表面の下に隠されたものを、誰も見ないし、また見ようとしない。ただ時折、この外皮に突然裂け…
『これまで抽象的哲学は実際に、「存在」をも「生成」をも満足に説明することが出来なかった。ましてこの二つの根本概念を結びつけて、一つの統一的な原理からこれを解…
『ヘブル人への手紙一〇の三〇、申命記三二の三六。「主はその民を裁くであろう。」この言葉は、苦難に臨んだ時に、とくに全民族の苦難の時に、われわれが持つことので…
『これは疑問の中の疑問である。非常に浅薄な、あるいは動物的な人でない限り、だれでも少なくとも一生に一度は、この疑問の答えを求めようとする。そしてーー早速こう…
『ブルームハルトや、その他の歴史的に確証されている奇跡を行った人々の「力」に源(みなもと)をなしているのは、おそらくただ「私欲のない」愛であった。このような…
忍耐力と知恵を生む最高の「母胎」 『朗らかな性格は人生の喜びをもたらすもとではあるが、同時にそれは自分の性格が傷つくのを防ぐ大切な役目も果たしている。 「…
『オバデア書一二、ミカ書七の七ー11、ナホム書一の7ー12。これらの古代の預言者の言葉は、職業上これらの章を読むことのない一般の人には親しみがうすいかもしれ…
陽のあたる道を選ぶか、日陰の道を行くか 『陽気で朗らかな性格は生まれつきのものと言えるが、他の習慣と同様に訓練によって開発されていくものである。充実した人…
『マタイによる福音書一八の六・七・一〇、一二の36、二五の四〇、一七の二七、ルカによる福音書六の四五、九の五四・五五・五六、一〇の五、一二の一五・二九、一四…
この”心がまえ“が人生の重荷を半分にする 『この世には、非常に楽天的で、何を見てもよい面しか目に入らぬ人がいるものだ。 この人たちにとっては、挫折してしま…
『もしもわれわれが人間の事情を同情をもって見ることができないなら、世間との接触はわれわれの内的人間を必ず害する。これが、修道院生活を正当化する理由である。も…
人生は自分の選んだとおりに“姿"を変えてくれる 『悪い考えを避けてよい考えに従うかどうかの選択しだいで、意固地で心の曲がった人間にも。あるいはその反対にも…
『現代のすっかり倒錯した宗教教育は、神を愛することは全然教えず、せいぜい神を恐れることしか教えない。その裏には、実は神への恐れから解放され得たなら、その方が…