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玄徳道 https://blog.goo.ne.jp/sinnkiraifukukirai

古今東西、道を語るブログです。

坐は坤地の道なり、誠は乾天の道なり。そして天地の真神、真心を受託すは人の道なり。天地人合一して純陽、いづのめの働きと申すなり。

鬼雷
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大阪府
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陸前高田市
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2012/04/29

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  • 令和五年三月 三六九神

    時は流れて止まらず、歳月は人を待たずと申すぞよ。辛くとも悲しくとも、今の一刻、今日一日有難く大事につとめねば、ならぬぞよ。(注言霊は神也と申すが、時の流れその間をもって神の仕組みは現れる、時は神也とも申せる。)扨もロシアとウクライナの戦争が始まって早や一年。時日のたつのは、早いものであるぞ。戦い治る兆しは見えず、犠牲は増すばかりじゃ。ロシアもウクライナも、我が正しいばかりで争い、折り合いはつかず、要の外れた扇の如く、治めようも無い有様であり、頭(かしら)と立つ者、引っ込みがつかず意地を張り合い、犠牲になる者が増えるのが判らぬのか。国常立大神は、黒海に居る眷属の大龍神にトルコの大地震を起こさせて早く戦争を止めよと警告を発しておれども、地震は自然の働きと神の意を解する者無く、一つも改心いたさぬから、言うても聞...令和五年三月三六九神

  • 令和五年三月八日、小長谷修聖 三六九神示霊視篇。

    薄暗い夜空に大なる赤龍が赤黒い炎を吹きながら舞い、その頭上に大きな赤鬼が乗り龍の髭を持ってあやつるが如く上に舞い上がりながら、ロシアのクレムリン宮殿、そして、中国の紫禁城、上空を行ったり来たりしており、その龍の後ろに小さい赤龍が何頭もついた.飛んでおりました。(注赤き辰や赤い鬼は、ロシアや中国の事であり、小さい龍は、ロシアや中国に従う国。)次に出雲の熊野神社の神楽殿で、出口聖師が素戔嗚尊に扮し、八岐大蛇退治の舞をされていました。(注八岐大蛇は頭がたくさんあって、治らぬ体主霊従の今の世界を象徴し、その退治、即ち世の立替立直しに、素戔嗚尊が活動される時代である事の御示しであろう。天照大神を厳霊とすれば、素戔嗚尊は瑞霊となる。)次に兵庫県豊岡市にある、海抜五六七mの来日山と九州上五島に海抜三六九の丹那山の一二三...令和五年三月八日、小長谷修聖三六九神示霊視篇。

  • 内流道。

    何を内流と言うのであろうか。神と人とが、他人、宗教、教祖と関わらず、神と一対一に直接に交わる。それを内流と呼ぶ。ちなみに、守護霊や眷属神との会話とは、大分意味が違う。スピチュアルの世界では、人を教育し、守る守護霊があるらしい。人を守る為の霊。また、反対の人を害毒する為の霊。まあ、守護霊云々の御伽話に頼れば、世界には争いは生まれるはずもない。なんせ、人には必ず、守護霊が教育すると言う。しかし、邪悪なる因縁霊や悪魔的要素が、人を惑わすと。いやいや、人が神と親しむ時代の太古には、守護霊もいないし、因縁霊や悪霊も居なかった。霊界の増大は、人の私欲、智慧、人の産み出す想念に伴っている。仮に守護霊が太古から居れば、教育宜しく、戦争なんて起きるわけがない。人と人との争いは皆無である。例え農作物による、指導者と従事者との...内流道。

  • 孚聖訓、劫道。

    沙宝。雲宝。孚聖、妙山より、命を奉じて来たる。紛紜たる、世劫。道は昌(さか)んに、なり難し。黒闇の夜長く。夢も亦、長し。首を回(めぐ)らせば、白雲多く変幻す。田は滄海に帰し新桑に変ず。世上の劫は已むことなく、人心は陥溺して、これを救うにも救うことが出来ず、これを消すにも消す事ができない。ここで劫を消したとしても、あそこで、劫が大きくなり、絶えず、劫を消していっても、劫は、益々大きくなっていくのは、どうしてであろうか。どうして、科学が昌明(さかん)になれば、なる程、災劫が益々荒れ狂ってくるのであろうか。たとえ、多くの災劫の発生を観て見ても、人事で想像が出来ない程、悲惨である。戦禍や、水害火災、震災、空の難、海の難などが断(た)えず、発生しており、また、各種の癌性の腫瘍、新型コロナウィルス、エイズ、エボラウィ...孚聖訓、劫道。

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