chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
玄徳道 https://blog.goo.ne.jp/sinnkiraifukukirai

古今東西、道を語るブログです。

坐は坤地の道なり、誠は乾天の道なり。そして天地の真神、真心を受託すは人の道なり。天地人合一して純陽、いづのめの働きと申すなり。

鬼雷
フォロー
住所
大阪府
出身
陸前高田市
ブログ村参加

2012/04/29

  • 令和五年四月 三六九神示

    三千世界一同(いちど)に開く梅の花。艮の金神の世に成りたぞよ。梅で開いて松で治める神国の世になりたぞよ、と。明治二十五年旧正月、丹波綾部の出口直刀自に筆を持たせ書かせた、艮金神国常立尊、三千世界の年月契、封印解けた初声であるぞよ。厳寒の冬を堪えて花咲く梅(埋め)の花。この地球も修理固成(つくりかため)た、国常立尊は、三千年、艮(うしとら)の方に、鬼や蛇じゃと.封じ込まれ、厳寒の冬の如き艱難辛苦を堪えながら、陰から、現の世の守護を致してまいりたぞよ。丹後の荒海、絶海の孤島、女島に封じられ、龍宮乙姫が御仕えして、お世話を致し、陸の真名井原磐座から、御祭りを海人族がいたしてまいりたのであるぞ。龍宮島女島へ隠棲いたしたのは、時来れば、隣の男島より、籠宮に鎮まる、天照国照日の出神、龍宮の乙姫つれそうて、お出ましの仕...令和五年四月三六九神示

  • 令和五年四月八日、小長谷修聖 三六九神示霊視篇。

    紀州熊野の伊邪那美命の陵と伝えられる、花の窟と、その前の火の迦具土の神の磐座が見え、次に伊邪那美命と迦具土の神を祀る産田神社が拝され、その前に白衣の女神が赤い布でくるんだ、赤児をだき、にこやかな顔で御立ちでありました。(注伊邪那美命は火迦具土を産まれる時、火傷して亡くなり、我が母を殺した子を怒り、父なる伊邪那岐命は迦具土の神の首を切り給うと言う。この事は、自然現象ではマグマ(火迦具土)が山頂を吹き飛ばし、溶岩が山を焼く、この地球の修理固成の様であり、又争いは親子夫婦近親の争いから始まり広がる事を示されている。火は天の太陽だけで無く、この地球の底にもあり、マントルやマグマは火迦具土神であり、天照国照日の出神は、太陽の氣と地球の底の火気一体となりて、神霊(みたま)が成っている事を示されている。産田神社の母子の...令和五年四月八日、小長谷修聖三六九神示霊視篇。

  • 超抜冥修道

    人は、死ぬ。例え、それが聖人であり、仙道の奥義を究めた仙人でありとも、神人合一を窮めた神人でも然り。神界、神仙界なる世界は存在する。そこは、やはり、死んだ魂がおもむきます。もちろん、天国と地獄は存在し、其処は、自己の想念、思念により赴く世界でもあります。それは、真実でございます。日本古来の神道で言えば、隠り世であり、人は死ねば、魂は、神に還り、魄は、大気に返り、肉体は地に帰るのみです。故に、神道では、教えはありませんが、神なる根源に戻り、また、復活を致します。隠れたら、また、必ず現れるからです。佛を述べれば、人が死ねば葬式があり、その想念の流れは、三途の川があり、姥捨が俗世の着物を脱がし、魂魄は、人生の功罪により、閻魔の裁きを受けます。子孫は、先祖にあの世で幸せになって欲しいために、戒名をつけて、お寺にお...超抜冥修道

  • 令和五年三月 三六九神

    時は流れて止まらず、歳月は人を待たずと申すぞよ。辛くとも悲しくとも、今の一刻、今日一日有難く大事につとめねば、ならぬぞよ。(注言霊は神也と申すが、時の流れその間をもって神の仕組みは現れる、時は神也とも申せる。)扨もロシアとウクライナの戦争が始まって早や一年。時日のたつのは、早いものであるぞ。戦い治る兆しは見えず、犠牲は増すばかりじゃ。ロシアもウクライナも、我が正しいばかりで争い、折り合いはつかず、要の外れた扇の如く、治めようも無い有様であり、頭(かしら)と立つ者、引っ込みがつかず意地を張り合い、犠牲になる者が増えるのが判らぬのか。国常立大神は、黒海に居る眷属の大龍神にトルコの大地震を起こさせて早く戦争を止めよと警告を発しておれども、地震は自然の働きと神の意を解する者無く、一つも改心いたさぬから、言うても聞...令和五年三月三六九神

  • 令和五年三月八日、小長谷修聖 三六九神示霊視篇。

    薄暗い夜空に大なる赤龍が赤黒い炎を吹きながら舞い、その頭上に大きな赤鬼が乗り龍の髭を持ってあやつるが如く上に舞い上がりながら、ロシアのクレムリン宮殿、そして、中国の紫禁城、上空を行ったり来たりしており、その龍の後ろに小さい赤龍が何頭もついた.飛んでおりました。(注赤き辰や赤い鬼は、ロシアや中国の事であり、小さい龍は、ロシアや中国に従う国。)次に出雲の熊野神社の神楽殿で、出口聖師が素戔嗚尊に扮し、八岐大蛇退治の舞をされていました。(注八岐大蛇は頭がたくさんあって、治らぬ体主霊従の今の世界を象徴し、その退治、即ち世の立替立直しに、素戔嗚尊が活動される時代である事の御示しであろう。天照大神を厳霊とすれば、素戔嗚尊は瑞霊となる。)次に兵庫県豊岡市にある、海抜五六七mの来日山と九州上五島に海抜三六九の丹那山の一二三...令和五年三月八日、小長谷修聖三六九神示霊視篇。

  • 内流道。

    何を内流と言うのであろうか。神と人とが、他人、宗教、教祖と関わらず、神と一対一に直接に交わる。それを内流と呼ぶ。ちなみに、守護霊や眷属神との会話とは、大分意味が違う。スピチュアルの世界では、人を教育し、守る守護霊があるらしい。人を守る為の霊。また、反対の人を害毒する為の霊。まあ、守護霊云々の御伽話に頼れば、世界には争いは生まれるはずもない。なんせ、人には必ず、守護霊が教育すると言う。しかし、邪悪なる因縁霊や悪魔的要素が、人を惑わすと。いやいや、人が神と親しむ時代の太古には、守護霊もいないし、因縁霊や悪霊も居なかった。霊界の増大は、人の私欲、智慧、人の産み出す想念に伴っている。仮に守護霊が太古から居れば、教育宜しく、戦争なんて起きるわけがない。人と人との争いは皆無である。例え農作物による、指導者と従事者との...内流道。

  • 孚聖訓、劫道。

    沙宝。雲宝。孚聖、妙山より、命を奉じて来たる。紛紜たる、世劫。道は昌(さか)んに、なり難し。黒闇の夜長く。夢も亦、長し。首を回(めぐ)らせば、白雲多く変幻す。田は滄海に帰し新桑に変ず。世上の劫は已むことなく、人心は陥溺して、これを救うにも救うことが出来ず、これを消すにも消す事ができない。ここで劫を消したとしても、あそこで、劫が大きくなり、絶えず、劫を消していっても、劫は、益々大きくなっていくのは、どうしてであろうか。どうして、科学が昌明(さかん)になれば、なる程、災劫が益々荒れ狂ってくるのであろうか。たとえ、多くの災劫の発生を観て見ても、人事で想像が出来ない程、悲惨である。戦禍や、水害火災、震災、空の難、海の難などが断(た)えず、発生しており、また、各種の癌性の腫瘍、新型コロナウィルス、エイズ、エボラウィ...孚聖訓、劫道。

  • 黙真人訓、神道。

    道を学ぶ者は、必ずその身を調柔し、その気を調柔して、はじめて神に合し、最後には想念がともに止み、気息も又尽きて、はじめて無に合するのである。何故に、神が無に合して、はじめて道に入る事が出来るのであろうか。それは、天下の物はみな、有より生じて、有は無より生じてくるからである。調柔の二字は、調について論ずれば、調整、調養、調正などなど、一様ではない。柔とは則ち、和である。身を調正するとは即ち、道の理によって身を修めるので、身が調わなければ、則ち精を損ない、その行為は不当で、でたらめとなり、その行動は傲慢となるなど、一様ではない。その身を調柔するとは、その身の不当なところを調和して、当を得るようにし、不和なところは、以て和を得るようにし、不正なところは以て正を得るようにすることである。故に身が調柔しなければ、精...黙真人訓、神道。

  • 黙真人訓、天道。

    天理良心は、自然に基づくものであり、私情に偏った人欲を、どうして欲しいままに、する事が許されようか。世間の多くの聡明なる者は、誤って、貪り欺くことを、真理と解している。天が人に授けた理。これを、天理と、言う。この、天理がどうして、能(よ)く知り、能く明なのであろうか。それは、良心だからである。良心とは、良知良能である。何を良知良能と言うのであろうか。それは、知らずして、知るのがこれ、良知で在り、能くする(習得による事無く、自然に能くするを言う)のが良能である。天の人に授けるところのものは、本来は公平無私で、心を差し挟む事無く、人々に対して本来均等である。従って、人々は皆、聖賢仙仏となることが出来るのであるが、何故、人々が皆、聖賢仙仏となる事が難しいのであろうか。これには、多くの研究の余地がある。天から授け...黙真人訓、天道。

  • 黙真人訓、修道。

    時のある所、機がこれによって生じてくる。機は、どうして生じてくるのであろうか。吾が心の感応によるのである。吾が心はどうして、能(よ)く感じるのであろうか。それは、一誠が中に蔵され、運(めぐ)るからである。中は炁霊感化の本である。心が道慈に在りて、大公至正の心で、偏った欲望の私心(利己心)が無くして、はじめて、感応の顕現は、吾が心に悟るのであり、吾が心は一虚空の包(宇宙)であり、能くこの能力がある者は、功候の修進にある。功のあるところ、候を養うところは、均しく平生の人に応待し、物に接し、世に処して、事を処理する上において、テストするのである。たとえば、心が能く止水の如く、また明鏡の如く清らかで、事物が発生して来るや、ひとたび、照らして、そのしかる由縁の故を知り、そのしかる所以の理を明らかにし、その事が過ぎ去...黙真人訓、修道。

  • 三六九神示 大地がフルウ道。

    さあ、ドンドン、オノコロ、オノコロ、淤能碁呂嶋が動き始めたぞ。さあ、団子をこねるぞよ。吉備丹後(黍団子)じゃな。キビダンゴを、オノコロオノコロ、まるめてさあ、串をさすと言う、さあ、どうじゃ。キビダンゴをこしらえて、日の神様、月の神様に御捧げ申すぞ。さあ、ドンドンさあドンドン、ちょっとな、仲なか、上手に丸くならぬ。さあ、そこで、水かげんと言うな。結んで開いて又、結ぶ、こねて、こねて、こね回す、するとねばりが出るのじゃな。これからの日本もこねまわしの始めじゃな。もっともっと、練らねばならぬ。さあ、神界の吉備丹後(黍団子)と言うな。黍団子が出来ぬと鬼退治が始まらぬ。政治の世界もコネマワス、真の桃太郎出(い)でませる準備じゃな。練るぞ練るぞ、結んで開いてと言うな。古き世の型崩れてゆく。粉々になって、その粉にまずを...三六九神示大地がフルウ道。

  • 三六九神示 雪道

    この度の北陸の大雪は、白山菊理比咩の神、九頭龍と化し、浄めの息吹であるぞよ。人民大雪で困って居るが、雪は水となり、万物を育てはぐくむ事となるのじゃ。降る雪には白山比咩氣が入っておるぞ。浄め満ち充つぞ。白山菊理比咩御現れの雪じゃ。さあ、雪道は、最初に歩む苦労をいたすぞ。その跡を皆ついてゆくのじゃ。道にまよう人民を救わむと現れた聖人達の苦労を忘れてはならぬぞ。救世の神霊(みたま・九聖の神霊)と称えて奉らむ。感謝せねばならぬぞ。先人の道開きの苦労ありて、今日があるのじゃ。さまよえる現の世に、言うに言われん苦労いたして道を開きし聖人達。救世の神霊を称え奉らむ。さあ、降り積む雪にも感謝なされよ。春となれば、溶けて流れて水となる雪、姿は消えてしまうのじゃ、苦労と言うのもそんなものじゃ。苦あれば楽あり、禍(わざわい)転...三六九神示雪道

  • 潜道

    密かに、潜り、道を修める。神の道とは、他人に知られず、褒められず。誉められず、自己責任にして、見返り無く、ただ、天の命のままに、それを行うのみ。故に、他人の評価は決して、得られない。もし、神事にて、自己の行いを宣伝しているならば、それは、人事の行いにて、無形なる、神の道ではありません。神の鳴る、道とは、他人の評価を必要とせず、人知らず、行うのみであります。それは、人が、行う、修道、道を修めるについても、同様であります。神業なる言葉が、ありますが、神は火水であり、嚼むであり、業とは、因果律であり、カルマであり、人の働きであり、合わせれば、無為自然なる実相を誠意にて、自らの自神(自身)を示す道でもございます。その自神が示す道をに於いては、毀誉褒貶は全く無用であり、ただ、神命、天命のままに、自己だけが知り、四知...潜道

  • 令和五年一月 三六九神示

    丑寅の年を送りて迎えし卯の年であるぞ。卯は東方の日の出の時であり、穏やかな年明けでありたが、その裏に予測通りにまいらぬ、変転奇象の事も起こる厳しさがある年のめぐりとなるぞよ。艮の金神国常立大神、三千年の四九三を実らせてまいるのが、日の出の神と龍宮乙姫の働きであり、その四九三の型を日の丸扇に見せてあると申してあるぞ。現の世では、男島女島の間より昇る日の出で見せてあるが、世の闇を晴らす、日の出の光を、さえぎらんと、北から迫り来る黒雲、北西から吹き来る風強し。その事は、現の世に神人和楽の三六九世を開かんとする、日の出の神の出現を思凝霊等が黒雲となりて、さえぎらんとする様であり、現の世に於いては、日出る和の国、日本の国の台頭を、おさえつけ従わせんとする大国の圧力とも申せるのであるぞ。赤き辰や赤鬼の手先になりておる...令和五年一月三六九神示

  • 令和癸卯五年一月八日 小長谷修聖 三六九神示霊視篇。

    男島女島の中程にある、中津神の岩の上に、塩椎(水火土)翁が立たれ、表裏金銀の扇面の日の丸扇持ち、海の水平線の方へ向かい、あおがれると、海上より太陽が昇り始め、海面は金波銀波に輝きましたが、太陽をさえぎる如く、北方より黒雲が迫って来ました。(注塩椎翁は大綿津見神(海の御中主)の変化である。世の闇を晴らす、日の出の神の出現であり、それをさえぎる黒雲は、これまでの世の中を自在にして来た、思凝霊の体主霊従の氣であり、日の出の国、日本の台頭をはばむ、外国の圧力であろう。)次に和歌山新宮の神倉神社の磐座コトブキ岩が拝され、その岩の上に、三つ足烏が居り、岩の周囲には、澤山の烏が居りました。飛び立って熊野本宮、大斎原の上を飛び、熊野三山奥の院、玉置神社の方へ飛んでゆきました。(注熊野神宮の神倉神社は、熊野を開かれた高倉下...令和癸卯五年一月八日小長谷修聖三六九神示霊視篇。

  • 三六九神示 国祖への道

    現の世の初発の時、国祖国常立尊は、神霊(みたま)を分ち、それぞれの神に役目を持たせて世を修理固成(つくりかため)たのであるぞ。あまりにも厳格なきびしい神でありた故、下々の神々は不足を申し、挟蝿(さばえ)なす如く荒びて治らぬようになりた故、やむえず、艮(うしとら)へ隠退いたし、陰から世の守護をいたす事となりて、それ以来、表に出て居る神々や人民の自由自在に、構う世となりたのであるが、是も深い神策のありての事であり、確(しっ)かりと、現の世が構いてゆける人民に育つように、苦労もせよ、頭打ちもして目醒めよと、陰から見守りておりたのであるが、利己主義の念の凝りた思凝霊の力が強くなりて、表に出ておりた神々も、手のつけられないような世となりたのであるぞ。もう、これ以上、思凝霊の自在にさせては、おけぬと、時節まつりて、艮...三六九神示国祖への道

  • 三六九神示 悪の道

    人間肉体を持つからは、誰も利己主義(われよし)の心あるぞ。皆、氣をつけねばならぬのが、思い上がりの心であるぞ。宗教を信じる者は、特に氣をつけねばならぬぞ。自分の思いが最高に正しいと思いておるから、独善となり、他に悪をつくるのじゃ。神々と言いながら、一所懸命、真の神の心から外れてゆく事もあるぞ。宗教も思想も同じようなものであるぞ。凝り固まったら、自分等だけが正しく、他は間違いの如く見えて、悪を作りだしてしまうのじゃ。神等あるか無いか、自分に判らぬから、神など無いと言うのも間違いじゃ。人間には判ろうが判るまいが神は在るのじゃぞ。草木石ころ一つ作れぬ、人間でありても、天地自然の恵みによりて、生かしておるのじゃぞ。少し霊能がありて、神の姿等、見えたら、偉い者になったように思うのも、思い上がりであるぞ。霊能があろう...三六九神示悪の道

  • 伏見稲荷山道2。

    伏見稲荷山への登拝です。伏見稲荷大社は観光客が多いので人の少ない早朝に参拝致します。まず伏見稲荷本殿と奥宮を参拝。その後、神宝神社に参拝。大岩神社を目指します。大岩神社。此処の神様は、その神社の鱗型紋章から、アメブロブログ玉置の森ブログ、玉置の森さんは、蛇か龍かの話しでありましたが、この謹書を読むと実に、太陽神と関連しているようです。三輪山の神とも関連しているとも考えます。まあ、真実なる神は、己を名乗らず。吾が師、至聖先天老祖も、吾は姿も形も名も無く、どのように唱えても良いとされて、おられ、金光大神(金光教の教祖)も、神様は、各自、好きな神様の名を挙げれば良いと、申されております。しかし、此処も、あそこも、太陽の神と縁が有るとは、善きかな。此処は、私のみ、唯一人が祀る磐座。場所はだいたい知っているのですが...伏見稲荷山道2。

  • 三六九神示、神の御用道。

    神の御用に立つ者は、一度は、生きながら死んでくれよと申してあるぞ。死んでくれと申すのは、現の世を去る事では無いぞ。いらぬ、悩みや苦しみの利己主義(われよし)の思いを捨てて、蘇り生まれ替わりて、神に生かされ、活きる勇気、喜びを知る、真の神民になれと申すのであるぞ。人の思いは一つで無く、神から授けられた御魂(直霊なおひ)の神理を見る、慈悲仁愛の正しい思いと、御魂の器(うつわ)である、肉体の霊(魄)の我を守らんとする、利己主義の思いがあるのであり、渾然として心に映るのであるぞ。肉体は現の世に人の種が成りてより、この方、子々孫々の血のつながりを持って、今まで続いておるのであるぞ。何時しか、元の土に帰らねばならぬ肉体であるが、御魂が現の世で働く為には、生宮として肉体も大事なものであるぞ。されど、肉体霊の我を守らんと...三六九神示、神の御用道。

  • 食道

    先ず始めに、天と地の狭間にて、穀物を育てる人は、宝であります。吾が師、至聖先天老祖は、水から生まれた人は、穀物によらねば生きられず、火による暖が無ければ生きられないと、言われております。故に、農作物を育て、人に貢献されるお方を神様は、国の宝と示されているのでございます。農作物を育てる人が少なくなる中、懸命に育ててくれてありがとうございます。何時頃であろうか。コンビニの弁当が臭く不味く感じるようになったのは、若い時は、朝飯代わりに飲んでいた缶コーヒーが不味く、味に嫌悪感が感じるようになったのは。私がまだ、小学生の頃、食べた玄米が美味かったです。米が口の中で踊っている錯覚があり、それ程美味さを表していました。今の人は、あまり玄米を食べませんね。白米が主食の方が殆どであると思います。徳川幕府の時代、江戸では白米...食道

  • 三六九神示、剣の山道。

    剣の山。剣とは、鶴亀(つるぎ)の事でもある。されど剣とは、九十八(言葉)の事じゃぞ。神と人も人と人も九十八で通じ合いておるのじゃぞ。その言葉の奥に言霊(九十0)があり、光があるのじゃ。これまでの世は人や切る言葉の世でありた。片刃の剣じゃな。これからの世は活人の剣を振るえよ。九十0(ことだま)、九十八(ことば)、0九十(まこと)、大和の道を開く要(かなめ)であるぞよ。剣であるぞよ。ン。先に九十八(ことば)は剣と申してあるな。元々は諸刃の剣で、世を治める象徴(しるし)でありたぞ。剣が片刃の刀となりて、人や切る武器となりたな。さあ、これは偽りの言葉、利己主義(われよし)の言葉の事じゃ。これまでの世は、偽りの言葉で塗り固めた世で、嘘も方便と申して来たが、これからの世は、元の神代の如く、0九十(まこと)の剣(言葉)...三六九神示、剣の山道。

  • ブログ道。

    いつも水仙さんを虐めるブログ、「爺の独り言+」さんに、コメント欄にて、呪、いえ、祝を述べたら、爺い様は、コメント欄を閉ざしてしまいました。人の文言を悪しきに、とり、赤ペン先生、青ペン先生と称して、一心さん、水仙を添削するなどと、称して、ひとを誹謗中傷するブログでございます。ああ、私鬼雷にも添削して欲しいとも、お願いしております。すみません。頭が悪い者でして、誤字脱字には、自信があります。いつもすみません。いずれにせよ、人を虐めるブログは、要らない、また、天も我も許さない。この「爺いの独り言+」を見れば、そして、被害を受けている水仙さんのブログを見れば明らかであり、「根暗爺いの独り言」と名を改めて欲しいです。水仙さんは、耳が悪いらしいです。その最中、ネットと出逢い、自己の発露を遺憾なく、発揮出来る場が出来ま...ブログ道。

  • 神業なる道

    ああ、人類の歴史とは、戦争の歴史である。ああ、滅びるかな、道。ああ滅びるかな、人類。道は滅びず、人類が自ら滅びへと誘導しているのである。この情報化社会.互いに共存する中で、善なる働きと、悪質な働きがある。神の道に生きる者は、善悪の情報は鵜呑みにせず、ひたすら、吾が神を顕すのみ。多くの神人は、人類の業を肩代わりして、次世代へと繋ぐ役割がある。それは、人知れず行う御業なり。されど、神業を繋ぐ役割があり、神界より、その是非を伺い、顕す事もある。神の業とは、簡単に述べれば地球の苦しみを我が身で受けることである。蓋し、人なる身でそれを受けるのは、地獄の拷問より凄まじい。故に神もまた、それを乗り切らせる為に守護するのである。金光大神師、出口直刀自、王仁三郎尋仁聖師、日出麿運霊師、五井昌久昱修師等はそれを為して来られま...神業なる道

  • 先天坐道雑記11。

    最近は、ジョギングし、身体の代謝を上げた後に、筋トレをし、真経を学び、坐すれば、慶びが倍増します。人にとって、身体は、とても大切であり、身体をおろそかにし、精神や心だけを大切にするのは、真の霊主体従の道では無いと、思う日々であります。身体を造るのは、水や食べ物であり、それを消化吸収する内蔵であり、脳髄であり、血液筋肉運動であり、螺旋する氣であり、心であり、本性であり、神に連なる魂であり、宇宙を運(めぐ)る霊でもあります。もし、この世で病を経て、亡くなる事になれば、その人の生成化育の神業は、害(そこな)われます。魂と肉体は、別物では無いからです。相互互助。魂が清いから、魂のみが神界に行ける訳でも無く、清い魂の持ち主でも自殺したら、当然に地獄に堕ちるが如く、魂肉は不二であり、常に一体であります。戦争で殺し殺さ...先天坐道雑記11。

  • 令和四年十二月 三六九神示

    今日のこの日は、先の大戦の開戦の日であるぞよ。先の大戦は、日本だけでは無く、アジアやその他の国々の辛く悲しい大きな犠牲を重ね、その上、日本には原爆を落とされ焼野ヶ原の中の敗戦となりたが、先の大戦は大きな犠牲を払いし日本、三千年の大禊であり、自由を封じられていた大なる岩戸開きでありたぞよ。天皇自ら二度と戦争せぬから日本の国を残し欲しいと神に誓い、神も人も、自由に働ける世になりたのであるが、外国の流れに振り回されて再び軍備増強と時代を逆のぼらせる如き動きのある事は、気をつけねばならぬこの時であるぞ。扨も、修聖には、龍宮界の図りによりて、子供の頃から神や佛を祀らせて遊ばせたのは、その末、神の取次をさせる先がけありたぞよ。長じて昭和四十一年十一月、二十三歳のおり、但馬豊岡の光之道(宗教法人)へ奉仕させる事となり、...令和四年十二月三六九神示

  • 令和四年十二月八日 小長谷修聖 三六九神示霊視篇。

    修聖、子供の頃(小学高学年から中学頃)、家の庭に、カマボコ板を割り、柱となして土に打ち、その上に古瓦を乗せて屋根となし、向かって右に神の宮、左に佛の堂を造り、神の宮には、石を御神体にし、小さい幟(のぼり)も立て、佛堂は、自ら彫った小さな佛像を祭り、僧の人形を作って堂の中に入れ、遊んでいる様を、庭木の中から、白髪白髯の老神と、龍宮系の女神が見ておられる様が見えました。(注長じて神の御用をせねばならぬ、先がけの型をさせられたのであろう。老神は塩土翁、女神は龍宮の乙姫であろうか。自らは何とも思わず、神様遊びをしていたが、人から見れば変わった子と見なされたのであろう。世界平和や、縁ある人の倖せを祈っていたと思う。佛像は今も何体か残っている。)次に但馬の神鍋山の上空に、金勝要神の神霊石(みたまいし)をくわえた...令和四年十二月八日小長谷修聖三六九神示霊視篇。

  • クリスマスイブに述べる道。

    イエスが生誕した由縁は、一重に、慈愛あるのみ。それは、釈迦意識に繋がり、すべての人を幸せにしたい。キリスト意識ともいう。イエスも釈迦も水より樹木と生誕し、自然の調和を愛する大樹の化身でもある。いや、その水より人と成らず、水より大樹となり、そして、人と生まれたゆえに、人意識よりも、より、主一無適なる静寂を悟り、涅槃ヘ辿り着きた存在でもあります。故に、争うことをされず。競うことをされない。植物は、競わず、群れても同調せず、個により、成長する。いにしえの人は、全て、水より生まれたが、生まれ変わりがある以上、人は、木や、磐から、生まれた人に劣るなり。人は知恵があり植物を下に見る。そして、人は、物に乱れるが、樹木や岩石は物に乱れず。ゆえに、太古の樹木岩石は聖人となり、人は愚かになり、物に、左右されやすい。小人閑居し...クリスマスイブに述べる道。

  • 善と悪の別れ道。

    ああ、人は善と悪に別れる習性がある。その善悪は、常に人の主幹に寄る。なんせ、神に善悪は無い。たぶん。無極であるが故に。吾が師、老祖は、善悪を含む中、人に於いては、その善なる活動を臨んでおられるが。神は鳴り響き活動されるのみ。道を求める者は、常に、ふんわり、心を浮かさねばならない。何事にも囚われては、鳴らない。この善悪響きある、世界において、ただ、空を無を求める。雲の様に流されるのみ。太陽の様に、熱を帯びず、大地の様に、震わず。ただ、月の如く、夜空に反射するのみ。月の裏には、重大な秘密があろうとも、月は、優しく人を護るのみ。身体には、南極と北極とがあります。南極に、文明あり。北極に試練あり。これは、頭脳と、体幹のサトシ。脳よりも、腹を括る。人の身体が宇宙を示されておられる証でもある。いや、南極たる、天庭も、...善と悪の別れ道。

  • 令和四年十一月 三六九神示

    今日のこの日は、日月地と天王星、一直線に結ばれる、真に大事な月食の日であるぞよ。宇宙の氣も新しくなり、この地球も新星に向かい、一段と立替立直しの神業が世界に進むぞよ。(注日月地、天王星が重なる皆既月食は千五百八十年以来四百四十二年ぶりの事である。千五百八十年は土星食であった。)先月の神示には、日の丸扇が神の四九三の大本の型であると申してありたが…さあどうじゃ、扇を開き、手にもてば、要(かな)は、手の中に隠れてしまうであろうがな。人に現の世を任せて三千年。扇の要を手にかくし、人間だけの世の中であると思い上がり、肝心要(かんじんかなめ)の神あって生まれた人の身である事を忘れて、頭でっかちとなり、人知人学で何でも自在になるものと、我が我がで…争いをいたし、未だに大事な人の生命を犠牲にしながら、国取合戦をいたして...令和四年十一月三六九神示

  • 令和四年十一月八日 小長谷修聖 三六九神示霊視篇。

    出雲の日御崎神社の上宮、下宮(日沈(沈)宮)が拝され、続いて、国譲りや国引きの神話が残り、旧暦十月十日には、神迎えや龍蛇迎えが行われる行われる稲佐の浜が見え、水平線に太陽が沈むと、浜にある大きな岩の弁天島に金色に輝く、大黒様が立たれ、日の丸扇を開き、海へ向かい招く様に扇をあおられると、海上に金銀の龍や、色とりどりの龍が渦をなし、玉の如くとなって、浜の方へ、向かって来る様が見えました。(注日御崎神社は、厳霊系(いずのみたま)系の天照大神を祀る下の宮と、瑞霊系(みずのみたま)の素戔嗚尊を祀る上の宮とがあり、厳瑞結びの型を示されている。下の宮は日沈(沈)宮と称される。それは春分、秋分の日、千葉県房総半島から登った太陽が、丹後の男島女島の間を通り、日御崎の沖に沈む故である。伊勢系は昇る日を、出雲は沈む日を尊崇する...令和四年十一月八日小長谷修聖三六九神示霊視篇。

  • 三六九神示、身魂磨き。

    人の身は、神の御魂の生く宮と申してあるぞよ。神々は、天地世界、大自然を宮として鎮まり、創造化育の神業(かむわざ)を進めてあるが、高天原の神の四九三(仕組み)を、この地上に実らすにつけては、八百万の神々は神霊を分ち、人の身に鎮め、この地球に住まわせて、地上天国(うましみくに)を開かんとせるのであるぞ。人の身魂は、神氣霊氣の受信器であり、発信器と四九三(しくみ)であるぞ。神界や霊界の氣を受ければ、様々の霊も憑って来るから、常に我が身を神の鏡(神意)に照らして正邪を審神(さにわ)しておらねばならぬぞよ。思い上がったり、利己主義(われよし)の思いでありたら、善き神は憑って来ぬぞ、響いて来ぬぞ。神は霊、人は体と申してあるが、人の身が善き思いに磨かぬと、神界で善き事を計りても、現の世に実らぬのであるぞ。余りにも、利己...三六九神示、身魂磨き。

  • 三六九神示、大江山。

    新緑に藤の花映える、大江山へ修聖他二名の者、久々に登らせ、御嶽明神(鬼嶽稲荷)へ参らせて、平成八年の神業の変動以来の守護の御礼を申させたぞよ。大江山は古代丹波の要、丹後の重要な守りの地場であり、豊受大神の分霊、倉稲魂(うがのみたま)の神が鎮まりて、長らくの間、丹後を守りたと申してあるが、元の神魂は、国常立尊であるぞ。諸神から恐れられ、それ故に大江山は、鬼の住む山と言われたのであるぞ。大江山の山頂、千丈ヶ岳は、天橋立から坤(南西)方にあたるぞよ。扨ても昭和六十二年から神業を共になした者等の中に、真名井ヶ原を我が身に等で自在にせんとする野望の者あり。次第にその正体を現し、海部家や修聖にも反抗するようになり、平成八年の夏、その動きは一段と激しくなって来たのであるぞ。修聖は何とか円満に納まる事を願えども、相手の思...三六九神示、大江山。

  • 三六九神示、縁。

    人民が救う役目の宗教も形ばかりとなり、佛事も真の救いの力を失いて、殿堂伽藍を守る事や金儲けに走り、人民も我さえ良ければ良い、今さえ良ければ良いの、利己主義(われよし)の道に落ちいり、国の政治を司るお偉方も仁慈誠信の道を忘れ、党利に走る。世界の国々も核兵器で威嚇しあい、その末は戦争いたしても、経済の発展じゃと申すような今の世は当に末法の世であるから、神理の道を外れて、利己主義のしたいほうだいでは、世界が潰されてしまうから…男島女島や天之橋立真名井ヶ原が世の元の神、出現の御地場である事を証して、そこから神力を発動なし、神理の判る、誠の御魂を引き寄せて、世を立直し、現の世が万劫末代続く事を神界は願いておるぞよ。されど、噂を聞きて、どえらい神様がおわすところだから、どんなお陰でも、もらえる所かと、御蔭信心で真名井...三六九神示、縁。

  • 荘子物語、自分自神を知る道、心斎2。

    中国では、数千年前から天地日月星辰の動向を把握して暦を作った。このように、遥か遠くある日月星辰を明確に捉えているが、最も身近な自分自身の事については、全く無知である。そこで荘子は、自己の内面を開発する具体的な方法を提起している。それは総括するのが荘子の「心斎」の二字である。「心斎」とは全ての煩悩や妄念、妄想をきれいに洗い流して心を清浄にすることである。それを日本語では、「みそぎ」と言う。「みそぎ」とは、一身の罪や穢れを水で取り去ることである。(鬼雷述べる。先天坐でも、水を主体として、様々な穢れを浄化する。自ら身体の虚の中で生成した炁水により、客火(欲望の火)を化し、炁火とし、炁火が炁水と交わり、水火既濟の象を示し、全ての災いの元なる劫を弭化するのであります。)また、儒教では、己自身の煩悩や欲望に打ち勝って...荘子物語、自分自神を知る道、心斎2。

  • 荘子物語、自分自神を知る道1。

    荘子は、孔子の名を借りて、一つの物語を紹介している。「昔、一羽のカモメが魯の国の宮殿に飛んで来た。魯の国の王さまは、この珍しいカモメを尊重して、宮殿の中で飼う事にした。そして、最高の音楽を演奏して、このカモメの歓心を買い、更に美酒や美食を以って歓待につとめた。しかし、この世にカモメは困惑し、戸惑って、美酒を、飲まず、美食を口にせず、悶々として、楽しまず、三日にして死んでしまったのである。」荘子が言うには、これらは、人の考えをカモメに押し付けて失敗したのである。カモメを飼育する方法を以ってカモメを飼えば問題は無かったのである。仮に、人の好みや礼儀作法を以ってカモメに強制しても、カモメはこれを、全て受け入れることは出来ず、カモメの習性に任せるのである。このような考え方や、やり方はわれわれの日常の生活に、於いて...荘子物語、自分自神を知る道1。

  • 小宇宙道

    人は、矮小であり、勝手であり、我のみ良しであり、我が一族郎党の幸せを望む。人の小我は、つまる所は、詰まらない。それが魄を持つ人種である。様々な銀河から、錘太し、地球に堕ちて来た存在もあり、樹木、草花、石が炁に触れて、晴れて、人なる種へ臨んだ存在もあり、哀しみの輪廻を繰り返して、地球に依存する魂魄もあり、神界の使命ありて、再三再誕される神人もおられる。複合共鳴体の魂が地球に集うのである。全ては夢物語。しかし、肉体を持ちて、真実証を未だに、悟れないのは、現世のみを見るからである。我がある故に我が在る、物質次元のみを識るからである。今の人の心の病を癒すには、前世と血筋の因果を究めねば、それを治療することは出来ない。医者と精神科医は、人を迎合し、言葉を合わせ、病名を作るのみ。善き医者は、病を癒す手助けをする。つま...小宇宙道

  • 黙真人訓、月燈三昧経道。

    仏教の月燈三昧経で、お釈迦様が言われるには、或る人が冥坐しておられた、この冥坐とは、黙坐(黙して坐す)のことである。この冥坐には、十種類の功徳やご利益がある。この十種類とは何であろうか。第一に、心が澄んでいて、濁らないということである。第二に、心が住(とどま)っていて散乱しない。第三に、三世の諸仏が加護してくださる。第四に、正法(正しい覚りの行いや方法)を実行する。第五に、仏の慧智を疑わない。第六に、恩恵を疑わない。第七に、正法を誹謗しない。第八に、善く戒律を守って犯さない。第九に、調伏に到る(身・口・意によって作られた三つの罪業を消滅して心身を調和する)のである。第十に、四つの無礙智を実証する。この十種類の功徳や利点について、討論してみよう。これらは、静黙の坐の全ての工夫を説明している。坐によってこれを...黙真人訓、月燈三昧経道。

  • 酒仙済仏訓、元気道。

    人の初めの炁は天地である。天地の炁は炁胞である。天地人は一炁胞を本として、貫通感応するので、自ら天然の関係があるのである。故に人身は一小天地であり、天地は一大人身である。養生家の言に、「天下の人は生を養う事が出来れば、病を無くす事が出来る。医科の著書で言うには、生を養うところの要点は元を保つより大なるものはないと。元を保つというのは、元気を保存することである。」おもうに、人はこの世に生を受ける初めに、既に定まっている分があり、この定まっている分というのが元気である。これは、視ようとしても視ることができず、これを求めようとして、求めることが出来ず、気血の内に寓していて、気血の先を宰(つかさ)どっており、五臓の真精はみな元気の分体である。その根本の所在を道教では、これを丹田と言い、難経では、これを命門といい...酒仙済仏訓、元気道。

  • 令和四年十月 三六九神示

    この西暦二千二十二年は年頭に世界の大禊の年と申してあるぞよ。万象崩壊、建設と破壊、立替立直しの神気激しく起る年であるぞよ。これまで、人類の積み重ねて来た善悪の因縁が芽吹き現れ、不用のものは破壊され浄化されてゆくのであるぞ。扇の要(かなめ)の外れた如く世界も日本も不測の事が起こり大荒れであるぞよ。治りのつかぬが如き荒れる世を末に治めてまいるのが神の四九三であるぞよ。人民は益々世の中荒れすさび、その末滅びてしまうと案じてある者も多いが滅びさせては、神の四九三が成らぬから、まずは三千年この方積み重ねて来た、利己主義(われよし)の強い者勝ちの思凝を一たんは、皆浮かび上がらせ打ち壊して新しき世を開くのであるぞよ。是が世の元の国常立大神の奇しき四九三であり、あんな者がこんな者、あんな事がこんな事と、様々の人を使い変化...令和四年十月三六九神示

  • 令和四年十月八日 小長谷修聖 三六九神示霊視篇。

    奈良県十津川村の玉置神社や玉石が拝され、玉石は朝日を受けて白く輝いていました。次に奈良県天川村の天河弁財天社の神体山、弥山奥宮や御手洗渓谷が拝されました。(注玉置神社の主宰神は国常立尊であり、玉石は、神代の昔、天照国照彦火明命(饒速日命、本体は日の出の神)が熊野川から玉石を上げ、その下に十種の神宝を鎮めた伝承がある。天川村の天河神社の御祭神は、日輪弁財天と称し伊勢荒祭の宮の神と同体と伝えられている。伊勢荒祭の神、即ち瀬織津姫神であり、玉石の天照国照神の偶神となる。要するに日の出の神と瀬織津姫の神(龍宮乙姫)の出現を願い、特に昭和四十八年より旧暦の重ね日(三月三日等)には幾度も玉置天河の神業に奉仕する。日の出の神と龍宮乙姫の結びは丹後の男島女島の仕組みが、その元であり、龍宮乙姫と日の出の神、連れそうて現われ...令和四年十月八日小長谷修聖三六九神示霊視篇。

  • 黙真人訓、福徳への道。

    福徳を修めて報いを求めることは、一般の人の希望するところである。或いは、ただ一回の善功によって、幸福を希み、長寿を求め、災いを化(な)くし、疾(やまい)をはらいのける事を求め、子供のいない者は子供を求め、財の無い者は多くの財を求めるのである。しかしながら、徳の無い者が、徳を求める者は無く、また、身を修めない者が、これを修める事を求める者は少ないのである。そのしかる所以は、志(目標、目的)がただ、報いを求めることにだけあって、自ら修めることをおろそかにしているのである。たとえ、福徳を修めると言っても、ただ僅かばかりの善い事を行うことに過ぎず、そして自分自身の修養や、霊性を養うことについては、全然これを求めようとせず、全く無知なのである。そこで、或る人が言うには、功徳があるから、幸福を求めて幸福を得、長寿を...黙真人訓、福徳への道。

  • 三六九神示、酉。

    輝き昇る天津日の光清(ひかりさやか)かに明けそめし酉の御年や天が下四方の波風荒らけれど鶏鳴曉旦新年を祝いて訳す筆始め寄せ来る波に揺れ動く日本の国にあるなれどぐるりと海で取り囲み龍宮界が守るなり昇る日の出に世も明けて新の四九三の幕開けぞ荒れる世界のその中に狂わぬ真柱打立てて日本自立の始まりぞ虎の衣を着る狐では通れぬ世界と鳴門海渦は逆巻く世界にぞこれより始まる大芝居善も悪も使いなし世を立替す神四九三進めてまいると訳すなり行方も知れぬ世の中に道の知る辺と言霊を宣りて伝うる翁なり天照国照日の出神十種宝とふるべゆらふるべゆらゆら打ふるい世の闇晴す神の業龍宮乙姫秘めおきし玉手筥をば開きては活言霊の響きにて滅びとする世界おば蘇らせて舞鶴の沖に浮かぶは神の島男島女島の昔より国常立大神が四九三も来る図り事深き神意を実らせて...三六九神示、酉。

  • 三六九神示、申。

    潮の八百道(やほじ)の八潮道の八重雲分けて昇る日や天照国照日の出神現れます時と鳴り成りぬ男島(おしま)女島(めしま)は神の島国常立大神の裏に隠れて三千年炒りたる豆に花の咲く時節を待ちて神議(はか)り梅(埋)で開いてその道は竹の節をば打超えて常磐の松の深緑松で治むる三六九世を開かんとする願いなり裏に隠れた神々は艱難辛苦耐へ忍び体主霊従(からたま)の世と荒びたる現の世の立替立直し美(うま)し御国を開かんと仕組み議りて時待ちぬ瀬織津姫の織りなせし太占奇路(ふとまにくしろ)ぞ畏(かしこ)けれ瀬織津姫の織なせる神の奇路を括るのは白山比咩の神の業(わざ)括り結びて鳴り成らせ色つけ形に現すは丹生都(にぶつ)の神と言うならむさあさあ幕は開けたり猿田の神は道開き思凝霊(しこりがみ)等の荒ぶりに道義礼節うち忘れ乱る現の世を立...三六九神示、申。

  • 三六九神示。

    雲分けて昇る日の出の御光に明そめにける天が下戊犬の年始め宣りに伝える九十〇(言霊)は海の御中の塩土(水火土)の翁が伝う神示なり天の御陰を豊受けて天地弥栄祈るべし世界平和を祈るべし人の世は荒(すさ)べども神の奇路(くしろ)は弥栄に奇しき光を発するなり神の光は天空に虹の如くに立ち上がり光の籠を編みなして日の本の国をすっぽりと覆いて守りあると知れ是神の代に豊宇氣が輝く鳥の籠のごと天降りたと伝えあり光の籠を編む神は白山菊理比咩の神火水からみて編みなして虹の如くに輝ける籠に守られてある事を人民知らず荒ぶりて悪事は絶へぬ世なれども善人悪人皆共に生かしてあるのは虹の籠光の籠の守護なるぞ籠は加護に通ずるなり神の加護ありてこそ人世の縁も保たれて世の営みも成るものぞ眼(まなこ)を開けよ人民よ目先の損得自我や欲迷いの渕にさまよ...三六九神示。

  • ダイエット道2

    ダイエットを始めてから、早、二ヶ月となりました。休みの日は、早朝、近くの神社を走って、五社(一社増えました。)まわり、帰ったら、筋トレします。増えた、神社です。福住吉神社。御神霊が一柱、眷族三体。大野川緑陰道路近くにあります。仕事の行き帰りも自転車をなるべく使い、尚且つ、早く仕事が終わった時は、自宅近くの大野川遊歩道を7.8キロ走り、その後は一時間ぐらいかけて、筋トレをしております。筋トレも効果が出るトレーニングをユウチュウブで学び、また、誤った姿勢を正すようにしました。(腹筋ローラー、腹筋運動の見直し、腕立て伏せ、バックランジの活用。)筋トレも下半身を重点にやってましたが、中々下腹の脂肪が落ちないので、手で痛いくらい揉みながら腹筋をレッグレイズにて鍛えましたら、それから割と早く脂肪が解消されて行き、腹筋...ダイエット道2

  • 令和四年九月 三六九神示

    九月九日を前にして、九月八日は大事な日と申してあるぞよ。陰陽、霊体、日月、男女、あらゆる物を括り結び、天之御中なる宇宙の均衡調和を司る、白山菊理比咩の神は、地球神界に於いて、大地の金神金勝要神とも現れて機(はた)の四九三とも申す。経緯(たてよこ)綾に神々の働きを織り上げて見事な錦旗といたすぞよ。金勝要神の神霊は丹波大本教に於いて、出口澄殿の御魂と現れて、厳の神霊出口直殿、瑞霊(みずみたま)出口王仁三郎殿の神業の結びの役目を果たしたのであるぞ。神々や人民の異なる働きを経緯綾に見事に織り上げて神人和楽、万物共存共生の三六九の世を開く要(かなめ)の役を果たすのが金勝要神であり、表に出ぬが、裏にあって総べてを結ぶ要であるぞよ。(注出口澄様の手織は、昭和十年大本教弾圧の折、但馬出身の国森常松氏が預かられる。国森常松...令和四年九月三六九神示

  • 令和四年九月八日 小長谷修聖 三六九神示霊視篇

    北陸白山山頂の奥宮の上空に、菊の花の如く光が四方八方へ放射する御座の上に、白いドレスの如き装束をつけられた女神が大輪の真っ白な菊の花を持って御立ちでありました。次に昭和五十年10月五日、金勝要神の神霊石(みたまいし)が出土した、但馬神鍋山の噴火口で神業をした赤い溶岩上に、白金に輝く菊座に乗られた金色に輝く如き肌の小太りした女神が大きな大根を持って現れになり、そして、その大根は、大きな金色の玉と化しました。(注白山山頂出現の神は、総べてを括り結び、佛(ほとけ)は、蓮座、神は菊座と言われているが、神の菊座を司られる白山菊理比咩神であろう。地上界神業の要の神と申せる金勝要神は、菊理比咩神の変化であるとの御示しであろうか。異なる神々の働きを括り結び、見事に織り上げてゆく要(かなめ)の神である。)次に大本教二代教主...令和四年九月八日小長谷修聖三六九神示霊視篇

  • 青玄道

    老祖訓「天地の間に盈ちるものは皆、青玄の氣なり。」密(ひそ)かに考えてみるのに、天地の天は空の至極であり、地は静の至極である。その天地が生まれて来るのは、先天の炁より生まれて来るのである。その活動は霊によるのである。それは、先天の炁の中に於いて、これを化するのである。そこで一切のものには、それぞれの形を授けているのである。これらは皆、霊の中に於いて、育てられているのである。息息として(絶え間なく)息吹いて、実体を作り上げるのである。これを推し進めて行けば、始まりのない始まりに至るのであり、それは、先天の一炁だけである。至聖先天老祖は、天地日月星辰を生み出し、これらを全て宿しているのが先天の一炁胞である。儒教ではこれを無極と言い、道教ではこれを太虚と言い、仏教ではこれを真如と言い、キリスト教ではこれを上...青玄道

  • 令和四年八月 三六九神示。

    今日、八月八日は、天開け(八)地開き(八)、龍宮に深い縁の日であるぞ。返り見れば、昭和四十八年八月八日、富士山頂剣が峰にて、修聖を始め有志の者、天地の清浄祈願祭に仕えさせた大事な記念日であるぞ。これまでの世に、思凝霊(しこりがみ)にあやつられた人類が積み重ねてきた、体主霊従の世の罪科や、汚れ穢れを浄め給へ祓い給い、神人和楽の地上天国、開きを祈念したのであるぞ。体主霊従の世は、世の元からの生命の海(もと)の神々は思凝霊に封じ込まれ、陰からの守護であり、金力を恵み武力権力に力を貸し、人間を思い上がらせる思凝霊の自在の世でありたが、昭和四十八年(よは)は世開根(よはね音)の年とも申してありたが、封じられていた神々の岩戸開きの時節となり、世の元からの神々が次々現れ、罪科や汚れ穢れを浄め祓う大浄化の世となったのであ...令和四年八月三六九神示。

  • 令和四年八月八日 小長谷修聖 三六九神示霊視篇。

    龍華館、神前に七月七日七夕より旧七月七日(八月四日)迄、平成八年三月八日、月山行者、城山郁子氏から龍華館に納められた、福島県から出た、八臂の弁財天女の御軸を御祭りしていたが、そのハ臂の弁財天が、岩手県早池峰山上の磐座の前に立たれ、次には十和田湖の岩の島の上に御出ましになり、富士の宮、浅間神社、湧玉の池の上に姿を現されました。(注弁財天女の本体は瀬織津姫の神であり、十和田湖も善女龍王の名で祀られている。浅間神社湧玉池は富士の伏流水の湧き出る神地で、その水は瀬織津姫の働きである。昭和四十八年八月八日、富士山頂、天地清浄祈願祭に奉仕の方は、特別に湧玉の池にて禊を許され登拝する。福島弁財天は縁ある地を巡られているのだと思う。)次に世界を型に示された、大本綾部神苑の金龍海に多勢の白衣の方々が入り、池の底の泥を上げて...令和四年八月八日小長谷修聖三六九神示霊視篇。

  • ダイエット道。

    去年、右肩の脱臼を二度してしまい、心が折れてしまいました。筋トレから遠ざかってしまいました。仕事は肉体労働なのと、現場責任者である為にストレスから飲酒が止められませんでした。お酒は焼酎とワイン、アテはポテトチップス、チーズ、ピーナッツ、せんべいなど。お酒自体は強くないのですが、日常化しておりました。二週間ぐらい前に自分の身体の醜さ(特に下腹)に呆れてしまい、心機一転、ダイエットする事に決めました。お酒は腹がへっこむまでやめます。最初は、夜にウォーキングしたり、筋トレしたり、休みの日には、自分の好きな神社まで走ろうと三時間かけて歩いたり走ったりしましたら、足を痛めてしまいました。それから、自転車に替えましたが、辛さがなく、効果に疑問を感じた為に、ランニングに替えました。ランニングを始めるにあたって、左足の甲...ダイエット道。

  • 神社参拝道5

    自転車道中、神社参拝、兵庫県尼崎市の続きです。兵庫県尼崎市富松町、富松神社。御祭神は須佐男命、応神天皇。千二百年前に僧の行基上人が富松の里の守り神として、神仏を祀ったのが始まりとされておられるようです。御神霊一柱、御眷族神一柱、眷族六体。次へ。兵庫県尼崎市栗山町、生島神社。御祭神は生島神、足島神、天照大神、須佐男神、伊邪那岐神、伊邪那美神。御神霊は一柱。眷族三体。次へ。兵庫県尼崎市下坂部、伊居太神社。尼崎市最大の前方後円墳の上に建立されたようです。御祭神は武甕槌神、天児屋根命。御神霊は一柱、眷族は二体。次へ。兵庫県尼崎市潮江、潮江素戔嗚神社。御祭神は素戔嗚尊、玉依姫命。御神霊は一柱。神社に来たらば、神と交わります。何を以て交わるのか。吾が身命によりて交わるのです。この天地間に於いて、人の役割は天(陽、火)...神社参拝道5

  • 神社参拝道4

    もはや、生きて半世紀。私は元来、華奢で運痴で身体も弱く、人混みに入れば、頭痛が起き、体力はありませんでした。サラリーマンを経て左官職人になってから、体力が付きました。しかし、毎晩の晩酌とつまみにより、腹がかなり、出て来ました。体力も落ちて来た事を痛感するこの頃。酒はやはり、あまり身体に宜しく無い。晩酌が習慣化している現状もまた、堕落への道。一念奮起して、取り敢えず、腹を引っ込める事に決めました。酒を抑え、ウォーキングとランニングへの道。会社の専属の整体の先生言わく、脂肪を燃焼させるには、最低20分運動しなければならないと言われたので、休みの日に三時間走ったり歩いたりしたら、足を痛めてしまったので、代替で自転車で三時間ぐらい、神社を周る事に決めました。私の隣の町、兵庫県尼崎市の神社へ。神社の神威は常に、誠あ...神社参拝道4

  • 神社参拝道3

    私は十年以上まえ、坐の最中に、私の内にも神がおられ、尚且つ当時、私の好きな住吉大社、西宮神社の神々さえも、私の内におられると感じた事がありました。故にわざわざ、神社に参拝せずに、坐だけしてれば、良いのではと、不埒な考えを持った事があります。当然にそれは誤りであり、住吉大社や西宮神社等、神気が湧く神社は、行く事に価値があります。されど、それからは、神社よりも、天地が呼吸をしている、神奈備山や磐座の探索に勤しんだことがあります。しかし、それでは偏ってしまうと、神社も見直しております。振り返って考えると、何故、人間が造った神社に神が坐しておられるのか。自然の磐境、磐座などには、自然神が坐し、常に神気を発しておられるのは、地球の生成化育の発露です。人間が造った神社に何故、人が祭祀したとは言え、神柱が立っているのか...神社参拝道3

  • 令和四年七月 三六九神示。

    七月七日は豊(十四)受大神にも、龍宮にも縁り深き日であるぞ。昭和五十二年六月二十七日、丹波小多利の小富士山神社で、七年間開けてはならぬと玉手箱に封をさせたぞよ。それから七年経ちた昭和五十九年、修聖には、但馬豊岡から十八年ぶりに丹後へ帰る事となり、その導きは、小富士山の木花開耶姫でありたぞよ。そしてその年七夕の七月七日午後七時より、玉手箱開きの神事に仕えさせたのが龍華館の七夕祭の始まりであり、この年で三十九回目の七夕の祭りさせたぞよ。昭和五十九年七月七日龍宮玉手箱開きの神事は、それより世の元の天橋立真名井原籠宮を世に出す道の開きの始めとなりたのであるぞ。修聖には昭和四十一年神事の道に入らせ、様々の五用に仕えさせてまいりたのは、その為でありたぞよ。目に見えぬ神界の四九三は始め雛型で現しそれより実地の事と現れる...令和四年七月三六九神示。

  • 令和四年七月八日 小長谷修聖 三六九神示霊視篇。

    どこかの大きな城の太鼓櫓で鉢巻をしめた、すきがけの武士が三つ巴の紋の描かれた、大太鼓をうっておられ、それは出口王仁三郎聖師でした。緊急の招集のふれ太鼓のようで、大勢の裃(かみしも)を着た武士が大手門から城内に急いで入って来ました。その城は秀吉時代の大阪城のように感じました。先の大太鼓の三つ巴の紋が段々大きくなり、渦を巻き始め、その渦は大海原の大きな渦となり、その渦の中に巻き込まれそうになり、日の丸の旗を立てた小船がただよっていました。(注出口王仁三郎聖師の御魂は現の世の救世神でもある、瑞霊素戔嗚尊の系統である。三つ巴の渦は、世界的には米中ロの世界を自在にせんとする覇権の大渦であり、その三大国の狭間にある日本は、大海原の渦に巻き込まれんとする小船の如くであり、しかりせよ瑞霊の顕身出口聖師が警告を発しておられ...令和四年七月八日小長谷修聖三六九神示霊視篇。

  • 至聖先天老祖訓 坐道奥義、凝神調息。

    道は修坐を以て帰根復命の源(もと)とする。坐は凝神調息(神を凝らし息を調える)を以て収視返聴の要訣となすのである。修方は求修(老祖の弟子になる)した最初に、坐院掌籍(教坐を許された指導者)によって修坐と竅の指導を受けたのであるが、これは、後学にとっては、一生涯の成敗に関する重要なキーポイントとである。すべての修道の過程、坐の意義については、努めて詳細にわたって解説すべきであり、これを勝手に指示してはならないのである。何を帰根と言うのであろうか、それは混元の始めの先天の炁に帰ることである。何を復命と言うのであろうか、それはをその先天の本性に復えることである。坐に臨んでは、先ず凝神調息して、心神を収摂し、意念を黙視し、虚無の竅(無形の竅。人身の部位に、意識しない、着想しない。悟って覚えることのみで発露する)...至聖先天老祖訓坐道奥義、凝神調息。

  • 出口日出麿運霊道、うわずべりの学問。

    一昨年の秋のことです。亀岡の光照殿が九分九厘出来上がって、二千貫(七千五百キログラム)もあろうという庭石を、山の手から庭へ引っ込もうとした際のことであった。大石をのせた木馬の梶をとったのは、当時天恩郷で献労していた、開安国(ひらきやすくに)氏であった。斜面の板橋の板橋の上をスルスルと滑り始めたと思う途端、あわやという間もなく、開氏の足よりも車の方が加速度で滑り出したからたまらない。梶棒の手をゆるめるとともに、車の角で、身体全体が跳ね返されて、反対側にのめってしまった。それを下敷きにせんばかりにして、スルスルと車は下まで滑り落ちた。見ると、開氏の身体は、あたかも蛙を地上にブチ投げたようになって、もはや、虫の息であった。そこへ、出口王仁三郎聖師が飛んで、お出でになって、渾身の力を込めた、ご鎮魂になった。その...出口日出麿運霊道、うわずべりの学問。

  • 出口日出麿運霊道、日本人の使命。

    日本人はまだまだ、一番、日本の有難い国であり、日本人の得難い人種である事を自覚していない。日本では、古来、八の数を数の極とし、中国では九、アイヌ族は六なりという。(鬼雷、運霊導師の言語に感化を受けて述べる。出口日出麿運霊導師は、大本弾圧により、その日本人に拷問を受け虐待され、精神に異常をきたされた。本源に還り、日出麿運霊さんの元親神の日の出の神も同様に太古より、虐待を受けてまいりました。)日の出の神に奉る歌。「みこのかずにはいらずと太平洋の一つ島よもつ島にながされし那岐那美ニ神のご総領あしにまかせてあし舟の世のことごとを経(へ)めぐりていつかはみよにいづのめの深きしぐみの玉手箱あけはなれたる朝ぼらけ不二のみ山に立つけむりげに日の本の神姿なれ。竜宮城の乙姫と誓いも深き海の底底ひも知らぬ皇神の情けのむちにうた...出口日出麿運霊道、日本人の使命。

  • 出口日出麿運霊道、天使との会話、真の天使道4。

    再び天使あらわる。重荷をおろしたように、軽快な気分になっていると、そこへ、例の天使が非常な速力で、次第に大きい光輪となってあらわれた。あたりの一切は、急に昼のような明るさにつつまれた。私はひれ伏して、心の中で言った。「天使さま、有難うございます。あなたのお陰で、こんなに明るくなりました。」すると、金の鈴をふるうような声で、天使は言われた。(今まで、この天使の声は幾度となく聞いていたが、この時ほど、透き通った金声を聞いた事がない。これは、ずっと、後になって知ったのであるが、今迄は、天使は、わざと本体を、現さずに、ある他の精霊の体をかりておられたのである。それは、最初から本体のままで現れては、到底、罪に穢れた、者は、その光に堪え得ないで、はね飛ばされてしまうからである。)(鬼雷述べる。神使は、その人の御魂の輝...出口日出麿運霊道、天使との会話、真の天使道4。

  • 暗殺道。

    縄文時代から、弥生時代へ移り、農業による利権は、人の平等を、失くし、人には、物や食料による執着が生まれ、他の人よりも、欲する事を覚え、心は安らかでは無くなった。貧富の差は、心を穢し、神から人を遠ざける一因となったが、多くの人々は、飢えから、解放された実利もある。また、多くの彗智、知恵も増した。ゆえに、文明が、生まれた。この機にカルマが生まれ、業は数(運命)から離れられなくなり、数もまた、業(劫)と同様の意味となり、人とカルマの一体化をなした。此処に、人が人を殺す、悪因果が生まれた。吾が師、至聖先天老祖は、6万年前の危機、3万年前の危機を老祖は現化降臨し、先天の炁包の光源により済度されたが、時節は廻る。さて、江戸時代から、明治に至る道を維新の回天と呼ぶ。されど、そこには、暗殺の日々があり。そもそも、維新とは...暗殺道。

  • 出口日出麿運霊道、天使との対話3。

    日出麿「めぐりというものは、何でございますか。」天使(神使)「前世における霊魂の罪障だ。」「何故、誰にでも、自分の前世は何者であったかという事を分からないのでしょうか。」「すっかり忘れとるのだ。」(注鬼雷述べる。神様から授かった御魂の本然には、記憶を保全する機能は無し。魂は、素朴で素直であり、魂に名誉や誉れなど、人欲は遺らない。故にかつての記憶は無し。前世を憶えている者は、縁ある眷族神により、過去世の紹介がある。主神はかつての記憶を尊重されない。只今の心境を好まれる。)「思い出すわけにはゆきませんでしょうか。」「現界において、去年の今月今日に自分が何をしたかということさえ、普通、思い出すになかなか困難であろう。前世に於いて、自分は何の誰兵衛であり、何処に住んで、何をしたかというような事を、はっきり意識して...出口日出麿運霊道、天使との対話3。

  • 出口日出麿運霊道、天使との会話2。

    例の紋付の人が導くままに、私はたんたんたる大道を飛ぶように通って(飛ぶようにというのは、足は地の上に直接ついているのではなく、三尺ばかり上をスーッとすべるように過ぎている。時によると、直接地上を普通に歩む事もあり、また、場合によっては、空地や自体が飛ぶ事もあり、またある鳥に乗ってゆくこともあり、何か大きな手に抱かれて一散にある地点に達していることもある。そのそれぞれの理由はいろいろあるが、概して言えば、高い霊界ほど。自由自在であり、低い世界ほど、一歩一歩、直接にあえぎあえぎ歩まねばならぬのである。)ある山麓に達した。日出麿「ここはどこです。」天使「ひらおか」鬼雷述べる。枚岡神社である。「どこの国です。」「河内。」私は何心なく坂道を登った。すると中腹にあまり大きくない、どちらかと、言えば古ぼけた一つのお社が...出口日出麿運霊道、天使との会話2。

  • 出口日出麿運霊道、天使との会話1。

    日出麿「地獄の絵に、鬼が人間の舌を抜いたり、人を臼に搗いたりするところがありますが、あれは本当ですか。」天使「本当だ。この世におこなわれて来たあらゆる残虐なことは、みな、地獄に於いて、絶え間なく行われている。」「臼につき砕かれたならば、その人は粉になってしまうじゃありませんか。」「しかし、やがてまた、元の人間になるのだ。」「どうしてです。」「いくら外的に、強いて一時形を打ち砕いてみても、相手の想念の左右するだけの力無い間は、相手の想念は依然として、その、ままであるから、こちらの手が緩むと同時に、又元の形をとるのだ。霊界は本質的に想念の世界なのだから、これは現界においても同じ事であって、いくら他から強いても本人の意向が内から変わって来ない限り、ダメのことだ。いな、一層決意を強めるだけの事になるのだ。それで、...出口日出麿運霊道、天使との会話1。

  • 尚真人訓(南極老人を仲介され、天帝老祖を現化された、礎の神仙)

    人生は、身を治めることが根本である。身を修めるには、心を正す事が肝要である。心を正すには、意を誠にすることが先決である。心とは身を主(つかさど)るところであり、意とは、心の起こるところである。いわゆる、「その意を誠にするとは、自らを欺くことなきなり、悪臭を悪(にく)むが如く、好色を好むが如し」(大學)と。(注好色を好むとは、欲心の代名詞であり、ここでわざわざ大学で記されている意は、大善を好むが如しの意であります。多くの人は真に好色を好まれておりますが、その道は、上辺だけの世界であり、実相世界の美意識とは異なります。)誠意正心。これは、本心より出た自然の発露であって、外面をいつわり飾っている状態ではない。もし、意を誠にすることによって自らの、慊(快くすること)を求めれば、心は正しく無いことはなく、善く意を...尚真人訓(南極老人を仲介され、天帝老祖を現化された、礎の神仙)

  • 墨子道。

    今の人は、物質的な地位や名誉や、お金持ち、それが本当の幸せの種であり、また、それに史上の価値を置く。故に、人は、真なる実相の世界を悟れない。見れない。聞こえない。解らない。故に、老子は述べる。「下士、道を聞けば大いにこれを笑う。」道は神の本質であり、天の命であり、我が真髄であります。ははは。今の人は、道など、学んでいないし、古臭いし、されど、「古の法は古きにあらずして己を示す礎とこそ知れ。」なんてね。そして、道を知らない人は、地球上の全ての自然の働きは、天命から来る事を悟らない。宇宙の天命、地球の天命、月の天命ありて、主宰を為されておられるのでございます。人が道を知らない、罪科は、劫をつくるにあり、人が人を殺し、動物、昆虫を殺す。その行いは、天地にまで、害を及ぼして、自然の気の陰陽は、その調和を失い、雨が...墨子道。

  • 令和四年六月 三六月九神示。

    昭和六十年六月六日、大宇宙天照皇大御神を弥勒大神を奉祀(まつり)てより、三十八回日の弥勒大祭を意(お)えたな。昭和六十年三月八日、天地を結ぶ天橋立の磯清水(五十清水)の水を汲ませ修聖に天照皇大御神と墨書させて六六六の理の昭和六十年六月六日(六白乙丑年)、龍華館の神床に天照皇大御神の御軸を祀らせて最初の弥勒大祭に奉仕させたのであるぞ。この天照皇大御神は伊勢の天照大御神では無く、大宇宙天照皇大御神であり、自ら耀く神、弥勒の大神であるぞ。世界の型を見せる所、丹波綾部の大本教出口直刀自の筆先に現して、綾部神苑の本宮山頂に、大正十年七月立派な神殿を建て、天の弥勒の大神(天の三体の大神)を奉祀したが、その年十月、第一次大本業弾圧によりて破壊されたのであるぞよ。是も先駆けの型でありたが、世の時節が到らなかった故であり、...令和四年六月三六月九神示。

  • 令和四年六月八日 小長谷修聖 三六九神示霊視篇。

    古代丹波(丹後丹波、但馬、若狭は国常立大神、経綸の始めの地場である)。始め、丹後の男島(冠島)女島(沓島)、中津神之岩(鬼雷注霊界物語に登場した岩、若狭湾の沓島から冠島に行く途中にある。「大地の母によると、両島の距離は約一里あり、その中間に畳2枚程の広さの中津神岩がある。別名、とどろ礁。海面から二メートルほどの高さがある。」)が拝され、次に天橋立や真名井神社、籠神社が拝されました。(注国祖の国常立尊が世の立替立直しを始められた、古代丹波国の内、丹後が要で、丹波が面舞台、但馬は後備をも示されており、男島は天照国照彦火明命降臨の島であり、女島は、世織津姫之神[亦市杵島姫之命]の神島であり、中塚神の岩は竜宮の入り口であり、昭和五十四年7月一日、修聖神業す。女島は艮の金神、国常立尊隠棲の島と大本教では言い、こ...令和四年六月八日小長谷修聖三六九神示霊視篇。

  • 鎮魂道。

    神の黙示は、則ち、吾俯仰観察する宇宙の霊力体の三大を以ってす。一、天地の具象を観察して真神の体を試行錯誤すべし。一、万有の運化の毫差なきを以て真神の力を思考すべし。一、活物の心性を覚悟し、真神の霊魂を思考すべし。霊学の要は浄心にあり。神がその人に伝授される。その証しである鎮魂石をもって、そこに、意識を集中する。その証しである、磐笛を以て、神界と人界を宥和するのであります。鬼雷述べる。磐笛とは神霊を呼ぶ為の神石ではありません。人と神と磐笛の精霊と共に、地球を癒す、神と人と精霊を和す、音霊の発露で御座います。共に神縁ある身魂に授かれし神石でございます。神が、鎮魂石や磐笛を授ける由縁は一重に、随神あるのみであり、神は常に、人との繋がりを大切にされておられます。ただの、自然に落ちている石。そのただの石は生物で無...鎮魂道。

  • 悩み道。

    人なる種は、必ず悩むことあり。利己主義な悪人でも悩む。真面目な人から、見れば勝手きままに、生きているようで、実に悩んでいる。それは、古参のパートの親分のおばちゃんでも、マフィアのボス、暗殺集団、八九三やくざでも然りなり。例えていえば、安寧する仕事、公務員にしても、その仕事で悩んでいる。多くの聖職者を観ても、多くの神主や巫女を見ても、安心立命を得ている者は、非常に少ない。また、スピチュアルの世界の活動する人、霊能により、セッションをされる人々、レイキで活動される方、全てがその活動をするほど、悩み苦しんでおられる。宗教やスピチュアルによる、答え合わせは、活動や因果律、心の顕現をもって、道とする。一時の納得も、また、不安が生まれて、悩むなり。人は知らないのである。悩める素晴らしさを。自死する程の悩みが素晴らしい...悩み道。

  • 欲と神の道。

    住之江の神位(暗い)やま、峰の桜をかざしても、人は物をや、なほ思ふらん。人の心には欲がある。そして、欲無し人は、死骸でもありますが、なんて。仕事欲、名誉欲、金銭欲、支配欲、安心欲、家族欲、恋愛欲、神様欲、etc。されど、無欲の中、無心の中にも超意識もあり。私がかつて、教わった日本紅卍字会の前の会長でもあり、深見青山氏の師でもあられた、故根本誠乾(道名)師は、良く言っておられました。「人欲を排し、天理に還る。人心を捨て道心に帰る。天下にあっては、無くてはならない人になるか、有ってはならない人になれと。」即ち、中途半端な人間になるなと、言われておられました。善も悪も、極めれば、この地球において、光なる輝きもあり、真なる暗黒もあり、そして、条件が調うと、宇宙へと参画を意味します。何故ならば、闇も光も神の領域で...欲と神の道。

  • 松の神示道。

    松って、不思議に神域を育んでいる。いや、多くの人が神域に植えたのかも知れない。それでも、松は素晴らしい。松ぼっくりには、多くの不思議があり、その一つ、人の松果腺なる充ちの未知の働きに干渉される。たまたま、気に入った松ぼっくりは、神棚に捧げよう。瞑想や坐の糧とならん。松を喰えと日月神示は言う。然り。良きかな。松はハンセン病すら、正体不明の感染病すら癒すなり。松の世とは、一年中、安心をもって、松木と同様に松葉か、光に伸びて行く樹木精霊の世界。神が人に与えた樹木が松なり。松は如何なる季節でも、松葉があり、人を癒す葉と機能を発揮し、發生される。さて。松は、実に岩に生える。特に、神なる気を発する磐座に生える。何故であろうか。松は最も神に近しい樹木であるから。多く不可抗力な病を持つ者よ。松を食えよ。効果は、簡単にでる...松の神示道。

  • 神鳴仕組み道。

    世に神示がはびこるなり。多くの経典があり、盲信者は、その文字を信じるなり。神示とは預言の書では、無い事。神示を盲信せず学ぶ、これを道と呼ぶ。道とは、人の可能性であり、神もまた、人の自神(自身)の道を応援されておられので御座います。神の示すものはオサトシであります。オサトシは、人への応援でもあります。神の仕組みがあり、その中で神が自らの意向なる世界を創る。そんな事は皆無で御座います。神は人を奴隷とすることは、皆無なり。そして、真なる主神とは、無限絶対無始無終。そこに人の思考は存在しないし、介在出来ない。また、人間が自然なる循環を、自然の働きを動かそうとしても、無駄な努力と無駄な働きの如きように(一部に言霊による変化あり。)、自然を人の意識でどうこう出来ません。神が人の願えを叶える存在と、思考する段階で、人は人の領...神鳴仕組み道。

  • 令和四年五月 三六九神示。

    今の人民は、人を恐れて神を畏れず。天地の神の恵みを、貪り奪い合い、人に勝らむ為に争いを繰り返しておるぞよ。人間だけの栄えを願いた今の文明は、この地球を汚し穢し、段々と動植物も犯されて滅びゆくもの増えておるぞよ。その様を目の当たりに見ながら、改める事をせず、我が我がの戦争絶え間無く殺し合いを続けておる事、真に愚かな事である事に何故氣づかぬのか。先の第二次世界大戦で世界中の多勢の人民が犠牲となり、この日本の国は世界に先駆けて広島長崎と原爆を投下され、そのむごたらしい惨状を世界に見せつけて、もう二度と戦争はしてはならぬ、特に核戦争を起こせば世界は滅亡するぞよと、菊理比売の神、先頭に立ち大警告を発したなれど、人類の利己主義(われよし)強い者勝ちの精神は改まらず、神は全てを見て、原因結果の裁きをいたす畏ろしさも打ち忘れ...令和四年五月三六九神示。

  • 令和四年五月八日 小長谷修聖 三六九神示 霊視篇。

    残雪の白山山頂、白山神社奥宮の所に、白いドレスのような装束の女神が立たれ、諸刃の剣をぬき、その剣で輪を描いておられました。(注白山菊理比売の神は、霊体、陰陽、総てを括り結び給う神徳であり、神意に反する時は、逆に核の分裂、破壊の力と現れた、人民の改心を迫り給う。諸刃の剣は、真実の言霊を意味し、荒れる世界を言霊の力で輪(和)と結び、平和の世を開けとの神示であろう。)次に大東亜戦争の悲惨な沖縄の戦場、次には、広島長崎の原爆のキノコ雲が見えました。(注多くの人々が犠牲となる戦争を起こしてはならぬ事、特に核兵器の使用は人類の滅亡に繋がる事で、決して使用してはならぬと、日本を犠牲にして示されたのであり、広島は一よこ、長崎はIたて、日本に十字架を背負わされた型である。)次に出口聖師が出雲の安来節のドジョウスクイの扮装...令和四年五月八日小長谷修聖三六九神示霊視篇。

  • 宝石道。

    蓋し、今の人は光る石が好きらしい。更に、輝く金の延べ棒が好きらしい。ダイヤモンド、サファイア、ルビー、エメラルド、アメジスト。金銀、翡翠。すみません。わたしは武骨な男にして、宝石に何の価値も見出せません。何の興味もありません。何が素晴らしいのかわかりません。変人鬼雷でございます。私は磐笛好きですが、翡翠の磐笛には、何の興味がありません。そもそも、天の磐笛とは、自然石に穴が貫通したり、中途の穴が空いており、息を吹き込めば鳴る存在でございます。その地域特色なる天然石の自然石の磐笛が大好きです。故に、例え、翡翠なる石に、人工による穴を開けて、音が鳴る石となっても、それは、天の磐笛ではありません。ただ、人の手により、穴を開けて、息を吹けば、音が鳴る笛なる石であり、天然自然の淘汰を受けて、いない、人工的な笛でございます。...宝石道。

  • 光は東方より来る道。

    当然に、太陽は東から昇るなり。大岳光暉。吾が師、老祖は中華にて降臨されたが、アジアの東方に重きをおかれた。アとはあらわれであり、、ジとは示しであり、亞とは準ざる。順ずるにある。即ち、亜細亜とは神に、道に順う国である。老祖訓。天の道を奉じて世界を、化すには、世界を善導してゆくには、必ず、先ず東(日本)からしなければ、ならない。東なるもの、それは、物が生成発展する根源である。東が暗くじめじめしていたのでは、物は化育しない。清く明るく、光が輝き初めると、眠れる万物は生気を取り戻して、來るように、東を安んずると云うことが、われわれの生を安んずる所以である。さて、日本の東とは東北の地方である。日本三景の松島は、艮の金神の抜け殻であると言われる霊覚者もおりましたね。迫登茂子刀自ことといぬしの神示。いよいよみちのくの道開...光は東方より来る道。

  • 死道。

    人は、生物は死ぬ。そして、自ら、自己の種を滅ぼす生物も存在する。それらを行う事を自断と呼ぶ。人類にもその傾向が確かにあるようです。扨て。武士道とは、信念に死ぬ事とを見つけたり。信念に死ねば人はどうなるか。輪廻に帰るのみ。人の思いとは、信念とは、縛りでもある。ある宗教を信仰し、教団の中でも地位を獲得し、自らの立ち位置を天国としながらも、癌で死んだり、また事故で亡くなり、死後、行き先は地獄であったと云う伝えを聞いたことがあります。まあ、死後の世界なんて、自分が死んで初めて判るお話ですが。今、自殺なる言葉がある。自死した存在はどうなるのか。永遠の自死を繰り返すのみ。無限地獄の如く、永遠のループ。私の父は、私が幼稚園の最中、蒸発し、撫育を放棄し、借金を作り、行方不明となったが、今から十五年前に、自殺者となって見つかった...死道。

  • 秘奥道

    物事には必ず道理があり、事に終始があり、人には、天命がある。一子相伝の神法が有ると云う。神界や神仙界を見聞した者は、その伝聞を信じる。多くの伝統芸術に奥義があり、その伝授を大切にし、その口伝をまた、大切にされておられます。それも、善きかな。人は大切な意志を大事にする。私はひるがえる。今、日本刀の室町以前の秘術が廃れている。伝統文化が伝わっていない。ゆえに、古刀の再来は、現代では不可能なり。科学も万能では無く、現代の世に古来の古刀は再現できないらしい。云わば人を良く斬れる刀は、滅んだ。ふうむ。やるむ。あるむ。それは、時代の逆目なり、人の生活の安寧が失くなって滅びる文化なり。かつて、上古の時代に失われた、鎮魂法帰神法がある。これを復興したのが、日本霊学の中興の祖とされる、本田親徳翁師である。その伝統は、長澤雄楯翁、...秘奥道

ブログリーダー」を活用して、鬼雷さんをフォローしませんか?

ハンドル名
鬼雷さん
ブログタイトル
玄徳道
フォロー
玄徳道

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用