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niceminato
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2012/01/21

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  • 個人の底が抜け落ちる

    *このブログのような、知らない誰かの言葉なら、もしかしたらストンと腑に落ちる(底が抜ける)というようなことが起こるかもしれませんので、よろしければゆったりしたお時間にでも読んで頂けたらと思います。それでは何か書くことが起こるかそのまま知らんぷりにしてみます笑この、言葉にしようとすると”世界が整っていくような感覚”はユーモラスにさえ感じます。そんな観念の動きでさえ「非二元性そのもの」の”たわむれ”で、ちょうどこのブログと同じです笑探求者の感じる「個人とついつい呼んでしまうような主体性の感覚」も、それを維持しようとしてしまう思考(整理屋さん)も、こんな”書くこと“という動きも、ぜんぶ自動運転で自然に起こっていきます。風が自然に吹くようにです。完全オートマチックな自動運転。個人という何かが存在しないのにもかかわらず、...個人の底が抜け落ちる

  • 家事と瞑想(掃除機がけ編)

    *前回に引き続き今日は家事と瞑想シリーズの「掃除機がけ編」です。皿洗い編の応用で、ホコリや掃除機とあえて自己同一化してみてからの・・という方法が合う場合はそちらでもOKですが、今回は別のアプローチです。どうぞ。*掃除機がけ瞑想のやり方1.え?きのう掃除機かけたばっかりなのにもうホコリたまってるやん、という思考を認識する。2.掃除機のスウィッチを入れる。ウィーンという掃除機の音を認識しながら掃除を始める。3.掃除を続けながら、ウィーンという音を掃除機が出して、そこから聞こえてくるというよりも、距離ゼロの観照意識という場所(ただ意識自体に気づいている場所)で受動的にその音が起こっていることを認識する。4.ウィーンという音が観照意識との境界線をジワジワ破ってきて、観照意識がウィーンという音と同一化し「ウィーンそのもの...家事と瞑想(掃除機がけ編)

  • 家事と瞑想(皿洗い編)

    *今朝は久々に気持ちいい強めの朝日をいただき、朝のそよ風最高ということで豆乳をコップ一杯これまた最高(レモン黒酢入れたらもうスウィーツだよね)からの今です、おはようございます。今日は昨日の「走る瞑想」という記事に頂きましたコメントへのアンサー記事(皿洗い編)です。*皿洗い瞑想のやり方なぜか今日は皿洗いをどうしてもやりたくないけどやらないといけない。身体や思考や感情を客観的に観照しながらやろうと思っても今日はさすがに無理やで〜という時にぜひどうぞ^^1.山積みになったお皿と正式に対面する。2.皿洗いなんて全くやる気のない身体と、無邪気に遊んで泥まみれになって帰ってきた子猫のような目でこっちを見つめるお皿。この2つの参照点を確認する。この2点のうちいずれかに自己同一化することが出来るとしたら・・今日は迷わずお皿に自...家事と瞑想(皿洗い編)

  • 走る瞑想

    *昨日も一昨日も雨でランニングをしていない。知らん。そう、そんなことは知らん。だが身体は2日走れていない雰囲気を出している。ということで昨日は筋トレ。朝起きたら筋肉痛、からの今です。おはようございます。今朝は外を見るとなんだか大丈夫そうな雲なのでこれから走ろうかなと思いますが、その前に何となく書き出してしまったのでこのまま「走る瞑想」のやり方について少し書いてみます。*走る瞑想1.ケガのないようにきちんと準備運動をして下さい。特に朝はゆっくり心地良く感じる程度のストレッチがおすすめです。2.準備運動で少し温まった身体を客観的に感じてみて下さい。例えば手のひらに気づきを向けてみると呼吸が起こるたびに動く血流を感じられると思いますが、時間があれば全身の各部位の血流に気づきを向けてそれをただ感じてみて下さい。3.次に...走る瞑想

  • おひさまに

    *個人という分離の感覚でさえ、非二元性から絶対的に逃れることは出来ないという完全な降伏は、探求者自身も非二元性そのものである、という明白な事実をお日様にさらす。しっかりと太陽を浴びた「その事実」は、個人という記憶(感覚)に興味を無くし、浅煎のフルーティーな珈琲が起こる。そしてそよ風が起こる。深呼吸が起こる。またそよ風が起こる。腕立て伏せが起こる。認識はあるが、その持ち主はいない。たんたんと認識が湧き起こる。そよ風のように、誰にも引き止められずに消えていく。洗濯物を几帳面に干し、米を研ぎ、掃除機を雑にかける。雨が降り出す。今からランニングに行こうと思ったのに、という思考が起こって徐々に消えていく。そして”この文章を書く“が起こる。*おひさまに

  • 5月のある晴れた朝に100%の存在性に出会うことについて

    *五月のある晴れた朝、とあるビーチで100%の”存在性”とすれ違う。この存在性には「わたし」という感覚も「それを取り除きたい」という思考も何もかも全てが含まれているようで、何かを求めることも、何かを取り除こうとすることも、雲がつくられる自然現象のように(あるいはこの”書くこと”のように)ただ起こるようだ。ゆったりと歩く足を止めたかと思うとゴロンと横になり海を眺めアクビを一つする。そしておもむろに腰を上げ、去り際にひとこと口走る。そもそも「何かがこう変わるかもしれない」という観念は、分離を前提とした「わたし」だけが所有することが出来るが、自身の性質上「わたし」はその事実を受け入れることが出来ない。もちろん表面上は理解したつもりでも、いつかは「何か」に変わることを望む。だが「わたし」というものが、「わたし自身」によ...5月のある晴れた朝に100%の存在性に出会うことについて

  • 非二元性への「恐れ・不安」について

    *思考によって仮に確定されてきた「この何ものでもない認識すべて」の中には、「私や自分」と呼ばれる特別指定区域は存在せず、全てがこの「不確定さそのもの」でしかない。「個人という観念(思い込み)」がその力を失っていくなかでよく起こることが、この「不確定さ(非二元性)」への自動的な回帰(自動的な溶解)という現象に対する「恐れや不安」という思考の認識である。これは、これまで主体だとされてきた中心の消滅を連想させるため、起こるべくして起こる認識ではあるが、そもそも「自分」というものは「自分という思考や感覚」でしかなく、他の思考や感覚と全く同じように出現したり消滅したりを繰り返しており、当然のことながらそれらの所有者は存在しない。しかし、その感覚が公平に観照されると、不確定さ(未知)に由来する「恐れ・不安」と認識される動き...非二元性への「恐れ・不安」について

  • 夕方なのか夜なのか、決める。

    *何かを(例えば悟りや覚醒と呼ばれるものを)手にすることが出来た個人は一人もいないという絶対的な事実は「私(わたし)個人という認識」と「非個人という認識」が共存できないということを証明する。*今日は実験です。もしよかったらお試しください。【実験】それでは、まずは1分前の「私個人という認識」を思い出してみてください。それはどういう感じだったのか、たった今起こっている「私個人という認識」と隅から隅まで完全に一致していたのか。ゆっくりと確かめてみてください。どうでしょうか。1分前の認識と今現在の認識は少し異なっているということに気がつくかもしれません。1分前に目の前を通り過ぎた「そよ風」と、たった今通り過ぎた「そよ風」が少し異なることと同じように、1分前と今現在とで完全に継続している「個別の何か」を認識することが出来...夕方なのか夜なのか、決める。

  • 静けさ

    *「わたし」という感覚(または動き)は「静けさ」には歯が立ちません。たとえ少々さわがしい「わたし」が認識されていても「静けさ」がすぐ横にスタンバイしていたら有無を言わせずに「わたし」は「静けさ」に吸収されてしまいます。もちろん音も立てずに。しかもその吸引力は衰えないどころか吸収すればするほど強くなっていきます。あのドラゴンボールの「セル」のようにです。「静けさ」さあ、これで「わたし」という感覚をどうにか消そうとしなくてもよくなりました。なぜならその感覚を感じれば感じるほど「静けさ」がすぐにそれを吸収して、より強力な「静けさ」として広大な静寂に引き込んで行くからです。そもそも「わたし」とは台風のように環境の影響で自動的に沸き起こる「思考や感情たち」がなんとなく流れで束になってしまったもので、もしも「静けさそのもの...静けさ

  • 意識と静寂

    ■□■□■□■MENU■□■□■□■→非二元(ノンデュアリティ)とは→オンライン個人セッションについて■□■□■□■□■□■□■□■□■□■今日は実験のご紹介です。タイミングが合えばどうぞ〜*すでに非二元性そのものである「何か」が非二元性という「まだ未知の何か」をそれはこういうものだろうと独自に想定して「求める」という認識が起こっていることを確認できたら意識とは「静寂そのもの」であるという”言葉”とともに坐ることをお勧めします。*Experiment1.身体がここに存在しているという感覚に気づく。2.その感覚に気づきながら「意識は静寂そのものである」という言葉とともに「静寂そのものとして」坐る。3.これまで動き回っていた思考がゆっくりと静寂そのものになっていく様を「静寂そのものとして」目撃する。4.静寂そのも...意識と静寂

  • 余計師

    ■□■□■□■MENU■□■□■□■→非二元(ノンデュアリティ)とは→オンライン個人セッションについて■□■□■□■□■□■□■□■□■□■今日はコントです↓気楽にどうぞ〜♪※セリフは、黒の文字が「余計師さん」でグレーの文字が「番組スタッフさん」です。『余計師』さあ!長らくお待たせいたしました!皆さまお待ちかねのあの方の登場です!こんなところにまさかのあの方ですよ!準備はいいですか!それでは登場して頂きましょう!館ひろしさんです!どうぞ!!どうぞ?どうぞって館ひろしさんなんてどこにもいないじゃないですか!まさかこのハイビスカスのことを言ってるんですか?ははっ皆さんよく驚かれるんですよ。いや「ははっ」じゃないんですよもうテレビはここまで来たんか?って視聴者が驚きますよなるほど、説明が必要だったね。それでは!あらた...余計師

  • 純粋さについて

    純粋さと、神聖さのような何かをこうやって文章にしていくことはある意味で不毛なことのように思えるかもしれないが、こんな文章すらも「それらに含まれるしかない」というこのホリスティックで絶対的な事実は、全ての筆者に冒険をさせる。そして読者は多種多様なそれらの文章の中から遅かれ早かれそのエッセンス(純粋さ)を掬い取らざるを得なくなり、ある種の共鳴を起こさざるを得なくなる。もちろんこの行程は読者の”意図無し”に進行していくことになるし、そうでなければ成立しない。なぜなら全ての読者は、文字という言わば比喩的なツールを受信し、それを”自分なりに整理しながら”認識していかなければならないため、そのエッセンスは必ず”認識者”あるいは”観察者”というような個別の参照点を必要とすることとなる。ただし、全ての全ては基本的には”純粋さそ...純粋さについて

  • ワールドラフターデー

    朝起きてから夜眠るまで、毎瞬、毎瞬、「何者かになろうとする」一人の若者がいた。彼は、あまりにも何者かになろうとするのでその様子を見た周りの人々は心配し、彼のためを想って思い思いの素敵なメッセージを捧げていった。例えばある人は淳平くん、あなたはあなたなのよ。何にもならなくていいの。そのままの君で充分すばらしいじゃない。ほら、ナンバーワンよりオンリーなんとかって言うじゃない。ね、あなたにしか咲かすことの出来ない花がきっとあるんだからさ。ね、淳平くん。というようなメッセージを贈ったり、またある人は淳平さん。君はもう何にもなることなんか出来やしないんですよ。そもそもあなたは見かけの存在でここには身体と思考があるだけなんですから。だからもう諦めてくださいな。あなたという主体は幻想だ。もうあなたに出来ることなんて本当に何一...ワールドラフターデー

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