chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
niceminato
フォロー
住所
那覇市
出身
未設定
ブログ村参加

2012/01/21

arrow_drop_down
  • 猫になる方法

    ✳︎あらゆる宗教、スピリチュアル、形而上学的な何か、それらを一旦すべて脇に置いておく。本当に何もかも(出来るだけ見えないところに)置いておく。そして、座る。特に何もせず、何も目指さず、何かを受け流そうともせず、思考を止めようとせず、より良い心の状態にコントロールしようとせず、何もしないように努力していないかと心を見張らず、ただありのままでいる。座っている間は、例えば「3分前に心をコントロールしようとしていたかもしれない」と後悔しない。一切しない。そして3分後のための予防もしない。対策もしない。すっかりそのまんまで、ただ座る。例えば、家の外から車の音が聞こえたとする。でも、そこには車の音なんて存在しない。あるのは「ブーン」だけ。それを「音」という分類をしない。「ブーン」あっちで走っていた車の音を私の耳が聞い...猫になる方法

  • オンライン個人セッション

    ✳︎「何もしない瞑想」についてのZoomオンライン個人セッションです。実践されていく中での現状確認やご質問などお気軽にご予約下さい。【セッション可能日時】20:30から22:00の間でご希望に添えます(※日曜・祝日お休み)(※スケジュールを確認後、翌日までには返信しておりますのでメールが届かない場合は迷惑メールフォルダをご確認下さい)【セッション料】30分5,000円(税込)60分10,000円(税込)(※お支払いはセッション後でも大丈夫です)————————————→ご予約はこちら————————————✳︎オンライン個人セッション

  • 静寂と涅槃について

    ✳︎音がしたら鼓膜や神経や脳たちがこの人間という生き物の構造上どおりの働き(あっ音がする)という認識をする。そしてその「音」もそれが鳴る原因たちの構造上のただその通りの音をただ発する。もちろんその「音」自体に主体のようなものを見つけることは出来ない。「音が鳴る働き」と「音が認識される働き」そしてこれら自然の動き(働き)の間に「境界線みたいなもの」を表現する働き。その他の働きと同じ「働き」の一つである「思考」という働き。「音が鳴る働き」「音が認識される働き」たった今「この文字を認識するという働き」「この画面が文字というものを表す働き」人間という生き物の中で起こる様々な働きと風が吹いて洗濯物が揺れる働きはどちらもただの「働き」境界線のない「ただの働き」だらけの世界。トイレの中での何気ない思考の働きも浜辺のサン...静寂と涅槃について

  • 大事なポイント

    ✳︎引き続き「何もしない瞑想」についてです。まだいきます?感もありますが笑せっかくトライしてくれている方のためにもこれから始める方にも(※この”方”という観念が特に引っかからないようになるためにも)さらに”思考の足場”を事前に取り除いておきたいと思います。一応、ここで言う”思考の足場”という表現ももちろん方便にしかなりませんが瞑想中に(気付かないうちに)何かをしてしまうことを防ぐためのものですのでその他の個別性を暗示させるような表現同様サラっと流して頂ければスムーズですので何卒よろしくお願いします。それでは本題に入ります。✳︎“何しない瞑想”は本当に何もしません。※瞑想という表現が気になる場合は“何もしない”と呼んでください。ですのでどんな繊細な工夫もどんなわずかな試みもすべて”余計なこと”になってしまいます。...大事なポイント

  • ✳︎「何もしない瞑想」においての“何もしない”という言葉について、これまで”放っておく”や”そのまんま放ったらかしておく”と表現していましたが、誤った解釈の固定を防ぐために別の言葉でも表現してみたいと思います。✳︎“世界そのものの動き”に任せる。風がそよぐこと、雨が降ること、雪の結晶が出来ること、音がしたら耳が勝手にそれを受取ること、条件が揃うと心が勝手に反応すること。この身体もこの思考も”世界の中”に含めて、世界そのものの”動き”に任せる。これを老子は「玄」と表現し、道元は「仏性」と表現したんだと思います。じっと座っているのがどうも苦手な方は公園でもお散歩しながらこの玄(仏性)に任せっぱなしにし続けてみてください。勝手に低気圧や高気圧が出来るように低気圧的な思考や高気圧的な思考も条件が揃えば勝手に出来上がりま...玄

  • 初春

    ✳︎あけましておめでとうございます。“あける”と言えばオープン、オープンと言えば開放、開放と言えば”開けて放っておく”開けて放っておくと言えば「何もしない瞑想」ですね笑ということで今年も一発目から「何もしない瞑想」のお話です。✳︎“何もしない”をまた別の言葉で表現すると「解釈しない」とも言えます。あらゆる認識を自ら”解釈しにいかずに”絶対的に受身で”放っておく”ということです。そして“放っておく”とは、鏡(かがみ)が成り行きで映ってしまった何かしらの対象を自分なりに解釈することなくそのまんま”映るがまま”にしていることと同じです。“見る”のでなく目を開けていたら(受身でいたら)結果として対象が映っただけというような感覚です。たとえば目に「木製の黄色いイス」がたまたま映ったとしたら、それをイスや、木や、黄色や、こ...初春

  • スキマ時間の「何もしない瞑想」

    ✳︎「作為することを放棄する」というこの”何もしない瞑想”が実践者に求めるものは「しつこさ」だと思います。“継続”という努力を内在した感覚より、しつこさという重心が乗った感覚の方が、習慣化するまでスムーズだと思います。ということで今日はいつでもどこでもしつこく出来るクイックバージョンのご紹介です。姿勢は気にせずに、その時一番身体が楽な状態でお試しください。以下より、気に入ったものをスキマでお試し下さい。【クイック何もしない瞑想】・仕事や家事の合間に少し一息つく時間があったら、まずはぜんぶストップして、認識を能動的に取りに行くのをやめてみる。・それぞれの認識機能たちが自然に受容したものを、調整しようとせずに、そっくりそのまんま放っておく。・その時間だけは「認識の全所有権」を手放してみる。・いつでもどこでも「何もし...スキマ時間の「何もしない瞑想」

  • もし頓挫しかけたら

    ✳︎何もしない瞑想の最中に「もういいや、や〜めた。」とか「なんや〜わしゃこれずっと何しとんねん。」みたいな感じで、座るのを放棄してそのままゴロンと大の字になったことはないだろうか?何もかも放り出したスッキリした気分でただ天井が見えているだけで、満足も不満足もなく息をしているだけの生き物がただシンプルに存在しているというようなことが起こってないだろうか?確かにこの何もしない瞑想は“ワタシという主体”にとっては何の手応えも無いので、きちんと毎日の習慣になるまでに自然と頓挫してしまう可能性が高いかもしれない。そりゃ「これどういう状況やねん」みたいなツッコミが自然発生してもなんら不思議じゃない。だけどもし「や〜めた」が起こったらそれを逆に利用する方法もある。もちろん、そんなツッコミが出ちゃった当日はもうお腹いっぱいにな...もし頓挫しかけたら

  • ムール貝、酒蒸しにして〜

    ✳︎「自我が芽生える」この概念が一般的であることに反して、「自我が枯れる」という概念は使われることがない。だけど『私はたった今まさに歩いているなぁ』といちいち思わないように、誰でも毎日「自我(私という概念)」は枯れているし、何だったら「芽生えてる」時間の方がはるかに少ないはずだ。そもそも、芽生えたり芽生えなかったりするようなただの概念の一つが、主体としての役割を完璧に果たすことが出来るんだろうか?いや、ぜんぶ検討違いだ。何の関係も無い。いい。認識の内容は全部関係ない。認識のことはもう本当にもう何でもOK。思考に勝手にさせておく。ただあるものを好きなように認識させておく。そん時そん時の気分やクセが自由に好き勝手に概念化させる。またさせる。自我も無我ももう知らん知らん笑放っておけたらわかる。概念は概念それ自身に好き...ムール貝、酒蒸しにして〜

  • 線が引ける、迷わずにスッと。

    ✳︎「私とは何か」もしもそんな疑問が浮かんだら、インドに自分探しの旅に出掛けずに鉛筆とノートを用意しよう。上手くいけば、何となくその正体に気づくがしれない。【実験】ノートの真ん中に一本の線を引き、左側に「興味があること」を書き右側に「興味がないこと」を書く。あまり深く考えなくていいからポンポンと3〜4個書く。そして、真ん中に引いた線を消す。さて、何となく「私」の正体がチラつきだしたのでないだろか。それでは、さっき消した線をもう一度書いてみよう。どうだろう。「私」というものが登場する気配を感じたかもしれない。それではもう一度、線を消してから今度は私の出現を見張りながらゆっくりと線を書いてみよう。もしかしたら、少し気恥ずかしそうに登場してきたかもしれないし、少し遠くからノートのリストを見ているかもしれない。【おわり...線が引ける、迷わずにスッと。

  • 留意点3

    ✳︎今日は「何もしない」という瞑想を実践する上での留意点です。✳︎もしかすると何もせずに、ただ座っているところに『このままじゃ多分ダメだから、何か改善しないと・・・』的な雰囲気が漂ってくるかもしれない。もちろん最初はそんな雰囲気も放っておいて、どんな思考もそのまんまほったらかしていると思う。でもだんだん雲行きがあやしくなってきて、その場の雰囲気が「このままじゃ・・」に完全に支配されてくるかもしれない。すると、どうだろう。もともと誰のものでも無かった「この場の雰囲気」は、密度と重みを増していき、たった今自分が認識しているすべての感覚の中で、あっという間にバズることになる。もちろん「この場の雰囲気」は「この場の雰囲気という思考」でしかないから、他の思考と何ら差別なく「そのまんま放っておく」という一択だけど空気を読み...留意点3

  • やっぱり今年も

    ✳︎今年も、やっぱり今年も感動してしまった。KOC。男性ブランコの実力に驚き、かたまりさんの気合いに感服した大会だった。個人的には、ネタはもちろん最近平場での安定感も増してきた「ニッポンの社長」あたりが来るかもとか思っていたけど、それをもしのぐ空気階段のポテンシャルと準備、そして絶対に優勝じゃなきゃだめなんだ感が会場の空気を作ったんだと思う。イワクラさんの気合いも良かったなぁ。あと新審査員もさすがだった。また次回も楽しみだ。何だかんだで、毎年KOCとM-1の翌日には、このお笑い熱(笑)からこのブログとは全く関係のない記事を書きたくなるけど、今年はあえて熱が冷めないうちにそのんまま書いてみた。すみません笑ちなみに写真は中秋の名月の翌日の月。線すごいよね。✳︎やっぱり今年も

  • 『何もしない』 という瞑想

    ■はじめにそもそも「人が瞑想をしよう」と思うとき、そこには「現状をもっと良くしたい」という意図が少なからずあると思いますが、この”何もしない”という瞑想は「聞こえる音・見えるもの・不意に現れる思考」など、たったいま否応なしに勝手に認識されてしまう「この今の様子」に、何も手を加えずにそのまんま放っておく無為のエクササイズになります。別名『ほったらかし瞑想』と言ってもいいかもしれません。もしかすると『何もしなくていいなら簡単じゃない?』と思うかもしれませんが、実際にやってみると、これまで一般的な瞑想を行ってきた人にとっては、かなり難しく感じると思います。なぜかと言いますと「聞こえる音・見えるもの・不意に現れる思考など」たったいま否応なしに認識されてしまう『この今の様子』は、自主的に(あるいは能動的に)わたしが「聞い...『何もしない』という瞑想

  • つづけること、つづくこと。

    ✳︎何もしない瞑想は、日々コツコツと習慣化させることが大事です。逆に言うと、習慣化する前にご無沙汰になると頓挫するのは割と簡単だと思います。と言いますのも、この瞑想は坐中に心地良くなったり特別な意識状態になったりすることに、全く何の価値も置かずに「すべて放っておく」ことになりますので、何を基準にモチベーションを維持したらいいのか分からなくなるからです。ですので「習慣化」です。迷わず1択です。ハラタイラくらい1択です。もし迷ったら個人セッションでトークしましょう。ちなみに17日と18日は空いてます〜(^。^)/つづけること、つづくこと。

  • 思う

    ✳︎台風と全く同じように『思い』は条件が整えばきちんとその通りに起こるしかない。どんな『思い』も条件次第で無限のレパートリーだ。結局のところこの縦横無尽の『思い』生産システムをそのまんま放っておくしかない。どんな「思いクセ」があろうと無かろうとすでに放っておかれている景色は鏡のように目に映り空気は吸われて吐かれてる。どんな「映りクセ」や「吸いクセ」や「吐きクセ」があろうと無かろうと何かの音はその通りに聞かれてる。そのまんま以外は無い。「何もしない瞑想」はそのまんまをそのまんま放っておくことだ。✳︎『思いA』もう放っといてよ。『思いB』放っておきたいよ。でも放っておけないよ。『思いC』何で?もううんざりなんだよ。『思いD』こっちだってもううんざりだよ。でも、もっと良くしようとしちゃうんだ。『思いE』何を良くするの...思う

  • この今意識がある感じ

    *「何もしない瞑想」において「何もしない」という言葉が意味するものは「何も求めない」という言葉と重なります。自分があるいはたった今ここで呼吸をしているこの生き物が何かをしようと”能動的(意図的)に動く”その理由は何かを求めようとするからに他なりません。もしよかったら今日はオリンピックの合間にでもほんの少し、たった5分だけ何も求めないで“ただ居てみる”のはいかがでしょう。本当に今の”この感じ”のまんまなんにも求めないもちろん何も求めないという継続さえも求めない今の”この感じのまんま”が垂れ流される”知らんがな”はその所有者なんて考えも平気で垂れ流される自然の妙味。でも”この感じ”って私がいま感じている”この感じ”で正解?なんて疑問が湧き上がったらその疑問も、まさにその疑問が湧き上がっている最中の”この感じ”も問答...この今意識がある感じ

  • 放っておく?

    ✳︎“何もしない瞑想”をやっていて、何か気になることが出てきたら、もちろんその思考も”そのまんま”手を付けずに”放っておきます。放っておくって?という思考が出てきたら出てきたまんま、何一つ対処せずに”そのまんま”です。ということは、無視するってこと?という思考が出てきたら出てきたまんま、何一つ対処せずに”そのまんま”です。あれ?今そのまんまに出来てたかな?という思考が出てきたら出てきたまんま、何一つ対処せずに”そのまんま”です。すべての思考はいつだって勝手に出てきますので、どんなに芯を喰ったような思考でも“そのまんま”の一択です。これは、本当の意味で”何もしない”ので、この”一択”が慣れると、ハッキリ言って楽だと思います。シンプルに「これでええやん笑」と力が抜けるかもしれません。もちろん何もしないと言っても、こ...放っておく?

  • よすが

    ✳︎"何もしない瞑想"では、わたしという主体の感覚(拠り所)でさえ、そのまま放っておく。何一つ例外は無しで、何一つ例外は無い。例えば、ずっと曇ってて「あ、久しぶりに青空見たな」という思いが出て、その思考の去り際に残る方向の無い微かな嬉しさの気配まで、放っておく。例えば、部屋の白い壁を、ただただ見つめ、思考が出る幕も無い感じになってるっぽいなと思考が出てきて「あ、思考出たやん笑」とまた思考が出て、さてとトイレでも行こうか、とまさに立ち上がるその瞬間に浮かぶ「その瞬間にも気付いてるな」という思考も、放っておく。放っておくって何だ?っていう思考も、上手く放っておけなかったかも、っていう思考も、出たら出たまんま、何でも全然問題無しで、丸ごと手を付けづに放ったらかしておく。無理せず、ただその通りに暮らす生き物が、そこにい...よすが

  • 留意点2

    *今日は前回記事の追記です*この”何もしない瞑想”にとって「ダメな今の様子」というものは絶対的にありえません。上手く坐れていないのではないかという不安が出てきたり、自分というような感覚があるから不満だという思考が出てきたのならそれも悪くありませんし、雑念が少なく深い静寂そのものでいられたというような思考が出てきたのならそれも悪くありません。不安は不安のままで、不満も不満のままで、”心地良い”も”心地良い”のままで、全部そのまんまでいってください。不安や不満というものは過去の記憶(固定観念)になぞって自然と出てきますので、ここから後は、この今の様子をなんとか変えようとする自分が起動しなければ、問題というものも起動しません。問題として取り上げなければ、その他の思考や足の裏の感覚と同じように自然と認識から消えていきま...留意点2

  • ”何もしない瞑想”を実践する上での留意点

    ”何もしない瞑想”を実践する上での留意点についてまずこの何もしない瞑想は、本当に何一つ手を付けずに全ての認識をそのまま放っておきますので、この瞑想に本腰を入れて実践されようとしている方は、大変恐縮ではございますが、悟りや瞑想という概念に関係のありそうな書籍やネットの情報などは全て一旦お控え頂ければと思います。と言いますのも、例えばこのブログの過去記事から別のエクササイズのエッセンスや、何かしらのフレーズを見つけてそれを瞑想中の拠り所にしてしまうということが無自覚的にも起こってしまうと、本人が知らず知らずのうちに「何もしない」というところからズレてしまい、せっかくの実践が無駄になってしまう可能性が非常に高くなってしまうからです。ですので、現時点において他の瞑想やエクササイズ(このブログ内のものも含みます)をされて...”何もしない瞑想”を実践する上での留意点

  • かがみ

    *方便として”鏡(ミラー)”を用いて*鏡は、何の解釈も何の説明もせずに、映るものを「ただその通り」に映します。この物体は人間だとか、スマホだとか、この音は鳥の声だとか、これは無駄な思考だとか、一切意味付けをせずに、そっくりそのまま映します。言ってみれば、鏡は認識されるものを丸ごと放ったらかしています。呼吸やら思考やら何やらよく分からないが、何一つ迷わずに全てただその通りに、明確に映っています。何の意図も努力もなく、ただそういう働きが起こっています。映ったものに、一連の流れを付けることもせずに、その時その時で即終了しています。もしよかったら、いま目の前に見えている(映っている)スマホやパソコンから目を上げて(角度を変えて)、ゆっくりと周りを見てみて(映してみて)ください。映るものに名前(意味)を付けづに、ランダム...かがみ

  • 意図

    *本日も何もしない瞑想について少し書いてみます。*意図がある、意図がない。このエクササイズのポイントは、何もかも例外なく、丸ごと「放っておく」ことです。ですので、エクササイズの最中にどんな疑問が起こっても、それはただ「そういう思考が起こった」ということに過ぎないので、相手にせずそのまま放っておきます。例えば「今の状態は"何もしない"ということが出来ているのか?」という思考が起こったら、ただ「そういう思考が起こった」ということですし、「足がしびれてきたな、直そうかな」という思考がただ起こって、ただ身体が姿勢を直したら、ただそういう身体の動きが起こっただけ、ということになります。映画で言ったら、何が起こっても最初から最後までノーカット流しっぱなしの一発撮りです。NGという概念はありませんが、その最中に何であれ演者の...意図

  • 事実

    *"分別がなされずに起こることがただ流れる"ということについて、メモのような形ですが少し書いてみます。*例えば、イスに座ってこの画面を見ているとしたら「イスと自分のお尻が接触していることにより、いまその感覚を自分の感覚として感じている」というふうに暗に認識されると思いますが、事実を言うと(言葉では表現できませんので方便として)、誰のものでもない何らかの感覚がある、もっと言えば「そのものがある」さらに言えば「モワン(無理に文字で表現しました)」となります。つまり、「イス、自分、お尻、感覚」という言葉(観念)たちは、分別を生み出し、事実を隠します。例えば「ソファに寝転んで窓の外から聞こえてくる鳥のピヨピヨという鳴き声を室内にいる自分が聞いている」という瞬間があると思いますが、事実をいうと(文字では表現できませんので...事実

  • 何もしないとは

    *前回に引き続き「何もしない瞑想」について少し書いてみます。*何もしないとはテーブルやこの身体と呼んでいる存在の事実は、自分の見方(テーブルという解釈)を離れて、何物でも無く、ただ在ります。テーブルはテーブルじゃなくて目の前にある「何か」ですし、この身体もやはり身体じゃなくて目の前にある「何か」です。何もしない瞑想は、そんな事実そのものに、選択肢無く自分を打ち任せていくことです。打ち任せるとは「すっかり任せる、任せきる、そのままにしておく、ほうっておく」ということですが、この瞑想には、当ブログでご紹介している他のエクササイズとは異なり、観照意識が定着してくるような、主体が所有出来る「手応え」がありませんので「これで良いのか、出来ているのか」というような不安が終始つきまとうと思いますし、仮に上手に「何もしないが出...何もしないとは

  • “何もしない”をしようとしない

    *あけましておめでとうございます。ご挨拶がかなり遅くなってしまいましたが本年も何卒よろしくお願いします。今月もオンラインでの個人セッションや1DAYリトリートは「月曜・水曜・木曜」に行っておりますので、空いている日程などは→こちらからお問合せ頂ければと思います。それでは今日も引き続き「何もしない」エクササイズについて少し書いてみます。*“何もしない”をしようとしない坐っている間、何もしないということは、本当に何もしません。目の前に映るただの色の集まりを床や壁と名付けることもしませんし、耳が認識する何らかの音を車の音だと名付けることもしません。思考を見守ろうともしませんし、坐中の意味ありげな意識感覚の変化もそのままにして一切手をつけません。もちろん呼吸も数えませんし、身体の感覚や主体の感覚(または気づき)に意識を...“何もしない”をしようとしない

  • 掘ったら粕

    *"ほったらかす(かまわずにそのままにしておく)"たった今この身体に触れてくる音や景色を、そのまんま無条件で受け入れて、もう何も手をつけない。ほったらかす。ほったらかすって言っても、目や鼻や口は何もかもこれまでと何も変わらずに機能している。高気圧や低気圧と同じように”その通り”現れている。自分なりに作り上げた非二元やノンデュアリティという予想や予測に取り込まれる前の”ただの音や景色や身体そのもの”がそれ自身同士で(思考を挟まずに)まさに物質的にぶつかる。これは何も特別なことじゃない。まさに今の様子。もしかしたらそのうち「いつまで?どのくらいほったらかせば?」って思考に同一化してしまうかもしれない。もちろんそれもほったらかす。なぜなら実際には「ほったらかすorほったらかさない」という選択をしている思考も、安全に完...掘ったら粕

  • この人間 ”そのままの様子“

    *丸投げメソッドお試し頂けましたでしょうか?このメソッドは文章だけですと伝わりづらくて、すぐに難しく捉えてしまいがちですが、とてもシンプルなメソッドで、メソッドと言うのもシンプルと言うのもややこしいくらいです。何も追い求めずに、この人間の様子をそのままに、ただ居ることになると、これまでに蓄積された”この人間”の趣味嗜好に沿った”あるがままの心地良さ”みたいなものが自然と表出すると思います。そして、どこにも矢印の向かない生(なま)のダイレクトなこの生き物の様子は、どこにも手をつけようが無いほど完結しているように感じると思います。ここでは言うまでもなく”主体”と呼ぶことが出来るような際立ったものは認識されませんので、逆に言えば”全体性“という観念が登場する理由は当然ありませんので、何も観念化させずに、ただ生の様子に...この人間”そのままの様子“

  • 【臨時1枠のみ】スケジュール空きました

    *明日11月22日(日)の昼12時より1枠のみ「個人セッション」をご予約頂けますのでご希望の方は→こちらよりお申込みください。*【臨時1枠のみ】スケジュール空きました

  • 丸投げメソッド

    *耳にまかせる。眼にまかせる。丸投げメソッド。*今日はそんなエクササイズを大解放。まず最初に”まかせる”と言っても自分という主体が「耳や眼」に任せようと意図するものではありません。なぜなら実際には、思考が耳や眼に任せようとする隙も無くそれらは既に終わっているからです。試しに、今から「おとうふ」って強めの低い声で言うからさ、耳さん、聞く準備をしていてねって耳を澄ませていても「聞く」という行為をしようとする前に、「おとうふ」という音がバン!と距離ゼロで既に表出しています。ネピアでもスコッティでも、今から見るよ!見るよ!って緊迫して準備して、いざ目の前に登場したら、その瞬間に眼はもう仕事をし終えていて、その後で思考が「私の眼はたった今ティシューを見た」と認識します。ですので、丸投げと言っても実際には、何もしていません...丸投げメソッド

  • ただこれ即今、無為の道

    *無為の道といっても、実際に”ここから出発して到着するどこか”があるわけじゃない。道これ自体が真相でしかない。今日はエクササイズに不向きな方のために「何もしない」というアプローチをご紹介します。*たとえば何の音であれ”音が聞こえた”とする。だが実際には”聞こえた”というよりは、全く距離や時間などないダイレクトな音そのものが在るだけだ。パン。だ。たったこれだけのことを色んな思考や観念でこねくり回してしまう。だがそれはとっても自然なことであって完全性の一つの現れでもある。だから”ワタシという主体”がどんな探求をはじめても特に気にしないでほしい。それと同時に非二元やノンデュアリティという言葉がイメージさせる”自分なりの何か”のことも特に気にしないでほしい。探求という文脈において、すべてのことは例外なくスムーズに起こっ...ただこれ即今、無為の道

  • memo.10.25

    * 自己という感覚がスっと抜け落ちると、同時にそれまで無意識に行なってきた”私という固定位置から世界を眺める”ということが行われないため、否応なしに目に映ってくる世界全てが手を付ける余地も無いほど完璧に見える。 そこには自己という“くくり”が設定されていないため、何もかもが全自動で行なわれているような認識が起こる。 耳は聞こうとしてもしなくても、距離ゼロで”耳そのものである音“が直に響き、口から出る言葉は所有者不在でありながら以前と変わらずスムーズに湧き起こる。 きっぱりと落ちきると分離が戻ることはあり得ない。 車の音は、それでもう完結しきっている。 非二元やノンデュアリティというような言葉が指す「何か」ではない、もっと直な"そのもの" アナエロビックファーメンテーションは反則だ笑。  * memo.10.25

  • 取捨選択

    * "私"という個別的意識が(あるいはそういう感覚そのものが)これ以上”安定してとどまることが出来る場所”が無い、という観念以前でも「取捨選択」という逃げ道を小脇に挟んでいることがあります。 もうこれ以上は「無い」はずなのに、この音が身体がただあるだけなのに、他の"何か"を「解放にとって良いものと良くないもの」というその時その時の判断で取捨選択しようとします。 ここで本当に起こっていることは「個別などんなスタンスも固定されずに、定位置なく、世界を見せられる」ということ。つかまらなくても飛んでいく主体はそもそも存在しない。何かを受け入れることが出来る主体は存在しない。何か目の前に選ばれるべき選択肢があって、その中には"当たり"が潜んでいるから、間違えないように慎重に良いものを選ぼう。ということはありえない。解釈と...取捨選択

  • 秩序と混沌

    *  思考、感情、音、身体感覚。 脳は瞬間瞬間に認識されるあらゆる「混沌」とした情報に、熟練の職人技で驚くべき「秩序」を与える。それが「ワタシ」と呼ばれるものの実体である。 しかしその秩序の骨格はずさんなもので「いや無理あるでしょ」と思われるような力技は日常茶飯事、別途で物語を添えてあげないと関連付け不可能なケースも頻発している。 だが、この職人はめげない。この混沌とした様々な認識たちを、何とかして秩序立て、何度でも何度でも「ワタシ」という形で納品しようと試みる。 それはまるで厳粛な空手の「型(かた)」を観ているようだ。思考や感情、音や身体感覚といったどんな情報も、すべてその型という鋳型に通すことにより、混沌を秩序へと変える。 雲と風が竜巻や台風になるように、それらはワタシになる。あるいは”そういうこと“にする...秩序と混沌

  • 無の前

    * おはようございます。今日はエクササイズという形を取る前の箇条書きのまま上げさせて頂きます。よろしければ、意図的に「解釈」というものを拒否し続けながら、以下に触れて頂ければ幸いです。 * 何か聞こえるものを聞こうとしなくとも見えるものを見ようとしなくともそれらはただ聞かれ、ただ見られる このことは本来、全くもって”解釈”されずに過ぎ去っていくそして、ただ聞かれ、ただ見られる中心も無く、安定も無く、全体も無く、ただ聞かれ、ただ見られる 精妙な観念化も完全に拒否され言葉などもってのほか無や空という”何か“さえ許されない”これそのもの” そこには、そしてどこにも、対象というややこしい構造や解釈は無く!何も待たない!即!の前の前!音を音と決める前! 無!の前! 前の前の前の前!  * 改めまして、おはようございますそ...無の前

  • お散歩瞑想 2020秋

    * おはようございます。今日は、呼吸や身体の感覚に気づき続けようと意図しても、なかなか続かなくて「もう飽きちゃったな」と頓挫してしまう、そんな方におすすめのエクササイズを一つご紹介します。 このエクササイズは、のんびりお散歩でもしながらお試し頂ければ幸いです。それではどうぞ。  *  お散歩瞑想2020秋  ・気持ちいいそよ風を感じながらのんびりお散歩を始めます。 ・手足が動き、頭が前に移動し続けていることに気づきます。そよ風を「気持ちいい」と認識している思考に気づきます。その他の認識があればそれにただ気づきます。 ・他の人の存在を見かけます。(ここでは仮に公園のベンチに座っている人を見かけたとします) ・これから、その人の前を通り過ぎようとしたところで、自分の髪に強めの寝ぐせが付いたままだったことを思い出しま...お散歩瞑想2020秋

  • ヨソク

    *  例えば、心地いい”そよ風“が吹いて、それがおさまる。 すると、そこには何が残るだろう? 何が残るだろう?  同じように、思考や感情が起こり、それがおさまる。 そこには何が残るだろう? 誰が残るだろう?  *   そよ風の「ナヨリ」  わたくしの名はナヨリと申します。人間の言うところの”そよ風“でございます。 手前味噌ではございますが、私はどの”そよ風“よりも立派にソヨグことが出来ると自負しております。 私は幼き頃より一流の”そよ風“に成ることを夢見て育ち、そよ風のエリートだけが集う最難関の試験もクリアし首席で卒業することが出来ました。 そして今ではこうして地球上のあらゆる造形をなぞるように”そよいで”おります。 よろしければせっかくいらしたんだ、少し私のソヨギをご覧になってみてはどうでしょう。 いいんです...ヨソク

  • どこにいった?

    * もしも、たった今「非二元性を求める気持ち(あるい何かを失っている感覚)」があって、それをどうにかしようと思っているのなら、こう問いかけてみるのはいかがでしょう。 * ・非二元性は、いったいどこにいったんだろう? ・いつどの瞬間に、非二元性を失ったんだろう? ・失うことって出来るのかな? ・え?そもそも「誰」が失うのかな? ・たった今「わたし」を探してみても、本当に見つからないのに ・ん?この「不足している感覚」って、もしかしてクセ? ・そう言えば「のど乾いたなぁ」の時と、なんだか似ているなあ ・もしかして非二元性ってものを自分なりにイメージ(対象化)して、私がそれを欲しがっている? ・こんな思考も何もかにも全部「非二元性そのもの」なのに? ・マジで?ずっと? ・そうかって思っても、結局3日後にはまた探してい...どこにいった?

  • 思ってる以上に遅くです。

    * 非二元論。ノンデュアリティ。「分離している」という概念を前提としない論(ろん)。 この身体もこの思考も「独立した私のもの」と言うことは出来ない論(ろん)。 論として真剣に構築しようとすると頓挫するのは当然だけど、体感として個人の底が抜けると、もう言葉のことは「お好みでどうぞ♪」となってしまう。そこじゃない、と。 なにはともあれ、ちょっと腰を据えて、身体や思考を「客観的に見てみる」あるいは「客観的に気づいてみる」ことをおすすめします。それも、これまで生きてきた中で最も「スローモーション」で見てみて下さい。もっと、もっと、スローモーションで、さらに、さらに、スローモーションで(笑) この身体を「隣のネコを見るように」スローモーションで眺め。この思考を「テレビのコメンテーターの思考を見るように」スローモーションで...思ってる以上に遅くです。

  • 慈悲の瞑想、つぶさに見る。

    ---------------------------------------------  →  非二元(ノンデュアリティ)とは → オンライン個人セッションについて(※ココナラからのご予約ですとクレジットカード・コンビニ決済が可能です♪)--------------------------------------------- *** 慈悲の瞑想、つぶさに見る。 まず、足の裏からぐるりと包み込んで頭のてっぺんから、背中、お尻、ひざ裏、かかとまで、たった今感じることが出来るこの身体を客観的に味わってみてもらえませんか?※突然すみません史上80位くらいには入ってもよさそうなお願いですが、そんな気分じゃなかったらもちろん大丈夫ですので、あとでまたお願いします笑) どうでしょう。身体だなぁ、という感じでしょうか。突...慈悲の瞑想、つぶさに見る。

  • もし本当に中心核が必要なら

    ---------------------------------------------  →  非二元(ノンデュアリティ)とは → オンライン個人セッションについて(※ココナラからのご予約でクレジットカード決済・コンビニ決済が可能となりました♪)---------------------------------------------  今日は前回の続編です。着太郎です。どうぞ(^^)/ *** NanimoShinai,MichiniTokeru  今朝は早く目が覚めた。最近日課になっている「GMメソッド」が起こるのに身を任せる。 窓を開けると、身体は早朝の涼しげなそよ風に緩み、思考はまだ輪郭を身にまとっていない。朝日がすごいことになっている。ピンクと紫とイエロー。短い時間でどんどん色が変わっていく。オレ...もし本当に中心核が必要なら

  • トッピング?

    * 【今日は着太郎くんという初登場の方のお話です】   Whatdoyoudowithtoppings?  ただ、腰掛けている。 たしかに、木製イスの座面が感じられ、足裏が床に乗っている。 空調のわずかな音が聞こえる。  だが言いようによっては“空調の音”の足裏が床に乗っていると表現することもできる。 ともあれ、身体や思考にとっての心地良さと居心地の悪さが現れては消える。  次はどんな思考が現れるのか、そしてそれに影響を受けて動く次の思考はどんな感じなのか。手に負えない。だがその”降服感”が逆に”私という「何か」が思考をコントロールしている”という固定観念を弱めてくれるように感じる。  *  着太郎はここ数年、非二元性という概念について多くを学んできた。 かつて”私自身“だと思ってきた”この存在している感覚”あ...トッピング?

  • 今日の瞑想

    その時々の、いろんな考え方やアイデアに影響され、楽になったり辛くなったりする”私という感覚”どんなに凄そうな素晴らしい考え方も、全てはその”私という感覚”に向けられる。では"私"に向けられるものを全部やめたらどうなるだろう?"私"をより良くしてくれそうな、たった今ここにある「選りすぐりの考え方」を全部やめてみたら、ここに何が残るだろう?"瞑想""瞑想=これそのもの"所有者不在の生まれたての五感の認識。何一つ手を付けようとも思わない完全性そのもの。何も向けられなくなった"私という感覚"は、その異常な存在価値を剥がされその他の思考たちのもとへ戻る。全部やめたら瞑想が残る。*******************************オンライン瞑想会(定員1名)は随時、受け付けておりますくわしくは→こちらからどうぞ(...今日の瞑想

  • ゆったり瞑想会(定員1名)

    *こんにちは〜😊今日はオンライン(ZoomまたはSkype)で行うプライベート瞑想会のご案内です。瞑想会と言っても「定員は1名のみ」となりますので、ご自宅で空いている時間に部屋着でゆったり坐ることが出来ます。(イスでも坐布団でも座り方はご自由に〜休憩もご自由に♪)温泉にでも浸かっている気分でのんびり気楽に坐りましょう。もちろんこのブログの著者もご一緒に坐りますので、おすすめの瞑想の仕方などご案内させて頂ければと思います。もし瞑想中に質問が浮かんだら、そのままそれを観察していてもいいですし、声に出してご質問頂いてもOKですので全てご自由にどうぞ♪それではお申込みは下記フォームからとなりますのでお気軽にご予約ください😊**********お申込みは→こちら**********もしも『...ゆったり瞑想会(定員1名)

  • on and on

    *窓を開けると風が抜ける。抜け続ける。心地いい。風に境界線は無いから、どのタイミングの風が一番心地よかったのか個別に表彰状を渡すことは出来ないが、思考はそれをサラっとやってのける。第一位、窓開けたての風。おめでとう。これからも頑張ってね。第二位、ソファに腰掛けてホッとひと息ついてマグカップに手を伸ばした瞬間の風。おめでとう。とてもいいタイミングでした。第三位、そろそろ窓を閉めようかなと思って窓に手を掛けた瞬間の風。おめでとう。閉めるの迷わせないで。こんなことはしない。しないだろうけど世の中の表彰されるべきものがあらかた表彰され終わったら「お菓子もこの間おわったし、じゃあそろそろ風かな」という具合になるかもしれない。そう、ならない。たが、例えば風を”わたし”に置き換えてみたらどうだろう。”わたし”に境界線は無いか...onandon

  • *自分にとって、最も気にしなければならないことが、たった今ここにあるとします。そして、それは誰のものでも無い(所有者不在の)気にしなければならないことなんだと、それを客観的に観照してみようとしたけど「やっぱり気になって仕方がなくなっちゃった」という状況がここにあるとします。そんな時はどうしたらいいのか?そんな時もやっぱり、何かをどうにか出来るような個別の主体はいなくて(どうにかしようと名案を出してくれる思考たちはあるかもしれないけど)あるがままの現状が”ただ観照される”ということが起こります。そして、その観照がそのまま起き続けると、いづれ観照そのものの”質量”のようなもの(または比重のようなもの)が変化してくるのが認識されると思います。※もちろん、それを自分という”何か個別のもの”の所有物にしようとする思考も同...顔

  • “何もしない”について

    *非二元性という文脈において、「何もしない」という言葉は「何かを出来るような誰か(主体性)は最初から存在していなかった」という認識が”触れてくる”ということと同じ意味を指します。“認識に触れる”のでは無く、”触れられる”というある種「受動的」な体感。そして”何もしない”という”何かをすることが出来る可能性“をはらんだ観念は「何も出来るはずがなかった」という”力の入れどころの無さ”を前にして、ベクトルの方向性を見失い、新たな意識の足場を見出すことが出来ずに、そのままこの”不確定そのもの”へと回帰します。この”触れられるまま”がそのままにされる時、意識の足場(主体性)の輪郭は徐々に浮き上がり、次第にそれが維持される力は弱まります。*“何もしない”について

  • わたし中毒

    *自然な流れとして、人間は誰もが「わたし」という主体性への中毒になります。それはほとんど場合、避けることが出来ず、とても自然に起こり、継続します。中毒による症状を「症状」だと認識させられることもなく、人は生きていきます。ただ、全てのことは自然に自動的に起こります。主体性という中毒が起こることも、台風が発生することも、次から次へと自然に事が起こり続けたことにより、その結果として、例えば目の前の街路樹の葉っぱがフワっと揺れることになります。そして今この文章を読むことが起こり、わたし中毒であることが認識されようとしています。あるいは”再認識“されようとしています。「中毒である」ということが明白に認識されると「主体性への自己同一化」という現象が、より客観的に認識され、どこかにあったアイデンティティという”仮想フィルター...わたし中毒

  • 何だろうのその先

    *きっとこういうことなんだろうと予想したらすでにそれは思考の中で整理されてしまった私のオリジナル非二元性ちょっとだけ静かにして誰のものでも無い空気にふれる誰のものでも無い皮膚を感じて目的の無いゴールの無い空間の無さそのものがいまこの文章を読んでいるまたはこの文章そのものになっているもしもだから何だがやって来たら何だの先には思考の中のオリジナルの何かしか無いことを話してあげてください*今日はこんな感じだそうです良い週末を〜♪*何だろうのその先

  • エクササイズ 4(完結)

    *エクササイズの後にをお読み頂いた後、それでもまだ何かが残っていて”何とかしたい“という思いが再び湧き起こるのであれば、最後にこちらのエクササイズ4をお試しください。“何であれ掴めるような誰か(主体性)がいるのか?という問い掛けが、府に落ちなかった探求者への最終エクササイズ”それも掴まなくていいんだよ【Exercise4】①ホコリ(思考の暴走)が沈みクリアになった後、再び”何か(主体性)“がどこかに向かおうとベクトルの出発地点に立っていることを確認する。②その”何か”を優しく丁寧に身体の中で感じてみる。③もう、この”何か”を掴んでいる必要は無いことを受け入れ、その力を抜く。”何か”がまだ残っているか確認する。掴んでいる力が抜けるまで、何度でも力を抜く。”何か”が消滅していることを確認する。④身体が存在しているこ...エクササイズ4(完結)

  • エクササイズの後に

    *エクササイズの後は、一切何もせずにホコリが沈んでいくのを静かに待つのような時間をお過ごし頂ければと思います。ホコリ(思考の暴走)が沈み、クリアになると、この「主体性の無さそのもの」が「静寂という方向性の無さそのもの」でしかなかったという何一つ手掛かりの無い”あたりまえの世界”が、何の意図もなく完璧に調和して動いていることを目撃するかもしれません。すると、やっかいだったホコリすらも「この完璧に調和された世界そのもの」でしかなかったんだなぁと、愛おしささえ込み上げてくるかもしれません。何もせずに、あるいは何かを出来るワタシ(独立した中心)なんて存在していなかったという思いの黄昏れに、くつろぎそのものが生きていることが目撃されるかと思います。*エクササイズの後に

  • エクササイズ 3

    *「思い、考え、という単純な動き」が起こることについて非二元性という永遠不変の「途切れの無さ」を、見かけ上ではあるが「個別」に切り取り、脚色を付け加えることが出来る”思考”と呼ばれるものについてのエクササイズ。【Exercise3】①まずは部屋の中にある物(例えば白いテーブルや青いマグカップ)に、物(白いテーブルや青いマグカップ)という役割から降板して頂きます。②テーブルやマグカップが「個別の物」という役割から解放されて「白い何か」と「青い何か」として存在していることを認識します。③次に「白い何か」と「青い何か」に「個別の色」という役割から降板して頂きます。色という役割から解放された「何か」は、本来の「途切れの無さそのもの」へ回帰します。④ここで改めて「マグカップや青」というような思考のフィルターを通さずに、不...エクササイズ3

  • 非二元性の探求における虚無感について

    *今日は、先日リクエストを頂きました「非二元性における虚無感」について、二つの視点から書いてみたいと思います。もし虚無感で読めなかったらいつか読める時にでもサラッと速読してね笑【視点①】この非二元性においては「個別の何か」というものが存在することが出来ないため「特定の意味付け」や「特定の価値」という概念が本当の意味で機能することはありません。ですので、主体性(二元性)を前提としなければ発生することが出来ない「虚無感」と呼ばれる感覚それ自体にも「充実感」と呼ばれる感覚それ自体にも、完全に意味はありません。そしてそれらを所有出来たり、出来なかったりするような「個別の誰かという感覚」にも全く意味は無く、「その感覚を取り除こうとする誰かという感覚」にも所有者は存在していません。もしかしたらこの文章を読むことで、肩の力が...非二元性の探求における虚無感について

  • エクササイズ 2

    *自分の声が「聞こえること」に気づく【Exercise2】①まずは一人でいることが出来る空間で予備練習をしてみます。どんな言葉でも結構ですので、職場の人など他の誰かと挨拶をしている状況を想定してみます。それでは仮に「おはようございます」と声に出してみます。どうでしょうか、この身体が発している声が聞こえてきたと思いますが、それと同時に肩まわりなどに少し力が入っていたりしなかったでしょうか。もしどこかに緊張や収縮のような感覚があったなら、まずは一度、身体をリラックスさせて、その心地良さを感じながら「おはようございます」という声を聞いてみてください。おそらく先程よりは緊張や収縮の感覚は弱まっていると思います。それでは次に「おはようございます」の後に「今日はいい天気ですね」まで続けてみます。こちらも身体の心地良さを感じ...エクササイズ2

  • エクササイズ 1

    *身体が「ここに在ること」に気づく【Exercise1】①朝目が覚めたらベッドに横たわっている身体に、ただ気づいてみて下さい。前日の夜、寝る前に「明日の朝起きたら身体に気づく」と意図するだけで、意外と忘れずに気づくことが出来ますので、意図したらあとは手放して熟睡して下さい。初日は忘れていても翌日または翌々日の朝には気づくことを思い出すと思います。※「どうしても忘れてしまう」という場合は枕元の時計に付箋などを貼っておくだけで「気づくこと」を思い出すことが出来ます。②身体を無理に起こそうとしたり、何かをさせようとはせずに、身体が本来持っている自身の心地良いペースを尊重してあげてください。身体が動こうとするならばその邪魔をせずに、動くことにより認識される「心地良さ」にただ気づいて下さい。③思考よりも「身体それ自身のペ...エクササイズ1

  • 「自動的に動くこと」の確認

    *自分の身体や思考が、客観的に”対象として見られる”ということが起こったとき、それらが独自に「主体性を持って何かを行なっている」という確信は揺らぐ。例えば「エアコンの温度が少し低すぎるかな」というような思考の動き(環境の変化)で、身体が自動的にエアコンの温度を上げようとリモコンに手を伸ばす動き。温度を上げるボタンに指が乗る動き。それを押す指。設定された温度の数字を見る目。「よし、この温度で良い」と思う思考。それらが客観的に(しかも自動的に)見られるとき、環境に自動的に反応するこの身体や思考が、本当に孤立した主体性を持っているのかどうかの確信が揺らぐ。少しでも身体や思考の自動運転が目撃されると、なんだか笑えてくると思いますので、よかったらお試しください。*→非二元(ノンデュアリティ)とは→オンライン個人セッション...「自動的に動くこと」の確認

  • 個人の底が抜け落ちる

    *このブログのような、知らない誰かの言葉なら、もしかしたらストンと腑に落ちる(底が抜ける)というようなことが起こるかもしれませんので、よろしければゆったりしたお時間にでも読んで頂けたらと思います。それでは何か書くことが起こるかそのまま知らんぷりにしてみます笑この、言葉にしようとすると”世界が整っていくような感覚”はユーモラスにさえ感じます。そんな観念の動きでさえ「非二元性そのもの」の”たわむれ”で、ちょうどこのブログと同じです笑探求者の感じる「個人とついつい呼んでしまうような主体性の感覚」も、それを維持しようとしてしまう思考(整理屋さん)も、こんな”書くこと“という動きも、ぜんぶ自動運転で自然に起こっていきます。風が自然に吹くようにです。完全オートマチックな自動運転。個人という何かが存在しないのにもかかわらず、...個人の底が抜け落ちる

  • 家事と瞑想(掃除機がけ編)

    *前回に引き続き今日は家事と瞑想シリーズの「掃除機がけ編」です。皿洗い編の応用で、ホコリや掃除機とあえて自己同一化してみてからの・・という方法が合う場合はそちらでもOKですが、今回は別のアプローチです。どうぞ。*掃除機がけ瞑想のやり方1.え?きのう掃除機かけたばっかりなのにもうホコリたまってるやん、という思考を認識する。2.掃除機のスウィッチを入れる。ウィーンという掃除機の音を認識しながら掃除を始める。3.掃除を続けながら、ウィーンという音を掃除機が出して、そこから聞こえてくるというよりも、距離ゼロの観照意識という場所(ただ意識自体に気づいている場所)で受動的にその音が起こっていることを認識する。4.ウィーンという音が観照意識との境界線をジワジワ破ってきて、観照意識がウィーンという音と同一化し「ウィーンそのもの...家事と瞑想(掃除機がけ編)

  • 家事と瞑想(皿洗い編)

    *今朝は久々に気持ちいい強めの朝日をいただき、朝のそよ風最高ということで豆乳をコップ一杯これまた最高(レモン黒酢入れたらもうスウィーツだよね)からの今です、おはようございます。今日は昨日の「走る瞑想」という記事に頂きましたコメントへのアンサー記事(皿洗い編)です。*皿洗い瞑想のやり方なぜか今日は皿洗いをどうしてもやりたくないけどやらないといけない。身体や思考や感情を客観的に観照しながらやろうと思っても今日はさすがに無理やで〜という時にぜひどうぞ^^1.山積みになったお皿と正式に対面する。2.皿洗いなんて全くやる気のない身体と、無邪気に遊んで泥まみれになって帰ってきた子猫のような目でこっちを見つめるお皿。この2つの参照点を確認する。この2点のうちいずれかに自己同一化することが出来るとしたら・・今日は迷わずお皿に自...家事と瞑想(皿洗い編)

  • 走る瞑想

    *昨日も一昨日も雨でランニングをしていない。知らん。そう、そんなことは知らん。だが身体は2日走れていない雰囲気を出している。ということで昨日は筋トレ。朝起きたら筋肉痛、からの今です。おはようございます。今朝は外を見るとなんだか大丈夫そうな雲なのでこれから走ろうかなと思いますが、その前に何となく書き出してしまったのでこのまま「走る瞑想」のやり方について少し書いてみます。*走る瞑想1.ケガのないようにきちんと準備運動をして下さい。特に朝はゆっくり心地良く感じる程度のストレッチがおすすめです。2.準備運動で少し温まった身体を客観的に感じてみて下さい。例えば手のひらに気づきを向けてみると呼吸が起こるたびに動く血流を感じられると思いますが、時間があれば全身の各部位の血流に気づきを向けてそれをただ感じてみて下さい。3.次に...走る瞑想

  • おひさまに

    *個人という分離の感覚でさえ、非二元性から絶対的に逃れることは出来ないという完全な降伏は、探求者自身も非二元性そのものである、という明白な事実をお日様にさらす。しっかりと太陽を浴びた「その事実」は、個人という記憶(感覚)に興味を無くし、浅煎のフルーティーな珈琲が起こる。そしてそよ風が起こる。深呼吸が起こる。またそよ風が起こる。腕立て伏せが起こる。認識はあるが、その持ち主はいない。たんたんと認識が湧き起こる。そよ風のように、誰にも引き止められずに消えていく。洗濯物を几帳面に干し、米を研ぎ、掃除機を雑にかける。雨が降り出す。今からランニングに行こうと思ったのに、という思考が起こって徐々に消えていく。そして”この文章を書く“が起こる。*おひさまに

  • 5月のある晴れた朝に100%の存在性に出会うことについて

    *五月のある晴れた朝、とあるビーチで100%の”存在性”とすれ違う。この存在性には「わたし」という感覚も「それを取り除きたい」という思考も何もかも全てが含まれているようで、何かを求めることも、何かを取り除こうとすることも、雲がつくられる自然現象のように(あるいはこの”書くこと”のように)ただ起こるようだ。ゆったりと歩く足を止めたかと思うとゴロンと横になり海を眺めアクビを一つする。そしておもむろに腰を上げ、去り際にひとこと口走る。そもそも「何かがこう変わるかもしれない」という観念は、分離を前提とした「わたし」だけが所有することが出来るが、自身の性質上「わたし」はその事実を受け入れることが出来ない。もちろん表面上は理解したつもりでも、いつかは「何か」に変わることを望む。だが「わたし」というものが、「わたし自身」によ...5月のある晴れた朝に100%の存在性に出会うことについて

  • 非二元性への「恐れ・不安」について

    *思考によって仮に確定されてきた「この何ものでもない認識すべて」の中には、「私や自分」と呼ばれる特別指定区域は存在せず、全てがこの「不確定さそのもの」でしかない。「個人という観念(思い込み)」がその力を失っていくなかでよく起こることが、この「不確定さ(非二元性)」への自動的な回帰(自動的な溶解)という現象に対する「恐れや不安」という思考の認識である。これは、これまで主体だとされてきた中心の消滅を連想させるため、起こるべくして起こる認識ではあるが、そもそも「自分」というものは「自分という思考や感覚」でしかなく、他の思考や感覚と全く同じように出現したり消滅したりを繰り返しており、当然のことながらそれらの所有者は存在しない。しかし、その感覚が公平に観照されると、不確定さ(未知)に由来する「恐れ・不安」と認識される動き...非二元性への「恐れ・不安」について

  • 夕方なのか夜なのか、決める。

    *何かを(例えば悟りや覚醒と呼ばれるものを)手にすることが出来た個人は一人もいないという絶対的な事実は「私(わたし)個人という認識」と「非個人という認識」が共存できないということを証明する。*今日は実験です。もしよかったらお試しください。【実験】それでは、まずは1分前の「私個人という認識」を思い出してみてください。それはどういう感じだったのか、たった今起こっている「私個人という認識」と隅から隅まで完全に一致していたのか。ゆっくりと確かめてみてください。どうでしょうか。1分前の認識と今現在の認識は少し異なっているということに気がつくかもしれません。1分前に目の前を通り過ぎた「そよ風」と、たった今通り過ぎた「そよ風」が少し異なることと同じように、1分前と今現在とで完全に継続している「個別の何か」を認識することが出来...夕方なのか夜なのか、決める。

  • 静けさ

    *「わたし」という感覚(または動き)は「静けさ」には歯が立ちません。たとえ少々さわがしい「わたし」が認識されていても「静けさ」がすぐ横にスタンバイしていたら有無を言わせずに「わたし」は「静けさ」に吸収されてしまいます。もちろん音も立てずに。しかもその吸引力は衰えないどころか吸収すればするほど強くなっていきます。あのドラゴンボールの「セル」のようにです。「静けさ」さあ、これで「わたし」という感覚をどうにか消そうとしなくてもよくなりました。なぜならその感覚を感じれば感じるほど「静けさ」がすぐにそれを吸収して、より強力な「静けさ」として広大な静寂に引き込んで行くからです。そもそも「わたし」とは台風のように環境の影響で自動的に沸き起こる「思考や感情たち」がなんとなく流れで束になってしまったもので、もしも「静けさそのもの...静けさ

  • 意識と静寂

    ■□■□■□■MENU■□■□■□■→非二元(ノンデュアリティ)とは→オンライン個人セッションについて■□■□■□■□■□■□■□■□■□■今日は実験のご紹介です。タイミングが合えばどうぞ〜*すでに非二元性そのものである「何か」が非二元性という「まだ未知の何か」をそれはこういうものだろうと独自に想定して「求める」という認識が起こっていることを確認できたら意識とは「静寂そのもの」であるという”言葉”とともに坐ることをお勧めします。*Experiment1.身体がここに存在しているという感覚に気づく。2.その感覚に気づきながら「意識は静寂そのものである」という言葉とともに「静寂そのものとして」坐る。3.これまで動き回っていた思考がゆっくりと静寂そのものになっていく様を「静寂そのものとして」目撃する。4.静寂そのも...意識と静寂

  • 余計師

    ■□■□■□■MENU■□■□■□■→非二元(ノンデュアリティ)とは→オンライン個人セッションについて■□■□■□■□■□■□■□■□■□■今日はコントです↓気楽にどうぞ〜♪※セリフは、黒の文字が「余計師さん」でグレーの文字が「番組スタッフさん」です。『余計師』さあ!長らくお待たせいたしました!皆さまお待ちかねのあの方の登場です!こんなところにまさかのあの方ですよ!準備はいいですか!それでは登場して頂きましょう!館ひろしさんです!どうぞ!!どうぞ?どうぞって館ひろしさんなんてどこにもいないじゃないですか!まさかこのハイビスカスのことを言ってるんですか?ははっ皆さんよく驚かれるんですよ。いや「ははっ」じゃないんですよもうテレビはここまで来たんか?って視聴者が驚きますよなるほど、説明が必要だったね。それでは!あらた...余計師

  • 純粋さについて

    純粋さと、神聖さのような何かをこうやって文章にしていくことはある意味で不毛なことのように思えるかもしれないが、こんな文章すらも「それらに含まれるしかない」というこのホリスティックで絶対的な事実は、全ての筆者に冒険をさせる。そして読者は多種多様なそれらの文章の中から遅かれ早かれそのエッセンス(純粋さ)を掬い取らざるを得なくなり、ある種の共鳴を起こさざるを得なくなる。もちろんこの行程は読者の”意図無し”に進行していくことになるし、そうでなければ成立しない。なぜなら全ての読者は、文字という言わば比喩的なツールを受信し、それを”自分なりに整理しながら”認識していかなければならないため、そのエッセンスは必ず”認識者”あるいは”観察者”というような個別の参照点を必要とすることとなる。ただし、全ての全ては基本的には”純粋さそ...純粋さについて

  • ワールドラフターデー

    朝起きてから夜眠るまで、毎瞬、毎瞬、「何者かになろうとする」一人の若者がいた。彼は、あまりにも何者かになろうとするのでその様子を見た周りの人々は心配し、彼のためを想って思い思いの素敵なメッセージを捧げていった。例えばある人は淳平くん、あなたはあなたなのよ。何にもならなくていいの。そのままの君で充分すばらしいじゃない。ほら、ナンバーワンよりオンリーなんとかって言うじゃない。ね、あなたにしか咲かすことの出来ない花がきっとあるんだからさ。ね、淳平くん。というようなメッセージを贈ったり、またある人は淳平さん。君はもう何にもなることなんか出来やしないんですよ。そもそもあなたは見かけの存在でここには身体と思考があるだけなんですから。だからもう諦めてくださいな。あなたという主体は幻想だ。もうあなたに出来ることなんて本当に何一...ワールドラフターデー

  • 空っぽ について

    誰もいない丘を青く染め上げるネモフィラとこの写真を見る「この目」そして視界に入る「この手」たったいまこの身体に気づくふと、身体に力が入っていたことに気づいたナンシーはその力が抜けていく替わりに静寂のようなものが自然と包み込んでくることをゆるす空と書いて「くう」と読まずに「から」と読むそこには主体のような際立った重力はなく空っぽ(からっぽ)であるこの身体とこの思考が、そしてマグカップがリモコンが空っぽでしかあり得ない「言わずもがな」を朝やけのように美しく醸し出す無為自然とはよく言ったものだナンシーは小さくつぶやく。全ては善きことのためにナンシーはステイホームへありがとうと言っておくことにした。祝日に。***お久しぶりにナンシーが登場、祝日に。物語風の気分、祝日に。せっかくだから「祈り」いうより祝います?世界を丸ご...空っぽについて

  • 「 私は在る 」が起こる直前について

    最初はクルっと丸まってたのにカメラを向けたら背筋ピーンからの明日への視線。えらい。ネコありがとう。ということで、今日は「私は在る」という認識が起こる「その直前」について少し書いてみたいと思います。※その前に「私は在る」という認識とはどういうものか?ということですが、今日の文脈ではシンプルに「たった今、意識それ自体を感じているということに気づいていること」という言葉に置き換えて頂いても大丈夫です。それではまず、いきなりですが「今、この画面を見ている」ということに気づいてみて下さい。非二元的な知識は一旦置いておいてシンプルにただ気づいてみます。「今、この画面を見ている」そのことにただ気づいてここで一旦ストップします。この画面を見ている。そのことにただ気づいている。それがシンプルに起こっている。まだストップです。この...「私は在る」が起こる直前について

  • 逆説「意識とは何か」

    今日はお休みですか?ええ、まあ。日曜はいつも休んでます。そうなんですね〜じゃあ今日はこれからお買物とかですか?いや、特に予定は無いですね。そうなんですね〜あ、前髪もう少し切ります?はい、お願いします。このくらいで?はい、そのくらいで。お客さん、ちょっと聞いてもいいですかね?あ、はい。あの〜、意識って、結局何なんですかね。はい?小錦ですか?すいません。元大関ではないです。意識です。あ、ごめんなさい。何かちょうど恥ずかしいレベルの聞き間違いしてました。こちらこそすいません。美容師が聞く質問じゃなかったです。忘れてください。いや、いいんです。実は僕も最近そんなこと考えていて、ここに来る前に近所の人と世間話してましたら何でかそんな話になりましてね、それで彼が言ってたのが「ほんなら君それ星座と一緒ちゃうか」ってことだった...逆説「意識とは何か」

  • 瞑想

    【開始】このあらゆる現れを何一つ(本当に何一つ)変えようとせずに、そのまま、ただ気付いている。気付こうとせずとも気付きが起こっていることを、方向性も足場も無い不確定そのものという現れが認める。(初めての方は10〜20分で終了)*この瞑想を初めてやる場合は早朝の静寂の中でイスに座ってリラックスして行うのがお勧めですが、慣れてきた方は散歩をしながら行ったり、人と話しながら行うのもパワフルですので宜しければお試しください。*瞑想

  • 非二元性、その要点。

    ✳︎非二元またはノンデュアリティという文脈が見据える「主体性の崩壊」において、ポイントとなるのは「わたし」という主体無きままに、その崩壊を目撃することになる「観照意識」と呼ばれる何かである。観照意識には段階のようなものが存在し、初期のものには「主体とそれ以外」という二元性に伴う緊張(収縮)が見られるが、プロセスが進むにつれてその緊張は持続性を失い、いづれは主体性というある種のシステムが放棄される。その段階では「私とそれ以外」というシステムが持ち込まれず「ただ目撃が起こる」ということになるが、これは「そう思い込む」のとは全く異なり、実際にそのように起こる。ではそのためにはどういうプロセスを踏む必要があるのか、あるいは非二元という性質上プロセスなどというものは存在し得ないのか、ということになるが、その前にこの崩壊の...非二元性、その要点。

  • 坐ること

    いいからしつこくしつこく。やっぱりもう飽きたながやって来たらそいつをしっかり見届ける。たんたんと。余計なことはせずたんたんと。腹が膨れて腹が凹み、息が入って息が出る。飽きもせずに想いが現れ居場所を探せず消えていく。観る。みる。やっぱりもういいやが現れたらでしょうね、だよね、と見届ける。たんたんと。身体がアピールしてきたら連動する思考に注目し、思考を見張りながら身体の好きにさせる。たんたんと腹が膨れて腹が凹み、息が入って息が出る。今日はこの辺でと思考が空気を読もうとしたらそいつの首輪を外してあげてどこでも自由に解き放つ。気が済んだらきっと気づきの床に静かに沁み入る。たんたんと。ゆっくり動く欲の影にその気配にそっと寄り添い消滅を見届ける。虹の残り香をしっかりと嗅いでみるようにそこには欲には実態というものが絶望的に無...坐ること

  • 【スペース】何かを得たり得なかったり停滞したり成長したりするようなこととは全く完全に完膚無きまでに関係のないただの副産物、ただの存在、始まっていないこと始まりようがないこと。何

  • mabanua

    自分自身を客観的に見る時と同様に、自分自身に〈あるいはシンプルな気づきに〉"ただ気づいてみる"と意図した時も様々なフィルターが繊細な味付けをしてしまう。もちろんそれは普通のことで味がしなければ何も味わえない。ただ、「味わおう」としない時、ここには何があるのか、言葉の二歩前で出会う。そして言葉の三歩前では振り返っても言葉の姿は見えない。所有者のいない至福という言葉の匂いがそれ自身に出会う。*mabanua

  • ながいおだい

    落とし物センターにとある一つの「知らんがな」が届いた。それを見たスタッフの皆は口々に「知らんがな〜笑」「何やこれ〜笑」「絶妙やな〜笑」とそれぞれ持ち前のツッコミを披露した。「落とし物」という設定が一つ付くことで同じ物でもシュールに面白くなってしまう物のことをスタッフの間では「知らんがな(シランガナ)」と呼んでいた。「南海さん、これお願いします。」「南海(ナンシー)さん、頑張って!」「ナンシー、よろしくな!」*ナンシーはここで働いて三年になろうとしていた。これまで数多くの落とし物に出会って来たがここまで完璧な、いや味のある「知らんがな」に遭遇したのは初めてだった。見れば見るほど立派な「知らんがな」のためか見ていると逆に満ち足りた気分になったりどうしょうもなく憂鬱な気分になったり"だから何やねん"とツッコミたくなっ...ながいおだい

  • Thanks, pray,

    ,,感謝という祈りはあるがままでしかないこれそのものという観念に備わる重さという立体性が生み出す余白を包み込み余白の拠点あるいは中心を消滅させる,,Thanks,pray,

  • no one else

    メモ物語やネタやメッセージらしきものに変化するためのモチベーションをたぶんどこかに落としてしまった通りすがりの言葉をスナップショットしたものまたは言葉のシナモンロースト*確信をつくような表現や概念はあるときには必要なこともあるのかもしれないもちろん確信扱いされる表現や概念に罪は無いそれをふまえて無限にネイティネイティネイティ始発も終点もなくこれでもないこれでもないこれでもないどれでもないなんでもない無いでもない始まりや終わりを想定する習慣にそして他には無い唯一の最高の観念に罪は無いnooneelse*nooneelse

  • 余白と自由

    メモ物語やネタやメッセージらしきものに変化するためのモチベーションをたぶんどこかに落としてしまった通りすがりの言葉をスナップショットしたものまたは言葉のシナモンロースト*余白という自由さはさながら"私という頭"の輪郭を色濃くするように感じるかもしれないが余白もそれ以外もその頭の中にしかないことが観られればその頭の中という輪郭は思考の演出に変わるもはや"私という頭"は余白そのものでしかなかったと何かがはしゃぐ余白があるから自由なのではない自由を求める何かが余白という何かを求めるというファンタジーがあるだけ自由とは自由以外があり得なくなること自由という概念が役立たなくなること自由という言葉が二元的演出でしかなくなることこのまんまここにあるままあるまま何の間にも挟まれていない間そのもの結局すべてすべてという概念が役立...余白と自由

  • 空 即 是 色

    ねぇ、アレ探しといて?え、アレって?ほら、昨日言ってたやつなんだったかな、四次元じゃなくて星野源じゃなくて・・そうだ非二元だよ、非二元。おい、マジですか、ワタシね、もう30年も探してるんですよ。そんな耳かき探すみたいに簡単に言わないでほしいなだいたいね、非二元性なんてものは探して見つかるようなものじゃないんだから。え、でも探してるんでしょ。今はあえてね。まあ、探して見つかるならいくらでも探すんだけど・・でも、違うのよもうすでに見つかってるの。え!なに?こわい見つかってるのに探してるだから違うのよ!探してるのはワタシ自身でもあるしあなたのことでもあるしなんなら全部のことなのだからもう見つかってるのでも見つからないのよ。まあ非二元性に含まれていないものなんて何一つ無いってことだけどね何っていうかねぇこの不足感がね・...空即是色

  • "動き"

    何かしらの立派な確信を持ち合わせていてもいなくても意識はひとりでに気づきからだは息を吸って吐いて頭では晩ご飯のことを考えます。どこに「私」の中心が存在していようがいまいがどんな素晴らしい考察に価値を感じようがそれらの"動き"はただその動きなりの動きで生きています。*そしてその動きをよーく見てみるとそれぞれの動きの中にはその周りの動きたち同士が自然とお互いに影響を受けあって創り上げてしまったある種の空気感や雰囲気とも言うべきチームカラーのようなものが備わっています。それは時に主体として「私」と主張する"動き"として胸を張って堂々と振る舞います。もちろんその"動き"もその動き通りにただ動きます。次第に周りのさまざまな"動き"もメトロノームのように影響し合い固定のチームカラーがさらに構築されていきます。そうなると「私..."動き"

  • アイデア

    こんにちは〜「知ること・分かること」という観念は人類史上最も不思議なアイデアだと言われていますが(さきほど言っちゃいました笑)今日は、そんな攻めたアイデアと直に触れ合うことのできる実験をご用意しました。愛孫に接するようなやさしい気持ちでどうぞ〜【実験の仕方】「それはわかりきっていること」という思いや考えが浮かんできたのを発見したら少しの間その観念のそばにいるそれが良いとかわるいとかじゃなくただそばにいるただただそばにいる✳︎ただそばにいることはその両方の参照点へのフォーカスを蒸発させる作用が働きますがただそれだけのことでもあります誰のことでもありません言葉はむずかしいでもそれもいい笑ではまた〜^^✳︎アイデア

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、niceminatoさんをフォローしませんか?

ハンドル名
niceminatoさん
ブログタイトル
ITSELF この世界で知っておくべきたった一つのこと
フォロー
ITSELF この世界で知っておくべきたった一つのこと

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用