✳︎何も解釈せず認識の全てを放っておくことと「虚無感・ニヒリズム」との関係について、よく質問されることがありますので、こちらにも書いておきます。まずシンプルに言うと、何もしない瞑想において「虚無感」も当然「思考による解釈」です。何であれ「呼ぶこと」が出来る対象は例外なく思考による解釈で、そもそも認識に対する意味や価値の無さ、あるいは虚しさという解釈をするには、個別の何か(わたし)という参照点が必要になります。例えば、何も解釈しない時間が蓄積され、それに慣れてきて、以前に比べて頻繁に思考が起こらなくなってきたタイミングに、ふいに起こる「虚無感」と呼びたくなるような微かな感情の動き。そして、虚無感として確定させ、自分のものにして、さらにそれを解決しようとする動き。もちろんこの一連の流れも、何か特別な対策をする...虚無感・ニヒリズムについて