ホームレスになって今までで一番辛かったことは何か――。私はこの質問を、折に触れて投げかけてきた。もっとも多いのは、毎日シャワーを浴びられないこと。つまり、清潔を保つことである。 では、シャワーをいつ、どこで浴びるのかと聞くと、教会や公共の支援施設などと並んで、友人の家と答える人が複数いたのには驚かされた。ホームレスの友人はホームレスで、その世界は閉じているものだとばかり思っていたからだ。
独自の視座を持つ良質のエッセイやコラムを中心に、時々アート/美術/絵画制作について等を不定期更新。
美術家になるつもりの新宅睦仁が、生まれつきの偏執的な視点で毒ありトゲありのエッセイやコラムを中心に、アート/美術/絵画制作についてつづっています。
べつに産んでくれと頼んだ覚えはない。 この種の憎まれ口は、せめて二十歳になるまでに卒業しておくべきことだと頭では理解しているが、いまだ感情が追いついてこない。 精神が幼稚なのだと言えばその通りなのかもしれない。しかし、大人という商売はとかく面倒なことばかりでうんざりする。 43歳かァ。そんなことを思いながら、私は、バーでダーツに興じる人を眺める。 老いの口で、後頭部のさびしくなっている彼は、しかし、
初めてリモートワークを経験したのは、2020年のコロナ禍であった。 私はロサンゼルスに住んでおり、現地企業でWEB関係の仕事をしていた。 騒がれ始めた当初こそ、酒好きの社長は「コロナビールを飲んでコロナをやっつけろ!」なんてしょうもない飲み会を相も変わらず続けていたが、次第に冗談ではなくなっていった。 ついに街はロックダウンされ、自宅に会社のデスクトップパソコンを持ち帰って仕事をすることになった。
グループ展「ARTIST IN REVOLT」PLAY room (オランダ) 2025/4/4-4/27
オランダで開催される以下のグループ展に参加いたします。 「急進的変革のためのポップアートという手段」 芸術と文化は、社会を一つに保つセメントのような存在です。政治が分断を助長している今こそ、芸術も戦いの舞台に立つべき時です。 『Women in Revolt(反逆する女たち)』は、アンディ・ウォーホルがプロデュースし、1971年にポール・モリッシーが監督した映画です。
ある日、行きつけのバーを訪れると、イベントの飾りつけをしていた。 聞けば、だれかの50歳の誕生日パーティがあるという。 店員のひとりが椅子の上に立ち、金地に「50」と書かれた華やかな旗を天井に張り巡らせている(ペナントガーランドというらしい)。 私はビールを飲みながら、その様子を眺めるともなく眺める。 ふと、店員の足元に目が留まる。土足で客の座る椅子に立っているのだ。
『CZ307便にご搭乗予定のシンタクトモニ様、確認させていただきたいことがございますので、チケットカウンターまでお越しください。』 中国の広州白雲国際空港で、アナウンスが流れた。 にわかに不安になる。飛行機に乗れないとか、追加料金を払えとか、荷物が無くなったとか。海外、特に空港では何が起こるかわかったもんじゃない。 しかし杞憂で、単にオランダから日本に戻るチケットはあるかという確認だった。
『CZ307便にご搭乗予定のシンタクトモニ様、確認させていただきたいことがございますので、チケットカウンターまでお越しください。』 中国の広州白雲国際空港で、アナウンスが流れた。 にわかに不安になる。飛行機に乗れないとか、追加料金を払えとか、荷物が無くなったとか。海外、特に空港では何が起こるかわかったもんじゃない。 しかし杞憂で、単にオランダから日本に戻るチケットはあるかという確認だった。
韓国の仁川国際空港に着いたのは夜の11時を回ったころだった。 とりあえずSIMを買って通信を確保して、Uberを呼ぶ。 かろうじて英語が通じるドライバーだったので、話をする。彼は昨年、日本を旅行したのだという。トーキョー、オーサカとメジャーな都市名を口にして、日本は素晴らしい国だと笑った。 小一時間ばかり走ると、いかにも歓楽街という小道に入っていく。ぎらつくネオンが増えていき、
ベトナムのハノイで酒を飲んでいると、男に声をかけられた。 身振り手振りで言うには、靴を磨かせてくれということらしい。 いくらかと尋ねると、100,000ベトナムドン(約580円)だという。 いくらか酩酊してもいた私は、面白半分で頼んでみることにした。なんと言っても、私が履いていたのはスニーカーであって、「磨く」ような代物ではないのである。 男は、まず私に靴を脱ぐよう促した。代わりに、
それは余裕である。 最近は定期的にオランダと日本を行き来しているから、なおさらそう思う。 そこらのスーパーに行って、レジに並べばわかる。 まず、店員は椅子に座っている。言うまでもなく日本では立っている。どう考えても座ってできる仕事を立ってさせるのは「合理的」でも「効率的」でもない。 一般に、合理的でも効率的でもないことをする人を「馬鹿」という。
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ホームレスになって今までで一番辛かったことは何か――。私はこの質問を、折に触れて投げかけてきた。もっとも多いのは、毎日シャワーを浴びられないこと。つまり、清潔を保つことである。 では、シャワーをいつ、どこで浴びるのかと聞くと、教会や公共の支援施設などと並んで、友人の家と答える人が複数いたのには驚かされた。ホームレスの友人はホームレスで、その世界は閉じているものだとばかり思っていたからだ。
「まじめに働けば、25万はもらえるじゃろう。手取りで20万はあるで。つつましく暮らせば十分に暮らせるじゃろうが。」 2025年現在の日本において、日夜労働に励む現役世代ならば怒りすら覚える認識だが、76になる実父が真顔で言う。 「要するに、最近の若いやつは贅沢なんじゃ」とも。 仕送りゼロという学生も珍しくない時代、やっと職を見つけても、結婚どころか、一人暮らしさえ叶わない人も多い。
おなかが痛い。 昨夜の半額の刺身か、賞味期限の近い卵を生で食ったのが悪かったか。 いや、これは食あたりの痛みではない。下痢の気配さえない。胃というか、もっと、下腹部あたりが鈍く痛む。 私は心配になって、ChatGPTに聞く。「左の脇腹あたりが痛い」と。1秒そこらで「筋肉や肋骨の問題」、「内臓の問題」、そして「神経の問題」などの可能性が列挙される。 酒飲みの中年に問題があるとすれば、
秋祭りの「神輿」のかつぎ手が足りないらしい。 「あんた、暇だったら出んさいや」と、オランダから一時帰国中の私に、母が言う。 私の地元は、かつての新型爆弾が落とされた広島市というくくりではあるが、実態はほぼ郊外である。都市部の経済回ってる感はなく、かといって小学生のころの夏休みを思い出すほど牧歌的でもない。 日本中の郊外という郊外を金太郎飴化したイオンと、
「おひとり様」は悪くない。むしろいいものだと思う。 妻の機嫌や子供の熱なんかで狼狽することもなく、好きな時に好きなことをして、自分のためだけに金を使う。どこまでも気楽で、自由である。 しかし、韓国ほど「おひとり様」の自分を呪いたくなる国もない。なぜ、あの時やこの時やその時に結婚のひとつもしておかなかったのか。 私は韓国の仁川(インチョン)にある居酒屋にいた。
ベトナムは危ない。 初心者は、道路ひとつ渡れない。 想像してみてほしい。満員御礼の東京ドームで、野球観戦を終えた観客が、全員、原付にまたがり一斉に帰ろうとしている状況を。控えめに言ってカオスである。 よほど大きな通りでなければ、横断歩道はない。信号もない。バイクの波は無限に続く。 この世にこれほど人間と原動機付自転車があったのかと、恐ろしくなる。そりゃあ、
オランダにいると物欲がなくなる。 日本に帰るとモノがほしくなる。 自分だけかと思っていたが、オランダで会う人たちは皆、同じことを口にする。 考えられる理由は三つある。 第一に、日本の広告量である。アムステルダムと、新宿渋谷あたりの画像を検索して比べてみればいい。 あの圧倒的な広告に日々さらされて、何の影響も受けないはずがない。自分の興味感心に関わらず、脳は常にあらゆる情報を処理している。 四六時中、
日本のホームレスは、4555人(2019年、厚生労働省)で、アメリカのホームレスは56万7715人(2019年、米国住宅都市開発省)。日本の人口はおよそ1億2000万、米国の人口は3億3000万ほどで、3倍もない。しかし、ホームレスの数は日本の124倍である。 「ONE BITE CHALLENGEシリーズ」を発表して以来、しばしば聞かれることがある。
アムステルダムのバーで飲んでいると、一人の女性客が入ってきた。 カウンターに座るなり、「Hi」と親しげに笑いかけてくる。どこかで会ったような気もするが、記憶にない。 金髪が胸もとにかかる、四十手前くらいだろう白人女性。一見して品のある、落ち着きのある美人である。 常連なのか、バーのオーナーの男性に勢いよく話しかける。見た目に反して、酒焼けのしたようなダミ声で、やたらと笑う。 はじめ、
2025年現在、いまだに日本人はマスクをつけている。 少なくとも、そこらを5分も歩けば必ず一人は見つかる。 海外ではもはやそんな人間はいない。 ベトナムあたりなら、大気汚染という別の問題で多くの人がつけているが、それでも屋内でつける人は皆無である。 コロナ禍は終わったはずだ。しかし、インフルエンザ、花粉症、風邪、あるいはその予防、はたまたスッピン隠しなどと称して、いまだにつけている。
土曜日の夕方、たまに行くカフェで本を読んでいると、店長の女性に話しかけられた。 今日、なにやら歌を唄う会があるという。きっとあなたにぴったりだと言うが、どこをどう見ればひとり湿っぽく読書しているおっさんと歌が結びつくのかわからない。 オランダの歌かと尋ねると、英語というか、ラララー、というか、とにかくは歌よ、という。 よくわからないし、めんどくさい。が、案外いい経験になるかもしれないと思い直し、
べつに産んでくれと頼んだ覚えはない。 この種の憎まれ口は、せめて二十歳になるまでに卒業しておくべきことだと頭では理解しているが、いまだ感情が追いついてこない。 精神が幼稚なのだと言えばその通りなのかもしれない。しかし、大人という商売はとかく面倒なことばかりでうんざりする。 43歳かァ。そんなことを思いながら、私は、バーでダーツに興じる人を眺める。 老いの口で、後頭部のさびしくなっている彼は、しかし、
初めてリモートワークを経験したのは、2020年のコロナ禍であった。 私はロサンゼルスに住んでおり、現地企業でWEB関係の仕事をしていた。 騒がれ始めた当初こそ、酒好きの社長は「コロナビールを飲んでコロナをやっつけろ!」なんてしょうもない飲み会を相も変わらず続けていたが、次第に冗談ではなくなっていった。 ついに街はロックダウンされ、自宅に会社のデスクトップパソコンを持ち帰って仕事をすることになった。
オランダで開催される以下のグループ展に参加いたします。 「急進的変革のためのポップアートという手段」 芸術と文化は、社会を一つに保つセメントのような存在です。政治が分断を助長している今こそ、芸術も戦いの舞台に立つべき時です。 『Women in Revolt(反逆する女たち)』は、アンディ・ウォーホルがプロデュースし、1971年にポール・モリッシーが監督した映画です。
ある日、行きつけのバーを訪れると、イベントの飾りつけをしていた。 聞けば、だれかの50歳の誕生日パーティがあるという。 店員のひとりが椅子の上に立ち、金地に「50」と書かれた華やかな旗を天井に張り巡らせている(ペナントガーランドというらしい)。 私はビールを飲みながら、その様子を眺めるともなく眺める。 ふと、店員の足元に目が留まる。土足で客の座る椅子に立っているのだ。
『CZ307便にご搭乗予定のシンタクトモニ様、確認させていただきたいことがございますので、チケットカウンターまでお越しください。』 中国の広州白雲国際空港で、アナウンスが流れた。 にわかに不安になる。飛行機に乗れないとか、追加料金を払えとか、荷物が無くなったとか。海外、特に空港では何が起こるかわかったもんじゃない。 しかし杞憂で、単にオランダから日本に戻るチケットはあるかという確認だった。
『CZ307便にご搭乗予定のシンタクトモニ様、確認させていただきたいことがございますので、チケットカウンターまでお越しください。』 中国の広州白雲国際空港で、アナウンスが流れた。 にわかに不安になる。飛行機に乗れないとか、追加料金を払えとか、荷物が無くなったとか。海外、特に空港では何が起こるかわかったもんじゃない。 しかし杞憂で、単にオランダから日本に戻るチケットはあるかという確認だった。
韓国の仁川国際空港に着いたのは夜の11時を回ったころだった。 とりあえずSIMを買って通信を確保して、Uberを呼ぶ。 かろうじて英語が通じるドライバーだったので、話をする。彼は昨年、日本を旅行したのだという。トーキョー、オーサカとメジャーな都市名を口にして、日本は素晴らしい国だと笑った。 小一時間ばかり走ると、いかにも歓楽街という小道に入っていく。ぎらつくネオンが増えていき、
ベトナムのハノイで酒を飲んでいると、男に声をかけられた。 身振り手振りで言うには、靴を磨かせてくれということらしい。 いくらかと尋ねると、100,000ベトナムドン(約580円)だという。 いくらか酩酊してもいた私は、面白半分で頼んでみることにした。なんと言っても、私が履いていたのはスニーカーであって、「磨く」ような代物ではないのである。 男は、まず私に靴を脱ぐよう促した。代わりに、
それは余裕である。 最近は定期的にオランダと日本を行き来しているから、なおさらそう思う。 そこらのスーパーに行って、レジに並べばわかる。 まず、店員は椅子に座っている。言うまでもなく日本では立っている。どう考えても座ってできる仕事を立ってさせるのは「合理的」でも「効率的」でもない。 一般に、合理的でも効率的でもないことをする人を「馬鹿」という。
コンテンポラリーアート、現代美術とは何か。私もまだ完全にはわかっていない。だが少なくとも、いましがた出来上がったばかりの作品だからと言って、即、現代美術になるわけではない。 それは単なる「現在美術」とでも呼ぶべきものであって、時代を表す記号としての旧石器や縄文土器と同じ程度の意味合いしか持たない。 私の考えでは、現代美術作品として成立するためには、以下の三つの条件が必須である。 (1)...
海外で働くことは、ビザに始まり、ビザで終わる。海外旅行でもビザを取得することがあるが、あれはパスポートの延長線上でしかない。就労ビザは、かつて公民権運動で争われた人権に等しい。つまり、ビザがあって始めて一人前の人間として存在できるのである。 大げさに言っているのではない。現実問題、転職エージェントは二言目にはビザはお持ちですかと聞いてくる。無いと答えると、難しいですねと言われ音信不通になる。
私には夢がある。歴史に名を刻むことだ。小学生の頃から漠然とそのような思いがあった。おそらく新宅睦仁(シンタクトモニ)という名前のせいだ。これは本名なのだが、名乗るたびに変わっていると言われる。 何でも吸収する素直な幼少期から、おまえは馬鹿だと言われ続ければ本当に馬鹿になるのと同じで、変わっていると言われれば当然変わり者になる。それで私は、自分は特別な人間で、
経済、スポーツ、科学、芸能、なんにしろ夢を持つ者なら一度はアメリカ行きを考える。それは歴史をひもとけば、粗末な丸太小屋で生まれたリンカーンが大統領にまで上り詰めた比類なきサクセスストーリーに行き着く。そこにエジソン、フォード、ディズニー、アームストロングと、偉人を挙げればきりがない。 現在も、ジョブズ、ザッカーバーグ、ベゾスと、アメリカ発のプレイヤーがリアルタイムで歴史を更新し続けている。
働くのはメシを食うためである。では働かないホームレスはメシを食わない(食えない)のかというとそういうわけではないのが現代社会の難しいところである。 近所のスーパーの植え込みの縁、あるいは地べたにミゲルはいつも丸くなって座っていた。遠くから見ると大きな灰色の塊に見える。43歳で、爆発しているようなチリチリ頭。バイキンマンみたいな高音域のダミ声はいやでも耳に残る。