アルコール依存症の病の奥底で入れ代わる光と影に自ら血を流しながらメスを入れる!
アルコール依存症は人生の転換をもたらす。 地獄の様な日々にも、きっと何処からか日が差し込む。 私や仲間の体験から、アルコール問題で悩む本人、家族の方に、 寄り添えるような記事を日々綴って行きたい。 共に歩こう……光の届くところへ。
今にも泣き出しそうなのに泣けない大人。いつでも明るくなれるのに笑わない子供。その矛盾する感情に揺れ動くのが死別体験者と言えるだろう。死別とは本書に書かれてあるように「大切であると思っていた人を喪失すること」であり、グリーフ(悲嘆)を伴う。さらに病や救えな
世界の知性、数え上げれば切りがなく、ニーチェやハイデッガー、さらに現代科学者や物理学、数学者、例えばアインシュタインなども一様に仏教に深い関心を示して、その叡智を学んでいた。 道学的なキリスト教を基盤とする西洋文明は
朝啓示によって目覚めさせられた。 それはまさに夢から覚めるようだった。ずっと考え続けてる一つの結果、小さな自己発見であり、たわいのないことかも知れないが記しておこう。私たちの生命は個別の存在として流れてゆく存在ではなく、生命全体として流れてゆく存在で
夢を見てた。森に包まれた薄暗い石段を下りたり上ったりしながら下り切ったところに昔の家がぽつんとあった。やけに重い裏口の錆び付いたドアを開け、脱ぎ散らかした靴やスリッパを隅に寄せて家に上った。すぐ右側の部屋のドアが開きっ放しで、亡くなったはずのお袋が
酒をやめようとしてもやめられず、苦しみ悩む人がこの記事を読んでくれているのだろう。私もそうだった。苦しくて悲しくて、孤独で不安でいっぱいだったあの頃。わけのわからぬ焦りもあり、自身を見失っていた。今はもう6年弱ほど断酒が出来ていて、そんな私に何か
あまりの天気の良さに浮かれて自分を取り戻すいつものフィールドに向かった。金色に輝く慈母菩薩の前、腹筋した後に石のベンチに寝転び見上げた青空は、小学校の時に初めて行ったスキー場で滑り疲れて見惚れたあの空に似ていた。 町を、
誰もが広い河の悲しみの岸辺に佇んでいる。渡る小舟を探している。時に愛は重荷となって掛け替えのない命や幸福さえ沈めてしまう。境界線上のこの刹那!渡る勇気はどこから湧いてくるのだろう。沈み方も泳ぎ方も知らない。大切な命を見送るだけで、立ち竦むだけ。何もできな
花は咲く。いつか咲く。今咲く。必ず咲く。咲き続けてゆく。不可思議な生命の永遠の途上に。生きているこの奇蹟。昨日咲いた花。今は風の中に香り立ちながら彷徨っている。どこに飛んでいったか、種だけ残し。土に眠ってまた花になる。生きているあの儚さ。今日咲いた花。今
SoundCloudというアプリに日本の歌が聴けるようになっていた。尾籠な話、トイレで何気なくiPhoneを弄っている内にそれに気づき、いつも以上に長居してしまったという次第。それだけ夢中になれるメロディーが狭い箱に臭い空気と共に充満していたってことになる。「田舎の歌
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