静岡県磐田市向笠(むかさ)の新豊院山遺跡(しんぽういんやまいせき)A~D地点は、曹洞宗 鷲渓山 新豊院の北・南・西側の丘陵尾根に立地しています。発掘調査では、縄文時代の竪穴式住居跡(たてあなしきじゅうきょあと)、弥生時代の土器棺墓(どきかんぼ)・土坑墓(どこうぼ)・
静岡県内の埋蔵文化財(遺跡古墳横穴窯跡経塚城跡砦陣屋)を探訪し地図付きで紹介。
旧石器、縄文、弥生、古墳、奈良、平安、鎌倉、南北朝、室町、戦国、江戸、明治、大正、昭和時代、原始古代中世近世の歴史、郷土史のサイト。 原則リンクフリーです。
2024年5月
縄文時代の竪穴式住居跡 弥生時代の土器棺墓,土坑墓 新豊院山遺跡 (静岡県磐田市向笠竹之内字新豊院山)
静岡県磐田市向笠(むかさ)の新豊院山遺跡(しんぽういんやまいせき)A~D地点は、曹洞宗 鷲渓山 新豊院の北・南・西側の丘陵尾根に立地しています。発掘調査では、縄文時代の竪穴式住居跡(たてあなしきじゅうきょあと)、弥生時代の土器棺墓(どきかんぼ)・土坑墓(どこうぼ)・
磐田原台地西縁辺上に築かれた円墳22基 ネット初公開 馬坂上古墳群 (静岡県磐田市匂坂上)
静岡県磐田市匂坂上(さぎさかかみ)の馬坂上古墳群(うまさかかみこふんぐん)は、磐田原台地(いわたはらだいち)西縁辺上に分布する22基の小円墳で構成。天竜川左岸(東岸)の磐田原台地には、古墳時代に多数の古墳が築かれました。茶園開墾・道路建設・土採り工事などで古墳が
古墳時代後期(6世紀)以降の円墳3基 旗差古墳群 (静岡県掛川市各和旗差)
静岡県掛川市各和(かくわ)の旗差古墳群は、古墳時代後期(6世紀)以降の築造と考えられる円墳3基で構成されています。段丘上の旗差2号墳は削平され茶園になって消滅し、旗差1・3号墳が段丘端部の山林内に残存。旗差古墳群
古墳時代中期(5世紀頃)の首長墓 墳長約49mの前方後円墳 県指定史跡 舟久保古墳 (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)高橋字舟久保904-1)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)高橋(たかはし)の県指定史跡 舟久保古墳(ふなくぼこふん)は、標高約73mの丘陵上に築かれた古墳時代中期(5世紀頃)の前方後円墳です。船窪古墳、船久保古墳と表記された文献もあります。墳長は約49m、後円部の直径約26m、後円部高さ約3.5m、前方
戦国時代 日吉丸(豊臣秀吉)が仕えた松下加兵衛の城? 掘田城跡(松下城跡) (静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)西方)
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)西方(にしかた)の掘田城跡(ほったじょうあと)は、曹洞宗 拈華山 正法寺(ねんげざん しょうぼうじ)西側の丘陵の細尾根に築かれた山城です。松下城跡とも呼ばれ、遺構(曲輪(くるわ)、土塁(どるい)、十数条の堀切(ほりきり))が確認できます。室町
縄文時代晩期(約3,300~2,800年前)の集落 馬平遺跡 (静岡県島田市阿知ヶ谷馬平)
静岡県島田市阿知ヶ谷(あちがや)の馬平遺跡(まだいらいせき)は、縄文時代晩期(約3,300~2,800年前)を中心とする集落遺跡です。明治35年(1902年)頃、道路建設のため丘陵を開墾したところ、縄文時代の石鏃(せきぞく)、石斧(せきふ)、石錐(いしきり、せきすい)、石剣(せっけん
石器を発見 縄文,平安,鎌倉時代の複合遺跡 東照宮遺跡 (静岡県島田市阪本 牧ノ原台地)
静岡県島田市阪本(さかもと)の東照宮遺跡(とうしょうぐういせき)は、縄文,平安,鎌倉時代などの複合遺跡です。東洋最大の茶園が広がる、大井川右岸の牧ノ原(牧之原)台地に所在。茶園改植(茶樹の植え替え)に伴う発掘調査では、建物跡・柱穴(ちゅうけつ、はしらあな)などの遺
古墳時代後期(6世紀) 横穴式石室を有する円墳15基? 鵜田古墳群 (静岡県島田市野田北ノ谷他)
静岡県島田市野田(のだ)の鵜田古墳群(うだこふんぐん)は、野田山(標高143.3m)東裾部の舌状台地に分布する古墳15基で構成された群集墳(ぐんしゅうふん)です。古墳時代後期(6世紀代)に築造された、主体部(埋葬施設)が横穴式石室の円墳だと考えられています。島田市大津地区(
古墳時代前期(4世紀) 銅鏡が出土した小首長墓 小深田西古墳群 (静岡県焼津市西小川(小川字小深田))
静岡県焼津市西小川(小川字小深田)の小深田西古墳群(こふかだにしこふんぐん)は、古墳時代前期前半(4世紀前半頃)の築造と考えられる方墳5基(4基?)で構成されています。大井川水系によって形成された、沖積地(大井川平野)の小川(こがわ)微高地上(標高約3m)に立地。昭和57年
縄文時代後期,晩期の集落 平地式住居跡,集石墓,貯蔵穴 市指定史跡 清水天王山遺跡 (静岡県静岡市清水区(旧清水市)宮加三)
静岡県静岡市清水区(旧清水市)宮加三(みやかみ)の市指定史跡 清水天王山遺跡(しみずてんのうざんいせき)は、縄文時代から古墳時代にかけての複合遺跡です。縄文時代後期・晩期の集落で、発掘調査では平地式住居跡3軒、集石墓、貯蔵穴などが見つかっています。静岡県中部を
西国三十三番観音霊場札所巡りにならったミニ巡礼 臨済宗妙心寺派 吸江山 平田寺 (静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)大江459)
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)大江(おおえ)の臨済宗妙心寺派 吸江山 平田寺(きゅうこうざん へいでんじ)は、鎌倉時代の弘安6年(1283年)に龍峯宏雲(りゅうほう こううん)が開きました。平田寺の裏山には、西国三十三番観音霊場札所巡りにならったミニ巡礼コースがあります
奈良,平安,鎌倉時代 須恵器,灰釉陶器,山茶碗を焼いた 助宗古窯跡群 (静岡県藤枝市助宗)
静岡県藤枝市助宗(すけむね)の助宗古窯跡群(すけむねこようせきぐん)は、奈良~平安時代に須恵器、平安~鎌倉時代には灰釉陶器(かいゆうとうき)・山茶碗(やまぢゃわん)を焼いていました。別名は助宗窯跡群で、山茶碗の窯跡としては東海地域最東端です。100基以上の窯跡が、
戦国時代 今川氏重臣の庵原氏が築城 庵原城跡 (静岡県静岡市清水区(旧清水市)草ヶ谷 臨済宗妙心寺派 高部山 大乗寺の北)
静岡県静岡市清水区(旧清水市)草ヶ谷(くさがや)の庵原城(いはらじょう)は、戦国時代に今川氏の重臣 庵原氏が築城したといわれています。別名は城山(しろやま)、庵原山城(いはらやまじょう)。新東名(第二東名)高速道路建設のため、庵原城跡の南側半分で発掘調査が行われまし
溝で囲まれた中世居館 市指定史跡 十二所居館跡(諸井十二所居館) (静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井字十二所)
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井(もろい)の十二所居館跡(じゅうにしょきょかんあと)は、浅羽低地(あさばていち)の微高地(河川が運んだ土砂の堆積した自然堤防上)に築かれた中世居館跡です。諸井十二所居館(もろいじゅうにしょきょかん)、心宗院居館跡(しんそういんきょか
今川義元の祖母 駿河国守護今川義忠の正室 北川殿の墓所 曹洞宗 大窪山 徳願寺 (静岡県静岡市駿河区向敷地689)
静岡県静岡市駿河区向敷地(むこうしきじ)の曹洞宗 大窪山 徳願寺には、駿河国守護 今川義忠(いまがわ よしただ)の正室 北川殿の墓(五輪塔)があります。北川殿は、今川義元(いまがわ よしもと)の祖母です。奈良時代の養老元年(717年)、徳願寺は真言宗の寺院として創建。
戦国時代 今川氏,武田信玄,徳川家康の山城 丸子城(宇津谷城,三角城) (静岡県静岡市駿河区丸子字泉ヶ谷)
静岡県静岡市駿河区丸子(まりこ)の丸子城(宇津谷城、三角城)は、室町時代の応永年間(1394~1428年)に駿河国の守護大名 今川氏の家臣 斎藤安元が築造しました。室町時代末期(戦国時代)の永禄11年(1568年)、駿河(静岡県中部)に侵攻した甲斐(山梨県)の戦国大名 武田信玄(たけ
戦国時代 徳川家康が攻略した武田水軍の拠点 持舟城(用宗城) (静岡県静岡市駿河区用宗城山町)
静岡県静岡市駿河区用宗(もちむね)の持舟城(もちふねじょう)は、戦国時代に徳川家康が攻略した武田水軍の拠点の山城です。用宗城(もちむねじょう)とも呼ばれます。江戸時代までの持舟城周辺は、北側は深田と沼地・西側は交通の難所の大崩海岸・南側の城下は駿河湾の入江に
江戸時代 東海道袋井宿を支配した川井代官の墓 曹洞宗 玉照山 円通寺 (静岡県袋井市川井431-1)
静岡県袋井市川井(かわい)の曹洞宗 玉照山 円通寺(えんつうじ)には、歴代の川井代官の墓があります。江戸時代前期の寛永10年(1633年)頃、幕府が遠江国山名郡(とおとうみのくに やまなぐん) 袋井宿周辺の天領(幕府の直轄地)8万石余りを支配するため、円通寺の南側に川井代
戦国時代 宇刈七騎のひとり村松氏が築城? 本庄山砦 (静岡県袋井市春岡字春日山)
静岡県袋井市春岡(はるおか)の本庄山砦(ほんじょうざんとりで)は、曹洞宗 安養山 極楽寺の北側にある春日山(標高約70m)に築かれた平山城です。砦の南方(小字天白)には、村松武大夫館跡と伝えられる場所があります。戦国時代の永禄年間(1558~1570年)に、宇刈七騎のひとりで
横穴式石室から箱形石棺が見つかった円墳 ネット初公開 代之谷古墳 (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)川上字代之谷 八幡神社境内)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)川上(かわかみ)の代之谷古墳(だいのやこふん)は、古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた横穴式石室を有する円墳です。八幡神社境内に単独で所在する古墳で、箱形石棺が見つかっています。代之谷古墳
平安時代末期から鎌倉時代(12~13世紀) 灰釉陶器,山茶碗,仏具,瓦を焼いた 皿山古窯跡群 (静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)和田)
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)和田(わだ)の皿山古窯跡群(さらやまこようせきぐん)は、平安時代末期から鎌倉時代(12~13世紀)にかけて、灰釉陶器(かいゆうとうき)・山茶碗(やまぢゃわん)・仏具(ぶつぐ)・瓦(かわら)などを焼いていた窯跡です。平成14年(2002年)の排水路建設
江戸時代 大井川下流右岸に築かれた堤防 成因寺堤跡 (静岡県榛原郡吉田町川尻高畑)
静岡県榛原郡吉田町川尻(はいばらぐん よしだちょう かわしり)高畑の成因寺堤跡(じょういんじづつみあと)は、江戸時代に大井川下流右岸の平野へ築かれた堤防跡です。川尻(かわしり)は河口を意味する地名で、大井川が増水する度に洪水が発生して堤防は決壊。民家・寺・神社
2024年5月
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静岡県磐田市向笠(むかさ)の新豊院山遺跡(しんぽういんやまいせき)A~D地点は、曹洞宗 鷲渓山 新豊院の北・南・西側の丘陵尾根に立地しています。発掘調査では、縄文時代の竪穴式住居跡(たてあなしきじゅうきょあと)、弥生時代の土器棺墓(どきかんぼ)・土坑墓(どこうぼ)・
静岡県磐田市匂坂上(さぎさかかみ)の馬坂上古墳群(うまさかかみこふんぐん)は、磐田原台地(いわたはらだいち)西縁辺上に分布する22基の小円墳で構成。天竜川左岸(東岸)の磐田原台地には、古墳時代に多数の古墳が築かれました。茶園開墾・道路建設・土採り工事などで古墳が
静岡県掛川市各和(かくわ)の旗差古墳群は、古墳時代後期(6世紀)以降の築造と考えられる円墳3基で構成されています。段丘上の旗差2号墳は削平され茶園になって消滅し、旗差1・3号墳が段丘端部の山林内に残存。旗差古墳群
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)高橋(たかはし)の県指定史跡 舟久保古墳(ふなくぼこふん)は、標高約73mの丘陵上に築かれた古墳時代中期(5世紀頃)の前方後円墳です。船窪古墳、船久保古墳と表記された文献もあります。墳長は約49m、後円部の直径約26m、後円部高さ約3.5m、前方
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)西方(にしかた)の掘田城跡(ほったじょうあと)は、曹洞宗 拈華山 正法寺(ねんげざん しょうぼうじ)西側の丘陵の細尾根に築かれた山城です。松下城跡とも呼ばれ、遺構(曲輪(くるわ)、土塁(どるい)、十数条の堀切(ほりきり))が確認できます。室町
静岡県島田市阿知ヶ谷(あちがや)の馬平遺跡(まだいらいせき)は、縄文時代晩期(約3,300~2,800年前)を中心とする集落遺跡です。明治35年(1902年)頃、道路建設のため丘陵を開墾したところ、縄文時代の石鏃(せきぞく)、石斧(せきふ)、石錐(いしきり、せきすい)、石剣(せっけん
静岡県島田市阪本(さかもと)の東照宮遺跡(とうしょうぐういせき)は、縄文,平安,鎌倉時代などの複合遺跡です。東洋最大の茶園が広がる、大井川右岸の牧ノ原(牧之原)台地に所在。茶園改植(茶樹の植え替え)に伴う発掘調査では、建物跡・柱穴(ちゅうけつ、はしらあな)などの遺
静岡県島田市野田(のだ)の鵜田古墳群(うだこふんぐん)は、野田山(標高143.3m)東裾部の舌状台地に分布する古墳15基で構成された群集墳(ぐんしゅうふん)です。古墳時代後期(6世紀代)に築造された、主体部(埋葬施設)が横穴式石室の円墳だと考えられています。島田市大津地区(
静岡県焼津市西小川(小川字小深田)の小深田西古墳群(こふかだにしこふんぐん)は、古墳時代前期前半(4世紀前半頃)の築造と考えられる方墳5基(4基?)で構成されています。大井川水系によって形成された、沖積地(大井川平野)の小川(こがわ)微高地上(標高約3m)に立地。昭和57年
静岡県静岡市清水区(旧清水市)宮加三(みやかみ)の市指定史跡 清水天王山遺跡(しみずてんのうざんいせき)は、縄文時代から古墳時代にかけての複合遺跡です。縄文時代後期・晩期の集落で、発掘調査では平地式住居跡3軒、集石墓、貯蔵穴などが見つかっています。静岡県中部を
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)大江(おおえ)の臨済宗妙心寺派 吸江山 平田寺(きゅうこうざん へいでんじ)は、鎌倉時代の弘安6年(1283年)に龍峯宏雲(りゅうほう こううん)が開きました。平田寺の裏山には、西国三十三番観音霊場札所巡りにならったミニ巡礼コースがあります
静岡県藤枝市助宗(すけむね)の助宗古窯跡群(すけむねこようせきぐん)は、奈良~平安時代に須恵器、平安~鎌倉時代には灰釉陶器(かいゆうとうき)・山茶碗(やまぢゃわん)を焼いていました。別名は助宗窯跡群で、山茶碗の窯跡としては東海地域最東端です。100基以上の窯跡が、
静岡県静岡市清水区(旧清水市)草ヶ谷(くさがや)の庵原城(いはらじょう)は、戦国時代に今川氏の重臣 庵原氏が築城したといわれています。別名は城山(しろやま)、庵原山城(いはらやまじょう)。新東名(第二東名)高速道路建設のため、庵原城跡の南側半分で発掘調査が行われまし
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井(もろい)の十二所居館跡(じゅうにしょきょかんあと)は、浅羽低地(あさばていち)の微高地(河川が運んだ土砂の堆積した自然堤防上)に築かれた中世居館跡です。諸井十二所居館(もろいじゅうにしょきょかん)、心宗院居館跡(しんそういんきょか
静岡県静岡市駿河区向敷地(むこうしきじ)の曹洞宗 大窪山 徳願寺には、駿河国守護 今川義忠(いまがわ よしただ)の正室 北川殿の墓(五輪塔)があります。北川殿は、今川義元(いまがわ よしもと)の祖母です。奈良時代の養老元年(717年)、徳願寺は真言宗の寺院として創建。
静岡県静岡市駿河区丸子(まりこ)の丸子城(宇津谷城、三角城)は、室町時代の応永年間(1394~1428年)に駿河国の守護大名 今川氏の家臣 斎藤安元が築造しました。室町時代末期(戦国時代)の永禄11年(1568年)、駿河(静岡県中部)に侵攻した甲斐(山梨県)の戦国大名 武田信玄(たけ
静岡県静岡市駿河区用宗(もちむね)の持舟城(もちふねじょう)は、戦国時代に徳川家康が攻略した武田水軍の拠点の山城です。用宗城(もちむねじょう)とも呼ばれます。江戸時代までの持舟城周辺は、北側は深田と沼地・西側は交通の難所の大崩海岸・南側の城下は駿河湾の入江に
静岡県袋井市川井(かわい)の曹洞宗 玉照山 円通寺(えんつうじ)には、歴代の川井代官の墓があります。江戸時代前期の寛永10年(1633年)頃、幕府が遠江国山名郡(とおとうみのくに やまなぐん) 袋井宿周辺の天領(幕府の直轄地)8万石余りを支配するため、円通寺の南側に川井代
静岡県袋井市春岡(はるおか)の本庄山砦(ほんじょうざんとりで)は、曹洞宗 安養山 極楽寺の北側にある春日山(標高約70m)に築かれた平山城です。砦の南方(小字天白)には、村松武大夫館跡と伝えられる場所があります。戦国時代の永禄年間(1558~1570年)に、宇刈七騎のひとりで
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)川上(かわかみ)の代之谷古墳(だいのやこふん)は、古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた横穴式石室を有する円墳です。八幡神社境内に単独で所在する古墳で、箱形石棺が見つかっています。代之谷古墳
静岡県島田市金谷(旧榛原郡金谷町)の島田市立金谷図書館 展示コーナーで、国指定史跡 諏訪原城跡(すわはらじょうあと)の発掘調査で見つかった出土品や関連資料を展示した企画展『諏訪原城の魅力―近世城郭につながる山城―』が開催されました。諏訪原城は、戦国時代の天正
静岡県島田市金谷(旧榛原郡金谷町)代官町(だいかんちょう)の島田市立金谷図書館 展示コーナーで、 企画展『これからどうなる!?諏訪原城―平成25年度の発掘調査の成果と史跡整備事業―』が開催されました。史跡整備のため発掘調査を実施した国指定史跡 諏訪原城跡の関連資
静岡県島田市金谷(旧榛原郡金谷町)代官町(だいかんちょう)の島田市立金谷図書館 展示コーナーで、 企画展『諏訪原城(すわはらじょう)と史跡整備された山城写真展』が開催されました。史跡整備のため発掘調査を実施した国指定史跡 諏訪原城跡の出土品や、絵図・推定復元図な
静岡県内の公共施設で開催された、静岡県埋蔵文化財センター巡回展『いつもそばに動物(きみ)がいた ~出土品から知るヒトと動物の歴史~』の様子を紹介します。県内の遺跡・古墳から出土した動物に関わりのある遺物(石器・土器・陶磁器・馬具・動物の骨)を展示する考古学展
静岡県浜松市中区東伊場(ひがしいば)の伊場遺跡(いばいせき)は、縄文時代から鎌倉時代にかけて断続的に集落が営まれてきた場所です。史跡公園として整備された伊場遺跡公園(いばいせきこうえん)には、古墳時代の竪穴式住居(たてあなしきじゅうきょ)や律令期(奈良、平安時代
静岡県浜松市中区蜆塚(しじみづか)の蜆塚公園(しじみづかこうえん)には、縄文時代後期~晩期(約4,000~3,000年前)の貝塚集落である国指定史跡 蜆塚遺跡(しじみづかいせき)と、蜆塚古墳群(しじみづかこふんぐん)、浜松市博物館があります。浜松市博物館は、縄文時代の蜆塚遺
静岡県浜松市中区蜆塚(しじみづか)の蜆塚公園(しじみづかこうえん)には、縄文時代後期~晩期(約4,000~3,000年前)の貝塚集落である国指定史跡 蜆塚遺跡(しじみづかいせき)と、蜆塚古墳群(しじみづかこふんぐん)、浜松市博物館があります。浜松市博物館は、縄文時代の蜆塚遺
静岡県浜松市中区蜆塚(しじみづか)の蜆塚公園(しじみづかこうえん)には、縄文時代後期~晩期(約4,000~3,000年前)の貝塚集落である国指定史跡 蜆塚遺跡(しじみづかいせき)と、蜆塚古墳群(しじみづかこふんぐん)、浜松市博物館があります。浜松市博物館は、縄文時代の蜆塚遺
静岡県浜松市中区蜆塚(しじみづか)の蜆塚公園(しじみづかこうえん)には、縄文時代後期~晩期(約4,000~3,000年前)の貝塚(かいづか)・集落(ムラ)である国指定史跡 蜆塚遺跡(しじみづかいせき)と、蜆塚古墳群(しじみづかこふんぐん)、浜松市博物館があります。浜松市博物館は
静岡県浜松市中区蜆塚の蜆塚公園(しじみづかこうえん)には、縄文時代後期~晩期(約4,000~3,000年前)の貝塚集落である国指定史跡 蜆塚遺跡(しじみづかいせき)と、蜆塚古墳群(しじみづかこふんぐん)、浜松市博物館があります。浜松市博物館は、縄文時代の蜆塚遺跡、弥生時代
静岡県焼津市(旧志太郡大井川町)宗高(むねだか)の宗高権現(むねだかごんげん)は、市指定史跡 徳川家康公床机据え跡(とくがわいえやすこう しょうぎすえあと)です。安土桃山時代末期の慶長6年(1601年)と江戸時代初期の11年(1606年)、鷹狩りでこの地を訪れた徳川家康(とくが
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)静波(しずなみ)の白百合遺跡(しらゆりいせき)は、弥生・奈良時代、中世(平安時代末期から鎌倉時代)にかけての複合遺跡です。 海浜平野の砂堤列上(標高約3m)に築かれた集落で、当時は今よりも海岸が近くにありました。地表から約1mの深さで
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)静波(しずなみ)の白百合遺跡(しらゆりいせき)は、弥生・奈良時代、中世(平安時代末期から鎌倉時代)にかけての複合遺跡です。 海浜平野の砂堤列上(標高約3m)に、集落が営まれていました。発掘調査では、弥生土器(やよいどき)、胎児(たいじ)
静岡県焼津市鰯ヶ島(いわしがしま)には、再現された明治時代の石造り防潮堤(ぼうちょうてい)があります。明治時代後期まで簡単な波除けの堤しか無く、暴風雨の荒波によって民家・船が度々被害を受けていたため、静岡県へ防潮堤建設を陳情。明治32~40年(1899~1907年)、静
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂口(さかぐち)の「堂ヶ谷廃寺・堂ヶ谷経塚(堂ヶ谷遺跡)」(どうがやはいじ・どうがやきょうづか(どうがやいせき))は、富士山静岡空港建設に伴う調査で見つかりました。平成17年(2005年)5月から平成19年(2007年)3月に、発掘調査を実施。富士
静岡県袋井市は、江戸時代前期の元和2年(1616年)までに東海道 袋井宿(ふくろいしゅく)が整備されました。東海道五十三次の、江戸と京都のちょうど中間にあたる27番目の宿場です。袋井市立袋井図書館で開催された、企画展『袋井宿とまわりの風景展』の様子を紹介します。浮
静岡県静岡市駿河区谷田(やだ)の谷田古墳群(やだこふんぐん)は、静岡県立美術館がある有度丘陵(うどきゅうりょう)の谷田原に分布する古墳時代後期(6世紀)・終末期(7世紀)の大規模な後期群集墳です。昭和30年代には、静岡大学が谷田古墳群に含まれる下中林1号墳(しもなかば
静岡県静岡市駿河区登呂(とろ)の国指定特別史跡 登呂遺跡(とろいせき)は、静岡平野に立地する弥生時代後期(約1,900年前)のムラ(集落)です。周辺は登呂公園として史跡整備され、小さな区画に区切られた弥生時代の水田と、復元住居・高床式倉庫が並んだムラを再現。公園内の
静岡県静岡市駿河区登呂(とろ)の国指定特別史跡 登呂遺跡(とろいせき)は、静岡平野に立地する弥生時代後期(約1,900年前)のムラ(集落)です。周辺は登呂公園として史跡整備され、小さな区画に区切られた弥生時代の水田と、復元住居・高床式倉庫が並んだムラを再現。公園内の
静岡県静岡市清水区(旧清水市)庵原町(いはらちょう)の午王堂山古墳群(ごおうどうやまこふんぐん)は、前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)1基(3号墳)、前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)または円墳(えんふん)1基(1号墳)、方墳(ほうふん)1基(2号墳)で構成。午王堂山1・2号墳は