地際から伸びた枝に咲いた。頂部にある新芽からの枝はまだ伸びていない。
沢山ある蕾の中から一花咲いた。
8月に咲くのは初めてのことと記憶する。
蜘蛛は肉食ひょっとしたらこのアリは
ここ二・三年この姿を見なかった。突然目の前の南天の葉に止まったのと十六ささげの花にいたのを見た。
落ちた種があちこちで芽を出し花を咲かせている。
どこが虎の尾なのかよく分からない。
体長5�o以下だろう。小さな蜘蛛である。脱皮した抜け殻のようなものが見える。 2.0アンダーぐらいで撮ったが、まだオーバーになってしまった。老人力は限界、撮り直す気力がない。
そこそこの数飛んでいる。イチモンジセセリは全く姿を見せない。
花のころはあまり気にかけることなく過ぎてしまった。実が出来て数の多さに驚く。
今年は胡瓜が豊作だった。
何かの卵だろうかハナズオウの枝に巻き付いていた。
実がぎっしりと出来ている。
引っ張ると根も一緒に抜けてくるので、除草がし易い草である。
花の中に何かいるようだったので撮ってみた。蜂の仲間のようなのがいた。
花後沢山の実が出来るが、時期を過ぎると殆どが落ちてしまう。私見だが落ちるのは雄蕊で、一本の木に一個だけ雌蕊があってそれが結実すると思う。これが、その実である。
この草は一般に地面を這うように成長するが、近辺に背が高い草があると上に伸びるのもある。
かつては孫、子もいて大勢で送ったが、今は二人で寂しく送っている。まもなく送られる方に入ることになるが、その習わしも潰えそうである。
10年ほど前からお寺の行事には参加しないことにしている。 この時期多くのお寺さんでは棚経を上げるため、坊さんは檀家巡りに忙しいのだが、我が旦那寺はそれをやめて檀家を寺に集めての盆供養を行うという手抜きスタイルにしてしまった。老人は暑い中出かけたくない。坊主はもっと汗をかけ。
今年はカメムシの当たり年と聞く。いろんな種がいてそれぞれが好みの植物に取りつくようだ。 トマトとか十六ささげに付くのは、我らが食する以前にその実の主要なエキスを吸い取ってしまうようで歓迎できない。
今夕、迎え火を焚いてご先祖様を迎え、15日に送り火を焚いてお帰り頂く。 主役の供花が鬼灯である。お店に並べられるほど立派なものではないが、そこそこできた。
暑さに強い。強烈な太陽光線のもとで花をつける。 地面一面にびっしりと生える。手で抜くと根が残ることが多い。万能で引っ搔いた。
あちこちに十数本出てきて咲いた。花一つだけのものが多い。
ハナズオウの葉っぱが穴だらけになった。葉っぱの裏にはカナブンがいっぱいいた。彼らが食べたのだろう。
77回目の原爆忌。 爆心地より1.4�qの病院に入院していて奇跡的に助かった竹山広さんの詠んだ歌を載せます。 竹山広歌集『とこしへの川』 申しわけのごとき傷ひとつ脇腹に忘れをりたる夜半疼きくる 暗がりに水求めきて生けるともなき肉塊を踏みておどろく 爆心地より千四百米の距離にゐて生きたれば生きしゆゑにくるしむ 日本放送協会; NHK出版. NHK こころをよむ今野寿美『危機の時代の歌ごころ』 2022年 7月〜…
今年は畑に空き地出来ず、遅れを蒔くのが遅れた。 そのせいか茎や葉っぱはしっかり成長しても花がなかなか咲かない。花が咲かなければ実はならない。
秋立つ。 あちこちでこの毛むくじゃらが顔を出す。そのたびごとに抜くのである。ちょっと面倒だが、最近は抜いたその穂を可燃ごみの袋に入れて種が落ちないように心掛けている。
77年前広島では何の罪もない人々が殺され日常を奪われた。 そして今、ロシアのプーチン大統領はは核のボタンを手元に配備している。ひょんなことで広島の再現が起こるかもしれない状況にある。 敵が攻めてくるという幻想に陥ると、そのもとの除去こそが最大の防御と言う考えに至り、敵地に対しての際限ない殺戮と破壊を繰り返すことになる。 この戦争のどこに終わりがあるのだろう。 プーチンさんよゼレンスキ…
ジャムにするほどの数はない。数粒食べた。
開花しているのが見当たらない。
熱暑が続く。熱中症対応力をつけなくてはと炎天下の日陰を選んで一時間程度は草取りをしたりして外で過ごしている。 涼しい部屋へ戻ると一気に汗が噴き出す。ちょっと不思議である。健康維持のためには発汗は必要なことだと信じている。 子供のころには、この時期暑い中、田んぼで田の草取りをしていた。 今年は一本だけ出てきて咲いた。一年生草であるが、細々と生命をつないでいる。慎ましやかさを感じる。
春花が咲いた。その時去年の実が一個残っていた。そして秋を待たずこんな実が沢山出来た。
枝豆として食べるべく20株ほど植えた。花は小さい。 今はもう実の莢が出来ている。中の豆が膨らむのを待つ。
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地際から伸びた枝に咲いた。頂部にある新芽からの枝はまだ伸びていない。
花が咲き、数日で実が出来る。
そこそこ咲きだした。
片隅に一花咲いていた。15年以上前に我が家では絶滅したと思っていた。隣近所で目にするので、再来したのだろう。
いっぱいあるトゲに触れると猛烈な痛みに襲われる。 多くの生き物との共生は私のモットーであるが、この子だけは例外である。
カメムシ初見。椿の実の上にいた。
今年、最初に咲いた一本は、クリーム色だった。それに続いて咲きだしたのは全てこの赤色のものばかり。
今年はそこそこ熟すまで実が残った。既にかなりの数が胃の中に入った。
除草に努めているが、咲いたのもある。
あちこちで咲きだした。
栄養不足か、水不足か、背丈が低い。
去年はアブラゼミを見ることがなかった。クマゼミは元気だった。 我が家では40年ほど前には列をなして鳴いている姿を見ることができた。 それからはピタッといなくなってしまって、数年前に一度だけ見たことがあるだけである。 草取りをしていたら、草の中に目玉が見えた。注意深く取り出したが、片方の翅がなかった。 羽化間もない感じである。マユミの根元においたら登りだした。そして落ちてしまった…
あちこち飛び回る。そこそこピントが合ったのはこの一枚だけ。お尻の形から推測すると卵を産み付けているようだ。木は梔子。毎年のように梔子は葉っぱが丸坊主になるほど食い荒らされる。ひょっとしたらオオスカシバの幼虫が犯人なんだろうか。いや犯虫。
今年も沢山実が生った。
カミキリムシの幼虫は樹木の芯に入り込んで成長する。その樹木を丸ごと枯らしてしまう。 あちこち歩き回る。沢山撮らされた。
茎が数本伸びてその頂部に沢山の花をつける。
地上を走りまわっている姿はよく見かげるが、草花などの上も走り回っているようだ。
去年は他の植物の下入ってしまって花の数が少なかったが、今年は旧に復した花数となった。
あちこちから出てきて咲いた。 開花前、蕾が球状になっています。
蜜柑に止まっていた。ここで生まれて育つ。蜜柑はアゲハの生命維持の木である。
野菜畑の中に生えていた。種がいっぱいできていた。撮影後すぐ抜いた。
15時ごろから咲きだす。 増えて来るので抜くと地上部だけちぎれて、根を残し生き続けている。
背後方面からやってきた。関心なさそうに通りすぎて行く。夏毛なのかスケスケで皮膚が見えるようにも見える。貧相な感じを受ける。 しばらく行ったところで一休み。知らんふりはしているが、気は背後に向けている。 梅雨明ける。 高温の日が続くと予報。熱中症に気を付けろとテレビは垂れ流す。 暑い夏こそ外へ出て汗を掻こうと言いたい。 発汗により体内の老廃物を排出してこそ健全な体になるような気がするのである…
4本出てきた。花が大きくて自立できない。花の顔を地面につけているので、切って花瓶に入れたりした。
あちこちから出てきて咲いた。色々な色があったが、今はこの色のみとなった。
地上数センチメートルのところで沢山の葉っぱに守られて咲いている。実生状態ではとても撮影できない。花の部分を抜いて撮影。 青っぽい実が出来る。
花の上を大きな洋種ヤマゴボウが覆ってしまっていた。ヤマゴボウを切ったら花の顔が出た。が、多くはもう萎んでいた。それでもモンシロチョウが食事をしていた。
夕方蕾を見つけた。開花始めたところから何度か撮影した。網状の花びらがすべて開くところを撮りたかった。 しかし、先客がいて出て来る糸状の花びらをあちこち虫食んでいる。ウリハムシだ。更に目を移すとツユクモも潜んでいる。 こんな夜中にそれぞれが知らないところで生活している。
篠田の多くの作品には崩し文字のような線が表現されている。作品を見る度に元来の字を想起するのだが、出て来るのはいつも「女」だった。今回この展覧会の解説を見て「月」であることを知った。むべなるかなである。宇宙を自然世界を表現しようとしていると思われる作家にとって「女」ではあまりに小さすぎる。 かつて見た作品群に比べると小ぶりで装飾性が高いものが多いと感じた。またリトグラフの作品も多数あった。リト…
梅の葉っぱにいた。右側の足が足らないように見える。
もう結実している。熟成を待つ。
ハナズオウの葉っぱに透けたようなのがあって、気になっていた。 葉の裏を覗いて見ると居るは居るは。葉っぱごと退治した。 今年はまだ刺されていないが、木々の葉っぱに近づくときは注意しなくてはならない。用心用心。
処分しきれない。種がこぼれるのだろう。敷石の隙間からも生えて来る。 一日花とも言われて、花は開花して一日で萎む。
実が出来るころには刈り取らなくてはならない。至る所で生えていて見つけ次第抜いているのだが、結構大変です。
七夕。 ハナミズキの幹にいた。
花がない小さな幹にもできる。花を咲かせなくても増殖できると言うことだろうか。
あちこち色々なところにいる。自然界の清掃係とも聞く。人間にとってはありがたい存在と言えそう。
熟して美味しそうである。このまま食べられないのだろうか。
抜いても抜いても出て来る。