旅の記憶の連載も十数話をへて、ネタ切れになりそうですが、牛の涎のように途切れそうで途切れないものです、牛の歩みのようにゆったりしっかり進めたいと念じています。 旅人といえば松尾芭蕉、芭蕉は3月の末、片雲の風に誘われたかのように旅立ちの日を迎えます。旧暦のことですから現在では5月の終わりころになるでしょうか(この年は閏月が加わったことから現在とは2ヶ月のずれが生じた)。 -奥の細道 旅たちの初句は「草の戸も 住替わる代ぞ ひなの家」とあります。 「ひなの家」は三月節句によりひな人形を飾った家というよりの、雛人形を飾るような女児の住む家になったという意味とされています。ただ「ひなの家」は春の季語ではあります。 今年の春はウイルス蔓延のため陰鬱な幕開けとなりましたが、気持ちは豊かにありたいものです。五道庵竹二坊は芭蕉の遺徳を慕って、野原文殊寺に芭蕉塚を築き碑も建てました。五道庵は..
旅の記憶の連載も十数話をへて、ネタ切れになりそうですが、牛の涎のように途切れそうで途切れないものです、牛の歩みのようにゆったりしっかり進めたいと念じています。 旅人といえば松尾芭蕉、芭蕉は3月の末、片雲の風に誘われたかのように旅立ちの日を迎えます。旧暦のことですから現在では5月の終わりころになるでしょうか(この年は閏月が加わったことから現在とは2ヶ月のずれが生じた)。 -奥の細道 旅たちの初句は「草の戸も 住替わる代ぞ ひなの家」とあります。 「ひなの家」は三月節句によりひな人形を飾った家というよりの、雛人形を飾るような女児の住む家になったという意味とされています。ただ「ひなの家」は春の季語ではあります。 今年の春はウイルス蔓延のため陰鬱な幕開けとなりましたが、気持ちは豊かにありたいものです。五道庵竹二坊は芭蕉の遺徳を慕って、野原文殊寺に芭蕉塚を築き碑も建てました。五道庵は..
江南文化財センターでは全市的な新型コロナウイルス対策の一つとして職員を2班体制に分けた時差出勤を行っています。出勤を前に朝の塩古墳群を訪れてみました。県指定文化財史跡の塩古墳群には墳形が残存している古墳が多く、4世紀以降の貴重な遺構です。出土した資料なども歴史的価値があり、注目を集めている史跡です。朝の陽光を受け、杉林に囲まれた雰囲気は写真映えも良く、フォトジェニック。避暑地に足を運んだような感覚を受けました。室内自粛が続く中、画像だけでもお楽しみください。
江南文化財センターの西側にあるハナミズキ。薄紅色の花が満開を迎えています。 ハナミズキの花言葉は、「永続性」「返礼」「私の想いを受けてください」。 コロナウイルスによって普通の日常にも様々な影響が生じている昨今、 ふと立ち止まると、鮮やかな花びらを輝かせるハナミズキが、 温かく受け止めてくれるようです。 平穏な日々が訪れますように。 ハナミズキの想いを感じることができます。 出典:「庭木図鑑 植木ペディア」 【ハナミズキ】 ・アメリカ東部及びメキシコ北東部を原産とするミズキ科の落葉樹であり、日本の野山には自生しない。アメリカのバージニア州やノースカロライナ州では州の花に指定されている。 ・1912年に東京市長の尾崎行雄がワシントンへサクラを贈呈し、その返礼として1915年にアメリカから日本へやってきた(これにちなんで花言葉の一つに「返礼」..
「平戸の大ぼとけ」で知られる源宗寺。現在は市内久下の東竹院が事務を兼務していますが、源宗寺は、かつて鴻巣市に所在する勝願寺の末寺でした。 勝願寺は伊奈氏の菩提寺であり、伊奈備前守忠次の墓があります。忠次は徳川家康に仕えた代官頭の一人です。忠次は、各地で治水・灌漑工事や検地、知行割、新田開発などを実施しました。そして関東各地には、忠次や伊奈氏一族が関わった水路や堤防が今でも残されています。 その1つが熊谷市から行田市にわたって残る中条堤です。中条堤は、福川の南側に流れに沿って築かれた4キロメートルに及ぶ巨大な堤です。増水時に河川から溢れ出た水を堤の内側の地域に閉じ込めることで、江戸を水害から守っていました。この中条堤は、家康の命を受けた伊奈備前守忠次が構築したといわれています。 市内妻沼地区、行田市北河原との境目あたりでは、今も残されている中条堤の一部を見ることができ..
松原薫著『バッハと対位法の美学』 埼玉新聞に掲載された書評内容 松原薫著『バッハと対位法の美学』春秋社の書評が『埼玉新聞』に掲載されました。 この著作は、「18世紀を通して変遷していった「対位法」の美学。その中でJ. S. バッハの音楽がどのように理解され、称揚・顕彰されていったか。バッハが「対位法の巨匠」となったメカニズムを、同時代の音楽美学を丹念に読み解くことであぶり出す。」(書誌概要より)という若手研究者による意欲的労作です。バッハ音楽の受容と理解の変遷に着目し、絵画や音楽などの芸術文化が派生するメカニズムにも関連し、文化財の人々への受容という観点とも密接に関わっていることに気づかされます。書評とともに、ぜひ本書を紐解いてみてはいかがでしょうか。 春秋社 松原薫『バッハと対位法の美学』 https://www.shunjusha.co.jp/bo..
熊谷市教育委員会は、熊谷市名勝「星溪園」の歴史、庭園や建造物の概要を解説した動画の公開を始めました。星溪園の魅力を国内外に発信することを目的に企画。3月から動画共有サービスのユーチューブ内にある江南文化財センターのサイトで配信しています。 星溪園には昨年のラグビーワールドカップ開催時に多くの外国人観光客が訪れたほか、アニメーションのコスプレ撮影が行われるなど、市外からの利用者も多いスポット。 昨年から今年にかけて解説や風景を動画で撮影し、約25分に編集している。園内に所在する句碑や石造物などの情報も紹介しています。動画には英語の解説文やテロップを併記するなど、外国人の視聴に向けて工夫しました。どうぞご覧ください。 サイトURL https //m.youtube.com/watch?v=DChiFVTlMMA
江南文化財センター展示室内の一部の展示を更新しました。寺内廃寺の出土遺物から長い間展示してきた「花寺」「石井寺」「上院」「東院」などの墨書土器に変えて、如来像の頭髪として造られた「螺髪」と仏器のひとつ「鉄鉢」を展示しました。 「螺髪」は塑像製でいずれもサイロ形をしています。金堂跡から数十点出土しており、本尊仏のものと思われます。大きめの「鼻」の一部も見つかっていることから等身大に近い大きさと推定されます。 「鉄鉢」は十数個体の破片となっており、金堂跡や東院集落、参道脇などから見つかっています。須恵器製で少しずつ形が異なっており時期差とみられます。現在の修行僧が持つものよりもやや大型です。仏前に供物を献ずるためにも使用されていたと思われます。皆様の外出が思うようになるまで、当分の間展示する予定です。ゆるりと観覧ください。 なお、「螺髪」については過去の掲載ページも参照く..
江南文化財センターの事務室に透明な間仕切りスクリーンを設営 新型コロナウイルスの感染の全国的かつ急速なまん延により、国民生活及び国民経済に甚大な影響を及ぼすおそれがある事態が発生したとして、国は、埼玉県を含む7都府県に対し、5月6日までの間の緊急事態を宣言しました。こうした中、熊谷市では時差出勤や職場環境の「三密」回避や換気促進などを進めています。江南文化財センターでは飛沫感染防止のために、窓口にスクリーンや、職員のデスクに透明の間仕切りなどを設営しました。コロナウイルスの影響が各分野に出ております。まずは予防のためにできることを行っていきましょう。
新型コロナウイルスの影響で「熊谷うちわ祭」山車屋台の巡行行事などが中止。
山車屋台の華々しい巡行 「関東一の祇園」と称され毎年7月20~22日に開催される八坂神社大祭「熊谷うちわ祭」(熊谷市指定無形民俗文化財「熊谷八坂神社祭礼行事」)の諸行事を自粛し、少数の関係者だけが参加する社殿での神事のみで行うことが決まりました。新型コロナウイルス感染症の感染拡大の影響で、1年延期の判断が下されました。年番町の荒川区は来年引き続き祭礼の運営全般を担当します。神輿渡御や山車・屋台の巡行などの諸行事は実施しない予定です。規模縮小により祭礼の自粛は戦後初であり、戦前においても記録を見る限り異例ともいえます。疫病退散の神事を通して事態の終息を願うばかりです。 熊谷うちわ祭ホームページより転載 令和2年 熊谷うちわ祭 諸行事自粛のお知らせ 令和2年八坂神社大祭「熊谷うちわ祭」は、新型コロナウィルス感染拡大に伴う社会情勢を鑑みまして、大祭の神輿の渡..
前回までに飯田和泉 小林源太郎 石川雲蝶らを輩出した飯田家(大麻生)、小林家(玉井) 石川家(深谷市中瀬)を紹介しました。彼らは彫師として一家を立てていますが、いずれも石原吟八郎の門に学んでいます。石原吟八郎は日光東照宮の造営や補修に際して活躍した彫刻師の家柄で、後に群馬県花輪村(群馬県みどり市)に根付いたことから彼の元には近隣から多くの門弟が集りました。石原家、飯田家・小林家・石川家は寺社彫刻を主に彫技を振るい、妻沼聖天堂、諏訪神社本殿の製作に関わっていきます。各家は世代を超えて協力し、あるいは競い合うなどして多くの作品を今に遺しています。 参考『熊谷市史 別編2 妻沼聖天山の彫刻」2016 写真 石原吟八郎の墨書(上新田諏訪神社本殿棟木銘) 写真 諏訪..
市内、石原に所在する県指定旧跡の「秩父道しるべ」。江戸時代に盛んになった秩父札所の観音信仰で往来した巡礼者などのために建てられた道標です。江戸から秩父へ行く道の一つとして熊谷宿を通過し、石原村で中山道から分かれて、寄居・釜伏峠・三沢を経由する「ちゝぶ道」がありました。 石標には「ちゝぶ道 志まぶへ十一里」とあり、秩父第一番の札所、四万部寺への距離と方向を示しています。明和3年(1766)、中山道と秩父往還の分岐点付近に建立されました。 「平戸の大ぼとけ」で知られる源宗寺。寺院を管理する藤井家に蔵されている源宗寺過去帳には、このちゝぶ道しるべの文字が源宗寺11代住職の快明和尚の筆であるという記録があります。 江戸時代、秩父札所巡りなどの観音霊場巡りが庶民の間で盛んになると、各地で既存の観音巡礼を模した新たな札所が設けられました。忍三十四番の札所もその一つで、源..
4月6日(月)〜9月30日(水)の会期で、江南文化財ロビーにて、諏訪木遺跡出土遺物(中世)展を行っています。 諏訪木遺跡は、熊谷市の中央東部、上之地区に所在する遺跡です。 平成5年〜現在まで調査が行われ、縄文時代の後・晩期、弥生時代の中・後期、平安時代、中世、近世まで数多くの遺構がみつかり、そこからは大量の遺物が出土しています。 今回は、これまでに調査された遺跡の中でも特に中世の遺構、遺物に的を絞って展示を行っています。 9月いっぱいまで開催しておりますで、お近くにお越しの際は、お立ち寄りください。 展示期間:令和2年4月6日(月)〜9月30日(水) 開館時間:午前9時〜午後5時 休館日:土・日曜日、祝日 入場料:無料 場所:熊谷市立江南文化財センター(熊谷市千代329番地)
4月6日(月)〜9月30日(水)の会期で、江南文化財ロビーにて、諏訪木遺跡出土遺物(中世)展を行っています。 諏訪木遺跡は、熊谷市の中央東部、上之地区に所在する遺跡です。 平成5年〜現在まで調査が行われ、縄文時代の後・晩期、弥生時代の中・後期、平安時代、中世、近世まで数多くの遺構がみつかり、そこからは大量の遺物が出土しています。 今回は、これまでに調査された遺跡の中でも特に中世の遺構、遺物に的を絞って展示を行っています。 9月いっぱいまで開催しておりますで、お近くにお越しの際は、お立ち寄りください。 展示期間:令和2年4月6日(月)〜9月30日(水) 開館時間:午前9時〜午後5時 休館日:土・日曜日、祝日 入場料:無料 場所:熊谷市立江南文化財センター(熊谷市千代329番地)
飯田家と共に寺社仏閣の彫刻に秀でた小林家が江戸後期に熊谷市玉井に現れます。初代原八から源太郎、丑五郎、栄次郎、栄吉、義雄、貞雄らが昭和までに排出し、各地で腕を振るい多くの作品を残しています。 特に源太郎は芸術家肌の面があり、40代半ばで家を出て旅先の土地で多くの寺社彫刻を製作しその地で生涯を終えています。手がけた彫刻は新潟県・群馬県に多々所在し、その地域の文化財となっている例もあります。源太郎の手掛けた彫刻は西福寺向拝彫刻(新潟県) 石部神社本殿彫刻(新潟県石地町) 弥彦神社向拝彫刻(新潟県) 榛名神社随神門彫刻(群馬県)などがあり、新潟では当時江戸の名工と言われた石川雲蝶との競作も伝えられます。 源太郎は熊谷の出であることから熊谷源太郎とも呼ばれることが多く、新潟県与板町都野神社に示した見積書に当たる彫物仕様では「武州熊谷宿 彫工 小林源太郎』と署名が見えます。 栄次郎は熊..
今回の新型コロナウイルスに伴う影響は発掘調査にも影響しています。 発掘作業は屋外での作業ですが、休憩所は、いわゆる3密環境になってしまうことから、熊谷市では発掘調査を延期しています。 そんな中、今年度から実施予定である道の駅予定地の池上遺跡の発掘現場では、影響のない範囲で、準備を始めています。 池上地内 測量風景 先日は、調査箇所の位置出し作業を委託業者に頼んで、測量してもらいました。それ以外にも可能な範囲で、準備を進めていく予定です。 また、昨年度までで調査を終えたほ場整備に伴う池上遺跡の整理作業については、3密環境を避けるため、遺物展示室(閉鎖中)も利用して、換気をしながら作業しています。 いつ収束するかわからない事態となっていますが、各自が気を配りながら作業しています。 池上遺跡 整理作業風景(展示室内) 発掘調査については、今後作業が..
現在、保存修理事業が進められている平戸の大仏(源宗寺)。 本尊の薬師如来像、観世音菩薩像の胎内からは、馬の病気の薬と神経痛の薬の秘伝書が発見されたとの言い伝えがあります。 秘伝書に従って調剤された薬は「平戸の妙薬」と呼ばれ有名になり、それを求めて訪れる人が絶えなかったそうです。 写真は、源宗寺の管理者、藤井家に残る薬。藤井八重子さん(87)は、藤井家に嫁いで間もない頃、薬を求めてくる方々に、この薬を小さなガーゼで出来た巾着に入れて販売していたといいます。袋に書かれた文字は、漢方の一種「楊梅皮(ヨウバイヒ)」と「栝楼根(カロコン)」かと思われます。
現在、保存修理事業が進められている平戸の大仏(源宗寺)。 本尊の薬師如来像、観世音菩薩像の胎内からは、馬の病気の薬と神経痛の薬の秘伝書が発見されたとの言い伝えがあります。 秘伝書に従って調剤された薬は「平戸の妙薬」と呼ばれ有名になり、それを求めて訪れる人が絶えなかったそうです。 写真は、源宗寺の管理者、藤井家に残る薬。藤井八重子さん(87)は、藤井家に嫁いで間もない頃、薬を求めてくる方々に、この薬を小さなガーゼで出来た巾着に入れて販売していたといいます。袋に書かれた文字は、漢方の一種「楊梅皮(ヨウバイヒ)」と「栝楼根(カロコン)」かと思われます。
熊谷市指定無形民俗文化財「上川原神道香取流棒術」【疾病除け神事(四方固め)】
上川原神道香取流棒術「疾病除け神事【四方固め】」動画 令和2年4月12日(日)午前11時~正午において熊谷市小島地区上川原で伝承されている熊谷市指定無形民俗文化財「上川原神道香取流棒術」が行われました。当初は春の祭典として地域祭礼として盛大に執り行われますが本年は新型コロナウイルスの対策として春の祭典は中止となり、その代替として、地域各所で疾病除けを祈願しての神事として「四方固め」の棒術披露が、上川原集会所及び地域の東西南北に位置する街頭で開催されました。なお、疾病除けとしての特別奉納の執行は記録上確認できず、明治時代以降初めての開催と推定されます。当日はその様子を映像収録し、動画共有サイトのYouTubeの江南文化財センターページにおいて公開配信を始めました。どうぞご覧ください。 上川原神道香取流棒術の概要 江戸時代初期に当地に受け継がれた棒術で、型には..
BS朝日「建物遺産―歴史的文化財を訪ねてー」国登録有形文化財「坂田医院旧診療所」
毎週日曜の午後10時54分〜午後11時00分に放映されている BS朝日「建物遺産―歴史的文化財を訪ねて―」において 国登録有形文化財「坂田医院旧診療所」が紹介されました。 撮影当日は内部の配置を一部替えて、ギャラリー風の設えにしました。 全2回の前編に引き続き後編が放送されます。 放送予定 国登録有形文化財「坂田医院旧診療所」 2020年4月12日(日曜)午後10時54分〜午後11時00分(放送済み) 2020年4月19日(日曜)午後10時54分〜午後11時00分 国登録有形文化財「熊谷聖パウロ教会」 2020年4月26日(日曜)午後10時54分〜午後11時00分 妻沼聖天山の建造物1 重要文化財「貴惣門」ほか 2020年5月3日(日曜)午後10時54分〜午後..
野原文殊寺 鐘楼門 奥に本堂 飯田和泉守の供養碑に刻まれた子弟の匠たちの名に「細井平左衛門」があります。彼は熊谷市板井の出身で明治時代に野原八幡神社や文殊寺の鐘楼門を造っています。文殊寺本堂は飯田和泉が差配し、向拝の彫刻を手掛けています。この本堂は昭和10年代に焼失し残ってはいませんが、子弟でそれぞれの建物を競作していたことが窺われます。 細井家には、細部の彫刻まで描かれた神社本殿の絵図が残されています。完成予想図として施主や氏子たちに示した図でしょうか。この図には社名が描かれていないのでいずれの神社かは知れませんが、龍女と思われる女神や、霊亀、鯉魚、龍など池水にかかわる図象が組み合わされることから、水辺に臨む神社とも想像されます。見つけてみたいと思います。 琴を弾く女神(龍女か) 某 神社仕方絵図..
NHK Eテレ 日曜美術館「見つけよう!あなただけのオルセー美術館」
4月12日(日) の日曜美術館はオルセー美術館の名画鑑賞がテーマ。 美術史家で大原美術館長の高階秀爾先生がスタジオにゲスト登壇されます。 8Kで撮影されたオルセーの名画をスタジオで鑑賞という試みです。 どうぞご覧ください。 (NHKEテレ1・東京) 4月12日(日) 午後8:00~午後8:45(45分) Eテレ「日曜美術館」日曜9時、再放送20時 https://www4.nhk.or.jp/nichibi/ 日曜美術館ホームページより NHKとオルセー美術館の国際共同制作により8K撮影した名画を、スタジオモニターで鑑賞。小林聡美さんと細田守さんが“日本で一番オルセー美術館に詳しい高階秀爾さんと一緒にマネ「草上の昼食」、ゴッホ「星降る夜」などおなじみの作品を高精細ならではのアップでじっくり見る。と、今まで気づいたことのない細部や質..
立正大学講座「熊谷市の文化財保護と国際的動向」の動画配信について埼玉新聞に掲載されました。
熊谷市立江南文化財センターでは、新型コロナウイルス対策で公共施設や大学機関などでの文化講座や講演会が中止となる中、過去に収録した文化財に関する講座を動画共有サイトのユーチューブで公開しています。この取り組みについて埼玉新聞で取り上げられました。 3月26日には、新たな配信を始めました。これは、本年1月に立正大学熊谷キャンパスで開催した官学連携の講座「熊谷市の文化財保護と国際的動向」で、同センターの山下祐樹主任が講師を担当しています。講座では、文化財の原初的な状態を意味する「オーセンティシティ」をテーマとしています。国内の歴史的建造物などの文化財の多くは建立時から複数回の保存修理を重ねていることから、オーセンティシティが確保されていないとして国際的に課題となっていました。 この点を踏まえた上で、熊谷市の国宝「歓喜院聖天堂」の平成の大修理がどのように進められたかについて説..
報告「国宝『歓喜院聖天堂』を拠点とした彫刻師の系譜」 長慶寺・北関東社寺彫刻シンポジウム
2019年12月に開催された長慶寺・北関東社寺彫刻シンポジウムのうち報告「国宝『歓喜院聖天堂』を拠点とした彫刻師の系譜」 (熊谷市立江南文化財センター主任 山下祐樹 :埼玉建築士会 歴史的建造物保全活用専門家・ヘリテージマネージャー)の様子を江南文化財センターのYouTubeサイトにおいて配信しています。 4月7日、新型コロナウイルスの感染の全国的かつ急速な蔓延により、国民生活及び国民経済に甚大な影響を及ぼすおそれがある事態が発生したとして、国は、埼玉県を含む7都府県に対し、5月6日までの間の緊急事態を宣言しました。これを受け、埼玉県の大野知事は、引き続き不要不急の外出自粛などを求めています。テレワークや休校、仕事の休業等で自宅で過ごされる方が多いかと存じます。熊谷デジタルミュージアムや当センターのYouTubeサイトなどをご覧いただき、興味関心を深めながら、充実した時間を..
飯田家は久能山東照宮の五重塔改修の折に、名工としての名を馳せ、「和泉守」を拝命したことから、代々宮大工棟梁としてその名を継いでおり、江戸時代後期から明治時代までに各地に多くの作品を残しています。飯田家の一族には建築だけでなく彫刻にも優れた人材も輩出しており、残された作者名からは「飯田岩次郎」「飯田仙之助」「飯田常吉」「飯田竹三郎」「飯田元三郎」「飯田勇次郎」「飯田岩吉」「飯田岩五郎」等の名がみえます。これらの名を残す建物や彫刻には次のようなものがあります。 箭弓神社本殿彫刻(東松山市)、文殊寺(熊谷野原-焼失前)、三峯神社水屋(秩父市)、雷電神社(東松山市)。妙安寺観音堂(東松山市)、秩父中町屋台欄間彫刻(秩父市)、秩父本町区屋台表鬼板彫刻(秩父市)、熊谷市本町区祇園祭御神酒枠などが挙げられます。まだ知られていない作品も多々あると思われるので、寺社建築や旧家の欄間彫刻などに注意が必要..
テレビ放映情報(BS朝日「建物遺産―歴史的文化財を訪ねて―」)
テレビ放映情報(BS朝日「建物遺産―歴史的文化財を訪ねて」) 坂田医院旧診療所の内部 国登録有形文化財「坂田医院旧診療所」の撮影 国登録有形文化財「日本聖公会熊谷聖パウロ教会」での撮影 妻沼聖天山の建造物撮影 重要文化財「貴惣門」 妻沼聖天山の建造物撮影 国宝「歓喜院聖天堂」 毎週日曜の午後10時54分〜午後11時00分に放映されている BS朝日「建物遺産―歴史的文化財を訪ねて―」において熊谷の建造物が紹介されます。 この番組は、日本各地の歴史的建造物や文化財建造物、モダン建物、 近代和風建築などを紹介する内容で、全国放送として間もなく450回の放映回数を重ねます。 本年2月、「建物遺産」の制作会社から熊谷市内の建造物を番組で取り上げたいとの要望を受け、 番組の特色である近代以降の建造物として、 国登録有形..
立正大学法学部講座「文化財保護とオーセンティシティ―熊谷市の文化財保護と国際的動向―」【立正大学熊谷キャンパス19号館 2020.01.08撮影】
本年1月に立正大学熊谷キャンパスで開催した官学連携の講座「熊谷市の文化財保護と国際的動向」の様子をYouTubeサイトにて公開しています。講座では、文化財の原初的な状態を意味する「オーセンティシティ」をテーマとしています。国内の歴史的建造物などの文化財の多くは建立時から複数回の保存修理を重ねていることから、オーセンティシティが確保されていないとして国際的に課題となったことがあります。この点を踏まえた上で、熊谷市の国宝「歓喜院聖天堂」の平成の大修理がどのように進められたかについて説明しました。どうぞご覧ください。
江南文化財センターのロビーにあるブースにて企画展「わが街熊谷遺跡めぐり―諏訪木遺跡」の展示準備を行っています。展示は本年9月末までを予定しています。展示内容の詳細はおってご報告します。 展示準備風景 土器類の展示
秩父地方に伝わる伝説ではヤマトタケルノミコトの東国への進路は知々夫国に入り、オオカミの案内を受け険路に迷うことはなかったとされます。これを機縁に三峯に東国鎮護の社として三峯神社が造られ、オオカミは神の使いとして現在までも信仰の対象とされています。整備された参道により容易に参拝することができますが、かつての参道は難路だったようです。この三峯山内には本殿建築のほか多くの建築物があり、熊谷の宮大工であり彫刻師であったに飯田和泉の手がけた建築物があります。本殿近くの水屋建物がそれで、八方にらみ龍といわれる見事な龍の彫刻を見ることができます。飯田和泉は三峯のほかにも秩父山車屋台を飾る彫刻も手がけており、秩父地方に多くの足跡を残しているようです。 なお、三峯信仰には江戸末期に日本でコレラが蔓延した際に、病除けに多くの信仰を集めたとされます。そのために参拝したのではないのですが、今の世に通じる..
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