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いーちんたん−−北京ときどき歴史随筆 https://blog.goo.ne.jp/yichintang

胡同や清朝のマニアックな世界へ。北京をめぐる歴史や日常を綴る。

カテゴリーごとにまとめて読んでください。 胡同物語、アパート内装の顛末、西安旅行などをアップしました。

yichintang
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中国
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大津市
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2011/05/27

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  • マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語57、戦場以外のタイシャン

    軍事的な才覚では、跡継ぎとして父ヌルハチの期待に恥じない堂々たる働きを見せてきたタイシャンである。戦場での「いけいけどんどん」の猪突猛進では、鬼神のごときカリスマ性を発揮し、兵卒の一人一人に至るまで戦いに駆り立てる魔力を持っていた。ところが一たび複雑な権力闘争の場で、目に見えない謀略を相手にする場合は、どうやらあまり健闘したとはいえないようである。チュインが誅されてから、タイシャンはヌルハチの息子らの中では最も年長であり、大福晋を生母に持つ、文句のつけようがない後継者であった。……中原王朝の思考からいけば。網の目のように張り巡らされた官僚機構により、皇帝があほたれえでもまったく国の機能に影響しないシステムの中では。しかしまだ文字も持たない、勃興したばかりの女真族の中でその道理は通じない。ヌルハチの他の息子らが、...マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語57、戦場以外のタイシャン

  • マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語56、タイシャン理路整然

    梯子作りでさえ、細心の注意を払って隠さなければならなかったのに、数万の兵を動かした今、明が感づかないはずはない。今さら雨が降ったからといって撤退しても、謀反の意思はもうすでに白日の下にさらされた形となっているではないか。これまで明側も油断してきたからこそ、ヌルハチが密かに満洲や朝鮮に対して「ハーン」の称号を僭称していることも発覚せずに済んでいる。しかし今回のことをきっかけに明側の警戒心が強くなれば、いずれ発覚し、以後名乗ることはできなくなるだろう。また一介の建州衛の都督として、遼東巡撫の命令に従い、これまで三十年かけて併呑してきた血と命の結晶である女真の属部も手放さなければならなくなる。--まるで今日びのどこかの老大国とどこかの新大国のぼうえき戦争を見ているようだが。。。鷹揚にかまえていた「世界の警察」を一気に...マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語56、タイシャン理路整然

  • マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語55、タイシャンもう一つの武勇伝

    タイシャンの戦いに関するエピソードがもう一つある。のちのことのなるが、天命三年(一四一八)四月十三日、ヌルハチは「七大恨」を大義に掲げ、ついに明への反旗を翻し、撫順攻撃のために出発した。ところが翌日に雨が降ったために、ヌルハチは引き返そうとしたのだ。タイシャンはこれを強く止めて主張した。これまで明は、ヌルハチの勢力の拡大するのを、薄々は把握しつつも国力が衰え、対応しきれないために目をつぶってきた。しかしこのたびヌルハチが大軍を動かし、撫順に向かって移動を始めたことは、明らかに反旗を翻した動かぬ証拠である。そうなれば明は、台所事情がどんなに苦しかろうと、力を振り絞って兵力を終結してくるだろう。今回の明への攻撃は、相手に完全に油断させた時に急襲するからこそ、撫順には充分な兵力も備えもなく、勝つ可能性がある。満洲側は...マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語55、タイシャンもう一つの武勇伝

  • マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語54、タイシャンのリーダーシップ

    この場合のヌルハチもそれに近い状況といえなくもない。それ以前にすでに大きな犠牲を払っても落とせなかったウラ部である。仲間の犠牲も大きい上に戦利品までないとなれば、士気が落ちる可能性が高いのに、気弱になっているのは、老いのせいもあるといえなくもない。但しヌルハチのヌルハチたる由縁は、ではそのプレッシャーを一身に背負いたい、という若い将が現れた時には、すんなりと一任するだけの即断力があるところだ。ヌルハチは考えたことだろう。兵士らは皆でタイシャンの元に集まり、ぜひやらせてくれ、と頭を下げて言って来たのだ。もしこの作戦で失敗し、多くの犠牲者が出たとしても、自分が怨まれることはないし、批判が集まるとしてもそれは息子のタイシャンになるだろう。タイシャンは若いので、そのプレッシャーに耐えられる。または批判を受ける「痛み」を...マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語54、タイシャンのリーダーシップ

  • マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語53、戦争は将が若い方が勝つ

    戦争には人の命がかかっている。将には、命令一つで兵士らの命を落とさせる危険があり、そのために慎重にならざるを得ないし、それだけにプレッシャーも大きい。一説には、戦争は将が若い方の軍勢が勝つ可能性が高い、という統計があるという。それは年をとればとるほどプレッシャーに耐えるだけの精神力が弱くなるからだろう。失敗すれば人に嫌われる、人に怨まれる。誰だって人に好かれ、褒められたい。怨まれるかもしれないという大きなプレッシャーを受けてでも自分の信念を曲げず、作戦を遂行するには、強靭な精神力が必要となる。そのプレッシャー合戦で老いたほうが負けやすいということなのだ。それは過去の失敗の後に批判にさらされた「痛み」を覚えているから、怖くなることもある。失敗したことのない若者なら、「痛み」がどういうものか、わからないからこそ、大...マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語53、戦争は将が若い方が勝つ

  • マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語52、タイシャン物申せる男

    ヌルハチの言葉にも、確かに一理あった。しかし前年のウラ攻めでもそういい、捕虜の数もたいしたものにはならなかった。今年も同じことを繰り返せば、恐らく士気を維持するのは難しい。戦士らの士気は戦利品への期待にかかっているのだ。原始状態にある満洲族には、金銭・財産的な戦利品はあまり期待できるものではなく、役に立つものといえば「人間」、つまり捕虜である。去年もその収穫があまりなく、また出直しといわれれば、兵士らは次第に真剣に戦わなくなる危険性が大いにあった。ヌルハチに物申せる人はあまりいない。一度言い出したことを取り消すことはめったになく、逆に反対意見を出した方が罰せられる可能性の方が高かった。心の中で思っていても、口に出せる者はほとんどいなかった。タイシャンは父の心象を悪くすることも恐れず、配下の将軍・兵士らを率いてヌ...マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語52、タイシャン物申せる男

  • マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語51、タイシャンを太子に

    チュインの廃嫡後は、次に年長の同母弟タイシャン(代善)が、太子に立てられた。タイシャンは生まれも嫡夫人である一人目の大福金を生母に持ち、そして何よりも戦いで勇猛果敢、人々を納得させるだけの素質は十分にあった。何度も登場する戦いだが、ウラ部から帰順するという五百戸を出迎えに行き、ウラ部の酋長プジャンタイに阻止された時の戦いでは、チュインとタイシャンが主力になり、戦いを勝利に導いた。この戦功を称え、ヌルハチはタイシャンに「グエン・バトゥール(古英巴図魯)」の称号を与えた。グエンは満州語で刀の柄にかぶせてある鉄カバーを指し、バトゥールは英明かつ勇敢の意である。鉄の如く硬く勇敢なり、と。この称号は清朝一代でタイシャンのみにつけられた称号であり、ヌルハチの寵愛のほどが知れる。明の万暦四十一年(一六一三)、ヌルハチは三万の...マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語51、タイシャンを太子に

  • マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語50、チュイン失脚

    原始的な社会におけるリーダーというのは、ごく単純な判断基準が権力の維持基盤となる。つまりは争いを仲裁する際、公平な判断をするとか、戦利品を分ける際、功の大きかった人から誰もが納得いく分配の仕方をするとか、皆が怖気づいている時に勇気を奮い立たせるようなカリスマ性があるとか、そういう能力である。それが少しでも弱いと思われたら殺され、我こそはと思う相手に取って代わられる。ヌルハチもその意味では、チュインへの告げ口をやみくもに信じたのではなく、誰もが納得いく判断をしたことと思われる。ヌルハチは、長子を殺せば年少の弟たちによくない先例を残すことになると思い、殺さずに高壁の中に幽閉した。ところが二年経ってもまったく反省の色が見えない。このことからもチュインの意固地な性格というのは、他人に誹謗されたのではなく、本人に問題があ...マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語50、チュイン失脚

  • マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語49、チュイン密告される

    この一部始終をヌルハチに告げ口することによりチュインと一線を画した側近がいた。恐らく側近らはチュインの元でその様子を伺っていたのだろうが、この留守中のあまりに軽率かつ愚かな言動を観察し、こりゃだめだと見限ったものだろう。こんな主人と運命を共にしては、ろくなことにならない、と。それまでは堂々たる跡継ぎ太子だったからこそ、懸命に奉公したのだろうが。人間、落ちぶれても泰然としているなら周りも不安にならない。いずれヌルハチも彼のすばらしさに気づいてやがて名誉も回復するだろう、と思わせるのだが、一旦、強烈な「くすぶり」臭気を放てば、その悪い運気に周囲も中毒にかかり、何とかそこから逃れようとするものである。ヌルハチはチュインのあまりの薄情な言葉に全身の血が引くかのごとき失望を感じたことだろう。密告が脚色されている可能性があ...マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語49、チュイン密告される

  • マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語48、チュイン冷遇される

    弁解はしない、というチュインにヌルハチは言う。私は年老いて国事を采配できないからおまえに執政させたのではない、委ねただけだ。私のそばで育った子供に執政させ、衆が従えば、皆が認めるだろうと思ったからだ。それなのに父から生まれた四人の弟と父の信頼する五大臣をあのように追い詰めるとは、執政させている意味があろうか、と。それ以後、(チュインの財産の中から)次男のタイシャンに部衆五千戸、牧群八百頭、銀一万両、勅書(明との貿易割り当て書)八十本を与え、それ以外のベイレにもそれぞれそれより少なく分け与えた。外征に行く際もチュインを信用しなくなり、連れて行かずに留守をさせた。すると、留守の城中でふて腐れたチュインは、四人の側近を集めては愚痴を言った。自分の部衆を弟たちと均等に分けるなんて耐えられない、死んだほうがましだ、生きて...マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語48、チュイン冷遇される

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